switch外伝10-3 Another ordinary day04


 車が伯爵邸を出発してしまうと、屋敷はあっという間に見えなくなった。
 鬼柳の様子をテレビで見るとちょうどインタビューが始まり、鬼柳が少しは愛想よく質問に答えている。
 こういうインタビューを見ると鬼柳の答えは基本的に繰り返しの言葉にしかならない。答えが変わることなどあるわけもなく、いろんな質問をされても前に答えた答えしか返ってこないのだが、マスコミはどうしても同じ質問をして違う答えが聞きたいらしい。
 もちろん、さっきの屋敷の話は、電子ロックが故障をして閉じ込められてしまったという笑い話になっていて、それでたまたまテレビに映っていたから助けを求めたお陰で業者がきて助かったと、テレビのお陰でなんとかなったという作り話になっていた。
 それは最初の笑い話でさっさと終わってしまって、インタビューは続いた。
 そんなインタビューは緊急の出来事だったので、三十分くらいで放映が終わり、残り三十分はWeb用のインタビューになる予定らしい。
 透耶たちはゆっくりと車で移動してテレビ局に着くと、鬼柳のインタビューは終わったようで、鬼柳から透耶に電話がかかってきた。
「うん、入り口にいるから歩いてきて」
 透耶がそう答えると、鬼柳が玄関から出てきた。
 颯爽と歩いてくる鬼柳に何人かがサインを求めてきたが、鬼柳は慌てずゆっくりとサインしてから車に乗り込んできた。
 リムジンはゆっくりとテレビ局を出発して、ヘリポートまで戻る。
「透耶、悪かった」
 鬼柳がそう先に切り出すと、透耶はやっと鬼柳を見た。
「うん、怒ってるんだけど、どうして怒ってるかは分かってるよね?」
 透耶がそう切り出すと、鬼柳は透耶の手を取ってその手を撫でながら言った。
「俺が透耶に黙って伯爵のところに行ったこととか、閉じ込められたことを訴えないとか、透耶だけ事情を知らなかったこととかだよな?」
 そう鬼柳が言うので透耶は言った。
「あのね、それを全部俺がやったとしたら、恭はどう思う?」
「狂ってるな……悪い」
 透耶の言葉に鬼柳がすぐ返答して反省した。
 透耶の手を握る鬼柳の手に力が入る。
「そうだよね、だから俺は怒ってるの。分かるよね?」
「だな、軽率だった。まさかそこまでするとは思ってもいなかったんだが……閉じ込められてもまあ出られる可能性の方が高かったし、今日中には何とかなるかなと」
 鬼柳は透耶がもし自分の立場だったとしたら、気が狂うほど怒るのだろうが、自分に関しての危機管理は若干低めなのが問題だ。
「その根拠は?」
「まず、執事がじいさんだし、伯爵もじいさんだし、SPはいないし、俺より強そうなのがいなかった。だからドアが開けば俺がどうとでもできた。なんか飯とか飲み物に仕込んでたのを察したから食べなかったけど、あれ、食べるの待ってたんだろうなとすぐ分かったし」
 そう鬼柳が言うので透耶の怒りが増す。
「そこまで分かっていて、伯爵が部屋を出るときに一緒に抜け出さないのは何で?」
「いや、冗談でやってるのかと思ったから。携帯がつながらないのが分かって、マズイなあと」
 鬼柳はそう言って透耶の頰にキスをする。
 何とか透耶の怒りを宥めようとしているのだが、いかんせん透耶の質問への答えが全て透耶の怒りを増す結果になっている。
「全てに対して対処が遅い」
「分かってる。でもすぐに透耶が来てくれるなと思ったから、待つことにした」
 鬼柳がそういうので透耶は呆れた顔になった。
 どうやら捉えられていた間も鬼柳は余裕だったというのだ。
「でも、さすがにちょっと大がかりだったな」
「何言ってるの、イギリスから恭の存在を消されそうになるほど切羽詰まってたって言うのに」
「え? 何それ」
 透耶はキョトンとしている鬼柳に、大使館で会った事件を話した。
「俺、勝手に行方不明にされるとこだったわけか?」
 人一人消すのはなかなか難しいことだと聞いたことがある。戸籍がないホームレスであってもいなくなったら誰かが気付く。鬼柳はホームレスではないし、心配する家族がいる以上、誰かが探しに出てくる。
 そうなると事件になるし消えた経緯も調べられる。
 簡単に旅行者が消えましたにはならない。
 そして鬼柳恭一は有名人である。旅行先で消えればもちろん大々的な事件になる。
 だから透耶はわざと大事にした。伯爵に脅しを懸ける意味もあった。
「そういうこと。今回のことは大使館ももみ消したいし、伯爵側ももみ消したい。こっちとしても国際犯罪みたいなことになって面倒が増えるのも嫌だから、今回は大使館側の貸しにしておくことで話を通したから」
「うん、それでいい」
 透耶がとっくに対処したと話すと鬼柳もそれに頷いた。
 結構な話をしているわけだが、日本語が解らない運転手以外は話がわかっているけれど、妙な顔はしなかった。
 物騒な話ではあるが、大使館に借りを作っておくことは、後に役に立ったりするだろうという打算もある。
 旅を続ける二人だから行く先で何が起こるのか解らない。なら保険を用意しておくのは悪い話ではない。
 話はそこで終わってしまったが、鬼柳が安堵したのか疲れたのか、透耶にもたれて目を瞑ってしまったので透耶もそれ以上疲れさせても仕方ないと喋るのをやめた。
 もちろん、まだ怒りはあるが、それでも鬼柳がちゃんと戻ってきたので、これ以上はいいかと思ったのもある。
 ヘリで一気に城に戻ると、すぐに二人は部屋に戻った。
鬼柳は簡単にシャワーを浴びるとすぐにベッドに入ってしまった。
「具合が悪い?」
 そう透耶が問いかけると、鬼柳は出されたコーヒーをちょっとだけ口を付けたことを告白した。
「目の前で見張るように進められたから、口にちょっと入れた。たぶんそれ」
 どうやら緊張状態の時は効いてなかったらしいが、気を抜いた瞬間効果が出始めたというのだ。
 まあ大の男を眠らそうとした量の睡眠薬などが入っていた可能性が高いので、鬼柳の身体に異変が出るのは当たり前だった。
「お医者さんを呼ぶ?」
「いや、大丈夫。ちょっと眠いだけだから、透耶ここで寝て」
 鬼柳はそう言うとベッドまで寄ってきて心配している透耶をベッドの中に引き摺り込んだ。
「わっ……! ちょっとまだ着替えてないし……お風呂も入ってない」
「うーん、いい。ちょっと枕してて」
 透耶は鬼柳の代わりに執事たちに明日の引きこもりを伝えて食事だけ運んでもらえるように頼んだりしていたので、まだお風呂に入っていなかった。
 着替えもまだ済んでない状態なのに、鬼柳は透耶の上着だけ脱がせてくると、そのまま透耶を抱えるようにして透耶の胸の中に収まってしまう。
 普段ならば鬼柳の胸の中に透耶が収まるのだが、今日は逆になっている。
 どうやら鬼柳は何もする気がしないのか、そのまま寝落ちてしまった。
 透耶は辛うじて持っていた携帯だけを操作して、執事に部屋に来てくれと頼んだ。
 執事はゆっくりとやってきて、そっとドアを開けて入ってくると、透耶の上着や靴などを丁寧に戻してくれて、鬼柳の脱ぎ捨てた服も持って行ってくれた。
 その間も鬼柳が起きることはなかったので、相当疲れているのだなと透耶は思った。
 睡眠薬を少し飲んでしまった程度で、ここまで意識が戻らないで寝ているのはおかしな事であるが、本人には割と体調が分かるらしく、寝ているのが一番の健康への近道だと思っているようだった。
 ただ寝ているようだったので、透耶も医者は呼ばないでおいたが、もしものためには駆けつけてもらえるように松崎には頼んでおいた。
 それも携帯のメッセージアプリで話し合いになり、透耶は鬼柳に抱えられたままで明日の予定やらをこなした。
 幸いと言ってもなんだが、透耶と鬼柳はここのところ二人で自分の好きなことに没頭していたのもあり、あまりべたっとした時間は過ごしていなかった。
 それもあって、何だかこうやってただくっついて寝ているだけの時間を感じることもなかった気がした。
 どっちがいいのかなんて、その時々違うからどっちとも言えないのだが、透耶はこうした時間も大好きだった。
 だから早々に話し合いを終わらせて鬼柳を抱き、そのまま一緒に睡魔に襲われた。
 今日はいろいろと疲れた日でもある。
 鬼柳に思いがけない危機がやってきたりと、何だか面倒ごとになりそうな出来事はまだ終わってはいないけれど、今日はこの辺りで思考も停止してしまいたかった。


 次の日はやはり透耶の方が先に目を覚まし、鬼柳はいつも以上に寝ていた。
 さすがに透耶をずっと捕まえておくことはできていなかったようで、透耶はベッドから這い出て何とか風呂に入り、松崎が持ってきた朝食を食べてからまたベッドに戻った。
 松崎に言われた通りに、鬼柳の体温などを測ったりしてみたところ、異常はないようだった。ただ寝ているのは睡眠薬の成果だと分かり、鬼柳でも飲み慣れないものはさすがにダメージは来るのだろう。
 その日一日も寝て過ごし、透耶は携帯でお世話になった人に連絡をしたり、鬼柳が本当はやる予定だった書類なども松崎に手配して貰って書いたりもした。
 大使館から人がやってきたが、松崎に全て任せて対処して貰い、透耶の当初の予定通りに、今回のことは貸しにしておいた。
 もちろん、大使館として本国に知らせることはないので、融通が利くのはイギリスの日本大使館のみになってしまうが、イギリスには何度も来ることになるだろうから、それで手を打った。
 向こうは恐縮していたが、こちらが内密に同意するとホッとしたように安堵したらしい。そこは透耶の親戚に政界関係者がいるせいでもあるが、知られれば大使館員どころか大使すらクビが飛ぶ出来事だけに、内密に納めてくれることは有り難かっただろう。
 そのお陰なのか、来月にはイギリスからアメリカに行く予定なのだが、その時にプライベートジェット機を貸してくれると言われた。
 割と手配は簡単らしいのだが、金額は大使館持ちとなる。
 それでチャラにはならないが、一応チャラにするつもりで好意は受け取ることにした。

 そんなやり取りをしてる中でも、ロリー・ローがやってきた。車を置きっぱなしで戻ってしまったので取りに来たのだが、その際、透耶に会いたいと言うので透耶は鬼柳が寝ているのを確認してから居間で会った。
「休んでいるところを済まない」
「構いませんよ、寝ていただけなので」
 透耶はそう言ってソファに座ると、ロリー・ローが言った。
「あれからすぐに叔父と契約書を結んで、城の明け渡しは来月になった」
「思ったよりも早く進みましたね?」
「そうなんだ、叔父が気が変わると面倒になると思ったのかな? 城をそこらの不動産屋にくれてやるのも惜しくなったのか。若しくは君が怖かったのかな?」
 ロリー・ローが少し笑って言った。
 透耶の機嫌が正直今日もよくない。
 というか、鬼柳がまだ体調不良という状態であるから、まだ心に余裕がないせいでもある。
「あれから、叔父が写真集を見て、君が天使だと気付いたけれど、とても写真の中の天使とは気付かなかったから、きっと神の御使いである天使を怒らせた状態なのだなとえらく反省したらしくてね。元々カトリックなのもあって、まあ崇拝する対象から怒られたと思ってえらく落ち込んでしまってね。そういうわけで、君が怖かったんだろうなと思ったのさ」
 そう言われて透耶はちょっと困った顔をした。
「確かに怒ってましたし、嫌みっぽく言っちゃったからなあ。お城のことは八つ当たりみたいなもので……」
「いいんだ、それでよかったんだよ。城は残るし、君たちもまたここに来ることができる。ホテルができあがったら、また君たちを招待したいと思っている」
 そうロリー・ローが言うので、透耶は頷いた。
 生まれ変わってホテルになったら、また見てみたいとも思う。
 とてもいい城だったし、このまま埋もれてしまうものもったいなかった。
「それは喜んでお受けします」
「よかった。それだけ確認をしたかったんだ。執事の番号でいいので教えてくれ」
 そう言うと透耶ではなく松崎の連絡先を教えた。
 そこまで親しいわけでもないのはロリー・ローも分かっているからか、透耶個人の連絡先の交換は遠慮してくれたようだった。
「ああそうだ。一つだけ気になることがあったんだけど、君たち、エレクトラ社の社長と知り合いなのか?」
 そう言われて透耶は頷いた。
「ええ、そうですよ」
 透耶の言葉にロリー・ローは大きな溜息を吐いた。
「やっぱりそうだったか。ジョージ・ハーグリーヴス本人から物凄く嫌みな電話がかかってきて、片道のヘリ乗車代とリムジンの運賃を払えって言われたから、何か気に障ることをしたのかと思ったが、君らと知り合いなら仕方ないか……」
 どうやらジョージは今はイギリスにいないので、どうして透耶が助けを求めてヘリを借りたり車を借りたりしたのか事情を知りたがっていた。だから松崎に頼んで事情を簡単に説明しておいてもらったのだが、それでも説明が不満だったのか独自に運転手やヘリのパイロットにまで事情聴取をしたらしい。
 そこである程度詳しい事情を察したようで、口出しをしたいのだが透耶たちが終わらせた話を蒸し返してややこしくするわけにもいかないので、ロリー・ローに八つ当たりをしたようである。
「済みません、あなた様の名前は出さなかったのですが、非常に情報収集に長けた方なので……」
そう松崎が謝ってくるのだが、透耶は違う心配をしてしまう。
「ロリー・ローさんはそれだけで済んでるけど、伯爵の方はもうちょっとマズイかもしれないです」
 透耶がそうロリー・ローに言うのだが、ロリー・ローはカラッと笑って言った。
「それは叔父の自業自得だ。たぶんこの騒動はある程度人には知られると思っている。ただ皆巻き込まれるのが嫌で静観するだろうが、話題には上るかと思う。あの人も男爵を持っているし、それなりの発言権も高いひとだから、まああの人が動くことで他はもっと静観してくれる計算になる。被害は最小限で終わるから安心するといい」
つまりジョージが動くことで他が口出しする権利をなくし、ジョージの邪魔をする気は一切ないだろうイギリスにおいて、伯爵をどうこうできる人はいないということなのだ。
 そして伯爵はこのまま引きこもってしまうだろうから被害も最小限で、そのうち盛り上がりもなく噂も話も終わってしまうだろうと言うのだ。
「うーん、もしかしなくても伯爵は結構凄いところと繋がってる? だからあまり大きな騒ぎにはしたくないって感じかな?」
 透耶が察してきてそう呟くと、ロリー・ローは眉を少し上げてから笑った。
「そういうことだ。それ以上は詮索しない方が身のためかもしれない」
 確かに大使館も職員のクビを切るだけでは済まない出来事だと思っているようで、その慌てぶりの理由がやっと理解できる。
 どうやら何処の組織も伯爵がやらかした犯罪を隠したいらしいのだが、透耶がそれにテレビカメラを入れてニュース中継をしてしまったせいで、問題がなかなか隠せなくなってしまった。そこで何とか被害者の鬼柳や透耶たちの口封じをしたかったらしいのだが、問題は透耶や鬼柳の後ろについている人たちが問題だったようだ。
 鬼柳に至っては、アメリカの新聞社や銀行総帥という敵に回してはいけない身内がいる。さらにはイギリスどころか世界一と言っていい飲食業界のトップが、この事件を知ってしまったことだろう。
幸いなのはそのうちのジョージがまだ折れてくれた方だったことだろうか。
 もちろん、ただでジョージが折れるわけもないので、その辺は政府や組織と何かやり取りをしたのだろうと透耶でも察してしまったほどだ。
 それくらいにもめて欲しくないもの同士がもめてしまったというのが今回の結果である。
 幸い、鬼柳が無事だったお陰で大事にしないで終わることができたのであるが、もちろん、それだけで済むわけもなかったようだ。
「大人の話だから、まあその辺は好きにどうぞって感じかな。私たちはもう蚊帳の外みたいだし」
 透耶がそう言うとロリー・ローは頷いた。
「そういうことだ。それじゃ、私はこの辺で失礼をする。恋人のことは本当にお大事に」
 ロリー・ローはそう言うと颯爽と来たときと同じように真っ赤な車で城から去って行った。
「本当に何だったんだって感じだね」
 透耶はロリー・ローが去って行くのを窓から眺めて呟いた。
「いつものことですよ」
 松崎がそう言い、石山も富永も頷いている。
「……うう」
 こんな騒動になるのはいつものことで慣れていると言われたら、正直に申し訳ないと思うしかない。
 いつもは透耶が被害者のパターンであったが今回は違ったので、透耶の苦労の方が多い。けれどいつも鬼柳がこんな思いをして必死になっているのだと分かるから、文句も言いたいけれど、本人がもういいと言うならもうどうでもいい気になってくる。
「また引きこもるけれど、たぶん夜には起きると思うから、ご飯をお願いね」
 透耶がそう言って部屋に戻ると、ちょうど鬼柳が起きて目を開いていた。
 けれどいつものように起き出す気はないのか、布団を上げて入れと態度で示してくる。
「ちょっと待ってね」
 透耶は着ていた上着を脱いで布団に潜り込んだ。
 すると鬼柳が言った。
「誰か来てたのか?」
「ロリー・ローさん。えっと、伯爵の甥っ子さんでローランド・アンダーウッドって人。伯爵の屋敷まで案内してくれた人なんだ」
 鬼柳とロリー・ローは会話すらしてないので、何者なのかを説明すると。
「何で?」
 と不思議そうに聞くので、とりあえずその日の出来事を説明すると、鬼柳もやっと納得したようだった。
「それで透耶が来るのが速かったのか。携帯が動いてないからGPS使えないのに来るの速いなあと不思議に思ったんだよな」
「だからちょうど恭のことが分かるきっかけにもなったから、突然来てくれて助かったんだ。だからお礼もあって、お城の権利を伯爵から譲るようにしたんだけどね」
 透耶がそう言うと鬼柳は、透耶が何かやってきたんだなと思っただけで、苦笑するだけだった。
 透耶が城は気に入っているが伯爵は気に入らないというのが分かってしまうからだ。
「悪かったな……あんまり面倒ごとになると身動きが取れなくなるからと思ったんだが」
 鬼柳があまり虐めるなと言ったのは、伯爵の反撃などで透耶が恨まれるともっと面倒ごとになるからという意味も込められているのだと透耶はやっと気付いた。
「あー、まあ、伯爵には恨まれるというか、怖がられるというか。なんか、向こうはこっちの逆鱗に触れたことくらいは理解しているみたいだし。あとジョージさんがなんかやったみたいだから、俺はもういいかなーと思ってる」
 透耶がそう言って、ジョージがヘリや車を貸してくれて、テレビ局に話を通してくれたのもジョージだと言うと、鬼柳はうんざりとした顔をしてしまった。
「だよな、そうだろうとは思ったんだけど……借りを作ったか」
 鬼柳がそれだけは気に入らないというような顔をしたので、透耶はその鬼柳の眉間を指で突いてから言った。
「何、嫌がってるの。悪いけど恭が後でどうなろうと、恭を助けられるならジョージさんだろうがエドワードさんだろうが、何だろうが俺は使える手は使うよ?」
 そう透耶が言い切ると鬼柳は何故か嬉しそうに笑う。
「うん、そうだな。俺もそうだから一緒」
「うん。だから黙って出かけるのはやめてね?」
「分かった、次あったとしてもちゃんと言う」
 透耶の細やかなお願いだが、それでも昨日の出来事は鬼柳のミスであることは明白だった。
「そういえば、何で伯爵にわざわざ会いに行ったの?」
 透耶が根本的な問題として尋ねると、鬼柳はすっと視線をそらしてから言った。
「あー……なんか、スイスとかに別荘を持ってるらしくてさ。そこを貸してくれるって言う話だったんで、まあその」
「別荘に釣られたんだ?」
 まさかの理由に透耶は呆れた顔をした。
 確かに別荘なんて早々借りられるものではないのだけれど、鬼柳がそういうものに釣られて、ノコノコ出かけたのには透耶も驚いてしまう。
「アメリカの次に行く場所を探しておこうかなと思って、まあ釣られた。別荘自体は本当に持ってるらしいんだけど、貸す話はなあなあにされたから、最初から罠だったんだろうな」
鬼柳は苦笑してしまい、透耶は鬼柳がそうやって特別な場所を探そうと努力をしてくれていることに少し反省した。
「うんそれ、全部俺のためだよね……」
 透耶がそう言って鬼柳の胸に頭を付けた。
「まあ、そうだけど。楽しい方がいいだろうなと」
「だよね……うん、ありがとう。いつも恭が楽しいところを探してきてくれるから、俺はいつも楽しいし、旅行先も楽しみにしてる。でもね……」
 透耶はそういうと鬼柳を見上げてから言った。
「恭が無理をしたり、我慢してまですることじゃないよ。今回のことは本当に心臓に悪いから。お願い、無理はしないでね」
 透耶がそう言うと、鬼柳はそれはさすがに反省するところだなと思ったのか、柔らかく笑って透耶を見下ろして言った。
「分かった、無理はしないし、今回は俺のミスで不注意だった。次からは気をつける」
 鬼柳がそう言って透耶の頬を手で撫でた。透耶はその手を気持ちよさそうに受けて、にっこりと笑う。
「お腹空いたよね? 松崎さんに頼んでご飯を作って貰ってるから」
「食べる。さすがに一日何も食べないで寝てたら腹減った」
 透耶が起き上がると鬼柳も起き上がってきたので、すぐに松崎に知らせて食事を運んで貰って部屋で食べた。
 軽い雑炊などだったが鬼柳は鍋に入っていたものを一人で片付けてしまった。
 透耶はおにぎりを頼んでいたので二つほど食べてスープを飲んだだけにした。
「さてと、透耶も食べておかないとな」
 松崎が食器などを下げて部屋から消えると、鬼柳はそう言って透耶を風呂に連れ込んでいく。
「えー何で急にエンジン全開なの~……まあ、いいけど」
 鬼柳が急に元気になって透耶をバスルームに引き摺り込んでから、二人はそれから二日ほどまた部屋に籠もってしまったのだった。


冬の色が濃くなる頃、二人は二ヶ月の滞在を終えて城を出た。
 帰る時にはロリー・ローが見送りに着てくれて、鬼柳はそこでロリー・ローと初めて会話をした。
「いや、本当に済まない。私が叔父にあなたの写真集を薦めたばかりに……」
 ロリー・ローはそう言って真っ先に鬼柳に謝ったが鬼柳は一切気にしておらず。
「別に伯爵の暴挙はお前のせいじゃないし、謝られても困る」
 鬼柳がそう言うのでロリー・ローは不安そうになって透耶を見るが透耶はその時はにっこりと笑って首を縦に振るだけだった。
 そこでロリー・ローは初めて透耶が柔らかく笑っているところを見てしまった。
 写真集に写っていた天使は確かにこういう柔らかい笑顔をしていた。
寒い風に吹かれて透耶がふっと身を縮めると、鬼柳がそっと透耶を抱き寄せる。すると透耶は柔らかく笑って鬼柳を見る。
 そのまなざしは、この世の何よりも鬼柳を愛しているのだと言っている。
 そしてロリー・ローは気付く。あの天使の笑顔は誰にでも向けられているモノのように写っていたけれど、それはカメラを構えている人に向けられた最高の笑顔だったということだ。
 鬼柳は被写体については恋人だと公言しているが、テレビで使われる写真などは絶対に透耶の顔が写っていない写真しか使わせない。展覧会にいけばもちろんその写真もあるのだが、写真集を買った人と展覧会を見た人しかそれは見られない。
 その理由はやっと分かる。
 愛しているという最上級の愛が見える写真だったからこそ、鬼柳の写真は人に受け入れられているのだ。
 どれだけ被写体が美しくても、それは撮ってくれる相手によるのだから。
 被写体がカメラマンを愛して、そして敬愛していれば、シャッターを切った瞬間に最高の時間が保存されるのは当たり前だ。
 鬼柳の写真集「lover's」はそういうコンセプトで選ばれた写真たちだったのだ。
 ヘリが吹き上げる風を受けて更に寒くなるから、鬼柳はさっさと透耶をヘリに乗せ、自分も乗り込んだ。
 ヘリが全員を乗せてドアが閉まると、ロリー・ローが少し離れたところに立っている。そのロリー・ローに向かって透耶は手を振った。
 ロリー・ローも手を振って別れを告げて、ヘリは一気に上昇した。
 眼下に見える城がすぐに小さくなっていく。
 あの城はきっと次に着たときは装いも新たに、ホテルとなってよみがえっていることだろう。
 その時は、春がいいなと透耶は思った。
「次、来るときは春にしような」
 鬼柳が透耶に向かってそう言うから、透耶は笑って頷いた。
 考えることは一緒だ。
 次に来るときは、春。
 花が咲き乱れてきっと美しい城が見られるだろう。
 それを楽しみにして、透耶と鬼柳は新たな旅の先の話をし始めた。
 次は予定通りにアメリカだ。
 会う人たちはたくさんいる。
 それを楽しみにイギリスのもう少しの旅を楽しんだのだった。