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 南国の朝はとにかく光が激しい。
 眠たくても暑さが増してくるし、光が閉じた目蓋の中にも飛び込んでくる。
 透耶は仕方がない、と寝転がったまま目を開けてた。
 サイドテーブルにある時計を見ると、10時前。
 寝過ぎた。
「ああ、9時には起きてたかったのに……」
 呟いて、起き上がるとすぐに風呂へ入る。
 微妙に熱さと湿気を含んでいる空気は、エアコンをかけて寝ない透耶には、起きると汗をかいている気がする。
 シャワーだけ浴びて、着替えて風呂を出ると鬼柳がやってきた。
「お、起きたか。飯どうする?」
「んー、中途半端だから、お昼の時に食べる。あ、もしかして作っちゃった?」
 髪を拭きながら言っていると、鬼柳がタオルを取り上げて、拭き始める。
 鬼柳はこうやって透耶に触るのが好きだし、面倒を見るのも好きらしい。
「いや、まだ作ってない」
「じゃあ、お昼でいいよ」
「昼飯ついでに出かけよう」
「え? 何処へ?」
「昨日言ってただろ。本屋行きたいって。ついでだから飯食って、どっか観光するか?」
「でも、昨日言ったら駄目だったじゃないか」
「駄目とは言ってないぞ。考えてたんだ」
「何を?」
「俺、沖縄詳しくないだろ、だから、何処に本屋あるのか解らなかったからな」
「はあ? 別に鬼柳さんが考えなくても、SPの人に連れて行って貰えばいいだろう」
「せっかく、透耶と出かけるのに、他に人がいたらつまらないだろ」
 なんだよ、それ……。
「じゃあ、本屋行ってもいいんだ。観光かー、どこ観光したらいいのかなあ。首里城とか、白い浜の海、米軍基地の周り」
「米軍基地?」
「んーとね、歌であるの。別に米軍基地って言っているわけじゃないけどさ。沖縄出身の人の歌でね。「蜃気楼が見える金網の向こう、照り返る陽に灼けて地が燃える、誰もいない帰り道で、振り返ると涙が出た」ってね。後はさ、「知らなかった、見上げる空は、目眩がする青、狂おしい程に愛おしく、忘れられない日々」。これって沖縄の歌でしょ。凄く好きなんだ。だからいつか見ておこうと思って」
「はあ。歌ねえ」
 考え込むように言う鬼柳に透耶は馬鹿にされたと思った。
「今馬鹿にしたでしょ」
「してないよ。聴いてみたいと思った」
 穏やかに笑う鬼柳。
 鬼柳は透耶の事を聞いている時、こうした顔をよくする。
 嬉しい、というより、一つ透耶の事が解る度に、何処か安心していくという感じだ。
「よし、だいぶ乾いたな」
「ありがとう」
「さて、外は暑いが行くか。透耶、用意して玄関で待ってろ」
「うん」
 鬼柳は透耶にタオルを渡して部屋を出て行った。
 初めての沖縄観光だ。
 一週間以上もお預けくらってただけに透耶は嬉しさ倍増だ。
 外は暑いから、半ズボンだ。だけど、半袖では出れない。日焼けすると赤く腫れるので、半袖シャツの上に薄手の上着を着る。沖縄では靴は暑いらしいので、使用人の人が買ってきてくれた島草履で十分。簡素なサンダルだが結構気に入っている。
 その姿で降りて行くと、玄関で使用人の人が、大きな麦わら帽子を貸してくれた。
「頭皮やお顔が灼けますから、お持ちになった方が宜しいです。透耶様、皮膚はあまり強い方ではありませんでしょう?」
「うん、ありがとう。良かった、さすがに帽子は持ってなくて」
「それから、ちょっとローション塗りましょうか?」
「ローション? 何の?」
「日焼け止めですよ」
 と言ったとたんに、使用人五人に押さえ付けられて、顔やら塗りたくられた。
 そうしていると、鬼柳が降りてきた。
 半袖シャツにジーパン。
 どう考えても足は暑いんじゃないか? などと透耶が思って、そう聞いてみると、そうでもなかった。
「ん? これくらい暑くない。ジャングルじゃ、もっと厚着してたぞ。あれ?透耶その帽子……」
「知念(ちねん)さんが貸してくれたの」
 と、ニコニコして言うものだから、鬼柳は使用人達を振り返る。
 使用人達は、口に人さし指をあてて、しー!とやっている。
 透耶を可愛らしく仕上げる為の工作らしい。一度やってみたかったのだ。
 さすがの鬼柳もその魂胆は読めた。
 透耶の顔を見ると、鬼柳はにやりとした。そしてグ!と親指を立てた。
「何それ?」
「いや、日焼け防止対策抜群だ、と思ったんだ。さすがだな、気が利くなあ」
「ふうん」
 鬼柳と使用人の企み等、当然透耶が気が付くはずもない。
 SPの富永、石山が車に乗り込んで、出発した。

 

 
 車に乗って屋敷を出ると、周りには殆ど何もない海岸線が続いていた。唯一の国道へ入り、それでも周りはさとうきび畑が見えたりして、ここが日本なのだろうか、と思う程の果 てしない光景が続いていた。
「観光なさるなら、国道通りの店でジュースなど、どうですか? 大きな本屋までは一時間程かかりますし」
 そう言ったのは、石山だった。
「え? どんなジュース? やっぱり南国風なの?」
 窓の外を見ていた透耶が反応した。
「ええ、パパイヤだとかマンゴー、後沖縄お茶もありますよ」
「へえ、面白そう。鬼柳さん、飲んでみない?」
 助手席の座椅子にしがみついていた透耶が、横を振り返って鬼柳に聞いた。
 鬼柳はカメラを片手にして頷いた。
「ん? 何? 写真撮るの?」
「透耶の沖縄観光記録写真」
 ……。
 ……。
 ……。
「あれは、マジですよねえ……」
 透耶はこそこそと石山に言った。石山と富永は苦笑。
 鬼柳を見ると、真剣にカメラをいじってる。
 奴はやる気です……。
 まあ、観光地だからカメラは珍しくないだろうけどさ。報道用カメラはどうだろう? 報道用とは解らなくても、その望遠付きはどうだろう?



 途中で店に寄って、進められたジュースを買った。
「透耶、何買う?」
「うーん、パインかなあ? 鬼柳さんは?」
「マンゴー辺りでいいか」
「後で分けてね」
 透耶ににっこりとして言われると、惚けてしまう鬼柳。
 内心は、可愛い、とでも思っているのだろう。
「石山さん達は、お茶って言ってたから。俺、買ってくる、鬼柳さんお金頂戴」
 透耶は一銭も持ってない状況。未だに財布は隠されたままである。透耶の財布の中にはクレジットカードも入っている為、それを使われて逃げられる可能性があるのと、逃げなくても使えば、何処で使ったのかが、弟に分かってしまうからだ。
 もともと、お金に執着してない透耶には、無くて困るのはこういう状況くらいなものだ。
 鬼柳にお金を貰って、レジに商品を出し払ってお釣を貰って振り返ると、観光客らしい男が透耶に寄ってきた。
「ねえ、彼女。観光なのー?」
 肩に手を置かれて呼ばれ、透耶は不思議そうな顔で振り返った。
「え? 俺?」
「あれ? 地元の子?」
 見知らぬ男が二人立っている。格好からして地元民だ。
 沖縄では、女の子も、俺、という事もあるのだそうだ。だから、最初、透耶は使用人達に女の子だと間違えられていた。
「じゃあさあ、一緒に遊ばない?」
「えっと、困るんだけど」
「どうして?」
「えーと、あそこで物凄く怖い顔をして睨んでいる人が連れなんだけどさ」
 透耶は凄く困った顔で、指を差した方向を男達も見る。
 そこでは鬼柳が、とにかく目線で脅していた。そこへ黒い半袖シャツに下も黒のパンツの石山がやってきて、鬼柳が石山に何か指示している。
 石山が頷いて、透耶に近付いてくる。
「透耶様、お買いになられました?」
「あ、うん」
「この方々はお知り合いですか?」
 石山が無表情で、男達を見る。
 その顔は、SPの顔で、厳しく、相手を覚えようとしている。次に何かあったら顔が解るように、である。
 透耶は首を振って答えた。
「ううん、知らない」
 こんな所に透耶の知り合いが居る訳ないのは、誰でも知っているが、何か魂胆があるらしく、言い方がおかしい。
「そうですか。で、あなた方はこの方に何か御用なのでしょうか?」
 言い方が脅している。
 透耶の連れが恐い目つきをした外国人のような男で、しかもその男には、明らかにボディーガードらしき男が二人もいて、それに守られている透耶。
 はっきり言ってただ者では無い。
「あ、いえ、ちょっと……」
「み、道を聞きたかったんですけど……」
 などと、言い訳をしている。
「道、ですか?」
 石山が疑って厳しい視線を送っている。
 
 絶対、楽しんでる……。
 透耶は内心そう思った。
「透耶!」
 鬼柳が手を上げて呼んでいる。
 ああ、こういう時の鬼柳はかっこいいんだよなあ。
 訳の解らない感想を残す透耶。
「どうぞ、お先に」
 石山に言われて、透耶は鬼柳の元へ走り寄る。
 鬼柳の元へ戻ると、鬼柳の手が透耶の腰に回って、透耶は引き寄せられた。
「鬼柳さん、何遊んでるの?」
「んー、ああいうのは、後ろに恐いのがいるって思い知らせないとしつこいんだよ。ちょっと石山に脅かしてこいって言ったんだ」
 はっはー、可哀相に。
 石山は、道を聞きたいと言い訳した男達に、親切に(?)道を説明して戻ってきた。
「俺、彼女とか言われた。あれ、ナンパなのかなあ?」
「観光客を狙ったナンパだろう。地元民を装って、女を騙すのさ。日本人はそういうバカンスでの出会いには弱いらしい」
「ふうん、女の子は大変だ」
 なんて透耶が言うものだから、石山と富永が吹き出した。
 鬼柳も笑っている。
 俺、なんか笑えるような事でも言ったかなあ?



「あ、美味しい。ねえ、鬼柳さんのは?」
 さっき買ったジュースを早速飲んだ透耶は美味しさにびっくりしていた。
「ん、こんなもんじゃねーの?」
「あー、感動がないー」
「は? まあ、飲んでみれば。あ、口開けて」
「?」
 良く解らないが口を開けろと言われたので、素直に開けてしまう透耶。見ていると、鬼柳が口へジュースを持ってくる。
 どうやらそのまま飲ませたいらしい。
 ゆっくりとジュースが口に入って、いっぱいになる所で鬼柳が止めた。ごくりと飲み込むと、違う味が広がった。
「あ、美味しいじゃん」
「そうか?」
 鬼柳はそう言いながら、さっき透耶が口を付けた所からジュースを飲んでいる。
 あれって間接キスだよなあ。何とも初恋の子が思うような事を考えてしまう透耶。
 唇を押さえて、何故か照れてしまった。
 俺、何照れてんだ?




 市内に入って、街並が見えてくる。沖縄という家は東京とはかなり違う。まあ、昔の家程、とても日本とは思えない。
「あ、あれ、キジムナーだ。珍しい」
 門の上に置かれている置き物を見て透耶が言った。
「あ? あれか?」
 鬼柳もそれを見て、カメラに収めている。
 初めて見たのだろう。
「キジムナーって、がじゅまるの樹の妖精、フェアリーなんだって。赤い色してる。沖縄ではシンボルになってて、道路標識とかにもイラストで描かれてる。なんか、沖縄の子はねえ、陽に灼けるから、髪が金髪みたいになっちゃって、「あ、キジムナー」とか言われたりする子もいるんだってさ」
「がじゅまる?」
「どんな樹なのかは見た事が無いから知らないけど、実がなって、それが落ちると、すごく臭いんだって」
「良く知ってますね」
 感心したように石山に言われて、透耶はクスリと笑った。
「受け売りなんだ」

 


 観光にもいいという場所を選んで、SPは本屋も選んでくれていた。大きな駐車場に止めて、まず本屋を目指す。
 途中、沖縄らしい店を斜め見しながら向かった。
 本屋に入って、新書の新刊コーナーの近くまで来ると、鬼柳が立ち止まって動かなくなった。
「どうしたの?」
 透耶が振り返ると、鬼柳は溜息を吐いた。
「なんかさあ、すごい緊張する」
 そんな事を言い出すから、透耶はキョトンとしてしまう。
「何で、鬼柳さんが緊張するわけ?」
「透耶は緊張しないのか?」
「うーん、実感湧かないし、見てみないと解んない」
「だ、だけどさ。売れてるかなとかさ」
「そんなの売れる訳ないじゃん」
「何でだ」
「新人だよ。余程評判よくなくっちゃ、最初っから売れるわけないじゃん」
「けど、誰か見てて、買っていかなかったらショックだろ?」
「そう? そんなの人の好みがあるでしょ」
「何でそんなに淡々としてんだ?」
「鬼柳さんこそ、何でそこまで考えてるの?」
 などとやっているものだから、見兼ねた富永が止めに入った。
「お二方とも、ここは書店です。場所を弁えて下さい」
 静かに言われて、二人ともはっとした。
 周りからは、うるさいなあ、という顔をした客がじっと睨みを利かしている。
 透耶は慌てて周りに頭を下げて、新刊コーナーに急いだ。
 そこまで来て、透耶は今こそ回れ右をしたくなった。
 緊張してきた訳ではない。
 その新刊コーナーは、女子学生の溜まり場になっており、自分の作品が高らかに宣伝されていて、何故か光琉の看板があって、本を持って宣伝してたのである。
 派手すぎて頭を抱えたくなる光景だ。
「馬鹿じゃないか……誰だよ、止めろよ……。誰だ、光琉の暴走を許可したのは……」
「透耶、良かったな。ちゃんと宣伝されてるぞ」
 嬉しそうな鬼柳に対して、透耶は額に手を当てて頭を振った。
「宣伝の、仕方が問題なんだよ……ああ、クラクラする」
 透耶と鬼柳が少し離れた所で、女子学生が去るのを待っていたが、なんせ光琉効果 だろうか、中々去ってくれない。
 痺れを切らしたのだろうか、石山が言った。
「すみません、使用人の方々に頼まれた分が残っているのか心配になってきましたので、買ってきます」
 そう言うなり、女子学生の中へ突進していった。
「やるなあ、石山」
「チャレンジャーだなあ、石山さん」
 思わず感心してしまう二人。
 石山は女子学生に嫌な顔されながらも、積み上げられていた本を10冊程持ってレジへ払いに行った。
 こんな事する客がそうそういるわけもなく、女子学生やら周りにいた客に注目され始めた。
 すると、女子学生の一人が言った。
「ねえ、あの子。光琉に似てない?」  
 ギョッとしたのは透耶。
「き、鬼柳さん。もう行こう」
「もういいのか?」
「いい! 石山さんに後で一冊見せてもらうから!」
 透耶が慌てるが、鬼柳は異常に気が付いてなかった。さすがSPの富永は気が付いた。
「行きましょう。騒ぎになりそうです」
 うんうんと真剣に透耶は頷いた。
 石山もすぐに戻ってきたので、4人は慌てて書店を飛び出した。さすがに女子学生は追って来なかった。




  場所が観光地だけに、SPが用心して鬼柳が昼食にと決めていた地元民がよく行くという、通 路を入った所にある店に入った。
 透耶の希望で奥座敷に通して貰う。内地の観光客と鉢合わせにならないようにである。幸い、ここは他のテーブルからは死角になっている。
 沖縄の魚の定食を頼んで一段落した。
「忘れてました。光琉さんとは双子でしたね」
 富永がそう言ったので、透耶は頷いた。
「俺も忘れてた」
 というより、光琉が宣伝するという事すらも忘れていた。
 しかし、呑気な鬼柳は。
「そうかあ? やっぱり似てないぞ。何処が似てるんだ?」
 と真剣に言った。
 溜息を吐いたのは、富永、石山のSPコンビ。
「普段は気が付かなくても、あれだけ見本同士が並んでいたら、すぐに解ります」
「うーん、やっぱり、あれはマズイ。俺、もう本屋に行けない」
 透耶がそう言うと、富永が付け足すように言った。
「まあ、似てますけど、間違える事はありませんね」
「本当に?」
 意外な言葉だった。
「思うのですが、似ていても、よく見れば違う所はあるものです。雰囲気ですとか。我々は透耶様をよく知ってる訳ですから、そこへ光琉さんが現れた所で、他人にしか感じないと思いますよ。鬼柳様のは、その感じ方が極端に凄い所でしょうね」
 感心するように富永は鬼柳を誉めた。
「あー? だから全然違うって。皆目がおかしいんじゃないか?」
 どうしても似てない、と言い張る鬼柳に皆が苦笑した。
 よく芸能人の誰々に似ている、という話はある。大抵気が付くし、声をかけられる事もあるらしい。しかし、透耶と光琉の場合、普通 に似ているというものではない。
 ただ、光琉の場合は化粧をしたり、髪型が違う。売りも男に見えない中性的なイメージで売っている。
 意図的に変えてはいるが、作りがまったく一緒。
 今日の透耶は女の子に完全に見える洋装だが、顔をじっくり見られると気が付かれてしまう。女の子とインプットされている場合、なかなか気が付かないらしいが。
 透耶と光琉が同じ格好をして黙って座っていたとしたら、たとえ二人をよく知っていて、間違わないと言い張った人でも、必ず間違える。
 だが、鬼柳は絶対に間違わないだろう。
「ああいうふうに言えるのは親くらいなものでしょうけど」
 富永は苦笑してそう言った。
 どんな根拠があって、何処がどう違うのか、それさえ全て違うと言い張る鬼柳。
 透耶は自分の親を思い出した。
 あの二人も一度として、二人を間違えた事はない。周りが不思議がっていたが、母親は笑って「あら、全然違うわよ」と言い切った。写 真さえも間違えた事はない。悪戯して騙そうとしても騙された事はない。
「可笑しい、鬼柳さん。俺の親と同じ事言ってる」
 あはははは、と笑いながら透耶が言うと、鬼柳はニヤリとした。
「そりゃ、俺にとって透耶が何もにも変えがたい存在だからだよ。絶対、何処いたって、どんな格好してたって、俺は透耶を見つける事ができるよ」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
「俺が居なくなっても、本当に探し出せるの?」
 ふと思って透耶は聞いたのだが、すっと鬼柳の顔が無表情になる。恐い。
「居なくなるつもりなのか?」
「そ、そうじゃないけど……」
 しどろもどろと否定する透耶。
 なんで、そんなに反応するかなあ?
 そりゃ、いつかいなくならなきゃいけないんだけど。
「あ、そうだ。石山さん、本見せてくれます?」
 ここは話題を変えるのが一番、とばかりに透耶は話を摺り替えた。
「え、はい。これです」
 石山が袋から本から取り出して、渡してくれた。
 手渡された本を手に取って、透耶は感激していた。
 つるつるした表紙には、可愛い女の子のイラストがあった。登場人物の女の子。イメージ通 りだったのは驚いた。右横に自分の名前がある。帯には、推薦してくれている同じ出版社から本を出している作家さんの推薦文の一部が載っている。その下に光琉の推薦文が載っている。
 中を開いた。
 こうしたい、そう思っていた、そういう目次と各章の表紙。
 新書では、こういうイラストは入れないものだが、透耶は本格推理派ではなく、こうしてイメージがある本の方が好きだった。それが全部叶えられている。
 イラストは上手かった。新人らしいが、透耶の小説を読んで描きたいと言ってくれた人らしい。ありがたかった。
 最後にあとがきとして推薦文が載っていた。
 誉めてくれていた。今後も期待したい。そんな言葉が添えられていた。
 最後の作者紹介欄には、生年月日と出身。
 そして、作品の欄に次回作の題名がズラリと並んでいた。
 それは透耶が今まで描き溜めていて、学校で見せていた物を何度か改訂し直して置いてあった物。5作あった。
 全て、この本のシリーズもの。
「うそ……」
 確かに部屋にあるフロッピーは持っていっていいとは言ったが、このシリーズは、ごちゃ混ぜにしていたから、あれだけあった作品の中から見つけるのは難しいはずだ。そのうち、三作は手書きで、押し入れの奥に入ったままのはずだ。
「どうした、透耶?」
 呟いた鬼柳は、透耶が放心しているので、心配そうな顔をしていた。
 透耶は、本を見せて言った。
「あの、この次回作の欄。確かに俺のだけど、この本のシリーズだけど。これ、押し入れの奥に入れてて、俺も忘れてたものなんだ」
 富永も石山も本を見ていたが、鬼柳は一人煙草を吹かせていた。すっと覗き込んで言った。
「ははー、色シリーズか。だったら、光琉が覚えてたんじゃねーの?」
「うん、たぶんそうだと思うけど……。色シリーズはあったのは知っているとは思う。でもさ、俺さえ忘れてたのをよく押し入れから探し出したなあって」
 「黒と白の毒牙」「透明の糸」「青の絆」「赤の散る日」「深緑の森」
 この本は、「紫の文書」。
 学生の時に書いていたいくつかのシリーズの中で、これは割に好評で、10作書いた。
「これ、どんな話なんだ?」
 鬼柳は受け取った本をペラペラとめくりながら聞くから、透耶は笑ってしまった。
「鬼柳さん、日本語殆ど読めないんだっけ?」
「ああ、簡単な漢字とひらがななら読める。地名は、行けば大体解るが……、こういう文章のは無理だな。難しいし、意味が解らん漢字多いな」
「あはははは、それは無理だ。これ、推理小説」
「推理、金田一か? 犬神家の一族とか」
「金田一! 犬神家! なんてメジャーな所をチョイスしてるねえ」
「あー、日本人なら金田一だとか言われてな。ホームズとかそういうのだって。一回観ろって言われたんだが、なんだ、あれ。死んでるのが見つかった時の格好は笑えたな。犯人はお笑いか?って思ったぞ」
「は? どんな?」
「湖で、足だけ出して見つかってるやつ。そう、逆立ち。死んでまで人を笑わしてどうする?」
「ははー、あれねえ……」
 はっきりいって、子供の時、あれを見て笑った記憶がある透耶。外国人の感覚は子供の感覚か?
「別に笑わせているわけじゃないけどねえ。でもあれはメジャーだけど、時代が時代だからね。俺のは、今の時代だし、金田一とは全然違うよ。もっと軽いと思うし、金田一よりホームズの方が近いかも。日本人はね、コナン、クリスティー、クィーンとかが好きみたい」
「透耶もそうなのか」
「ホームズとかポワロ、ミスマープルは好きだよ。クィーンはあんまり読んでないけど。探偵役がいて、補佐役がいてってのは基本だけど。俺のは、学生が探偵ごっこする話とか多いし。これは、そういう話で……」
 そこまで説明して、透耶は異様な視線に気が付いた。
 ふと顔を上げると、富永と石山のじとーっとした目があった。
 透耶はすぐに気が付いた。
「すみません、これについては話しません」
 そう言って本を閉じた。不思議な顔をする鬼柳。
「どうしたんだ?」
「あのね、これはさ推理する本なわけ。ここであらかた内容はなしちゃったらさ、犯人までバラし兼ねない。そうなったら読む楽しみがないんだよ。って訴えられてます」
 透耶が苦笑して言うと、鬼柳も目の前にいる二人の顔に気が付いて納得した。
「ああ、すまん。けど俺は読めん……読みたいのに……」
 可愛く拗ねる鬼柳。
 鬼柳は、真剣に本と格闘しているが、さっそく難しい漢字に差し掛かったのか、苦悩している。
「読んであげたいけど、俺の声が持ちそうにないし、恥ずかしくって改まって読めないよ」
 なんといっても、一番読んでもらいたい人、鬼柳が、この作品を読めないときている。
 どうしたものか……と真剣に悩んでいると、富永が意外な事を言ってきた。
「それでしたら、翻訳なされば宜しいのでは?」
 一瞬の沈黙。
「それだ!」
「そんな!」
 二人は両極端な返事をする。
「エド辺りに頼めば確実か……」
 もうそこまで考慮している鬼柳に、透耶は叫んだ。
「ちょ、ちょっと! 何でそんなに大変な話になるわけ!?」
「大変じゃないぞ。エドなら一週間でやってのける」
「そういう問題じゃなくて……。翻訳までする必要ないじゃないか! 俺、声涸れても読むし! 意味解らなかったら説明するし!」
 掴み掛かるように止めようとしたら、鬼柳がそのまま倒れてしまったので、透耶まで引き摺られるように倒れ込んでしまった。こんなチャンスを逃す鬼柳ではない。腕を掴んで引き寄せ耳打ちする。
「うむ、透耶の声もいいけど、ちゃんと読みたい」
「き、鬼柳さん! 離して……」
「透耶が読ませてくれない」
 低い声で囁いて、耳を噛む。
「ん……何する、んだよ!」
「翻訳してもいいよな?」
「やあ……な、なんて、脅し、なんだよ!」
「翻訳させて。じゃなきゃ、今すぐ犯す」
「わ、わ、解った! 何でもいいんで、翻訳でもしてください!」
 やると言ったらやる男だ。
 他に誰が居ようが、場所が何処であろうが、犯すと言ったら犯す男である。
「あのー」
 凄く申し訳ないという声がして、その方向を見ると、店の人がお膳を持って立っていたのである。
 ぎゃああああ!
 透耶は心の中で叫んでいた。
 鬼柳は平然としたもので、人がいても抱きついたまま。
 対応したのは、富永で、お膳を受け取ってテーブルに並べていく。恥ずかしくて顔を上げてられない透耶は、鬼柳にしがみついたまま。鬼柳は嬉しがって離さない。
 はっきりいって、変わった客は多いだろうが、これは異常事態でしかないと思う。
 食事を運んだら、目の前で抱き合っている、いや小さい方、女の子らしい子の方が、大きな男性を押し倒している光景に、一緒にいるごつい顔をした男二人が平然として、イラスト付きの小説を真剣に読んでいる。異常だ。
「失礼しました」
 その店のアルバイトらしい女の子が、にこりとして下がって行ったのだが、その向こうでは。
「ちょーラッキー!」
「見た!?」
「見た見た見た!」
「美味しすぎ!」
 などと話し合っている。
 恥ずかしくて二度と来られない。
 やっと食事がきたので、透耶は自分がお腹を空いている事を思い出した。
「いただきます」
 そう言えば、沖縄にきて、鬼柳以外の手料理を食べるのは初めてである。
 魚料理、透耶はお刺身を頼んだ。
 だけど、彩りが鮮やかで本当に食べていいのか?と疑いたくなる魚である。
「うわー、こんな魚、水族館でしか見たことないよー」
 お刺身は美味しかったし、鬼柳も満足している様子。
「刺身、一切れくれ」
「あ、うん、いいよ」
 って、何で食べさせなければならない訳?
 という疑問は、もう鬼柳には通用しないだろう。
 嬉しそうに、あーん、とかされると、この幾つだが解らない、しかもごつくて強そうな完璧な男が可愛く見えてしまうのだから、かなり感化されていると思う透耶。
 でもさ、これってやっぱり人前でやるもんじゃないと思う訳よ……。
 鬼柳が頼んだバター焼きを食べさせて貰いながら思う透耶である。説得力がない。
 向こうでは、厨房から見えるのだろう、女の子の歓喜の悲鳴が聴こえている。早く帰りたい……。
 食べ終わって、すぐに次何処へ行くのか話あって、定番である首里城へ行く事にした。

 
 首里城公園。
 まず、首里城高遠の首里杜館(スイムイ館)で「首里散策マップ」を貰ってくる。そこで、首里城等を画像などで案内してるので、それを見てから散策を始めた。初心者は、まずこれをするのを勧めると言われたからだ。
「首里散策マップ」は観光情報誌よりも首里城近辺が詳しく載っているらしく、時間と相談しながら穴場を見つけるといいらしい。
 また、場内には園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)等、御獄があり、現在も礼拝者が居るので決して邪魔はしないようにとも言われた。
「赤いなあ」
 呟いたのは、鬼柳だった。
「俺、最初に、首里って聞いた時、朱の事だって思ってた。だから赤いんだって」
 透耶も首里城の門の前に立って呟いた。
「シュ?」
「朱色って色があるんだけど、赤よりは薄い色ね。そんな色だから」
「ははー、なるほど」
 そんな事を言いながら、鬼柳はしっかりと、自分で計画した「透耶の沖縄観光記録写 真」を続けている。
 こんなことをするから、観光客が遠巻きに見ていく。もう普通の観光写真を撮っているとは思えない。何かの撮影なのか、と問う人までいる。
 鬼柳はカメラの事になると妥協はしない主義らしく、透耶にここへ立てとか、こっちに寄れ、などと命令をしてくる。透耶も大人しく従っている。
 本業に逆らうと恐いからだ。  




 日射しが柔らかくなってきた所で、穴場のビーチに行った。
 殆ど地元の人とマニアな観光客しか来ない場所で、4時くらいに入ったら、殆ど人はいなかった。
「うわあ、白い、白い砂!」
 透耶は、そういう浜辺を見た事はない。
 初めて見る物は感激する。
 鬼柳が止めるのも聞かず、透耶はずっと向こうまで走っていく。
「透耶! 危ないぞ!」
 鬼柳が声を掛けたとたん、透耶が転んだ。
 慌てて鬼柳が駆け寄ると、透耶は仰向けになって笑っていた。
「言った側から転ぶか普通」
 鬼柳が見下げて言うと透耶が笑いながら言った。
「鬼柳さんが声かけるから、振り向いたら転んだんだ」
「俺が悪いのか?」
「悪いねえ」
 そんな馬鹿な、という鬼柳の顔が可笑しくて、透耶はゲラゲラ笑い転げた。
「じょ、冗談ー」
「……透耶。笑ってろ」
 鬼柳はあんまり透耶が笑うものだから、シャッターチャンスとばかりに写 真を撮り続けていた。
 写真は一体何枚撮ったのだろう?と透耶が思う程、鬼柳は事あるごとにシャッターを切る。骨董品に見とれているといつの間にか撮っているし、歩いている時もいつの間にか離れていて、シャッターを切っては戻ってくる。
 たぶん、いい構図なのだろうが、徹底している辺り、報道カメラマンとは思えない執着振りだ。
「……青い」
 空はまだ青くて、でも日没が近付いているから、微妙な青さだった。
「鬼柳さん、この青、欲しいよ」
 透耶がそう言った。
 別に空が欲しい訳ではない。でも切り取って欲しい色ではあった。
「やろう」
 そう簡単に言うのが鬼柳だ。頭の上で何枚かシャッターを切る音がした。透耶は「これ、冗談だけど」と言ってから言葉を続けた。
「凄く大きな、壁にはまる位に引き延ばしてさ。まるでそこが沖縄の空になったら面 白いよね。そんなに大きく出来るものじゃないと思うけど」
「面白そうだな」
「でしょ?」
 透耶は鬼柳が賛同してくれたので、嬉しかった。起き上がると鬼柳が苦笑していた。
「砂だらけだな」
「え? ありゃ」
 べったりと寝転がっていたものだから、頭、肩、背中、お尻、足と、裏側は真っ白な砂に覆われていた。
 透耶は腕を引っ張られて立ち上がる。鬼柳が素早く砂を叩き落としてくれる。
「おおー、髪の中まで砂まみれー」
 頭に手を入れると、サラサラと砂が落ちてくる。
 鬼柳がクスクス笑いながら、髪を梳くってくれる。
「あー、今、こいつ馬鹿だって思ったでしょ?」
「……何で?」
「今、一瞬間があったぞ」
「そうか? 別に馬鹿なんて思わないぞ。面白いって思ったけど」
「面白い? 何処が?」
「自分から砂まみれになっておきながら、砂だらけって言ってるから」
「……それを馬鹿って言うんだ」
 馬鹿って思うなと言いたかった透耶だが、自分で自分を馬鹿だと認めてしまえと解いている自分が情けなくなってきた。
 砂を叩き終わると、鬼柳は海岸線に沿って写真を撮り続けていた。
 その横顔を見ながら、透耶は聞いた。
「鬼柳さん、ファインダーで覗いた世界ってどんなの?」
「ん? どんなって、変わらないぞ」
「そう? きっと違う気がする」
 透耶は何故かそう思ってしまった。
 厳しい顔をして撮る報道写真の時とは、今風景を撮っている顔は違うと思ったからだ。穏やかで、優しい目をしている。そういう目で撮るものは、きっと美しいに違いない。
 きっと鬼柳のファインダーから見える沖縄は綺麗に違いない。
 透耶は、ふと、沖縄を思って歌った唄を思い出した。
「家族がいなくなった家には、今もブーゲンビリア蔦を這わせてる、そこで与えられた物は、全て無くしてしまっていた。憎む事を覚えて、泣く事を忘れた。灼ける肌に刻み込まれて、この手首に刻み込まれた。進む為に無くして、歩く為に無くした、今手にある物は何も無くて、あなたは何を得られたのだろう。美しく輝くこの大地の果 て、焦がれて求めたこの大地の果て」
 透耶は思い出した唄を口ずさんでいた。
 歌い終わると、鬼柳が見ていた。
「なんて曲?」
「飛べない鳥」
 透耶は、少し微笑んで目を閉じた。
「俺が落ち込んでる時に、耳に飛び込んできたんだ。衝撃的だった。綺麗な優しい声なのにさ、歌う歌詞が強烈で、こんなの歌っていいの?って。何もないって、癒す唄でも、安らぎや元気を与える優しい唄でもない。内から出る、憎しみとか、決別 、恨み、激しさ、死の匂い。でも痛いって泣いてる。残酷なまでに優しいんだ。沖縄出身の歌手って、島唄とか、そういう綺麗さがあったんだけど、美しい孤高ってのはなかったわけ」
「ココウ?」
「孤高、あー、世俗にまみれない。世の中の俗物に染まらないって事なんだけど。その人は、いつも沖縄を思って唄を作るんだ。思ってなくても沖縄の唄になってる。…青く光る、水面 の中、約束を守る。灰になった、私の体、あの海へ帰る。……きっと、あの海って沖縄の海の事なんだよ。だから、この海に抱かれてってフレーズは好きなんだ」
 透耶が優しい顔で、そう話すから、鬼柳は何故か透耶が消えてしまうんじゃないか、そんな不安に駆られた。
 抱き締めないと居なくなるんじゃないか。いつもそんな不安に駆られている。
「な、何?」
 いきなり抱き締められて、透耶は戸惑った。
 なんか、抱き締められるような事でも言ったかなあ?
 いつも鬼柳の突拍子もない行動に驚かされる透耶だが、今日、今は何か違う気がした。
 肩に顔を埋められて、鬼柳は何も言わなかった。
「鬼柳さん、どうしたの? 俺、何か悪い事でも言った?」
「うん」
 即答で返事が返ってきた。
 うーん、唄と歌手の話をしただけなのになあ?
「唄、嫌いだった?」
「うん」
 また即答。しかも唄が嫌いだと言う。
 さっき歌った時は何も言わなかったし、今日朝歌った時も何も言っていなかった、寧ろ聴きたいと言っていたのに。
「どうして?」
「透耶が消えてしまいそうだったから」
「俺が消える? 何で? 意味解らないよ」
「その唄の話。凄く嫌だ。凄く恐い。透耶居なくなりそうだ。抱いてないと消えてしまいそうだ。嫌だ、嫌だ、嫌だ」
 感情を剥き出しにして言う鬼柳は珍しい。しかも相手は唄だ。それだけで、こんなに不安がるのは可笑しい気がする。だが、鬼柳はふざけている訳ではなく、真剣にそう感じてしまったのだ。
 確かに透耶は、この唄は自分が薄らいでいく感じがして、苦しみから逃れられると思った。それくらいのめり込んだ。
 ただ、普通の人が聴くと、恐い歌、強烈過ぎて駄目、という人がいる。描写 があまりにリアルで、耐えられないらしい。
 心を病んでいる人、そうした人が引かれる歌なのだ。
 だけど、鬼柳には、透耶が消えてしまう歌なのだ。
 あながち鬼柳の感覚は間違っていない。透耶はいつか鬼柳の前から去ってしまう存在である。それを感じていて絶対に認めない。
 透耶は、まだあの話が出来なかった。
「世界中に降り注ぐ愛を、あなたに全てあげよう。心から溢れ出す愛を、残さず全てあげよう。だからおやすみ、夜があけるまで。この腕の中、夢を紡ごう。…同じ人の歌だよ。消えてしまうような歌ばかりじゃないんだ」
「それ……」
「ん?」
「そういうのはいい。さっきのは嫌だ」
「はっはー、愛の歌はいいんだ。じゃあ、こういうのはどうだろう?」
「?」
「むかしむかし、こぶたさんが、あいがほしいといいました。どうせいつか、たべられるから、あいくらいわけてくれてもいいじゃないですか。あしたはソーセイジ、らいしゅうまるやき、おいしくなるからさー。まいにちせっせとふとって、きょうもあすもたべるよ、おこのみさいずにして、のこさずたべてください」
 童謡のようなノリの曲調で、呑気に歌って見せると、鬼柳がやっと顔を上げた。
 だが、ありありと変な顔をしている。
 よし、のった!
 透耶は面白いから続きを歌った。
「あるひここで こぶたさんが ゆめがほしいといいました。いつかどうせ、たべられるから、ゆめくらいみていてもいいじゃないですか。ぼくはソーセイジ、わたしはまるやき、おいしくなるからねー。ぶくぶくせっせとふとって、きょうもあすもぶくぶく、ちょうどこのみでしょ、きれいにたべてください。あすはどうなるのー。だれがたべられるのー。おいしくなったかなー。あいはゆめはかなえられた? ふとってふとってふとった、おいしそうといわれました、そろそろたべごろだね、おいしくちょうりしてください」
 全部歌い終わると、鬼柳はクククッと笑いを堪えている。
「なんだ、その歌は……」
 笑いながら尋ねてくるから、笑わそうと思った透耶の作戦は成功したようだ。
「あははははは。「子ブタの愛の歌」っていうの。面白いでしょ」
「誰がそんな歌作ったんだ?」
 そう言われて透耶は自分を指差した。
「俺と光琉」
「な、何考えてるんだ……」
 笑いの発作が止まらない鬼柳。あんまり笑うものだから、透耶も笑ってしまう。
「だって、これ作ったの、小学生の時だよ。しかも作詞作曲二人の共同作品の記念すべき第一作。この曲知ってる人って家族以外じゃ鬼柳さんだけだと思うよ。家族発表の時に大笑いされて以来、門外不出の幻の作品だから。って、俺んち、門外不出の曲多いよな、やっぱ作詞が不味すぎるよ」
 小学生の時、変な歌を作った記憶は結構皆持っている。意味ない歌詞に意味ない作曲。でも、その一部でも覚えている人間ってのは少ないもの。
 しかし、透耶の場合、ピアノをやっていたせいもあって、些細な曲でも、全部忘れられないでいる。楽しく作っただけに、余計にそうなのだ。
「ど、どんな曲があるんだ? ほ、他にもあるのか?」
「んー、あるよ。ざっと50曲くらい。聴く?」
「うん、聴きたい」
 ぐふふ、と笑いながら言われると、期待に答えなきゃいけない気がしてきた透耶。
 だから、順番に歌っていったのだが。
 「ちゃんこの歌」「雨降るなら菓子が降れ」「お弁当を忘れたら隣人のを奪え」「クロール、バタフライ」「文句の歌」「止まれ赤信号」「温泉サル」「外国人の歌」「ステンレス」。
 とにかく変な題名の歌が多いのだが、もろそのままの歌で、子供なら誰でも考える歌詞になっている。下手に作曲が上手いものだから、可笑しさ倍増である。
 離れて聴いてないはずの、富永や石山までが、ブッと吹き出してしゃがみ込んで笑ってしまっている。
 たまたま通りかかった観光客や地元の散歩の人が、厳い男が少年の歌で笑っているから、何事かと思って立ち止まり、透耶のふざけた歌を聴いて、笑いを堪えられなくてその場に座り込んで笑っていた。次々馬鹿な歌が出るものだから、皆離れられなくなって、次は?次は?というふうに耳を傾けている。
 透耶は恥ずかしかったが、鬼柳が次というものだから、結局歌う羽目になってしまった。
 「俺はリレーアンカー」などは、はっきり言って、馬鹿丸出しである。
「Ohー、俺はアンカー、リレーのアンカー。世界最速の小学生ー。バトンがきたー、全力疾走ー。テープを切るまで勝負ー。応援よろしく!誰にも負けない!GOGOLet'sGO赤組代表!」
「ぎゃははははははは!」
「た、助けてー」
「せ、世界最速の小学生って!」
「お、可笑しすぎ!」
「お腹いたーい!」
 皆笑い過ぎだ……。
 気が付いた時には、20人程の人に囲まれていた。
 結局、終わるに終われなくて、30曲ぴったり歌い終わった時には、もう日が完全に暮れていた。
「はい、もう終わり。鬼柳さん満足?」
 横を見ると、突っ伏していた。
 周りを見ると、皆突っ伏している。
「あのー大丈夫ですかー?」
 最後の「跳ねたら何点」がまずかったらしい。
 放送禁止用語になるだろう言葉を連発しまくった、中でも異形の作品だ。はっきりって悪趣味な歌なのだが、これだけふざけた歌を歌っているから、皆ジョークで受けてくれたのだろうが、ウケ過ぎである。
 皆の笑いの発作が収まるまで、軽く10分はかかってしまった。
「いやー面白かったよ」
 ……真面目に作ったんですけどねえ。
「沖縄の思い出になった」
 ……沖縄とは何の関係もないけど。
「ねえ、CDでないの?」
 ……光琉に殺されるのでやです。
「面白すぎー。明日は来ないの?」
 ……これ以上恥さらしをしなきゃいけませんかあ?
「まだあるのかな?」
 ……あるんですけどぉ。これ以上は……勘弁してぇ。
 などと質問攻めにあい、何とか、昔のふざけた歌だからと説明して、皆が離れていくには、また時間がかかった。
 幸い、暗くて顔ははっきりと見えなかったので、透耶が光琉にそっくりだとは気が付かれずにすんだ。
 鬼柳はまだ笑っていた。
 車まで戻っても鬼柳はまだ笑ってる。
「鬼柳さーん、もういいでしょうー?」
 透耶は呆れてしまった。自分でも変な歌とは思うが、そこまで受けるはずないと思っている。
 すると、車に乗ろうとした富永と石山がいきなり吹き出した。思い出し笑いだ。
「な、何ですか?!」
 びっくりした透耶が言うと、富永が白状した。
「あ、あの、すみません。こ、これから、車を、運転してる時は、「これは何点だったっけ?」って、思ってしまい、そうです」
 などと言うものだから、まだ残っていたらしいさっきの観客が一斉に吹き出して笑い出したのだ。
 あああ、皆車に凭れ掛かって笑ってるー。
 突っ伏して地面を叩いてる人、座席に突っ伏してる人。ガードレールに掴み掛かってる人。それを聴いてなかったはずの車にいる人までが思い出し笑いをしている。
 あああ、今日この後事故車が出たら、きっと俺のせいだ。
 事故理由が「跳ねたら何点」って曲って言われたらどうしよう。←マジである。
 やっと発作が収まった鬼柳が満足した顔で言った。
「透耶、最高!」
「俺、最悪」
「あんな面白い歌詞よく思い付くなあ」
「あれは、殆ど光琉だ。「跳ねたら何点」なんて、全部光琉だ。悪趣味ラップ、クラシック畑の俺にできる訳ないじゃん」
 「跳ねたら何点」最悪ラップ。車を運転している人がいろんな物を跳ねる度に、助手席の人に「これ何点だったっけ?」と聞き、「何点!」と答えるラップ。
「小難しい歌より解りやすい」
「止めさせてくれないから、人にいっぱい聴かれたじゃんかー」
 のって歌った自分も悪いけど……。
「まあ、ここだけのだから、もう歌わないけどね」
 大体歌っただけで消えるとか鬼柳が我侭言うからいけないんだ!などと内心思ってしまう。


 屋敷に帰り付くと、玄関に入るなり、また3人が笑い、SPは何とかもっているが、鬼柳は突っ伏した。
「あの、どうかしましたか?」
 お帰りなさいませ、を言いたかった使用人が、おどおどしている。平然としているのは透耶だけである。
 にゃろー、「お帰りなさいの歌」を思い出しやがったな。
 とはいえ、子供が作った歌である。日常風景が含まれているのが多い。しかも光琉の観点は突飛過ぎる。当時は皆の家もそうだと思っていただけに、ウケるとなると、まったく違うということが解った。解り過ぎた。
 悲しい事に、玄関から始まって、階段の歌、廊下の歌、トイレの歌、お風呂の歌、ベッドの歌……もろもろ歌ってしまっている。最悪だ。
 透耶は笑っている3人を無視して、借りていた麦わら帽子を返した。
「ありがとうございました。これあって助かりました」
「あら、いいのよ。日焼けはしなかったわね」
「はい、それもありがとうございました」
「お風呂沸いてますので、お入りになって、日焼け止め落とした方がよろしいですよ」
「はい。えっと、この馬鹿はほっといていいです」
 透耶は冷たく言い放って、二階へ上がって行った。
 その後ろを笑いの発作に襲われながらも、鬼柳が付いてくる。
 透耶は無視して、そのまま部屋に入り、着替えを出して、部屋に付いているバスルームへ入った。
 鬼柳はそこまで付いてくる。
「何やってんの?」
 透耶は服を脱ごうとして、鬼柳を睨み付ける。
 また笑いの発作が起った。
 「バスルームの掟」という歌を思い出したのだ。
 あほらし…。もう呆れるしかないから、無視する事に決めた。さっさと服を脱いで風呂へ入った。
 シャワーを浴びて、ボディーシャンプーを取り出して、スポンジに付けて泡立てていると、鬼柳が入ってきた。当然裸だ。
「鬼柳さん、ここ二人で入るの狭いよ」
 透耶がそう言ったが、鬼柳は無表情のままで側に座った。
 一体、何がしたいんだろう?と不思議がっていると、スポンジを取り上げられた。
「ちょっと…」
 何がしたいのか、そう聞く前に鬼柳は行動した。
 鬼柳はスポンジで、いきなり透耶の背中を洗い始めたのだ。
「な、何?」
 振り返ろうとしたが、すぐに肩を押さえ付けられた。
 振り返るな、という事らしい。
 透耶は訳が解らないまま、とりあえずそのままにしておいた。
 身体を洗いたいだけなのか、よく解らないが、とにかく綺麗に洗っている。特にへんな事をしようとしている訳でもない。
 鬼柳は、もくもくと透耶の身体を洗い続けて、シャワーで洗い、今度は湯槽に入るように指示された。
 透耶が素直に入ると、頭を引っ張られて、バスタブの縁に頭を乗せろとやっている。
「何? 仰向け?」
 何とか鬼柳の希望通りに仰向けになって、頭だけを外へ出す形になった。
 そうやって髪を洗いたいらしい。
 だが、なんでいきなり寡黙な人になったのかが解らない。
 鬼柳は黙々と髪を洗い始めた。
 人に頭を洗ってもらうのは、気持ちがいいものだ。
 透耶はうっとりとしていると、シャワーでシャンプーを流しリンスをつけてもう一度流す。
 それが終わると頭を押された。もういいという事らしい。
 ますます訳が解らない。
 透耶がお湯に浸かってボーッと眺めていると、鬼柳も身体を洗い始めた。
 逞しい身体だ。腕、胸、腹と、美しく動いている。無駄のない肢体で、筋肉の造りやら、身体の造りが違う事を思い知らせる。大きく、でもライオンなどの獣の様にしなやかにも動く。そう獣と言った方が正しいだろう。黒豹だ。気高く、視線で射殺す事ができる程、力強い。存在感だけで人を魅了し、その美しさで人を従わせる事が出来る、王者だ。生まれながらにして、その全てを兼ね備えた完璧な人間。
 透耶はすっと湯槽の縁に凭れ掛かって、手を伸ばすと鬼柳の背中に触れた。
 綺麗だよなあ……。
 こんなに綺麗で逞しい人なら、きっと、いや選り取りだろうに、誰でも望めば寄ってくるだろうに……。
「なんで、俺なんだろう?」
 ふと声が漏れたが、透耶は気付かなかった。
 どうしてこの人は、俺にこだわるんだろうか? 俺なんかより、他の人はもっと望みに答えるだろうし、この人も喜ぶだろう。甘いし、優しいし、そりゃ時には恐いけど、でも放っておけない悲しさを持っている人。
 それなのに、人の悲しみを聞いて受け止めてくれる人。
 心の大きな人。
 だけど、俺は受け入れてはいけない。なのに受け入れている。きっともう引き返せない。そこまで来ている。
 ただ、本当にこの人が手に入れられるのか解らないから。
 嘘かもしれない。優しくしておいて捨てるのかもしれない。そう考えると恐くて、あの話をして、心を伝える事は出来なかった。
 ふと気が付くと、触れていた手の先に鬼柳がいない。
「あれ?」
 いないはずだ。
 透耶の身体の位置が変わっていて、なんと鬼柳の膝の上に座らされていたのだから。
「鬼柳さん?」
 身体事振り返ると、鬼柳はやっぱり無表情だった。
 だけど、その無表情は、怒っている無表情。
 透耶は、鬼柳と一緒にいるようになって、もう一ヶ月になる。毎日一緒にいると、さすがに表情がなくても、怒っているくらいは読めるようになっていた。
「お、怒ってる?」
「当たり前だ」
 即答じゃー!
 一体どういう事なんだよぉ!
 表情の読めない無表情だったのが、気が付けば怒っている。
「何で?」
「俺以外の男と風呂に入った事があるのか」
「へ?」
「あるのか」
 鬼柳は透耶の両腕を掴んで言った。その腕は透耶の腕を折りそうな程強い力で締め付けている。
「いたっ……! 痛い、鬼柳さん……!」
「答えろ、俺以外の奴と風呂に入った事があるのか。それは誰だ、いつ入った。透耶、答えろ。それに何を隠している。何か言いたい事があるんじゃないか? それは何だ」
「何なんだよ、それ!」
「答えろと言っている」
「いやだ! なんで命令なんかするんだ! いきなり何言ってんだよ! 離せ!」
 透耶が力いっぱい叫んだ時、鬼柳の片方の手が離れた。しかし、その手は透耶の首を掴んでいた。
「くっ……」
 まるで首でもへし折るかのように、絞める指に力が込められた。
「俺を怒らせるな。正直に答えればいい。それだけだ」
 引き寄せられ耳元で囁くように言われたが、透耶は目を見開いてそれから睨み付けた。
 冗談じゃない。いきなり怒りだして訳の解らない事を言い出して、しかも怒らせるな?!
 そして力技で従えようとしている。
 怒っているのはこっちだ!はん、正体現したか!
「冗談……誰が……」
 そう言葉を吐けたのは、鬼柳が首に回した指を弛めていたからだ。だが、そう言ったとたんに、また首を絞められた。
「……!」
 ぐっと息が詰った瞬間、透耶は風呂の中へ沈められた。押さえる首の手はそのままで、力で沈められたのだ。
 透耶は必死でもがくが、鬼柳の腕力には、鬼柳が片手しか使ってなくても適わなかった。
 殺される、瞬時に透耶はそう思った。
 もう息が、そう思った時、鬼柳が引き上げた。
「ぐ、ゲホ、ゴホゴホ!」
 止められていた空気が一気に肺に入り込んで、透耶は激しく咽せた。ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら息を大きく吸っていると、鬼柳が呟いた。 
「俺には言えないんだな。言いたくないのか」
 鬼柳を見ると、完全な無表情。
 もう何を考えているのかまったく透耶には読めなかった。
 初めて鬼柳を恐いと思った。
 死を感じる恐怖、まさにそれだった。
「な……何言って……」
 透耶は震える声でやっとそれだけ言った。
「言う気がないんだな」
「何……を?」
「もうさっき聞いた事を忘れたのか? それともわざとか? 何故答えないんだ?」
 鬼柳がそう言いながら近付いてきた。
 透耶は自然と身体が逃げた。
「いやだ、鬼柳さん、恐い。触らないで、俺に触らないで! いやあああ!!!」
 透耶はパニックを起こして叫んだ。
 たぶん、初めて鬼柳に強姦された時より、今この瞬間、透耶は鬼柳を全身で拒否した。
「嫌いだ、大嫌いだ! 鬼柳さんなんか大嫌いだ!! もう俺に触るな!」
 今まで言わなかった言葉を、透耶は口にしていた。
 嫌だとは言っても、嫌いだとは言わなかった。
 思った事はなかった。
 そんな事を言わせる鬼柳が大嫌いだった。
「誰か、助けて! 助けて!!」
 透耶がそう叫んだ時、鬼柳が動いた。
「嫌いでも、何でもいい。助けなんて誰も来やしない」
 決定的な言葉を言われた。
 ここは防音をしている訳ではないが、声など漏れる薄さの壁ではない。中で物を投げて叩き割るくらいの事でもしないと、この部屋にはやってこない。
 しかも、今は鬼柳が透耶の側にいる。
 透耶は咄嗟に廊下へ出れば誰か来てくれると思った。
 湯槽から出ようと立ち上がったが、素早く鬼柳に捕まえられる。
 透耶はありったけ叫んだが、誰も部屋にやってこなかった。
 それでも透耶は叫び続けた。
 もう何を叫んでいるのか解らないくらいに。
 鬼柳はまったくその声を聞いてなかった。いや、聞かないふりをしていた。
 バスルームを出て、ベッドへ来ると、鬼柳は叫ぶ透耶をベッドへ放り込んだ。尽かさず透耶は逃げようとするが、鬼柳がそれを許す訳もない。
 透耶の腕を捻り上げると、鬼柳は片手に持っていたバスローブの紐で透耶の腕を後ろで縛り上げた。
 それでも逃げようとするから、鬼柳の怒りに火が付いた。
「逃がさないって言わなかったか」
 透耶の背中にのしかかり、耳打ちして脅すように鬼柳は言った。
 とたんに透耶は大人しくなった。その代わり、すすり泣きが始まった。声には出さないが、身体が震えている。
 それでも鬼柳は止まらなかった。
 初めて逆らわれた。さっきまでついさっきまで従順だったのに、自分以外の男の話をしたとたん、透耶が何か言いたそうにしている内容を聞こうとしたとたん、透耶は拒み始めた。
 嫌いだ、大嫌いだ。そんな言葉、初めて聞いた。嫌われたくはない。だけど、離すつもりもなかった。離れていくつもりなら、今ここで殺してやる、そんな気持ちがあった。透耶はそれをいち早く悟ったのか、余計に暴れ出した。
 閉じた足をこじ開け、そこへ身体を忍ばせた。抵抗する気はもうないらしく、透耶はされるがままだった。
 これこそ、強姦だ。獣が獲物を捕らえた瞬間だ。
 鬼柳は、まるで自分が欲望に性欲に飢えた獣のように思えた。このまま透耶に快楽の一部も与えることもなく、鬼柳はまだ全然解してもいない、透耶の孔に己自身を押し付けて、強引に内部を犯した。
 苦痛に耐える声が、唇を閉じたままの喉から漏れている。
 このまま犯せば、透耶が傷付く。そんなのは解っていた。
 透耶は無理矢理押し入ってくる鬼柳に、激痛を感じながらも声を殺して耐えた。悲鳴も快感も何の声も上げないつもりだったから、唇を噛みしめた。
 透耶の孔は、鬼柳自身の大きさに耐えきれるはずもなく、多量の血を流した。それが不幸にも鬼柳を自由に動かす手段になった。
 全てが収まると、鬼柳は透耶の肩に噛み付いた。
 透耶の身体が震える。
 ぎゅっと透耶の中が締まり、それが鬼柳が動く合図になった。
 もう形振り構ってられない。
 無茶苦茶にしてやる。
 そんな気持ちがあった。
 無理に動くと透耶の内部も傷つける。だが、それでも鬼柳は止まらなかった。貪欲に動き続け、透耶が達しても、自分が達しても、まだ欲望は収まることはなかった。
 ただ、求めるがままに。
 獣になって透耶を犯し続けた。
 朝になっても、透耶が一人で動けないように、いや指先一つ動かせないように、透耶を全て食らい尽くすように鬼柳は、今までの優しさなどかなぐり捨てて、行為に没頭した。
 すごく、罪悪感があった、だが同時に怒りもあった。もうそれがどちらなのかさえ解らなかった。
 透耶が欲しかっただけ。
 誰にも渡さないだけ。
 俺以外見ないようにするだけ。
 俺だけの物にする為だけ。
 そうしている事で、自分がどんな過ちをしているのか、鬼柳は気が付いてなかった。