Distance 2round カウントダウン 9
「だーかーらー、なんで一緒に風呂入らなきゃならないんだよ!」
卓巳は、ドアをしっかりと押さえて開かないようにしていた。
一方、北上神(きたにわ)はドアを開けようと押してくる。
「いいじゃねえかよ」
「良くない!」
「なんだよ、男同士じゃないかよ」
「だからって嫌なんだ!」
「じゃあ、中学の修学旅行の時、どうしたんだよ」
「あの時は! 大浴場行くのが面倒で、禁止されてたけど部屋の風呂使ったんだ!」
「そうか……」
一瞬呆けた北上神の隙を突いて、卓巳はドアを完全に閉めるのに成功した。
「なら、いいや」
変に納得したらしい北上神は、すぐに脱衣所を出て行った。
ホッとしたが少し安心出来なくて様子を見ていたが、戻ってくる様子がなくて、息を吐いた。
「何なんだよ……」
こんな時に自分は何をしてるのかと思うと、情けなくなる。
ほんと、何やってんだよ……。
仲川のことが嫌だと思ってるのに、北上神はいいのかとか。
「もうちょっと真面目に考えないと」
意識を変えて、シャワーを浴びるととっとと風呂を出た。
パジャマに着替えて出ると、北上神は、キッチンで何かを作っていた。
「何、夜食が必要なの?」
覗きこむと、北上神は振り返って答えた。
「つまみだよ。酒飲めるだろ?」
「まあ、ちょっとは」
「ワインくらいは当たり前か」
「食事の時に出るからね。飲まされるんだ」
「俺が風呂から出てくるまでちょっと待ってな」
北上神は作業を終えると、風呂へと行ってしまった。
見てみたら、チーズやらクラッカーなどが乗った皿がある。これは運んだ方がいいかと思い、テーブルに運んでおく。
テレビをつけてボーっとしていると北上神が戻ってきた。
「お、サンキュな。ワインっと」
テーブルにさっき用意していたものが載っているのを確認して、ワインを取りにいった。
戻ってきたら、手に赤ワインを持っている。片手にはグラスだ。
「ほら」
「ありがと」
「いえいえ。さあ、飲んですっきりするか」
グラスを受け取って、待っていると、ゆっくりと赤ワインを注いでくれた。
「じゃ、乾杯」
「うん、乾杯」
乾杯をして飲んだワインはかなり美味しかった。
「ワインとこういうクラッカー類、一緒に食べたことないや。美味しい」
「これとチーズが合うんだよな」
「って、一人で飲んでるのか?」
「いや。前までは……相手がいたけどな」
一瞬言葉に詰まった北上神をじっと眺めて卓巳は思った。
そうか、北上神程の男なら、彼女が、それも年上の彼女がいたとしても不思議ではない。
やっぱ、そうか。だからさっきのも遊びみたいなものだったのかもしれない。
そう思うと、スッと気持ちが一気に冷めていくのが解った。
「どうした?」
ぼうっとしてしまった卓巳を覗き込むように北上神が言って、卓巳はハッとして顔を上げた。
「あ、ううん。何でもない……」
そう言ったが、声がしぼんでしまった。
「何だ?」
「いやあの、今日、俺何処で寝たらいいのかと思って」
話を変えると、北上神は何だとばかりに見ていたが、それからニヤリとして言った。
「心配すんな。酔って寝たって、ちゃんと布団に運んでやる」
そう返されて結局、聞きたいことでもなかったので、突き詰めなかったのがいけなかったかもしれない。
朝、目が覚めて、なんか寒いと思い温い方へ引っ付いたら、妙な感覚だった。
「ん……?」
なんか硬いと思って顔を上げると、あり得ないものが目に入った。
「よう、やっと目覚めた?」
そう言って笑うのは、北上神だ。
「……え?」
「弄ってくれるのはいいんだが、俺、触る方が好きなんだよな」
一瞬で目が覚めたが、頭が真っ白になる。
なんで、北上神がいるんだっけ?えっと、あー泊まったんだよな。で? ワイン飲んでて……記憶がない。
「え、あ……」
次に気が付いた時、卓巳は北上神に押さえつけられていた。
「な、何?」
いっぱい考えなきゃいけないことがあるのに、まだこの状況すら理解出来ない。
「……はあ」
あまりに卓巳がキョトンとしているので、北上神も遊ぶ気がしなくなった。
「あの、北上神?」
「お前、全然意味解ってねえだろ」
「何が?」
「ま、いいか」
北上神はそう言うと、一人で納得して、ちゅっと卓巳の唇にキスをした。
「これくらいのことはして貰わないと割りにあわねえや」
北上神は言ってニヤリとした。
キスをされたと理解した時、卓巳はかあっと顔が赤くなった。
「……お前、可愛すぎだ」
顔が赤くなった卓巳を見て、北上神は溜息混じりに言った。
結局、北上神(きたにわ)が降参する形でベッドから出ると、卓巳は着替えてリビングに行った。
ご飯は簡単に済ませて、それから北上神とDVD鑑賞をする。
今流行のアメリカのドラマシリーズで、レンタルではまだまだ待たされるものを北上神は既に手に入れていた。
だが、全編英語な上に字幕もないという輸入ものらしい。
大体の英語は解るが、専門用語はさすがに解らない卓巳。その都度、北上神に尋ね、答えてもらう。
北上神曰く、これは日常会話の勉強になるからいいのだという。
それが終わった頃には、既に午後3時を回っていた。
「そろそろ、帰るね」
卓巳が支度をしながら言うと、北上神は何処かに電話してから、卓巳を連れて、マンションから地下へと降りた。
車に乗せてくれたのは、北上神と一緒に仕事をしている男性で、名前は黒崎と言った。
「いやー、ほんと、ストーカー? 酷いよね。でも相手が解ってるだけでも対処しようがあるってもんだよ」
黒崎はそう言って笑っている。
「前に、北上神くんにもストーカーいたんだけど、まあ、それも酷いもんでね。会社に押しかけるわで。さすがに学校はマズイと思ってたってところが計画性があるとしか思えない」
こういう話は初耳だった。卓巳は不思議そうな顔をして黒崎を見た。
「聞いたことなかった……」
「うん。終わったことだしね。ただね、その時は相手の顔は解ってるのに、何処の誰だかがさっぱりでね。本当に苦労したんだよ。結局、北上神くんの写 真か何かを見ただけの、思い込みさんだったから、後は弁護士行きで。あれってどうなったんだっけ?」
「厳重注意で、転校かなにかしたんだったと思う。向こうでまた同じような事件起こしたってのまで聞いたかなあ?」
北上神はどうでもいいように答えた。
「ほら、北上神くん、無闇にモテるからさ」
「黒崎さん、あんま変なこと吹き込まないで下さいよ」
「本当のことじゃないか。それにこの東稔くんも被害にあってるんだし、そろそろ本腰入れないと、煮詰まるってもんよ」
そう言って黒崎は卓巳に向かって微笑む。
どうやら、卓巳の気分が落ちているのに気が付いていたらしい。
でも、理由は仲川のことではないとは思ってもいないらしい。
家に帰り着いたら、母親が出迎えてくれた。
夕方とは言っていたが、早めに帰ってきたらしい。
「卓巳、おかえり。ちょっと騒がしいけど、我慢してね」
そう言うから何かと思っていたら、どうも客がいるらしい。
「何、お客さんなら、俺上にいってるけど?」
「あ、そうじゃないのよ。泥棒がね、うちに入ろうとしたらしいの」
「え?」
「未遂だったの。セキュリティ入ってるでしょ。あれから通報があったらしくてね。窓を一枚割られて。それを変えて、一応警察にもって」
母親は落ち着いているらしく、淡々と答えている。
「ほんと、北上神さんに卓巳を預けていてよかったわ」
母親は玄関先にいた北上神に礼を言っている。
こんな時に泥棒って。
一瞬、仲川のことを思い出したが、あれは、北上神の居場所を探していたから、ここに来るわけないと思った。
偶然だろう。いつもいる卓巳がいなかったから、泥棒もチャンスだと思ったのかもしれない。
こういう時こそ、自分はしっかりしてなきゃいけない。卓巳はそう思い、毅然としていた。
「じゃあ、俺は帰りますね。忙しそうですし」
「まあ、お構いもしませんで」
「いえいえ。それじゃ。卓巳、明日な」
北上神はそう言うと帰っていった。こういうことは気を遣える人なのだ。
「どう思います?」
車に乗って黒崎に事情を話した北上神は厳しい顔をしていた。
「ストーカーくん、よほど君の居場所を知りたかったってことじゃないかと推測するね」
「卓巳の居場所だろ」
「それを知るには、君の隠れ家を見つける必要があるってことだよ」
「だから卓巳の家なのか?」
「特別な居場所。しかも実家じゃ教えない。それを東稔くんが何処かにメモしてないかと思ったとしても不思議じゃないね。ってか、そこまで考えるか? と思う」
「それだけ執拗なんだよ」
北上神は溜息を吐いた。
実家にかかってきた電話は、昨夜ピークを迎えていた。
北上神の居場所を知りたがるのと、中傷と、そして卓巳が邪魔してないかという友達。
田上と熊木を名乗った人物が偽者であるのは確認済みだから、これは仲川だ。
というのも、実家にはその名前で電話があったとしても区別が出来ないので、一旦電話を切り、本物にかけて今かけてきたかを確認していたから偽者だと解ったのだ。
最後は卓巳の父親を装ったらしいが、声で人物が把握出来る執事が嘘を見抜いてくれた。
偶然だったが、前日に卓巳の父親から電話があり、それを覚えていたのだという。
何をどうしても卓巳に何かしたいらしい。かといって、自分の保身も忘れないときている。
それに。
昨日から卓巳の様子がおかしかった。それは仲川のせいではなく、その後のことだ。ワインを飲んだから変になったというわけでもない。
『たぶん、……なんだと思う』
不意にそう言った卓巳はすぐに眠ってしまった。
あれは何て言ったのか気になるが、朝起きた時の卓巳の様子では覚えてないのだろう。北上神は何かもやもやするものを抱えていた。