Distance 2round カウントダウン 8

 DVDを観てもいいと言われ、卓巳が棚を開けて中を覗いていると、北上神(きたにわ)の携帯が鳴った。
 暫く話していると切れたが、北上神がこっちを向いた時、申し訳なさそうな顔をしていた。

「わりぃ。ちょい、仕事。2時間で戻ってくるから」
 そう言われたら何も言えない。

「うん、DVD観てるからいいよ」
 言ってはみたが、寂しいと思う。思わず目を逸らしてしまったのがいい証拠だ。

「卓巳」
 呼ばれて振り返ると、北上神はいきなり卓巳を抱きしめた。

「拗ねるなよ。ちょっとだけだ」
 そう言って、ちゅっと頬にキスをしたのだ。

「な、な、なにすんだ!」
「何だよ、これくらいで驚くな」
 北上神はニッと笑って言うと、さっと卓巳から離れて部屋を出て行った。

 こ、こ、こ、これくらい!?
 何なんだあいつは!!

 怒りに震える卓巳は、キスされた頬を押さえて、一人で地団駄を踏んでいた。






 下に降りた北上神(きたにわ)は、呼び出されたことに大いに機嫌を悪くしていた。部屋に入ったとたん、周りがシーンとなるくらいだったから相当だったかもしれない。

「すみません。事前に確認すれば良かったのですが」
 申し訳なさそうに言ったのは、一緒にソフト開発をした仲間の一人で、北上神にとっては、重要な人物だ。

「解ってて言ってるならいい」
 そう言って北上神がパソコンの前に座ると、周りはホッとしたようになった。

「随分、毛色が違う、綺麗な子でしたね」
 そう言った男に、北上神は視線を上げずに答えた。

「やっとここまで来たってのに」

「おや、まだだったんですか? いつもならもう飽きてらっしゃる頃だと思ったのですが」

「飽きる? いや、全然。すげー面白い」

「ほう、それほどですか」

「なんだそれ?」

「いやね。今までの方と比べると、子供ですし、これはちょっとと思ったんですよ。割り切って付き合える相手じゃないと嫌なのかとね」

「確かにあれは割り切れるタイプじゃないな。どっちかってと、手出したら結構ヤバイ方かも」

「なのに、手を出す」

「仕方ねえだろ。あいつのアレにきちまったんだから。色々妄想してどうにかなりそうだ」
 北上神はそんな話をしながらも手を動かすのはやめていない。
 隣でも同様で、同じように作業しながら、男が言う。

「妄想……。貴方がねえ」

「だから、何だってんだ?」

「相手がいたら、妄想なんかせずにすぐに押し倒してしまう癖に、随分悠長にやってるもんだなと」

「悠長でもない。これでも余裕ねえんだ」

「余裕がない……また意外な言葉を聴いてしまいました」

「どうせ、余裕に失礼だとか言うんだろ」

「妄想して悠長にやって、余裕がない。意外に本気になると、そんなもんですよ」
 そう言われて北上神はふと手を止めた。

「やっぱ、俺、マジなんだな」
 感慨深げに呟いたのを見て、男は苦笑した。

「つーわけで、俺、早く戻りたい」

「じゃ、手を動かして下さい。そうすれば、時間はうんと少なくて済むでしょう」
 男に言われ、北上神は懸命にキーボードを叩いた。それこそ、これまで最速という程の速さだった。









「ふーざけんな」
 DVD観ていても集中出来ない。

 卓巳はクッションを抱いて、ソファに座っていた。コーヒーは随分前に北上神が用意してくれたものがあったし、サーバーにも残っている。

 それを一度入れなおして、映画に集中したいのだが、さっきから考えが違う方へ行ってしまう。

 何で男が男にキスすんだ!

 そう思うと、これも北上神風のスキンシップなのかと思うが、別に北上神は帰国子女ではないし、外国人でもない。アメリカンナイズされたわけでもないのだ。
 そうなると意味は一つしかないのだが、それを考えると、うがーっと叫びたくなる。

「それはあり得ないし」
 考えを詰めていくと怖い結果になる。
 これでは、北上神が仲川と同じになってしまうではないか。

 でも、それがあまり嫌ではないのが不思議なのだ。

 その時、部屋の電話が鳴った。
 びっくりして卓巳が思考を止めると、その電話は留守電になっていたようだ。

 機械が対応した後、メッセージが吹き込まれた。

『先ほどから、名前を名乗らない人物から、威様宛てに何度も電話がかかっております。中傷めいたことをおっしゃっていますので、こちらでそれなりの対応をしましたが、何か問題があれば折り返しお願いします』
 そう言って電話は終わった。

 どうやら、携帯は今は繋がらなかったらしい。仕事の間は切っているのだろう。

 だが、名前を名乗らない人物から中傷めいた電話が何回も……。
 そこまで考えて、卓巳はハッとした。

 これは仲川ではないだろうかと。
 北上神の性格からして、知り合いではない人物にはここの番号は教えてないだろう。

 携帯なら、番号売りがいるから知るのは可能だが、家の番号となると、学校関係者からの電話しかない。
 それしか知りえない人物で、そんなことをするのは一人しか思いつかない。

 仲川が自分を探している。

 そう思うと、とたんに怖くなった。何故、そこまでされなければならないのか。

 仲川は、あれから学校にも出てきていない。柔道部への嘘の証言のお陰で、停学寸前になっているらしい。テストも受けさせて貰っているが、別 の教室で一人だったという。

 怖いとは思っていたが、ここまで怖くなったのは今初めてだ。

 そうしていると、ドアが開く音がした。

 びくっと震えて振り返ると、仕事を終えたらしい北上神が立っていた。
 瞬時に卓巳は立ち上がるとクッションを放り投げて北上神に抱きついた。
 北上神の方は、卓巳のこの行動に驚いたらしく笑って言った。

「熱烈歓迎だな。寂しかったか」
 そう言ってきたが、今は言い返す余裕すらない。
 さすがに卓巳の様子がおかしいと気が付いたらしく、北上神が低い声で言った。

「何があった?」
 ただ事ではないと悟ったらしい。

「で、電話が……」

「電話?」
 何のことかと北上神が見回すと、家の電話が留守電になっているのに気づいた。そして着信があったことを示すランプがついている。

「これか? 一体何が……」
 北上神は卓巳を抱いたままで、電話の元へ行き、再生させる。

 その内容を聞いて、すぐに顔色を変えた。

 仲川にはここの電話は解らないからかかってくるわけがない。だが、この内容では、十分、卓巳には脅しになったらしい。

「大丈夫だ。うちに電話したところで、この場所は教えないし、会社の社員もここに住んでることも、一部の人間しか知らない。あいつが直接くるなんてあり得ない。それに外にさえ出なかったら、問題は何もないのは説明しただろ?」

 北上神は卓巳にゆっくりと言い聞かせ、あり得ないことなのだと安心させようとする。

 だが、それでも卓巳は一人でこれを聞いて怖かったのだろう。見上げてくる目は、本当なのか?と問うている。
 少し潤んだ瞳が、じっと見つめてくるのだから、それに北上神は一瞬くらりとした。

 そう自分を一番最初に見た目はこれだった。この潤んだ瞳で、全身で怯え、そして自分に助けを求めてきた姿だ。

「来ない……?」

「ああ、来ない。だから、安心しろ」
 北上神はそう言って、卓巳の顎を手に取り、上を向けると、ゆっくりと唇にキスを落とした。

 最初は軽く。だが、ふっと開いた卓巳の唇に引き寄せられるように、北上神は唇を合わせていた。

 卓巳がハッとしたのは、キスをされている最中だった。北上神の舌が歯をなぞるように這った時、何をしているのかと思った。
 だが、後頭部からしっかりと押さえられていて、離れることが出来ない。

 次第に、舌と舌が絡まるようになって、卓巳の頭の中もトロリとしてきた。そうすると体の力が抜ける、こんなキスは知らない。

「……ん、はぁ」
 やっとまともな呼吸をさせてもらった時には、卓巳は体を完全に北上神に預けていた。

「……やべぇ。お前、俺の理性試してんのか」
 北上神は正直驚いていた。

 ここまでヤバイ気分になったのは初めてかもしれない。このまま、ベッドに連れ込んでと思ってしまう。
 そこで思い止まったのは奇跡かもしれない。

 この腕の中にいる相手を本気で欲しいと思っていたからこそ、不用意に抱いてしまってはいけないと思い直せたのは、さっき下で話していたことであり、仲川がしたことと同じだという思いがあったからだ。

「卓巳……だ」
 ぐっと体を起こされて、ハッとした卓巳は北上神のその言葉を聞き逃していた。

「……え? 何?」

「いや。それより、飯、そろそろ準備しないとな」

 北上神はそう言ってふらついている卓巳をソファに座らせると、妙に上機嫌でキッチンに入っていった。

 それを見送ってから、卓巳は、さっきはキスをしたんだと思って顔を真っ赤にした。

 どんな顔をして北上神を見ればいいのか。そんなことを必死に考えては何度も息を吐いた。

 そんな卓巳を余所に、次に顔を合わせた時には、北上神はいつもの変わらない笑顔を浮かべていて、さっきのことはなかったかのように振舞っていた。

 それを見た時、何故か少し悲しいなと思ったのは、たぶん間違いはない。

 自分はなかったことにされたくなかったのだと気が付いた時には、卓巳は動揺を隠し切れなかった。