switch外伝11 その1 counter melody8
透耶は事の全てを遠く離れた場所で見ていた。
急に透耶を連れてきた男が着替え始めて、それが完全に王族の格好であり、さらに全員がその従属に変身してしまったから透耶はどこから突っ込めばいいのか分からなかった。
さらには透耶は黒い服を着せられて、部下の二人と傭兵の三人と共に岩場に登り、その上から様子を伺い、一日そこで過ごせと言われた。
透耶は訳が分からなかったがそれに従った。
砂漠を知らない透耶が逆らう意味が見出せないからだ。
透耶はキャラバンの姿のまま影に隠れ、男がネイの前にキャラバン隊を進めると、ネイが頭を下げたり、追いかけて籠の布を捲ったりとなんだか大変そうだったが、透耶はそれを双眼鏡で眺めるだけで何が起こっているのか分からないまま一日を過ごした。
ネイはすぐに去っていたが、そのまま身動きせずに透耶は砂漠を楽しんだ。
夜になってからキャラバン隊が戻ってきて、透耶はラクダに乗せられて国境を越えることができた。
「どうやってあの人は納得したんだろう?」
思わず声が漏れるほどの悩みだったが、透耶の問いには誰も答えない。
だから国境を越えて一キロほど移動したところで、透耶は別のキャラバン隊が野営しているところに到着した。
そのキャラバン隊を出迎えたのは、鬼柳恭一であった。
「透耶、お帰り」
民族衣装のままで鬼柳が近づいてきたので透耶は鬼柳とは声がするまで暗くて見えなかったので気付いてなかった。
「わっ! え、恭?」
「そうだ、透耶そのまま」
ラクダがゆっくりと足を折って座り、透耶は鬼柳に抱えられてラクダから下りた。
もうラクダに揺られたせいでお尻は痛いし、まだ身体が揺れている気がしてふらついたけれど、鬼柳が抱き上げてくれた。
「ラクダは初めてだからな、結構揺れるだろう。これが苦手なやつもいるらしい」
「……え。え。あの……恭……」
「うん、何?」
「俺、心配掛けたよ。ごめんね、怒ってるよね」
透耶がそう言うのだが、鬼柳は至って真面目に答えた。
「うん、分かってる。でも透耶は何も悪くない。ドアだって開けなかったんだろう? だから眠らされたし、気付いたら逃げられる状況じゃなかったんだろう? 王宮じゃ抜け出せないし、今回は自力脱出は不可能だったし、透耶がやれることは逃がしてくれる人に付いていくだけだったけれど、ネイが裏切ったんだろ? それはさすがに透耶には予想はできないだろうし、でもネイが狂ってたからだろうけど、大人しくスフィルたちについてきたから、それはいい。で、透耶が心配をかけたというよりは透耶は巻き込まれただけで、どこも悪くはないから怒らない」
鬼柳がそう一気に言ったので透耶もふと考えた。
「確かに、俺今回なんのミスもしてないよね?」
「いつもは大体透耶のちょっとしたミスが原因だったりするけど、今回は完全に巻き込まれただけだ。だから心配はしたけれど、怒ってない」
「あーはい、いつもはそうです……」
「こういうところで戻ってこられたことが奇跡に近いから嬉しい。正直、下らないと思ってた貸しが使えたのはラッキーだった。それがなかったら今回だけは詰んでた」
鬼柳がそう言うので本気でそうだったのだろう。
たまたま知り合いがいて、そこを頼ったら貸しがあったので返して貰ったと鬼柳が言うのだが。
「そもそも、あの人誰? 恭の知り合いだってことは話を聞いたから分かっているけど、ただの人じゃないよね。あの人、頭下げてた」
「兄だよ。ネイの腹違いの。それで、透耶には現国王の透耶誘拐容疑について詳しく聞きたいから協力してくれって」
鬼柳は透耶をしっかりと抱きしめてからそう言う。
「あーうん、いいけど。国際問題にしちゃうの?」
「いいや、しない。後が面倒そうだし、そこらあたりはアルタイルが上手くやる」
「アルタイルって誰?」
「ホテルのオーナーで、ロアルシナム国の国王、ヤン・ルスの幼名、俺に名乗った時はその名前だったから今でもその名前で呼べって言っているからそうしている」
「え、あのホテル国王が経営してるの?」
「ホテルのほとんどは国がやってる。個人でやったらテロ対策できないかららしい」
「へえ、そうだったんだ。なるほどね」
「そのお陰でネイが何処に泊まっているか大体予想できたし、その後、あっちの国王がやらかしたこともすぐに証拠が出てきたから、いいんだけど」
「あっそっかー。国だとそのまま調べられるんだ。もみ消しもばっちり」
「そういうこと。だから透耶は誘拐はされなかったし、オアシスで遊んでたことになってる。国外に出たけど、まあ双方の国はもみ消したいことばっかりだから、透耶はでてないってことになる。面倒だし後はあいつらに任せて俺らはもうちょっと付き合うだけだからな」
「ああ、帰っちゃ駄目って言われてるんだ?」
「貸しを返して貰ったけど、あっちは大きな借りがまたできたって言い出して、面倒なことになってる」
「んー俺が訴えて出たら、まあ、双方の国にはよろしくないってことなんだね?」
「そう、まず自国から隣国の国王を招いて晩餐会した後に、その国王に罪を行われて、国王直営ホテルの部屋から人が攫われて、フロントマンは買収されてて、さらには空港で事件の発見ができなかったことを知られたくないアルタイルと、自分の兄である国王が隣国で誘拐事件を犯して、弟まで誘拐監禁までやらかして、国王の妻は透耶をネイごと暗殺しようとしてる国の次期王であるスフィルの思惑は、このことはなかったことにしたいだから、まあ透耶もこの国から出たいなら、黙ってた方がいいってこと。その代償はもちろん、向こうが色々してくれるらしい」
「あーうん、黙っていよう。そっちの方がお得みたい」
「うん、透耶は話が分かるのが早くて助かる」
透耶と鬼柳はそんな話をしながら、野営するテントに移動をした。
そこは透耶と鬼柳の部屋で、大きな簡易のベッドまである。
「あのね、今日は駄目なので」
「……そう言うと思った」
「話が分かるのが早くて助かるよ、恭」
透耶がそう言うと鬼柳は透耶をベッドに下ろした。
「へへ、なんか不思議な感じがした。似合ってるね」
透耶は鬼柳がアラブの民族衣装を着ている姿に頬を赤らめている。
それを知った鬼柳は少しだけ、文句を言う。
「何もできない時にそういうのは酷いと言わないか?」
鬼柳が拗ねたので透耶は思わず笑った。
「あ、キスくらいだけね、外筒抜けだからね」
「ラジャー」
鬼柳はそう透耶から許されるとしっかりと深いキスをした。
「……ふっ……んっ」
長く深いキスを鬼柳は堪能してからキスを止め、透耶の頬にキスをした。
「お帰り、本当に良かった」
「……うん、良かった。怖かった……」
「うん、よく我慢したな。偉いぞ」
透耶は言われて頭を撫でられて、やっと安心したかのように気を失うように眠ってしまう。
緊張でとっくに身体が限界を超えているはずで、その緊張感は顔や態度にはでていなかったが、鬼柳が察するほどに酷い精神状態だった。
過去に何度も誘拐された経験から、どう行動すれば安全に生きて帰れるかを透耶は実践して生き残ってきた。
命を狙われたと聞いたときは鬼柳も怒髪天を付くほどの怒りを覚えたが、透耶が生き残っていることがスフィルからの電話で分かってからは、すっと冷静になれた。
「本当に頑張ったな、透耶。本当にありがとう……生きててくれて」
この中東で離ればなれになれば、正直、生きているのかどうかも怪しいくらいに不安定な世界だ。まして今回は鬼柳が無理をしても何の解決にもならない事態だった。
だがそれもやっと終わった。
透耶は戻ってきたし、鬼柳たちの周りは権力者で固めた。この国に置いて、最高の権力者である国王ヤン・ルスとは話が付いているし、隣の次期国王のスフィルとも話は付いていた。
たまたま昔に助けた人たちが、たまたま王族でその繋がりでどうにかなった。
透耶がよく言っているけれど、人と人との繋がりは絶対に大事だから、鬼柳が生きてきた中でちゃんと繋がっている縁は、切っては駄目だと。
ただ一人の縁は切れた。
ネイは、絶対に裏切ると鬼柳は思った。
その予想は外れていなかった。
だって、鬼柳が同じ立場だったら同じ事をきっとした。
透耶を好いていてそのチャンスを逃すわけもないのだから。
だからといって、鬼柳はネイを許すわけにはいかないし、今回ばかりもお節介なセレンティは仲介をしないだろう。宮本もまた同様だ。
それだけのことをネイはした。
可哀想ではあるが、透耶が望んでいない以上、縁は切れる。
正直、鬼柳にとって透耶を奪う可能性がある人間は一人でも排除したいので、ネイは自滅してくれて嬉しかった。
透耶がネイの事をあの人と呼び、名前すら呼ばないから、もう透耶の中ですらいい人のネイは消えたのだ。
ざまあみろと言う気分と、複雑に絡まる十年間の仕事仲間のネイが鬼柳の心の中にいる。
悲しいのと残念なのと、やっぱりそうなるしかなかったのかという気持ちが入り交じってしまうが、透耶の顔を見ると、これが透耶の現実なのだと思う。
こうやって透耶に好意を持つものは徐々に狂っていく。
何度も透耶を傷つけてでも、透耶にトラウマを残していく。
可哀想に、本当に可哀想に。
邪な心がないものだけしか、透耶の周りには残らない。僅かでも透耶に心を残していたら、ああやって狂っていくのだ。
鬼柳恭一はただ榎木津透耶に選ばれたから、ネイのようになっていないだけだ。
だからこそ、鬼柳は透耶を愛して愛し抜いて絶対に裏切らない。
選んで貰ったからこそ、絶対に守り抜いていく。
どんな力を使ったとしてもだ。
透耶が眠ってしまった時に外から声が掛かった。
「ちょっといいか?」
その声はスフィル王子の声だった。
「透耶が寝たから、入ってくれ」
鬼柳がそう言うと、鬼柳は透耶を抱き寄せて抱えるようにして寝ている。
それをみたスフィルが驚いたように言う。
「本当にお前でもそうなるんもんなんだな」
べったりと甘い雰囲気にスフィルがそう言うも鬼柳は少しだけ溜め息を吐いて言う。
「よく言われる。それで?」
スフィルはそれを聞いて少し笑い、側にある布の上に座る。
「うちのが悪かった。ここまでおかしくなってしまうとは予想もしていなかった。あれでも優秀で大人しい子だったから……この目で見るまでは冗談だと思っていた」
「……相手が透耶だったら、誰でもああなる。俺はそういうのを幾つも見てきた。だからよく分かる。俺だって選ばれてなかったらあっち側だった」
そう言われてスフィルは透耶を見て、少しだけ気味が悪い気がした。
とてもそういう人には見えなかった。
普通の何処にでも居そうな、人の良い日本人。人懐っこくて、すぐに騙されそうで、感情で流されてしまう。そんな普通の人。
「精神的に安定して、誰かをちゃんと愛しているとか、自分を確立している人には、透耶は普通に見えるらしい。そういうものが不安定な時に透耶に惚れると、透耶にしか関心が向かなくなる。それでどんどん手に入れなきゃ、どうにかして自分のモノにしなきゃ、そうじゃなきゃ殺さなきゃとだんだん追い詰められる。真っ黒な悪魔が常に耳元で囁いている感じになって、それに逆らえなくなる」
「経験者は語るってところか」
「そう」
「……最悪だな。それじゃネイは……」
「たぶん一生、そういうことをした自分と向き合いながら生きていかなきゃいけない。そして二度目があったらきっともっと酷いことになる」
「そうなったやつがいるのか」
「死んだやつもいる」
透耶に関わったばかりに死を選んだ兄弟もいるとは鬼柳は言わなかった。
どんな状況か説明してもきっと訳が解らないだろうし、言うだけ無駄な気がした。
「言い方悪いが……そんな物騒なもん、持ち歩いているお前も相当だぞ?」
スフィルがそう言い、その物騒なモノを大事そうに抱えている鬼柳に言う。
鬼柳が堕ちるような誰かがいるなら、それでもいいと思ったけれど、よりにもよってなモノを選んだとスフィルは心配をするのだが、鬼柳は珍しく笑っている。
「これくらいでないと、たぶん俺は惚れないと思う。俺だって透耶を簡単に手に入れたわけじゃない。それこそ縋り付いて三ヶ月以上一緒に暮らした上で、やっとだ」
それを聞いてスフィルは言う。
「それってお前が言ってた惚れたやつにしてやること全部やった上でってこと?」
「それ以上やってだ」
「…………そりゃあ、ネイじゃ器が違うな。恐ろしいほど強情な寵姫でもそこまでかからねえよ」
そう言われて鬼柳は苦笑する。
ベッドから起き上がり、ベッドに腰をかけるが、透耶の手が鬼柳の服を掴んでいるのでそれを見て柔らかく笑い始める。
二度と離れたくないとばかりに必死な透耶の行動が鬼柳には頼りにされていると分かって嬉しくて仕方ない。
「……おうおう、気味が悪いほどにはなるんだな……まあ、いいや。うちのはどうやっても駄目っぽいなら、もう国外に出すわけにもいかないな」
どうにか可愛かった弟を救いたかったけれど、ネイの心はすでに壊れていて、海外で透耶を見かけたとなれば、きっともっとおかしな行動を取ってしまう可能性があることが分かった以上、罪人ほどの扱いをしなければならないらしいことだけ分かった。
透耶に惚れて手を出した人間が、死んだものばかりだと言われたら、弟をそうしたくないスフィルとしてはその対策を考えなければならない。
「それでいいんじゃないか。俺らは二度とそっちの国には寄りつかないし、何ならそのまま入国拒否の邦人にしておいてもいい。物理的に入れないなら、うっかりということないだろうし」
「そうするしかないか。残念だ、お前とは俺の国で飲み明かすという約束もあったんだけどな」
「……砂漠を越えたこっちの国のオアシスで我慢してくれ」
鬼柳がそう言い、スフィルはそれで笑う。
スフィルが鬼柳と会えないわけではないと言ってくれた。
そこにヤン・ルス国王ことアルタイルがやってくる。
「まったく、やっと来たかと思えば大騒動とは、お前はいつも何だかんだで事件塗れだな」
国王としての口調とは別に砕けた口調になったアルタイルは、スフィルの隣に座る。
現国王と次期国王が親友同士など、国民すら知らないのだが、親友同士になったきっかけが鬼柳であることは今や王や王子側近以外誰も知らないことだ。
「これが騒動の元か。まったくそこまで物騒には見えないが、それでも取扱注意で、いつ周りがどうなるか分からないとは」
アルタイルは透耶は間近に見てからそう語った。
鬼柳が透耶という恋人を連れてきたことは知っていたが、会う予定はなかったし、会う気もなかったのだが、こうなっては会う必要があった。
「そのお陰で、問答無用でジナーフが退位するとなれば、それはそれで良かったのではないか」
そうアルタイルが身も蓋もないことを言う。
どうやらスフィルとアルタイルは今の国王であるジナーフの問題行動が目に付いてきたので、何か失態をして退位してくれないかと思っていたらしい。
そしてスフィルが国王になれば、親友同士でもっと踏み込んだことができるはずだとも考えていた。
それがロアルシナム国がマサランテ国に便宜を図っている理由でもある。
「ジナーフの件は最終的に国内孤島に軟禁で収まるだろうが、弟が使えなくなったのが痛いなと思っている」
スフィルがそう言うが、アルタイルは言った。
「お前の息子も良い感じに育っているんだから、そこら辺りの教育をさせればいい。別段殺すわけでもないなら、それなりに忠義させて惨めにさせなきゃいい。そういうこともお前のさじ加減一つでどうとでもなるもんだ」
アルタイルは酷いことを言っているようで、実は国外に出さなくてもそれなりにネイが使えるのだから国内で使えばいいと言う。
「……まあ、そうだな」
「で、暗い話はそこまでだ。スフィルは明日にでも王宮に戻るように言われている。だから今しか飲む時間がない」
そう言いながらアルタイルは部下に酒を運ばせてくる。
「どうせ、恭一は恋人から離れたくないだろうし?」
そう言うと鬼柳は苦笑している。
「次に三人がまた揃うのは大変だろうから、飲み明かすぞ」
アルタイルがそう言い、酒を鬼柳にも渡してくる。それを鬼柳は素直に受け取って、三人は乾杯をした。
「事件解決、そしてそれぞれの未来に」
グラスの重なり合う音が鳴り、三人は酒を飲み明かした。