switch外伝11 その1 counter melody4

「ネイ様は、国王のところに日参しているようですが……」
 ネイの住まいである屋敷には、一人の女性がいる。
「リニヤ様、実はよからぬ噂を聞きまして」
 そういうのはリニアのメイドであるオアイニだった。
「まあ、何かしら?」
「それがネイ様の兼ねてからの思い人である人が、王宮にいるということで……それもネイ様の求婚を断った人という……」
 その言葉にリニアはネイとの出会いを思い出す。
 ネイは、当時の国王の三男で、現国王とも仲が良い。次男とも仲が良いが、長男次男は対立をしていると言って良かった。そんな長男次男の仲を取り持つのがネイの役割であった。
 そんなネイは実家をしばらく出て十年ほどしたかった仕事をしてきていた。
 その間に国王が死去し、長男であるジナーフが国王になると同時にネイは戻ってきた。
 そして婚約者としてリニアが選ばれた。
 これはジナーフの妻の一人がリニアの姉であり、それによる推薦でネイがそれを承諾したからにすぎない。
 このとき、ネイに会ったリニアはすぐにネイに心を奪われた。
 とても穏やかな眼差しと逞しい肢体、そして優しい心。
「私は、ずっと思い続けている人がいる。けれどその方とは決して結婚はできない関係。今でも彼のことを思うと、胸が締め付けられるほど思いが溢れてくる。でも、私はあなたと結婚をしなければならない。こんな私ですが、あなたは大丈夫ですか?」
 ネイの思い溢れる言葉にリニアは心引かれた。
 こんな誠実であり、まっすぐに人を見る素敵な人が、振られてもなお思いを募らせている人がいる。けれどそれは決してネイのモノにはならないのだという。その苦悩を抱えたままでもリニアとの結婚はしなければならないからするという。
 正直、リニア以外の女性ならば、結婚をしてしまえばあとはどうとでもなると思うだろうが、リニアは違った。
 なんて可哀想な人、そこまで思っても伝わらないなんて、なんてことなのだとネイに同情して泣いてしまったほどだ。
「国王が望んでいることなので、私には拒否権がございません。ネイ様が私でよろしいのでしたら、お話は進めてください。私はネイ様のお側に居られるだけで、それだけで嬉しゅうございます」
 リニアの言葉、心からの言葉だった。
 ネイが欲しがっているものは上げられないけれど、ネイの側に居るだけでよかった。
 それもそのはずで、この世界はハーレムというものがある。自分が一番と競っても、所詮妻の一人にしか過ぎない。リニアはその辺の考えは普通の人ではなかった。
 ネイのハーレムに入るだけのことだと、結婚に関してはそうとしか考えてなかった。
 しかしネイはハーレムを作らなかった。
 リニア以外の女性とは結婚せず、ただただネイは思い人を思い、静かに暮らしていた。
 その間にリニアはネイの話を聞くうちに、ネイの思い人という人のことを知った。
 榎木津透耶という日本人で、彼は男であるが、男の恋人と暮らしていた。
 ネイがその恋人の方と一緒に仕事をし、恭一と呼び親しくしているのだという。
 そんな関係であるから、親友に近い鬼柳の恋人をネイは奪おうとした結果がある。そしてそんなことをして、ネイは告白までした。
 ネイはその時は、まだ自分に自信があって王宮で育った感覚が抜けていなかった。
 そう、自分が告白をすれば、きっと受けてもらえると自惚れていたのだという。
 しかし結果は振られた。
 透耶はネイのことは鬼柳の仕事仲間以外の感情は一切なく、ただただ鬼柳を思い慕って愛しているという態度でいた。
 その強い思いに、ネイは打ち拉がれたのだという。
「私はこの生活で、すっかり人の心さえ自分の思い通りになると思い込んでいたらしい。本当に恥ずかしかった」
 相手が何かを思っているなんて、そこまで深く考えもしていなかったのだとネイは言う。そうしてネイはだんだんと仕事の中で人との関わりをしっかりとして、そしてジナーフに呼び戻された時は。
「ちょうど、チームが解散して仕事がなくなったんだ。私は独り立ちできるほどの腕はなかったし、通訳のようなものだったからね。その経験も今の仕事に生かせているから、無駄では一切なかったけれど」
 ネイのチームでの仕事は完全な通訳だった。
 もちろん、チームの宮本や鬼柳などは現地語も覚えているけれど、少しのニュアンスの違いと方々にある方言はさすがに理解しきれていなかった。そのためネイの語学力は圧倒的に必要不可欠な存在だった。
 そのお陰でネイは今でも他国との話し合いには駆り出され、重要な契約すらも任されるようになった。その語学力とコミュニケーション力の高さは、国王から絶対の信頼を寄せられているほどだ。
 そのネイの力を持ってしても、透耶にはネイは魅力的にすら映らなかったという。
「正直に言うと、自分に自信をなくしたほどだ。けれど、あなたのように私で良いと言ってくれる人も存在する。だからあの人にとって私はきっと本当に、どうしようもなく困った人だったのだろうと分かってしまう」
 ネイが国に帰ってリニア以外の女性の父親から縁談を持ちかけられるのだが、それを断るのに苦労している。今のところネイはリニア以外をハーレムには入れていない。好意的な国民はリニアを大事にしているからと思っているが、そうではない。
 ただネイは思い人以外はどうでもよかった。
 そう考えた時にその考えは、まさに透耶にとってのネイの存在と同じだと気付いたのだという。
「あの人は優しいから、また何かあれば会ってもいいとは言うけれど、それは私に対して何の感情もないという裏返しなのだ。私は他の女性をどうでもいいと考えているように、そこになんの思いもない。それが分かっても私はあの人を諦めきれずに思い続けている……絶対に叶いはしないことを分かっているのに、思っているしかできない」
 ネイのその本音にリニアは涙した。
 自分が愛されていないことは問題ではない。
 ただただネイの思いが届かないことがリニアには悲しかった。
 もし相手の気が変わって、ネイと両思いになれば、その人もハーレムに入れば良いのにとさえ思ったほどだ。
 それをリニアが口にした時は、ネイが苦笑したほどである。
「あなたは本当にいい人だ。それなのに私はこうやってふらふらとしている。申し訳ないと思う」
「いいえ、ネイ様のお心はネイ様のものでございます。それを私などにお聞かせ下さる。私は嬉しゅうございます」
 リニアはそう答えていた。
 そうリニアはとてもズレた考えをする女性だった。
 相手のことを思うが故に、相手の幸せのためなら自分が身を引いてもいいとさえ思っているほど、純粋無垢な人だった。
 そんなリニアのところに、透耶の情報が入ってくる。
「まあ、ネイ様の思い人の方がいらっしゃっている? まあまあ、何があったのか分かりませんが、それは致し方ないですね。ネイ様、喜んでいらっしゃいましたでしょ?」
 そうリニアが心から喜んで言うとオアイニは苦笑してしまう。
「……様子は確かめられないのですが、日参されているということはそういうことではないでしょうか?」
「まあ、素敵! ネイ様の思いが叶ったのかしら?」
 リニアが興奮してそう言うと、オアイニは少しだけ主人を大丈夫かなと思う。お人好しが服を着て歩いていると言われるほどリニアは人思いで、結婚相手に騙されるのではないかと心配した姉のカーラがネイの人柄を知って国王にネイとリニアの結婚を認めさせたという流れがあるほどだ。
「こちらに来られるのかしら? そうなれば、ハーレムかしら? じゃあ私の部屋はお譲りしなくちゃならないわ。お引っ越しして、いいお部屋は開けましょうか? ああでも、ネイ様に無断でするのはよくないわ。よく相談してからにしなければ!」
 リニアはそう言うと一応の服をまとめたりし始める。
 そこに姉の使いがやってきた。
 使いはラースという侍女だった。
 リニアの機嫌がよいために、ラースは理由を聞いて卒倒しそうになった。
「……ネイ様の思い人が王宮に……なんてことを……」
「まあ、どうしたのラース? え、もう帰るの? お姉様によろしくお願いね。この間もとてもいい布を送って下さって……あら、もう帰ってしまったわ。どうしたのかしら?」
 ラースはリニアの言葉を聞かずにさっと帰ってしまった。
届けられた荷物はオアイニが運んでいる間だったので、二人ともキョトンとしてその慌てぶりに首を傾げている。
「どうしたのかしら」
「さあ、分かりかねます」
 二人はとりあえず、ネイが戻ってくるまでは荷物を動かせないと思って、荷造りはしたもののどうにもできずに途方に暮れた。
 ネイはそのまま王宮に止まっていて、四日経っても戻ってくることはなかった。


 ネイは、透耶との日常を過ごしながら、だんだんと自分の手の届くところに透耶がいる生活の心地よさに邪心が生まれ始めていた。
 このまま、透耶を返さなければこうして平和な時間が流れるのではないか。
 そう思い始めてしまったのだ。
「ネイさん、これなんて読みます? 今までの文法でくるとちょっと違う気がして」
 透耶は閉じ込められた日から、暇だという振りをするためにアラビア語の本を訳しながら読み始めてしまった。
 することがないから、何かしていないと暇すぎてどうしようもない。というのが透耶の読書の理由であるが、翻訳をネイに頼りながら始めるとちょっと面白くなったのも事実である。
 ここにある本は重要な書籍であるらしいのだが、それを自由に読んでいいとなれば、透耶が読まないわけもない。
「そちらは方言のようなものです。西の方で使われている言語に近いものになり、○○な~などの意味と同じになります」
「あ、そっか、似てるとは思うけど、なんだかスラングみたいになってきた」
透耶はニコリとして紙に訳を書いていく。
 その様子から留学してきた日本人という言い訳が通ってしまうくらいに透耶は勤勉だった。それは国王のジナーフからしても意外だったらしく、透耶とネイが真剣に翻訳の勉強をしている場面に遭遇して、緊張感のかけらもないことや脱走する気がゼロなことまで分かってしまい、呆れて引き下がった。
 三日ほどジナーフはネイと透耶の様子を見張らせたのだが、二人とも翻訳の方に没頭していて、特におかしな行動をしていない。
「あいつらは、ああいうのがいいのか? 分からん」
 もっと甘いシーンを期待していたジナーフであったが、それでも二人の様子が生徒と教師の関係から進まない事に少しだけ苛立ったが、部下が「まだ三日ですし」と言うのを聞いて、そうかと思い直した。
 そもそもが透耶がネイに感情がない状態からスタートしているのだから、両思いに早々簡単にはならない。
 けれど透耶にネイに気持ちを動かしてもらうには、やはり透耶の恋人をどうにかしないといけない気がして、ジナーフは鬼柳恭一に対して暗殺を計画した。
 隣の国のホテルで右往左往しているであろうと思われる日本人を暗殺するのは簡単だと思ったが、一日経っても暗殺部隊は戻れなかった。
「もうホテルは引き払った後のようです。その後他のホテルも探したのですが、どこにも泊まっている様子もありません。出国はしていないことは分かっているのですが、国内のどこに潜伏しているのか……」
 そんな報告が入り、ジナーフは謂われもない不気味さを感じた。
 日本人が隣国で誰の頼りにもならずに行方を眩ますなんてできるわけもない。探して見つからないなんてそもそもあり得ない。日本人が彷徨いていれば、見た目が違うのだから誰かしら気付いて報告はあがる。
 それなのに誰も見ていないという。
「どういうことだ?」
「絶望して自殺ってことでは……?」
 果たしてそうなのだろうか?
 ジナーフがそう思っているところに、妻のカーラの兄であるアインと弟のナハルがやってくる。
「国王、姉の様子を伺いに参りました。こちら隣国より取り寄せた絹でございます」
 姉の様子にアインとナハルがやってくるのはいつものことで、カーラは家族を大事にしているので、二人はカーラを慕っている。
 さらには国王の寵愛を受けるカーラであるのもあるが、国王への機嫌を伺い、さらには仕事などを優先的に回して貰うためには、こうやって金銀財宝を持ってご機嫌伺いにこなければならない。
「おお、よくきた。この間の絹はよいできだった。これも同じところからだろう?」
 すぐにジナーフの機嫌はよくなった。
「はい、お気に召して頂けたと、製造元にも伝えましたところ、今年最高の出来である生地ができたとのことで、持参致しました」
「確かに、これはいい生地だ。大事に使わせて貰うぞ」
「はい、有り難き幸せ」
「ここはもうよいから、カーラに会ってやってくれ。今日はなにやら塞ぎ込んでおって、気分が優れないようなのだが、家族なら安心して吐露してくれようぞ」
 つまり、カーラは国王から機嫌を直せと言われても直しもしないので、家族でカーラの機嫌を直しておけという命令だ。
「は、かしこまりました。それでは」
 アインとナハルが下がっていくと、ジナーフはその生地を持って王宮を出た。
 自分で招いた透耶には上手くいかないことばかりで腹が立っていたし、ネイは思惑通りに行動しないし、さらにはカーラまで機嫌が悪い。何もかも自分で招いた結果なのに、ジナーフは思い通りにならないので苛ついてしまっていた。
 服を作るためには毎回採寸をするので国王はそのためにお針子を呼ぶのだが、今回は王宮から出たくなって店に出向くことにした。憂さ晴らしのために。
 そうした絶好の機会に、ジナーフの思惑は違う方へと動き始めてしまった。