switch外伝9 play havoc18

 透耶が自力で脱出して逃げ出したことと、鬼柳が不動産や大家から聞いた話を元に戻ってきたタイミングが合ったお陰で透耶は怪我をすることなく、無事戻ってきた。
 その日のニュースは速報からすべて榎木津透耶(えのきづ とおや)の誘拐犯、飛び降り自殺未遂で重体、殺人犯は確保という題名で何度も流れた。
 誘拐されてからたった一日ではあったが、それでも透耶が無事であることは周りの人を喜ばせた。だが犯人の一人が自殺を図ってたことや、もう一人の犯人が女性雑誌記者殺人事件の殺人犯であり、更に榎木津透耶を誘拐するまでに、監禁場所だったマンションの一室に住む丸山太一も殺害されていたことが分かった。
 捕まった島田洋司は、犯行を素直に自供。その日のうちに埋められていた丸山太一の遺体が発見され、丸山の自室から記者五人を殺した時に奪ったであろう彼らのメモ帳の切れ端などが見つかった。更に凶器が丸山の遺体と一緒に出てきて、それが記者殺しと一致したことで、島田と真下の犯行ということで決着がつきそうだった。
 榎木津透耶は警察で事情聴取した後、自宅には戻らず何処にいるのか分からなくなった。マスコミが騒ぎすぎるため、自宅に戻ることができずに避難している。自宅に押しかけたマスコミは暫(しばら)く透耶が戻ってくるのではないかと張っていたが戻る気配はなかった。
 自殺未遂をした真下柾梓(ました まさし)は、重傷だったが命に別状はなかった。飛び降りた場所が大きな木の上だったことや着地した場所に背の低い街路樹があり、その上に落ちたから、奇跡的に助かったのだという。
 柾梓が目覚めたときにはすべてが終わっていて、島田が犯行を自供していることを伝えると、柾梓は。
「洋司くんは良くも悪くも素直だから」
 と苦笑していたという。
 本人は否認することなく、島田との話を合わせるとほぼ違っていることはなく、犯行は二人によるものであると断定され、起訴も早かった。
 そうした事件の間に、榎木津透耶の小説が原作の実写映画が公開され、従来の目標興行収入をわずか五日で更新した。単行本は相乗効果でまた売れて、本人が関知しないところで盛り上がっていた。
 インタビューが載った雑誌も従来の売り上げを更新、売り切れたところ重版がかかるという異例の事態になり、インタビューを載せた雑誌編集は万々歳であった。
 けれど、それで榎木津透耶の心が癒やされないことは、皆分かっていることだった。
 約一年近く前から起こっていた榎木津透耶を巡る事件の数々が解決したのだが、それによる疲労が透耶を襲っていた。
 助け出された日、透耶は熱を出した。
 警察の事情聴取が終わった瞬間に倒れ、そのまま緊急入院をした。高熱は三日続き、熱が下がっても食欲が戻らずに結局一週間入院をした。もうろうとする透耶に鬼柳は付き添って、何を聞くわけでもなく献身に介護をした。
 そのお陰もあって透耶は一週間で退院できたが、とても自宅に戻れる環境ではないことから、鬼柳が宮本雅彦の知り合いから借りられる別荘を借りてきて、そこへ避難した。
 軽井沢の別荘で、夏は涼しいというから避暑にもよかったため、二人はそこで二ヶ月ほど過ごすことになった。
 鬼柳は透耶を心配している人たちに連絡を取り、透耶が無事であるが精神力を消耗していることを伝えて、しばらくは二人で過ごすことを伝えた。
 そのためにSPは減らしたのだが、入院していた石山は退院するとすぐに透耶に謝りに来た。
「申し訳ありません、私が付いていながら……」
 そう土下座する石山に透耶は優しく声をかけた。
「石山さんのせいではないです。あんな状況では、誰でも無理なことだったと思う。だから頭を下げるのはやめてください」
 そう透耶はいい。
「それより、お怪我の方は大丈夫ですか?」
 とスタンガンで怪我した上に薬を使われた石山の体を心配した。
「それはもう医者も大丈夫だと太鼓判を押したほどで」
「そう、よかった」
 透耶はそう言って笑うのだが、その笑い方はいつもの透耶の笑い方ではなかった。何というか、凄く気が抜けているというか、ふわりふわりとして地に足が着いてないような、そんな不安定さがあった。
 透耶に一通り謝罪をした後、鬼柳と話をした石山が、そういうふうに透耶がおかしいと告げると。
「そうなんだ。病院からずっとあんな感じで、不安定なんだ。だから変な現実的なことを突きつけると壊れそうで、それで自宅はやめにした」
 現実を突きつけるマスコミの声や、近所の人の迷惑がる声も今の透耶に何が起きるのか分からない。それほどに精神が危うくなっているのだという。
 とにかく、時間をかけて心をしっかりと取り戻すまでは戻る気はないと鬼柳が言うと、石山はそのままそこのSPの配置についた。本当は石山も休まなければならないのだが、休む方法が分からないのだと言う。
 透耶を守るためにずっと何年も付き添ってきた。それなのにこんな大事な時に離れるなんて想像すらできないのだという。結局心配で気になるのだから、置いてくれといい、鬼柳は仕方がないとエドワードに連絡をして石山をそのままSPとして雇った。
 一ヶ月ほどゆったりとした時間が流れた。テレビではもはや透耶の事件の続報は流れず、新しい事件や報道が流れ始めている。雑誌はまだ透耶の事件の記事がたくさん載っているが、残っているのは月刊誌のみで週刊誌はわずかな記事を載せるだけにとどまっている。
 透耶は、鬼柳が付き添っている時だけは、庭に出てみたりしていた。近所の人は、透耶を病人だと認識して声かけはしないでくれていた。幸い、離れた場所にある一軒家みたいなものだったので、近場を通るのは散歩をしている人くらいであるが、それでも透耶は人を見ると動けなくなるほどで、鬼柳はなるべく人がいない時間を使って透耶を自然と触れさせていた。
 やっと二ヶ月が過ぎようとした時だった。
 秋が来て、緑が赤く染まっていくのを見ながら透耶は窓辺に立っていた。鬼柳が隣にやってきた。
「寒くないか、急に冷えてきたしな」
 鬼柳がそう言うと透耶がその鬼柳の手を取って言った。
「どうして何があったのか聞かないの?」
 とはっきりとした声で言った。
 鬼柳がハッとして透耶を見るとしっかりとした目が鬼柳を見つめてきた。
「透耶」
「どうして? 酷い目に遭っているから可哀想だから?」
 急に感情が入った声でそう言い出した。パニックでも起こしそうな混乱ぶりに、鬼柳は落ち着いた声で言った。
「透耶が話せないと思っていることを無理に聞いても駄目だと思ったからな。それに今はっきりしてるけど、さっきまで完全にぼけてたからな」
 鬼柳の言葉に透耶は顔をしかめる。
「ぼけてたって……どういう」
「さて今は何月かな?」
 鬼柳の問いに透耶は。
「八月でしょ?」
「外れ、十月だ」
 その言葉に透耶は部屋の中を見回した。壁に掛かっているカレンダーでも探していたのだろうが、鬼柳がスマートフォンを出して見せると、それを見たあとにうめいた。
「うそ……本当に?」
「だからぼけてたって。熱出して入院した辺りから、ずっとな」
 そう言われて透耶はかすかには覚えている最近のことを思い出した。どうやら自分は現実逃避を盛大にやらかしていたらしい。
「うわぁ……ごめん……本当にごめんなさい」
 透耶は本当に反省しているように、頭を抱えた。自分でもショックを受けていることは分かっていた。けれど二ヶ月も現実逃避するなんて、想像だにしてない事態に困惑している。
「大丈夫、透耶は自分の中で折り合いが付くまで考えていただけなんだから」
 鬼柳はそう言って焦っている透耶の顔を撫でている。
 いつも以上の優しい手つきに、透耶はうっとりとしてしまう。
 こんな優しさに二ヶ月も甘えてきたのだと思うと、申し訳なくなるのだが、それと同時に鬼柳が何処までも自分のことを優先し、大事にしてくれていたことが分かって、ただただ嬉しかった。
 酷い目にあったから優しくするのではなく、透耶が考えているから待ってくれる優しさだ。
「何故を謝ってる。俺に謝る必要はないぞ」
 鬼柳がそう言うのだが、透耶は首を振った。
「俺……真下柾梓に……最後までされた」
 息を飲んでそして一気にはき出すように言った言葉は、透耶自身が自身を嫌悪しており、吐き出すように言わないと言葉として出すことさえできないことだった。
「……それを俺が怒るとでも思った?」
 鬼柳が静かにそう言った。
「違う……恭は怒らない、仕方ないってあの時は仕方ないって言ってくれる。そう信じてる。だけど、そう思って自分の無力さを甘やかす自分に吐き気がする」
 透耶は鬼柳はきっと怒ることがないと分かっている。それが分かって安堵するのは違う気がしてならないのだ。
「透耶、そういうのは甘えじゃないんだ。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で、生きる方を選んで耐えた屈辱でも、甘えなんかにはならない。甘えている人間はそうやって自分を嫌悪したり、甘えていると言ったりしない」
 それでも透耶は納得できない。
 生きるために抵抗をしなかった。それを悔やむのは勝手だ。
「俺は透耶が生きるためにそうするしかなかったと思って、耐えてくれたことは嬉しいと思っている」
 鬼柳がとんでもないことを言い出した。さすがに聞き耳を立てているわけではないが、聞く羽目になっていた石山はギョッとした。
「透耶は辛い目にあってでも、俺のところに帰ってきたくて、死ぬ気は一切なかったってことだろ? 俺にとって透耶が死ぬことの方が辛くて耐えられない」
 鬼柳はそう言って透耶を抱きしめる。
「俺にとって透耶が嫌悪していることを選らんだとしても、結果こうやって俺のところにいるなら、その選択肢は絶対に間違っていないと言い切れる」
 鬼柳の自信たっぷりな言い方に、透耶はハッとする。
「もし俺が生きるか死ぬかで、透耶以外を抱かなきゃならなくなって、それで俺がそうして戻ってきたら透耶は怒ったり、俺を嫌いになったりするか?」 そう鬼柳がたとえ話をし出した。その話に透耶はすぐに首を振った。
「怒ったりなんか、嫌いになったりなんかできない」
「ほら、透耶はそう言ってくれる。だから俺は同じ言葉を透耶に返すんだ」
 鬼柳の言葉に透耶は納得はできないけれど、言っていることは理解できた。ただ鬼柳に許してもらうのは嬉しいけれど、自分の不甲斐なさにはまだ嫌悪を抱いている。
「透耶の中にある嫌悪感は俺がどうやっても取り払うことはできないと思う。俺が透耶を抱いてやってもきっと透耶の中で、許さないって思ってしまうものだと思う」
「だって……許せない」
「うん、それでいいよ。許さなくて。でもそれをずっと日常で思うことはやめてくれ。透耶が壊れてしまう」
 鬼柳はそう言って透耶にキスをした。唇を簡単に合わせて啄(ついば)むようにした後、深い口づけに変わった。
 夢中でキスをしてやっと離れた時には透耶は体の力が完全に抜けていた。鬼柳が抱き上げて近くのソファに座らせると、頬や首筋にキスを繰り返す。 その行為に透耶が嫌がりもしないところで鬼柳は気付いていた。
 透耶が最後までされたと言ってはいたが、こういった前戯がない行為だったのだろう。それはレイプでよくあることだ。入れれば勝ちという身勝手な男がする行為。透耶はそうされたのだろう。
 石山が昏倒(こんとう)するようなスタンガンを真下が持っていれば、威力を知っている透耶が逆らえたとは思えない。どのみち昏倒させられた後、気付いたらレイプされている流れだろう。
 透耶はちゃんと最後まで戦ったのだ。
 それでも力及ばなかったのは、相手の暴力の方が強かったからだけだ。
「透耶がちゃんと帰ってきてくれて、俺は嬉しい……」
 鬼柳は散々透耶にキスした後、透耶に覆いかぶさるようにして急に電池が切れたおもちゃのように動かなくなった。
「え? え? 恭?」
 ずっしりとした重みが自分にのしかかり、透耶は困惑する。だが耳元でスースーと息をする音がする。
「……寝てる……」
 びっくりしたけれど、どうやら鬼柳は安堵したら眠気がきたらしい。透耶が自分を取り戻すまで約二ヶ月、鬼柳は気が気じゃなかっただろう。ようやく透耶が戻ってきてホッとしたら気が抜けて寝てしまったというわけだ。
 透耶はゆっくりと起き上がり、鬼柳の頭を膝に乗せた。その間も鬼柳には珍しくピクリとも起きはしなかった。
 透耶は鬼柳の頭を撫でて、目を細めて微笑む。
「恭、ただいま。ありがとう」
 貴方がいてくれたお陰で戻ってこられた。
 透耶がホッとしていると、タオルケットを持った執事の松崎在人(まつざき あると)がそっとやってきて鬼柳にタオルケットをかけていった。その間も珍しく鬼柳は目を覚まさず寝たままだった。