switch外伝9 play havoc11

 六月に入ると透耶の書いた小説の発売となった。
 本当なら四月の予定だったが、あの事件の余波で自粛する羽目になった。だがそれでもファンからの要望が多数あり、透耶が悪いわけではないのだからと、社が発売に踏み切った。
 それと同時に作品の雑記ともう一つ進めていたシリーズの最終作とも発売日が重なり、透耶の作品がその月のヒット小説上位三つを占める羽目になった。それに伴い過去の作品の文庫版が売れに売れ、重版がかかるようになった。そのせいもあり、口さがないものは、事件を踏み台にしていると批判する人間もいたが、それは少数派で、到底受け入れられるような内容ではなかった。
 透耶が起こした事件でも透耶が加害者になった事件でもない。触らぬ神に祟(たた)りなしというような状況で、どういうわけか透耶の悪口を書くと殺されるというような呪いの扱いをされることになった。
 たまたま透耶への批判内容を書いたブログの主が更新を滞り、連絡が付かなくなったりしたというのが発端のネットの噂だ。
 とにかくあれから記者が殺される事件は起こっていない。透耶を無条件に批判した人間が殺されていると思われているが、ぴたりと犯行が止まるとじゃあ何だったんだという感じである。
 過激なファンがしたことなのか、それとも透耶が関係ないことなのか。それすら事件を予想している人間にはわからないことだった。ただ事件は止まってしまい、警察発表もないまま捜査だけは続けられている。掲げられた殺人事件の捜査本部はまだ警視庁にあるが、捜査人数はすっかり減らされている。というのも、子供を狙った事件が多発したり、殺人事件が別に起こったりと、警察も暇ではないというわけだ。 
 当然透耶への聞き込みも来なくなり、月に一回は来ていた刑事もとうとう七月には来なかったのである。
夏になっても透耶の自宅にはSPが常時増えたままだった。さすがに十人ほどいたSPは減ったけれど、通常石山と富永の交代制だったままでは対処できないと、四人ほど住み込みのままだ。
 変化と言えば、透耶が一階にある書斎をあまり使わなくなったというところだろうか。普段は二階の部屋に籠もっており、テレビを見るにもくつろぐにもその部屋になっている。
 その部屋は普段は使っていないところだったが、冬から使い始めた。隣が寝室で、寝室の奥にバストイレがある。つまりあまり広範囲を移動しないで透耶を警護できるのは好都合というわけだ。
 更に一階から侵入されると透耶の居場所が玄関の隣ということで危険だと判断された。更に一階は窓が大きく侵入を許しやすいという理由も重なっている。鬼柳がいない時期でもあったので透耶が素直に二階へ引きこもる提案をした。
 それから書斎は用事がある時に行くだけになり、普段は使わないようになった。それはカナダから帰国してしばらくぶりに使った時から既に三ヶ月経っていた。
 鬼柳がいるから使ってもいいと言っても透耶が首を縦に振らない。過去に部屋に侵入されたこともあるので窓は開けられないが、それでも透耶はエアコンに効いた部屋で動こうとはしなかった。
 一階に下りないということは、鬼柳の仕事部屋にも当然いかなくなった。寂しいときはいつもあの部屋に籠もっていたが、今はそれすらできない。
 鬼柳はそんな透耶に付き合った。
 部屋に籠もっている透耶のために食事を運んだり、一緒に寝転がったり、カナダでくつろいだ時のように過ごしてみせた。
「恭は、好きにしていいんだよ?」
 あまりに透耶に付き合って引きこもる鬼柳に透耶は首を傾げる。カナダでは鬼柳は割と好きにいろいろやっていたからだ。
「んー別にすることないしな」
 鬼柳はそう言って透耶の頬をなでる。なでられながら透耶は更に不思議がる。
「俺に付き合わなくてもいいよ」
「なんで?」
 鬼柳はそう尋ね返した。
 いつものなんで?であるが、鬼柳が本気で訳が分からない時に使う言葉でもある。
「俺は狙われている可能性が高いからおとなしくしているだけだけど、恭は違うでしょ?」
 透耶は鬼柳にそう言うが鬼柳は真剣に言う。
「したいことしてるけど?」
 そう言うのだ。
「透耶の側にいたいからそうしてる」
 本気でそう思っていると答えるのだが、透耶は苦笑してしまう。
「ずっと思ってた。透耶の側にずっといたいって」
 仕事で出かけるのは鬼柳の中で区切りが付かなかったからだ。恩師である宮本への義理を欠いた部分や嫌いではなく逃げた場所へ戻ることで本来の自分を取り戻すこと。そして透耶の側にずっといると透耶が何かと事件に巻き込まれてしまうことへの予防でもあった。
 けれど、今それさえもおかしなことになっていた。こんなことならずっと側にいて命をかけて透耶を守った方がいいという事態なのだ。
「こんな時だから不本意だけど、これからずっと透耶の側を離れない」
 鬼柳がそう言い出すので透耶は焦った。
「えでも……」
「仕事は辞めてきた」
「え!」
 それは初耳だったので透耶は驚いて鬼柳を見る。
「辞めたってどういうこと?」
「うん、宮本がチームを解散したんだ」
「宮本さんが? どうして?」
 宮本雅彦(まさひこ)はまだ五十代であるが報道カメラマンとしては有名で天才だと言われている。鬼柳はその弟子で、補佐の仕事を手伝っていたが独立し、その後またチームに誘われて補佐ではなく、宮本と対等のカメラマンとして活動していた。
 急に宮本がチームを解散するというのだ。何かあったに違いない。
「宮本の奥さんが癌が再発したんだって。それで今度は危ないから宮本は奥さんの介護をするってさ。誰も反対はできない」
「そうか……大変だね」
「宮本はずっと奥さんに家のこと任せっきりだったからな。報道も潮時だって妙に納得していたから本人に不満はないんだろう」
「それでニューヨークに?」
「そう寄って解散に伴って、俺が個人契約になるから書類がいるっていうから。でも本当はそこも辞めようかと思ってたんだが、そんな暇なかったんで継続はしてある」
 やめると言ってもやめるなら鬼柳が預けてある写真の返還に伴う膨大な書類へのサインが必要だったらしい。あの時はエドワードから緊急事態だから見つけたら電話を絶対にかけるようにと言われてた事務所の人間に言われて、チーム解散のサインだけはとりあえずしたのだという。
 その後のことは言わずもがな。
「個人契約になるなら、もう紛争地帯にはいかないの?」
「それはもういいかなと思ってる。折り合いはついたし、元々宮本への義理でやってたところもあったし。宮本がもういいっていうなら俺は分かったって別れるだけだしな」
 鬼柳は今回の遠征中に聞かされた話で、その話し合いは仕事中に決まり解決したことだという。確かに急ではあったが、そういう急な出来事でチームが解散することはよくある。宮本もチームを組んではいるが、その時々でメンバーが違うこともあった。ただカメラマンは宮本の他には鬼柳だけしかいなかっただけのことだ。
 透耶が知ってる、チームのネイやセレンティーなどはもうチームを離れていたのだという。
「もうチームの人じゃなかったの?」
「セレンティーは別のチームに入ってる。紛争地域はこりごりだって言って今は自然動物相手に世界中飛び回ってる。ネイは実家に帰って家の後を継いだってさ」
「へえ」
 道理で鬼柳の話の中に二人の名前が出てこないわけだと透耶は納得した。二人がチームをそれぞれの理由で離れたことなど、鬼柳が透耶に説明する必要はないから知らないのが当たり前だ。
「いろいろ考えて、他のチームに入るのは俺の性格上無理だから、また独立して個人で好きな物撮るしかないけど、今度は報道はしない。そう決めた」
「そうなの……か」
「今度は逃げるんじゃなくて、俺でなくても若手は育ってきてるから。普通のカメラマンはそろそろ結婚して落ち着いて、戦場はやめようと考えるような時期なんだと」
 鬼柳が真面目に言い出した。
「それって、安全を優先したくなるってこと? 奥さんや子供のために」
「そう。それでも戦場へ行くやつは、相当理解のある奥さんをもらうか、結婚を諦めるか、最終的に離婚しちまうんだと。軍人とは違うからな、出世したって現場最前線にいることには変わりない、だから危険なことはやめてくれと言われて、身を引くなりするんだ」
 確かにそういうことはあるだろう。それでも残る人はその道のプロ中のプロになる。
 だが鬼柳恭一には決定的に足りないものがあった。
「俺は宮本みたいになりたいとは思ってないから、ここらあたりで降りてもいいなって思った。だから宮本がチームを解散するっていった時、ああもういいなって報道を辞める気になったよ」
 そう言ってすがすがしいというように満足した顔をしていた。
 一度は逃げ、それでも戻れと言われて何となく戻ったけれど、やりきった気がしたのだろう。だからあの時のように罪悪感や妙な違和感は覚えない。すっきりしたというのが本音だった。
 ただカメラマンを辞めるわけではない。しかし会社に所属しているとあれこれやれと言われるだろう。それでは意味がない。けれどその辺はどういうわけか、会社側に理解があった。ただし問題点は残っていた。
「好きな時に好きなものを撮って、満足したものができたら送れと言われた。あと、二冊写真集を出せと言われた」
「写真集? 報道の?」
「報道ともう一つは好きなジャンルでって言われた。多分、エドワードの会社のパンフレットに使われたあれのこと根に持ってんだよ」
 個人的に撮った写真、しかも透耶が映っているものをエドワードが巧妙に盗んで写真を採用して使った事件だ。幸いこっちは怒りはしたものの、エドワードだから仕方ないと諦めたのだが、エドワードが会社を通して支払いをしてきたため、会社に無断で写真を使われたことがバレた。
 ただ報道の写真ではない鬼柳の写真は、その会社の所有ではないため、文句も言えない。だがその辺を集めて写真集を出そうという話はずっとあった。
 だがそんな簡単にいかない。趣味の写真の所有権利が榎木津透耶に一任されていると鬼柳が言い張るからである。
「いいじゃん、写真集だしなよ。前から話あったんだし」
「でもあの写真たちは透耶のものだ、だから透耶の許可がいる」
「だから出したらいいって言ってるじゃん。俺、恭がちゃんと厳選した写真集みたいなぁ。お仕事の写真もパネルになってる以外のもの一枚も見たことないし、見たいなぁ」
 それこそ語尾にハートマークが付いているような言い方だったため、鬼柳が目を見開く。これこそ透耶からのお願いである。こういうお願いをされるのは久々である。
「分かった、出す」
 鬼柳は急に起き上がって部屋に置いてある電話の子機を取り、携帯を見ながらどこかへ電話をかけている。
「ジェームス、写真集を出す、二冊。だから叫ぶな、出すって言ってんだ」
 英語でさくっと話している相手は、ワシントン写真協会の人間だろう。鬼柳に写真集を出すように言い出した相手が、本当なのか、待て!と叫んでいる。
 気持ちは分からなくはない。一度出さないと言っていたこともあるので、そうと決めた鬼柳が急によい返事をくれるとなると、それこそ契約まで済ませておかないと信用できないという感じなのだろう。
「契約書をもっていくから、その恋人の気が変わらないように機嫌を取っておいてくれよ!」
 そういうと電話が切れたらしい。
「契約書を持ってくるって、日本に来る気なのか?」
 鬼柳がそう言って首を傾げているが、尋ねられた透耶には何のことか分からない。
「さあ、でもその勢いで来ちゃいそうだね」
「だな」
 鬼柳は一度言い出したことは引っ込めることないのだが、よほど予想外だったらしく、向こうも必死だ。
「でも写真集楽しみ」
 透耶はそう言って笑う。
それを見て鬼柳も笑う。
 ゆったりとした二人の時間が流れたが、その次の日からストーカーの標的が変わった。

 鬼柳が日用品を買いに出かけた先で犯人の一味に狙われたのである。
 鬼柳はカートでトイレットペーパーなどを車に積み込んでいた。自宅に宅配便を呼ぶこともあるのだが、日用品は使ってみないと減る量が分からない。配達が間に合わないために買い出しに出たのだが、まさかそれが裏目に出た。一人で駐車場にいるところをナイフを持った男に襲われた。
「!」
 二、三回切りつけてきたが、鬼柳がそれをすべて避けてしまうと、男は舌打ちをして逃げた。だが鬼柳はそれを追うことはしなかった。
 一人でやってきた暴漢であるが、逃げた先に仲間が待っていることを警戒したのだ。今回の暴漢が透耶を狙っているストーカーの事件と関係してないとはいえない。
 むしろ関係してなく、金品狙いで襲われたと言われた方がよかったかもしれない。
「一人で来たのは失敗だったか」
 できればあれを捕らえて警察に突き出して起きたかった。
 鬼柳は車に乗り、自宅に電話をかける。
「変わったことはないか?」
 鬼柳の質問に、宝田が言った。
「早急にお帰り願います」
 どうやら何か起きているようだった。