switch外伝9 play havoc8

 メモ

 真下柾登享年十七歳。
 喉頭癌による声を失うことへの絶望、進路の問題から友人榎木津透耶(えのきづ とおや)の前で喉をナイフで切り裂いて窒息による死亡確認がされている。公式発表は自殺。病気による進路に悩んでの自殺である。
 声楽科の学生で首席、コンクールでも上位になるほど、大学も推薦がほぼ決まり留学も予定されていたことから、将来はプロになることも可能だったと思われる。その絶望は理解できるところであるが、榎木津透耶の前で自殺という不自然な行動は理解しがたい出来事である。
 恋愛関係にあるという噂も多少はあったが、複数の生徒によると榎木津透耶は真下柾登の行動に不信感を持っており、迷惑をしているようだったという証言が多数ある。夏期休暇の後は確実に榎木津透耶との間には確執があるようで、真下柾登は榎木津透耶に避けられていたことは目撃されている。
 なお、恋愛関係の痴情のもつれというのは、口さがない人間の与太(よた)話であり、本当の自殺の理由は知られていないため、納得しない人間が少しいる程度である。
 病名を公表していれば、そのような噂は一瞬にして消え去っていただろうと思われるだけに学校サイドの対応の遅れは少々理事会関係のごたごたと関係していたと思われる。 なお、理事会は榎木津維新の後継に氷室秀徳館(ひむろしゅうとくかん)学園理事長である氷室伊織(ひむろ いおり)が就任し、理事会騒動が幕を閉じた。元々氷室秀徳館(しゅうとくかん)学園から榎木津維新が依頼されて理事に付いた経緯があるので、元さやに戻っただけのようだ。
 更に補足、この理事会騒動より事件関係者である教師数名副校長が処分を受け、音楽学校をやめている。噂によると榎木津透耶にすべての責任をなすりつけ退学にさせようとし暴言を繰り返していたことが原因とされる。
 補足、榎木津透耶の従兄弟(いとこ)が氷室馨(かおる)であることから、すべてのやりとりが筒抜けだったようだ。
 
 今日頼んでいた報告書が届いた。
 鬼柳恭一は、知り合いに頼んでいた報告書を読んで顔をしかめる。鬼柳がいない間にワイドショーで騒ぎになった事件の記事を読んだ後だけに、どうしてマスコミがここまでの調査をできないのか理解できなかった。
 知り合いの探偵は、軽く調べてくれただけであるが、メモのように詳細に事件の内容が把握できる。だが、どうやら口さがない人間の与太話の方が記事的には面白かったのか、事実を把握する気は一切ないのか、面白おかしく書かれている。
 だが昨今の情報時代にこんなミスは指摘される。案の定記事の内容にツッコミをいれているネットの記事や書き込みがあった。事件を知る当時の人間が詳細に書いた内容だったりするわけだが、もちろん嘘の方が多いのは事実。
 けれど恋仲だったという内容に関しては否定する元同級生が多い。というのも音楽学校の専門だ。そんな恋だの愛だのに現を抜かしていたらいい音楽大学に入学できないどころか授業料免除や留学の機会がすべて潰えるというのである。
 プロになれる音楽家は一握り、それをそんなところで潰す人間が首席なんてあり得ないというわけだ。コンクールだ発表会だの授業の試験だと遊んでいる暇はない。普通の高校生とは訳が違う。そこで諦めて違う大学へ行く人間も出てくるわけで、氷室秀徳館(しゅうとくかん)学園音楽科を舐めている人は退学を余儀なくされるレベルなのだという。
 つまり校内で噂される内容を鵜呑みにして笑っているのは入学したての一年生くらいで、上級になればなるだけ馬鹿馬鹿しいと思えてくるのだという。そんな暇ないと。
 デートに使う時間を練習に当てるのは当然、休み期間には別の音楽教室で練習、もしくは自宅での特訓に費やすべきで首席ともなれば当然それ以上の努力をしているはずである。
 違う科の首席同士が仲がいいのはまだ分かるが恋愛関係、しかも同性愛となると面倒だろうとしか思えないらしい。そのせいか噂は噂でいつの間にか誰も口にしなくなるのだという。
 こういう経緯があるためか、透耶と真下の事件はすぐに沈下してしまったと思われる。
 鬼柳は寝転がって報告書を石山に預ける。石山はすぐにそれを読み始め、唸っていた。
 透耶は現在仕事部屋で最後の雑記を書いている。最近のカナダでの出来事を記事にしてしまうのだというから本当にカナダは楽しかったのだろう。そこに富永が付き添っている。
帰国してから例の手紙はまた配達されてくるようになった。内容は相変わらずで変化はない。ただ枚数は徐々に増えている。近所でゴミの盗難があり、鬼柳家のゴミが盗まれているようだとわかり、鬼柳はゴミをゴミ集積所までわざわざ運んで捨てることにした。さすがに集積所にまでストーカーは現れないはずだ。
 外に出る用事はまだないため、透耶は引きこもり生活をしているが、本人は慣れたもので不満はなさそうだった。それもそのはずで、鬼柳がずっと側にいてくれるものだから不安すらないようだった。
 だが、ストーカーの存在がはっきりと分かる形である以上、解決しなければならない事件である状況は変わりない。警察からも進展はなく、たまに聞き込みにくる程度である。さすがに透耶のみの時とは違い、鬼柳が帰ってきていることには安堵しているようだった。
 強そうな人が恋人で始終側にいてくれる上に、独自にSPを雇って厳重に警護をしてれれば警察の出番がなくてもそこまで文句は言われないわけだ。
 だが問題はまだあった。また殺人事件が起きたのである。
「殺されたのは、また女性雑誌記者で」
 殺された女性雑誌記者は過去に透耶の記事を書いていた人でもあった。とはいえ、女性雑誌の記者は他にも記事を書いている。もちろん似た内容の記事を扱っていることの方が多く、記事ネタがかぶっている。最初の二人の記事内容ももちろん同じものがかぶっているわけであるが、問題は、透耶の記事の取材内容だけメモや取材した雑記がなくなっているのだという。撮った写真もメモにした記事もだ。もちろん他の記事を消すためのカムフラージュである可能性もあるわけで、それも調べているが、最初の二人を調べた時に残っている記事から透耶以外の取材記事が盗まれていないことが分かっている以上、警察が透耶を狙っているストーカーの可能性が高いと疑うことは理解できた。
 だがどうして透耶の記事を盗むのかが分からないのだ。
 透耶関係の記事で目立つ記事はない。過去の事件のことを記事にしているだけで、そこに特段問題点は見受けられない。だから警察は記事の内容がそれ以上に脅迫内容も含まれていて透耶が発覚を恐れて殺しているという筋書きが一番すんなりくると思っていた。
だがすべての事件のアリバイをSPが証明してしまっている以上、どうにもできない。やはりSPがグルであると言いたいところだが、そうなると会社の信用問題となり会社側が営業妨害として警察を訴えかねない。更にSPが身元がしっかりしている人間ばかりで元警察官も多くいる。中には元同僚なんていう人間もその会社にいると言われて評判も上々だと言われると、会社がグルと疑う理由が薄くなってしまった。
 何度か透耶とSPの共犯説を持ち出すのだが、そのたびにないという結論しか出ない。さすがにこの線の捜査は無駄であると悟るべきだった。
 しばらく留守にしていた恋人である鬼柳が殺人を行っていたという線は早々に消えた。紛争地域に特別取材許可で入国し出国までのそれこそ一ヶ月の証拠が写真として残っているのである。もちろん取材内容であるから提出は掲載した後日と言われ、提出されたものは鬼柳のアリバイを証明するに十分の内容だった。
 つまり榎木津透耶が脅迫されて恋人が反撃したというもっともらしい内容が最初に潰(つい)えたわけである。
 更に透耶本人を目の前にしてそこまでやれるような人間ではないなと一瞬で思えるくらいに透耶は殺人をしそうには見えない。ただ作家で殺人事件を書いているから詳しいはずだとかアリバイの作り方を知っているという先入観でしか見られないのが問題だ。
 そして三件目に至っては警察が巡回をしていたという警察がアリバイを証明してしまったわけである。
「その透耶のことを書いていた記事を見せてもらってもいいか?」
 鬼柳がそう尋ねると、刑事がネットで検索して見せてくれた。
「元々はネット記事だったものが好評というか閲覧が多かったというので雑誌の方にも紙面を開けて載せたというのが経緯のようです。内容は同じです」
 鬼柳はもう二人が書いていた記事も宝田に出させる。内容は覚えているが間違いがないか調べる。
 内容はこんな感じだ。

 榎木津透耶は殺人者?詐欺師?
 同級生を間接的に殺したかもしれない作家、榎木津透耶。友人であるMくんは、声楽科の首席という優等生だ。そんな彼がいきなり自殺なんておかしな話。元同級生は別の雑誌で語っていた。失恋による自殺が濃厚だという。私は友人を頼って過去を知る人間を探してみたところ、どうやらその噂は今現在でもある噂なのだという。音楽関係者の間で流れる密(ひそ)かにささやかれる秘密、もちろん学校側が握りつぶして進路で悩んでいたことにしたが、首席卒業確定と言われる彼が進路に悩むことなんてあり得ないし、推薦すら確定していたようなものだと言われては、やはり思春期の失恋が原因か。どういう振り方をすれば目の前で自殺なんてするのだろうか。よほど死ねなんて平気で口にして本当に死なれたなんてパターンだろうか。臆測はいくらでも立てられるがさてはて―。
 
 この後、どこで入手したのか、成績表が映し出されている。透耶の受賞経歴や、Mくんの受賞経歴。  

 榎木津透耶氏は榎木津維新というピアニストの教科書となる本の制作者でもある。母親はカーネギーホールを連日満員にするジャズピアニストとしても有名。

 だが、最後に示した疑問が物議を醸し出していた。

 この受賞記録は本当に彼の実力でなされたものだったのか?
 疑わしいのは誰にでも分かることであるはずだ!

 というものだ。
 それを読んで鬼柳は溜め息を吐いた。
「共通点ではないかもしれないが、それらしいものはあるな」
「なんですと!?」
 鬼柳の言葉に刑事は色めき立つ。記事を読んでも共通点など見受けられない。だがそれらしいものはあるというのだ。
「なんですかそれは!」
「どの記事も事件の内容が恋愛問題だと言っているのは変わらない。ほとんどの記事が恋愛沙汰で自殺というショッキングな内容を面白がっているのは共通なんだが、殺された人間の書いた記事では、透耶や真下の受賞成績について言及しているんだ」
 鬼柳がそう言うと、刑事がそれを確認する。
「確かに……受賞成績は本当に実力かと……」
「まあそれはあり得ないし、審査に参加した他の音楽家も侮辱しているわけだが、さらに問題は恋愛問題より、受賞記録を問題視してかき乱している。透耶の祖父や母親の権力で賞を総なめしてんじゃないのかって言い出してるのは共通なんだ。他の記事はそうしたのは見受けられない」
 刑事はそれで他の記事を見て妙に納得する。
「それで三番目の記者は滅多刺しなのか?」
「一番過激に記事であおってるからか」
 刑事は唸りながら言う。そして鬼柳が続ける。
「最初に受賞成績の疑いを持ったのは最初に書かれた元同級生の記事なんだが、とりあげられているのは恋愛問題が中心だけど、最後にやっぱり受賞成績について調べてみるようなことも書いてあった」
「たしかに」
「つまり受賞成績を疑ってかかっている記者だけが狙われているということか……だが、それだと犯人は」
 榎木津透耶の受賞成績を疑っているから殺したとなると、透耶が一番の容疑者になりえるというのが普通の見方である。
「だがストーカーが透耶への疑いを許さないような人間だったら、恋愛問題なんかよりもそっちの可能性があるかもしれない。そう見たんだが」
 鬼柳がそう言うと、刑事が慌てて署に連絡をしてすべての記事を確認させている。受賞成績で疑惑だと書いた記事が幾つあるのか。
「あるのはあと二件、ネット掲載になると……分かりかねます。当時の記事を下げている掲載サイトもありますし、バックナンバーが有料だったりで……今から問い合わせてみるしか」
 さすがに世間を騒がせた記事だ。数は膨大にある。
「最初に透耶へのバッシングを書いた記者、死んだって聞いたけど事故って何の事故?」
 鬼柳がまさかと疑ってかかると刑事の顔が蒼白になる。
「バッシングが始まってすぐに酔って電車に……」
「……殺されたって……こと?」
 刑事がまさかと思う。てっきりバッシングに耐えられず電車に発作的に飛び込んだ可能性もあったが、本人はそこまで落ち込んでおらず、取材を続けると言っていたという。そしてその取材はもちろん。
「受賞成績の疑惑……」
 刑事は慌てて帰っていった。

 榎木津透耶の国内受賞成績は透耶がピアノを辞めるまで出なかったコンクール以外がすべて優勝している。コンクール関係者は透耶が出てくるというだけで優勝は諦めるほどだったというから、実力は言わずもがな。その成績に疑問を持った人間が存在せず、悔し紛れに言う人間ほどそこまでの成績をとったことがないレベルだと言われている。つまり準優勝ばかり取る人間でも自分の方が優れているのにと言えないようなレベルに当時の透耶はいたという。
 実際準優勝を取るレベルでプロになった人ほど、榎木津透耶の当時の凄さを認めた上で「俺はあいつとは違うステージにいるから」と平然と笑って言うのだという。
 実際疑ってみて当時の透耶のピアノを聞いた記者の中でも、あれを疑うのは利口ではないというわけで恋愛問題一本に絞ったのだというくらいだ。
「榎木津透耶(えのきづ とおや)の当時の映像をみれば、紛(まぎ)れもない本物だって誰でも分かるよ。さすがに知っててデマはかけないし、出版社でクラシックの音楽雑誌を出している以上、事情通がいるからデマを書いたら記事になる前に没だよ」
 記者に問い合わせるとそういうのである。つまり折り紙付きの記録にデマを混ぜて報道したせいで、記者が狙われる原因になったわけだ。しかも偽名や匿名で記者をやっている人間が多い中、よく見つけたなと感心したのも束の間、ネットに自分がどこで何をしているのか発信している人間だったりする。
「どこで何をしてたのか丸わかりですね」
 web上にあげた写真には位置情報、写真の内容をどこの何か一々詳しく書いてあるため、どの道を歩いているのかまで分かってしまう。さらには出張や帰りが遅い飲み会とまあ、あらゆる情報がスマートフォン一個あれば特定可能である。
 だから犯人が記事を読んで記者を探し、ネットで監視して襲ったのは間違いない。ただこの情報を見ていた人間を特定することが不可能であるのが悔しいところだ。
 刑事はとにかく受賞記録の疑惑を書いた残りの記者の無事を確かめた。だが、一人は匿名記者で持ち込みであったこと、もう一人は既にこの世にはいなかった。
「最初の記者を入れると五人目ですか……本当になんだっていうんですか……」
 こんなこと発表できない。だが既に世間は榎木津透耶のバッシング記事を書いた記者が殺されていることには気づいていた。発信はネットの情報であるが、それが拡散されつじつまがあっていることで情報番組が取り上げる始末である。

「榎木津透耶氏のバッシング記事を書いた記者が殺されているとありますが、榎木津氏がやってるなんてことは~」
 ワイドショーのMCが面白そうに情報通のコメンテーターに尋ねる。
「それはないですね。警察発表が先ほどされたのですが、報道されているような疑惑はないとのことです。榎木津さん宅には多数のSPのような人たちが配置されていまして、当時から厳重な警備がありまして」
「ああ、SPをつれて殺人なんてことはまずないでしょうね」
「はい」
 ワイドショーが喜んでニュースに取り上げている。挙げ句どこで手に入れたのか当時の透耶の映像まで流している。ただ素人が撮った映像らしく、音は悪いし環境はよくない。けれどちゃんとした映像を手に入れていた人間がネットにアップしてそれもテレビのニュースで流れている。
 そんな古いものを取り上げられた当の透耶は泣いていた。
「酷い……こんな」
「……透耶?」
「こんな酷い音……だったなんて……酷い」
 こんなので賞を取っていたなんて詐欺だと泣いていたのである。
「そりゃ、昔のビデオの限界だろうし、デジタルもそこまで音声よくないしな」
 記憶媒体に問題がある以上、酷い音になるのは当然である。そんなことで透耶は泣いている始末。
「だが妙な脅しになったな。感謝したくないのに」
 鬼柳がそう言ってふてくされる。透耶の受賞成績が疑われた時点で、「耳の穴かっぽじてよく聞けよくそがぁ」と本気で思ったわけだが、まさか犯人が疑いを持った記者を消したせいで、透耶の実力が全国区になってしまった。中にはCDに録音されたものまで出してきて流していたテレビもあった。このおかげで透耶の実力は間違いなく本物で、疑惑を持つ方がおかしいという世論になった上に、透耶の身の潔白も警察がしていることまで報道されて、透耶をバッシングする意味がないことにもなった。
 むしろ今は榎木津透耶を批判する記事を書くと殺されるかもしれないという問題まで加算され、記事は小さく事実を書くのみになっていた。
「本来の報道はこれでいいのにな」
 過剰な報道に嫌気が差して鬼柳がそんなことを呟いた。
 連続女性雑誌記者殺人事件は、連日報道でとりあげられたが、記者しか狙われていないことで一般人は安堵し、マスコミだけは騒いでいるような妙な構図になっていた。
 だが、最初に透耶をバッシングした記者の事故が殺人に切り替わったところで、事件の被害者は五人となり、大衆も無視はできない事件へとなっていた。