switch外伝9 play havoc4

 榎木津透耶(えのきづ とおや)のストーカーが記者二人を殺害した人物であるという可能性が高いことから、透耶の周りにはさらにSPが用意された。自宅の中だけだったSPは外にも配置され、耳にイヤホンをした黒服スーツの男たちが入れ替わり立ち替わり透耶の家にやってきた。
 透耶は、寝室の隣にある自室に籠もり、石山や富永と過ごした。石山が休んでいる時は富永と富永が休んでいる時は石山とである。
 テレビをつけて例の殺人事件の情報を得る。まだ透耶のストーカーが殺したとは発表はされていない。警察もさすがにこの結びつきは証拠があるにしても、確かではないということから透耶の周りの巡回だけは増やしてくれた。
 だが誘拐犯と手紙の犯人と、今回の犯人は同一人物だとする証拠はない。透耶がそう示唆しただけで警察が証拠を見つけたわけではない。透耶側は自衛をするしかなく、警察も引くレベルのSPが用意されてしまった。
 妙なことに巻き込まれ、犯人の陰すら見えない今回の事件は透耶の疲労どころか、SPの疲労もたまっていく。
 自分で何かできることなら、何かしてあげられるといいのだが、透耶が手を煩わせずにいることが彼らが楽に警備ができて、透耶の突拍子もない行動に驚かされることもないのが一番である。
 透耶は部屋でおとなしくテレビをみたり、小説のネタをメモに書いたりして極力動かないようにしていた。家の中なら自由に動けるけれど、部屋以外どこも怖くて仕方ない。守られていると分かっていても、過去に犯人が部屋に上がり込んだことがあるから透耶の不安はぬぐい去れない。
 誘拐未遂から二週間、最初の犯人らしき人の手紙は二日おきに届いている。今度はカミソリなどは入っておらず、名前を書き連ねた紙が毎回一枚一枚と増えている。十枚を超えたあたりから通常の封筒ではなくA四サイズの封筒にかわって送られてきた。
「筆跡鑑定の資料だけはそろってるのにね」
 透耶がそんな冗談を言ってからも手紙は十枚ほど入った状態で送られてくる。毎回何か要求があるのではないかと思い見ているのだが、名前以外を書いていることはなかった。本当に精神がおかしくなっているのか、透耶以外を見ていないという意味なのだろうか。不気味である。
 記者二人を殺した犯人は、記者を一撃で殺していたようだった。記者に抵抗した後はなく、刺されてから暴れたりはしていなかった。ショック死とでも言おうか、心臓をさされたショックで死んでいたらしい。それでも犯人は記者を何度も刺して動かなくなるまでにしてから、荷物を漁(あさ)ったようだった。
 取った物は確定していないが、透耶が以前指摘した、透耶の写真と透耶の行動を書いた取材メモくらいのようだった。貴金属は一切手がつけられておらず、携帯も触ってすらいない。明らかに取材内容が欲しかったという犯人の狙いが確定してくると、警察は透耶を疑ったらしい。的確になくなったものを言い当てたという理由だが、SPまみれの自宅で守られている透耶が犯罪を行うようなことは、無理だと素人でも分かることに自宅を訪ねてきて初めて刑事は気づく。
 エドワードのSP派遣会社は評価が高く、元警察官もいたりする。だからそういう人間に会社の実態を聞いても、普通の会社であることを教えられる。
 中でも透耶はエドワードとは友人である。そんなよしみで特別に今回はSPを増やしてもらっているのだという。そうなると透耶の意思でSPを排除することは不可能であることに刑事は気づく。
 本人の意思は無視して警護をしてくる大の男を、ひ弱な青年がどうこうできるわけでもない。無理矢理、榎木津透耶を犯人にしようとすると、彼とSP派遣会社の人間もグルでないといけなくなる。
 それはさすがに無理だと気づいて警察も透耶犯人説はすぐに間違いだと訂正した。
 そうなると透耶は現在、その犯人の暴走にさらされていることになる。
 記者の方は他にも恨みに思われていないか調べられているが、芸能記者がそこまで恨まれるようなことはしていないわけで、犯人の見当すらつかない。
「透耶様の心の方も限界がきているのかと思います」
 そういうのは石山だ。普段の透耶を知っているからなのだが、ここ一週間、透耶はほぼ寝ている状態だ。
 起きていると不安になるからという理由かららしいが、本人が思っている以上に精神を疲弊させているらしく、自然と寝てしまう状態らしい。らしいというのは、本人が眠っていると言い張っているからで本当は夜は寝てなどいないからだ。怖くて眠れないことを寝ていないと言うと心配させるから言わないだけだ。
 前にも鬼柳がいないときに透耶はそういう状態になったことがある。寝ようとしても眠れず、これだけは本人の意思でどうにかできるものではないので、責めるわけにもいかない。疲れれば自然と眠れるようになるだろうから、初めのうちは分かっていても言わなかった。
 ここ数日はさすがに宝田執事が苦言を口にするようになり、透耶も気をつけているようではあるが、起きていることなど隣の部屋にいても分かってしまう。
 かといって眠れるように気分転換とはいかなかった。
 外出はもちろん外から人を呼ぶなんてこともできなくなった。
 犯人は透耶が出てこないことで外部の人間を狙っている。記者の事件が違っていればいいのだが、もしそうだとするとやはり怖くて人は呼べない。
 警察も聞き込みをしてくれたが、目撃者はさすがにいなかった。
 こうしている間にも手紙の犯人は二日に一回の割合で名前だけ書いたものを送ってくる。最近は字が切羽詰まっているのか何枚かは読めないほど乱れているものがある。感情をぶつけているのか、精神が乱れている時の方が多くなってきた。透耶が外出せず一切外に出なくなったことと関係しているようだ。
 こうなるなら、外出とはいわず、いっそ海外に連れ出した方がいいのではないかとエドワードが切り出す。鬼柳の承諾なしにとなるが、緊急事態だ。ボディガードも進展しない事態に長期化の作戦を練りたかった。
「分かりました、行きます」
 エドワードが自分の部屋を貸してやるといい、透耶はエドワードが所有しているニューヨークのマンションを借りた。

 鬼柳と一年前に来てた思い出はあるのだが、まさか一人で来る羽目になるとは思わなかった。執事の宝田は実家のセキュリティ関係のことで残り、もう一人の執事である松崎(まつざき)がついてきた。石山が続投でついてきて、他はニューヨークの事務所から派遣された。
 高級マンションだから、地下はデパートなどになっていて、マンションから出なくてもほとんどの物がそろってしまうようなところだった。
 さすがに犯人も渡米するとは思えなかったが用心して、数日は部屋で過ごした。
 窓から見える景色は綺麗だったが、透耶の心は晴れない。
「怖いよ……恭」
 透耶は鬼柳といることで一人でいる怖さを知った。一人で生きていくと決めてそうして生きてきたつもりだった。けれど鬼柳と出会って好きな人と生きていくのが楽しいことを知った。そして同時に一人になる怖さを知った。だから鬼柳がいない時は、大抵怖いと思っている。もう鬼柳だけでいいから世界を閉じたいと思うこともある。けれど懸命に世界は綺麗だから見ようと鬼柳が顔を上げさせて景色を見せようとしてくれる。そのおかげで透耶は普通の感情を持つことができている。
 世界が閉じると透耶は鬼柳以外の人間のことなど考えないような性格になる。二人だけの世界で他は必要ないと思いだしてしまう。せっかくたくさんの人に出会えているのにもったいないと鬼柳が悲しむ。
 二人きりの世界で閉じたいと鬼柳は口に出して言うけれど、決して透耶の世界を狭めることはしない。
「恭……」
 透耶がつぶやいて風呂から出ると、周りが騒がしくなっている。英語が飛び交い、ドタドタとした人が数人歩いてくる音がする。
「何かあったのかな……」
 緊急事態ならば透耶のところにも人が来る。透耶は慌てて服を着て外をのぞく。すると立っていた石山がうれしそうな顔をして透耶に言った。
「鬼柳様がおいでになられてます。ニューヨークの事務所に用事があって立ち寄ったところだそうで、エドワード様のところから連絡が入ったそうです」
 透耶はそれを聞くと、バスルームから走り出てリビングに向かう。ドアをボディガードが開けてくれて透耶が走り込むと、鬼柳がキッチンに立っていた。
「よう、透耶。飯、食うか?」
 鬼柳がのんきにそう言う。いつも通りに接してくる鬼柳に透耶はここ最近見せたことのない笑顔を見せて頷いた。
「うん食べる」
「よし、と言いたいが、チャーハンくらいしかできん。壊滅的に材料がない。透耶ここでジャンクフードのデリバリーばっかりじゃないだろうな?」
「チャーハン久しぶりだからうれしい。デリバリーはしてたけど、エドワードさんが選んだ高級料理のヘルシーなデリバリーだからジャンクフードじゃないよ」
「ならいいんだが」
 エドワードが気を遣ってそうしてくれていたので透耶は普段食べないようなものを食べていた。けれど舌が庶民をしているため、高級料理が飽きてくるという事態になりかけていた。
 そこにチャーハンである。しかも鬼柳の手作りのものだ。どんな高級料理よりも最高の料理であることは言うまでもない。できあがったものを透耶はあっという間に平らげてしまうと鬼柳も一緒に食べながら笑っていた。
「本当に飢えてるなぁ」
 口の端に付いたネギを鬼柳が拭き取って舐めると透耶が顔を赤らめる。そうして派手にいちゃつくのではなく、いつも通りに鬼柳が接してくれて透耶は安堵と共に本当の眠気を覚えた。
 座っているだけでうとうとし始めると、鬼柳が透耶を抱えてベッドに入った。
「恭……そばにいてね」
 隣に潜り込んだ鬼柳の服をつかんで透耶が言うと、鬼柳は笑ってキスをする。何度か啄(ついば)んでやると透耶の瞼が完全にくっついてしまった。どうやら起きてられないようでそのまま吐息が睡眠時のものに変わってしまう。
 鬼柳は苦笑して。
「やっぱ駄目か」
 とつぶやいた。こんな状態でもつけ込んででも透耶を抱きたいという気持ちはいつでもある。しかも透耶はやる気はあったようだが、安堵の方が勝ってしまったようだ。
「本当によく頑張ったな」
 泣き言も言わず、石山や富永の指示に従って、犯人を刺激しないようにおとなしく過ごすだけであるが、それがどんなに窮屈なのか鬼柳は知っている。それを課したのは自分であるが、まさか自分がいない時にこんな事態になるとは思いもしなかったのだ。
「くそ、いつも通りに帰ってれば」
 鬼柳は自分の行動を思い返して舌打ちをする。
 本来ならしないことを二つした。その結果、透耶をこんな状態に一人で三週間も放置した。
 これ以上放置してれば、透耶は更に追い詰められて、一年前のアメリカに来た時よりも酷く精神を病むところだった。さっきの見た感じであれば、鬼柳はぎりぎり間に合ったという感じであった。エドワードが気を遣ってくれてアメリカに呼んでくれたことで、日本の更に窮屈な思いからは解放されていたようだ。
 鬼柳はこのままアメリカでしばらく過ごしてから帰国すればいいのだろうと思った。透耶の周りの警備はきっと宝田と富永がさらに厳重に強化しているのだろう。その準備が出来るまでは透耶も気を緩めておきたいだろう。二人で過ごすならどんなに狭くても透耶は喜んでくれるが、せっかくのアメリカだちょっとくらい観光でもと鬼柳が思っていると部屋がノックされた。
 さっきの二人の様子からしばらく放っておいてくれるはずだが、そうもいかない事情ができたらしい。鬼柳は透耶が握りしめている服を脱いで新しい服を着てから部屋を開ける。
「申し訳ありません、少しお話が」
 石山がそう告げると鬼柳も頷く。
「透耶も寝たから、誰かここに」
 寝室前の通路に監視を一人おいてもらうと鬼柳はリビングに行った。