switch外伝3クリスマス

 透耶は、仕事が一段落して、久々に暇というものに出会った。
 締め切りは全部終わったし、次の新作も何故か出来てしまい、後は手塚編集者の感想待ちな状態だ。
 これほど仕事がはかどるとは、透耶には滅多にない事だった。
 いきなり休日すれば?と手塚に言われるほど、このところの透耶は働き詰めだった。
 だが、いざ休暇となると、することがなかったのだ。
 趣味は本を読んだりする事だったが、最近買った本は読み尽くしてしまって、次の小説の発売日まで、二週間程間が開いている。
 読みたい作家さんの発売日はちゃんと頭に入ってるし、大体の本の発売日は、密集してて、一気に買ってくるから、溜まった本は寝る前に読んでしまっていた。
 次のプロットでも練ろうか、とも考えたが、それじゃ仕事してる事になって、休暇をしてないと、手塚に怒られそうだ。
 仕方ないのでテレビを観ていたのだが、ニュースは選挙の事ばかり。
 選挙権のない透耶には、殆ど関係ない事。でも、どのチャンネルをつけても、そればかり。
 テレビを切って、今度は新聞を読むのだが、透耶の一日の始まりは大抵新聞からの情報収集なので、今読んでも知っている事ばかりだ。
 もう、することがない。
 こういう時に、鬼柳がいてくれたら、何か楽しい事でもやってくれるだろうなあと思った透耶は、ハッとして立ち上がった。
 そういえば、最近、鬼柳の仕事部屋に入ってない事を思い出したのだ。
 普段は、用事がないので入る事もないが、今日は、鬼柳の仕事部屋には入ってみたかった。
 宝田が、ダイニングで仕事をしていたから、こっそりと居間を抜けて、地下室への階段へ急いだ。
 階段の電気をつけて、下へと降りる。そこを降りた。その突き当たりに鬼柳の仕事部屋がある。ゆっくりとノブを回すと音もなくスッとドアが開いた。
 部屋はひんやりとしていた。
 12月下旬になって、かなり寒く、この部屋は暖房を入れる訳にもいかないから、少し寒いのは仕方ない。
 部屋を見回して、透耶は一つの棚から、沖縄とNoが振られているアルバムを持てるだけ取り出した。
 これは、鬼柳が「透耶ならいつ見てもいいから」と言っていたモノなので、遠慮なく見させてもらう。(まあ、鬼柳は写 真に執着はしないんだけど)
 沖縄のアルバムには、「風景」と「透耶」という分別がされている。
 これは、ホントに風景なのと、透耶ばかり撮った写真という分け方なのだ。ストレートで宜しい。
 透耶が自分が映っている写真なんて見る訳はない訳で……。
 透耶と書かれているのは、本気で鬼柳の趣味のモノなのである。
 沖縄の風景アルバムを開いて、透耶はほうっとしてしまう。
「綺麗……」
 青い空、青い海、赤や黄色と緑のコントラストは最高だ。
 鬼柳の写真は、その時間を止めてしまった一瞬を切り取っているかのような写 し方なのだ。こんなに綺麗な写真なのに、それを足げにするなんて、未だに透耶には理解が出来ない。
 この写真も透耶が怒りながら鬼柳に整理させたものなのだ。
 それでも写真を撮った順番は覚えているから、憎らしい。本当に感心がないなんて嘘なんじゃあ?とさえ思えてくる。
 その風景の中に、その他という項目がある。
 それは透耶は見た事がなかったので、興味を惹かれた。
 捲ってみると、そこには、あの沖縄でお世話になった人達と自分が映っている写 真だ。
 でも、撮られた記憶がないので、こっそり撮っていたらしい。
 人間を撮るのは嫌いだと言っていたが、そこに透耶がいれば、それは克服出来るらしい。
 ……相変わらず、甘いんだよねえ……
 思わず、クスクス笑ってしまう。
 鬼柳恭一という男は、榎木津透耶を中心に回っているという感じなのだ。
「ここまで甘いのもどうかなあ?」
 透耶がそう呟いた時だった。
「何が甘いんだ?」
 という、声が返って来たのだ。
 え?
 この声?
 透耶は慌てて顔を上げて、仕事部屋の入り口を振り返った。
 そこには、ただいま戦地から帰りました!というような、重装備なカメラ機材を持った鬼柳が立っていた。
「な、なんで?」
 透耶は目の前に鬼柳がいるのが信じられなかった。
 逢いたいって思ったから、幻覚でも見ているのかとも思った。
 でも、その幻覚は部屋に入って、機材を部屋の角に置き、透耶の方へ歩いてくるのだ。
「なんでって、クリスマス&ニューイヤー休暇だから」
 鬼柳は何でもないとでも言い放った。
 そう言って、まだ驚いている透耶の隣に座ると、まだ惚けている透耶の唇にキスをした。
「ただいま」
 にっこりと笑って鬼柳は言った。
 そこで、透耶はハッとして、鬼柳のシャツを掴むと真剣に聞いていた。
「これ、幻じゃないよね!」
 それから何を思ったのか、鬼柳の体中を触るのである。
 そして、ちゃんと本物だと確認したのか、はあっと息を吐いた。
「幻じゃない……」
 それを確認した透耶はにっこりと笑った。
「そういや、透耶、この間も偽者がどうとか言ってたよな」
 と、鬼柳は11月に帰って来た時の事を思い出して言った。
「そ、そうだっけ?」
 透耶はその時の事を思い出してみるが、記憶にはなかった。
 でも、帰るという予告もなく帰ってくるのは、二度目だ。いい加減、前日くらいにそういう報告はして欲しいものだ。
 その報告もなしに帰ってきた男は、当然とばかりに要求をした。
「透耶、おかえりのキスは?」
 鬼柳は自分の唇を指差して言った。
 透耶は相変わらずな鬼柳の行動に、クスクス笑いながら、鬼柳の頬を包むと、啄むようにキスをした。
「おかえり」
 そして、にっこりと微笑む。
 それから、鬼柳の胸に飛び込んだ。鬼柳は少し驚いたが、何も言わずに抱き締め返した。
 鬼柳の心臓の音が聴こえ、それが自分の心臓の音と重なっているような気がする透耶。
 更に、怪我もなく、健康である事に安堵する。
「ところで、何が甘いんだ?」
 やっと透耶が離れたところで、鬼柳が聞いてきた。
「あー、あれはね。なんか、恭の世界って、俺中心で回ってるんじゃないかって気がしてね。俺の事になると、他が目に入らないし、それに……」
 透耶はそこまで言って言葉を一旦切った。
 なんか、凄い墓穴掘りそうな気になってきたからだ。
「それに……?」
「う……」
 透耶は言葉に詰まってしまう。どう言えば解るかなあと考え込んでしまった。
 すると、ニヤリとした鬼柳が言った。
「優しいし、何でもしてくれるし、 セックスは上手いし、相性もいいし、透耶が欲しいものは何でも買ってあげるし」
 得意に言い放った鬼柳に、透耶はがっくりとした。
 こういう答えが返ってくるよーな気がしたんだよね……。
 正直に答えた方がいいよな……色んな誤解が生まれそうだし。
「それに……あ、愛してくれてるから。恋に盲目な感じ」
 透耶がそういうと鬼柳はフムと考えてから言った。
「盲目って何?」
 おーと!カルチャーショック!
 久々に聞いたよ!
 当初は難しい日本語は散々言葉が通じない事もあったのだが、このところちゃんと日本語を勉強しているらしく、割と解るようになっている鬼柳である。
 でも、これはさすがに解らなかったようだ。
「恋に盲目ってのは、恋に夢中でそれしか目が見えない状態。理性を無くす事だよ」
 と透耶が説明すると、鬼柳はまた考えて。
「理性って?」
 おーっと、またですかー!!
 解説が更なる解説を必要とするとは!
 鬼柳は本気で意味が解ってないらしく、うーんと唸っている。
 透耶は少し考えてから答えた。
「 いろんな事を論理的に思ったり考えたり、善と悪を識別する能力の事。まあ、良い事、悪い事の判別 がなくなる事を、理性を無くすって事。解るかなあ……」
 透耶がそう説明すると、鬼柳は頷いて。
「つまり、悪も善も関係ないって暴走するって事か」
 ストレートでいいね……。
 間違ってないだけに、否定のしようがないよ……。
「まあ、そんな感じ」
 透耶がそう言うと、鬼柳は納得したようだった。
「透耶と出会った時の事だよな、それ」
 鬼柳の何気ない一言に、透耶は一瞬固まってしまう。
 た、確かに、あの時の恭は理性はなかったね……。
 つーか、常識もなかったよーな……。
 というか、地球外生物だと思ってたよ……。
 うーんとなってしまった透耶に鬼柳は問題が一問済んだとばかりに別の話題を振ってきた。
「ところで、こんなとこで何やってんの?」
 鬼柳は、テーブルに乗せられていたアルバムを一つ持って、鑑賞するでもなく、ペラペラとページを捲っていくだけだ。
 本当に写真には興味がないという態度が出ている。
 一冊を見終わると、本当につまらないモノを見てしまったとでも思っているのか、無造作にテーブルに放り投げてしまう。
「もう、そんなに乱暴にしないの!」
 透耶がそう怒ると、鬼柳はキョトンとする。
「俺が大事にしてんだから」
 透耶がそう言うと、鬼柳は少ししょんぼりした顔をした。
 まるで、犬が主人に怒られた時のようだ。
「……うん、解った。透耶が大事にしてるのは、大事にする」
 神妙にする鬼柳は素直なものだ。
 鬼柳の中の基準は、まず自分が気に入らない人間はテリトリーには入れないどころか、無視をする。そして、透耶は鬼柳の中で一番大切な人。その人が大切にした物や、人、その他の事。それは、自然と鬼柳の中でも大事なモノになってしまうのである。
 その逆に、鬼柳が大事にしているものは大事にしたいと透耶は思っている。人間であっても、物であっても、鬼柳が大事だと言えば、それは大事にしたい。
「でも、俺が一番大事だと思ってるのは、恭だからね」
 透耶はそう言って、にっこりと笑った。
 それを聞いたとたん、鬼柳の機嫌は上昇を続け、たぶん大気圏も突破して、宇宙までいっちゃったんじゃないだろうか……。
「俺も、一番大事なのは、透耶だ!」
 鬼柳はよほど嬉しかったのか、透耶に抱きついてギュッときつく抱き締めたのだった。
「きょ、恭、くるしいー」
 また、仕事関係で体型が筋肉質になっている鬼柳の容赦のない手加減無しのハグは、命がけである。
 そして、危機感が生まれる透耶である。
「セックスしようぜ!」
 透耶をパッと離した鬼柳が言い放った一言に、透耶は頭を抱えたくなった。
 再開の喜びも何処へ?
 二の口がいつもこの台詞ってどういうこと?
 脱力してしまった透耶を見て、鬼柳はにっこりと言ったのである。
「透耶の仕事、二週間くらい休みなんだろ? じゃあ、遠慮しなくていいよな」
  ……
 …………
 ……………
 どこでそんな情報仕入れてくるんだ……。
 この俺のスケジュール、俺は今日始めて手塚さんから提案されて決まった事なのに……。
 CIA並の情報機関にでも知り合いがいるのか?
 それとも、あの青い猫形ロボットから、タイムマシンでも借りたのか?
 そして、遠慮なくってどういう意味ですか?
 二週間……。
 なんか、俺、逝ってきていいですか?
 そして、鬼柳の言葉通り、透耶は鬼柳との濃密な夜の営みを強いられることになったのであった。
 


2


 やっと、やっと仕事が終わり、鬼柳恭一は懐かしい我が家へ帰ってきた。
 前回は、余計なおまけがついてきてしまって、困ったものだったが、さすがにクリスマスとニューイヤーの場合は、家族と暮らすネイは日本には来れなかった。
 ははは、と今でも奴の悔しそうな顔が目に浮かぶ。
 ネイは、とにかく透耶のピアノのファンだ。
 それはやっぱ透耶が素晴らしいから当然と鬼柳は思っている。
 だが、最近になって、ネイの言動が怪しくなってきていた。
 最初はピアノの事だったのに、今や、透耶という人物にまで興味を引かれているらしい。
 そのおかしな言動に気が付いた時には、鬼柳は惚気話しとして、殆どネイに話してしまっていたのだ。
 マズイと気が付いたのは、ネイの一言。
「お前さえいなきゃいいんだ。いや、これか親交を深めれば、チャンスはきっとある」
 というのである。
 なんのチャンスだ!!!
 と鬼柳は怒鳴りそうになったが、とにかく黙って聞いていく事にした。
 そしてネイがとった行動とは。
 英会話を覚える事だったのだ。
 さすがに日本語は難しい。
 英会話の方は、辿々しいにしろ、ネイは覚えている。
 一から日本語を覚えるよりは、遥かに早く覚えられるだろう。
 そんなネイに鬼柳は付き合わなかった。明らかに透耶と会話をしようとしている輩に親切な英語なんて教えるわけがない。
 ネイもそこの所は解っていたらしく、鬼柳には講師を求めなかった。
 主に付き合っていたのは、誰にでも優しい、セインティーことセインだ。
 セインは、ネイに英語を教えるのが楽しいのか、良く解らないが、根気よく付き合っていた。
 というより、ネイが英語を覚える理由が、鬼柳の恋人を口説く為だという下らない動機を気に入ったからに違いない。
 セインという男は、根は優しいが、実は小悪魔な所がある。
 ネイが英語を覚えて、透耶を口説く所を見たいのだろう。その確証に、「今度、日本にも行ってみたいから、東京案内してよ」と言ってきたのだ。
 鬼柳は。
「俺は、日本の案内なんてできねえ。観光したきゃ、観光協会でもいきな」
 そう言って断った。
 やっとクリスマスとニューイヤー休暇が出て、鬼柳はさっさと帰国の準備をし、誰よりも早くキャンプを抜け出した。
 その途中で、キャンプを世話していた地元の女性に声をかけられた。
「何をそんなに急いでいるの? ねえ、一晩あたしと楽しまない?」
 そんな事を言ってきた。
 なので、鬼柳は。
「帰国したら、もっと楽しく快楽なセックスが大事な人とできるから、あんたの要求は、いくらさそっても無駄 だ」
 鬼柳は真剣に返していた。
 鬼柳には、もう透耶以外の人間は、性対象ではないのだ。
 やっと一ヶ月半ぶりに会えるのだ。今、この女と話している時間さえ勿体無い。
 鬼柳のその言葉を聞いた女性は、一瞬傷付いたような顔をしたが、それでも鬼柳は無視をした。
 後で聞いた話だが、その女は鬼柳に惚れていて、一度でいいから抱いて欲しかったらしい。
 これが透耶と出会う前なら、「抱いて欲しい」と言われれば拒む事はしなかった。でも今は違う。自分でもそれは出来ないと思っていた。
 透耶の事を思うだけで身体が熱くなり、性欲が押さえられないのだ。
「変わったのね」
 女はそう言った。
 仕事を休暇という理由で逃げ回っていた男は、更に男らしさを増して帰ってきた。そして、今までは生死を気にする事もなかったが、それもなくなった。
 そうした変わり者である鬼柳を変える程の存在が、今の鬼柳の大事な人なのだ。
 誰でもその相手に興味が湧く。
 その理由を知っているボスは笑っているだけだった。
「たぶん、あいつとあの子を引き離したら、両方が死ぬだろうね」
 そんな事を言った事もあった。
 それなら、こんな危険な仕事をする事はないと、女は思ったが、それも意外な言葉で返された。
「恋人がね、なかなか理解があってな。恭にはこの仕事しかない。だから、本人がある事を克服すれば、自然とその仕事に戻る事になるから、それは覚悟出来ている」と。
 その恋人とは、どんな人格者なのだろうか?と女は思った。
 そこまで相手の事を見通しているのだから、かなり真剣に愛しあっていると言えるだろう。
 鬼柳は、休みに入る前に、事前に取っていたチケットで、早朝の飛行機に乗って、恋人が待つ日本へ帰って行った。
 

 

 日本に着いた鬼柳は、タクシーを使って、強行軍で帰ってきた。
 玄関に入る前の門には、従事している監視員がいて、すぐに門を開けてくれた。
 この厳重体勢は、鬼柳がいない時程強化されている。過去の事もあるし、透耶と宝田、そしてSPだけでは、完全に透耶の安全は守れない。
 トラブル体質の透耶は、出かけるだけでも面倒を抱えてきてしまうのだ。
 玄関まで歩いて行くと、一ヶ月半前には、まだ葉があった木々も枯れて落ちていた。
 もう冬なんだ、と鬼柳は思った。
 透耶と出会ってから、まだ一年にもなってない。
 でも、もう何年も一緒にいる気がする。
 それくらいに、色んな事が起こったのだ。
 普通の人が普通にしている事でも、透耶にとってはそれは危険な事だったりするのだから、やはり一人にはして置けない。
 玄関まで来ると、玄関を開けて、執事の宝田が出迎えてくれた。
「恭一様、おかえりなさいませ」
 深々と頭を下げて挨拶するところは、今でも変わってない。
「変わった事はなかったか?」
 鬼柳は、玄関に荷物を置いて、宝田の報告を聞いた。
「大きな事はありませんが、本屋に出かけた時に、雑誌関係者にスカウトされたそうです。山田が名刺を受け取っておいたので、一応身元の確認をしたのですが、その、アダルト系と申しましょうか……」
 と宝田は言いにくそうに言った。
 それですぐに鬼柳はピンとくる。
「ホモビデオのネコをやらせたかったんだな」
 そう答えられて、宝田は「はい」と言った。
「どうせ、光琉に似てるとかで、光琉の乱交とかくだらねえ宣伝つけて売り出すつもりだったんだな」
「さような事でしょう。最近、そうしたモノが出回っているそうです。ああ、調査の方はエドワード様がしてくださいましたので、今頃、その会社というのは、警察に捕まっているようです」
 宝田がそういうと、鬼柳は眉を顰めた。
「なんで、そこでエドが出てくるんだ」
「それが、その時、透耶様はエドワード様と綾乃様と御夕食をされる約束をされてまして、その流れで山田が報告をしたのだと」
「まったく、透耶に近付いてくるやつはろくなやつが居ない」
 鬼柳はそう吐き出した。
 自分がその場に居たら、その場で名刺を破って相手に投げ付けていただろう。
 いや、鬼柳が一緒だったら、向こうは大人しく引き下がったに違いない。
 だが、事後の報告を受けただけでも、エドワードさえも嫌悪していたのかもしれない。そして、相手を二度と透耶に接触させないようにして、裏から手を回して、警察に後を任せたのだろう。
 判断としては間違ってないだけに、鬼柳は文句は言えない。
「まあ、そんなところか……」
 報告はそれだけか?という意味で聞いていた。
「それが……透耶様の小説の熱狂的ファンの方が自宅まで押し掛けてきまして、それで少しもめ事がありましたが、こちらが最高の防犯をしてきていたのと、前の事件の事もありまして、そのファンの方は警察にお引き取り頂きました。まだ、未成年の上に泊まり歩いていた先でも窃盗などを繰り返したようで、親元から謝罪がありました。こちらには二度と接触をさせないということで、引き取ってもらいました」
 それを聞いて、鬼柳は頭を抱えた。
 そう、透耶は容姿だけではなく、今や日本の作家の中では、かなりの大手というところだろう。
 ファンは増える一方で、ファンレターは箱で編集者から届けられるのだが、中には過激なものも含まれている可能性もあり、それは全部編集者側がチェックをしてから、大丈夫そうなモノだけを届けさせるようにしてある。
 ただでさえ、光琉の兄という事でも有名で、中には光琉に会わせろなどという電波な手紙も多いとか。
 家にも何故か電話番号がバレてしまって、番号を変えた後でもそれが続き、今では「鬼柳です」と名乗って、透耶宛ては信用が出来るものにしか取次がない。
 それに透耶と関係がある仲がいい人は、透耶の携帯を知っているから、まず自宅にかけてくることはない。
 携帯も非通知だと出ないし、知らない番号だと出ない。それは透耶に実践させている。
 今の所は、それほど問題にはなっていないようだ。
「他には?」
 鬼柳は尋ねた。
「ハーグリーヴス様から、何度か電話がありました」
「ああ、またイギリスの家に招待とかだろ?」
「はい。透耶様は毎回断ってらっしゃいます」
 これは鬼柳が気にしなくても、透耶の方が気にする事だ。食事だ、絵画展だ、家に誘うなどはもう日常茶飯事で、透耶も段々断り方にも慣れてきたらしい。
「そんなもんか。で、透耶は何処にいる?」
 玄関で話していても透耶が出て来ない所をみると、書斎や居間にいるわけではなさそうだ。
「今は、恭一様の仕事部屋の方へ行ってらっしゃいますよ」
 宝田はにっこりとして答えた。
「珍しいな……」
 鬼柳はそう呟いていた。
 透耶は、余程の事がない限りは、鬼柳の仕事部屋には行かない。鬼柳が大事にしてない写 真でも、透耶にとっては大事なものだ。手軽に扱って、駄目にしたら……と考えてしまうらしい。
 別に鬼柳は、透耶が写真を駄目にしたって怒らない。
 仕事関係のものは、ここには置いてないし。趣味とはいえないくらいくだらない写 真が練習用に置いてあるだけなのだ。
 ここが、透耶と鬼柳の違いだろう。
 透耶は自分の書斎を大事に扱っている。大切なモノは全部そこにあるからだ。それは仕事上仕方ない事ではあるが。
「ちょうど、二週間の休暇を貰ったようで、それで暇になって何をしたらいいのか解らないのでしょうね」
 宝田がそう言った。
 先週まで透耶は物凄く多忙だった。それがいきなり休暇となると、何をしていいのか解らないのだろう。
 仕事をしている時にも読書はかかさないし、必要資料にも目を通しているから、今さら何かする必要はないのだろう。
「じゃ、俺も地下に行く。お茶はいいからな」
 鬼柳は宝田にそう告げて、重い荷物を抱え、地下へ降りて行った。つまり、二人の間を邪魔するなという意味である。
 

 鬼柳が地下へ降りて、仕事部屋のドアを開けると、透耶はソファに座って、何かを見ていた。どうやらアルバムらしい。
 楽しそうにしている様子を見ていると、なんか声を掛け辛かった。
 多分見ているのは、沖縄の写真だろう。それは透耶の一番のお気に入りだ。
 沖縄では色々あった。喧嘩もしたし、このまま一生透耶を失うかもしれないような事や、透耶が辛い過去を話してくれた事や、思わず自分のモノにならないなら、透耶を殺してしまおうとさえ思った事も。
 そして、透耶からの思い掛けない告白。
 これは一生、忘れられない。
「ここまで甘いのはどうかなあ」
 透耶がいきなりそう言った。
 何の事か解らない。だから鬼柳は聞いた。
「何が甘いんだ?」
 その鬼柳の声に、透耶は驚いた顔をして、鬼柳の方を向いた。
 ここにいるのが信じられない、という顔だ。
 当然だ、帰国する日は透耶に教えてない。
 透耶は「幻じゃないよね!」とまだ信じてくれなかった。
 でも、その顔は驚きより、嬉しさが混ざっているのは解った。
 透耶は鬼柳に会えて嬉しさを隠し切れないのだ。
 そして、色んな事を話した。
 透耶が大事にしているものは、俺も大事にする。それは当然だと思っていた。
 さて、手塚の情報によると、二週間は完全休暇だと言っていた。これは逐一報告を受けていた。透耶が知らない情報網だ。
 それには、透耶も驚いていた。
 二週間、なんて短いかもしれないが、濃密な時間が過ごせる事になる。
 まずは、とにかく透耶と愛しあって、満足出来るまでやって。
 クリスマスと正月とイベントをやろう。
 その前に、透耶を攻略する事にする。
 なんてったって、一ヶ月半ぶりだ。
 たぶん、鬼柳も限界に達している。どこまで制御できるかは解らないが、きっと透耶を失神させてしまうかもしれない。
 そして、消えてしまった身体中の、鬼柳の所有という証をこれでもかと付けてやろうと思った。
「透耶、愛してるよ」
 鬼柳のその言葉に、透耶は満面の笑みを浮かべて答えた。
「俺も愛してる」
 その言葉はこの世で一番鬼柳を安心させる言葉だった。
 

 で、数日後。
「変態! そこまでするなんて酷いよ!」
「なんで、普通に出来ないの!」
「やっぱり、エロ魔人だよ!」
 と、言っていたのだが、声は酷いくらいに荒れていた。
 まあ、喘ぎ過ぎなだけなのだが。
 でも、透耶も久しぶりな事に、鬼柳に誘発されて求めてしまったのだから、この件については同罪である。  

3


 今日はクリスマス当日。
 鬼柳は、まだ寝ている透耶を起こさないように起きだした。
 透耶はまだぐっすりと眠っている。
 この顔をもう数日見ている。それだけで、幸せな気分になってくるのは、凄く不思議だった。ただ透耶が居る、それだけで幸せな気分なのだ。
 自分は、世界一幸せな人間だとも思えるし、はっきりと言える。
 そんな些細な事が、こんなにも自分の心を豊かにしてくれるとは、生涯ないと思っていた。でも、それは今、手の中にある。幸せは透耶がくれる。透耶にも幸せを分けてあげられる。そんな存在になれた。
「透耶、愛してるよ」
 鬼柳はそう呟いて、透耶の額にキスをした。
 そういつもしているように。そうすると、眠っているはずの透耶は幸せそうに、にこりとした表情をするのだ。
 それを見ているだけで満足だ。


 鬼柳が日本に帰ってきてからの日課は、まず朝は洗濯と食事の用意をすることだ。
 メイドの司もいるが、これだけは家事が趣味である鬼柳は譲れないでいる。透耶も鬼柳の食事が好きだし、鬼柳がいる間は司には休んでもらいたいとも思っていた。
 実際、クリスマスから正月にかけて休みを出したのだが、司はそれを断った。
 この家で仕事をする事に喜びを感じているから、休みを貰っても困ると言うのだ。通 常の休みはちゃんとあるし、その日には、ちゃんと休んでいるから問題はないと結論付けた。
 さすがにここまで言われては、鬼柳も透耶も仕方がないと思って、司にはメイドの仕事をしてもらっている。
 さて、鬼柳は洗濯物の色分けをして、ランドリーに放り込むと、今度は食事の準備に取りかかった。
 最近、透耶は9時には起きてくる。前は11時くらいにならないと起きなかったのだが、ふと目が覚めた時に鬼柳が側に居ない事に不安を感じている。
 休みとは解っていても、黙って仕事に出かけてしまうのではないかと思っているのだ。
 だから、早起きをしてくる透耶の為に鬼柳はちゃんとした朝食を準備している。
 日本食を作るのは、久しぶりだったが、手慣れたもので、後は透耶が起きてくればいいだけの準備をして、居間へ戻った。


 執事の宝田は、今玄関にいた。
 昨日、透耶と鬼柳が買い出してきた、クリスマス用の樅の木に飾り付けをしていたのだ。
 昨日途中までは透耶と鬼柳もやっていたが、まだ出来上がっていなかった。それを少しでもと思い、飾り付けをしていた。
 アメリカでは、普通、ちゃんと樅の木を買ってきて、家族で飾り付けをする習慣がある。それに習ってここでもやってみようとなったのだ。
 透耶はそれを愉しみにしていたので、宝田は透耶の分だけを残して、残りを仕上げていたのだ。
 それが終わると、ダイニングでいつもの家計簿などの仕事を始める。朝一番に行う、新聞のアイロンかけはもう終わっていて、ちゃんと居間のテーブルに置いてある。
 この家で新聞を読むのは、透耶だけである。宝田はネットから情報を仕入れたりしているので、読まないし、鬼柳は日本語がほとんど読めないから必要無いのだ。
 その新聞を珍しく鬼柳は広げて見ていた。とはいってもTV欄だけなのだが……。
 司は朝から掃除にあけくれている。まずは玄関の掃除、そして敷地内の木々の枯れ葉を集めたり、庭を軽く掃除したりしている。
 かなりの重労働なのだが、ここではいい給料を貰っているのだからと言って、そんな力仕事までこなしてしまう。
 そんな中、鬼柳の携帯電話が鳴った。
 こんな朝早くからは珍しい事だ。
 その電話に出ると、相手はエドワード・ランカスターだった。もう8時半を軽く回っているから、エドワードは仕事をし始めたところだろう。
「何の用だ」
 鬼柳がそう尋ねると、エドワードは言った。
『今日は、クリスマスパーティーに出れそうだ。仕事も早めに終わらせられるから、そっちに着くのは7時半を回った頃だろう』
 などと言ってきたのである。
「はあ? なんでお前がパーティーに来るんだ! 俺は透耶と二人でやるつもりだ!来るな!」
 鬼柳はそう怒鳴り付けたのである。
 だが、そんな事で怯むエドワードではない。余裕の声で言い返してきたのである。
『そんな事だろうと思った。だがな、透耶は友達、親友、知り合いを呼んで、大勢で楽しくパーティーがしたいだろうなあ。日本では、家族とパーティーをするより、友達とする事の方が多いそうだ。で、当然のように、光琉は来るだろうし、綾乃も呼ばれてるだろう。それに、高校時代のクラスメイトの京極と当麻とか言う友達も誘ってあるそうだ。もちろん、私も誘われている。で、お前はそんな透耶の愉しみを奪ってまで、二人っきりで過ごそう、なんて馬鹿な事を言うつもりなのか?』
 そんなエドワードの言葉に、鬼柳は返す言葉がなく、詰まってしまった。
 確かに、自分が仕事で出かけている間、透耶は転校した高校の友達とも遊ぶようになっていた。それを楽しそうに話しているのも聞いている。
 そんな友達と一緒に楽しくクリスマスをしたいという気持ちは解る。解り過ぎる。
 今までの透耶の寂しい友達関係ではないのだ。
 本当に心を許せ、鬼柳との関係さえも話しても大丈夫な友達を見つけたのだから。
『というわけで、私は7時半頃にそっちに行く。勝手に始めてていいぞ。そうだな、人数は10人くらいだな。プレゼントも用意しよう。なかなかいいサンタだろう?』
 エドワードがそう言うと、鬼柳の怒りも頂点に達した。
「勝手にしやがれ!」
 そう怒鳴ると同時に、電話を切った。
「ちくしょー。今回も邪魔が入るのか!」
 何処にも八つ当たり出来ないでいる鬼柳の携帯がまた鳴ったのである。
 表示を見ると、鬼柳はとたんに厭な顔になった。
「なんだ、くそじじい」
 鬼柳がくそじじいと呼ぶのは、自分の祖父と父親と、あともう一人。そう、ジョージ・ハーグリーヴス、その人だ。
『くそじじいはないだろう。もうそろそろ名前を覚えて貰えないかね。ジョージだよ。忘れた訳じゃないよな? 君のような人物は人の名前を忘れるとは思えない。特に透耶に関わる人間のフルネームを覚えてない訳がない』
「で、くそじじい、何の用だ」
 あくまで名前を呼ぼうとはしない鬼柳。それを解っているジョージもさっそくとばかりに話を進めていく。
『パーティーだが、都合がついたよ。透耶が誘ってくれてね。いやあ、可愛いものだ。8時くらいにはそちらに行けるから、始めていても構わないよ』
 ジョージのその言葉に、鬼柳は頭を抱えたくなった。
 こいつもくるのか……という気持ちだ。
「来なくていい。仕事でもしてろ! このくそじじい!」
 鬼柳は怒鳴って言ったのだが、向こうはそれをまったく聞いていなかった。
『じゃあ、透耶によろしく。まだ彼は寝ているのだね。恭一、あまり無茶しちゃいかんよ。透耶を愛しているのは解るが、起きれない程やってしまってはね』
 などと私生活にまで及んでくる。
 また、鬼柳の怒りは頂点に達してしまう。
「勝手にしやがれ!!」
 鬼柳はそう怒鳴って、携帯を切った。するとまた携帯が鳴り出したのである。
「ええい! 今度は何だ!」
 怒りに任せて、相手を確かめずに怒鳴り付けてしまう鬼柳。 すると、電話の向こうの相手は、少し驚いたようで、一瞬間があってから声がした。
『あ、忙しかった? 俺、光琉だけど』
 今度は光琉からだった。
 その声を聞いて、鬼柳の怒りは取りあえず治まった。立ったままで電話をしていたので、ソファに座り直して携帯を持ち直した。
「何だ? パーティーの事か?」
 どうせ、用事はそれしか有り得ない。こう幾つも続くと悟ってしまうものである。
『あ、うん、そう。俺、今日夕方には仕事終わるからさ。えーっと、6時半には行けるから』
「ああ」
『で、途中で、京極と当麻と合流して、駅で綾乃と待ち合わせて行くから宜しく』
「解った、解った……」
 もうどうでもいい、というような返答の仕方に、光琉は怪しいと思ったのか聞いてきた。
『あれ? 透耶に聞いてない?』
「何を?」
『皆でクリスマスパーティーやる事。決まったのは一ヶ月前だったかな? 鬼柳さん帰ってくるか解らないからさ、相談はしなかったんだけど。まさか、透耶、言い忘れてたとか?』
 察しがいい光琉は、ちゃんと透耶の性格も読んでいる。嬉しさの余り、言い忘れてしまう事が透耶にはよくあることなのだ。
「当たりだ。今日、初めて知った。エドやらじじいやらから電話があった」
 もうほんとうんざりだとばかりに鬼柳は言っていた。
『あーもー、ほんと、ボケてるよ透耶。肝心な人に言い忘れって馬鹿としかいいようがないよ。でさ、ほんと急だけど大丈夫?』
 一応、光琉は気遣いを見せてくれた。
 さすが透耶の弟と思いたくなる鬼柳だ。
「構わん。もう何人来てもどうでもいい。とりあえず、光琉らが来た頃に始めるから、遅れるなよ」
 鬼柳はもう覚悟して答えていた。
『解った。じゃあ、後で』
 光琉はそう言って電話を切った。鬼柳は切れたとたんに携帯の電源を落とした。
 もうこれ以上、誰かから連絡が来るのは考えるだけで、恐ろしいし、耐えられないからだ。
 そうこうしているうちに、透耶が起きだしてきた。
 居間に入ってきた透耶は、ソファでぐったりしている鬼柳に気が付いて寄ってきた。
「恭、おはよう」
 その声で鬼柳も我に返る。
「透耶、おはよう」
 鬼柳は近寄ってきた透耶の腕を引っ張って抱き寄せると、顔中にキスを降らせた。
 いきなりの事だったので、透耶は驚いていたが、最後にはくすぐったくて笑い声を上げて笑っていた。
「一体、どうしたの?」
 そう言われて、鬼柳はさっきの事を思い出した。
「エドは7時半。じじいは8時。光琉一行様は、6時半」
 そう告げると、透耶はハッとなって鬼柳を見上げた。
「ご、ごめん! 言うの忘れてたっ!」
 今日のパーティーが大人数になる事を言ってなかった事を思い出したのだ。すっかり言ったつもりになっていたらしい。
「うん、透耶のど忘れ……」
 少し拗ねたような声で鬼柳が言うと、透耶は申し訳なさそうに鬼柳の顔に両手を当てて目をハッキリと見て言った。
「忘れてたのは、ごめんなさい。でも、クリスマスに恭が帰って来れるなんて思ってなかったから、皆でする約束しちゃったんだ……」
 透耶は少し声のトーンを落として言った。
 ほんとは二人でしたかった。けど、いつ帰ってくるか解らない人を待って、寂しく過ごしていくには辛いと思ったのだ。
 光琉やエドワードなどが気を使ってくれて、一緒にパーティーをしようと言われた時は、その優しさに感謝した程だ。
 二人とも忙しいのに、自分の為に時間を割いてくれるというのだから。
 そんな寂しさが伝わったのか、鬼柳は透耶をギュッと抱き締めて言った。 
「透耶は寂しかったんだよな……ごめんな。俺、自分の事しか考えてなくて。透耶が寂しいの解ってたのに、解ってたフリしてた。透耶にだって友達がいるもんな。皆で仲良くしたいよな。別 に夜中までパーティーするわけじゃないし、その後は二人だし、それでいいよな」
 鬼柳は自分に言い聞かすように、そう言っていた。透耶が寂しがっているのは知っている。そして同じように自分も寂しかった。紛らわすには、周りに居る人間と付き合っていくしかないのだ。
 離れ過ぎているからこそ、完全に依存してはいけないのだと。
「でも、恭は俺と二人でするつもりだったんだよね……」
 恋人として当然の考えなのは透耶にも解っている。だから余計に申し訳なかった。
 だが、そんな落ち込んでいる透耶に、鬼柳はにこりと笑いかけて茶目っ気たっぷりに返したのである。
「まあな。でも、よく考えたら、こういうイベントで俺達が二人っきりになれた試しがあるか? ん?」
 そう言われて透耶はキョトンとした。
 んー、よくよく考えれば、秘密にしようと思ってた事も、全部、二人っきりじゃなかったような……。
 と、思い出して、ぷっと吹き出した。
「ないね。ないよー。あはははは」
 透耶が笑い出したのを見て、鬼柳も一緒に笑い出した。
 二人でたっぷり笑って、顔を見合わせて軽くキスをした。
「ま、パーティーはパーティーで楽しくやろうぜ」
 ニッと笑って見せた鬼柳に、透耶も笑顔で頷いた。


4


 真貴司綾乃は、鬼柳&榎木津邸最寄りの駅にいた。
 待ち合わせは、15分であるが、かなり早く着いてしまった。なんだか、今日はワクワクするのだ。クリスマスなど、学校の寮でささやかなケーキしか出なかった。
 自分は東京には友達はいないので、外出も出来ず、クリスマスなんてっ!と思っていた。
 でも今年は違う。今年は楽しいクリスマスになるのだ。
 皆が味わった、友達が集まったパーティー。それはもう愉しみで仕方なかった。
 沖縄で出会った、あの二人のお陰で、綾乃は東京で友達が出来た。それも学校とは関係のない、本当に楽しい時間を過ごせるような友達関係が出来たのだ。
 まあ、同じ歳の人達ではないが、それでも気遣いしなくていい、気さくな人達ばかりで、綾乃はそれが嬉しくて溜まらなかった。
 今日は、その友達も来る。
 ワクワクして待っていると、声をかけられた。
「綾乃ー! 早いね!」
 やってきたのは、当麻瞳という女性だ。その隣には、京極由貴という少年が居る。
 この二人とは、光琉を通じて知り合った。
「瞳さん、京極さん。お久しぶりです」
 駈け寄ってきた二人に綾乃は挨拶をした。
「うん、久しぶり。元気そうね。あれ? 光琉まだ?」
 当麻はきょろきょろと周りを見回した。もちろん来ては居ない。
「まだ見たいです」
「うーん、どっかに隠れてると思うのよね」
「まあね、ここで綾乃ちゃんと二人でいるのはマズイしね」
 と当麻と京極は解ったように言う。
 すると、人込みの中から、帽子を目深に被ってマフラーを巻いた怪しそうな人物が現れた。
「おーす。時間前、宜しい」
 その声は、光琉だった。どうやら変装していたらしい。こんな人込みの中で、帽子だけでは、アイドル榎木津光琉とバレてしまうらしい。その為のマフラー着用。今日はどうしても騒ぎを起こす訳にはいかないからだ。
「光琉君、なんか凄く怪しい人だよ」
 綾乃は吹き出してそう言った。当麻と京極は慣れているらしく、ニヤニヤしているだけだった。
「怪しければ近寄ってこない。これ人間の心理。ま、とにかく早めだけど家に行こうぜ」
 光琉は簡単にまとめると、綾乃の手を引いてさっさと歩き出した。
 最寄り駅からは、15分くらいで着いてしまう距離だ。それでも歩きながらのお喋りは楽しいものだ。
「今日は、また鬼柳さんの手料理が沢山出るなあ。愉しみだ」
 光琉がそう言ったので、綾乃も頷いた。鬼柳の手料理は本当に店を出したら行列が出来てしまいそうな程、美味しいのだ。それに、今は滅多に食べられない貴重なモノ。
「その、鬼柳さんとかの料理ってそんなに美味しいの?」
 まだ鬼柳とは電話でしか話した事がない、当麻が問うと、光琉と綾乃は二人して答えた。
「「すっっっっごく美味しい!」」
「へえ、そりゃ楽しみ。それに鬼柳さんの顔も拝みたいしねえ。ね、京極」
 隣を歩いている京極に言うと、京極も頷く。
「あの透耶が心を開いた人だからね、すごく興味があるよ」
「あのね、そういう意味で言ってんじゃないよ」
「ああ、当麻は鬼柳さんの容姿に興味があるんだったね」
「そうそう。どんないい男なのよー。気になるじゃん! 綾乃は凄くいい男だって言うし、光琉までそう言うんじゃ気になって気になって仕方ない!!」
 どうやら、当麻の興味は、鬼柳恭一という人物の容姿にあるらしい。電話ではいい声だったと認識してるので、噂でいい男だと聞くといてもたってもいられないのだ。
  



 そうして、わいわい話しながら、鬼柳&榎木津家に到着をした。そこで当麻と京極は驚く事になる。
 まず、家である。一軒家とは聞いていたが、豪邸とは聞いてなかったのだ。そして、門番の警備が居て、中へ入ろうとするものを確認しているのだ。
「ちょっと、何これ?」
 当麻はちょっと不安になる。
 前に透耶が誘拐された事件は知っているが、ここまで厳重な警備が付いているとは、思っていなかったのだ。
「ちょっと厳戒過ぎかな?」
 京極は飄々とした感じで答える。それほど驚いてはいないらしい。元々透耶が資産家であるのは知っているし、また誘拐などになったら大変であるのも承知している。
 ただ、厳戒過ぎだなとは思っていた。
 綾乃と光琉は警備の人とは顔見知りで、簡単に中へ入れてもらった。当麻や京極は初めてだが、中から了解の返事がきたのですんなり通 れたのだった。
 が、そこからがまた遠い。家までの道を歩きながら、もう当麻は声も出なかった。家が近付くと、もう見上げるだけしか出来ない。
 慣れている二人と、予想していた京極は平然な顔をして、玄関が開かれるのを待った。
 両開きの玄関が開かれると、そこには執事の宝田が迎えに出ていた。
「ようこそ、お越し下さいました。お疲れでしょう。さっそく居間の方へどうぞ」
 と、案内をしようとしたのだが、光琉と綾乃は勝手知ったる他人の家。ズンズン奥へと入って行く。それに続いて、京極、当麻も続いた。
 そして居間に入ると、大きな樅の木が目に入った。
「あー、ツリー作ったんだ」
 感心したように、綾乃が言った。
 そこには透耶がいて、最後の飾り付けを終えたところだった。
「あ、皆、早かったね」
 透耶は作業を終わらせて、後は司に任せて4人を招き寄せた。5人になって、2メートルはあるツリーを見上げる。
「先生、これ、買ったの?」
 綾乃が聞く。
「うん、恭が普通は買うもんだって言うから買ったんだけど、良く考えたら、それってアメリカの習慣だよね?」
 と透耶が言うと、光琉が爆笑していた。
「鬼柳さん、イベント好きだもんなー。正月だったらたぶんおせちが出る。うん、賭けてもいい」
 などと言い出した。
 なんか、行動を読まれてる……。
 透耶は苦笑して、頷いた。実際、おせちを作ると言っていたからだ。それを聞いた綾乃もクスクス笑っている。
 置いてきぼりになった当麻と京極に気が付いた透耶は言った。
「待ってて、恭を紹介するから」
 そう言ってダイニングの方へと消えた。
 それを皮切りに当麻が京極に囁く。
「豪邸、警備、執事、メイド……ちょっとこれって富豪の家じゃん……」
 そういう当麻に京極は。
「透耶は元々富豪だろ。更に作家でも活躍してんだし、印税とかも凄いんじゃない? これだけの家とか警備とかも必要になってくるよ」
 そう返した。
「あーそうだけど。あの子、物欲ないじゃない? 家がこれってのがなんか納得出来ないんだけど……」
「じゃあ、鬼柳さんとかの意見じゃないの? 下手な一軒家に透耶一人にしておいたら、何が起こるか解らないから、心配だってのもあるだろうしね。執事やメイドだって、なんにも出来ない透耶には必要だと思うよ」
 京極は結構透耶の事を解っている。
 そう言われてしまうと、なんか納得出来てしまうのが当麻には不思議だった。
 そうしているうちに、透耶が鬼柳を連れてやってきた。
 白のワイシャツを袖まで折って、何かの作業をしていたかのような格好だ。下は黒のジーパンでラフな恰好。体格は日本人規格外で大きく、顔は割合小さく整っている。100人の女がここにいたら、全員が振り返ってしまうだろう男前だ。
 一番、鬼柳を見たがっていた当麻は固まってしまっていた。
 まさか、これほどいい男が出てくるとは思っていなかったようだった。
「恭、こっちが当麻ね。で、こっちが京極さん」
 初顔合わせなので、透耶がそう紹介し。
「当麻、京極さん。こっちが鬼柳恭一さん」
 何とか対面させることができた。
 それにすぐに反応したのは、京極だった。
「初めまして、京極由貴です。電話ではお話しましたが、お顔を拝見するのは初めてですね。驚きました。こんなにかっこいい人が透耶の恋人だなんて」
 にっこりとして京極は挨拶すると、手を差し出して握手を求めた。
「ああ、沖縄の電話で話したやつか。俺が透耶の恋人の鬼柳だ。よろしく」
 鬼柳はさっと京極が差し出した手を取って握手をした。
「で、こっちが当麻瞳です。当麻」
 呆然としている当麻を京極が急かした。それで我に返った当麻は、鬼柳を見上げて挨拶をした。
「今日はお招き頂きありがとうございます。当麻瞳です。沖縄の電話では失礼しました」
「いや、別に」
「噂では聞いてましたが、本当にかっこいいですね。びっくりしちゃいました」
 当麻は興奮したようにそう言ったので、鬼柳は少し驚いた顔をしていた。噂、それは何処から流れたのかという事である。
 当然、流れる場所は決まっている。
 光琉と綾乃しかいない。
「ほう、噂な」
 鬼柳がニヤリとして言うと、光琉と綾乃はドキリとした顔をした。
 結構、マズイ事も言ってしまった記憶を思い出したからだ。
 昔、かなりのナンパな男だった事。
 調べればいくらでも出てくる、女や男との関係。ある界隈ではかなり有名だった事。カメラマンで、戦場を舞台に活躍しているが、かなり忙しいし長期に渡る取材である事。
 でも、今は透耶一筋で、家庭的な男。
 そして、誰よりも独占欲が強い事。
 透耶に関しては、何よりも優先し、何よりも大切にしている事など。
 つまり、二人が出会ってからあった事などを全部洩らしてしまっていたという事なのだ。
 かといって、鬼柳はそれを気にする男ではない。噂は事実だろうし、やってる事も端から見れば、そう見える事だろう。
 ただ一つ、透耶にだけは真実を知っていて欲しいという願いだけは、叶えられている。
「まあ、クリスマスパーティーだ。楽しくやりな。だが、お前ら、まだ未成年だから酒はなしだ。いいな」
 仕返しとばかりに、鬼柳がそう言うと、光琉が抗議した。
「えー酒なし! 酷いよ鬼柳さん!」
 そう言う光琉の隣では綾乃が、
「あたし、飲めないし別にいいわ」
 と言う。
 飲めない訳ではないが、パーティーが終わったら寮へ帰らないといけないので、飲む訳にはいかないのだ。そういう事情があるので、そう言っただけだ。
 一生懸命抗議する光琉を余所に、透耶と鬼柳は顔を見合わせて笑った。どうせ下らない噂を流した罰だと言っているかのように。
 パーティーが始まって、当麻と京極は鬼柳の手料理に感動していた。このまま店を出せばいいのに!と、誰もが一度は口にする台詞を言い、ぱくぱくと色んな料理に手を延ばした。
 パーティーの最初は、子供だけで楽しく会話をし、鬼柳は後に来る大人用に料理を作っていた。

 そして、7時半になった時、執事の宝田がエドワードとヘンリーを連れて居間へ現れた。
「よう、楽しくやってるかい?」
 ヘンリーに会った事のある子供達は、はーい!と返事をして答えた。
 だが、その隣にいる、大理石の彫刻で出来たような美しい顔をした外国人に、当麻と京極が固まった。
 名前だけは知っている。エドワード・ランカスター。やはり噂通りに美しい青年だった。鬼柳とは違った雰囲気に圧倒される。
「エドワードさん、よく時間空きましたね?」
 透耶が出迎えると、エドワードは笑って透耶を抱擁し、鬼柳の反応を窺う。これはいつもの事だ。幸い、すぐにエドワードが透耶を離したので、鬼柳が怒鳴り声を上げる必要はなかった。
「透耶の為に時間を空けたのさ。プレゼントは宝田に渡して置いたから、後で受け取りなさい」
「え! あの、俺もプレゼントあるんですけど……受け取ってくれますか?」
 透耶がそう言うと、エドワードは驚いた顔をした。
「私に?」
「ええ、そうです。あの、エドワードさんに似合いそうなモノを選んだつもりなんですけど……」
 ちょっと透耶は自信なかった。自分がエドワードに似合いそうだと思って選んだものでも、エドワードが気に入るとは言えない。だから、渡して中を見て貰うまでは心配なのだ。
「透耶が選んだものだ。とてもいいものに決まっている。受け取ろう」
「わ! ありがとうございます! ヘンリーさんにもあるんです!」
 透耶は喜んでエドワードの手を握ると、今度はヘンリーの方を向いて言った。
「え? 俺も? 嬉しいな。俺もプレゼント持ってきたから、宝田さんから受け取ってね」
 ヘンリーは笑顔になって言った。
 それからは、子供集団にエドワードとヘンリーは囲まれてしまう。美しいものを近くで見たいのと、話してみたいのが入り交じって、場は楽しいものとなった。
 エドワードとヘンリーは強い酒を司に要求し、それを水のように飲みながら、話しをしていた。
 子供集団も飲みたがったが、これにはエドワードも賛成はしなかった。仮にも自分が居るところでのプライベートであっても、不祥事は避けたかったからだ。特に当麻と京極がいるのでは、無礼講という訳にもいかず、大人の責任を貫き通 していた。
 更に盛り上がった頃。
 ちょうど時間は8時だった。
 ジョージ・ハーグリーヴスが到着した。しかし、彼はすぐには居間には現われず、玄関で宝田と話していた。
 ちょうど、トイレに抜け出した透耶と、透耶を追って抜け出してきた鬼柳が玄関で鉢合わせた。
『ジョージさん、どうしたんですか?』
 8時に来るとは聞いていたが、何故玄関で宝田と話していたのが気になったのだ。
『やあ、透耶、恭一。ちょっと話しがあるんだが……』
 ジョージの言葉に透耶も鬼柳も首を傾げた。
『なんですか?』
 とりあえず話しを聞く事にした。
『実は、門のところで拾い物をしてね。それが、恭一の仕事仲間だと言うのだが』
『え?』
 意外な言葉に透耶と鬼柳が声を上げた。
 クリスマスに鬼柳の仕事仲間がわざわざ日本のここまでやってきたというのだから、驚かないわけはない。
『誰だ?』
 鬼柳が聞いた。
 顔は少し険しくなっていた。
 仕事仲間は全員自分の国に帰国したはずだ。だから訪ねて来る者がいるはずないと思っていた。それで余計に警戒していたのだ。
『名前は、ネイ。ネイ・バラディと、セレンティー・カーステアスと名乗っている。知っているモノか?』
 ジョージがそう言うと、鬼柳は更に驚いた顔をして、外へと飛び出していた。
『恭!』
 いきなり飛び出して行った鬼柳を追って、透耶も玄関を飛び出した。でも体力の差なのか、鬼柳はどんどん離れて行き、見えなくなった。それでも透耶は走って門へ向かった。
 不審者は門から入れず、門前で待たされていた。中との連絡はジョージが取ってくれると約束してくれたので、警備はそれに任せていたのだ。
 鬼柳が姿を見せた事にホッとしたような顔をしていた。
「御苦労、知り合いだ。門を開けてくれ」
 鬼柳がそう言うと、警備は門の鍵を開けた。
『恭一ー! 来ちゃった』
 茶目っ気たっぷりに言ったのは、セレンティーことセレンだ。ネイは少し緊張した顔をしていた。
『来ちゃったじゃねえだろ! セレン! これはどういう事だ!』
 鬼柳が怒鳴り声を上げると、セレンは慣れたように聞き流して、答えたのである。
『噂の透耶君が見たくて、ネイに付いてきたー。あ、あれが透耶君?』
 鬼柳の後ろから走って来る、白い服の少年をいち早く見つけたセレンがそう言った。まさか透耶が付いてきているとは思ってなかった鬼柳も慌てて振り返った。
 透耶はゆっくりとした走りでやってきて、三人の前に到着すると、はあはあっと息を何度も吐いて深呼吸をした。
『恭、走るの速いよ……』
 とりあえず、文句だけは言っておくところは変わらない。
 そしてやっと部外者二人に目がいってじっと見つめた。
『ああ、透耶は来なくて良かったのに……』
 そう鬼柳が言うと、透耶はジロリと鬼柳を睨んで言った。
『恭、わざわざ日本まで来てくれた仕事仲間を、門前払いしようとしたでしょ?』
『当然だ、用はない』
 鬼柳がそう答えたので、透耶はやはりと頭を抱えた。
 こう答えるだろうと予想は付いていたのだ。
『せっかく来てくれたんだから、せめて、中へ入って貰えば? どうせ、パーティーしてるんだしさ。ね?』
 透耶がそう切り返すと、鬼柳は困った顔をした。透耶に言われると弱いのだ。
『君が透耶君?』
 セレンが話し掛けてきた。
 とても綺麗な英語だった。
『あ、はい。榎木津透耶です。初めまして』
 透耶はセレンを見て、にこりとして答えた。
『私、セレンティーよ。セレンって呼んでね。まあ、可愛らしいし、綺麗だし、なに、恭一、これがあんたの恋人なの!?』
 セレンは透耶をジッと眺めて、観察するようにしていた。見た目では、透耶は美少年の部類に入る。もしかしたら、外国人から見たら、実年齢より幼く、更に少女に見えてしまうかもしれない。
 セレンには意外だった。写真で見るより、動いている方が何倍も綺麗な生き物に会ったのは久しぶりだったからだ。
 透耶もセレンに見とれていた。男性だけれど綺麗な人なのだが、鬼柳よりも大きな人なのだ。体格は力強さを感じる。そして、何より明るい人なのだ。楽しい事だけして生きている感じがする。
 鬼柳と同じ仕事をしている、となると余程な重労働なはずだ。それをこなして行ける人となると、こういう人じゃなければならないのかと透耶は思ってしまった。
『こっちはネイ。前に来たんですってね?』
 セレンにそう言われて、透耶は始めてネイを見た。
 この間来た時となんら変わりない姿だったが、少しお洒落をしている感じがした。前が作業着なら今は普段着という感じだろうか?
 ネイは透耶を見ると、軽く頭を下げて視線を反らした。
 それに透耶は不思議な顔をした。
 視線を避けられた事に何かありそうな気がしたからだ。
 その理由を知っているのはセレンと、そして門前払いにしようとしていた鬼柳だけだろう。
『お久しぶりです。ネイさん。元気でした?』
 透耶はそう尋ねた。するとネイはハッとしたように顔を上げて、笑みを浮かべたのである。
『ええ。元気、でした。透耶は?』
『俺も元気でした。良かったら中へ入りません? 今、クリスマスパーティーを皆でやってるんです』
 透耶がそう誘うと、ネイは頷いた。
『パーティー? いいわねえ。お邪魔させて貰おうかしら?』
 セレンはパーティーと聞いてうきうきしている。
『セレンさんも、どうぞ。ここじゃ寒いでしょ? 恭?』
 透耶はそう誘っておいて、鬼柳にも聞いた。鬼柳は少し困った顔をしていたが、もう諦めたのだろうか、はあっと息を吐くと呟いた。
『透耶の好きにしていい……』
 その言葉に喜んだのは、セレンだった。


5

 いきなりのネイとセレンの登場に、居間は大いに湧いた。
 それもそのはず。鬼柳の仕事ぶりというのを皆が知りたがったからだ。普段まったく見せない姿だから、透耶も興味があった。
 もっぱら話して聞かせてくれたのはセレンで、英語があまり得意ではないネイは聞き取りだけ出来てる感じだった。日本語通 訳は透耶がして、子供集団を喜ばせた。
 鬼柳の仕事の失敗とか、ボスとの口喧嘩。色々あって面白かったが、仕事の辛さなどはまったく話してくれなかった。
 皆はそれに気が付いてなかったが、透耶はそこだけは気になっていた。
 愚痴をこぼす鬼柳でさえも、仕事が辛いとは言った事はなかった。
 どんなに過酷であっても、それでもボスと喧嘩したとかそうした事しか言わない。仕事内容を洩らすような事は一度としてなかったのである。




 次第にパーティーはお開きになり始めた。
 まずは、綾乃が門限で帰る事になり、そして光琉もスケジュールの都合で綾乃と同じ時間に帰って行った。それから一時間もしないうちに、当麻や京極も長いしては、二人の邪魔をしてしまうと言って帰って行った。
 エドワードやヘンリー、ジョージは少し遅くまで飲んでいて、鬼柳もそれに付き合っていた。
 その中に気分よく紛れ込んでいたのが、セレンだった。気さくなセレンは何処にでも入り込める性格なのか、割合気に入られているようだった。
 だが、それと対照的に黙り込んでいたのがネイだった。
 大丈夫だろうか?と透耶が心配になって、話し掛けると、ニッコリと笑って『大丈夫です』と返すのである。
 完全にパーティーが終了してしまって、最後に問題が残ってしまったのだ。

『何! 泊まる所を用意してこなかっただと!』
 そう叫んだのは、鬼柳だった。
 泊まる所を用意して来なかったと言ったのは、セレンだった。
『だって、泊めて貰えると思ってー。泊めろ』
 頼みごとをしているのではなく、殆ど命令系であった。
 呆れてしまうのは透耶だった。
 まさか泊まって行くとは思ってなかったので、この展開にはどうしようと思った。
 家に入れたのは自分で、透耶の好きにしていいと言ったのは鬼柳だ。鬼柳にはなんとなくではあるが、セレンを家に入れると良くない事が起こると予想出来ていて、門前払いをしようとしていたのかもしれない。
 そう考えると、透耶は自分は余計な事を言ってしまったのかもしれないと思えてきた。
 だからといってこの時期に、簡単にホテルは取れない。時間も時間だし、日本語の通 じない二人を夜道にほうり出す訳にもいかない。
『おい、エド、ホテル取れるか?』
 鬼柳がエドワードに聞いた。
 エドワードの力だったら、ホテルの一つや二つは簡単に取れてしまうだろう。料金はこっち持ちなのは当然であるので、敢えてそれは言わなくても解るエドワードである。
 だが、エドワードはこう答えたのである。
『取れる。しかし、取るつもりはない』
 である。
 は……?
 透耶は頭の中が真っ白になった。どういう意味なのか理解出来なかったからだ。
『なんでだ?』
 そう聞き返した鬼柳に、エドワードは不思議な事を言った。
『解決を先延ばしにすると、後で痛い目にあうぞ。というわけで、私は帰る。後は恭、好きなようにするといい。幸い、ここには、ハーグリーヴス氏もいる。彼なら願いを叶えてくれるだろう』
 いつもいきなりなエドワードはそんな言葉を残した。そして、彼は透耶に近付くと耳もとで囁いた。
「何、問題は何もない。透耶がしっかりとしていればいいんだ。解ったね」
 わざと日本語を使って、エドワードは言った。どうやら、セレンやネイには聞かせたくなかったようだ。
 意味が解らず首をかしげる透耶だが、エドワードが言う事はいつも正しいと知っているので、頷いたいた。
「解りました。俺がしっかりしてればいいんですね」
 何に対してしっかりしていたらいいのか、それは聞いても答えてはくれないだろう。しかし、それに対してエドワードは答えをくれているのだ。何が解らないにしろ、しっかりしていればいいのだと。
「じゃ、恭、始末は自分でつけるんだな。透耶、クリスマスパーティーは楽しかったよ。プレゼントもありがとう」
 エドワードはそう言うと、さっさと透耶からのプレゼントを受け取って帰って行った。
 珍しくいつもは騒がしく、人を混乱させるジョージでさえも特に何も言わなかった。
 ただ、エドワードと同じように。
『恭一、守るだけでは駄目だよ。けじめはきちんとつけないと、悪い虫はいくらでも寄って来る。そう君の仲間でもね』
 そう言い残して帰って行ってしまった。
 ただ、最後に透耶を今度こそ本国であるイギリスに誘うのだけはしっかり言って行った。
 騒がしい人達が去って、残されたのは、ネイとセレンである。
 この二人を泊めるのはどうするのか? その問題が残っている。鬼柳の力を使えば、宝田が手配してホテルを取る事だって出来るだろう。
 だが、鬼柳は暫く黙って、口に手を当てて何か考えているようだった。その考えが何なのかは、透耶には解らない。ただ黙って返答を待った。
 約一分ほどで、鬼柳は溜息を吐いた。
『解った。今夜は泊めてやる。明日はホテルを用意させるから、そっちに移ってくれ』
 そう言ったのである。
 それを聞いたセレンは大喜びだった。
『やった! やっぱ恭一は変わったね。優しくなった。うんうん』
 などと感想を洩らした。
 ネイは透耶を見て、少し微笑んだ。
 つられて透耶も微笑んでしまう。
 なんか、今日のネイさん、なんか笑顔が多いかな?
 と、感想を心の中で述べてしまった透耶である。


 結局、この家に泊まる事になった、ネイとセレンは、鬼柳の希望で無理矢理、和室に泊まらせる事になった。ちょっとした嫌がらせなのかと思って透耶が聞くと。


「いや、二階は駄目だ。だってな、透耶、今夜も抱くし、声聞かれたくないだろ?」
 ニヤリとして鬼柳が答えたのである。
「恭!!」
 透耶は顔を真っ赤にして鬼柳に殴りかかる。それを綺麗に避けて鬼柳は笑っていた。
 ほんと、憎らしい……。
 和室に泊められるとなったネイとセレンは、別に嫌がりはしなかった。日本の旅館に泊まる感覚なのだろう。セレンなどは、わくわくしながら、宝田が準備する様子を見に入ってしまったくらいである。
 ネイは鬼柳と居間に戻って、パーティーの片づけをしていた司を手伝っていた。で、透耶はというと。
「透耶は駄目だ。風呂入ってベッドで待ってな」
 と鬼柳に額にキスをされながら言われ、手伝う事もさせて貰えず、仕方なく部屋へと引き上げた。
 部屋には、宝田が持ってきてくれただろう、エドワードとジョージのプレゼントがあった。
「てか……また数が多いんですが……」
 透耶は、積まれた箱の数を見て思わず頭を抱えたくなってしまった。プレゼントするのが好きな二人はたっぷり五箱はプレゼントを持ってきて居たのである。
 とりあえず一つを開けて見ると、やっぱり服だった。それも一通り一着分、上から下まで揃ってるのである。
 その箱をしまって、透耶は風呂に入る事にした。
 鬼柳に言われた通りにベッドで待ってるってのも、なんか自分もしたい気分なのだと悟られたくない感じがした。しかも今日は客がいるのだ。出来れば遠慮して欲しいが、そんなのを気にする鬼柳でないのは、透耶が一番良く知っている。
 溜息を吐いて、風呂へと向かった。





 鬼柳はあらかた片づけが済むと、後は司に任せて二階へ上がった。部屋に入ると、透耶はベッドで本を読んでいた。
 夢中になっているようで、鬼柳が来た事に気が付いてない様子だ。いつもそうだ。本に夢中になっている時は透耶は他のモノが居ても気が付かないのだ。
 鬼柳はベッドに上がって、透耶が持ってる本を取り上げた。
「あっ!」
 いきなり取り上げられて透耶は驚いた顔をしていた。でもそれが鬼柳だと解ると、にっこりと微笑んだ。
「片付け済んだの?」
 鬼柳は本を丁寧にサイドテーブルに置くと、透耶を抱き寄せて答えた。
「ああ、後は司に任せてきた。まあ、皿洗いくらいだから、機械ですぐ終わるだろう」
「そっか。パーティー楽しかったね」
「まあ、な。問題はまだ残ってんだけどな……」
 鬼柳がそう呟いたのだが、最後の部分は透耶に聞き取れない声だった。
「ん?」
「いや、何でもない。透耶に早く触りたくてウズウズしてんだ」
 鬼柳はニヤリとして言う。透耶はもう呆れた顔になってしまう。
「一日中言ってるね、それ……」
「そりゃそう思ってんだもんな。透耶、風呂入っていい匂い」
 髪の毛に鼻を埋めて鬼柳はそう言う。
「恭も入ってくれば?」
 くすぐったそうにそう言うと鬼柳は違う事を言う。
「早く透耶の中に入りたい。風呂後でいいや」
 そう言うと、布団をきひ剥がして透耶を更に抱き締める。が、手は既にパジャマを脱がしている。いつもながら手の早い男である。
 こうなると鬼柳は止まらないし、透耶の言う事も聞かない。一種の我侭だ。
 仕方ないので透耶も鬼柳の服を脱がしていく。少し冷たい身体がさっと現れて、透耶はその肌を撫でる。仕事をし始めてから、更に逞しくなった身体である。
「なんか、肉体改造したみたい……」
 透耶がそう言うと、鬼柳は不思議な顔をして言った。
「してないけど。仕事してたら、こうなるな。まあ、透耶にはちょっと辛いかもしれないけどな」
 鬼柳はそう言って、透耶の首筋に噛み付くようにキスをした。
「えっ!?」
 透耶にはちょっと辛いかもって?
 と不思議に思った顔したところへのキスだったので、透耶はびっくりしてしまった。
 いつものような印を付けるようなキスに透耶は少し身体を固くする。噛み付かれるので、本当に内出血してしまうのだ。出来ればそこには止めて欲しいのが、そこがまるで他人に知らせる為に付ける印の場所だと鬼柳は言って止めないのだ。
「あっ!」
 キスをした場所を鬼柳の舌が舐めはじめる。それが段々と下へと下がってくる。
 胸の突起に舌が絡まり、そして舐め軽く噛んでくる。それだけで透耶の身体は素直に反応する。
「あっ……ん」
 透耶がこうして反応してくると、この行為以外に意識は向かない。鬼柳も初めはそうだったが、最近はというか今日は余裕があった。
 なにしろ、今日は覗きがいる。
 鬼柳が透耶の身体の隅々まで舐めキスを降らせたところで、邪魔が入ったのだ。邪魔者は、ドアを少し開けて中を窺っているようだった。
 目的はこの行為を見る為か……。
 鬼柳はもしこの事が透耶にバレると後で問題になると思い、ズラしていたシーツを引き上げて、自分の身体ごと透耶を隠した。
 そんないつもと違うやり方だが、透耶は甘い声を上げるだけで気が付いていない。
「恭、あっ!」
 指が穴の中に入って蠢いているのに、透耶の腰が揺れている。これはなかなか官能的だ。誰にも見せたくはない。
 透耶の潤んだ瞳が、物欲しげに鬼柳を見上げる。もう言葉にしなくても早く欲しいという顔だ。口では恥ずかしくて言えないのに、表情では欲しいと伝えてくる。こういうところに鬼柳は弱い。望み通 りにしてあげたくなる。
 性欲的な透耶もまたいいものだ。
 普段があまりに淡白なだけ、こういう時には、ちゃんとこうした顔をしてくれる。それは自分を受け入れてくれているという証拠となるからだ。
 ゆっくりと指を抜いて、鬼柳は自分自身を透耶の中へとゆっくりと沈めた。
「あ……ああっ!」
 内面が擦られる感覚に透耶が声を上げる。いつもより官能的だ。今日が特別 だからだろうか?
 毎日のように抱いても飽きない。それどころかもっと欲しくて、一日中透耶の中に居たいと思ってしまうほど、鬼柳は透耶に溺れていた。
「動くぞ……」
「うん……恭……きて」
 透耶が腕を伸ばして鬼柳に抱きついてくる。これから来るだろう衝撃を受け止めようとしているのだ。そして鬼柳はそれを合図に動き始めた。
「あ……ああっ……んんっ……はぁ……」
 二人で呼吸を合わせるように、ただ行為に溺れる。もう覗きがいようがどうでもいい。ただ透耶の身体に溺れていた。
 動きを速めて、透耶を追い詰める。透耶は動かされる度に甘い声を上げて、もっととねだる。鬼柳の動きに合わせて透耶の腰も揺れる。自ら気持ちがいい場所へと導いているのだ。
 一緒に快楽に溺れる。これはいい事だ。
 透耶が求めてくれる限り、鬼柳は与えられるだけ透耶に与える。時には行き過ぎる事もあるのだが。
「あ……ん……んっあっ! も……もう……だめっ……」
「もう俺もだ。一緒にいこう……」
 鬼柳は掠れた声で透耶を導いた。
 より激しく攻めて、透耶を高める。そして透耶は一気に爆発した。それによって締め付けられた鬼柳も一緒に果 てた。
「はあ……はあ……」
 深呼吸しようと透耶が息を整える。だが、次第に意識がなくなっていくようだった。
「眠いか?」
 鬼柳は透耶の中から自身を抜き、透耶の顔中にキスをしながら尋ねた。透耶は朦朧としたままでも頷いた。
「寝ていいよ……透耶、おやすみ」
 最後に唇にキスををすると、透耶は安心したかのように、そのまま深い息を吐いて眠りに入った。
 髪の毛を梳いてやって鬼柳は透耶の顔を撫でた。いつ見ても変わらない幼い表情。他の誰にも見せない。見せたくない。
 この安らぎを守ってやりたい。
 鬼柳は寝ている透耶の身体の汚れを始末してやって、自分は風呂に入る為に起き上がった。
 その時には、もう覗きはいなくなっていた。


 翌朝、鬼柳が先に目覚め、いつものように日課をする。
 透耶は今日も早起きなのだろう。まだ寝ているが、それは解る。ただ問題が残っている。さてどうするか……。
 鬼柳がそう考えている時、二階へ上がる人の姿がちらりと見えた。
 きっと奴だ。
 鬼柳はそう思って、ゆっくりと二階へ上がった。二階へ上がった主は迷いなく透耶と鬼柳の寝室へと入って行った。中にはまだ透耶が寝ているはずだ。
 何をするつもりか……。
 鬼柳はゆっくりとドアに近付いて、少しドアを開けて中の様子を窺った。

 

6


 ふと人の気配を感じた透耶は、ふっと目を覚ました。
 身じろぎをして目を擦って起き上がる。すると目の前にいるのはネイだった。
 ネイはベッドの側に立っていた。
 じっと透耶を見つめている。その目は恐いくらいに真剣だ。
「ネ、ネイさん……」
 透耶は驚いて少し後ずさった。そしてハッとして自分の姿を確認する。するとちゃんとパジャマを着ていた。いつもなら裸のままなのだが、鬼柳が気を利かせてくれたのだろうか?
 とにかく、パジャマを着ている事に透耶は安堵した。
『ど、どうして……?』
 何故、寝室にネイが来ているのかが理解出来ない透耶。
 それでもネイは真剣な顔で透耶を見つめている。そして少し動いたかと思うと、あっという間に透耶の上に伸し上がってきたのである。
「ネ、ネイさん! 何!?」
 透耶はパニックになってしまった。何故自分はネイに押さえ込まれているのか。腕を取られて、身動きが出来ない。さすがに鬼柳と同じような体格である為、体力では透耶は適わないのは目に見えて解る事だ。
 暫く、そのままの体勢で透耶とネイは見つめあっていた。
 ネイはそれ以上何かしてくる様子はなく、ただ透耶を見つめているのだ。
 何かおかしい……。
 そう透耶は思った。
 ここに来てからのネイは何かおかしかった。何か思いつめているような感じに取れたし、やたらと自分に笑顔をふりまいてきた。それが何を意味しているのか。
『ネイさん、あの離してくれませんか……』
 透耶が申し訳ないような言い方をすると、ネイはボソリと呟いた。
『どうして……あんな男に……』
 そう言われた。
 あんな男とは、たぶん鬼柳の事なのだろう。透耶はそう思った。何か鬼柳との間にあったのか?訳が解らない事だ。
『恭の事?』
 とにかく冷静でいなければと思い透耶は質問をした。昨日エドワードに言われた、透耶さえしっかりしていれば大丈夫だという言葉を咄嗟にではあるが、思い出したからだ。
『あんな……他人なんてどうでもいい男が、どうして透耶のような天使に手を出すんだ……あんな淫らな声を上げて、何故、恭一を求めるんだ……』
 ネイの絞り出すような言葉に透耶はハッとした。
 淫らな声を出して……?
 どうしてそんな事……。
 そう思って、またハッとする。
 まさか、覗かれていた?
 恭との行為をネイさんは覗いていた?
 その考えに行き着いた時、透耶は目眩を覚えた。
 他人に自分達の情事を見られていたなど、恥ずかしい以外の何モノでもない。
『ネイさん……まさか……』
 透耶がそう言うとネイはまた続けた。
『どうしてだ? あんな男。誰でも抱けるような男に……』
 どうしてもネイには納得が出来ないらしい。
 まあ、昔の鬼柳の行いを考えたら、そう思うのは仕方ないのかもしれない。抱いてと言われれば誰でも抱いてきた男だ。
 透耶を見つけて透耶しか抱けなくなった男。
 その経緯をネイは知らないのだろう。
『恭は昔とは違うよ、ネイさん。確かに昔は無茶苦茶だったかもしれない。でも今は違うんだよ』
 透耶は冷静にそう言葉を返していた。
 昔の鬼柳の事は知っていると、知らせたのだ。鬼柳は何でも喋る方だから、透耶が知っている事は多い。
『昔と違う?』
 ネイは不思議そうに聞き返してきた。
『うん。今は俺しかダメなんだって……。恥ずかしいけど、俺だけしか抱けないんだって。それって俺は嬉しいよ』
 透耶は素直に答えた。
 鬼柳が一度怒った事があった。透耶しか抱けないのに、他の誰かを抱けと?と。
 その言葉を透耶は信じている。この家に帰ってくる鬼柳は、透耶を一日中抱きたくて仕方ないという顔をしている。案外表情が顔に出る方なのだ。それが解って嬉しいと思う。自分だけを求めてくれる鬼柳を愛おしいと思う瞬間だ。
『愛おしいと思う。俺は恭を愛していて良かったと思う。ネイさんが何を思っているのか知らないけど、俺は恭さえ居れば他に何もいらないんだ』
 透耶の答えにネイは少し考えるような顔をした。
『恭一もそう思ってるのか……?』
 そのネイの言葉に、鬼柳は見守る事を止めた。部屋のドアを盛大に開けて、ドアにもたれ掛かった。
 それに驚いたのは、今切迫している二人だった。
『恭!』
『……恭一』
 二人の声に鬼柳は少し怒った顔をしていた。まあ、当然だろう。ネイが透耶を押さえ付けている状態だ。これで殴り掛からない所がまだ理性が保てている所なのだろう。
『ネイ。俺は昔は酷かっただろう。でも、今は違う。透耶しか、透耶だけしか見てない。その為なら何でも捨てられる。仕事さえ、カメラさえ』
 その言葉にネイは驚いて透耶を拘束していた手を離した。
『捨てられる? 何もかも……?』
 呆然としたようなネイ。
 当然だろう。鬼柳恭一という男はこんな事を言う男ではなかったからだ。
 ネイの知っている鬼柳恭一は違うのだ。
『仕事は透耶が戻れと言ったから戻った。その方が二人の為になるからだ。それさえなければ、俺は一日中透耶の側にいる。一生、透耶の側にいて愛していく。そんな自信がある』
 鬼柳はそう言った。ハッキリとした口調で迷いも何にもなく。その言葉にネイは衝撃を受けたようだった。
 ネイには一人を愛して何もかも捨てていくような考えはなかったのだろう。
『そんなに愛してる?』
『お前みたいな邪な考えなんか、一切ないな。俺の世界は透耶を中心に回ってる。そんな世界を壊そうとするモノは、誰であろうと排除する』
 鬼柳はそう言うと、ドアから離れてネイに近付き、ベッドから引きずり下ろした。ネイはされるがままで呆然としていた。
 ネイが離れた事で透耶はホッとして、起き上がった。不安だったのだが、見上げた鬼柳の顔が優しかったのでホッと息を吐いた。
 鬼柳は怒ってはいなかった。
 それでまさかと思ったが、鬼柳はネイが何かおかしかった事に気が付いていて、家にいれたくなかったのではないかと透耶は思い当たったのだ。
 そう考えれば、納得がいく。エドワードの言葉も、ジョージが言ってた後始末の意味も。
 つまり、今の事態を招いたのは自分のせいなのだ。
 皆、ネイの様子がおかしい事に気が付いていたのだ。知らなかったのは自分だけで、呑気に再会を喜んでしまった。
『とりあえず、ネイ。人の恋人に手を出そうとしたんだから、制裁は受けてもらうぞ。俺は例外なしに透耶に手を出した奴は殴る事にしている』
 もうそれは透耶に止める事が出来ない速さで、鬼柳はネイの顔を脚で殴ったのである。
 ネイは床に座っていたが、ふっとばされて2メートル程後ろにあった壁に叩き付けられていた。
 そこへセレンが現れた。事情を知っているのか、ネイの惨状を見て溜息を吐いた。
『まったく、後先考えないからねえ……困ったもんだねえ。どうしてこのラブラブが目に入らないのかしら?』
 などと冷静に分析している。
 鬼柳はベッドに登ると、透耶を抱き締めてきた。
「透耶、嬉しかったぞ」
 鬼柳はそう言って透耶の顔中にキスをする。透耶はくすぐったくて思わず避けてしまう。
「嬉しかったって……なんか必死だったから。恥ずかしい事言った……」
 透耶は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
 ほんとに赤面ものだ。
「いーや、俺は嬉しい。今すぐ透耶を押し倒したい!」
 と実行しそうになったので、透耶は鬼柳を殴る。
「馬鹿! 人前で何やってんだ! しかもネイさんに脚蹴りって何!?」
 透耶がそう怒鳴ると鬼柳は平然として言った。
「あんなもんで、奴がくたばるか。生易しい方だぞ」
 鬼柳が顎でしゃくって見せると、確かにネイは既に起き上がっていた。顔には明らかに殴られたという後があるのだが、ダメージはそれほどないようで、足取りもしっかりしている。
『すまなかった……透耶、恭一』
 ネイはそれだけ言ってセレンに連れられて部屋を出て行った。振り返ったセレンはニッコリとしていて、ピースサインを作っていた。
「今のどういう意味?」
 透耶が不思議そうに聞くと。
「透耶の説得と、俺の説得でネイが納得したから、良かったなって事じゃないか?」
 鬼柳は対して興味なさそうに言うと、ベッドに寝転がった。
「まあ、とにかくネイに理性があって良かったな」
 鬼柳はそう呟いた。
 確かにさっきの状況でネイに理性がなかったら、透耶は襲われていた事になる。それを考えると透耶は今さらながらにびっくりしてしまう。
「まさか、ネイさんがあんな事するなんて……」
 透耶が落ち込んでしまったように呟くと鬼柳が言う。
「奴は初めから透耶に一目惚れしてたんだよ。前に会った後から、英語は勉強するわで、なんとか透耶と接触しようとしてたんだな。まあ、俺が昔の俺だったら、いつか手放すかもしれないから、自分のモノに出来るかもという希望もあったかもな」
 そんな分析をした鬼柳に透耶は驚いてしまう。
「初対面から知ってたの?」
「ああ、奴の目がな。そう語ってた。透耶に近付く奴は俺には何故かすぐに理解出来るらしいな」
 すげー探知機……。
 透耶はそんな感想を洩らしてしまう。
 でもそんな事言っても、相手の好意に気が付かない自分もかなりとろいのかもしれないと思い直した。
「それでさ……ネイさんにどう接すればいいのかな……」
 透耶はそれで悩んでいた。今までは自分のピアノを気に入ってくれていた人で、鬼柳の仕事仲間でという立場だったが、今回の事で、相手が自分に好意を持っている事を知ってしまったのだ。どう接すればいいのか迷ってしまう。
「今までの透耶でいいだよ。あっちが何考えてるかなんて考える必要なしだ。まあ、奴は失恋したわけだし……何を言わなくてもいいかもしれんがな」
 鬼柳はそう言って起き上がった。
「透耶、そろそろ飯な」
「あ、うん」
 透耶ものそのそと起き上がる。ベッドサイドに用意されている服に着替えて一階へ降りて行く。すると玄関では、ネイとセレンが宝田に見送られて帰る所だった。
「あ、帰るんですか?」
 透耶は宝田に聞いた。
「ホテルの方も取れましたし、セレン様が御希望なさってそれで急ではありますが、御帰りになられるそうです」
「そうですか……」
 透耶は少し困った顔で二人を見た。
 セレンの方は笑っているが、ネイの方は明らかに落ち込んでいるのが解る。
 うーん、こういう場合どうすればいいんだろう?
 透耶はかける言葉が見つからなくて暫く黙ったままだった。
 するとセレンが。
『まあ、やっちゃった事は謝るね。けしかけたの私だし……面白半分でやる事じゃなかった。ごめんね』
 元気なセレンが神妙に謝ってきた。
 透耶はハッと顔を上げて言った。
『いえ、あの……そりゃ困った事でしたけど、それでも楽しかったです。セレンさん、また来て下さい。それから……』
 透耶は俯いているネイの方を向いて言った。
『ネイさんもまた来て下さいね。ピアノくらいしか俺には聴かせてあげられないけど、その、告白は嬉しかったです。ありがとうでした』
 透耶は言って頭を下げた。
 それに驚いたのはネイの方だった。あんな事をしたのに透耶はそれを許すと言っているのだ。
 それも告白は嬉しかったと。
『……私は迷惑かけたのに、許すと……』
 ネイが顔を上げて透耶を見つめて聞いた。
『だって、制裁は恭がしちゃったですから、俺からする事はないですよ。それにネイさんは謝ってくれました。反省もしているようですし、だから、許します』
 透耶はそう言ってニッコリと笑った。
 するとネイは驚いた顔からすぐに笑顔になった。
『ありがとう、透耶……。やはり君は私の天使だ。またピアノを聴きに来させて貰うよ。ありがとう』
 ネイは晴れやかな顔をしてそう言った。
 私の天使って何……?


 一部引っ掛かる台詞を残して、ネイとセレンは帰って行った。
 それを見送っていた鬼柳は、はあっと溜息を吐いて、頭を掻いた。
「俺の天使ねえ……」
 そう呟いて何やら気に入らない様子だ。
 透耶もその部分は気になっていた。
「どういう意味なんだろ?」
「そりゃ、あいつの中で透耶の評価がまた上がったって事だろ」
 あ~あというような感じの鬼柳の言葉に透耶は少し困惑する。評価が上がるのはいいが、あれの後でまた評価があがったとすれば、どういう意味に捕らえたらいいのだろうかという所だ。
「ま、手を出せるような存在じゃないって事だけは、認識してってくれたからいいとするか……」
 鬼柳はそう言って、透耶を後ろから抱き締める。
「うわっ。何?」
 いきなりだったので、透耶は驚いてしまった。バランスを崩しかけたのだが、そこはしっかりと鬼柳が支えてくれている。
「やっと二人っきり」
 鬼柳は透耶の耳もとでそう呟いた。
 騒がしかった昨日、そして今日が終わって、後は邪魔が入る事もないのは解っている。
 また、クリスマス前の二人でのんびりとした時間が過ごせるのだ。
「でも、正月もまた来るんだろうな……」
 ボソリと愚痴を洩らす鬼柳。それに思わず透耶は笑ってしまうのだった。
 何かの行事に二人っきりという事はない。
 いつもの仲間が集まって、騒いで、何か騒動が起こって、疲労困ぱいして終わるのだ。
「ああ、正月があったか……」
「いっそのこと、寝正月にしようぜ」
 鬼柳がこれは名案だとばかりに言う。
 思わず、透耶は吹き出して笑ってしまった。
 それじゃ、鬼柳の思い通りの、ただHしているだけの生活になってしまうではないか。
 それは寝正月って言わないんじゃ……。
 そんなツッコミを入れたくなってしまう透耶であった。