switch番外編2 クロト編
午前9時。
私は、いつものように居間に用意されている寝床から起き出して、二階への階段を上がる。
ここ最近の朝のスケジュールは、こんな感じ。
私の主人が起き出してくる時間だからだ。
私の名は、クロト。
そう私の大好きな「トーヤ」が付けてくれた名だ。
ここに来た時、私には名はなかった。
ただ「ちび」と呼ばれていた。
トーヤに出会ったのは、母親と一緒に食料探しに出た時だった。
いわゆる、野良猫だった母親と兄妹と共にトーヤの家の塀を通る事になる。猫の通 り道というわけだ。
今まで誰も住んでなかったこの家の庭は、私たちのいい遊び場だった。
そこに人が住み始めてしまって、庭でそうそう遊ぶ訳にはいかなくなった。そう思ったのだが、何故か私達が遊んでいる時には、人間と遭遇する事はなかった。
ぼうぼうだった草はちゃんと切られて、隠れ場がなくなってしまったが、遊ぶのには困らなかった。
ある日、庭に何か奇妙なものが寝転がってた。
人間の洗濯物らしきものが沢山ならんで、風に靡いているところに出くわしたのだ。その下で人間が二人眠っていた。
一人は大きな男だ。こういうのは危険だと教えられた。
もう一人は、少年?という感じだ。男女の区別は匂いで解るのだが、見た目は、そこらにいる女の人間より綺麗だと思った。
思わず近くで見てしまったのだが、一人が起き出してしまった。
気が付いたのは少年の方。
もう一人はまだ寝ているようだった。
少年は、私達に気が付くと、少し驚いたような顔をしていた。
まあ当然かもしれない。汚い猫が側で遊んでいたのだから。
でも少年は、にこりと微笑むと、頬杖をついて私達を見つめていた。
何が嬉しいのだろうか、笑っている。
私は、その笑顔に惹き付けられた。
ぼーっとして見てしまったのだ。
少年は、私達を追い払わずに、ただ遊んでいる私達を見つめているだけだった。
その日はとても晴れた日だった。
それから暫くして、私達が庭で遊んでいると、あの少年が庭の端に座ってみている事が多くなった。
何が楽しいのか解らなかったけど、何故かいつも笑顔だ。
そのうち、餌付けなのだろうか、庭の端にエサが置かれるようになった。
私達野良猫にとって、エサは貴重だ。
でも、毒がまぜてあったら大変だから、最初は母親が確認してくれた。それには毒は入ってなかった。安心して食べられる食料を得られたのだ。
それから毎日、私達が通る頃になると、必ずエサがあった。
何故、餌付けするのだろうか?
そして誰がやっているのだろうか?
私は気になって、一日母親と離れて塀の側で見ていた。
すると、あの少年がエサを置いてくれていたのだ。
それに綺麗な水も一緒に。
それは家の中の人間に秘密なのだろうか? こっそりやってきて、こっそり置いていくという変わったものだった。
それも毎日続けているのだから、中の人間にばれないはずはない。
それでも毎日続けられる儀式のようなものに、私は思わず苦笑したくなった。
私達兄妹は、そのエサのお陰でなんとか生き延びているようなものだった。
栄養のあるエサと、清潔な水は、そうそう手に入るものではないのだ。
この辺りでは餌付けは禁止されているわけではないけれど、エサを野良猫に分けてくれるような親切な人間は、滅多にいない。
その中でも、少年は貴重な存在だったのだ。
段々と私はその少年が気になりだした。
母親は近付くなと言ったけれど、この人間なら大丈夫だと野生の勘で解るのだ。
ある日、私はエサを出していた少年の前に姿を現わした。
いつもエサを置いてくれる場所で、ちーんと座って待ってみたのだ。
母親達は馬鹿な真似をと言ったが、私はどうしても少年と対峙してみたかったのだ。
少年はいつものように、エサを置きに来た。だが、私が座っている事に驚いたのか、エサと水を持ったまま、立ち尽くしていた。
まあ、驚くだろう。普段、ほとんど遊んでいる姿しか見せない私がエサを待ってるという状況が信じられないはずだ。
それでも私は動くことなく、じっと少年を見ていた。
少年は、少しだけ近付いてくると、首を傾げて。
「もしかして、待てなかったのかな? 今日はちょっと遅かったし」
と、そう言って、私に近付いてきた。
そして、エサを置く場所へ、水と一緒に置くと、一歩下がって座り込んだ。
「俺がいたら食べられない? 向こうに行ってようか?」
言葉が通じないと思っているのだろうけど、一応確認するように尋ねてくる。
私はそれは気にならないとばかりに、そのままエサを食べ始めた。
すると少年はそれに満足したのか、私が食べているのをじっと見つめていた。
特に何をするでもなくである。見ているだけで楽しいのかさえ解らない。
でも私には不快ではなかった。
何故かと言うと、少年は私に気を使っているのだと解ったからだ。
こんな人間始めてだった。
エサをくれる人間はやたらと名前を付けたり、触ろうとしたりして鬱陶しいのだ。
まるで自分が主人だと言っているかのようなものだ。まあ、こちらもエサを貰っているから愛想ふりまく事はするんだけど。
それでも、少年との違いは何かあった。
兄妹の分のエサを残し、水を飲んだ私は、毛づくろいをしながら少年の様子を見ていた。少年は、まるで猫を観察しているかのような目つきで真剣に私をみている。
物珍しいのだろうか?
ふと私がそう思った時。
「うちのね、葵さんの家にくる猫がいるんだけど、その猫はね、エサ貰うわけでもないのに、葵さんの膝に乗る為にわざわざ訪ねてくるんだって。でね、飼ってるわけじゃないんだよね」
と、少年がいきなり話し始めた。
変な話しだ。
エサを貰えないのに家を訪ねる?
そんな事する猫など、この辺にはいないはずだ。
妙な話しをされて、私はキョトンとしてしまった。
変わった人間だ。
それも興味が湧いてしまうような人間。
「でね、おかしいんだけど。葵さんがいないと絶対に来ないんだって」
少年がそれが可笑しいと笑っている。
ふむ、笑顔も可愛いかもしれない。
無邪気に笑う子供よりももっといい感じだ。
そういえば、私も変わった猫なのだろうか?
人間にエサを貰う以外で興味を持ったり、こうして話しを聴いたりして。
向こうは解ってないと思っているのかもしれないけど、結構人間の言葉を理解しているって事。
「あーそだ。俺、透耶ね。よろしく」
トーヤ?
トーヤと名乗った少年は、にっこりと笑ってそう言った。
すると、遠くで同じ「透耶」という名前を呼ぶ声が聴こえてきた。
私はびっくりして急いで物陰に逃げ込んだ。トーヤ以外の人間と会うのは始めてだったからだ。
この家の人間は結構謎で、少年と青年と老人が住んで居るという変わった家なのだ。
その青年が現れたのだ。一応母親から危険人物だと言われていたので、咄嗟に身体が反応してしまったのだ。
物陰に隠れてみていると、出てきたのは青年だ。
トーヤは男に抱えられるようにして、立ち上がらされた。
「もう、恭がいきなり声かけるから、猫が逃げちゃったじゃないか!」
トーヤはキョウという青年に怒っている。
青年はキョトンとした顔でエサ箱を見ていた。
「これか、最近透耶がおかしな事やってるって言うのは」
「おかしな事ってなんだよ……てか、気が付いていたの?」
トーヤは段々声が小さくなってる。
エサやりは内緒にしていたのだろう。
「猫のエサ隠してるのも知ってるよ」
キョウがそう言うと、トーヤは真っ赤な顔をして俯いた。
恥ずかしい事なのだろうか?
そろりと物陰から出て、トーヤの側に寄ってみる。
「お、猫来たぞ」
まっ先にキョウが気が付いて、そう言った。
「え?」
トーヤは驚いてこっちを向いた。
「にゃーん」
私はトーヤに向かって鳴いてみた。こんにちはという意味を込めて。
「この猫、どっかの猫か?」
キョウがそう言うと、トーヤは首を傾げた。
「解らない……毛並みもいいし、どっかで飼われている猫なのかも」
「でもエサ貰いに毎日くるんだろ?」
「え?どうしてそれ知ってるの?」
トーヤは驚いた顔をしていた。
そりゃ、気が付くはず。だって、トーヤは雨の日だってエサを置く場所を確保してくれていたんだから。
「毎日、こそこそやってたら解るって。それにこれ野良だぜ」
「本当?」
「ああ、親猫がオレンジだろ? あれの子供だったら野良だ」
ははーん、このキョウってやつ、ちゃんと見てるんだな。
親猫がオレンジで、私が白なら珍しい組み合わせの野良親子だからね。
この辺で知らない人はいないかもしれない。
トーヤはどうもその辺に疎いらしい。
なんだか、面倒みてあげないと駄目みたいな感じがするな……。
「野良かあ……」
トーヤは座り込んで、私に手を差し出した。
私は何故だか気が良くなり、トーヤの手にすり寄った。
「あはっ。人懐っこい?」
トーヤは私の身体を撫でてくれる。それがなんか気持ちがいいんだな。
うっとりしてしまうんだ。
「そーか?」
とキョウが手を出してきたので、私は思いっきり無視してやった。
「あ、こいつ、俺の事無視しやがった」
キョウはムッとして手を引っ込めた。
無視が解るなんて、結構野性的か?
「だって、恭は初めて見る人だろうし……」
トーヤは苦笑して、それでも私を撫でてくれる。
それが優しくてうっとりしてしまう。
こういう人間になら飼われてもいいかな?なーんて。
「飼うのか?」
キョウが聞いた。
「え? だって野良だよ。俺がいなくても生きてけるのに……」
確かに私達は野良だから生きていける。
でもね。例外もあるんだよ。
私はトーヤの足とかに身体を擦り付けて懐いた。
「ねえ、来る? 嫌なら外で今までみたいでいいけど」
トーヤは優しい。
家に閉じ込めたら可哀想とか思ってるんだろうな。
でも大丈夫。出たい時は出るから。
私はそうした意味を込めて。
「にゃーん、うにゃ」
と了解の返事をした。
暫くは母親と共に過ごしたけど、もう私の決意は固まってた。
それから母親とかきたけど、もう一人前だし、何も言わないで送りだしてくれた。
「にゃーん」
一言、またねと言い残して、兄妹たちと消えた。
「お別れだったのかな?」
トーヤはエサやりをしにきていて、そして私だけ残った。
トーヤはまた私がいなくなると思ってたらしいけど、トーヤに付いて行くと、トーヤは嬉しそうだった。
キョウもそれを見て苦笑していた。
結局飼う事を許してくれたのだ。
そうして、私はこの家の飼い猫になった。
この家は心地がいいけど、いつも外へ出して貰えるし。
執事とかいう老人もイイ人だし。
食事に寝床まで確保出来れば、野良じゃないよね。
でも一番なのはトーヤなの。
「お前なあ、透耶からしかエサ食べないなんてことやめろよな」
寝室のドアの前で、キョウが私の背中を足でつついた。
「シャアアアアアア!!」
なにすんのよーーー!!
「お前が俺を嫌ってるのは解ってるけどな」
あったりまえでしょ。
トーヤに酷い事するのはあんたでしょ!
どこでもなんでもキスとか言うのしまくるし、そのエロ魔人なところもどうにかしたらどうなのよ!
「にゃああああ!」
文句言って通じないのはむかつくわね!
なんてやりあってると、トーヤが寝室から出てきた。
「もう、なんで毎朝ここで喧嘩してんの?」
すっかり洋服に着替えているトーヤは、まずあいつにおはようのキスをした。
なんで私が二番目なのよー!とトーヤの足にまとわりつくと、トーヤの興味は私に移る。
「クロトもおはよう」
トーヤがそう言うので、思わず顔を舐めてしまう。
トーヤはいい匂いだしー御機嫌よ。
「クロトったら、もうくすぐったいよ」
トーヤはそう言って私を下ろす。
「すぐご飯だからね」
トーヤはにこりとして言った。
「うにゃーん」
私は返事をして、トーヤの後を追う。
「透耶もご飯だぞ」
その後をあいつも追ってくる。
相変わらずトーヤとあいつは仲がいいけど、あいつは暫くいなくなるし、そうしたら私がトーヤを慰めるんだから、寝室にも入れるんだもんねー。
あいつは知らないだろうけど。
トーヤは寂しがりやなんだから、私がいないと駄目なんだよね。
ふふふふ。