switch22

 夏の京都は暑い。
 盆地特有の暑さであるが、透耶には懐かしかった。
 久しぶりに地元に戻ってきた透耶は、駅から出て、周りを見回していた。
 約2年ぶり。
 両親が亡き人になって、家を処分してからは、一度も戻ってきていなかった。
 墓参りすら透耶は参加しなかった。
 それだけ、この場所は透耶にとっては辛い場所だった。
 京都の街並を眺めていると透耶を鬼柳はジッと黙って見つめていた。
 透耶にとって、ここもまた逃げ出した場所だった。
 話を聞いていれば、懐かしくて戻りたいとは思っているが、戻れば自分が弱くなり、何かに縋ってしまう気がし戻らなかったのではないかという気がしていた。
 今回戻ってきたのも、やはりきっかけは鬼柳だった。
 やっと京都へ行く決心が出来て、行こうと言ったのだ。
 逃げた場所へ戻る事は、怖いのだが、今、透耶はそうは思わなかった。
 ジッと街並を見ていた透耶がやっと鬼柳の方を振り返った。
「さて、どうしようか?」
 観光する場所はまだ決めていなかった。
 寸前まで透耶も鬼柳も忙しく、何処を回るかまで決められなかった。
 まず実家を訪ねるべきだろうが、観光して一泊してからでもいいだろうと透耶は判断したのだった。
「とりあえず、そこに入ろう」
 鬼柳がそう言って指差したのは喫茶店だった。
 荷物は駅のコインロッカーに預けて、身軽になっていたが、観光する場所を決めるのに、何も暑い外にいる必要はない。
 ホテルにチェックインするにも、まだまだ時間が余っている。
「そうだね」
 透耶は頷いた。
 透耶達には、SPである富永も石山も付いて来ている。
 ぞろぞろと喫茶店に入って、暑さが取れると、透耶はガイドを出して鬼柳に観光地の説明をしていた。 
 例のごとく、鬼柳は「透耶の京都記念旅行記録」を撮る為にカメラ持参である。
 鬼柳は京都には来た事はなく、一応修学旅行で回るようなコースでも良かった。
 アメリカ出身で日本に来た鬼柳だが、殆ど東京を出た事はなく、仕事では世界中を回っているくせに日本内はまだ回った事はなかった。
 つまり、沖縄も初めてだった訳だ。
「本当に何処にも行った事ないんだね」
 透耶がそれに驚いていると、鬼柳は頷いて言った。
「富士山も見た事なかった」
 そう言われて笑ってしまう透耶。
 新幹線で初めて富士山を見て、鬼柳はカメラを構えたからだ。
 それには透耶も驚いたが、こう言われると納得する。
 鬼柳は、日本に来たくて来たのではなく、カメラマンとして、師匠である人物を追って来ただけなのだ。
 だから、日本自体には興味はなかった。
「これから色んな所を透耶と旅行したい」
 鬼柳はストレートに言う。
 透耶となら、何処へでも行きたいと思っているから言うセリフであるが、透耶は顔を赤らめた。
 ……なんか、照れる。
 透耶も同じ様な事を考えていたからだ。
 思考回路が似てきた二人である。


 とにかく何処を回るかを決めた所で、実家と玲泉門院の本家、そして墓参りの順番を決めていると、透耶達が座っている席に向かって、スーツを着た50才くらいのおじさん集団がやってくる。
 まずそれに富永が気が付いた。
 鬼柳に目配せすると、鬼柳もそれに気が付いていた。
 何だろうと思っていると、二人の席の前に立ち止まったのである。
 それにやっと気が付いた透耶も顔を上げておじさん達を見上げた。
 だが、すぐに透耶がしまったという顔をした。
 おじさん達は透耶の顔を確認すると、切羽詰まった顔を綻ばせてこう言った。
「社長代理! お待ちしておりました!」
 おじさん達は声を揃えて透耶に向かって頭を下げた。
 店内は騒然。
 透耶は頭を抱えている。
 だが、鬼柳にはさっぱり意味の解らない展開である。
「誰が社長代理だ……」
 透耶は低い声で言って顔をあげるとちょうど鬼柳と目が合った。
「代理?」
 鬼柳が首を傾げて聞いてきた。
 ここで説明しないと一生聞かれそう……。
 透耶は思わず鬼柳から目を逸らしてしまう。
 とにかく、どっちをどうするかと透耶が迷っていると。
「社長ー!」
 と、大きな声を上げて、もう一人のおじさんが走ってやってきた。
 店内はもうこの集団が何者なのかで騒然としているのに、大声でやってくるとはと透耶は頭が痛くなったが、それに負けじと大きな声で言い返した。
「社長は貴方でしょうが!!」
 そう言い返した透耶に、社長はきっぱりと言い返す。
「いえ、私こそ代理です。社長は貴方なのです!!」
 こう言われて透耶は頭を抱えてしまう。
 どうして、この人はいつもこうなの!?
 もう……どうにかしてー!
 心で叫んでも、昔のままの調子でやられてしまい、透耶も困惑してしまう。
 社長に幹部らしきおじさんが勢揃いして、高校生らしき人物を社長代理と呼んで取り巻いている姿は、ここでは目立って仕方ない。
「取り合えず、座れば?」
 何がどうなっているのか解らないはずの鬼柳がそう言っておじさんの暴走を止めた。
 もちろん、自分は席を外す気はない。
 おじさん達の為に、富永と石山が席を開け、そこへ代表して、社長と幹部一人が座って、後は別 の席に移動し、なんとか収まる。
「一体、何なんですか?」
 透耶はそう聞いた。
 何がどうなってというのも、透耶でさえ解ってない。
 まさか、京都へ来る事まで嗅ぎ付けられているとは思いもしなかったのだ。
 それが人目を気にせずの行動には訳があるはずだ。
 そう思って聞いたのである。
「ありがたい。社長、話を聞いて下さい。大変なんです」
 社長が透耶を社長と呼ぶことに透耶は抵抗があり、否定する。
「俺は社長じゃありません。貴方が社長ですってば……」
 額に手を当てて透耶が呟く。
「大変って何だ?」
 透耶に変わって鬼柳が理由を聞いた。
 鬼柳の圧力のある言い方に、社長はごくりと喉をならしてから説明する事にした。
 ここでは、透耶に話しを通すよりも、鬼柳に話を通す方がスムーズに行きそうだったからだ。
「それが合併の事なのですが」
 社長が話を進めていくと、透耶もその話に聞き入った。
 合併の話は、前からあった事だったからだ。
「やっぱり、合併ですか」
 そう言った透耶の表情は、いつもの柔らかい表情ではなく、仕事をしている時に見せる真剣な顔だった。
 その変化に鬼柳は驚きながらも話を中断しなかった。
「はい。それは避けられない状態です。初めは旨くいっていたのですが、こっちの腹をみて値踏みしてきたんです。しかも社長がなさっていた時の経営状態だけを見て「この人物を呼んで話をしたい」などと言い出しまして」
 社長は困った顔でそう言った。
 透耶との約束では、一時代理をするだけの繋ぎとしてだけの経営だけは手伝った。だからそれ以後何があっても手伝いはしないという約束がなされていた。
 それなのに、会社を維持する為にはどうしても透耶の力が必要になってしまったからだ。
「社長はもう辞めた方だからと言ってもきかなくて、合併条件として社長を呼び出ししないと話には応じないとまで言い出して」
 幹部がそう言うと鬼柳が言った。
「つまり、そことが一番条件がいい訳だ。透耶の件さえクリアすれば会社は倒産しなくて済むと」 
 鬼柳に的確に言われ、社長と幹部は頷いた。
「国内ではいい条件の場所は幾つかはあるのですが、これから先の事は社長が一番よく解ってらっしゃると思います」
 そう返されて、透耶はうーんと唸った。
 ああ、あれか。でも俺に用って何だろう?
 別に俺がいなくても出来るようになっているはずだし。
 自分が呼ばれる理由がさっぱりな透耶。
 透耶が考え込んだ所で、鬼柳が透耶に聞いた。
「透耶は社長なのか?」
 透耶の仕事関係は、小説だけと思っていたが、実家がかなりの資産家である事は聞いている。透耶がその後を継いでいてもなんら不思議はない話である。
 だが透耶は否定する。
「違うよ!」
「そうです!」
 透耶が否定するのと同時に、当の社長が頷いたのである。
 ややこしい話になっている。
「どっち?」
 鬼柳は社長を無視して透耶に聞いた。
 透耶が鬼柳に隠し事をする必要はない訳で、社長の話よりも透耶の方の話を信じるから透耶に聞くのだ。
 それにしても社長同士が社長ではないと言い張るのだから妙な話である。 
「俺のお祖父様の会社だったんだよ。でも今は親類である、この黒田社長が引き継いでいるの。俺は引き渡しの時にお祖父様の書類の整理を少ししただけなの」
 透耶がそう説明すると。
「少しではありません!」
 社長が猛反発する。
 この人の激情型性格をどうにかして欲しいと思う透耶である。
「代理は企画書や、沢山の設計図まで残して下さいました」
「代理にしか理解出来ないのでは、我々ではどうにも出来なかったのです」
 その説明が出て、鬼柳はやっと納得出来た。
「そこに目を付けられたのか」
「そうです!」
 透耶と一緒にいる鬼柳の方が状況を理解出来ているようである。
 透耶は透耶で困惑してしまっている。
 聞いた鬼柳は、なんだか透耶も自分と同じ事をしてきていると思った。
「もしかしなくても、それって応用させないと使えなくなってないか?」
 鬼柳がそう言ってきたので、透耶はびっくりしながらも頷いた。
「そう。市場変化に応じて、プラスしたりマイナスしたりできるようになってるんだ」
 透耶はそう答えた。
 それを聞いた鬼柳は、やはりと溜息を吐いた。
 同じ事をやっている。それが感想。
「恭、すごいや。何で解ったの?」
「俺も同じことして、エドに再構築やらされたから」
 鬼柳はブスっとして答えた。
 そう言われて透耶は思い出した。
「あ、先月末まで忙しかったあれ?」
「うん」
 鬼柳が頷いて透耶は納得した。
 どういう経路で鬼柳がエドワードの仕事の手伝いをする羽目になったのかを知らない透耶は、ただ単に小遣い稼ぎと言った鬼柳の言葉を信じていた。
 その仕事は物凄い忙しいもので、朝早く出たと思えば、深夜になる事もあり、休みかと思えば午後から呼び出されたりで、まるでエリートサラリーマンぶりだったのだ。
 その不満は、透耶とのセックスの方に出てしまった為、透耶の方が酷い目にあっていたのは事実。
 透耶に触る時間が短いと言っては、帰って来てからは側から離れないし、最初に監禁されていた時のような事になっていたのである。
 しかし、似た様な事をしてきて、求められてしまう二人。
 やはり似た者同士という所だろうか?
「で、透耶は何をすればいいんだ?」
 鬼柳がそう社長に切り出した。
「恭?」
 会社を助ける為に透耶が何をやったらいいのかを聞いている鬼柳を、透耶は不思議な顔で見上げている。
 鬼柳は渋々という風に答えた。
「どうせ、透耶の事だ。見捨てて逃げるなんて出来やしないだろ?」
 見透かされたように言われて透耶は頭を掻いてしまう。
 ……さすが恭だ。
 すっかり性格を掴まれている透耶である。
 透耶にこの状況で逃げる事など出来はしないのは、鬼柳には良く解っていた。自分が残してきたモノの為に社長が苦しんでいるのは見て解るだけに、逃げる行為は今の透耶には出来ない。
 前に進む為にここへ来て、会社から逃げる事は透耶はしない。
「逃げ切れないなら、さっさと終わらせた方がいいに決まっている」
 鬼柳はハッキリと言い切った。
 確かに旅行に来て、しかも透耶の地元を訪ねて来てこれではたまったものではない。
 面倒な事はさっさと済ませるべきである。
 透耶が必要なら、今だけ貸して、後で必要のないようにしてしまうのが一番手っ取り早い。
「出来れば、明後日までに相手先に説明出来るようにして欲しいのです」
「休暇中というのは重々承知してます。ですが、お願いします」
 20才も離れた人に頭を下げられてしまうと、透耶も断われなくなってしまった。
 できれば、この京都旅行は、鬼柳の為にと思っていたのだが、透耶は三日は仕方ないと諦める事にした。
「俺なんかで説明できるかどうか解りませんが、やれるだけやってみます」
 透耶がそう言うと、社長幹部は更に頭を下げた。
「代理は一時的な事というお約束を破ってしまって申し訳ありません」
 今にも泣き出しそうな社長。
 透耶もこういう社長を見ると、もうこれは仕方ないと思ってしまう。
「頭を上げて下さい。元々は俺がちゃんとしてなかったのが悪かった事ですし。ちゃんと引き継ぎ済ませます」
 やりかけだった事はきちんとしたい性格の透耶は、一度決めた事はちゃんとやる。
 透耶が笑ってそう言ったので、社長は驚いた顔をしていた。社長の驚きは、透耶がそんな事を言って笑いかけてくれると思ってなかったからだ。
 そんな社長を見て、鬼柳はその驚きにやはりと思った。
 昔の透耶と言えば、冷淡なイメージがあると綾乃から聞いていたので、ちょうど怪我した時、そして両親や祖父を同時に失った後の透耶はかなり壊れていたはずだ。 
 その時、どうだったのかを知っている人物に会うのも話が聞けていいかもしれないと鬼柳は思っていた。
 元々京都旅行に賛成したのは、透耶が言い出した事なのだが、鬼柳には別 の目的もあった。
 透耶がここでどう生きてきたのか、その過去を知りたかった。
 しかし、この時の鬼柳はこう思っていた。
 さすが俺の透耶、何でも出来る。
 ちょっと馬鹿である。







 京都に着いて早々、透耶は祖父が経営していた会社へ行って手伝うことになってしまった。
 会社は、建設と設計をする会社なのだが、今は不況もあり取引先が減っている。
 ホテルの部屋の内部のインテリアも透耶の提案で始めていた。今回、倒産まで免れたのは、インテリアの部門が強かった事で、合併ではあるが救われているのである。
 合併の件も透耶の残した案の中にあった。
 暫くは透耶の祖父維新が残したデザインでやってはいけるだろうが、それだけで生き残れる世界でない事は誰にでも解る。
 その事で透耶は幾つかの企画と膨大な設計を維新と共に残してあった。
 ただ旨く引き継ぎが出来てなかった為か、今回のような事が起ってしまったのである。
 透耶が残した設計には、面白いデザインと企画がある。
 今回はそれに目を付けられてしまったらしい。
 普通なら気が付かないだろう些細な事に気が付いた合併先の社長は目がいいのだろう。


 さっそく話が纏まって透耶は鬼柳と共に会社へ向かった。
 車に乗ってから、鬼柳は始終黙ったままで、透耶と社長の話に耳を傾けていた。
「俺のデザインは、ただ遊んでいるだけなのに……」
 自分のデザインを誉められて、透耶はそう答えた。
「その遊びがアメリカでは受けると言われたんです」
「そんな事言われても、なんだか悪い気が……更に増すだけなんですけど」
 透耶は自分のデザインは、全て祖父との遊びから生まれたモノだと言い張った。
 本当にそういう家があれば面白いという程度のモノだったのだが、それを維新の意見も加えて設計だったから、余計に透耶は悪いと思っている。
「代理、そのデザインがあれば、うちは安泰なのです」
「そうです。その整理だけお願いしたいのです」
 車に乗ってからも透耶が納得出来ないと言うので、社長と幹部は必死に説得している。
 下手するとデザイン案を減らされてしまうかもしれないから必死である。
 透耶だけにしか解らないモノだから、減らされても困るのだ。
 そういう遊び心が入っているモノが今受けている事を透耶は知らない。
 とにかく、京都について早々の出来事で、透耶と鬼柳は旅行どころではなくなってしまったのである。

 



 会社に入ると、透耶の事を良く覚えている社員には大歓迎で迎えられてしまう。
 透耶は困惑しながらも、懐かしい人達が元気で働いている姿を見て、また会えて嬉しいと思った。
 にこやかに笑って、少しだけお世話になりますと頭を下げて、挨拶をする透耶。
 その透耶を見て。
「なんか、代理って、色っぽくなってないか?」
「ああ、それ、俺も思った」
「だよな」
「男だって解ってるのになあ」
 と男子社員は言い。
「ねぇねぇ、代理と一緒にいた男の人って何者?」
「ちょーカッコイイ!」
「背が高いし、モデルかしら?」
「え? じゃあ、光琉関係かしら?」
 と女子社員。
 だが、双方が最後に出た言葉は同じだった。
「どっちにしろ、並んでいると圧巻だよな」
 男同士であろうが、二人が並んでいる姿を見るのは目の保養になったのである。
 


 社長室に通されると、透耶はさっそく書類を手渡された。
 それに目を通そうとしたが、ハッとして鬼柳を見上げた。
「恭……あの」
 透耶が、ごめんと謝ろうとすると鬼柳はニコリと笑って言った。
「その設計図見ていい?」
 透耶の前に差し出された書類と設計図を指差した。
「あ、うん、いいよ」
 鬼柳が見てもどうこう出来るモノではないので透耶はすぐに頷いた。
 鬼柳はそれを受けてさっさと透耶の隣に座ると、設計図を広げて黙ってしまう。
 ……もしかして、俺が謝るのを止めたのかな?
 隣で悠然として設計図を見ている鬼柳を見上げてしまう透耶。
 もう、そこまで気を使わないでいいのに……。
 いつもの我侭鬼柳ではなく、いやに大人しい鬼柳に何故か妙な違和感を覚えてしまう透耶。通 常ならば邪魔をしにきた社長達を振り切ってでも透耶を連れて行ってしまう鬼柳なのに、今日というか、京都に来てからの鬼柳は何処か違う。
 今まで以上に透耶に関わる全てに関わろうとしている。透耶にはそんな気がした。
 そんな透耶と鬼柳の関係がいまいち解らない社長はやっと鬼柳の存在の事を透耶に尋ねる。
「あの、失礼ですけど。この方々は?」
 そう聞かれて透耶は、鬼柳の事や富永や石山の事も説明してなかったのを思い出した。
 ……忘れてた……。
 いつも一緒にいるものだから、透耶にとってはいつものメンバーな訳だが、他の人にはそうではないのである。 
 鬼柳の事は同居人で、富永と石山はそのままSPだと説明をした。
「え? あのその鬼柳さんにですか?」
 SPを付けているのは鬼柳の方だと思われてしまい透耶は慌てて自分の方だと説明した。どうしてSPがという質問は返ってこずに納得されてしまった。
 ……何故、納得なの?
 と透耶は不思議に思ってしまったが、透耶は自分が資産家である事を失念していた。






 仕事はとりあえず夜遅くに中断して、ホテルに戻った二人。
 だが、透耶の頭の中は仕事の事でいっぱいだった。
「透耶~。ちょっと仕事忘れよう」
 鬼柳はそう言って、ソファに座っている透耶を押し倒した。
「うわっ! 恭……っ」
 いきなり押し倒しれたものだから、透耶は驚いてしまう。だが鬼柳を見上げると、仏頂面 の鬼柳を見ると、やはり悪かったと思ってしまった。
「ごめんね」
 透耶はそう謝って鬼柳の首に手を伸ばして引き寄せてキスをした。今は誰もいない、二人っきりなので、透耶も大胆になる。
 もちろん、鬼柳もそれに応じる。
 けれど、そうなると主導権は鬼柳に移ってしまう。
 優しいキスから、飢えている猛獣のようなキスへと変わっていく。
「……んっ……」
 こうなってくると、もう仕事の事など考えられない。ただ与えられる快感を追うだけになってしまう。
「は……んっ」
 唇が離れると、透耶は深く息を吐いた。
 鬼柳は頬や耳などにもキスをし、それが首筋へと降りてくる。
 手は既にTシャツの中へと潜り込んでいる。
「あっん……」
 突起を撫でるように弄られると、透耶の身体が抵抗するように動いた。
 耳を攻めながら、突起を弄り、さらに片手でズボンを脱がそうとすると透耶がそれを止めた。
「……ん、だめ」
「なんで?」
「なんでって……ソファが汚れるから……」
 絶対ソファでやろうとしているに決まっているから、透耶はそれだけは止めたかった。
「じゃ、ベッド」
「だめ……んっ」
 駄目だと繰り返す透耶自身を鬼柳が掴んだ。
「こんなになってて、どうすんだ?」
 既に反応して立ち上がっているモノを掴まれて、透耶は顔を真っ赤にする。
 ……ストレートに言わないでよ……
 どうするって、どうしよう。
 ホテルでするには抵抗がある透耶。
 それも、ソファが汚れていたら不審に思われるし、男同士のベッドが乱れてたら、やはり不審な目で見られる。
 何日も泊まるホテルで、それだと透耶はやはり恥ずかしい。
「決められないなら」
 鬼柳はそう言って、透耶自身を扱いた。
「やっ!あっ!」
 いきなり襲ってくる快感に透耶は、さっきまで考えていた恥ずかしいと思っていた事が吹っ飛んでしまう。
 透耶の快感になる場所を心得ている鬼柳は、開いた手で透耶のズボン下着を脱がしてしまう。
「ぁん……ここ……で……んっ」
 駄目だと言おうにも、鬼柳は手を止めない。
 もう我慢出来ないとばかりに、どんどん先へと進めて行く。
 いつの間にかローションをつけた指が入り込んでいる。
 嘘っ!
 本気でここでやるつもり!?
「あっ! 恭!」
 止めようとしたが、その手を取られてしまった。
「透耶も限界。俺も限界」
 などと鬼柳は訳の解らない事を言っている。
 どういう意味なんだよー!
 そう叫ぼうとすると、取られた手が鬼柳自身にあてられる。
 ズボンの上とはいえ、すっかり立ち上がっているモノははち切れんばかりになっている。
「前の晩出来なかったし。俺、透耶の中に入りたい。これ入れたい」
 鬼柳はそう言って、穴から指を引き抜くと、自分のズボンと下着を脱いだ。
 目の前に現れた鬼柳自身は、もう先走りの液が溢れている。
「なんで、そう恥ずかしい事を言うのかなあ……」
 透耶がそう言うと、鬼柳は真面目な顔をして言い返す。
「恥ずかしくない。俺の気持ちそのまま」
「だから、それが恥ずかしいの」
「二人っきりじゃねぇか。誰も聞いて無いよ」
「二人でも恥ずかしいの」
「透耶は恥ずかしがり屋だなぁ」
 鬼柳はそう言って、透耶の額にキスをする。
 俺が恥ずかしがり屋じゃなくて、恭がデリカシーがないだけだ!!
「駄目?」
 顔中にキスをしながら鬼柳はそう聞いてくる。
 顔を覗き見ると、まるで主人の承諾を得る為に、待てをしている大きな犬のように見える。
 まあ、さかってる犬であるが。
 でも、これじゃあ、収まりそうになさそう……。
 当然、収まる訳は無い。
「ん……解った」
 透耶は頷くしかなかった。
 これ以上焦らしたら、どうなってしまうのかを考えた方が恐ろしい。
 鬼柳は透耶の返事を聞いて、嬉々として透耶の足を持ち上げた。
「我慢出来ない」
 耳元で囁いてから、鬼柳はゆっくりと透耶の中へと入って行く。
「んんんっ」
 入ってくる圧迫感はやはり簡単に慣れるものでは無く、透耶は必死に鬼柳にしがみついてそれに耐える。
「……透耶、息吐いて。まだ半分しか入って無い」
 んな事言われてはいそうですかと出来るものではない。
「できな……い……」
 いつも出来ないでいるから鬼柳もやり方は解っている。
 透耶自身を扱いてやると、透耶が甘い息を吐く。
「あ……はぁ」
 透耶が力を抜いた所で、一気に中へと入り込む。
「んんっ!」
「……はぁ、やっぱ、透耶の中最高。熱くていい」
 中に入り切った鬼柳はそんな感想を洩らす。
「どうしてっ!あっ!」
 どうしてそういう事ばっかり言うんだ、という言葉は鬼柳が腰を二三回動かした事で呑み込まれてしまう。
「何か言った?」
 意地悪そうな質問に透耶は鬼柳を睨み付ける。
 それが誘っているとしか見えないと何度言っても透耶には通じない。精一杯なのだろうが、それが可愛くて仕方なくなる鬼柳である。
「もう……ソファ、汚れる……」
 ここまできて、どうでもいい事を透耶は言ってしまう。
 それでもこのセリフは言わない方がよかっただろう。
「今更、もう透耶のでグショグショだよ」
 鬼柳はこう返してくるからだ。
 真っ赤になった透耶が怒鳴ろうとすると、それを阻止するかのように鬼柳が動き始める。
「……あっ……ん……」
 言葉を阻止されてしまったのだが、それでも急激な快楽には勝てない。
 次第にその波に呑まれてしまう。
 部屋の中は、透耶の甘い喘ぎ声と鬼柳の息遣いだけ。
 激しくキスをしあいながら、同時に快楽に溺れる。
 絶頂を迎えるのも一緒。
「はぁ……はぁ……」
 完全にダウンしている透耶に鬼柳はキスをしまくる。
 愛おしくて仕方ないとばかりに、顔中にキスを降らせる。
「透耶……愛してる」
「ん……恭、愛してるよ」
「やっぱ、透耶の中が最高だ」
「それは言わなくていいんだ、馬鹿……」
 やっぱりデリカシーのない鬼柳である。
 
 
 急な事で、会社に拘束されてしまった透耶は、翌日も会社まで付いて来てくれた鬼柳にやはり謝ってしまった。
「ごめんね、恭」
 一日中、暇な社長室で訳の解らない話を聞かされている鬼柳が気の毒になってしまう透耶。
 だが、鬼柳は笑って言う。
「俺の事はいい。透耶は仕事に集中してろ」
「でも」
 集中してしまうと鬼柳の事を忘れて没頭してしまうから余計に透耶は気になってしまう。
 本当なら、観光をしている頃なのにと透耶が思っていると、鬼柳が何か思い付いたように言った。
「そうだ」
「何?」
 何だろう?
 透耶は首を傾げて鬼柳を見上げる。
「俺、先に玲泉門院を訪ねていいか?」
 鬼柳がいきなりそう言った。
「一人で行くの?」
 いきなりな言葉に透耶は驚いていた。
 玲泉門院には確かに行くとは言ったが、一人で行くと言い出すとは思ってもみなかったのだ。
 一瞬不安になる透耶。
「透耶忙しいし。一人で話を聞いてみたい。駄目?」
 確かに透耶は今日は一日鬼柳に構ってられないくらいに忙しいスケジュールをくまれている。
 その間、鬼柳が暇をする事は解り切っている。
 ……暇だから行くという場所じゃないけど。
 恭なら大丈夫かな?
「解った。葵さんに電話しておくね。時々、ふらっといなくなる事があるから」
 きっと、側にいると俺が気にすると思ったから言ったんだろうし。
 ただ単に鬼柳が暇だと口にする訳がないから、透耶もこの方がいいだろうと思った。
 ただ不安なのは、本家にいる人物の事だけだ。
 そんな不安もあるが、取り合えず本家に電話を入れる透耶。
「透耶です。お久しぶりです」
 透耶はそう言って、電話に出た相手と親し気に話をすると、鬼柳が一人でそっちを訪ねる事を説明した。
 頷いて聞いていた透耶が。
「じゃあ、大丈夫ですね」
 と念を押して電話を切った。
「あのね。今、葵さんは出掛けてるけど、お昼までには戻るから、今から訪ねても大丈夫だって」
 透耶がそう言うと鬼柳は頷いた。
「会社の人に送って貰うようにするね」
 透耶が言って手配しようとすると、鬼柳はそれを断わった。
「会社は忙しいんだ。タクシーを呼んでくれたら一人でいける」
 透耶の頭をくしゃくしゃと撫でて鬼柳はそう言う。
「そう?」
 ん、まあ、子供じゃないんだから大丈夫だろうけど。
 旅慣れしている鬼柳には場所さえ解っていれば、何でも無い事である。それでも透耶は不安である。
「帰りもタクシーにして、そのままホテルに戻るようにするよ。どうせ、時間かかるだろうしな」
 どんな話にせよ、鬼柳が聞きたい事は山程ある。
 それに葵という人物が曲者だと聞いているから、通常の話では終わりそうにはない。
 透耶もそれは解っているので頷いた。
「うん、そうだよね……」
 葵さんと普通に話ができる訳ないよね……。
 一緒にいた方が何とか話を修正出来そうだけど、恭は一人で行きたいと言ってるし。
 京都行きが決まってから、葵さんの話を聞きたがってたし、仕方ないのかなあ。   
 透耶はそう思って諦めて、玲泉門院本家への住所を書いた紙を鬼柳に渡した。
「じゃ、行ってくる」
 鬼柳はそう言って、透耶の額にキスをした。
「いってらっしゃい」
 透耶も笑っていつものように「いってらっしゃいのキス」をしようとしたのだが、ここが何処か思い出してハッとした。
 振り返ると、社長以下幹部が埴輪になっていた。
 ……うわっ、ここが何処だか忘れてた。
 思いっきり会社の社長室で、社長や幹部、それに秘書までが勢揃いをしているのである。
 それを思い出して透耶も固まってしまう。
 他の埴輪になっている人々を見て、鬼柳は苦笑する。
「透耶、約束だぞ」
 鬼柳は固まっている透耶に耳打ちをする。
 それで透耶はハッと我に返る。
 約束、それは如何なる場所であろうとも、鬼柳が出かける時にはいってらっしゃいとおかえりのキスをする事である。
「え、だって」
 透耶は真っ赤な顔をして言い淀む。
 恥ずかしい……。
 ……どうしてもしなきゃ駄目?
 そうした言葉を口にしなくても、透耶の瞳から受け取った鬼柳は、埴輪になっている人達に向けて命令をした。
「回れ右」
 その命令に埴輪軍は慌てて回れ右をしてしまった。
 こういう事は条件反射なのだろうか、どうしても身体が反応してしまうのである。
 それを見てから鬼柳はニコリとして透耶の前に顔を持っていくと、自分の唇を指差した。
 それを見ると透耶は苦笑してしまう。
 こういうのには、すごくこだわるよねえ……。
 それに透耶の仕事が決まってから、鬼柳が念願だった旅行先Hも出来てないのである。
 それを考えると、鬼柳が不憫でならなくなってしまう透耶である。
 これだけは譲れないという鬼柳も気持ちも解ってしまう。
 だから、それに応じてしまう。
 軽くキスをして離れようとしたのだが、鬼柳はわざと透耶を捕まえて深いキスをしてきた。
「……んっ!」
 驚いて文句を言う為に離れようとしても、鬼柳は離してくれない。
 ……うそっ!
 やだもうー!
 信じられないと思ってはいても、いつものように舌を絡められるとそれに応じてしまう透耶である。
 十分にキスを楽しんだ鬼柳がやっと透耶の唇を離した。
「……はっ……」
 やっと離れた時には、透耶は鬼柳に凭れかかってしまった。 それくらいに真剣で強烈なキスだった。
「……もう」
 文句を言おうにも、満面の笑みの鬼柳を見ると透耶は何も言えなくなってしまった。
 元々、正気ではなかった透耶が、何処でもいつでもキスくらいすると言ってしまい、ディープキスをした事も関係している。
「ほら、そんな顔、他の奴に見せるなよ」
 頬にキスをしながら鬼柳がそう言うと、透耶はハッとして鬼柳から身体を離した。
「きょ、恭がっ!」
 そこまで叫んで、透耶はバッと自分の口を押さえた。
 今居る場所を思い出したのだ。
 ……恭がさせたくせに。
 透耶は黙ったままで鬼柳を睨み付ける。
「行ってくる」
 クスクス笑って鬼柳は透耶の頭を撫でた。
 ……もう、恭には適わないよ……
 透耶はそう脱力してしまった。
 鬼柳が社長室を出て行くと、回れ右をしていた人達はやっと透耶の方を振り返った。
 驚いた顔のままの人達に透耶はどう説明していいのか困惑してしまう。
「あ、あの、アメリカ人だから、ほら、挨拶みたいなもので」
 と、苦し紛れに言うのがやっとであった。
 社長以下幹部達は。
「代理の私生活の事だ。追求する必要はない」
「そうです。関係ないです」
「それに何をしてたかなんて見てませんし」
 とコソコソと言っていた。
 鬼柳が透耶の額にキスしたのは見ていたが、その後何をしていたのかは見てないので憶測なのだが、間違いないだろうとは思うが、追求する必要はないと割り切って考える事にした。
 追求した所で怖い答えが返ってきそうで聞くに聞けないというのもある。





 一方、鬼柳は透耶に貰った玲泉門院への住所をタクシーの運転手に見せて、本家に向かっていた。
 透耶の話では、玲泉門院最後の名を継ぐ人物、葵はかなりの曲者であるという。
 どう曲者なのかは、透耶の話からは解らないが、透耶は葵の事を敬愛しているようにしか感じない。
 光琉の方は、完全に恐がっているような印象で、出来れば会いたくない人物のようである。
 相当怖い人物を想像したいのだが、数年前のモノとはいえ、写真で顔を知っているだけに、怖いとは思えない。
 顔は透耶の十年後という感じだ。
 タクシーで玲泉門院の住所を訪ねて見ると時代劇の武家屋敷のような門の前で停まって、ここだと言われて鬼柳はタクシーを降りた。
 大きな門は開かれたままになっており、ここにはインターホンがない。
 さてこのまま入っていいのかどうかと鬼柳は迷った。
 開け放たれたままなので、中にでもインターホンがあるのだろうと思い、鬼柳はそのまま門を潜った。
 門を潜って入ると、砂利を敷いた道をかなり歩くことになった。東京の二人の家もかなりの大きさではあるが、ここは規模が違う。
 ここまで大きな屋敷だとは思ってもみなかった。
 50m程歩いてやっと、屋敷の駐車場らしい場所と庭に出くわした。
 だが、まだ玄関ではない。
 さらに進んでやっと玄関に到着した。
「これが玄関なのか?」
 日本家屋の玄関を見た事なかった鬼柳は不思議な感覚で玄関を覗き込んだ。
 インターホンは見当たらない。
 声をかけようとすると、中から誰かが玄関に向かってやってくる音がした。
「鬼柳様。遠い所、ようこそお越し下さいました」
 玄関に現れたのは、30才過ぎくらいのスーツの男だった。
 隙の無い風貌の美形の男は、執事の迦葉だと名乗った。
「今、主人が戻りました故、お先にお入りになってお待ち下さいませ」
 どうやって主人が戻ったと解ったのか、迦葉はそう言うと鬼柳にスリッパを進めてくる。
 従って迦葉に付いて玲泉門院の家に上がった。
 多数の部屋を通り抜けて、鬼柳が通されたのは、庭や池が良く見える部屋だった。
「どうぞ、こちらにおすわり下さい。すぐ主人もいらっしゃいますので」
 迦葉がそう言うや否や、ドカドカと廊下を歩く音をさせて部屋にやってきた。
「悪いな客人、少し待ってくれ。迦葉! 客に茶出して少し待ってもらえ!」
 部屋をひょいと覗いてそう大声を出したのは、あの玲泉門院葵だった。
 顔だけは写真で見ているからすぐに解ったが、これほど騒々しいとは鬼柳は思ってなかったので唖然としてしまう。
 着流しの着物で、髪は腰まで長く、透耶に似た顔つき。片眼鏡に煙管を持っているから、イメージは日本人なのだが、もっと威厳のある人物だと想像していた。
 それが、ここまでイメージが崩れる人物だとは思わなかったのである。
「これは誰だい?」
 真っ黒なスーツを来た男性が、葵の後にやってきて、部屋を覗き込み鬼柳を見て聞いている。
「そりゃ、透耶の男だ」
 葵がそう答えると、スーツの男は少し驚いた顔をして鬼柳をマジマジと見た。
「これが噂のねぇ。随分といい男を捕まえたじゃないか」
 スーツの男は、ニコニコと笑ってそう言った。
「透耶にしては上出来だろう。ちょっと相手してやってくれ」
 葵はそうスーツの男に言うと、さっさと部屋から下がっていってしまう。
 肝心の人が部屋を出ていってしまってやっと部屋は静かになった。
 鬼柳はこの騒動で自己紹介も出来ないでいた。
 何処で口を挟んでいいのか解らないのだ。
 鬼柳の相手を任されたスーツの男は、ニコニコしたままで鬼柳の隣の席に座った。
「自己紹介をしておこう。私は氷室馨と言う。先日は妹がお邪魔したようで」
 スーツの男が自己紹介したので、鬼柳はハッとして顔を上げた。
 そう、氷室馨、それは先日会った、透耶の従姉、氷室斗織の兄だ。玲泉門院の血を引く人物でもある。
「あ、あんたも玲泉門院の……」
 鬼柳がそう言うと、馨は頷いた。
「君が何を聞きにきたのかは、解ってるよ。誰でも相手の事は気になるだろうしね」
 馨はニコリとしてそう言った。
 このニコリは何だか危険人物の匂いがしたが、それは今は無視して、鬼柳は思い付いた事を言った。
「……あんたが約束の人か」
「当り」
 即答だった。
「何故そんな約束を強いたんだ?」
 鬼柳は強い口調で言ってしまう。あのせいで透耶はかなり苦しんだのを知っているからだ。
 だが、それにもおっとりとして馨は言う。
「強いたつもりはまったくなかったんだけどね。私がそういう考えでいるという事を斗織と透耶が嗅ぎ付けて、勝手に同盟を組んだ訳なんだ」
 まるで子供が勝手に作ったお約束だとばかりに馨は説明する。それこそ、鬼柳は信じられない。
「勝手にだって? あれほど強く枷になるほどだったのにか?」
「透耶は自我が強くてね。一度決めた事は守ろうとする。あの子の性格をもっと解っていたら、軽々しく言うべきではなかったと、今でも私は後悔しているよ」
 笑顔を絶やさない馨だったが、少し寂しそうな顔をした。
「私が誰も愛さないと決めたのは、私が愛する人が愛してはいけない、結ばれない相手だったからなんだよ」
 馨はそう言い出した。
「結ばれない相手?」
 馨の言葉に鬼柳は首を傾げた。
 馨は葵に似て、かなりの美形である。
 そんな男にそう思わせる程の人物がいるのかと驚いてしまう。
「私は、実の母親を溺愛していてね。結ばれるはずない相手だろ? だから彼女以外愛さないと決めた事が、どうやら誰も愛さないという意味になってしまったようだね」
「なるほど……」
 実の母親、玲泉門院朱琉を息子、馨は愛していた。
 だから、他の人を愛する気はなかったのだ。
 その意味を透耶は勘違いから、誰も愛さないと思い込んでしまった。
「失敗したとは思ったけど。説明するには、まだ透耶は幼くてね。母親を愛しているからと言っても、自分も母親は愛していると言い返してくるから、意味の違いを説明出来なくて」
 幼い透耶に説明するには、それは難しい事だった。
 透耶は自分の血と同じ、玲泉門院の人達を愛してやまない。同族を思う気持ちは鬼柳さえ入る事が出来ない程だ。
 その従兄が、母親を性の対象として愛しているなど、言えるはずはない。
 透耶にそれが理解できるはずもなかった。
「でも、強いたわけではないけれど、透耶にはいい事になった結果には喜んでいるよ」
 馨はそう言って微笑む。
「これほどいい男を落とすとは、なかなかなものだよ。透耶がここにいれば誉めてやるのになぁ」
 馨はのんびりとした口調でそう言う。
「あんたも抵抗はないのか……」
「あ、うん。そういう事を気にする身内はいないよ。どちらかと言えば、女の子だと困った事になるだろうという感じかな?」
「女だと困る?」
「出来ればなのだけれど。玲泉門院の血を後世に残すのは、よくないと思っていたからね」
「子供か」
「そう。私も自分の実の子は残すつもりはないんだよ。葵さんもそう、斗織も光琉も同じ気持ちだよ。こんな呪いを断ち切るには、子供を残さない方がいい。私達のような泣く思いをする事もない」
 馨に言われて、鬼柳は思い出す。
 透耶が泣いて、自分は呪われているから出来れば鬼柳に消えて欲しいと言った事。  
 愛しい人に呪いをかけてしまう事に透耶は罪悪感を覚えていた。
 本当は一緒にいて欲しい。
 けれど、もっと長く生きられるはずの人を、自分の欲で壊してしまう事は透耶にはかなりの決心がいる事だった。
 全部欲しいと透耶が言ったのは、呪われてしまうのならば、全てを貰って全てに責任を負おうというつもりなのだ。
「あんたたちは自分達で全てを背負ってしまおうというのか? 何故分け与える相手がいてはいけない? 自分だけ幸せでも誰も傲慢とは言わないだろう」
 鬼柳はそう馨に言っていた。
 透耶が幸せではないとは言わせない。
 しかもそれが自分のせいで更に不幸を背負い込んだなど言わせない。
 それによって、俺が不幸になったとは言わせない。
 鬼柳はそう思っていた。
「それはそれは」
 鬼柳の真剣な意見だったのに、馨は笑い出してしまった。
 何か変な日本語でも使ったのかと鬼柳が首を傾げていると、馨は済まないと謝ってから言った。
「透耶は幸せだろうねぇ。私達は思っている相手から、そう言って貰うだけで一番幸せなのだから。君は透耶に相応しい。そう言って貰いたかったのではないかい?」
 馨に指摘され、鬼柳は言葉を失った。
 まさにそうだった。
 自分が透耶を愛している自信はある。透耶から愛されている自信もある。
 他は関係と思ってはいても、透耶から親族や親しい人を奪うような結果になってしまう事だけは避けたかった。
 その為には、自分は透耶の側にいる事は相応しいのかどうかを気にするようになっていた。
 両思いになって初めて感じる不安、それがこれだった。
「透耶に不利な事になって欲しくは無いとは思っている」
 鬼柳が正直に言うと、馨は微笑む。
「強引そうな君が、そう透耶を気遣うとは、すっかり骨抜きなんだね。そして、君は透耶に幸せにしてもらっているという事かな?」
「……そうだな。透耶には幸せにしてもらってる」
 ストレートに答える鬼柳を見て、馨はやはり微笑んでしまう。
 きっと好きだ、愛しているという言葉を惜しみ無く与えているのだろう。透耶が不安にならないように、気を使って言葉を紡いでいる。
 鬼柳がどういう男なのかは、馨はもうとっくに知っていた。
 透耶が行方不明になってすぐに調べた。
 この男が透耶を拉致監禁紛いの事までして透耶を側から離さないのも知っていたが、判断は透耶に任せていた。
 この男は、周囲が何を言おうと興味を示さない人物のはずだった。それが透耶に出会って、透耶を大切にして、そして愛していた。
 そして透耶も心を許しているかのように、側を離れず、更には、辛い事を忘れたかのように微笑んでいる姿を報告書で見た時には、透耶は運命の人と出会ったのだろうと思った。
 あんなに笑っている姿を見たのは本当に久しぶりだったからだ。
 だから、この男に任せても大丈夫だと思った。
 そう思ったのは間違いではなかった。



「私が三人目と解って安堵した?」
 馨にそう聞かれて、鬼柳は頷いた。
 ただの勘違いから始まった約束ではあったが、その深部の部分の意味が解って鬼柳は安堵していた。
 約束はあってないものだった。
 ただ一人の恋がそうさせただけだった。
 それが解っただけで鬼柳は満足だった。
「確か、透耶の初恋の相手もその人だったな……」
 鬼柳はそう呟いた。
 透耶の初恋の相手を聞いた時、「伯母さんだったんだけど、もう亡くなってるしね」と答えられた。
 寂しそうにしていたのを覚えている。
 初恋相手が母親と同じ歳ではあったが、透耶は真剣だったはずだ。その伯母さえ、不幸な死に方をしている。今でも忘れられないと透耶は言っていた。
「ああ、それね。そうだね、あの子しっかり告白して振られたからねぇ」
 馨はそれを思い出して笑い出した。
 今思い出しても可笑しくて仕方ないという感じである。鬼柳はキョトンとして馨を見た。馨は笑いをなんとか収めると、鬼柳に説明をした。
「告白したのは、小学生だったからね。やんわりだけど、私の母だけあって、ちょっときつめかな?」
「きつめ?」
 どういう人なのかは写真でしか解らないから、鬼柳は聞き返した。
 透耶から伯母さんについては、すごくかっこいい人だったとしか聞いた事がなかったからだ。
「母にもずっと思っている人がいてね。その人には伝えてはなかったけど、あの子には教えて、それで好きにはなれないからと断わっているんだよ」
「過激だな。確か、透耶の母親の事だったろうに」
 透耶が好きだったと言っていた朱琉は、馨の母であり、更に朱琉は透耶の母親柚梨の事を深く愛していたのだ。
 それを小学生に伝える事すら異常なのに、それが透耶の母親であるという事がもう過激としか言い様が無い。
 普通ならそんな事を言ったりしないものだ。
 それをはっきりと言うのだから、伯母である朱琉は相当な人物だったと鬼柳にでも予想は出来た。
「でもあの子は納得したよ。自分の母親なら仕方ないって。それに母も振られたようなものだしね。反対に慰めてたくらいだから」
 ……透耶らしい……
 振られた直後に、振った相手の心配をするあたりが透耶らしい所だろう。
 だが、そうした優しさを持っているのも透耶なのだ。昔から透耶の内なるモノは変わってはいない。そう鬼柳は感じた。
「母はとても天真爛漫な所があってね。そういう輝きには誰もが惹かれてたよ」
 馨はそう自分の母親を説明する。
 本当に眩しくて仕方なかったという風に。
 今はいない人。それでもまだ心に残る愛おしい人として。
「だからって子供が母親に恋愛感情を抱くか?」
 思わずそう言ってしまう鬼柳。
 別に興味の無い話なのに、馨ののんびりさに思わずツッコミを入れてしまったのである。
「仕方ないさ。私は名目上は母と暮らしていた事にはなっているけれど、本当は殆ど母とは暮らしていないんだ。それに同族愛も強くて、複雑な感情なわけだよ。もう亡くなった人だから、私があの人以上の誰かを愛するという事はないね。そうハッキリ言える」
 馨はそう答えた。
 それは愛する人が亡くなっても、その人を思う気持ちは変わらないという事なのだ。
 馨が一途なのは、ただの個人の性質ではなく、透耶も同じ所をみると、玲泉門院の人間は、ただ一人の人しか愛せない性質なのかもしれない。
 呪いがあるがゆえ、人を見る目が養われているのだろうか?
 ただ不器用な人間にしか見えない。
「それは、あの葵という人もそうなのか?」
 葵が結婚をしない、最後の玲泉門院の名を継ぐ人物だと聞いている。結婚はしないのではなく、出来ないような恋をしているのではないかと思ったのだ。
 そうとしか考えられない。
 玲泉門院の人間が唯一の人しか愛せないとすれば、葵もまたそうであると鬼柳は思えた。
「ああ、そうだよ。葵さんもまた自分の姉を愛していたからね。同じ穴のムジナだよ」
 馨がそう言うのと同時に、部屋に着替えを済ませた葵が入ってきた。
「あ、てめーら、俺の事何か言ってやがったな」
 真っ黒な着流しで、煙管を弄りながら自分の指定の席に座った。
 馨は笑って葵が言った事を交わす。
「いえ、御希望通りにお相手してただけですよ」
 ニコリと微笑んでいる馨を見て、葵がジロリと睨み、鬼柳を見てからこう言った。
 何故か物騒な笑みである。
「こいつ、何でも笑って答えるだろう? だけど一番危険人物なんだぜ。お前と透耶の事、探偵雇って全て調べさせたんだからな」
 葵がそう言ったので、鬼柳は驚いた。
 自分が調べられているなどとは思ってもみなかったし、調べられている事にさえ気が付かなかったからだ。
 気付かれないように全て調べられていたのだから、鬼柳が驚かない訳はない。
「調べたのは本当だよ。でも問題はなかったからね」
 笑って問題がなかったと言われても困る鬼柳。
「そういう問題じゃねぇだろうが」
 目の前で葵と馨が言い合っているが、鬼柳は一人で考えていた。
 透耶の親戚にあたる氷室は世界有数の財閥家である。同族結束が強い玲泉門院が関わっている人物がいるなら、当然、突然行方不明になった透耶の行方を探したはずだ。
 非公式とはいえ、透耶が入院した時に居場所はバレたはずである。そこで透耶を連れ戻す事をしなかったのは、鬼柳の身元調査をして、危険はないと判断したか、透耶の様子からそう判断したのかもしれない。
 そこまで、計算づくで、問題ないと笑う馨は、ある意味危険人物である。
 ……透耶に自覚はないとはいえ、透耶も資産家だ。誘拐されたりする事だってあるんだ。
 今までは関係ない所での誘拐監禁だったとはいえ、そっちの可能性の方が高いんだ。
 そういや、エドが「氷室だけとは争いたく無い」と言っていたな。
 この不景気にさえ業績を伸ばす巨大組織。張り合うだけ無駄だとエドワードは思っている。見えない力でバリアしているかのような頭脳集団の一族からなる組織。
 その中の一人である馨も十分な危険人物だ。
 透耶をあの子と呼ぶ時点で、斗織同様にかなり可愛がっているはずだ。光琉の事は光琉呼ぶのに透耶の事はあの子と呼ぶ辺り、透耶は玲泉門院にとっても特別 な存在なのかもしれないと鬼柳は思った。
 その透耶を連れ回している人物となれば、徹底的に調べ上げたに違いない。
 だが、鬼柳にとってはその方が良かった。
 今更、自分の事を全て解って貰っているなら、身元の事など話さなくてすむからだ。
 道理で、すんなり家に上げると思ったとも納得が行く。
 ここでは鬼柳の素性を知らない人物はいないという事なのだ。
「しかし、透耶抜きで一人で来るとは、なかなかなもんじゃない?」
 馨がそう言った時と鬼柳はハッと我に返る。
 葵と馨が何か話している所だった。
 葵はチラリと鬼柳を見て言った。
「度胸があるのか、ただの馬鹿か。計りかねる所だが。透耶を抜いた方が聞ける話でもあると思ったじゃんねぇのか」
 葵が鋭い所を突いてきた。
「ああ、呪いの話なら、あの子抜きの方がいいかもね」
 馨も同調する。
 何か訳がありそうな顔をした二人に鬼柳は首を傾げた。
「何故、透耶を抜いた方がいいんだ?」
 確かに透耶が知らない呪いの話もあるだろうとは思ったが、透耶に知られたく無い事があるような言い方である。
 それが鬼柳には不思議だった。
「知らない方がいい事もあるだろう」
「もう少し時間が経てば、話す話というのもあってね」
 二人はのんびりとそう言った。
「まず。呪いの話は透耶から聞いているだろう」
 葵が話を切り出したので、鬼柳は頷いた。
「お前はそれを信じるか?」
 これにも鬼柳は頷いた。
「透耶は嘘でそんな話はしない」
 きっぱりと言い切った。
 すると葵はニヤッと笑った。
「いい返事だ」
 煙管を一服すると、葵は言った。
「どういう説明をすればいいのかは解らねぇが、俺達一族が短命である事は事実だ。科学的証明がされないでいるから、それを世間では呪いと言うだけだ」
 科学的証明が出来なくて、正体不明のモノを呪いと呼んだ。ただそれだけの事なのだ。だが、その効力は失われず、玲泉門院の血筋を確実に減らして行く。
「本当に40才になった年に死ぬし、それは事実だよ」
 馨が付け足すように言った。それに続けて葵が言う。
「遺伝的何かがあるかもしれないとは言えない。血族ではないモノまでにもそれは伝染するからな。まさに呪いと言うしかない現象だ。我々はそれを受け入れるしかない。抗った所で、無駄 であるのは、代々誰もが体験した事であり、それならば、それを受け入れて生きる方が楽な事もある」
 やはり透耶が語った事は事実で、そう伝えられてきているようだった。葵は専門的にも調べたのだが、結果 はこれしかなかった。
「諦めて受け入れる訳ではないよ。それが事実であるならば、受け入れた方がいいという意味だから」
 確かに馨のような考え方をすれば、もっと楽であろう。だが透耶は苦しんでいた。
 ここにいる二人は運命を運命として受け入れ、そうして生きている二人だ。
 だが、まだ幼い透耶には、それを受け入れる事が簡単には出来なかった。だから、不器用な生き方しか出来ないでいた。
 その分、まだ光琉の方が分っている。
 光琉はそれを運命として、誰とも愛し合わないと決めているようだった。透耶達の約束とは別 に、自分でそうしているかのようだ。
 ただ言える事は、光琉には透耶しか愛せない。
 鬼柳のような愛し方ではなくて、兄弟愛が異常に強い感じであるが、それでも透耶以外の誰も愛していると口にしないだろう。
 ここで変わっていると思うかもしれないが、光琉は光琉なりに真剣に透耶が幸せである事を願っている。それだけでいいとさえ。  
 だが、透耶が鬼柳を愛する事は、光琉は最後の1人として取り残される事になる。
 そして碌な死に方をしないのも知っている。
 口には出さないが、それでも光琉は覚悟している。
 自分はそれを見届けるのだと。
「透耶も光琉も、碌な死に方をしないと言っていた」
 そう透耶が気にしていたのは、これだった。普通に病気で死ぬとかではない。事故死にしろ、とにかく遺体を見せられるものではない死に方をすると透耶は言っていた。
 透耶は鬼柳がそうなった場合、鬼柳の両親に申し訳が無いと思っていた。そんな死に方をさせる為に愛し合うわけじゃないと透耶は思っていたからだ。
 真面目な透耶だから、自分だけ幸せならいいとは思わない。
 だから悩んで、泣きながらでも鬼柳に告白した。
 呪いの事も含めて全てを話してくれたのだ。
「確かにな。透耶達の両親の遺体はまだ見つかって無いからな」
 葵がそう呟いた。
「そうなのか?」
 それは鬼柳も初耳だった。
 透耶はそんな事一言も言っていなかったからだ。
「ああ、酷い飛行機事故だったからな。まだ遺体が見つからない者も沢山いた事故だった。俺の姉も、遺体の一部しか見つかって無い状態だ」
 それで透耶は墓参りをしない理由がハッキリとした。
 そこに両親の遺体はないから、透耶が墓にこだわる必要がなかったのだ。
 透耶の両親の乗った飛行機は、殆ど空中爆発なようなモノで、遺体発見すら難しい事故だった事は、鬼柳も知っていた。 だが、透耶の両親の遺体が見つかって無いとは思ってもみなかった。
 透耶が両親が死んだ事を受け入れるのに時間がかかったのは、そういう訳だったのだ。
 それで透耶が壊れていたと言っていた意味が解った。
 これでは、透耶が両親の死を受け入れる事は出来ないだろう。
 京都に戻って、まだ両親がいるかもしれないと期待する自分。そして本当に死んだのだと再度受け入れる事が透耶は恐かったのだろう。
 家を処分したのも、そうした期待をなくすため。
 戻らない人を待つ場所を残したく無かったからだ。
 光琉は割り切って考える方だが、透耶はそうではない。だから余計に辛かった。自分が起こした事で、両親は帰国しようとして死んだ。もしもっと気を付けていれば、両親はまだ長生き出来たかもしれない、もしかしたら寿命を全う出来たかもしれないと、透耶はどれだけ自分を責めただろう。
 呪いがあったとしても、その亡くなる原因が自分では、透耶がある期間壊れていたとしても不思議では無い。祖父までもが死んでいるのだから。
 鬼柳は涙が出そうになった。
 何故、透耶ばかりにこんな不幸が訪れるのだろうと。
 それなのに透耶はその全てを乗り越えようとしている。
 強い力がそこにはある。
 だが、その力を与えているのが鬼柳自身である事に鬼柳はまったく気が付いてなかった。
「透耶を可哀相と思うだろうが、それも運命。我々だけに訪れれる寂しさではない」
 誰もが愛しい人を亡くせば悲しいし、寂しい。
 透耶に訪れた事は特殊ではないと葵は言う。
「死は平等に訪れる。ただ我々だけに期間が設けられてるだけに過ぎないんだよ」
 葵の言葉に鬼柳はハッとする。
 何も透耶だけが不幸な訳じゃ無い。世の中もっと不幸な人もいるだろう。ただ透耶に与えられた呪いは、命の期限が生まれながらにあっただけの事。
 その考えを読んだかのように馨が言った。
「そう考えた方が楽だよ。その期間、どれだけ輝いていたのかによって決まる幸せだし。他人がどうこういう問題じゃない」
 そう、その期間、どれだけ幸せだったか。
 それさえ証明されれば、例え命が短くても、何も問題は無い。精一杯生きた証となる。
 死んだ後など関係ない。今が大切なのだ。
 透耶はその今を鬼柳と共に生きて行こうと決めた。
 その相手に選んだのは鬼柳だった。
 だからこそ、透耶が好きだ、愛していると言えば、それは自分の意志を確認して、鬼柳と生きるのだと考えている証拠だ。
 それを受け入れてやれる喜びを鬼柳は再度噛み締めた。
「透耶は今幸せなんだろう。それはそれでいいじゃないか。自分で選んだ事だ。我々が反対する理由など何処にも無い」
 葵は笑ってそう言った。
 やはり反対はされなかった事に、鬼柳は苦笑した。
 男同士であろうとも、透耶が幸せならそれでいいという考え方なのだろう。
 これは有り難いというべきなのだろうか?
「反対はやはりしないんだな」
 鬼柳の言葉に葵はニヤリとした。
「してほしいか?」
 葵にそう言われて、鬼柳は慌てて首を振ってしまった。
 冗談じゃないという所だ。
 透耶に好きだと言って貰えるまでに、どれだけ時間がかかった事か。そしてそれがどんなことより嬉しかった事か。
 それを考えると反対されたくはない。
 鬼柳があまりに真剣に首を振ったので、葵は苦笑してしまう。
「ま、冗談だが。俺達は自分の事で精一杯だ。誰も干渉はしない。だが言う事は山程あるんだがな」
 葵はそう言って、欠伸をすると首筋を掻いた。
 のんびりとした言い方だった。
「言う事?」
 鬼柳が聞き返すと葵は頷いて言った。
「お前、今透耶の側にべったりだろう?」
「ああ、まあ、そうだな」
 鬼柳は笑って答えた。
 今は本当にべったりとくっついている。
 だが、その笑いを打ち消すように、葵が言い放った。
「それをやめないと、お前、早死にするぞ」

 
 
「早死に?」
 意外な葵の言葉に、鬼柳は首を傾げた。
 早死になのは解っている事ではないか?と言いたい所だが、葵の言っている意味は違う。
「答えは簡単だ。結びつきが強ければ強い程、側にいる時間が長いと騒動がやってくる」
 葵がそう言う。
「騒動……」
 思い当たる節はいくらでもある。
 出会って数カ月で、透耶は二度も誘拐されているからだ。
「悪いが、馨が持ってきた調査は読ませて貰った。お前の友達とかがもみ消した事でも、こっちは把握している」
 そう言われて、鬼柳はドキリとした。
 それはメイドが起こした事件も含まれている事を意味していたからだ。
 そこまで調べあげる事が出来るならば、些細な出来事でさえも、玲泉門院には筒抜けなのだろう。
「お前らの繋がりは解る。一緒にいたいという気持ちも解る。だが、それでは一年と経たないうちにお前等は死ぬ ぞ」
 葵は衝撃的な事を言った。
 鬼柳はすぐには受け入れられなかった。
 暫く呆然として、それから再度聞き直した。
「一年だと?」
 まさか、そんな短い期間。
 信じられないと鬼柳は驚いていた。
 葵はため息を吐いて、それから鬼柳に解るように説明をした。
「ここ数カ月の騒動で解るだろうが。こういう言い方すりゃ解るか。透耶はタチが悪い。性格とかを言っているんじゃねえぞ。性質の問題だ。ただでさえトラブル体質な所に、お前が加わると、それが倍増される。だから死期は早い」
 透耶がタチが悪いと言われて、光琉の言葉を思い出した。
 光琉も同じ様な事を言っていた。
 玲泉門院特有の、それも人を引き付けてしまう力が強いのだという。望まないにしろ、周囲が透耶を放って置かない。
 その力がトラブルを呼ぶ。
 否応無しにそれはやってくる。
 それが鬼柳が加わって、更に増徴されている。
「俺が加わって倍増?」
 これが鬼柳には訳が解らない事だった。
 自分が加わってどうにかなるのは、寿命の話なのではないかと。
 だが、葵はそうではないと言っている。
「お前もかなりのトラブル体質らしいしな。やってきた事が事だけにトラブルがなかったとは言わせないぞ」
 言われて鬼柳は黙った。
 確かにトラブルがなかったとは言えない。
 周りで殺傷事件やら色々起こってはいたが、自分には関係ないと興味すらなかった。
 エドワードには散々注意されていたが、それをトラブルとは思ってなかったから全て聞き流していた。
 でも透耶を巻き込まなかったとはいえ、ついこの間も刃物を持った小僧に襲われている。メイドの件もそうだ。自分に向けられた好意が、透耶に牙となって襲い掛かる。
 自分の解らない所でどうなっているかなど、考えもしなかったが改めて言われるとそうなのかもしれないと思ってしまう。
 こうも似たような忠告をされると、今の鬼柳は真剣に考える事が出来る。
 それも透耶の為にと思うと余計にそうだった。
「仕事があるなら、さっさと仕事へ戻れ。簡易なもんじゃねえぞ。お前がやってきた、逃げたものの事を言ってるんだ」
 そう指摘されて、鬼柳は目を見開いた。
 葵が言っているのは、報道の仕事の方の事だ。
 逃げてきたモノ。だけど辞めると決めてからもまだ決心出来て無いモノ。
 報道のカメラマン。
 辞めようと思っていた所で透耶に出会った。
 まさに運命としかいいようのない出来事で、鬼柳は正式にはまだ報道カメラマンをやめてはいなかった。
 それにカメラを使っていると透耶はいつも嬉しそうにしてくれる。それが嬉しくて、とうとうカメラを手放す事が出来なくなっている。
「内情は知っている。だが、お前もまだ未練があるんだろう。だから他の仕事をしようとは思わないのだろう」
 そう指摘され、鬼柳は目を瞑ってしまった。
 まさにその通りだった。
 辞めようとしても、どうしてもハッキリと辞める事が出来ない。
 報道という仕事は好きではないが、自分が仕事をするとして、思い付くのはそれしかなかった。
 ただ興味半分で始めたモノだったが、捨てられない訳もあった。捨てようとして、透耶に出会ってしまった。まるで捨てるなと言われたような気がした。
 それからずっと気になっていた。
 戻るなら、きっと報道という仕事だろうと。
 葵はそれをやれと言っているのだ。
 だが、透耶の側を離れたく無いというだけで、今はそれを見ないようにしている。
 離れている間に透耶を失ったらと考えるだけで、恐くて動きだせない。
 けれど、そうならない為に距離を置けと葵は言っている。
「お前が逃げている限り、透耶の寿命は短いな」
 葵が止めを刺すように言い切った。
 それに馨は苦笑する。
「葵さん、そういう言い方はよくないと思うよ」
「ストレートに言ってやってんだ。下手に遠回しに言って勘違いされたら意味ねぇだろうが」
 くだらないとばかりの言い方をする葵。
 選ぶなら一つしかない。それを迷う事が鬱陶しいとさえ葵は思っているのだ。
「だけど彼も悩んでいるんだろうし」
 馨は考える時間くらい上げてもいいだろうと言うが葵はそれにいら立ちを見せる。
「悩む期間は終わりだ。いつまでもぐだぐだ悩んでも仕方ねぇだろう。さっさと決めてしまえ」
「葵さんじゃないから」
 葵なら迷わず戻るだろう。
 この男はそういう男だ。
 大切な物を守る為なら何でもする。
 そう、玲泉門院の名を唯一継ぐ男は、愛する人を守る為になら何でもやってのけるのだ。そうした所は馨も変わらない。
 愛する人を守る為に、氷室という組織に身を投じているのだから。
「透耶が心配だから遠くに仕事に行けないなんざー、馬鹿げた理由だと教えてやってんだよ。俺等は、近くに居過ぎると駄 目なんだって教えてやってんだよ」
 葵は忠告はした。だが、それを信じるか信じないかは鬼柳が決める事であると突き離している。
 選ぶのは、一つしか無いと経験上言える。それでも別の運命を選ぶのも鬼柳の自由である。
「近くに居過ぎると駄目なのか?」
 鬼柳は誰にでもなしに聞いていた。
 それに馨が答えた。
「うん、まあ、そうだね。離れている方がお互いの為になるというか。短命であろうとも、寿命までは生きられると思うよ」
 それに続けて葵はまた毒を吐くような事を言った。
「お前らは相性はいいだろうが、性質的に悪い。お互いがお互いを必要とし過ぎて、のめり込んで、いずれ自滅するタイプだ。だから少しは離れろと言っている」
 そう言われて鬼柳は思い出す。
 本格的な仕事ではないにしろ、透耶と少し距離を置く形になったエドの仕事を手伝っていた時、透耶の周りでは何も起らなかった。
 平穏で、過ごしやすくなっていた。
 それは事実だ。
 鬼柳が透耶を束縛し出した時に限って、何か事件が起っている。それは否定出来ない。
「命令じゃねぇから、どうするかは自分で決めるしかねぇだろうが、一応忠告として聞いておけ」
 葵はそう言って煙管の草を変え始める。
「葵さんから言われると、命令されてる気がするけどね」
 馨は笑ってそう言う。
「そう思うのは、思い当たる節があるって事だ」
 葵は素っ気無く返す。
「経験上の事を言ってるだけだろうが。アドバイスしていると言ってくれ」
 葵の言葉を聞いて、鬼柳はまたも悩んでしまう。
 葵はちゃんとしたアドバイスとして誰も言わない事を言ってくれているのだが、毒があるような言い方なので素直に聞けない。
 それは本当にそうなのかと疑ってしまう。
「呪いの効果はそんなにもあるのか?」
「あるとしか言えない」
「離れた方が透耶の為になるのか?」
「お前の為にもなるだろう」
「俺?」
 自分の事を言われて鬼柳はキョトンとする。
「お前がいなきゃ、透耶も生きて無いだろう。同時に死ぬとは言われているが、もしその事が例外としてなかっとしたら、透耶は確実に生きてないだろう。お前と生きる為に透耶は最後の大切な人としてお前を選んだんだ」
 そう言われてハッとする鬼柳。
 透耶が鬼柳を選ぶのに、随分時間はかかった。
 心は許していても、透耶はいつでも逃げ出せる準備をしていた。鬼柳を欲しいと言った時、透耶は本当に告白するのはこれが最後だと思っていたはずだ。
 一緒に生きる為に一緒にいるはずなのに。
 もし鬼柳がいなくなったら、透耶は生きてはいないだろう。それくらに鬼柳を大切に思っている。
 今度大切な人を失ったりしたら、透耶はもう駄目だろう。まさに今は鬼柳の為に生きている。その糧を失ったら終わりだ。
「そもそも呪いなんてモノに捕らわれるモノではないと言いたい所だが、こっちの呪いは本物だからな。出来る範囲で忠告は出来る」
 葵はそう付け加えた。
 呪いの謎は解らないままだが、今までそうした事実が続いている限り、呪いの効果 は変わらない。
 葵達はそれを身を持って体験してきている。
 そう斗織にも言われた事だ。
「忠告……」
 鬼柳はその忠告を聞くべきなのか迷ってしまった。
 もしかして、透耶と離させる為に言っているのかもしれないと疑ったからだ。
 同族愛が強い一族だから、透耶に不利になる事は排除しようとしてのセリフとも考えられる。
 透耶は葵の言う事なら何でも聞きそうな雰囲気だ。
 だが、全部が本当の忠告ならば、自分はその言う事を聞いた方がいいだろう。 
「あんたの言う事は、何故か透耶を助けたいから言っているように聞こえる」
 鬼柳は正直に感想を洩らした。
 すると葵はニヤリとして答えた。
「当り前だ。透耶を助けたいと思って言っている。だが、それに連動しているお前も助けたいと思っている」
 葵はそう言った。
 きつく言うのは、何も透耶だけを助けたいから言っているのではなく、鬼柳も助けたいから言っている事なのだ。
 誰もきつく意味を教えないから、葵がそれを教えているだけだ。
 代々続いた玲泉門院の名を継ぐモノがその役目を持って行って来た事である。
 その役目を葵は務めているだけなのだ。
 透耶がいない方がいい、知らない方がいいというのはこういう話になるからだったのかと鬼柳は思った。
「まあ、こういうのが俺の役割でね。透耶はそれを解っていてお前をここへ来させたんだろう」
 葵はそう言った。
「透耶が?」
「透耶が言いたい事は一つしかないだろう。お前に仕事をして欲しいという事だろう。ずっと一緒にいたいのは解る。解るが、それでは駄 目だと思っている。だが中々言い出せない。お前が遠くへ行ってしまう事、そして長く会えなくなることになるのに、それをはっきりと言い出せる訳はない」
 透耶が言いたい事を葵が代弁しているのである。
「それは考えている……。透耶が言い出せないのも解ってる」
 鬼柳はそう言った。
 透耶が最初の頃、何度も仕事の事を言い出すのはどうしてだろうと思っていたが、それはこれを意味していたのだ。
 だが、長く側にいると離れたく無いという気持ちが勝ってしまって、中々言い出せなくなる。
 だからこそ、その決心を固める為に、京都へ来る必要があった。
 出直しではないが、透耶は鬼柳にも自分と同じように前に進んで欲しいと願っている。
 それは解っている。
 解っていて、自分が甘えている。
 透耶が言い出さない事をいい事に甘えている。
 だが、それを考える時期になっているのかもしれない。
 透耶が与えてくれた時間。
 それを鬼柳は大切にしたかった。
 透耶は優しいから、自分から考えだせるようになるまで待ってくれた。今度は自分が透耶に告げる番なのだろう。
 透耶が告白してくれたように。
「何だかんだ言ってもラブラブなんだよねぇ」
 馨がそんな事を言い出した。
「今頃、お前が言うな」
 葵がツッコム。
「だって、お互いの事思って必死だからさ。羨ましいや」
「だったらお前も男に走れ」
「残念だけど、そこまで思える程、私は熱くなれないんだな」
 馨はそう呟いた。
「そうだ。何か聞きたい事があったんじゃなかったっけ? こっちが勝手に話進めたんだけどさ」
 話を逸らすように、馨が鬼柳に言った。
「いや、玲泉門院についての事を聞こうと思ったんだが。もういい。見ていて解った」
 今更詳しく聞く必要は無いと鬼柳は判断した。
 玲泉門院葵を見て、更に全関係者に会ったのだから、何者かという部分は解消された。
 玲泉門院は呪いを受け入れ、更にそれを浄化する為に生きている一族なのだ。
 誰も愛さないと決めたのではなく、誰か唯一の一人を愛する事しか出来ない不器用な人達だった。
 謎は多いが、素性はそんなものだ。
 玲泉門院について、鬼柳がこれ以上知る必要は無い。
 ただ透耶を愛していれば、それだけで十分だと解った。



 話を聞きにきた鬼柳が帰る時、執事の迦葉が耳打ちするように鬼柳に言った。
「主人はあのように口が悪うございますが、根は正直な方です。今日の話は全て本音で話してらっしゃいます」
「本音だったのか」
 鬼柳はそう聞き返してしまった。
 葵の言う事は解るが、透耶や光琉は曲者だから、本音を話すとは言えないと言ってたくらいだ。
 だから何か裏があるのだろうと思っていたが、鬼柳的には、なにか考える機会をくれた人という印象があった。
「ええ。私がこういう事を言うのは何でしょうが。どうか透耶様とお幸せになられてください」
 執事の迦葉は、透耶を心配する一人だった。
 ここでは、透耶はかなり愛されている。
 それが解って、鬼柳は何故か自分の事のように嬉しかった。
「ありがとう」
 そう素直に言葉が出た。
 透耶は逃げ出した場所でも、ちゃんと思ってくれて、待ってくれている人が沢山いる。
 自分を含めて、その幸せを願ってくれる人が沢山いる。
 それは力強くさせるものだった。




 帰りにタクシーを拾うのに、鬼柳は大通りまで歩こうと思った。透耶の元自宅もこの辺のはずだと知っていたからだ。
 透耶が暮らした場所はどんな所なのか興味があった。
 今は透耶の全てを知りたい。
 透耶の為になるなら、どんな事でもしたいと思っていた。
 離れる事が透耶の為になるなら、それも考えなければならないだろう。
 一緒に生きると約束をした。
 生きる為にしなければならない事がある。
 そう鬼柳が考えている時、前から一人の男が歩いてきた。
「あのー、済みません」
 通りすがりに話し掛けられて、鬼柳は振り返った。
「ここら辺に、玲泉門院という屋敷があると聞いたんですが」
 そう言われて、鬼柳はその場所を教えようとした。
 しかし、いきなり後頭部を何かで殴られた。
 急激な痛みを感じて、地面に平伏した所へ、もう一度何かが振り落とされ、衝撃を受けた鬼柳はそのまま気を失った。