switch101-95 ビートルズ

「ビートルズ?」
 窓際で、椅子に座っていた鬼柳さんがそう言い出した。

 ちょうどお昼になった頃で、今日は俺は定休日。

 久々に遊びに来てくれた友人は鬼柳恭一と、榎木津透耶、そして真貴司綾乃の三人。
 子供の二人は後部座席でぐっすり寝ている。

 助手席には鬼柳さんが座ってラジオから流れる曲に首を傾げていた。

 今日は、皆が休みの日で、少し遠くのサファリパークまで遠出をしてきた帰りなのだ。
 喜んだのは子供二人であるのは確かである。

「ビートルズだね。好きなのか?」
 俺はそう尋ねた。

 この鬼柳という男が何が好みなのか解らないのだ。

 ただ解る事は、榎木津透耶を愛しているという事だけで、日常な事は殆ど話し合ったことはない。

 ここまで相手の事を知らないのに、友達だと思っているのは珍しいかも知れない。

 少しの付き合いでも、何が好みかなんてすぐに解るはずなのに、この男の事は殆ど知らない。

 俺が知っている事は、透耶の身体の事くらいだ。
 俺は医者だから、透耶に何かあると、鬼柳さんは俺を頼ってくれる。

 それは嬉しい事だ。

 友達だと口にしていても、こういう時程頼りにして欲しいってもんだ。

 俺は要領良くやれているらしい。

 相手に負担にならないように、そして頼りになる者としては成功しているようだった。

 で、助手席に鬼柳さんを座らせたのは、色々と話したい事があったはずなんだけど、鬼柳さんは、透耶が寝てしまうと、とたんに無口になってしまった。

 元々無口な方らしいから、これは仕方のない展開なのかもしれない。

「ビートルズ好きなのか?」
 返答がなかったので俺はもう一度聞いた。

「いや、好きじゃないな。寧ろ嫌いな方」
 普通、音楽を好きといえば、ビートルズを嫌いな人間にはそうそうお目にかかった事はない。

 嫌いな方と言われて俺は少し驚いた。

「嫌いな方? なんで?」
 俺は再度問う。何故嫌いなのか聞きたかったからだ。

「前の友達がビートルズが好きだったんだ。で、俺も嫌々ながらそれを聞かされる羽目になった。でもそいつは病気で死んでしまった。だから、ビートルズを聞くと、そいつの事を思い出す。それが嫌なんだ」
 鬼柳さんはそう答えた。

 昔のトラウマとでも言えばいいのだろうか。
 音楽と一緒に映像がくっきりと残ってしまっているのだろう。

 そういうことはよくあることだ。

「そうか、なるほどね」
 俺は納得した。

 でも、この男の好きな音楽って何なんだろう?
 そういう興味を惹かれてしまう。

「今は何が好き?」

「特に好きなのはないな。透耶が聞いているのなら、「ウナイ」かな」
 それを聞いた俺は笑ってしまった。

 ここでもこの男は透耶を優先してしまっている。
 透耶が好きだというモノならなんでも好きになってしまうんじゃないだろうか?

 そんな気がしてきた。

 もしかしてそうなのか?と俺が聞くと、鬼柳さんはうーんと考えて答えた。

「透耶が好きなのは、結構好きかな。透耶のセンスいいから、俺でも聞けるしな」
 平然として惚気話しをする鬼柳さん。

 ホントに透耶にベタ惚れなんだなあと再確認する。

 それでも、その好きは透耶の重荷にはなっていない所が配慮ある所なんだろうなと思えてきた。
 透耶からそうした鬼柳さんの愚痴は出て来ない。

 二人は喧嘩もするけど、それだけ仲がいいというところだし、夫婦喧嘩は犬も食わぬ というだけあって、最近ではほっとくに限るんだよね。

 有線からは、ビートルズ特集と名を打って、次々にビートルズのヒット曲が流れているが、鬼柳さんはもう聞いていなかった。

 後ろを振り返って、寝ている透耶と綾乃を眺めて微笑んでいる。

 今はこの二人が大切だと思っているのだろう。
 そんな空気がよみとれる。

 俺もいつか、そういう風に誰かを愛する事が出来るのだろうか? 何よりも大切だと思える人物に出会えるのだろうか?

 そんな事をふと考えてしまったのだった。

*一人称はヘンリーさんです。