switch101-100 貴方というひと 鬼柳編

 最初に出会ったのは海だった。

 夕暮れ時のまだ気温が低い時。

 少年が海に向かって歩き出したのを止めた時、初めてはっきりと顔を見たのだった。
 とても綺麗な顔をしていて、身体も細かったのを覚えている。

 抱き心地は最高。小さな少年に俺は一瞬で恋に落ちた。
 くるくる変わる表情。それが凄く可愛かった。

 名前は榎木津透耶と名乗った。
 透耶は綺麗な声をしていた。凛としていて、それが印象に残る。

 水に濡れたまま、そのまま自分が借りていた別荘へ連れて帰り、俺は珍しく手を付けないだろうと思ってた思いとは裏腹に、透耶を抱いてしまった。

 こんな幼い少年を抱くのは初めてだったし、なにせノンケなのは一目瞭然だった。
 それでも俺は手を出さずにはいられなかったんだ。

 抱いた透耶はとても綺麗だった。
 今でもそれが忘れられない。

 誰にも渡すものかと思った。
 誰にも見せずにこのまま監禁してしまえとさえ思った。
 実際その通りにした。

 透耶は何度も逃げようとしたけど、そのうち諦めたかのように大人しくなった。俺が怖くて逃げていたんだけど、少しは俺の優しさも伝わったのだろうか。

 透耶の質問はいつも俺を惑わせた。
 好きだから抱くというのも透耶からしたら信じられない事らしいけど、俺はそれを無視した。

 本当にこんなに誰かに夢中になったのは初めてだった。
 榎木津透耶という少年は、俺には眩しいくらいの存在だった。

 けれど、それ故に過去に何かあったのだと思わせる部分もあった。
 透耶の手首の傷に気が付いたのは、かなり後になってからだった。綺麗な身体に傷を付けた経緯を知りたかった。でも問うたところで透耶が俺に話してくれるとは思えなかった。だから中々聞きだせなかった。

 それから透耶は誘拐されたりして、身体を崩していた。
 俺はその時、必死になって透耶を探した。

 もう二度と会えないかもしれないと思うと、それが物凄く怖かったのだ。
 透耶を失うのがこれ程怖いと思ったのに俺は驚いた。

 その時には、透耶なしでは生きられないようになっていたのだ。本当なら透耶に俺なしでは生きて行けないようにしようと思っていたのに、俺の方が透耶なしでは生きて行けないようになっていたのだ。
 そして愕然とした。

 こんなに人が愛おしいと思ったのが初めてだったから。

 それから沖縄へと透耶を連れ去った。
 沖縄に来てから透耶はみるみる元気を取り戻して、俺の前でも凄く笑ってくれるようになった。それは素直に嬉しかった。

 透耶の笑顔は俺にも笑顔を分けてくれる。そんな気がした。
 そして、沖縄で、透耶の過去を知る事になった。

 透耶はピアニストだった。でもそれを全て放棄した理由をも話してくれた。
 こんな俺に透耶は罪の懺悔をしてくれたのだ。
 俺がそれを受け入れる事ができると思ってくれたからだろう。
 それは凄く嬉しい事だった。

 だって、それは透耶が俺の事を信頼し、信じてもいい人間だと認めてくれたから話してくれたんだと思えたからだ。

 そして透耶は、俺の為にしかピアノを弾かないと言ってくれた。
 それは透耶から答えが貰えなかった好きよりももっと嬉しいモノなのかもしれない。

 過去を話した透耶は、それからますます輝きだした。
 あんな辛い思いをしたのに、それでも透耶は前向きだった。

 でもまだ好きの答えは出なかった。

 それから俺が透耶を壊しかけたりしたが、透耶はそれでも俺といる事を選んでくれた。
 もう駄目だと思ってた俺には意外な展開だった。透耶の心は手に入ったのだろうか。そう思わずにはいられなかった。

 そして沖縄ではいろんな人の支えがあって、とうとうあの暑いアスファルトの元で透耶は俺に告白をしてくれた。

 初めは聞き間違いかと思った。
 透耶の言葉をもう一度聞き直して、俺は歓喜した。

 俺の思いが透耶に伝わったのだ。
 本当に嬉しい事だった。

 俺は不覚にも泣いてしまいそうになった。

 誰かに思いを伝えるのは初めてだったし、両思いになったのも初めてだった。

 あの日、偶然に出会ってから一ヶ月。この時は忘れないだろう。


 東京に戻ってから一緒に暮す事になった。そこで俺は沖縄では話せなかった、自分の過去を透耶に話した。辛い逃げたい事。透耶は黙ってそれを受け入れてくれる。俺が言葉に詰まったら、透耶は優しく導いてくれた。俺が透耶の前で泣いたのも初めてだった。誰の前でもこの話をしたって泣かないと思っていたから、恥ずかしかった。でも透耶は受け入れてくれた。

 それは本当に癒しであって、同情ではなかったことが俺の心の闇を溶かしてくれたのかもしれない。

 他にも家族の事も話した。透耶はやはり黙って受け入れてくれた。
 優しい透耶は、俺がどんな話をしても、やはり黙って笑って受け入れてくれる。

 それは何よりも嬉しい事だった。

 透耶はどんどん綺麗になって行く。
 俺はそんな透耶に似合うようになりたかった。

 透耶を通じて様々な出会いや苦労があったけれど、どれも思い出になる。

 そうして過ごす事が楽しかった。
 透耶の側にいられる事が嬉しかったんだ。

 やがて、俺は透耶の側を離れる事になる。
 それでも俺の気持ちは透耶も知ってる通り、ずっと側にある。
 どんなに遠く離れても、心が離れる事はないと自信が持てるようになった。

 透耶、俺は変わっただろうか?
 透耶は随分変わったよな。

 未来を見据えて、過去は過去として改め、俺が落ち込みそうな時は必ず手を貸してくれた。

 本当に愛おしい人。

 世界に一人だけの人。

 愛してる。

 その言葉しか浮かばない。