恋愛感染エゴイスト-6何を思ふ

「も、ほんとにいい加減にしろよ」
 散々抱きついてくる三沢を蹴り飛ばし、弥斗(やと)はやっと自由になる。
 朝から晩までずっと三沢が張り付いてきて本当に邪魔だった。

 三沢は暇さえあれば弥斗で遊ぶ癖がついたのか、仕事をしている時は弥斗が何をしても全然反応しないのに、それが終わると人が変わったように弥斗に構いまくる。
 その豹変は見た人が驚くほどのモノであるは確かだ。

 最初から弥斗には優しい部分を見せてはいたが、仕事をしている時の顔は冷たい人を想像させるには十分だった。けれど弥斗はそんな三沢を見ても最初に感じた冷たさを感じなくなっていた。

 三沢が本当は優しいことを知っていたし、酷いことをしてくるけれど、それ以外は本当に優しかったから、気になるほどではなくなってしまっていた。
 ここに来てから何日経ったのかわからない。二週間? いや三週間くらいだろうか。

 そんなに長く他人と一緒に居たことはなく、一緒に風呂に入ったり、寝たりなんてこともしたことはなかったから、弥斗は段々三沢がしてくることに慣れて許してしまっていた。

 本当は駄目だといいながらも体を許しているのは本心では嫌がっていない証拠かもしれない。

 唯一外の空気を感じられる場所に出るのは、弥斗が暑い日が苦手だから夕方過ぎてからになる。
 暗くなるのを待って外に出て、海風を浴びる。
 月が出ているけれど、月齢なんて知らないから、ただ綺麗だと眺める。 

「綺麗か?」
 三沢がそう笑いながらソファから呼びかけてくる。弥斗は振り返って答える。

「家に居るときなんてあんまり空を見なかったから、なんか懐かしい感じがして」
 妙な言い方になってしまったが、三沢はすぐに分ってくれたのか、酒の入ったコップを持ってやってくる。
 何をするでもなく隣に立ち一緒に空を眺める。

「……確かに、そんな余裕なかったな」
 三沢はそんな感想を漏らす。

「三沢はそんなに忙しいのか?」
 今まで空を眺める余裕すらなかったという三沢に弥斗は少し興味を覚えた。
 そんな三沢は苦笑して話し出す。

「私が捨てられてたのは、ちょうどこの近くだったんだ」
 いきなりの告白に弥斗はびっくりして目を見開いた。けれど三沢の視線はずっと先にある月を見つめている。

「三沢というのは、その後に引き取られた家に養子に入ったからで、私には名前すらなかったんだ」

「名前がなかった?」

「そう、名前さえも付けて貰えずに捨てられたというわけだ。名前を付けてくれたのは、君のお祖父さん。久弥様だ」
 そういう風に繋がっているとは思わず弥斗は驚いた様子で三沢を見上げていた。三沢は別に聞かせるつもりはなかったのだが、なんとなく口から滑った言葉がこれだっただけに、そのことを話してしまっていた。

「慶樹(けいじゅ)というのは、ちょうど三沢家に引き取られることが決まった時だった。それまで名前はなく、ただの赤ちゃんと呼ばれてたそうだ。私は覚えてないから別に名前がなかったことなんて気にしてなかったが、やはり捨てられた子供がちょっとでも有名になると余計なことを吹き込む人間がいてね」

「……何があったの?」
 弥斗はその先を聞きたくて仕方なかった。好奇心ではなく、三沢が何となくではあるが自分の正体を明かしてくれることが嬉しかったのだ。

「隣に住む友人の親がね、俺がいることに気づかずに、俺なんて名前もなかった捨て子なのにって罵っていたのが原因……俺が優秀過ぎた結果みたいだったが、どうでもいいことを理由に人を見下したかったのだろうな」
 三沢はそう苦笑する。小学生の時から養子だったことは知っていた。けれど名無しの捨て子だったことは知らなかった。そんなことは誰も言う必要はないと思っていただろうし、三沢家も引っ越しをしていたから誰も知らないはずだった。

 たまたま知り合いの知り合いがという関係で、三沢が捨て子だった事実を隣のおばさんが知っただけのこと。
 三沢は小学生ながらに冷めていたが、更に心が冷めてしまった。

「両親にはちゃんと事情を聞いた。私は名無しの捨て子だったのかって。確かにその通りであるが引き取った過程はこうであるとも教えてくれた」

「引き取った過程って?」

「君のお祖父さんが私を拾ってくれて、ちゃんと養子にもらわれていけるように保護してくれたそうなのだ。名前をつけてくれたのは両親が頼んだからだそうだ」
 そう言われて弥斗はふと考える。その時に弥斗はまだ生まれてないし、祖父の唯一の子供はまだ高校生くらいだったはずだ。なぜ三沢を自分が引き取らなかったのだろうか?と思ったら先を越された。

「久弥様が私を引き取らなかったのは、何も責任をどうしたこうしたではないよ。ただ久弥様と綾子様が上手くいってなくてね。ただでさえ綾子様との関係が複雑なところに赤ちゃんを引き取る余裕がなかったんだよ」
 そう三沢は笑って言う。そして弥斗の母親綾子とは何度か逢ったことがあるのだという。

「久弥様が時々私を家に呼んでくださってね、その時は綾子様もいてくださって。それにね、綾子様の家出を手伝ったのは実は私だったりするんだ」

 弥斗の母親は結婚を反対されたことで家出をしていた。それを当時15歳くらいだった三沢が手伝ったという。
 三沢の家に用事で行くようにし向けて、徐々に荷物を預かり、そして最後には本当に家出してしまったのだ。
 そうして見事に出て行ってしまった母を当時の久弥は怒ってはいたらしいが、その後子供が生まれて幸せに暮らしていると知った時は、もう放っておこうとしたそうだ。

 それから数年で父親が亡くなり、母は苦労しながらも弥斗を育てようとしたが、ある日病気になり入院すると、もう弥斗を他に預ける場所がないと祖父を頼った。

「君を見たのは、ちょうど君が五歳のころかな。不安そうにしていて、とても可愛かったのを覚えている」
 確かにあの時は不安でどうしようもなかった。母親は入院して自分はどこにも行く場所がなかった。そこに祖父が現れていきなり大きな家に連れて行かれ、今日からここに住むのだと言われたからだ。

「た、確かにあの時はちょっと怖かった……でも三沢居なかったよな?」 
 あの家に居るときは一度も三沢に会ったことはない。記憶をさかのぼっても一度もないことは確かだ。三沢に初めて会ったのは、ここ数週間前のことだ。

「君には会わないようにと配慮されていたからね。でも私から君を見つめることは出来たよ。学校の行事にちょっと観に行ったり、登下校を眺めたりね」
 三沢はにっこりとしてストーカーの遍歴をこともなげに言い放った。

「……お前、そんな前からなのか……」
 唖然としている弥斗に三沢はにこりとして頷く。
 りっぱな犯罪者になれそうなくらいにショタコンだったようだ。
 よくぞ二十歳過ぎまで待ったものだ。

「それなりに生きていけるように、一人でも生きていけるようになるには、それは結構大変でね。資格もいるし、弁護士でも色々種類があるしでね。そんな勉強をして待っている間に君はどんどん大きくなった」
 そう言って三沢はすっと弥斗の髪を撫でる。

「イメージ通りに可愛くなってくれて。そのまま育って欲しいところはそのまま育ってくれて。久弥様は本当に子育てが上手な方だなと関心したものだ」
 そういうけれど、肝心の娘に逃げられているのではお粗末である。

「でも母さんに逃げられてるじゃないか」

「それはそれ。それとして教訓にして生きてこられたということだろう。最後には親泣かせだったかもしれないが、知らないところで亡くなったわけでもないし、幸せに生きて子供までも残してくれた、綾子様は立派に親孝行をしているよ」
 三沢はそう言ってまだ弥斗の頭を撫でている。

「綾子様だって久弥様とは仲違いしていたが嫌っていたわけではない。その証拠に、君の名前にはちゃんと久弥様の名前の一文字が使われているだろう?」
 そう言われるとそうだなと思い出す弥斗。母親からは祖父の話は入院するまで聞いたことはなかったが、悪口さえも聞いたことはない。

 ただ母親が最後には申し訳ないと謝っていた姿だけは知っている。奔放に生きてきて最後は結局親に縋る自分が情けなかったのだと今ならよく分る。祖父だってそれは分っていたはずだ。
 手元に大事な娘と孫が戻ってくるなら、どんな形でも受け入れることが出来るほど、祖父は偉大な人だった。

 弥斗は今まで厳しい祖父に反発して生きてきたが、そんなことさえ忘れてしまうほど愚かな人間だったことを恥じた。
 そしてそのことを説教するでもなく、自分の身の上話としてさらっと言ってくれた三沢も本当は凄い人なのかも知れないと思うようになった。

 人は何もないところからでも、些細なことをきっかけに繋がっていくことが出来る。
 そんな重大なことを教えてもらったような気がする。

 三沢が頬に手を当てて撫でてくる。冷たくて気持ちが良い手だなと身をゆだねていると、三沢がハッとしたような顔をして弥斗の額に手を当てた。

「君、熱が……」
 三沢の驚いた声に、弥斗はん?と首を傾げた。

「熱?」
「自分でも分らないのか?」
 そう言われていきなり抱きかかえられたが、反抗するような力がなかなか出てこないのが熱がある証拠だったようだ。

 そのままベッドに運ばれて、熱を測ってもらうと、38度を超えていた。

「寝てなさい。今すぐ冷やすものを持ってくる」
 普段のゆったりとした三沢の行動とは思えないほどの慌てように、ちょっと弥斗は面白いと思うようになった。
 熱があるからなのか分らないが、いろんな話を聞いて、三沢に対しての心が開いていくような感じがした。それが悪い方ではなく、良い方に良い方にと開いていくのだ。

 それがなんだか心地よくて、弥斗は心を素直にしようと思ったのだった。