Hello.Hello-6
「失いたくものってなんだ?」
伸哉の言葉にアリスはハッとする。
「……あの」
「あの?」
伸哉がアリスの顔を覗き込む。
アリスは一瞬口ごもって更に下を向く。
だが更に伸哉はアリスの顔を覗く。
「……あ、貴方です」
そう答えたアリスに伸哉は優しい顔をして微笑む。
「そんな可愛いこと言うなよ」
「……だ、だって」
そうして伸哉がアリスの頬をそっと包んで顔を合わせた瞬間にアリスの泣きが入った。
「もう勘弁してください、更織(さおり)さん!」
ぐったりしてアリスがそう叫ぶと、伸哉はふうっと溜息を吐いて、傍にあった煙草を掴み一本取って火を付ける。そして一服して目の前にある原稿を見てぶっと吹き出す。
「なんで、こんな展開から、こんなゲロエロに突入すんだよ」
腹を抱えて笑う伸哉に、アリスは顔を真っ赤にしていた。
そのゲロエロという物を更織に渡されて真っ先に読まされた挙げ句、目の前で演技をしろと言われてやってしまったのだから。
「なーに言ってんの。世の中のお嬢様たちの心を読めないなんて、作家として失格よ」
更織は真面目な顔をして言い返す。
「何言ってたんだか。お前が書いてるの、どう見ても鬼畜でハードエロとかいうやつだろうが」
「あらら、伸哉先生ってば、その分類がしっかり出来てらっしゃるのねー」
「お前……。散々それを人に送りつけて読ませておきながらそれを言うか」
「あ、そっかーそれもそっかー。伸哉のこの分野の知識ってあたし譲りだったわね」
「俺はどうでもいいが、アリスには大ダメージだぞ。純な青年にセクハラすんな」
伸哉がそう言うと、アリスはぐったりしたまま床に伸びている。
買い物に行ってきて帰ってきたら、いきなり更織に原稿を渡されて、読んでいる途中で過激な内容に固まったところで言質を取って、部屋から出てきた伸哉を捕まえて演技しろと要求したのだ。
断ったのだが、やらないと帰らないと言い張るので仕方なく付き合ってやった。
「あらら。珍しく純な子に……」
「だからやめろって言ったんだよ。アリス大丈夫か?」
伸哉がしゃがんでアリスを宥めると、アリスはうんと頷いて体を起こした。
「すいません。忍耐力が足りなくて」
「あんなのに忍耐力なんて必要ねえぞ。普通に生きてたらあなたの知らない世界で十分なところだ」
伸哉は言ってアリスの頭を撫でる。
正直アリスはホッとしていた。あんな話しを聞いた後に普通に伸哉に接することができるのかと思っていた。
あんな悲しいことを聞かされて、更に自分が伸哉を無くしたくないと思っているということ。それを知られるのが怖かった。
それに今はこのままでいいとさえ思う。
何故か、今までで一番幸せな時間だと思うのだ。
そう思ったらとても大事にしたい時間だと思う。
誰かの為に誰かの間で、一分一秒を大事にしたい。
「あの、更織さんはあんなのばっかり書いている作家さんなんですか?」
アリスが伸哉を見つめて聞くと、伸哉はこっそりと言う。
「半分はああいうのだ。でもあれでも今年のミステリーだかの賞のトップテンには入る推理作家でもあるというのは嘘くさいよな」
説明しながら伸哉も嘘くさいなあと思っているらしく、後半は笑っていた。
「伸哉さんは何を書いてる作家なんですか?」
そういうは知らないので聞くと、伸哉は。
「俺もミステリー専門かな。時々テレビの脚本とかもやってるが」
「テレビのって?」
「ああ、ドラマの。えーっと、「色シリーズ」って」
解るか?と言おうとしたら、すぐにアリスの顔が笑顔になる。
「あ、あの人気あったシリーズの? あれ、見てましたよ。あれが連続で見たい為にわざわざスカパー入りました」
興奮したようにそう言われた。
「ほう。もう数年やってるからなああれ。初回の方見逃したってやつ?」
あれを手がけたのは確か四年も前だ。脚本の応募があって、まだそれほどミステリー作家としては売れてない時期。暇に任せて脚本をやってみた。
思いの外好評で、連続で脚本依頼があった。それから完全本番として、現在その原作者と共に新作の映画を練っているところだ。
それの締め切りがちょうど後一週間。
それもちょうど大詰めで、捻ったオチが付いたところだった。
「そうそう、初回というか、規則で11時にはテレビを消灯で消されて見ることが出来なくて、ほら、あれ結構凄い描写してたから、深夜放送枠だったじゃないですか」
「ああ。学生向けな割に結構やばいからってんで深夜だったな」
「原作は買えたんですけど。ドラマがどうしても見たくて。でもレンタルはいつも貸し出し中だし、共同のDVDじゃ見るわけにもいかなくて」
アリスが興奮してそう話したところで、伸哉が気づいた。
「おい……今、消灯で11時って。テレビが共同?」
さらっと凄いことを思い出した。
「あ……」
アリスはまったく意識してなかったらしく、自分が言った言葉に驚いていた。
「んで、今スカパーに入会してんだよな?」
「……ええ。そう言いましたね」
「ということは、施設はもう出てるってことだな。一人暮らしは確定か」
「……ですね」
まさかこの流れで出てくるとは思わなかった。さりげないことでも何か思い出せるくらいのレベルなのだろうか。
「とは言っても、スカパー入会者を教えてくれるわけねえしなあ」
アリスの名前で調べれば、当然自宅に行き着くわけだが、そんな重要な個人情報をテレビ局が教えてくれるわけがない。
何か解ったようなそれでいて解らないもどかしさもある。
「ねーねー。その例の手紙って見せてくれない?」
会話をずっと聞いていた更織が話しに割って入った。
「あ、はい」
アリスはすぐに大事にしまってある手紙を持ってきた。
それを受け取って更織が中を読む。
「君が何を知りたがっているのか解らない。でも教えてあげることができるかもしれない。それでもいいなら、おいで」
そう声に出した更織は顔を上げて言った。
「なにこれ。暗号? 何を知りたがっているのか解らないのに、教えてあげることが出来るとか……」
「そうなんだよな。意味不明というか謎というか」
伸哉もそれには引っかかっていた。アリスが直接相手に出した何か、それに答えることが出来る立場にありながら、でもアリスが何を知りたがっているのか知らないという。
「しかもリターンアドレスがないとか。どれだけ秘密主義なんだか。まあ、これは相手が何かの拍子に自分のアドレスが載っているものを他の人に見られたくないからなのか」
そう言って更に更織が言う。
「知られたくなくて、って誰によ。えーと、アリス君の身の上を考えると、さっき解ったことを組み合わせて。どう考えても教えてくれる内容は「両親」のことかなと思うんだけど」
「だよなあ。アリスがわざわざ人に頼って何かを知ろうとするなら、自分のことだよな」
「あの……そもそも、俺の名字って本当の親のものなんでしょうか?」
アリスが遠慮がちに尋ねる。
「え?」
伸哉と更織がアリスを見る。
「調べててちょっと気になったので。もし俺が両親に捨てられて養護施設にいた場合です。市町村長に「氏名をつけ、本籍を定め」られ戸籍に記載されるため当該棄児が筆頭者になる。と書いてあったんですけど……これってどこかの市町村の人に名前を付けて貰った可能性もあるってことですよね?」
「……ああそうだ」
「警察に行って、届けを出すのも一つの手だと思うんですが、こういうのって警察はテレビとかで情報求めたりする可能性もあるんですよね?」
「……それが一番手っ取り早いのは確かだが、テレビやマスコミが面白がって取り上げるのは目に見えて解る。とっても面白おかしく書いてくれるぜ」
伸哉はそう低い声で言った。
その態度でアリスはハッとした。伸哉の家庭もそういう対象になったはずだ。
あれだけ不思議な繋がりで生きてきた人生をマスコミは面白おかしく書いたに違いない。そこには伸哉や尚哉を傷つける内容だってあったに違いない。
「……すいません。面白おかしく書いて欲しいわけじゃなくて……」
謝ったアリスに伸哉はハッとする。
「悪い。アリスの容姿じゃ標的にされやすいって言いたかったんだ。あいつらに一旦標的にされると、その後その後ってしつこいからな。それに警察に関してはちょっと伝手を使わせて貰った」
伸哉がそう暴露したので、アリスと更織が驚く。
「有栖川史也という名前での行方不明もしくは失踪者の情報
はまったく入ってないそうだ」
「いつの間に」
アリスがそう呟くと。
「さっきの間」
と、伸哉は答えた。
つまり、アリスと更織が出かけている間に問い合わせをしたらしい。
「出てないってことは、まだ出す段階ではないと周りが思っているか、そういう状況でも仕方ないと思われているかだな」
アリスの性格で、後方の理由はなさそうだ。慌てて出てきていることを考えると、普通にあり得ない。
「とりあえず、その名前が出た段階で知らせて貰うようにはしてある。大丈夫だ、そいつには貸しがあるんでね」
「へえー」
更織が感心したように言う。
「これ、消印、隣町だよね」
更織がそういうが、それはとっくに気づいていた。
「出した奴が隣町にいるのか、それとも勤め先がそこにあるのか。消印が残ることを考えてそこから出したのか。とまあ、ぐるぐるするわけだ」
「まあ、普通に考えたら、住所を知られたくなくてリターンアドレス書かないくらいの秘密主義者が、消印でバレるとかはないか」
更織はそう言って一人で納得する。
伸哉の結論と同じだ。
「一番探しやすいのは、新聞だな。ちょうど20年前くらいから17年くらいか」
伸哉はそう呟く。アリスの実年齢は見た目でははっきりと解らないが、大体それくらいと見ていいだろう。
「でも新聞って?」
アリスが不思議がって聞くと。
「捨て子となったら、やっぱりニュースか記事にはなってるはずだ。小さな取り扱いでもいい。場所が何処なのかが解れば、自ずと施設まではたどり着ける」
「……あ、そうか。まさか、人の家の前にぽんと置くなんてことはしないですよね。もししたらやはりニュースになってるだろうし。人が人を捨てるとなったら、施設前が普通ですね」
そうアリスは言いながら、自分が傷ついてないことに気づいた。
淡々と言っているわけではなく、客観的に見れているのか。事実だから動揺もしないのか。
「ネットで検索してみる。なかったら明日は図書館だな」
伸哉がそう言うと、アリスはハッとする。
「でも伸哉さん、仕事が」
そう言うと、伸哉はニヤリとした。
「なんで俺がここで遊んでいると思う?」
伸哉にそう言われて、アリスはなんでだろと首を傾げた。
更織が来たから仕事は中断しているものと思っていたが、そういう人ではないらしい。
「なんだ、やっぱり終わってたんだ」
残念そうに更織に言われた。
「……え?」
「だって、こいつ、家電切ってたもん。それってラストスパートって意味だし、そんな時に終わりもしないのに寝てるわけもないし。警察に電話したり、ここであたしのお遊びに付き合っている理由は、仕事終わったからってこと」
つまんないと更織は付け足して言う。
「終わったんですか?」
そうアリスが確認すると、伸哉は頷いた。
「原稿は一応添付して送って、さっきメールが来て完了。明日、本編を郵送して終わり」
そう言って笑う。
「よかった……」
アリスはホッとした。自分がいて邪魔をしたから進まないと言われたら本当にどうしようかと思っていた。
「最初の約束通りだ。明日からさっそく」
伸哉がそう言ったのでアリスは頷いた。
それが最初からの約束だった。
例え、自分が望んでいなくても。