Complicated-2

 学校に通いだして、杞紗(きさ)は弟貴緒(きお)に関する情報は無茶苦茶なものだった。

 年上の女性と歩いていたとか。
 下級生男子生徒とごにょごにょだとか。

 それが全て本当かどうか解らない謎だ。
 それを貴緒に尋ねる事は出来ない。

 本人さえ知らない噂を聞かせるのはよくないと杞紗が思ったからだ。だが、人から聞かれた時にどう答えていいのかも解らなかった。ただ笑って誤魔化すだけしか出来ない。

 その頃、やはり変わった事が起こっていた。

 朝は一緒に登校することにいつ決まったのか解らないが、貴緒は何故かそうするようになっていた。
 帰りは別々なのだが、それが意味が解らない杞紗である。

 同じ学校に通っているから必然とそうなっているだけなのだろうと思っていたのだが、何か違う気がするのだ。

 それに杞紗が教室に入るまで貴緒は見送ってから自分の教室に向かっているというのである。
 まるで見張られている気がした。

 家ではそうではないのに、学校では時々顔を会わせる。

 そうこの食堂でも、何故か貴緒は杞紗のいる席にやってくる。何か話があるわけでもなく、ただ無言で座って食べているだけなのだ。

「そりゃ、お前を守る為なんじゃないのか?」
 そんな事を言い出したのはクラスメイトの堤(つつみ)だ。

「どういう事だよ」
 さっぱり意味が解らない。

 だが、堤は食後のコーヒーを飲み、一息吐いてから説明した。

「自覚なしってのは駄目だな」

「自覚って」
 杞紗はキョトンとする。

「お前、男にしたら可愛い顔してるだろ」

「は?」
 杞紗には堤が言っている意味が解らなかった。

「ほら自覚ない。この学校って結構ヤバイ連中も多いからな。弟の事で兄が酷い目にってのもあるんだぜ。周り気をつけろよ」
 堤はストレートにそう忠告した。

「俺といる時は結構マシだけど。一人にならない方がいいぜ」
 だが、それでも杞紗はキョトンとしていた。
 意味が解らなかったからである。

 弟の事で因縁を付けられるという事なのだろうか?

 そういうふうにしか理解出来なかった。

 だが、杞紗だけが気が付いてなかったのである。

 杞紗が転校してきて、にわかに周りが変わっていると感じている堤にしか忠告出来ない事だったのかもしれないが、もう少し杞紗に自覚があれば、事件は起こらなかったかもしれない。
 








 放課後、帰宅部の杞紗は部活に出る堤と教室で別れて玄関を抜けた。

 その時、いきなり呼び止められた。

「都住(いずみ)先輩、ちょっといいですか?」

 杞紗を呼び止めたのは、前に貴緒の事でつっかかってきた貴緒の後輩だ。
 この後輩は、中学時代からの貴緒のファンらしい。

 かなり嫌な噂も勝手に流されたりする嫌がらせを受けていたが、そうした事は気にしない杞紗は不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの?」

「あの、お話があるんです」
 後輩は少し緊張した声でそう言った。

「話?」

「ここじゃ出来ないんですけど」
 周りを見回して、放課後帰宅する生徒を気にしている様子だったので、杞紗は気を利かせて言った。

「じゃあ、移動する?」

「こっちにお願いします」
 後輩に誘導されて、杞紗はその後を追った。

 散々嫌がらせをしてきた相手にしては、接し方は優しい。
 きっと誤解が解けたのかもしれないと、杞紗は呑気に思っていた。

 後輩に案内されたのは、校舎の裏にある部活する人が使うような用具などを入れている倉庫だった。

 何故、こんな所に?

 そう思ったのだが、後輩はずんずん進んで一つの部室の前で立ち止まった。

「ここ?」

「俺の部活の部室ですから」
 そうして見上げた部室名は柔道の部室だった。

 こんな男の子が?

 か弱そうな男の子が柔道を部活に選んだのが不思議だったのだ。

 結構強いのかな?

 そんな事を杞紗は思っていた。

「どうぞ」
 後輩が部室のドアを開けていた。

 そう言われて杞紗は中へ入った。

「え?」
 入ったとたんに杞紗は驚きの声を上げた。
 部室には3人の男がいたからだ。

「何?」
 さすがに不安になった杞紗だった。

 男達はニヤニヤしているし、雰囲気もおかしい。

 いくら鈍感な杞紗にもそれくらいは解っていた。

「どういう事?」
 相談事があるからと聞かされてここまできたのだ。それが怪しい男3人のいる前で話す事なのか。

 すると、後輩が後ろ手にドアを閉めた。

「とぼけた顔して、だからムカツクんだよ」
 後輩がそういい、顎をしゃくった。

 すると柔道部の三人がいきなり杞紗を取り押さえにきたのである。

 何をするつもりなのか解らないが、杞紗は咄嗟に逃げようとしていた。だが、ガシリと押さえ付けられてしまった。

「はっ!離せ!」
 杞紗が一生懸命暴れてみても、柔道部の男には適う訳もなかった。

 くそ!一体何なんだ!

 訳が解らなくても逃げなければという気だけはあった。

 そのうち1人が杞紗の首筋を匂ってきた。

「へぇ、こいつ男のくせにいい臭いがするぜ」

「可愛い顔して、男たらしだってよ」

「さぞかし具合がいいんだろうな」
 男達は杞紗が抵抗するのを押さえて、床へと押し付けた。

「い、痛い!」

 腕を頭の上で押さえ付けられて、足も押さえ付けられた。

「やってしまってよ。目障りだから」

 杞紗には一体何が起っているのか解らなかった。

 相談というのが嘘である事は理解出来たが、何故こんな目に会うのかが解らなかった。
 助けを呼ぼうと、大きな声を上げようとして息を吸い込んだ時だった。

「う……!」
 騒がないようにと口を塞がれてしまった。

「お前の頼みならやってやってもいいと思ったが、これだけの上玉なら、頼まれなくてもやってやるさ」

 男はそうニヤリと笑って、器用にブレザーを脱がしてネクタイを外すとワイシャツを引き裂いた。

「ううっ!」
 杞紗は必死に抵抗をした。

「こりゃ上玉だ。見ろ、肌が綺麗だぜ」
 そうやって男は杞紗の身体を撫で回した。

 しっとりとした肌には鳥肌が立っていた。

 ただただ気持ちが悪かった。

 気持ち悪い……吐き気がする……。

 男の大きな手が身体中を撫で回して、更に下のズボンまで脱がそうとしてる。

 ここまでくれば、男が何をしようとしているのか、いくら鈍感な杞紗でも解ってきた。

「うう!」
 必死に暴れて抵抗するが、自分の力ではどうしようもなかった。男なのに男に犯されるなど信じがたい事だった。

 涙が流れた。
 泣きたくないのに、悔しくて涙が出た。

 どうして自分がこんな目にあうのだろうかと。

「泣いてるぞ。可愛いな」

「余計に意欲を増すってもんだ」
 男達はニヤニヤ笑い、なおも先を進めてくる。

 助けを呼ぼうにも口は塞がれ、押さえ付けられていてはどうしようもなかった。しかもここに自分がいる事など誰も知らないから助けを期待する事は出来なかった。

 もう駄目か、そう杞紗が諦めかけた時、部室のドアがノックされた。

 その音に誰もがハッとした。

「誰?」
 緊張した声で後輩が言った。

 それは外には漏れない声だったのだが、ノックした人物が先に喋り始めた。

「啓介。いるのは解っている。俺の兄貴を返せ」 
 それは貴緒の声だった。

「ヤバイ、都住(いずみ)だ……」
 その瞬間、杞紗を押さえ付けていた腕を弛んだ。

 杞紗はその瞬間を逃さなかった。
 男達の腕を振り払って立ち上がった。

「貴緒っ!」
 杞紗は力一杯貴緒の名前を叫んだ。

 この状況をどうにかしてくれるのは貴緒しかいないと判断したからだ。

「やっぱり。啓介、開けろ。ドア壊して入るぞ」
 貴緒の凄みのある声に、後輩啓介は仕方なしにドアの鍵を開けた。

 その音を聞いて、すぐに貴緒が飛び込んできた。

「杞紗!」
 無表情でポーカーフェイスな貴緒の顔色は悪かった。

 ここで何が起ったのかは、杞紗の姿を見れば解るからだ。

 柔道部の男達は慌ててその場から逃げ出した。

 貴緒が現れた事で自分達が何をしようとしていたのかがバレてしまい、何かされると考えた上の逃亡だ。

 だが、貴緒はそんな奴らを追い掛けることはしなかった。逃げてくれればそれで結構だったからだ。
 それよりも杞紗の方が心配だった。

「大丈夫か?」

「だ……大丈夫……」
 息を整えながら、杞紗は答えた。

 だが震えは止まらない。
 涙も止まらない。

「泣くな……頼むから泣くな」
 貴緒は心配した顔で杞紗の顔を覗き込んだ。

 涙を拭いて、服を直し、ブレザーをきちんと止めた。
 そして優しく杞紗を抱き締めた。

 無事で良かったと。

「なんでだよ。なんでそんなに優しいんだよ。今までの先輩じゃない」

 そう言い出したのは啓介だった。

 啓介の方も泣き出していた。

 何故、啓介まで泣き出したのか杞紗には解らなかった。

 どういう事?

 杞紗は貴緒を見上げた。
 貴緒は杞紗が大丈夫だと解り、やっと安堵したのか、いつものポーカーフェイスに戻っていた。

「俺は誰も特別扱いしない。兄、杞紗以外は」
 それははっきりとした口調だった。

 貴緒はずっと兄だけを特別扱いしてきた。
 今でもそれは変わらない。

 昔どうだったとかの問題ではない。
 いつでも杞紗の事だけ大事だった。

 それは今も変わらない。
 変えようがなかった。

「どうして……」
 啓介は力無く呟いた。

 だが、それに貴緒は答えるつもりはなかった。
 杞紗を思っている事は、杞紗にも秘密にしていたからだ。

 だが啓介にも分っている事があった。
 これで、もう終わりだという事は。

「それを答える必要は無い。だが、一ついっておく。お前とは終わりだ」
 貴緒はそれだけ答えると、杞紗を抱え上げるようにして部室を後にした。

 部室を抜け出した杞紗はホッと息を吐いた。

 もうあの場所には居たくなかったから余計に緊張感が抜けたのかもしれない。

 だが、お姫さまだっこをされている状態はちょっとと思って言ってみる。

「貴緒……大丈夫歩けるから」
 杞紗は貴緒に捕まっていたが、降りる準備もしていた。

 だが、それは貴緒が許さなかった。

「いや、緊張感が抜けて歩けなくなってるはずだ。途中でタクシー捕まえるから」
 問答無用というふうに言い放って、貴緒は歩いて行く。

「タクシー呼ばなくてもいいって」
 そこまでする必要はないんじゃないかと思っていると、貴緒に指摘された。

「いや呼ぶ。その服のままで街を歩くのか?」

「あ……」
 ハッとした杞紗。

 いくらブレザーで隠しているとはいえ、無様な姿である。

 泥まみれであり、ブレザーで隠しているが、ワイシャツはめちゃくちゃになっている。

 結局、タクシーで家に帰る事になった。
 





 家に辿り着くと、杞紗は貴緒に無理矢理風呂へと連れ込まれた。

「貴緒!痛いって!」
 がっしりとした手で手首を掴まれてしまっていた杞紗は、貴緒から逃げ出す事が出来なかった。

「あいつらが触った所は全部洗ってやる」
 貴緒は怒ったようすで杞紗の服を剥ぎ取っていく。

 それを洗濯機に放り込む。
 泥まみれだから洗わなくてはならないからだ。

「自分で脱げるって!」

「手がまだ震えてるだろうが!」

 確かにまだ手は恐怖で震えていた。
 寒さでかじかんだように上手く動かない。

「あれ?」
 指摘されて杞紗は自分がまだ震えていることに気が付いた。

 手が自分の思い通りに動かない。

「ほらみろ」
 貴緒は無表情なままで、杞紗の服を脱がし終えた。

 随分器用な……。
 そんな事を思ってしまう。

 そして自分も制服を脱いだ。
 ぎょっとしたのは杞紗だった。

「なんで貴緒まで脱ぐの?!」

「俺が洗ってやるって言っただろ」

「自分で出来る」

「いや俺がやる」

「いいって!」

「うるさい!」

 怒鳴り合っている間に、貴緒は杞紗を引き摺って風呂の中へと入って行く。

 さっとシャワーを出して杞紗をシャワーの中へと入れる。

「うわっ!ちょっと!」
 心の準備なしにお湯の中へと追いやられて杞紗はびっくりして暴れてしまう。

 だが、全身が濡れると同時にシャワーから引きずり出された。

 杞紗があたふたしている間に、貴緒はボティーシャンプーを取り出してスポンジに泡を立てている。

「いきなり何するんだ!」
 顔にかかった飛沫を両手で拭いて、杞紗は叫ぶ。

 だが次にヒヤリとした感触が肌に当たる。

「貴緒! 自分で出来る!」

「俺がやる!」
 スポンジの取り合いになってしまったが、すぐにスポンジを離したのは貴緒の方だった。

 勝ったと思ったのだが、次の感触に杞紗は飛び上がった。

「ひゃ! お前!何やって!」

「洗ってやってるんだ」
 そう言っている貴緒は素手で杞紗の身体を洗い始めたのである。
 そんな事をされたらくすぐったくて仕方ない。

「や!やめろって!あはははは!」

「笑ってろ」
 冷たく言い放って貴緒は尚も杞紗の体を洗うのに真剣だった。

 綺麗な杞紗の体には、傷一つなかった。
 それだけを貴緒は確かめていた。

「すまん」
 杞紗の体を洗っていた貴緒がいきなり謝り出した。

「え?何で?」
 くすぐったさが治まって聴こえてきた声に杞紗は不思議な顔をして尋ねた。

「啓介の事」
 貴緒の声は真剣だった。

「何でお前が謝るんだ?」
 どうして貴緒が謝ってくるのかが杞紗には解らなかった。

「俺の日頃の行いが悪いからだ」

「お前ってそんなに悪いの? まぁ噂はあれこれ聞いたけど、どれがホントでどれが嘘なのかなんて解らないしさ」
 杞紗はそう答えていた。

 貴緒は少し驚いた顔で杞紗を見上げていた。

 啓介との付き合いは、ハッキリ言って杞紗には話せる話ではなかった。
 純な杞紗には言いたくない話。

 だから詳しい話はしない。
 ただ謝るだけしか出来ない。

「啓介のやった事は、俺が悪いからなんだ」

「お前が謝る必要はないよ。もう終わった事だし。それに貴緒は俺を助けてくれたんだから、俺の方が感謝しなきゃ」
 杞紗は笑ってそう言った。

 そんな杞紗に、貴緒は初めて安堵したような顔で微笑んだ。

 引っ越してきて初めて見る笑顔だった。