calling-3

 宝生本家に引っ越しをしてから、もう一年が過ぎようとしている。
 織部寧野は、この一年、耀の仕事を手伝いながらも本家の整理に奔走していた。
 宝生本家は、元々宝生組というのは、広域指定暴力団組織宝生組というのが表の顔だった。そこの組長を選ぶのが本家の役目であり、そのために人を集め、組長を育て上げてきた。
 中でも先代組長である宝生高(こう)は類い希なる能力で激動の時代の宝生組をまとめ上げてきた。そしてそれを受け継いだのが現組長である宝生楸(ほうしょう ひさぎ)だ。組長代理だったところ、組長候補である宝生耀(ほうしょう あき)が宝生組から破門される事態になり、本人が事情により救済されるところだったが離脱を願い出たため、宝生楸が代理から組長に格上げされた。
 高から受け継いだ組織を更に拡大させ、均衡を保つ楸(ひさぎ)は宝生本家が育てた組長ではなかった。それなのに才能だけはあった。この楸の組長代理誕生から、宝生組から耀への組長引き継ぎを嫌がる組員や直系組織の組長からの苦言やらが多くなっていた。
 その本家の役割も時代の流れで組織の意味が消えてきていたのもあり、本家の当主である耀を、宝生組から破門したと同時に宝生本家も、耀に付き従うように宝生組とは縁が切れた。
 宝生組の関係者はこれでやっと本家の意向に沿う必要がなくなったと喜んだ。しかし本家はそのまま耀に従う形で黒社会には残っていた。耀が作った白鬼(なきり)の重要幹部としてはめ込まれた。
 この時にはまだその重要性に気づいていなかった組員が多かった。そのうち、宝生組の重要な情報源がそっくりそのまま白鬼(なきり)に寝返る形になったことに気づいた。
 寝返るというのはおかしな話だが、元々本家の老院との繋がりがあっただけの情報源がそのまま老院とだけ繋がっていただけのことだった。宝生組にとって有益な情報をもたらしてくれていたのは老院が頼んでいたからで、老院と宝生組が何の利害もなくなれば、関係はなくなったも同然だ。
 信用というのは、相手と自分の立場が均衡していることが条件だ。それがない宝生組に有益に働いてくれるわけもない。更に本家が報酬を払っていたからこそ、無償で得られていた情報がそのまま今でも無償で得られるわけもない。
 方々からの断りどころか、零から百ほどの値上がりした情報代に頭を抱えたのは耀を追い出したがり、本家が消えたことを喜んでいた組長たちだ。
「何故だ! そんな馬鹿なことが!」
「あんたたちには何の義理もないんだ。うちは本家さんのところから代金を頂いて得た情報をあんたらにも分けてあげていただけのこと。本家さん追い出しておいて、義理すら欠いたあんたらにくれてやる情報は、まずは百万からだ」
 情報屋は今までのへいこらした態度から一変し、上から物の道理を教えるように言ってきたという。そのことに宝生組組長に泣きついたところ。
「何を当たり前のことを。欲しい情報に金を払うのは当然のこと。今までは本家が代わりに払っていただけで無償でもらっていたわけではないんだ」
 もっともらしく組長たちに告げて、用件はそれだけかと去っていったという。
 そこでやっと本家の別の意味にも気づいたというのだから遅いといえよう。耀が本家と切れずにいたのは当主だからだけではなく、そうした細やかなこともできることを知っていたからだ。だから老院は減らさずに確保しておいた。
 別段耀は、最初から宝生組を抜けようなんて考えていたわけではなかった。ただ漠然と組長になるために生きてきた自分を否定するような考えをしたくなかっただけだった。だから組長になった時に後悔しないように本家を作り替えてきたのだが、そんな耀の努力は組内では余り重要視されていなかったらしい。
 他に本家から得ていたのは黒社会において重要な武器などの取り引きなども含まれる。そう宝生組は本家が離れる時にそれなりに本家から武器類を取り上げていたが、それを密輸する取り引きをしていたのは本家だったことも失念していた。つまり宝生組は一から武器弾薬の密輸に着手する必要さえあったのである。
 だが組長は抜かりはなかった。
「一応の取り引き受け継ぎはしたが、それでもたった二十パーセントだ。俺の信用が余りないのと、宝生組自体が信用されているわけではないからな。これからの信用の度合いによって取り引きのパーセントも変わってくるだろう」
 というのである。
 本当のところ、その二十パーセントすらないに等しかったのを本家の情けで分けてもらったものであることも組長は伝えていたから、耀や本家を排除したことを喜んでいた組長たちは顔を赤くしたり青くしたり忙しかった。
 本家の役割は組長を教育するだけの組織ではなく、隠れ蓑ですらあったわけだ。
 だからその足りないパーセントを宝生組は今白鬼(なきり)から買う羽目になっていた。その矢面に立っているのが寧野である。
 本家の整理とは、本家が請け負っている仕事の総括をすることで、本来耀がすべきものを犹塚一族が変わってやっていた。そのすべての決定権が寧野にも譲られたというわけだ。
 まあそうは言っても寧野は結局のところ耀に相談を仰ぐことが多いので二人で決めている状態ではある。それでも寧野が肩代わりした結果、耀の負担はぐっと減った。ただでさえ白鬼(なきり)を立ち上げてから忙しい耀の手伝いをしたいという寧野の願いが、今ここで叶っていることになっている。
 もちろん、それは綺麗な仕事ではない。
 仕入れるものは人を殺すために使われることが当たり前としてある武器だ。それでも寧野はそういう受け渡しをした後のことは、一切考えないようにしていた。分かっていて望んだことだ。機械的にこなし、裁いていく。
 罪悪感はあるけれど、それでも耀たちだけにやらせるわけにはいかない。こんな世界で生きていくことを決めた時に、一般人として生きることをやめたのだ。


「寧野さん、今回も取り引き終了です。よかった、あちら側ともよい関係が築けそうです」
 そう言ったのは犹塚だった。
 今回で二回目の取り引きとなったロシアの赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)との取り引きだ。荷渡しと代金を払うだけのことなのだが、それが一番緊張する。警察にかぎ付けられてないか、他の邪魔は入らないかと細心の注意を払わなくてはならない。それも受け渡し場所が日本の港であるから、すべての下準備は寧野たち白鬼(なきり)の担当でもあった。
 赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の組織の一つである、真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)は、基本的に日本とは交流しない。ただ赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の幹部にいる、イタリアで知り合ったヴァルカという人物と耀や寧野が知り合いでその関係で取り引きが始まった。
 元々赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)は、京都にある嵯峨根会と繋がっていたのだが、先の事件、真栄城俐皇(まえしろ りおう)の事件から後に嵯峨根会から手を引いたという。原因が原因だけに俐皇と関わりがまだありそうな嵯峨根会とは縁を切りたかったのだろう。
 赤い雪は同じロシアンマフィアのマトカとは敵対関係にある。そのせいかマトカは沖縄以外の日本のヤクザとの付き合いがなかった。近年になりマトカは宝生組とも取り引きをするようになるも、内部混乱のためか取り引きを何度か失敗させた。宝生組としてはマトカと繋がっているのだが、宝生組を抜けた耀がどこを選ぶかといえば、ヴァルカという幹部がいる赤い雪だった。
 赤い雪のボスは耀がよく知っていた人物で、信用があるのもあった。
 その白鬼(なきり)と赤い雪が繋がり、そこから得られたものを宝生組にも横流ししている関係もあるが、マトカとしては面白くないだろう。だが弱体化するだけして取り引き失敗を繰り返し、赤い雪やツァーリに組織の人間が寝返っている現状では、宝生組がマトカと取り引きをするメリットがない。
 赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)とツァーリは現在のところ対立はしていない。良好関係とは言えないが、お互いが領土を侵さずにいる。共通の敵、マトカがいるお陰で島の取り合いはマトカからとなっているのも要因だろう。その双方と白鬼(なきり)はとりあえずは良好関係を結べている。
「上手くできたのならよかった」
 寧野はほっとした顔をやっと部下に見せた。
 一緒についてきたのは犹塚智明(いづか ともあき)だ。
 一年以上犹塚が寧野の補佐をしてくれている。犹塚一族は、組織の当主をサポートするのが仕事である。今現在の当主は白鬼(なきり)の社長だ。だからその仕事を補佐するのが仕事だが、耀の補佐には長年ボディガードを続けてきた九猪(くい)や億伎(おき)がついているため、犹塚家はほぼ寧野の補佐をする形になっている。まあ、ほぼ本家にいるのが寧野であるから、現当主よりは身近ではあるだろう。特に智明は寧野を何よりも大事にしていて、あの耀からすら守ろうとするほどの人である。だからなのか、耀からの信用も妙に高く、取り引きという危険からも守ろうとするのは当然と言えた。
 寧野はホッとして車に乗り込む。何事もなく終わったことは嬉しかった。
 だが寧野の心は穏やかではなかった。
 今日の取り引き相手だった真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)のボスのことだ。
 名前は、ジヤヴォール・クリエースト。恐らく偽名の男は、寧野を見るとボソリと言った。
「カナレイカ」
 聞き間違いかと思ったが、思い当たる言葉ではあった。
 そう日本語で金糸雀。慣れた呼び名だと金糸雀(ジンスーチュエ)。
 だが、ふと思い出す。赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)では長らく、花(ツェピトーク)という呼び方をしていたと思う。だからもしジヤヴォールが寧野を金糸雀(ジンスーチュエ)として知っていたとしても、花(ツェピトーク)と呼んだはずだ。
 しかしそこで寧野は思い返す。
「そうか知らないってこともあるんだ」
 そう思い返した。
 花(ツェピトーク)は一人しか存在せず、大事に育てていたはずだ。そうそう誰も彼もが知っているとは思えない。裏切りを警戒した上層部が隠していたこともありえるわけだ。
 そしてその花(ツェピトーク)は永遠に失われた。
 だからいろいろとおかしくなっている。
「いや……それでも金糸雀(カナレイカ)呼びなのは変だ」
 花(ツェピトーク)を知らないのであれば、当然金糸雀(ジンスーチュエ)の呼び名の方を使う。実際何処でもそうだったが、日本ですら金糸雀という名の方で通っていた。ロシア風に言い直す必要はない。元々中国で出回った呼び名だから、言い直すなら意味があるはずだ。
 花(ツェピトーク)を知らない人間から金糸雀(カナレイカ)と呼ばれた。これを気にするなという人間は寧野の周りにはいないだろう。
 寧野がこの呼び名、カナレイカが金糸雀のことだと分かったのは、以前ヴァルカに説明をした時に日本語ではカナリアであること、そしてロシア語ではカナリアのことはカナレイカと言うと聞いていたから偶然知っていたにすぎない。
 今更収まった金糸雀(ジンスーチュエ)という言葉に寧野は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。嫌な予感とでも言おうか、せっかく消えた金糸雀(ジンスーチュエ)という言葉を金糸雀(カナレイカ)と言い換えて蒸し返す人間がいる。
 幸いなことに寧野の金糸雀(ジンスーチュエ)の能力は違った形で現れた。もしかしたら金糸雀の中でもこうした寧野のような、危機感に関するための能力として発達した金糸雀もいたかもしれない。そういう場合、金策を少しでも読める方を金糸雀として読んでいたのかもしれない。
 金糸雀一族はそれなりに全員が数字に強かった。家族を養うだけの小銭ならいくらでも呼び込めた。もちろんそれは他の組織が知らないことで、事後処理をした鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)と寧野と耀だけが知っていることだ。金糸雀(ジンスーチュエ)一族もそれを口にせず生きていた。
 だが均衡は崩れた。
 金糸雀(ジンスーチュエ)一族は、全員殺された。住んでいた村は焼き払われ事件として扱われたが、犯人は強盗で犯人不明のまま一年が経つ。唯一力を受け継いだとされる貉(ハオ)の元龍頭(ルンタウ)高黒(ガオヘイ)は、危機を察したのか消息不明となった。管理していた鵺(イエ)の人間は殺されており、高黒(ガオヘイ)の遺体だけ見つからないままマフィアの抗争として片付けられたという。
 寧野はこの事件のこともあり、本家からほぼ出ないで過ごしていたが、誰が殺し回っているのか、なんとなく分かっていた。
 金糸雀(ジンスーチュエ)として生きていられては面白くないと考える人間が、この世界にはいる。それは分かっていたけれど、徹底的にやる人間の心当たりは一人しかいなかった。
 真栄城俐皇。クトータと呼ばれる組織を率いるとされる男。元嵯峨根会系列高岸(たかきし)一家総長だった人間。一年半前に永久追放され、日本のヤクザからも追われる身となった。さらには赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の花(ツェピトーク)を殺し、嵯峨根会会長だった都寺冬哩(つうす とうり)や、愛人だった西野亜矢子本名真境名弓弦(まじきな ゆづる)を殺害し逃亡した。
 あらゆる方面の邪魔とされるものを殺し回っただろう事件は、半年続いて終わったのだが、国を跨いだ事件の関連性は見つかるはずもない。
 ただ漠然と俐皇の仕業だと思えた。
 金糸雀(ジンスーチュエ)や花(ツェピトーク)を誘拐する人間は多数存在しただろうが、殺す人間は限られているからだ。
 その中で九十九朱明(つくも しゅめい)はその筆頭だ。だから殺して回ることはあるだろうが、寧野がその中で一人だけ殺されないのが、俐皇を疑うもっともたる理由になる。
 俐皇は寧野を欲していた。一度は監禁し陵辱したほど。何度でも殺せる機会を不意にしてきた事実から、俐皇に寧野を殺す気がないことは分かる。
 むしろ、金糸雀(ジンスーチュエ)は関係なく、耀を殺して手に入れる方を選ぶ人間だ。
 だから花(ツェピトーク)や他の金糸雀(ジンスーチュエ)を殺すまでは九十九の計画であろうし、寧野を残したのは俐皇の判断だろう。
 そういうことを耀が言っていた。
 俐皇はたぶん知っている。寧野の金糸雀(ジンスーチュエ)の能力が、金を呼ぶ物ではないこと。それが生かされるのは危機感の強い時だけに現れるカウントダウンであると。
 だから寧野を殺そうとすれば当然それを寧野は回避する能力があることになる。それは当然耀にも範囲が該当し、恐らくではあるが、耀の殺害には失敗していると思われる。
 そして多分、殺されないもっともたる理由を俐皇は知っているはずだ。寧野には体の問題で、子供ができないという医学的な根拠を、あの監禁中に知り得たということだ。
 こういう関係で寧野だけが生かされる理由を他の組織の人間はどう考えるか。確実に金糸雀(ジンスーチュエ)である確証もないのに、組織に危険人物を呼び込むメリットは見込めないと考える。
 もちろん赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の花(ツェピトーク)を知っている人間は、寧野が最後の花(ツェピトーク)のような力を持ってないことは知っている。何よりヴァルカが証人である。ヴァルカは目の前で寧野が金糸雀(ジンスーチュエ)の能力、それも危機を回避するためだけにしか使っていないことを身をもって知っている人である。
 そのヴァルカも金糸雀殺して回っているのは俐皇だと言った。
 俐皇が何を考えているのかは分からないが、方々に喧嘩を売って回っている最中に金糸雀(ジンスーチュエ)一族だけは根絶やしにしていたことは誰も気づいてないのだろう。
 そもそも金糸雀を信じている人間は少ない。だからひっそり金糸雀(ジンスーチュエ)一族が消えたことすら気付いてない組織が多いだろう。
 彼らが金糸雀として認識しているのは織部寧野一人であるし、その寧野が一向に力を見せないことも知っている。だから金糸雀(ジンスーチュエ)は存在しないと考える流れだ。
 この一年、金糸雀という言葉は、殺害された金糸雀(ジンスーチュエ)一族の意味でしか使っていなかった。
 なのにだ、金糸雀(ジンスーチュエ)を金糸雀(カナレイカ)と呼びつける人間が現れたことが問題なのだ。
「ロシアの中で花(ツェピトーク)の意味を持つ金糸雀(カナレイカ)としての存在を求めている誰かがいる……」
 もしくは赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の花(ツェピトーク)の情報が漏れたのかもしれない。いや故意に誰かに流されたのかもしれない。
 これは絶対に気にするべき問題で、無視をしてはいけない言葉だ。
「耀はもう帰ってきているだろう?」
 独り言のように呟いていたが、外で取り引きの後始末をしていた人間たちには聞こえてなかった。少し大きな声で言うと犹塚が寄ってきて言った。
「耀は?」
「一旦会社に寄るのではないでしょうか?」
「そうか、なるべく早く耀のところへ行ってもらえるだろうか?」
 この場所にいることが不安ではなく、自分が気付いた不安を早く話してしまいたい衝動に駆られた。
「分かりました、荷は細工しましたので今日は帰りましょう」
 寧野の不安な顔を感じ取った犹塚が即車を出してくれた。
 しかし耀に話してしまうまで寧野の不安は消えることはなかった。