Distance 3round やわらかな傷跡 7

 試験期間が続き、勉強に追われる生徒の中で、暢気にしていたのは、水渚(なぎさ)と梧桐(ごとう)だった。

 実力テストでは、十番以内で、特に勉強範囲が少ない一学期では、さほど予習せずにクリアすることが出来るからだ。

 高校への進学で、一応1組となっているが、別段一位を取りたいわけでもなし、かといって投げているわけでもないのだ。

 最終日には、やっと終わったと喜ぶ生徒の中で、水渚だけは、これを理由に引きこもるわけにもいかなくなってしまったとがっかりしたくらいだ。

 そう、昨日、あの透耶から再度家に来るようにと言われてしまったからであり、試験を理由に逃げたが、それも今日で終わりになってしまったからだ。

「余裕綽々だな」

 試験用席から自分の席に戻ったところで、梧桐にそう声をかけられた。というのも、水渚がさっさと本を取り出して読み始めてしまったからだ。
 ここ最近は梧桐と一緒にいることが多くなり、教室内では騒然となったものだが、今では周りも慣れたものだ。

「つーか、試験終わりたくない」
 水渚がそんな愚痴を漏らすと、梧桐は怪訝な顔をする。

「お前、それ嫌味か? てか、何かあったか?」 
 賢い梧桐はすぐに水渚の言葉に反応するようになっていた。

「あったというか、ある。これからあるんだ」

「これから? どうした?」

「透耶さんの所にいかなきゃいけなくて」
 これを考えるだけで頭が痛い。試験をやってる方が1000倍も楽だ。

「うは。拷問受けにいくのか。覚悟は出来て、ないんだな……こんな夏休みの前の試験休みに地獄を覗きに行くとは、ご愁傷さま」

「梧桐ーーー!」
 神に召されたように拝まれて、水渚は憤慨する。

「何がそんなに怖いんだ? 聞く限りじゃそんな理不尽なことをしそうな人じゃないと思うんだが」

「梧桐はあの恐ろしさを知らないからそんな暢気なことが言えるんだ。あの人はもう天使のような顔をして、悪魔なことを言うような人なんだ。悪魔の囁きを聞いたことないか!?」

「ない」
 すっぱりと言われて、がっくりと肩を落とす水渚。

「しかし、なんつー表現なんだ。そんなに怖いなら、一緒に行こうか?」

「え……?」

「見てみたい。天使のような顔した悪魔っての」
 わくわくしながら言う梧桐だが、実は弱っている水渚を見たいだけなのだと解って、水渚は呟いた。

「……悪趣味」




 そうして、その日のうちに水渚は梧桐に引っ張られて、透耶の家に行くことになってしまった。

 梧桐を連れて行くことを電話で言うと、喜んでと言われてしまって、梧桐を連れて行く羽目になり、今更逃げ出すわけにもいかない。

「うわっすげー豪邸じゃん。作家ってそんな儲けるもん?」
 やはり、一度この豪邸を見た人間が言う言葉である。

「儲けるもんだろうけど、これ、資産の一つみたいなもんだから。儲けて買ったわけじゃないみたい」

「じゃ、元から金持ち?」

「爺さんやら、親やらの遺産の一部かな」

「そっか。ま、じゃ行きませう」
 さらっと流したところによると、マズイことを聞いてしまったと思ったらしい。
 こういうところが梧桐らしいと思う。

 門を潜って、玄関まで辿り着くと、いつもの執事が出てきて対応してくれた。

「本物の執事見たの初めてだ」
 妙なところに感動がいってしまっている梧桐。

 透耶が居間から出てくると、すぐに梧桐が挨拶をした。

「こんにちは。始めまして、梧桐優作です。今日は勝手にお邪魔してすみません」

「こんにちは。榎木津透耶です。今日はわざわざ遠いところからありがとうね」
 にっこりと笑って言われて梧桐は照れているらしい。こういう顔が好みなのだろうか?

「今日も書斎ね。梧桐君、ごめんね。相談事はあっちじゃ色々耳に入っちゃうから」
 透耶がそう言って書斎のドアを開けると、居間から。

「耳って俺のことか?」
 と、鬼柳が顔を覗かせた。

「うわっ。えらいいい男が出てきたなあ」
 こっそりと水渚に耳打ちする。水渚はそこで言ってやった。

「あれ、透耶さんの恋人だから」

「へー。なんかそれっぽい。てかっマジ?」
 うんうんと聞いていた梧桐が振り返って小声で叫んだ。

「うん、ちょーマジ。で、あれで家事全般オールマイティーなんだ」

「……最強の男だな」
 そうだと思う。

 そういう二人を前に、二人は普通に話しているつもりなのだろうが、どうも密着度が違いすぎる。

「嗄罔(さくら)的に、あそこまで希望?」

「あーいやーあそこまではー」
 さすがにあそこまでやるのは恥ずかしいし、あり得ないと思えた。

「だよな? 祥真(しょうま)と角里(ろくり)さんところも甘いとは思ったけど、多分ここは次元が違うと思う」
 そんな保証は誰も欲しくないだろう。しかし他のカップルを知ってる梧桐が言うからには、よほどなのだろう。
 ポカンと見てても馬鹿らしいので、水渚はさっさと梧桐を連れて書斎に入る。

「わあ、なんか仕事部屋って感じだなあ」
 部屋の中に入ると梧桐は感動して周りを見回していたが、水渚はこの間の雑然とした資料探しの現場を見ていた為、なんで今日はこれだけ綺麗なんだろうと不思議になっていた。あの時だけとは思えない散らかりぶりだった。

「ああ、ごめん。ちょっと手間取っちゃった」
 慌てて駆け込んできた透耶はささっと部屋に入ってきて、ドアを閉めた。
 なんか、向こうにあの男がいたような気がしたが……。

「ラブラブな時にごめんねえ」
 水渚がそんな皮肉を言うと、グッとなってしまう透耶がいた。

「ちなみに新婚何年目っすか?」
 真剣に質問する梧桐。ブッと吹き出したのは水渚で、透耶は真っ赤な顔をしていやーあのーとか言っている。

「さ、3年目です……はい。あ、アイスコーヒー入れてくれるらしいから、もうちょっと待ってね」
 なんとか答えた透耶は、いつもの様に机の椅子に座る。客である水渚たちはソファの方だ。

「そういえば、ここにあった資料とかは?」
 一応関係ない話から水渚は始めた。

「あ、あれ。終わったから片付けられた」
 片付けたといわない辺りが、あれが片付けたのだろうと予測出来る。

「それでね。水渚君。病院だけど変えてみる気ない?」
 いきなり確信を付くようなことを言われて水渚はビクリと体を奮わせた。これは梧桐だって知らないことだからだ。

「病院って、こいつ何か病気にかかってるんですか?」
 梧桐は身を乗り出してそう聞いて来た。

「ちょっと梧桐君、待て、ね」
 食いつきそうな梧桐を簡単に諌めて透耶は言う。

「俺の知り合いにそういうのを総合的に見てくれる医者がいるんだ。お悩み相談なら、あっちも大丈夫だし、普通の医者にはいえないことも言っても大丈夫だって保障する」

「つまり、普通の医者じゃ、駄目ってことですか?」
 一体こんな悩みを言えるような医者なんか存在するんだろうか。絶対に否定されるに決まっている。そんな気分で言い返してしまっていた。

「何にも話さないで解決する問題なら別にいいけど。そうじゃないでしょ?」

「だからって、その人に話して理解してくれる保障はあるんですか?」

「俺の主治医だから保障する」
 自信満々に言い換えされて納得した。
 あ、そういう意味で言っていたのか。

 こういう関係を知っている人でなければ、この問題は話したところで、やっぱり精神がおかしくなっているからだと言われてしまうだろう。
 だから話さずに済むならそうしていたかったが。

「ってことは、嗄罔がかかってる病気ってのは、精神的なものってことで合ってます?」
 待てと言われたはずの梧桐が我慢出来ずに口を出していた。

「いいね、梧桐君。正解」
 おずおずと言った梧桐に透耶はにっこりとして答えた。

「じゃ、こいつが飯食わないで痩せてったのも全部そのせいってことですか!?」

「おおー知ってたのかあ」
 透耶はニコニコして拍手をした。
 さすがにそこまで知られているとは思わなかったので、水渚は呆然としていた。

 確かに痩せはした。でも、梧桐と付き合うようになってからは、まだ一週間くらいなものだ。急激に体重が落ちた後なので、その後は減ってない。
 だから梧桐くらいは騙せていると思っていたのにそうじゃなかった。

「アホか!! そんなになるまで自分を追い詰めるじゃねえ! まさか今も全然食べてねえとかいわねえよなあ~?」

 特大の罵声が水渚の頭に降ってきた。最後は殆ど脅しながらという感じだ。

 恥ずかしくなったのは水渚だ。ここまで自分を追い詰める羽目になるとは思わなかったし、食べられなくなるとは思わなかったのだ。
 気が付いた時にはそうなっていたのだ。

「だって……そうなってたんだもん。自分だってびっくりしたんだもん。わけ解らなくて怖くて、でも誰にもいえなくて……大介だって気が付いてなくて……もうどうしていいか解らなかったんだもん」

 いきなりそう言って子供の様に泣き出した水渚を見て、うろたえたのは梧桐だ。

「え、や! 透耶さん!」

 怒鳴ってしまった手前、どうしていいのか解らなくなってしまったのだろう。梧桐は透耶に助けを求めた。
 透耶は静かに席を立って、水渚の隣に行くと、ギュッと抱きしめて言った。

「だから、何の為に俺がいると思ってる? 斗織の代わりにしたっていいって言わなかった?」
 昔言った台詞を繰り返す。

「だって、透耶さん、怖いもん」
 正直に言われて透耶ははあっとなってしまった。そんなに怖がられているとは思ってなかったのだ。

「んー。そりゃ悪かったね。でも斗織ってこんなんだったよ。まあ、3年も経ったら美化出来るか」

 そう水渚自身も斗織を美化していた。3年という月日は意外に長かったようだ。斗織の優しかったところだけを思い出していて、こういう厳しいところは思い出せないでいたのかもしれない。

 大介が憎い部分しか思い出せないでいるのに対して、水渚は優しかった部分しか思い出せなかったのだ。

「ま、俺も悪い。こういうのは身内以外の人間が怒ってくれないと、どうしようもないって思ってたから、梧桐君、巻き込んでごめんね」
 ちょっと困った顔をして透耶がそういうと、梧桐ははあっと安心したようにソファに座った。

「嗄罔(さくら)ってこういう奴だったんだ」
 いきなり弱々しく泣かれて最初は焦ったが、本来の水渚はこういう風なのだと解ってやっとほっとしたらしい。

「こういうのは珍しい方かな。昔から妙に悟ったような子でね。斗織が心配してた。泣かない子だから難しいって。泣かない子は痛みや辛いを胸に沢山溜め込んでしまうから、吐き出させることをしてあげないと、いつか壊れてしまう。泣くという行為は、恥ずかしいことじゃないって教えてあげられない自分が悔しいって」

 透耶の言葉に水渚も驚いた。あの斗織が出来ないことがあったなんて信じられないからだ。

「おやおや、人間、誰しも得手不得手があるって知らなかった? 俺、人泣かせるの得意な方なんだ。特に弱ってる人専門で」
 透耶はにっこりとしてそう言い放った。

「彼氏も泣かせたんですか?」
 茶化すように梧桐が問う。

「まー泣いたのは二度だけだけど。弱ってると結構頭空っぽにしたくなるじゃん。それには泣くのが一番いい方法でもあるわけ」
 その話しを聞いているうちに、涙が乾いてきた。

「おし、このまま診察レッツゴー」
 いきなり、透耶がそう言い出して、水渚を置いて、梧桐を部屋から連れ出した。

 それと入れ違いに、金髪に緑眼の医者が登場したのである。