臆見の罪業
01
都会のビル街が微かに見えるこの部屋の窓に、激しい雨の粒が叩きつける様に降っている。
知子は、光りを遮るカーテンを軽く引き開けて、その雨を眺めていた。
季節は冬。
雪の降る季節だが、外気温がさほど下がっていないのか、雪ではなく雨になっている。
色とりどりの傘の群れが下の道路を行き違い、信号が赤になるたびに立ち止まり、車道を水飛沫を上げて車が走り去っていく。
それは、果てしない物語のように幾度となく繰り返されていた。
知子は、「冷たそうね」と、隣で眠っている男に話掛けた。
男は返事をしない。
眠っているようで、揺すっても起きない。
「まぁいいか」と知子は呟いて、また外を眺めた。
雨は段々と激しくなって、少し霙の様になっていた。
窓に打ち付ける雨の滴は、溶け掛けの氷のように痕を残して、そしてじわりと溶けて水に戻ってしまう。
「雪になるのかしら?」
知子は呟いてベットから降り、床に投げ出されたバスローブを羽織ってから隣の部屋に行く。
家の中は、暖房が強くかけられていてまったく寒くはない。それどころか、少し暑いくらいだ。
隣の部屋は、リビングになっている。
綺麗に整頓された部屋だった。
知子は、その部屋が好きではなかった。例え、それが男の趣味ではあってもだ。
テレビを付けてダイニングへ行くと、冷蔵庫を開けてビールを取り出した。ビールはちょうどの冷たさになっていて、プルタブを開けると、ビールの泡が音を立てる。その音を聴いて、一口飲んだ。心地よい液体は、異常に乾いた 知子の喉を潤した。
はあ、と一息ついて、知子はリビングに戻った。
ベットにいる男は、テレビの音にも、知子の気配にも起きて来る様子はなかった。
知子は暫くテレビを観ていたが、昼間のドラマはやたらと不倫モノが多い。それも、不倫した二人がうまく行くという内容のモノばかりだった。
馬鹿らしい。そんな事が現実にそうそうあるものか、と知子はテレビを消した。残ったビールを一気に飲み干して、空き缶 をゴミ箱に放り投げた。うまい具合に空き缶はゴミ箱に入った。知子はそれに満足してベットに戻る。
知子がベットに乗った衝撃で、男の顔が知子の方を向いた。しかし、起きている訳ではなかった。
「可愛い」
知子は男の顔を愛しそうに撫でて、また外を眺めた。
「雨は嫌い。雪になればいいのに」
知子は北海道の小樽の生まれだった。
東京で雪は降っても、あまり積もらない。小樽では、冬には日常茶飯事の事だった。だから、さほど好きでもなかった。だが、今ではそれが懐かしいくらいである。
男は、時々知子の故郷の話を聞いては、何度も一緒に行こうかと言ってくれた。嬉しかったが、知子は家出同然で小樽の町を逃げ出して東京に来たので、簡単に戻る事は出来なかった。
それに今はいいのだ。
故郷の事よりも、この男がずっと側に居てくれる方が何十倍にも嬉しい事であり、幸せな事だった。
男と知子の関係は、会社の上司と部下である。
ありきたりかもしれないが、そう世間で言う不倫関係にあった。
いけない事とは思いつつも、男にひかれていった事は仕方のない事であると、知子は自分に言い聞かせた。
男も妻がある身ながらも、知子の事を大切にしてくれていた。
そう、この関係が、妻の知るところとなるまでは・・・。
知子がふと誰かの気配に気が付いて顔を上げると、知子の目の前に女が立っていた。
その女の事は、よく知っていた。
この女は、知子の隣で眠っている男の戸籍上の妻なのだから・・・。
「な、何をやって・・・・」
呆然として、信じられないモノを見るように女は言った。
当然であろう。この家は、男とその女の家なのだ。そこに愛人である知子が上がり込んで、夫とふたりでベットにいるのだ。
怒りを露にした女が一歩前に進んで来た時、男の上に掛けられていた毛布がスルリと床に滑り落ちた。
女はそれを見ると、知子に怒りをぶつけるどころか、何か恐ろしいモノを見たかのように顔を歪めた。
そして・・・。
「きゃあああああああ!!!」
女が金切り声を上げて顔を覆った。
それでも男は目を覚まさなかった。
いや、出来るはずもなかった。
男の身体は、自らの血で真っ赤に染まっていた。見るも無惨にメッタ刺しにされていたのだ。
知子の着ているバスローブにも真っ赤な血が飛び散り、顔や手もその色に染まり、既に黒く変色していた。
そう、知子は男を殺していたのだった。
女は悲鳴を上げながら外へ飛び出して行った。
知子は、やっと邪魔者がいなくなったのでホッとした。
これであの女は、この男に手を出したり、戸籍上の妻の座を誇示したり、うるさく口を挟んだりしない。
知子は、滑り落ちた毛布を男に掛け直した。
そしてまた窓の外を眺めた。
外はようやく雪になっていた。
「雪になったわ。やっぱり雪が一番好き」
知子は呟いた。
当然、男にはその言葉に答える訳はない。
二度と知子の言葉に答えない。
それでも知子は幸せだった。
男は一生、知子のモノになった。だから、そんな些細な事は知子にはどうでもいいことだったのだ。
感想
favorite
いいね
ありがとうございます!
選択式
萌えた!
面白かった
好き!
良かった
楽しかった!
送信
メッセージは
文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日
回まで
ありがとうございます!