地の黄昏2

-WARNING!-ゴールデンアイの亡霊-

 外野が騒いでいる――。


 なんだぁ――。

 透明な四角い壁の中。俺に他に3人…。


 ああこれは。
 ゲームだ。


 士官の訓練の一つとして取り入れられているスポーツ。

 遊びの要素に引き込まれ白熱するうち、俊敏性、そして筋肉が強化されていく。

 俺はプレーしているのだ。顔面目掛けて白い塊が飛んで来た。すんでの所で、俺はそれを交わす。


 危ない危ない…。

 あれをまともに食らったらヤバイ。

 しかし俺はその反動で蹌踉ける事もなく、片足を軸にして素早く反転し次の動きの為に身構える。そして信頼と予想通 り、俺の相棒が的確な角度で壁へバウンドさせた球を真正面でガッチリと捕まえた。間髪を置かずに床を力強く蹴った俺は、二つの妨害の動きを難無く交わすと、腕と肩の全筋肉を緊張させてそれを持ち上げ、ゴールに落とし込む――。


 ああそうだ。


 これはいつかの場面。

 スコアボードに十二対0の文字が見える。

 俺とレイが大勝した日だ。

 外野が五月蝿い程に騒ぎ立てているのは、ゲームが彼等の予想に反して展開しているからだ。

 一応教官の立場の俺に出番は予定されていなかった。

 だが、全員参加の規定にも拘わらず――これは予想していたことなのだが――レイと組む者がいなかったのだ。

 レイは容姿の面で皆とは異なる所があり――それは決して外見が醜悪であるとかそういうことではなくて、その点では寧ろ皆よりも整っている程なのだが――要するに、人種の相違により一人浮いた存在だったのだ。

 二人一組のペアでなければ対戦は出来ない。全員を試合に参加させる為、俺はレイと出る事にした。――というよりも正直に言えば、レイが最終的に一人残った段階で俺の中にある感情が持ち上がってきた。何故だか解らないが無性に誰かの鼻を明かしてやりたくなったのだ。

 皆がレイを除け者にしようとしているのは明らかだ。レイは様々な場面で常にはじき出される。俺はそのことに腹が立っていたのだった。

 レイは一見頭脳労働者タイプに見えて、結構体は鍛えてあるらしいことを俺は知っていた。そして俺自身も体を使う事にはある程度自信があった。

 そこそこいける、いやかなりいけると思った。


「お前は自由に動け。俺ぁ命がけでゴールを守るから」


 皆の予想は大きく外れて、俺のパスを的確にとらえるレイは、次々とゴールを決めていく。レイの動きは無駄 はなく、柔軟に素早く敵の守りをくぐり抜ける。決断、切り替えが早く、開いたポイントを見極めては確実に俺の進行方向に球を送り込む。

 どの場面でも、俺達にはお互いが見えていた。

 俺達は抜群のペアだった。

 最強のパートナーだと感じ始めた頃――レイの活躍が気に入らない対戦相手が卑怯な作戦に出始めたのである。

 球をレイに集中しだしたのだ。

 その為レイは完全に動きを封じられてしまった。

 それは非常に危険なことだった。

 このスポーツ自体がそもそも危険を伴うものなのである。

 実は、このスポーツに使用されるボールはある特殊な材質で出来ている。置かれる環境によって質量 が変化するという材質だ。

 気温、湿度、そして接触する物の温度や硬度によって、瞬時に質量が変わってしまう。

 したがって手を離れ、壁や床をバウンドし、再び手元に収まるまで、浮力、スピード。質量 はことごとく変化する。

 危険と言うのは、原則として物質に接触すると、質量が数倍に上がるということだ。そして接触する物質の温度が高ければ高い程、その値は増す。

 キャッチする際は相当の重圧を見込んでおかなければならない。体に当たった場合、かなりの衝撃を味わうことになる。  訓練としてこのスポーツの意味がそこにある。

 常に緊張感、集中力を保持していなければならない。自分の視覚を通しての予想が全くあてにならないのである。

 敵は故意にレイを狙っていた。それも二人がかりで。俺の代わりに審判を任されたモリスの笛が何度も鳴った。ゲームはことごとく中断しその度に警告を与えるのだが、再開するとまた二人の動きがレイに集中する。


 レイは多分打ち身と痣が出来ている筈だ。だがあいつは泣き言を言わない…。


 またモリスの警告の笛が響いた。


 中断。
 再開。


 俺という四人目の選手を無視する様な形で、レイがまた挟まれた格好になる。

 もう我慢出来ない。

「お前ら、ちょっと待て…!」


 ガッ……!

 三人の中に割って入ろうとした俺を、物凄い衝撃が襲った。



 目の前に闇がかかり、さっきまでの喧嘩が次第に遠退いていった―――。









 あ…?



 焦点が合わない頭で馴染みのない天井の色を眺めていると、動力の僅かな振動が背中に伝わって来るのを感じた。


 ああ夢か――。
 あの時の。

 後頭部に手をやる。そして、かつてそこにあった瘤が今ではすっかり消えてしまっていたのを確認する。


 夢がかなりリアルだった所為か、まだ傷が疼く様な気がした……。


 アースとレイがこの巨大戦艦と共に行方をくらましてから、数時間が経過していた。つい先刻の出来事ながら
、アースはまるで他人事の様に感じられるのだった。

 重大な軍規を犯したという実感も湧いて来ない。


 後悔も――ない。


 あるのは、信じる通りに行動したいという充足感だけなのだった。


「さてと――」

 十分に眠った感覚を満足に覚えながら、アースはブリッジへと向かった。

 さっきは、船体の揺れに眠りを起こされた様な気がする。今も歩きながら、確かに左右に振られる。
 ブリッジにレイの姿はなかった。

 艦内の各地区を捉えるモニターのうち一つが、動いている何かを映し出している。

 レイである。


 あいつ何やってる…。


「レイ、何処だ」
 マイクで呼び掛ける。

 レイは何やら手を動かしていて、口元に何か運ぶと「オッケー!」と叫んでモニターの方を向いた。

「あ、起きて来たんですか。今そっちへ行きます」

 レイがいるのは厨房の様だ。そういや腹も減っている。レイの前にはうまそうなサンドイッチが映っていた。

「レイ、船体が揺れているが大丈夫なのか? 気流のせいだと思うが」

 レイの頭脳の方が優れているのは明白なので、自分で考えるより聞いた方が早い。

「丁度現在地はモズール星付近です。この辺りは磁場が強力で、常に気流が発生しているんです。でも最良のコースを選んでますから心配はいらないと思います。少々は揺れるけど、艦に影響はありません」

 よし、とマイクに答える。

 全て順調…と。

 急に空腹感が蘇って来る。

「そうだレイ、お前何人分こさえてる?」

 当然二人分ですよ、といかぶしげにレイが答えかけた時、船体がガクン!と大きく震えた。


 おわっ!


 アースはコンソールにしがみついた。

 モニターを振り返った時、もうそこにはレイの姿はなかった。きっとこっちに向かっているのだ。

 モズール星付近の気流についてはアースも知っている。過去に小型船が何隻か消息を断っている。なら通 らなければいいのだが、ここ以外のルートをとなると小惑星帯を通らなければならなくなる。それはもっと危険なのだ。

 だがこれだけの大きな艦なら、この位の気流で制御不能に陥ることはまずない。

 大きな皿を抱えたレイが入って来る。

「スープは置いてきました」

 ああ、とアースはさっそくハムサンドを取り上げて頬張りながら、一応船体の揺れを確認する。

「あと二、三十分で気流は抜けられると思いますが、まだ何回かは揺れるがくるかも知れません」

 そう言った時、レーダーの端に小さな光の点滅が現われた。

「何かいるぞ」
「小型船ですね」

 それはアース達よりもモズール星に近い海域を不安定に航行している。モズール星に近い程気流が強く、このままでは流される恐れがある。大型船でも出来るだけ離れて通 過するというのに。


「無茶しやがる」

 レイは交信を試みる。

「こちらデイルミンツ号。貴船の左後方四十キロカルツを航行中。何か問題はありませんか、どうぞ」

 デイルミンツ号とは、出航後に付けた名前である。「黄昏」という意味だ。

 レイの問い掛けに対し切迫した男の声が返ってきた。

『頼む、手を貸してくれ。完全に流されている。このエンジンでは脱出は不可能。至急救援を乞う!』
 アースとレイは顔を見合わせる。

「救助するなら早くしないと手遅れになります」

「モズール星に衝突…か」


 小型船はじわじわと移動している。一刻を争ってる暇はない。だが、アースには何か引っ掛かっていた。

 何故こんな危険なコースをとったのか。航海士ならそれぐらいの知識は持っている筈だ。それともまだ経験が浅いのか。


「アース!」
 レイが決断を迫って叫ぶ。

「よし、やれるか?」

「全速力で近付き下部メインデッキから拾い上げます」
 レイはエンジンを全速スタートさせた。

「今から救助に向かいます。そのまま逆噴射で頑張って下さい」


『了解!』
 デイルミンツ号は渦の中へと進んで行った。

「きっと民間の貨物船か何かですよ。多分航海の経験が浅いんでしょう」
 アースの気持ちを読んだ様にレイが言った。

「そうかもな」
 その時小型船の分析を終えたコンピューターがデータを弾き出した。

「ああやっぱり。BRS301型。これはマキュール社の最新型です。貨物輸送向きの奴です。あれ? でも改良型かな? オリジナルじゃありませんね…」

 船の改造はそう珍しいことではない。内部外部を問わず、手を加えることは良くあることだ。

 そうしているうちにも二つの船の距離は詰まって行った。元々デイルミンツ号の生みの親であるレイは、気流の抵抗を読んだ完璧な操縦で貨物船の真上へ艦を付ける。もはや操縦不可能に近い貨物船がメインデッキに吸い込まれたのを確認すると、すぐに反転の姿勢に入った。


「脱出します!」
 今更ながら、アースはこの艦の性能に感心していた。

 この驚くべき巨体の艦は、その大きさに似合わず敏速で、そして静寂だ。今までアースが操り乗り合わせたどの艦とも違っている。

 恐らく根本的な、推進力そのものの原理が違うのだろう。それを生み出したレイの頭脳は、一体どんな構造をしているのか。

 こいつなら、星一つを吹き飛ばせる兵器も、簡単に作れてしまうのかも知れない。

「御対面ですね」

「そうだな。そろそろ顔を拝みに行くか」

 モニターには今拾い上げた船がメインデッキに着地している画が映し出されていた。貨物船と思っていたその船に、砲塔とおぼしきものがあるのにアースは気付いた。武器という訳ではなく、自衛の為にそれらを装備する船も、珍しい訳ではないのだが。

 アースとレイがデッキに足を踏み入れた時、その小型艦(正確に言えば決して小型ではない。中形級である。だがデイルミンツ号の巨大さと比較すればどうしても小型に見えてしまう)の昇降口に乗組員の姿があった。男二人と女性が一人。お互いに進み寄り、体面 する形となった。

 男の一人が一歩前に出る。

「本当に助かりました。あなた方が通りかかってくれたお陰で危うく難を逃れました。さもなければ今頃宇宙の藻屑ですよ」

 男は精悍で逞しい体の持ち主だ。まだ若そうだが、幾多の修羅場を潜り抜けて来た様な屈強さが感じられる。この男が責任者なのだろう。

「無事で良かった。もし船に何処か異常をきたしている様なら協力しますよ。調子が万全整えば出航すればいい。我々は自由星域を目指しますが」

「そのルートで問題ありません。…それより――」
 男はぐるっと周囲を見回した。

「見事な艦ですね」
 心底感嘆した様に男が言った。

 見上げる程高い天井、球技の試合でも出来る程大きなドームを幾つか繋げた様なメインデッキは、奥へとずっと続いている。

「いや、紹介が遅れました。私はゴドルウ・カナン、こっちがマイキス・サージェン」
 脇にいたもう一人の男が頷いた。ゴドルウよりも若い。

「そして彼女はキミリア・タイン」

 前に進み出た女性は、なかなかの美人だった。くすんだ色合いの航海士風のスーツが、余計に彼女の魅力を際立たせている様だ。

「よろしく」
 芯の強そうな響きの声である。

 握手を返しながら、アースは彼女の瞳の色に気付いた。金色…。

「俺はアース。彼はレイだ」
 ゴドルウが一瞬、え?という表情を浮かべる。

「アースって、もしかしてあのアース・グロナー准将――?」
 アースは頷いた。

「こりゃあ驚いた。いや失礼、こんな所であなたの様な方に会えるとは思いも寄らなかったので。お噂は、私等の様な流れ者にも伝わって来てますよ」

「そりゃどうも」
 軽く受け流す。

 別に名前を指摘されるのが嫌と言う訳ではないが、要は面倒なのだ。
 だがゴドルウは興味深々らしく、幾つかの質問を咄嗟に用意した様だった。

「やはりこれだけの艦を操るのは、あなた程の人であって当然という気がしますよ。で、これは遠征か何かで?」

「いや…。これは軍とは関係ない。実は俺は退役したんでね」

「え、まさか――」

 ゴドルウは何かの冗談だろうと言う顔をレイの方へ向けた。が、レイが頷いたのを見て、再び信じられないと言う視線をアースに返す。

「あ、そう言うことなんで、何か必要な物がもしあれば遠慮せず言ってくれ。俺達はブリッジあたりにいるから」

 そのことについて詳しい話題には触れたくなかったので、二人は草々にその場から離れた。

 二人が軍規を犯してからまだそう時間は経っていないが、軍関連の機関、施設には既に手配は回っているだろう。だが民間に対してはまだ発表はされていないと思われる。

 何故なら、軍所有である最新の秘密兵器を盗まれるなどという様な失態は、出来るだけ伏せて置きたい事柄だからだ。

 民間に対してと同様、この件はクワイ・ナムイにも知られてはならないのである。武器などの脅威の貧弱さを知られてしまうことは、敗戦にも値する。未だ見せていない切り札は無数に存在するのだと思わせておかなければならないのだ。

 アースは、サーク星へ向かう途中でレイが突然消息を断った事を、エ・ディップはどうクワイ・ナムイに釈明するのだろう、と考えた。

 どうせろくな説明は出来ないだろう。それによって相手側の機嫌を損なうのは必須だ。だが、それで何がどうなると言う訳でもない。


 また戦いが続くだけだ…。


 何も握り絞めていないはずのアースの両手の平に、痺れる様な感触が走った。操縦桿を握る感覚。緊張感が極限まで上り詰めて行く。恐怖と高揚感。

 アースにとっての戦いのイメージが彼を押し包んで行く。

「アース」

「ん…ああ?」

 ブリッジに戻ってから何やら首を傾げていたレイが、空になっている大皿を指して言う。

「まだサンドイッチが残ってたと思うんだけど…無くなってる。知らない?」

「知るもんか。俺等が食ったんじゃないか?」

 最後の一切れまで平らげたかどうか覚えてはいないが、残っていないのなら食べてしまったんだろう。
 レイはまだ府に落ちなさそうな顔をしている。

「また作ればいいじゃないか。一仕事し終わったし俺もまた入りそうだ」
 どうせ作るのはレイである。

 納得したのかしないのか、レイは厨房へと出掛けて行った。



 ん…?

 サンドイッチ…?






「素晴らしいわ…」

 メインデッキに面した重厚な鉄の扉の向うは格納庫である。

 数十機の高速戦闘機が整然と列をなしている光景を。小型艦の女性クルーが覗き込みながら言う。

「しかし驚いたな。あのアース・グロナーが退役しただなんてな。彼の様な重鎮を失ったとなると、エ・ディップも先が思いやられると言うもんだ」
 ゴドルウはキミリアの後に続いて格納庫へ足を踏み入れた。

「それにどういう訳だ? あの二人の他にクルーが見当たらないってぇのは? こんだけの規模なら百人…いや二百人の乗組員がいても不思議じゃないぜ」

 二人は戦闘機の間で足を止める。

「ねえゴドー」
「ん?」

「あの男は何者だと思う?」

「そうさな、軍の事実上の本拠地と言われているカイナメア要塞の司令官といやぁ並の人物じゃないだろうぜ。それも金や権力を誇示してじゃなく、一介のパイロットから実力であの地位 に就いたのは誰もが認めてる話だ。追撃の神――未だにそう呼ばれているらしい。軍にとっては奴そのものが一つの兵器だと言う事だ。だが――何で辞めちまったのかね。よっぽどの事がない限り、奴の様な人物が地位 を投げ出すとは俺には思えない」

「そうね。もしかしたら…同類だとは考えられない?」

 キミリアの瞳が鋭い光に満たされた。

「私達が群れから離れた様に、彼もまたそうすることを選んだのだとしたら…。もしそうだとしたら、これだけの艦を彼が所有している理由がつくわ。私達は――出会うべくして出会ったのかも」

「そう――かも知れない。だが結論を出すのはまだ早いぜキミリア。奴等の目的が何なのかはっきり掴むまではな。万が一違っていた場合は――」


「この艦を――頂くわ」


 野望に満ちたキミリアの瞳が輝いた。

「ちょっと内部を覗かせてもらうつもりだったけど、これだけのものをみすみす逃す手はないものね…」





 その時、秘談を終えて立ち去って行く二人の後方で微かに動くモノがあった…。









 アースとレイの希望に逆らって、二人は小型艦の乗組員と一つのテーブルを囲んでいた。せめてものお礼にと、小型艦の積み荷である上物のワインと食料による食事の申し出を受けてしまったのだった。好意からの誘いを無下に断わる訳にもいくまい。

 案の定、話題はアースの退役の話へと移る。

「しかし、軍がよく承諾したもんですね。あなたの様な人材の損失はエ・ディップ側にとって致命的にもなりかねないんじゃないかな」

 ゴドルウの問いに他の二人ももっともだと頷いた。

 決して正当な退役手続きを踏んだわけではないことを思い浮かべてアースは胸の内で苦笑いした。

「指揮も重要だが実際に前線で働くのは兵士一人一人です。後継者は以外と育っているもんです。それに――司令官という立場――命令を下したい奴等なら軍には五万といますからね。不自由はしないでしょう」

 アースの皮肉の意味を解してレイは可笑しかった。グナイ参謀長の顔が浮かぶ。

「少し――ぶしつけな話をしてもいいですかね」
 ゴドルウの何やら意味あり気な問い掛けに、アースは特に身構えせず頷く。

「どうぞ」

「いや、この戦艦は――軍人という責務を脱してこれから言わば自適なせ威喝を送ろうという人の住み家にしては――と思う訳ですよ。その、あなたには何か外部には打ち明けておられない秘めた計画があるのじゃないかと――」

「計画――というと?」

 ゴドルウの言わんとすることにピンとこないアースは反対に聞き返した。

「これだけの艦を現にあなたが今所有しているというのは、退役前、軍務籍当初からの計画によるものなのではないですか? ある存在に対して独自の戦いの姿をとる為に――」


「おいおい…」

 話が思わぬ方向に向かうのを見てアースは遮った。

「まさかあんたらは、俺が単独でクワイ・ナムイに宣戦布告を仕掛けるつもりだとでも思っているんじゃあるないね」

「違うんですか? この艦を持ってすればそれも不可能ではない。いや我々なら心配無用ですよ。軍への義理立てがある訳じゃないし、あなたの計画の邪魔をするつもりもありません。寧ろクワイ・ナムイに対しては敵意を持って然るべきだと感じているのはあなたと同じです。あなたにそういう計画があるのなら我々としても是非賛同して協力をかって出たいと考えています」

 アースは、舌でころがしていた成程上物のワインが、今まさに無味になるのを感じた。

「ご期待に添えなくて残念だが、そういうことは全く考えていない」
 一瞬の張り詰めた沈黙が流れる。

「ではこれだけの装備は何の為に?」
 当然の質問ではある。

「君等の考えている様な勇敢な志の為でないということだけは言っておこう。悪いがこれについて詳しい説明をするつもりはない」

 不安気に見守っているレイにアースは目を合わせる。余裕を見せるべく微笑んでからグラスを掲げた。

「だが君等の愛国心に対しては俺からも称えよう。それと、このワインに」
 アースは一息に飲み干すと立ち上がった。レイも後に続く。
 暫くブリッジへの道を寡黙なまま歩いた後、アースが聞いた。

「レイ、俺等の目的は何だ?」

「ん――当面は新天地を求めての旅――だと思いますが。ちょっと不謹慎かな、僕はバカンスみたいにも感じているんですけど」

「いや、それでオーケーだよ。――だがそう思わない奴等もいる」
 アースの少し神経質な表情にレイは気付く。

「彼等が、何か問題ですか」

「面倒な事になるかも知れん」

「え?」
 気になる。大いに気になる所だ。

 今となってはあの金色の瞳にアースは心当たりがあった。まさかとは思っていたが、どうやらそのようだ。

 あの場合――救助を乞う通信を受け取った場合――誰しも捨て置く訳にはいかなかった筈だ。

 かと言って――今こちらから何か行動を仕掛ける訳にもいかない。


 さてどうしたものか――。













 デスクに足を投げ出して、モニター上の航図をぼんやりと見ていたアースは、背後に気配を感じて顔を向けた。

「お邪魔かしら」

 小型艦クルーのキミリアが立っていた。先程まで目立たない脇役な感じとは違って、彼女の内から放たれる強い存在感が表れている。今では、アースが彼女が単なるクルーでない事を知っていた。

「いいや」

 今やアースの方へ歩いて来る彼女の動き一つ一つが、鮮烈な存在感だった。まるでこの部屋の粒子に伝導していく様に圧倒する何かがアースの元に伝わって来る。

 アースと向き合える位置まで来ると、一瞬の内にその威圧感は消え、キミリアは無邪気に笑った。

「本物のあなたを見て成程と思ったわ」
 愛らしい微笑みがアースを捉える。

「私の知人の語るあなたと、噂で聞く伝説の男としてのあなたのイメージが少し違っていたから」
 商人や外域航海士達の間で自分がどう語られているかなどアースは知らない。

「彼女は言ったわ。あなたは――一つの枠に当て嵌める事は出来ないのだと」

「へえ?」
 一体誰だ、そんな妙な比喩を言ったのは。

「そしてこうも言った。彼は信頼出来る――」
 二人の間に間があった。キミリアはアースを楽しむ様な眼差しで見ている。

「俺の知らない所で、なんとも光栄な評価が下されてるって訳だ」
 デスクから足を下ろしてアースは煙草に火を付ける。

「だが期待されるのは御免だ」
 そこで初めてアースの漆黒の瞳がキミリアに向けられた。冷たく淡々とした視線だ。

「あなたは自分に多大な可能性があるのを見落としているわ」

「自分の可能性なら十分知っているよ」

「現時点で満足しているなんて嘘は言わないで。私には分ったの。私と同じモノがあなたにも流れてるって」
 確信的な口調である。

「祖国を愚弄し踏み躙ったクワイ・ナムイへの怒りは誰にもある。でも私達はそれだけではない。それを踏み台にしてより大きい高みへと自分を成長させようとは、愚鈍な人間にはきっと思いもよらないことね」

 『私達』という言葉がアースを不愉快にさせた。キミリアは続ける。

「『私達』が手を組めば、目指す到達点への距離は短くなるわ。クワイ・ナムイをも統べる地位 を手に入れることは――」

「やれやれ、とんだ妄想に取り憑かれているらしいな」
 熱弁を遮られ、キミリアは眉を寄せた。

「なんですって?」

「身の程知らずは愚鈍ではないと言うことか。いや、君がどんな常軌を逸した計画を企てていようと勝手だが、俺には関係ないね」
 キミリアの中に怒りが持ち上がるのが分った。

「クワイ・ナムイに取って代わって、今度は自分達が専制を振るおうと言うのか? 君のその動機が、平和な統治を目指してだけのもとだとも思えない。俺はそんな権力は欲しいとは思わんね」

「…とんだ思い違いだったようね。あなたはこういう志の解る人だと思ってた。こんな憶病者だったなんて」

「どう思ってもらおうと結構だ。それより一つ忠告させてくれ。単独でクワイ・ナムイに挑もうなんてのは思い直すことだ。組織立った軍さえも手も足も出ないときてる」

「そのようね。でもそれは装備にも問題があるのだとしたら? 敵を凌ぐ武器があるとしたらどうかしら。例えばこの――」

 キミリアはブリッジ内をぐるりと見渡す。


「この艦なら――対抗出来るわ」

「興味ない」
 強い信念を孕んだキミリアの言葉にアースは冷たく返す。

「君の謀計に俺は付き合えない。悪いが他を当たってくれ」
 キミリアはすぐには答えず、アースは再びデスクに足を上げてモニターに向き合った。

「そうするわ…」
 気配でキミリアが去って行くのがアースには解った。





 人は皆、意識的にしろそうでないにしろ誰しもが自分のルールの中で生きている。そのルールで己をも律しながらあるべき自分の姿を築き上げて行く。

 そして――この世に生きるモノの周りとの関係なくしては存在し得ない。人である以上、自分以外の者と係わりなく生きて行くのは不可能なのだ。

 だが俺は、他人のルールに服することだけはしたくない。

 たとえそれが、大多数の者にとっての最善であったとしても。

 俺自身の最善でない限りは――。

 結果的にエ・ディップを離れた事の最も大きな要因も、もしかしたらそこにあったのかも知れない。



 俺が従うのは、俺だけだ…。


 どの位時間が経ったのか、束の間の眠りからアースは呼び起こされた。


『アース、すみません。ちょっと来てもらえませんか?』
 レイである。

 徐々に自分達が航海中なのだという現実に意識が合わさり、それと同時に直面 していた問題がアースの脳裏に甦る。

「今行く」

 短い返事をしてからブリッジに向かった。

 艦内はひっそりと静まり返っている。異常を感じさせる様なものは何もない。正常に航行している様に思える。


 あの倒錯女が何かしでかしてなきゃいいが…。


 勇んでブリッジに足を踏み入れたアースのこめかみに、突如冷たい硬質なモノの先端が押し付けられた。

 な…。


「ごくろうさま」

 前方巨大スクリーンの前で、キミリアが勝ち誇った様にアースを見ている。レイが銃を突き付けられていた。

「すいません、アース…」
 恥じ入る様にレイが言う。

 くそ、お前は悪くない。俺が警戒を怠ったからだ。

「この坊やに怪我させたくなかったら大人しくなさい」
 キミリアが、アースに銃を突き付けているゴドルウに合図した。

「言う通りにするこった」

 ゴドルウは用意してあったロープでアースの両手を結わえ始めた。そして作り付けのデスクの足にしっかりとそれを縛り付けた。体勢的にアースは床に座らせれる格好となる。

「やはりな。ゴールド・アイの海賊、あんたか」
 今や仲間内での勢力位置をはっきりと見せているキミリアは、女王然とした笑みを湛えている。

「私のことを御存じとは光栄ね」

「この辺りで気流に巻き込まれて遭難したとされているもののうち幾つかは、あんたにやられたものだろう。成程あの手口なた引っ掛かっても無理はない」

「今まではせこい小物ばかりだったけど、仲間との合流地点へ向かう途中でとんだお土産物を手に入れたわ…。私は欲しい物は頂く。本来なら賛同され協力されうるべきものなのに、私の崇高な思想を誰も理解出来ないとは残念ね。あなたさえその気なら問題はなかったのに…」

「何でも自分の思い通りになると思ってるのか? 自分の考えがこの世で唯一のものだと? 君は何処か根本的なところで思い違いをしている様だな」

「思い違い? 私が? …そう、かつて私の友人…彼女もそんなことを言ったわ。あなたには従えないって…。私は彼女が好きだった。そして彼女が時々語るあなたを、いつの間にか自分の中で理想化してしまっていた。まさに思い違いとはその事よ。あなたは、エ・ディップにとって英雄でもなければ救世主でもなかった。私の理解者に成り得る男ではなかったのよ」

「俺は英雄にもあんたの理解者にもなりたいとは思わんね。なあ、人間は生きて行く上で自分の理解者になっていくものなんだよ」
 キミリアが表情を僅かに強張らせた。

「ゴドー、少し黙らせて」

 ゴドルウがアースに近寄る。そしてその骨太い拳がアースの頬にめり込んだ。

「アース!」
 レイが悲痛な叫びを上げる。

 とその時、ゴドルウはあるべき筈のない気配を感じて顔を上げた。

「わ…!」

「とんだ所で会ったわ、キミリア」
 振り向いたゴドルウの顔面に銃口を突き付けて立っているのは、なんとターニャだった。

「ターニャ、どうして――」
 この場にターニャがいることに理解の及ばないレイが声を上擦らせる。

「それ以上二人に手を出すと許さない」
 ターニャとキミリアは、それぞれの敵に銃口を向けたままお互いに睨み合った。

「ターニャ、あなたがこの艦にいたとは知らなかったわ。…アース・グロナーが退役しているとするなら…そう、あなたも…そうなのね」

「あなたには関係ないことよ。あなたの生き方が私に関係ない様にね。どんな野望を企んでいようが、やるなら勝手にやればいいわ。ただし彼等を巻き込むのはやめて頂戴」
 ターニャは毅然と言い放つ。

「少しも変わってないわね。あなたのそういう勇ましいところは好きよ。どう?アース。女に守られている気分は」
 キミリアは薄笑いを浮かべてアースを見る。

「キミリアもう終わりよ。さあ、レイを放して!」

「出来ないわね」

「彼がどうなってもいいって言うの!」

 ターニャはゴドルウの腕を掴んで引き寄せ、彼の頭に銃口を強く押し付けた。

「甘いわね。たとえ彼が犠牲になる様なことになっても、今はこの艦を諦めるつもりはないわ。それにターニャ、あなたに彼の命は奪えない。いざという時その決断が出来ないことがあなたの弱点だったわね。必ず他の方法を探そうとする。そして空しくも――事態は急転する」


 は…!

 いつの間にか、キミリアの仲間の一人マイキスが今度はターニャの背中に銃を突き付けていた。そしてターニャの銃を奪うと、アースと同じく縛り上げる。

「簡単に人を殺せる事が強さだと言うの!」

「場合によっては! 信念を貫く為ならやらなくてはならない時もある!」
 一際強く言い放った二人の声が、ブリッジ内に反響した。

「俺達をどうする?」

「そうね。途中何処かで降りてもらうわ。もっともホテルなんかはないでしょうけどね。無人の星だろうから。この坊やには今からこの艦の扱いを教えて貰う事にするわ」

「あんたらには扱えないだろうぜ」

「彼等はこう見えても操縦の腕は一流なの。心配には及ばないわ」

 キミリアはレイを立たせると操縦席へと連れて行った。ゴドルウとマイキスがそれに続く。
 暫くして、レイの説明する声が聴こえてくる。

「失敗したわ」

「もう少し隠れてりゃよかったのに」

「そんな訳にはいかないでしょ」
 ターニャがアースを睨んだ。

「彼女とは知り合いなのか」

「…ええ。訓練生時代からのね」
 溜息がターニャから漏れる。

「結構仲良かったのよ。彼女があんな風になるまでは…。家族を亡くしてね、一度に。それからよ」

「家族を亡くしたのは彼女だけじゃないさ」

「そうよね…。私なりに色々やってみたけど駄目だった。…戦いって――その人の魂まで奪ってしまうのかしら…」

 こんな目に合いながらも、ターニャがキミリアを哀れんでいるのがアースには解った。

「とにかくこのままだと本当にどっかで放り出されることになるわ。アース、何とかならないの」

「そうだな…チャンスはあるかも知れない。多分もう少ししたら――」

 急に二人の体が傾いた。向うでもレイ達が蹌踉けながらその辺の物に掴まっている。

「どうしたの!」
 レイがナビゲーター表示を見ながらキミリアに返す。

「どうやら小惑星帯に侵入してしまった様です」
 今度は外壁に何かがぶつかる音がして、再び艦体が振動する。

「コースは設定してたんじゃないの! 何故そんなところに!」

「最初に気流を抜けた辺りから微妙にズレが生じていたのかも知れません。とても危険な状況ですね」

「危険って――」

「小惑星とまもとにぶつかる様なことにでもなれば、たとえこの艦といえどもかなりの損傷が予想されます。場合によっては艦もろともということも…」

「ゴドー! 一刻も早くここから出て! 何としてもこの艦だけは持ち帰るのよ!」
 キミリアはヒステリックに叫んだ。

 ゴドルウとマイキスが小惑星帯から脱出すべく操作にあたる。レイが教えた通 りの、正確な操作だった――。



 ウィンウィンウィン…!



 突然警報が鳴り響いた。


「な…なんなの!」
 レイが冷静に答える。

「最悪の事態を招いてしまった様です。艦自身が異常を認めて、自爆するように設定されてしまいました」

「自爆ですって! 一体どういうことなの!」

「この艦のコンピューターは、かつてないほど高度なレベルの人工知能が適用されています。それにより操作する際の僅かな癖までも感知してしまうのです。まるっきり馴染みのない様な操作をしてしまった場合、艦自体がそれを異常事態と見なして自爆するように設定されます」

「解除出来るんでしょ!」

「一度設定されたら、僕達にはどうする事も出来ません。解除出来なくはないのですが、何しろコンピューター中枢の一番奥に入り込んで呼び出し、解除の指令を読み込ませるのに多分二時間は掛かります」

「それならば早く!」

「自爆するのは今から約十分後です」



 ウィンウィン…!


 警報が一層激しく鳴り響く。


「そんな…」
 キミリア絶句した。

「キミリア、ここは脱出するしかない。艦はもう諦めろ」
 ゴドルウが促す。

「時間がない。それともこの艦と心中する方がいいか?」

「……解ったわ」
 キミリアはアースを見つめる。

「あなた達も早く出ることね。…私が言うのも何だけど…とても残念だわ」
 キミリアはブリッジ内を見渡す。

「キミリア、行くぞ!」
 ゴドルウに続いてキミリア、マイキスが飛び出して行く。

 レイはすぶにアースとターニャのロープを解きに掛かった。

「アース、大丈夫ですか」
 アースは自由な手で頬を擦った。

「大した事はない。でも殴られた拍子にしこたま後頭部をぶつけたから、また瘤が出来た様だ」

「また――? 大丈夫ですか?」
 レイはアースの後頭部を覗き込んでいる。

「ねえ! そんな事している場合じゃないわ。後五分しかないのよ!」

 のんびりとした彼等のやり取りを見てターニャが叫んだ。二人は顔を見合わせて何故かニヤリとする。

「何なの! 早く逃げなくちゃ爆発――」
 二人はとうとう声を出して笑い始めていた。

「レイ、嘘の操作を教えたろう」

「小惑星帯に突っ込む様にコースを変更したのはアースですね」

 二人は可笑しくてたまらないという様に笑い転げた。

 ターニャは唖然としている。


「くっくっ…取り敢えず、何とかこのままこの小惑星帯を抜けて行こう。ここはそんな巨大な惑星がある区域じゃないからな、十分抜けられる。奴等は――巧く脱出したようじゃないか。おっと十分経った、ぎりぎりセーフだ」

 アースは笑いながら、キミリア達の船がここを離脱して遠去かって行くのを確認した。
 レイは手元のボタンを押す。急に警報が鳴り止んだ。

「えっ、どうしたの」

「ターニャ、これはただの警報ボタンです。ほら」
 レイはまたボタンを押した。再び警報が鳴り始める。

「これを必ず押す様に教えといたんです」
 レイは警報を止めると、アースとターニャに向き直った。

「何でターニャがこの艦に乗り込んでるってこと、僕に教えといてくれなかったんです?」

 随分驚きましたよ、と少し怖い顔のレイを、まあまあとアースが宥める。

「悪かったな。じきに会う事になるだろうと思ったし、それよりも先にこんな事になっちまったからな」

「いいえ、別に怒ってる訳じゃないんです。僕はターニャに謝らなきゃいけない。大変な事をさせてしまって、それにこんな所に一緒に来させてしまって、本当に御免なさい!」

 レイはターニャの前で頭を下げたのだった。ターニャはレイの髪を優しく撫でた。

「いいのよレイ。それに、これは私が決めたことなのよ。アースと同じ様にね。一つだけ覚えておいてね。私は自分の人生を人に決めさせたりしない。何があろうと、どんな事になろうと、私に起きる事は全て私の責任であるのよ。解った?」


「ターニャ…」
 アースがレイの髪をかき混ぜた。

「ああ、それでだったんですね。あのサンドイッチはターニャだったんだ」

「何? サンドイッチって…私知らないわよ」

「え…????」







 アース達はこれまでの海域を荒らし回っていた海賊ゴールド・アイのその後の航行進路を推定し、それを宇宙公安委員会に知らせた。

 間もなくしてキミリア達は、まさにその進路上で捕獲され逮捕されることになった。

 積み荷及び船そのものが盗難品であった事で、彼等に言い逃れの余地はなかった…。

 こうして反逆者である筈のアース達三人は、海賊逮捕の立訳者として瞬く間にその噂が巷に広まってしまったのであった。







 目指すは自由星域。

 新たな生き方を求める三人を乗せ巨大戦艦は行く――。



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