地の黄昏

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 壁や天井や床自体が発光しているかの様に明るい。

 オフホワイトで統一された通路を、目線を落としたまま歩く。そうする事で眩しさが和らぐ訳ではないのだが、天井全体に施された蛍光板の容赦のない明かりは、レイには少々眩し過ぎた。彼のラピスラズリの瞳――彼の上官であるアースは宇宙色と言う――は、他の物より少し色素が薄い造りなのかも知れない。

 居住区がある四区から機関部である九区へと進む。司令部がある十二区へ向かうにはそのまま五区を通 るのが普通だが、レイは、いつもこのルートを使う。通路は少し狭くなるが照明ははるかに落とされ、何より、剥き出しの機械類が醸している量 感がレイの心を落ち着かせるのだった。

 レイは、ここ機関部で微細な振動や動力のうねりを聴くと何故か安堵する。この地が本物の大地でないと確認出来るからだ。


 ここは大地ではない。
 作り物の大地。

 この要塞は偽物の地―――。


 本物の大地とは、洋々に色と模様を変える空があり、季節ごとに違う風の香りや、生命の息吹が感じられるものだ…。


 ひんやりとした内壁を伝って進む。すると前方に四角に切り取られた宇宙が現われる。


 超厚ガラスいっぱいに広がる宇宙――。

 ここからの眺めがレイは一番好きだった。微かな機械類のうねりお心地良く聴きながら、深淵な宇宙に目を凝らすのだ。

 彼方に無数に散点する星々の光はレイの心を惹き付けて止まない。

 光とは生命である。故にその光の源である星もまた生命なのだ。生命が、人類や他の動物だけに与えられた特権だとはレイは思わない。この世に存在するもの全て――自然に発生したものであれ、人間が生み出したものであれ――無機物、そして実体のないものに至るまで、皆生命ある存在なのだと思う。例えそれが言葉を有するものでなくとも――。


 ――そうでなくてはならないのだ。

 ――もし、そうでないのなら、この僕はどうなる?


 行き場のない問いかけを自らに浴びせながら、レイは煌々と輝く光を見つめていた。

 今こうして見ている光は、遠い過去の星のものだという。

 今はもうないかもしれない星。
 星は無くなっても光は存在し続ける。

 生命は存在し続ける。


 永遠に―――。



 そこでレイは急に吹きそうになった。この間アースが言った事を思い出したからである。


 ――なあ、商売でも始めてみるか――。


 最初、何を言い出したのかとレイは思った。

 軍人が商売などしていい筈はなく、ここカイナメア要塞には一般に言う商いというものは存在していないのである。必要品は軍直轄の物資部で全て手に入るし、それで足りなければ、定期的に母星エ・ディップ星との間を運行している運搬船に申し込む。

 アースにしては珍しいくらいに真面目な顔だったのだが、この男がまさか要塞司令官という地位 から商人に転職などする訳はなく、彼流のジョークなのだろうとそれをきっちり受け流したレイにアースはむくれた顔をして見せたのだった。

 その時のアースの顔を思い出すとレイは今でもまだ笑えた。アースは時々子供の様だとレイは思う。そして、こうして笑っている自分が何より不思議でもあった。


 ごく当たり前の日常の対話。


 それをアースとの間に何とか持てるようになるまで、二人は最初の出会いから約半年かかった。そしてお互いの考えを躊躇や拘わり無しに伝え合うまでにはそれから一年かかっている。今の様な如才無いとも言える付き合いが出来る様になるまでには、恐らくもう一年かかっているはずだ。


 お互いにというのは、不適当だろう。

 レイが心を開かなかったのである。

 それもしかし当然の事かもしれない。レイの外見上の理由から、誰も拘泥する事なしには彼と接し得なかった。レイは、余所物――この地に不適切なものとしての扱いを受けたのだから。そんな中でまた誰よりも一番「異端者」として彼を認識していたのはレイ自身だったのだが――。

 しかしアースはそうではなかった。初めてからレイを別視する事はなかった。元々、階級さえも気にしない質のアースは、レイにも元来の仲間に話す様に話し接したのだった。上官としての立場から行使出来る様な事を、何一つレイに求めなかった。今にして思えばアースの根気は見事だったとしか言い様がない。だんまりだったレイが頷きや目線だけでなく言葉で返事する様になり、また双方向の会話が可能になったのはアースの並外れた忍耐によるものなんだ。

 ふと、自分にとってのアースの存在の大きさをレイは思った。

 孤独と絶望の狭間で、隔絶していた日々。

 誰も聞き得なかったレイの胸奥の悲痛な声を、アースだけが聞き取っていたのかもしれない。

 しばし星を見入った後、レイは向かうべき場所があった事を思い出した。


 呼び出しがかかっていたんだっけ――。


 レイの姿はたちまち機械のうねりの中に消えていった…。
















「アース、君に他に何か策でもあるというなら聞かせてもらいたいがね」


 自分に反論出来る人間の存在などまるで認めないとでもいう様に男は言った。

 母星、エ・ディップ星からの訪問者――グナイ参謀長の弛んだ目許やお偉方特有の上から見下ろす態度が、アースは鼻持ちならなかった。その男が体全体にまとっている歪みきった自信が、一体何処から来るのだろう…と、アースは考えた。

「それでは、彼の、ここでの適応や我々の関係に対する彼の考え方、帰属意識は、何の意味すらなさないと言うんですか。たとえ彼がどんな役割を果 たそうとも軍の彼への処置は最初から決まっていたわけだ…!」

 ささやかな反論を試みるべく語気を強めたアースを、グナイ参謀長の蜥蜴の様な目が捉える。

「役割――とは何だね?」

「レイのもたらしたデータは、我々の技術を遥かに超えている。それはあなたも認めている筈だ。十年先、いや五十年先なら解らないが、今の我々ではあれだけのものを成し遂げる術はなかった。彼の提供してくれたものは、十分評価されるべきものだ」

「そう、我々は十分に評価しているよ。その表れとしての君の大将への昇格は、確かに君自身が断わったのではなかったかね。信じられないことだが」

「勘違いされている様だが、あれは私の働きじゃない。レイの功績だ」

「レイの才能と技術を見い出し、それを軍に役立てた君の才覚によるものと我々は判断しているがね」

 グナイ参謀長の弛んだ目許にまるで変化はない。このアンドロイドばりの堅物に、何を言っても無駄 なのだとアースは思った。

「どっちにしろ、そんな決定は馬鹿げている」

「今まで、君がレイを手元に置くのに任せてきた。だが、こういう事態にあって何を優先すべきかは、司令官、君の様な男なら承知していて然るべきだと思うが」


 ―――俺が…レイを手元に…?


 アースは、自分の頭部のどこかでガラス類が派手に割れる音を聴いた気がした。あからさまに目の前の男を睨みすえながら、昇格を辞退したことさえ今は後悔し始めていた。こんな男の下にいると思うだけで胸が悪くなる…。







 レイは、司令官室へ足を踏み入れた途端に、ただならぬ空気を感じた。

 入り口の外で待機している、二人の見なれない士官を見た時から既に妙な胸騒ぎは覚えていた。二人がレイに向けた奇異な物を見る様な目付きは、レイにかつての不安を呼び起こしかけた。

「レイ君、元気そうじゃないか」

 聴き覚えのある声の方向にグナイ参謀長の姿を認めた時。レイの体は凍り付いたのだった。


 五年前、アースにレイの身柄を預けて行った男だ。


 レイに奇異な視線を向ける者は少なくないが、それでもこの男の目付きよりはマシだった。

 本心の千分の一も他人に覗かせない蝋細工の様な目付きがレイは苦手だった。

 その中に微かに漂う好色じみた光に嫌悪を感じながら、レイの体は硬直していた。



 この男がここにるということは…。

 それは…。



「すっかりここにも慣れた様だね。よくやってくれている様で我々も嬉しい。急で悪いのだが、実は君に辞令が下りたのでね」

「じ…れい…?」

 レイの動揺をアースは痛いほどに感じた。レイは足を床に張り付かせたまま小動物の様に動けなくなっている。

「レイ、悪いがこれを輸送部まで届けてくれないか」

 初めからここにレイを呼び出した用件がその事であった様にアースは告げた。 グナイ参謀長が怪訝な視線を向けたが、アースは気にしなかった。引き出しの中から書類を取り出して、ぎこちない足取りで近付いて来たレイに持たせる。

「ターニャに渡してくれ。そこにいると思うから」

 アースがレイを去らせた後、参謀長が言った。

「君はまったく彼に目をかけすぎる。私には解せない」

 そうだろう、とアースは思った。解ってたまるものか。

「君が部下から寄せられている信頼が、そうした君の性質にあるのだとは誤信しないほうがいい。人気と能力、賢明さとは別 物だからね」

 それらの言葉にも、アースは特に注意を払わなかった。

「レイには俺から話します」

「…そうしてくれたまえ」





 ターニャを見付けて初めて、レイは自分が輸送部にいることに気が付いたのだった。


「ターニャ」


 気配もなく現われたレイにターニャは驚き、次にそのただならぬ顔色に気が付く。

「どうしたの」

「これ、アースから…」

 ターニャはレイに友好的な人間の一人である。アースと同じ様に、レイを弟の様に可愛がっていた。レイの様子から、何か良からぬ 事が起きたのだと直感したのだった。

「ちょっと来て」

 部屋の端へレイを引っ張って行く。書類の内容を確認してからレイに向き合った。

「何か、あったのね」

 レイは、少し間を置いてから口を開いた。

「僕に辞令が下りたんだって…。ああでも…大したことじゃないんだ…」

 見た目にも落ち着きを失っているレイの言葉は、かなり絶望的な意味合いに響いた。

「レイ、よく聞いて。まだ何も決ったわけじゃないわ。悲観的になっては駄 目よ」

 ターニャはレイの目を捉えてきっぱりした口調で言ったが、レイはただ弱々しい笑みを漂わせて踵を返そうとした。

「アースが、きっと何か考えてくれるわ!」
 ターニャの声を背後に聞いたが、レイは振り返らなかった。





 来た時と同じ道を今度は逆に辿りながら、虚ろな足取りで自室へ向かう。


 だが、今度は四角い窓から宇宙を眺める事はしなかった――――。
















 アースは途中、機関部にレイの姿がないのを確認するとまっすぐ居住区へと向かった。

 心配だった。


 詳しい事はさっきは何もレイには話さなかったが、勘のいいあいつはきっと辞令という言葉の意味を概ね理解している…。


 残酷で非道な決定だ。


 レイが今どんな気持ちでいるか…。


 いつも通りの太々しいまでに飄々とした彼の外見からは想像出来ない程、アースは痛切さを味わっていたのだった。

 レイの部屋のブザーを押す。

 少ししても返答がないのを確認し、もう一度押す。

 それでも中からの応答はない。

 緊張が溶けた様にアースは溜息を吐いて煙草を取り出した。視線の向うに「禁煙」の表示板を認めはしたがそれに構わず火を付ける。


 対応拒否か、それともほんとに眠っちまってるか―――。


 その場に腰を下ろして扉にもたれ掛かりながら、最初に吸い込んだ煙りを大きく吐き出した。



 五年か―――。



 やたらテカテカと艶のある通路の白い壁をぼんやりと見つめながら、アースは記憶を辿り始める。








 レイが、ここカイナメア要塞に来たのは、アースがこの要塞の司令官に就任して間もない事だった。

 グナイ参謀長から「預かる事になった」若者は、一見して自分達と同種族でないことは明らかだった。

 青みを帯びた髪の色。

 この星の者にとって決して好ましいとされないある集団のレイもまた所有していたからである。

 その集団――クワイ・ナムイとは、古住今来戦争状態が続いている。それがいつからのことなのかを探り当てようとするなら、この星の始まりまで遡る必要があるだろう。

 エ・ディップ星の歴史は、アースという名の惑星の終焉という、不確かな史実と同時に幕を上げる形で現われる。

 それが最初であり、それ以上の歴史は存在しない。そして――その時既に戦争は始まっている。

 歴史家の中には、そのアースという惑星こそが、我々、そしてクワイ・ナムイ人の共通 のルーツであると唱える者がいる。星の寿命或いは人為的な要因によって最後を迎えた惑星から逃れ派生したのが我々とクワイ・ナムイ人なのだと。だが、それに疑問を投げ掛けているのが、両種族間の顕著な外見上の違いなのである。


 ともかく、有史以来戦い続けているのだ。


 エ・ディップ星の歴史は常に戦争と共にあった。この星の平常とは、戦っている状態のことを言うのである。

 クワイ・ナムイは、エ・ディップを完全に破壊の目標として定めているのだった。武装の有無にかかわらず、客船、貨物船、全ての航海中の船が攻撃の対象となっていた。地上とて例外ではなく、彼等のレーダーにかからない星域を通 り探知出来た時には既に驚く程接近しているのだ。攻撃を仕掛けて確実に打撃を与えた後、こちらにろくな反撃も許さないまま撤退して行く。

 軍事力、航海術、その他技術面においてエ・ディップよりはるかに優れているのは明白だった。



 クワイ・ナムイは―――攻め、破壊する。

 エ・ディップは――――守り、抵抗する。



 軍備には、あてられるだけの予算を注ぎ込み、可能な限りの人材を投入した。

 だが、抵抗は抵抗にしか過ぎず、多くの町が消滅し、多数の人命が失われていく。

 人々のクワイ・ナムイへの憎悪は膨大だった。



 家を破壊された憎しみ。

 町を破壊された憎しみ。

 そして、家族奪われた憎しみ――。



 死が蔓延するにつれ、クワイ・ナムイへの憎しみは肥大していく。

 当然ながら、レイへの人々の風当たりは強かった。

 彼の素性や経緯は機密扱いとなっていた為、その外見的特徴から彼は好奇の蔑みの両方の目に晒されることになった。それらの中に、クワイ・ナムイへの憎悪と同じモノが含まれている事をレイは知っていた。

 レイは、クワイ・ナムイと何処かもう一つの種の間に生まれたのだった。その二つの遺伝子は、どういう作用によってか、彼に並外れた頭脳をもたらした。

 そしてその理由から、レイは余り自由な人間とは言えない育ち方をしたのである。

 クワイ・ナムイがレイの能力を無駄にするはずはなく、彼は幼い頃からずっと軍事面 の研究と開発の場に利用され続けて来たのだった。

 終焉の見えない戦争という絆の中だけに己の能力を注ぎ込み続けること――自分の在り方そのものに疑問を抱いてきたレイはとうとう――クワイ・ナムイから脱出した。

 亡命先にエ・ディップを選んだのは、もしかしたらレイも知らないもう片方の血がそうさせたのかも知れない。

 だが「受け入れられる」ことになったこの地で、レイは歓迎されざる客としてまた別 種の苦悩を味わうことになったのだ。


 そんな中での例外がアースだった。


 要塞内部をくまなくレイに案内をしたのは彼だったし、彼自身の仕事を手伝わせたりもした。

 レイを憎むべき敵の一人として捉えている皆の目には、レイに対するアースの態度は不可能な程好意的なものに映ったが、それも司令官としての立場上やむなくしているのだ、と皆は考えていた。

 実際はそうではない。

 アースには、レイを特別視する理由がまるでなかったのだ。レイを敵であると見なす考えなどさらさら湧いてこなかった。


 確かにレイはクワイ・ナムイの血をその体の中に引いてはいるが、それが何だというのだ?


 今彼は、こちら側に「所属」しているではないか?


 敵と味方、正と悪の規準などとは、それほどに単純なものなのだ、とアースは思っている。

 正悪は大抵、自分がどちら側に所属しているかによって決まる。所属している側が正しいと見なす事が、そこに暮らす者の正となるのだ。


 反対に、相手側にとっても同じ事が言える。

 敵対している双方のそれぞれの価値観を照らして見れば、どちらも正だと言えるのだ。

 アースにはたとえクワイ・ナムイといえども心の底から憎み切れることが出来ない。恐らくそれは、要塞司令官などという立場から言えば問題なのだろうが。

 出来るなら――何ももっと大きな、宇宙的な視点からジャッジを下せる存在でもあれば――とアースは思う。


 所詮、種族的相違う物理的欲求に翻弄されている我々が、公正な判断など出来るはずはないのだ…。





 レイにとってアースの言動は予測不可能なものだった。そしてこれまでクワイ・ナムイでしっかり根ざしていたレイの価値観は直に揺らいでいった。アースはレイの頭脳などには一向に興味がなく、驚く事に、一応の上官でありながらレイを動かすことにすら関心がない様だった。

 なんだかレイには、アースがただ「楽しくやりたがてる」様に映った。


 まさにその通りなのだが…。


 次第にアースはレイにとって、一番安心し信頼の置ける人間となっていったのだ。

 そして、このレイのIQなどに全く関心のない男に、レイは極めて重要な情報を打ち明けたのだった。それは彼がここに来て二年程経った頃のことだった。

 これが何かアースの役に立つのなら…と言う前置きでレイが提示したのは、エ・ディップの現在の科学技術ではおよそ到達しえない最も高水準の戦闘母艦の設計図だったのである。

 設計図――と言っても、それは全てレイの頭の中に収まっているのだった。その後レイは図面 を起こすべくコンピューターに向かうことになる。

 直ちに試作艦が造られ、その性能が実証されると、軍は本物の製造に取り掛かった。それもまもなく完成するはずだ。

 クワイ・ナムイにもない「切り札」をレイは提供したのだ。だが今回グナイ参謀長が下した決定とは、レイを捨て駒に使うことなのだった。

 近々行われるクワイ・ナムイとの和平会談――これまでに何度目かの――そして常に降伏を求められてきた――に対する策なのである。

 クワイ・ナムイは今回、レイを同伴させることを要求してきた。

 アースには解っている。レイは危険分子なのだ。クワイ・ナムイの情報を最も克明に語れる存在なのである。

 同時に、彼等の恐らく最終目標であろう宇宙君臨に最も必要な人材なのだ。その為にはどうしても取り戻さなければならないのだ…。






















 アースがもたれかかっていた扉が、微妙に動いた。

 はっとして体を浮かして振り仰ぐと、レイが開いた扉から見下ろしている。


「部屋の前に吸殻が溜まってたら、僕が叱られます」

 なるほどな…と呟いてアースは立ち上がる。吸殻を拾い上げてからレイに続いて部屋に入った。

 入った途端に、アースは妙な違和感を覚えた。何処がどうと言うこともないのだが…いつも通 り整然としてるし…。


 片付き過ぎてやしないか―――?


「何やってんだ?」

 仁王立ちのまま尋ねるアースに、レイは灰皿代わりに持ってきたコーヒーカップを差し出す。

「何って――整理しているんですよ。飛ぶ鳥あとを濁さず、って言うでしょう」

 レイは、また整理を始めた。見ると部屋の隅に、決して多くはないレイの荷物が、いくつかの箱や袋にまとめられている。

「やめろよ」

 意図的に険しい表情を作りながらアースは言った。だが、レイは見ようとしない。

「何か言いました?」

 手を止めずに言うレイの前へアースは回り込んだ。

「頼むからやめてくれ」
 アースの意外な語気にレイは動きを止める。

「後の者の為に片付けたりなんかしなくていい。俺達の為にお前が何かをする必要なんてないんだ…!」

 しばし二人とも沈黙していた。レイが気が抜けたようにソファに座る。アースも隣に腰を下ろした。

「レイ、何を考えている? 今度の事をお前はどう思ってる? 解ってるんだろ、この決定がどういう事なのか。グナイは最初、お前の取り引きを交換条件に、自治星として生き残りを計ろうとした。だが当然ながらそれは叶わなかった。…今回奴はクワイ・ナムイとの和平会談にお前を同伴させると装って、自分は途中で艦を降りる算段だ。初めから会談に臨むつもりなどない。お前だけ指定場所に着陸させる。お前というエサをぶら下げて彼等を引き付けるのさ。何と言ってもクワイ・ナムイが一番欲しがってのはお前だから、彼等は必ずお前と接触する。だがその時は艦諸共、お前も彼等も木っ端微塵て寸法だ。今までやられてきた分をそれで一矢報いるつもりでいる。それが軍の計画だ。どうだ、何とか言ってくれ。俺を罵るなりなんなりしたらどうだ」


「あなたの所為じゃありません」


「俺を含めたここの人間全部の責任だ。俺は、お前へのこんな仕打ちには我慢出来ない。利用するだけ利用して後はポイか? まともな人間の考えることじゃない」

「でももう決まったんでしょう?」

「決まっただろうが、それが何だってんだ。お前はそれでいいのか? いいわけないだろ? ちょっとは反抗してみろよ。なあ、言ってくれ、こんなことには従えないって。お前にも言う権利はある」

「無駄です。僕にはその権利がないのは解ってる」

「俺が何とかするあの糞野郎をブン殴ってでも…」

「そんな事をしたらあなたが…」

「え?」

「あなたが処分を受けることになる」

 アースはまじまじとレイの顔を凝視してから、呆れ声で言った。

「なあ、おい、お前この非常事態に俺の事なんて心配してどうするんだ」
 レイは黙り込む。

「聞けよ。はばかりながら俺は、こんな要塞の司令官なんて地位には何の魅力も感じちゃいないんだ」

「それでもダメです。僕は…、あなたがこれまで僕にしてくれた事だけで満足です。それに、こうした結末は僕の中ではある程度予想していた事です。故郷を裏切り、逃げ出した者の行く先は、せいぜいこんなものなんですよ」

 アースには、とてもその言葉が信じられない。

「本気でそう思ってるのか?」

「ええ」

「嘘だ」

「嘘じゃありません」

「この―――」
 苛立ちで言葉を詰まらせる。

「強情っぱり!」
 荒い剣幕でついて出たアースの言葉をレイはただ受け止めるしかなかった。

 押し黙ったレイを見てアースは立ち上がる。

「勝手にしろ!」
 アースの姿が見えなくなってからも、レイはずっと扉の向うを見つめ続けていた…。











「すまない…」
 ベットの端に座ったアースが、両肘をついた姿勢のまま言った。

 アースの前には、四角い大きな窓枠に縁取られた漆黒の宇宙がある。

「それはどっちに対して言っているのかしら。私のベットに潜り込んだ事? それとも…」

「両方だ」

 枕を背もたれにしてターニャは体を起こした。シーツを胸の辺りまで引き上げる。軍服を脱いだターニャは、何処から見ても見紛いようのない美女だった。ほどよく波打った黒っぽい髪と白いシーツが魅力的にマッチしている。

「やめてよね、そんな言い方」

 あなたらしくもない、とサイドボードの煙草を取って火を付ける。

「いい、アース。私があなただったとしても、もしかしたら同じ事をしたかも知れない。実際、イヤになっちゃってるのよ、こんな戦闘、戦闘の毎日に。もっと別 の生き方があるんじゃないかって、この頃考えてしまってる。忠誠心なんて言う綺麗事はとっくにどっか行っちゃってるわ。――どう? ちょっとは楽になった?」

 アースはいつもの自分を取り戻した様にターニャに笑い返した。

「まったく、君は俺の良き理解者だよ、要塞艦隊総指揮官どの…」









 アースは、彼方に光を放つ星を見つめた。

 流される様に、そう、何かに運ばれて行く様に、ただ与えられた任務を遂行して行く――そんな生き方を、変えても良いのではないか?


 ターニャが言った様に、ここでの暮らしには正直な所アースもウンザリしている。何の打開策もない、延々と続く戦闘に嫌気がさしている。


 そう、人が戦い続けていかなくてはならない決まりなどないはずだ…。


 この要塞司令官という地位にしても、何をおいてもこれにしかみついていなくてはならない理由などなかった。それを目標に伸し上がって来た訳でもない。

 寧ろこの地位を得たのは偶然の成り行きだ。

 アースが生まれたのは名もない小さな辺境の星で、それこそ小さなエ・ディップの意味のイール・エディップとただ呼ばれている様な星だった。

 孤児同然に育ったアースはパイロットになりたいという思いだけは持っていた為、志願兵を歓迎する体制下にあったことも幸いし母星エ・ディップに渡った。

 そこで驚くことにアースはパイロットとしてメキメキ頭角を表したのである。アースは防戦一点張りだった戦況に新風を吹き込んだのだ。

 それまで皆無に近かったクワイ・ナムイ機の撃墜が報告される様になり、それに乗じて味方の士気も上がった。

 アースはその資質によって一介のパイロットからエ・エディップ軍そのものを指揮する立場になったのだった。


 だが―――。

 戦闘状態にあることが平常であるという、一見して尋常でないっことに麻痺してしまっている事にアースは気が付いた。


 これが、俺か?


 無限の星がある様に、そしてそれらに無限の人間が存在する様に―――無限の、多様な生き方があっていいはずだ…。


 そんな時、レイと出会った。

 己の在り方を模索しているという類似点をレイの中に見付けた時、アースは我知らず歓喜していた。同胞に出会えた気がしたのだ。

 不思議なことにレイという存在はアースに安らぎをもたらした。

 そして、群れながら離れてひっそりと息をしている様なレイを、どこかでアースは放って置けなかった―――。

 レイは囮にされ、使い捨てられようとしている。恐らくそれは、火に油を注ぐ結果 にしかならないだろうが―――。



 この戦争に終息はあるのだろうか。


 俺達は――一体何時まで戦い続けるのだろう…。

























 クワイ・ナムイとの会談の出発前夜。

 要塞内にあるバーのいつもの席で、アースは一人グラスを傾けていた。

 気配を感じて顔を上げるとレイが立っていた。

「アース、ちょっと…ここ、いいかな」

「馬鹿言うな、座れよ」
 アースはグラスを一つ取って来てレイに注いだ。アルテミス――結構強い酒だ。

「あなたに今の僕の気持ちをうまく言い表わす事が出来ないけど…これだけは言っておきたかった。有難うって」

 アースは手の中のグラスを見つめている。死への旅立ちの前の別れとも取れるレイの言葉を聞いても、この間の様に憤ることはなかった。

「…俺もお前に言うよ。…有難う」

 アースがそう言うと、レイはホッとした様に肩の力を抜いた。明日の事よりもこの言葉をアースに伝える事の方が、レイにとっては一番重要だったのだ。
 そして片手を差し出す。

「それと…出来たらこれをあなたに持っていて欲しくて」

 レイの手の平には、いつも彼が身に付けているペンダントがあった。
 アースはジッとそれを見つめる。そしてそっと摘まみ上げた。

「ああ、貰っておくよ」
 胸のポケットにしまう。そしてグラスをカラカラと揺すった。

「なあ―――前に星の話をしたっけ」
 何処か目の前の空を見つめながらアースが言う。

「こんな要塞なんかじゃない、本物の地のある星のさ。…本物の大地では、一日通 して空の色も変化するし、それによって景色も違う様に見える…。黄昏が見てみたいって―――確か言ったっけ」

「…写真で見たんだ。黄昏って題が付いてた。空が、オレンジと琥珀色が重なり合う様なグラデーションになってて…本当に夢の中みたいだったんだ」

 何で今そんな話をアースはするのだろうとレイは思った。

 レイは黄昏に憧れていた。華々しく明けていく夜明けよりも、美しく、それでいて何故か物悲しさを感じさせる黄昏が好きだった。本物はまだ見た事がない。

 だがレイにはもう時間が残されてないのだ。
 なおもアースは言った。

「まだ黄昏を見たいって思ってるか?」
 複雑な思いに駆られながらも、レイは答えたのだった。

「ええ、見たいです」


 そうか…アースは呟いて、またアルテミスをやり始めた―――。






 早朝、試作艦一号はグナイ参謀長と部下約五十名、そしてレイを乗せて出発し八時間後にケレス星団近くを通 過、クワイ・ナムイとの会談場所であるサーク星へと向かっていた。

 ケレス星団を通過する際、グナイ参謀長以下五十名の部下が先に来て待機していた艦に乗り移ったのは言うまでもない。

 今は乗員はレイただ一人、サーク星まであと三時間程で着く。

 レイは部屋から出てみた。人気のない艦内はひっそりとしていて、ただ動力のうねりだけが響いている。

 特に思考も湧いて来ない。

 今となっては、何を考えようと無意味だ。

 この艦には三千メガルの爆弾が仕掛けられている。サーク星に着陸して間もなく作動する。爆発する様にセットされているのだ。


 それもいいか…。


 ブリッジに足を踏み入れた。
 正面の操縦席に座る。

 目の前の計器類は、全て順調に作動しているようだ。


 良く出来ている…。


 レイは感嘆した。

 試作艦とも言えども、ほぼ本物と同じ位には造られている。だが強度が違う。今回の様な遠距離航海に耐えられているのは驚きだ。


 だがサーク星までこのまま持つか…。


 レイは懸念したが、モニターを見る限り異常は感じられない。寧ろそれらが示している数値は快調そのものだった。


 皮肉だな…。


 急に艦の性能への関心を喪失したレイは、座席の中に深々と身を沈めた。
 目を閉じる。



 眠ろう。何もかも忘れるのだ…。


 その時になって、友人であり上官である男の顔が脳裏に浮かんだ。



 アース…。

 さようなら…。







「何やってんだ」


 ……!

 するべき筈のない声を聴いて、レイは飛び上がった。


「寝てなんかいる暇ないぜ。早くシールドを張れ。何が起きるか解らないからな」
 事態を呑み込めず、レイは目を見張っている。

「ああ、その左のレバーだよ、それを早く引くんだ!」
 アースの再度の指示に、レイは訳の解らぬまま言う通りにする。

「そうそう、それでちっとは安心だ」
 アースは、驚愕を張り付かせた様なレイを尻目に平然と、いや何故か妙に楽し気にも見える。

「アース、何でここに?」


「何でって―――エ・ディップ星よ、さようなら、目指すは自由星域、いざ旅立たん―――だ」


「さようなら…? 自由星域って…」

「取り敢えずそれでいいだろう? その後の事はまた考えればいいし」

「アース、爆弾が―――」

「爆弾はない。積み忘れかもな」

「この艦は自由星域までもの航海には耐えられない」

「ところがどっこい、耐えられるのさ。この艦は正真正銘本物の方だ」

 アースが悪戯っぽく笑うと、レイの反応を楽しむ様に見た。

「まだ解らないか? この艦はサーク星には行かないし、お前も俺も吹き飛ばされたりしない。自由だ」
 レイはアースを見つめる。


「自由なんだよ!」

 アースはもう一度言ってレイの両手を掴んで揺さ振った。レイは涙目になりながら、うん、うん、と頷いている。

 ああ、泣くなよ、とアースはレイの腕を擦ってやる。

「あの要塞艦隊指揮官どのは、まったくやってくれたよ。まあ試作艦と本物はぱっと見た目にゃ区別 はつかないし、ターニャがすり替えてくれた。約一年分の食料や何やら全部搭載済みだ。お前の荷物もな。それと―――」

 アースは胸ポケットから何か取り出す。


「これは返しておく」


 それはレイのペンダントだった。


「只、三時間後には俺達は揃って第一級の指名手配に処されるだろう。だが、構わんだろう?」
 構う理由などない。レイは既に何もかも諦めていたのだから。


「ほんとに…信じられない…」


 アースとの友情という思い出だけで割り切ろうとしていた。だが事態が変わった今、本当は自分はアースと共にもっと生きたかったのだと、強く感じていた。



 しばし、文字通りの生きた心地を味わった後、レイはまだ頭の何処かに留めていた事をアースに聞いた。

「アース、何か商売…始めるの?」
 アースは、ふふん、と鼻を鳴らす。


「ああ。――人が有史以来どうしても手放せないものって何だか解るか?」

「ん…解らない」

「酒だよ、酒。丁度自由星域に知っている奴がいる。力になってくれるだろう。だが今の俺達の一番の目的は―――」


「大地のある星」
 後を継いでレイが言った。

 アースは大きく頷く。そして外に広がる宇宙を見ながら、レイが呟くのを聴いた。


「黄昏を見に……」


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