溟濛の惑星-郷愁の町殺人事件

01

 一月――。

 季節で言えば冬である。
 だがこれほどまでに穏やかな気候の冬を過ごしたことは未だかつてない。

 頭上に広がる空は灰色で陽光こそ乏しい感はあるものの、肌に触れる柔らかな外気はまさに春のものである。



 騒音がない――。

 この町に来て最初にそう思った。

 車の行き交う音。犬の鳴き声。宣伝カーがまき散らして行く音。工事が轟かす騒音。
 町には付き物のそれら聞き慣れた音がこの町にはないのだ。

 静寂に満たされた町。もし静寂という音があるならこれがそうなのかもしれないと思う――。

 この町に来て約半年になる。

 最初は、時代錯誤な町並みを見て驚いた。この進歩した時代にここだけ取り残されたように古めかしさなのである。

 高層ビルやマンションなどは何処にも見当たらない。ほとんど木造の平屋か二階建て、庭木であろうか松があちこちに植わっていて、道路はかろうじて舗装だけはされている。

 だがそんな町の様子に僕はひどく懐かしさを覚えた。おかしなことにこの町は、まるで故郷に帰ってきたかの様な気にさせるのだ――。





 町の北側は小高い丘になっている。丘の上に立って北方を眺めると、それでもその遥か向うには、かすむ様に林立高層ビル群が望む事が出来る。やはり進んだ文明は存在するのだと認識出来るのだ。反転して南側へ視線を移すと、一変してそこはもう古の町の景観となる。

 その丘をつらつら下り降りる。坂の両側には空閑地が広がっていて、その左手奥には鬱蒼とした林があり、それらの木々の天辺から寺院の屋根らしきものの突先が覗いている。

 そこをまだ訪れたことはないが、きっと誰か人は住んでいるのだろう――とは思う。というのは、実際未だにこの町の住人について多くを知らないからだ。考えてみれば妙なことなのだが、この町で僕が面 識あるのは六人程なのである。

 家屋は立ち並び、住宅地は広がり、確かに町は存在している。だが僕が認識している<町>というものの定義かたすれば、住人の数が桁外れに少ない。それは――ここがモデル・シティーと呼ばれる町だからだ。

 僕は半年前ここに移って来た。というより、ここに割り当てられたのである。およそ百項目に近い個人別 調査表への解答によって、コンピューターがこの町に僕を振り分けたのだ。

 静寂でひなぎた町の風情が僕にしっくりとたのもその所為なのだ。価値観や趣味、嗜好、それら似通 ったものを持ち合わせた者達が、必然の結果選んだ環境がこの町なのである。

 坂を下って、未だ主人のいない空虚な家々を通り過ぎて行くと、玄関先に、大きな葉をつけた一メートルほどの丈の植物が植わっている家に辿り着く。これはバショウ科のストレリチアという植物で、ここにあるのはその中のレギナエという種であるらしい。かなり大きな花がつき、その姿から極楽鳥花とも呼ばれているとは勿論植物に詳しいこの家の主から聞いた話である。




 入り口横に掲げられた木札に『紙縒屋(こよりや)』とある。この町でただ一件の骨董屋だ。(客もいないのに骨董屋も何もないと思うのだが…)

 ガラガラッといつもの様に耳障りな音をさせて戸を開けると、コーヒーの香しい香りが鼻をついた。これが僕がこの店に入り浸る理由の一つでもある。

 慣れたもので、視界と進路を遮るように陣取っているガラクタを避けながらいつもの様に奥を覗くと、主は新聞を読んでいた。新聞は大きく広げられたままピクリとも動かない。珍しいこともあるものである。大概彼は何かを磨いているのだ。憑かれた様に、僕などをにはガラクタと思える様な品々を無心に眺め、磨いているのである。

 突然ばさっと音を立てて新聞が下ろされた。僕は唖然とした。新聞の陰から現われたのは店の主の顔ではなかったからだ。


 キ、キンパツ…!


 そこには紛れもない外国人の顔があった。この町で僕が出会った、七人目の住人という事になる。純粋日本人の僕などが本当に羨むほどインパクトのある顔立ちをした男の、海の様に青い瞳が僕を捉えた。


「あ、あ、あの、…惺(せい)さんはっ…」

 しどろもどろになりながら僕がやっとそう言った時、当の主の声がした。

「享一(きょういち)、来てるのか」

 『紙縒屋』の主、五条惺である。

 小春な気温の所為で、彼もシャツ一枚という薄着だ。古くさい職に似合わず、彼の風貌は極めて洗練されたものである。現在三十歳であるはずの彼だが、五歳年下の僕の同い年に見なくもない。引き締まった肢体の上についているのは男の僕から見ても憧憬に値する様な端正な造りの顔なのだ。

「惺さん、この人は…あ、あれ?」
 今いたはずの場所に外国人の姿はなく、見るといつの間にか戸口にその後ろ姿があった。

「ごっそさん」
 そう言葉を残してぴしゃりと戸は閉められた。

 ごっそ…さん…?

 なんという、顔と言語のギャップか。

「享一は初めてか。マークだよ。奴はあんまり姿を現わさないから」
 骨董屋は、それも骨董品だと思える和風の器にコーヒーを注いでる。

 ごっそさん…。僕はもう一度あの外国人が発した言葉を反芻していた。日本人以外の者がここに住んでいた事が意外だったのである。そう、考えてみれば、別 にこの町が日本人の為だけにあるという訳ではないのだ。考え方や物事を見る視点、興味や習慣、それらの類似した要素を持ち合わせているならば、国籍を問わず同じ町に来合わせて良いはずなのである。

「彼は外見はあれだが中身は完璧な日本人だね」
 はっと気付くと目の前に骨董屋が差し出すコーヒーがあった。

「マークはね、日本が長いんだよ。何でだか日本の文化が気に入って、神社仏閣独特な静寂とい厳かな雰囲気に魅せられた挙げ句、今はあの、林の向うの寺院に落ち着いている」

「へえ…あそこに…」
 僕は、不思議な縁を感じた。

 ここには、生まれも、育った環境も、国籍さえも違う者が集まって来るのだ。
 そして、その確率とはどれ程のものなのだろうか。百にも及ぶ質問事項によって、この町へ決定される確率…。

 骨董屋はまた何か磨き始めている…とその時、がらがらっと音がした。

「こんにちは!」
 入って来たのは倉野結希(ゆき)である。彼女も僕共々『紙縒屋』の常連である。

「享一さんも来てたんですね」

 そう言いながら結希は、自分の指定席ともなっている古い黒光りのする和箪笥に腰を下ろした。サラサラで柔らかい長い髪を一つに結んでいる。細面 で色白の可愛い女の子である。
 僕はそれとなく彼女の顔色を確かめた。今日の彼女の表情に別に問題はなさそうだった。

 彼女は――。

 恐怖心という問題を抱えている。

 この町に来る以前の体験が、未だに彼女を脅かしているのだ。

 僕がこの町に来て三ヶ月程経った頃、ここ『紙縒屋』でよく顔を合わせる様になった彼女が打ち明けてくれた話だ。

 彼女は、大学の同じ学部で知り合った男性と付き合っていた。暫くは極普通 の仲のいいカップルだった。だが大学生活も終わりを告げようとする頃、彼女は相手の男に対して不審の念を抱き始めた。男は、彼女の行動を悉く監視する様になった。

 二人一緒でなかった時の行動を、執拗に彼女に問いただす様になった。

 それも最初は、彼が、卒業後の彼女との関係に不安を感じている為かと彼女は思った。彼は市内の某食品メーカーに就職が決まったのだが、彼女の方は隣町の百貨店に勤めることになったからだ。かといってさほど距離が隔たれた訳ではない。二人の関係が今まで通 りであることが解れば、彼も落ち着いてくるだろうと彼女は思っていた。

 ところが、彼の執拗さは益々エスカレートしていった。一日に何度も職場へ電話を入れてくる。彼女の所在を常に把握していないと気が済まないのだ。職務へも支障をきたしかねなくなった彼女はやめるよう再三訴えたのだが、彼の行動は一向に収まらなかった。

 そのうちとうとう彼女の会社の行き帰りも送り迎えするようになったのである。

 彼女が抱いていた不審の念はいつしか恐怖へと変わっていった。


 いつも見張られている恐怖――。


 目に見えない鎖で体中がんじがらめにされている様な恐怖に、彼女は最早耐えられなくなっていた。

 その後勿論彼女は決別を持ち掛けたのだが、彼が納得するはずはなかった。既に彼は、彼女を「自分の物」とする以外の観念を受け入れられないのだった。



 その男と付き合い始めて四年。

 彼女の所へモデル・シティーへの移住の話が来たことで、やっと彼女は男の呪縛から解放されることになったのだ。


 結希は言う――。

 ふと目覚めた夜中の二時頃、ベッド脇の窓から、下の路上に停まっている車の中にずっとこちらを伺っている彼の姿を見付けた時が、一番恐ろしかったと――。

 決して彼が追いかけて来るはずのないこの土地に移ってからも、当初は中々落ち着かず怯えていたという。
 それでもこの頃は、よく眠れる様になったのだ――と言っていた。

「なあに、享一さんぼうっとして」
 血色のよさそうな笑顔の結希が享一を覗き込んだ。

「結希ちゃん知らなかったのかい。享一は年中ぼうっとしているのさ」
 今は銀製の壷を磨いている骨董屋が言った。それを聞いて結希がけらけらと笑っている。

「そうだ結希ちゃん、頼まれていたものが手に入ったよ」
 骨董屋は卓上にあるものを示した。わあっと言って結希が近寄る。それは二つの、小さな鉢に値わっている植物だった。

「こっちがアビスで低いこの土地でも大丈夫な種だ。窓際に置いてやるといい」

 この男は――。

 植物が好きなのである。
 時々こうして観葉植物屋の親爺の顔になる。

 それで結希などはここへ道具の注文や手入れの仕方を聞くためによく来るのだ。
 あいにく僕はその趣味がない。植物は好きである。だが日々のこまめな世話となるとそれを持続させる自信がないのだ。

 植物は簡単な様でいて実は繊細な生き物である。原産地や書類によって管理の仕方が微妙に異なる。温度や湿度、置き場所、水のやり具合や肥料の時期など、育て方に常に注意を払っていないと枯れてしまう。

 この店の玄関前に植えられているストレリチアも、元々日光を好む性質があるのでこの土地柄では難しいのだと惺さんは言っていた。彼であっても、極楽鳥花と呼ばれる見事な大輪の花を幾つも咲かせるにはもう少し時間がかかりそうなのである。

 ともあれ、惺さんが僕に一鉢でも任せる様なことがないのは明白だ。

「君に任せたら枯れるのは間違いない」
 ――のだろうだから。









 その後僕と結希は一緒に『紙縒屋』を出た。帰る方向が同じなので並んで歩き出す。

「この町に来て良かった――」
 ふいに結希がしみじみと言った。

「五条さんや享一さんにも会えて良かった。ふふ、本当にそう思ってるのよ」
 結希の照れ笑いを見て、僕も微笑んだ。

 よっぽど怖い目をしていたのだ。

 結希は大事そうに、両手に惺さんに貰った二つの鉢を持っている。もう彼女を脅かすものは何も無い。ここには、ほぼ人生観の似通 った連中が集まっているのだから。他人を傷つけたいと思う者は、恐らくこの町にはいないだろう。




 君はこれから、植物を育てたりしながら、未来に夢を持って安らかに暮らしていけるのだ…。




 八百屋が見え始めた。

 八百屋――。
 まさしく八百屋なのである。

 今日では大型量販店の進出などでめっきりその姿を見ることが少なくなってきた八百屋が、ここにはある。

 この町でただ一件の食料品店だ。と言っても、数少ないここの住人の食料を賄えばいい訳で、店頭に並んでいる商品も微少だ。だがキャベツやたまねぎ、じゃがいもといったような大概食材として必要な物は揃っている。

 たまに、パパイヤやメロンなど掘り出し物が見付かる事もある。店の奥には冷蔵コーナーもあり、要は小規模なコンビニなのである。

 その店の前の木箱に誰か腰を下ろしている。

 八百屋の店主、竹井章(あきら)だ。

 歳は惺さんと同じと聞いた。少し茶色の長めの髪を後ろで結んでいる。手にしているのは文庫本だ。ああやって日がな一日本を読んでいるミステリー愛好家である。

 はたと結希の足が止まった。
 彼女の視線がじっと八百屋を捉えている。

 八百屋――竹井章の風貌が、以前付き合っていた彼に少し似ているのだという。
 緊張を解いた様にふっと結希が息を吐いた。

「本当に…ここにいるはずないのにね。それに竹井さんもそれほど彼に似ている訳じゃない。ただ茶色い髪の感じが少しダブって見えるだけで…」

「そうだよ。もう君は楽になっていいんだ。この町は全く違う世界なんだから。惺さんも言ってたじゃないか、ここは来ようと思って来られる所じゃないって。それに微力ながらも俺達もいる」

「…そうね…そうよね」

 結希は、時間が過ぎて行けば、きっと彼女の恐怖心は薄れていくはずだ。それまで、生きて、暮らして行くのだ…ただ毎日を…。

 彼女の後ろ姿を見送りながらそう思った。

 僕は、林檎を買って帰ることにした――。











 それから三日後、僕は『紙縒屋』の前で一人の男性と出くわした。

 見知った顔ではない。

 ここの住人だろうか。それとも新しくこの町にやって来たのか…掛ける言葉に躊躇しているうち、彼の方から話し掛けてきた。

「あのう、この町の人ですか?」

「そうです」

「僕は昨日こっちに来たばかりなんですよ」

「追松孝治(おいまつこうじ)といいます」

「笹木享一です、よろしく」

 僕等は取り敢えず『紙縒屋』へ入った。店内に主の姿はなかったが、いつも通 りコーヒーの香りがしている。

 僕はいつになくわくわくしていた。新しい住人が来るのは僕がここに来て以来初めてではないだろうか。追松と名乗った男は歳も近そうで、もしかしたらいい友人になれるかも知れない。

「本当にびっくりしたなあ、ここへ来た時。もしや時間を遡ってしまったんじゃないかってね」
 彼は僕が勧めたかなり年代物のギャブリオル・チェアに腰を下ろし、その肘掛けを擦る様にしながら言った。

「それは僕も同じでしたよ。でもすぐに、ここが僕の理想だって実感出来たんです。凄く懐かしい感じがするでしょう、この町って」

「いや、そうかなあ、まだ良く解らないけど」
 返ってきた言葉は、少し期待外れなものだった。

「変わってるよね、この店も。昨日はここの人に挨拶しただけなんだけど、あの五条さんて、どういう人なの?」

「え、ああ惺さんは、言わばこの町の町内会長みたいなもんで…色々力になってくれる人だよ。困った事があったら何でも聞いたらいいよ」

「ふうん…」
 話すうち、僕はだんだん変な気がし始めていた。何だか解らないが、違う感じがする。


 何か、違う…。


 惺さんはどうしたのだろう。奥には居るようだ。微かに話し声らしきものが聴こえてくる。電話をしているのだろうか…。



 話し声が止んだ。
 暖簾から惺さんが現われた。何だか顔つきがおかしい。

「惺さん…?」



「倉野君が――亡くなったそうだ」


























 一昨日の朝、寺院の横の林の中で、刃物で刺され死んでいる結希をマークが見付けた。凶器はすぐ側で発見されたのだが、指紋は拭き取られていて、そこからの犯人の割り出しは望めないということだった。

 この町の住人は、隣町から覇権されてきた警備班にそれぞれ事情を聞かれた。しかし――。死亡推定時刻は夜九時。誰もが恐らく単独行動であろうこの町の住人のアリバイは、どれひとつとして成立しないのだった。言い換えれば、誰もが加害者で有り得るのである。

 僕は――憤っていた。

 誰に…?

 何に対して…?

 運命、宿命。

 違う。この成り行きに。

 こうなってしまった、この事態に。

 結希は恐れていたではないか。

 あんなに怖がっていたのに…!

 こんなことになるかも知れないという予見を彷佛とさせる何かを、彼女は感じ取っていたのだろう。


 そして今――。


 この町の住人が、全員ここ『紙縒屋』に集まっていた。

 店主の五条惺、八百屋の章、マーク、結希と仲の良かった高石令子、僕はまだあまり付き合いのない香芝裕一郎(かしば)ち野隅麻緒(のずみまお)、そしてこの町に来たばかりの追松幸治と――僕である。

 皆思い思いに、手近な骨董品に腰を下ろしている。
 骨董屋が、数人分のコーヒーを配り終えて口を開いた。

「まず初めに、亡くなった倉野結希さんの冥福を祈ろう。僅かではあったが、我々は同じ町で暮らした友人だから」
 数秒間の沈黙が流れた。

「倉野君は、その和箪笥――そう、追松君、君が今腰掛けている場所によく座っていた」

 一瞬、追松幸治が腰を浮かしかけた様に見えた。

「ところで追松君、君は亡くなった倉野君と面識があったね」

 惺さんは、何を始めようというのだろうか。ここに来たばかりの彼が結希と知り合いであるはずはないだろうに――。

「五条さん、僕はその倉野さんとはまだ会っていないです。その…まだお会いしてないうちに亡くなられた訳で…」
 追松幸治はさも心外という声を出した。

「追松君、僕は一応この町の管理者の様な立場上、住人の出身地ぐらい掌握しているんですよ。君は――倉野君と同じ鳥取県東郷の出身だ」

 驚きだった。

 そんなことがあるだろうか。地球上の、いや日本という国からにしても、そこからこの町に振り分けられる一握りの中に、同じ町の者がいるなんてことは。


 え…。

 ということは――それは――。

 それはもしや――。



「ええそうです。僕はその町の出身ですよ。でも倉野さんという人のことは知りませんよ。――それに、そのことに何か意味でもあるんですか。偶然同じ郷里の者がいたっておかしくないでしょう」

 むきになった様に追松が返した。
 この時僕には何となくこの先にある結論が見え始めていた。

「同じ町から二人…。これはありそうでいて、実は有り得ないことだ。もし有ったなら、これは大変な確率ということになる」

「でも実際あった訳だ」
 追松が居直った様に言う。

「それは――追松君、君が仕組んだことだから」

「な、何を言ってるんですか!」



「はっきり言おう。倉野君を殺したのは――君だ」




 空気が一瞬凍り付いた。

 そこに居合わせたものは皆、この対峙する二人を凝視したまま身動き一つ出来なかった。



「何処にそんな根拠が! 何の証拠があってそんな事を言うんです? この人はおかしい!」

 同意を求める様に追松は回りに目をやった。だが、誰も彼を弁護しようとする者はいない。皆、この五条惺という男に信頼を寄せているのだ。いつも骨董品をただ磨いている様な男なのだが、何の根拠も無しに理不尽なことを言い出す男でないことは誰でも知っている。

「五条さん、何か証拠があるんですね?」

 香芝祐一郎が聞く。
 骨董屋は頷いて、八百屋の章に目配せした。

 いつの間にはめたのか白い手袋をした章が、傍らに置いてあった黒っぽい物を取り上げた。

 黒いジャケットである。

「その服は、ミステリー好きの功が奏じたのか、今朝章が見付けてきた物だ。かなりの血痕が付着している。その血は…恐らく倉野さんのものだろう」
 追松は鋭い眼光を放ちながらじっと聞いている。

「ということは、その服は犯人の物だと考えるのが順当だ。犯人はその服で刃物の柄を包む様にして持ち、倉野さんを刺した」

「その服は僕のじゃない」
 追松が言い放つ。

「そうでなくては説明がつかないんだよ。そのジャケットのポケットに入っていた、ある物」

 骨董屋が八百屋を見た。

 章は持っていた服のポケットから何やら取り出すと、僕の方へ差し出した。


 何だ、これは?

 黄緑色の、直径一cm程の小さな丸い物が、僕の手の平でころころと転がった。


「惺さんこれは…豆?」

「いや、その一見豆の様に見えるものは、グリーンネックレスというキク科の植物なんだよ。日本名ではミドリノスズという。そんな形でもそれは葉っぱだ。南アフリカの乾燥地が原産な為、葉に水分をためておく性質からそんな形になったらしい。細長い茎に、その豆のような葉が数珠繋ぎに連なって、一メートル程になる」


 これが葉っぱ…。僕は皆に見える様にそれを前にかざした。


「何かに絡んで取れたものが、ポケットに入り込んだのだろう。だが、ここで一つの問題が発生する」

 骨董屋は立ち上がって僕の元に来ると、僕の手の平からその植物を摘まみ上げた。

「このグリーンネックレスはまだこの町にはないんだよ。これは、十分な光線に当てないと花を咲かせない。日照率の低いこの土地では、白い菊に似た可憐な花を楽しむことは難しいのだ。だから僕は、まだこの種を扱っていない。この町に入る観葉植物の類は、全て僕が手配しているのだから」

 骨董屋はグリーンネックレスをかざしながら追松と向き合った。

「見たらいい。これはまだみずみずしい。茎から外れてまだ間がないことを示している。君の前にこの町に来た人間で一番新しいのは笹木君だ。だが彼がここに来て半年経つ。いくら乾燥に強い種類と言っても、こんなみずみずしいままの状態で半年も保つとは考えにくい」

「それが何だって言うんだ? そんなことで俺だと言う事にはならないじゃないか! もしかしたら他の町の者が入り込んだのかも知れない!」

 それまで黙っていた追松が堰を切った様にまくしたてた。

「どうやら忘れている様だね…。ここでは、他の町へ許可なく出入りすることは出来ない。僕等はここへ来る時、体の何処かへIDチップを埋め込まれている。それにより、隣町との境界点で声紋や指紋による判別 手続きを踏む必要はない。全ては軌道上の衛星によって管理されている。IDチップには神経系への刺激を操作する機能が組み込まれていて、規定の区域外へ侵入しようとすると、微細な振動或いは痛みを伴う刺激により警告が与えられる。万が一それに従わないようであれば、すぐに警備班に捕獲されることになるだろう。だから、外部の人間である可能性はないんだ」

 それでも追松は抵抗を続けた。

「だがそれであのジャケットが俺のものである理由にはならない! 俺は知らない! 俺のものじゃない! ここにる誰かのものなんだ!」

「それも――有り得ない。あのジャケットが君以外の人間のものであるはずはないのだから」

「嘘だ!」

「いいだろう――どうしても否定を続けるというなら説明しよう。――倉野君が以前付き合っていた男というのは君だ。異常なまでの束縛と、常軌を逸した君の執拗な監視の目から逃れたかった彼女は折よく提案された移住計画に同意しこの町へやってきた。全くの自恣的な理由からそれに納得出来なかった君は、彼女を追ってこの町へやって来た。しかし、こればかりは、君の並外れた執念深さが実を結んだと言えるだろう。この移住計画において、行き先はコンピューターによって決定される。対象者の百項目もの調査事項に解答し、そのデータからコンピューターが行き先を弾き出すのだ。

 個人の性格や価値観、潜在的な要素まで綿密に検討され、およそ六千ある町へと振り分けられる。行き先として決められた町は、あたかも自分が選んだかの様な錯覚を伴うこともあるだろう。それはそこがもっともその人間に適した環境であるからだ。だが追松君、君の求める行き先は自分が適する場所ではなかった。倉野君に適した場所ではなくてならなかった。

  その為に君は、倉野君と付き合って得た四年分の彼女の情報を全て調査表に注ぎ込んだ。彼女の好み、彼女の夢、彼女の考え方、彼女の人生観、悔い、欲求、生活態度など、全て彼女の立場で解答した。同じ町に行く為に、君は――倉野君になりきったのだ」


 追松の表情に狼狽の色が広がる。


「そして信じられないことに、天文学的ともいえる確率で君はここに来ることを成し遂げた。あの日――君が初めてここを訪ねた日、恐らくここからの帰り道で偶然君は倉野君に会ったのだろう――。そこで君はその夜もう一度会うことを彼女に約束させた。

 あれほど君を恐れていた彼女が何故それを了解したのか? 多分、これまでのことを詫びたい――きちっと会って彼女を苦しめたことを謝りたいと、誠心誠意な姿勢を装って君は訴えたのだ。――彼女はここへ来てからも眠れない程、君の幻影に取り憑かれていた。

 彼女も決着を望んだのだ。解放という結末を手に入れる為、彼女は君の求めに応じた。場所を寺院に指定したのは彼女だろう。あそこにはマークがいる。だが運悪く彼はあの時間寺院にはいなかった。――ここにいたのだ」


 マークの表情に、僅かに悔いとも思える陰りが浮かんだ気がした。


「君は初めから彼女を殺すつもりでいた。確実に自分だけのものにする為に。そして――君はそれを達成した訳だ。しかし――そこにはある誤算があった。君はそろそろそのことに気付いているはずだ」

 追松が骨董屋から僅かに視線を反らした。そして呆然とジャケットを見つめている。

「倉野君を呼び出した夜、君はあのジャケットを用意して行った。そう、今は一月――。日中は暖かくとも、夜は気温が下がり冷え込むだろうと君は考えたのだ。だが――」

 骨董屋の聡明な眼差しが追松を捉える。

「この星は、大気改良維持システムによって一年中気温が一定に保たれている。だから――夜間の気温の低下はおこらないのだ。夜、外出の為に上着を用意することもない。ここに住んでいる者であればそれを承知している。君はあの日、そのことをまだ知らなかったのだ。あのジャケットは――追松君、君のものでしか有り得ないのだよ」


 波が引いたかの様にしんとその場が静まった。

 その時、まるで時間を計った様に、前の道路に音もなく電気自動車が来て止まった。

 乗っている人の服装が警備班のものであるのが、入り口のガラス越しに見えた――。









 皆が解散した後、入れ直してもらった熱いコーヒーを飲んでいる僕に、惺さんが聞いた。

「享一、この町が何と呼ばれているか知っているかい?」
 僕は知らない、と答えた。

「多分追松君はここには合わなかっただろう。ここは、M39惑星第三〇六一区――郷愁の町と言う」
 いつもの様に骨董品を磨きながら、骨董屋が呟く。

「ただ一つだけ、植物を愛するという要素は、君とは違って、彼は偶然持ち合わせていた様だがね…」






 二〇二一年、二十世紀初頭からアメリカが計画し先進各国の協力の元極秘に押し勧めていたM39惑星への本格的な移住が開始された。

 異なる環境を備える約六千の町が建造され、対象者は数々の適応性をチェックされた後、それぞれの町へと送り込まれる。



 五条惺、笹木享一等は、まだその第一陣に過ぎない。


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