Switch 外伝12-01

The usual 2

 榎木津透耶の恋人である鬼柳恭一は半分くらいのアメリカ人であり、半分くらいは日本人であるけれど、それでも定型的なアメリカ人ではないからかとても彫りの深い綺麗に整った顔をしている。
 その顔は、実の母親にそっくりで、母親も非常に美しい人である。
 透耶もあったこともあり、とんでもなくぶっ飛んだ人だったから、その子供である鬼柳もかなりぶっ飛んだ人である。
 そんな人でも段々と常識というものを学んでいって、無茶はしなくなっていった。
 受付を通してくるのも珍しいことであるが、それを透耶が言うと鬼柳はそこは違うと言った。
「別に受付は通してない。素通りしようとしたら、あの受付が付いてきて行き先を強引に聞くから仕方なく案内を頼んだだけだ」
 そう言うのである。
 どうやら怪しいからではなく、受付の女性は鬼柳を見初めてやってきたみたいで、どういう人なのか知ろうとしたらしいのである。
 幸いなのは、鬼柳はこの出版社から写真集を出したことがあるという点である。
 海外拠点の出版社から出されたものであるが、日本での出版に関しては手塚の伝でこの出版社が再編集を行っている。
 その関係で鬼柳はこの出版社には自由に入ることができる写真作家様という立場を手に入れているのである。だから不法侵入ではない。
 受付の女性はそれに気付いたらしく、透耶を見てやっと透耶の恋人である男だと気付いたので、さっと去っていったのである。
「何処でもほんとにモテるね」
 透耶がそう言うと鬼柳はそれには呆れたように言うのだ。
「透耶以外にモテても嬉しくねえよ」
 そう言って鬼柳は透耶の頬にキスをする。
 透耶はそれを当然のように受けて、さらっと受け流した。
 鬼柳はそんな透耶の頬を撫でてから、隣の席に座った。
 そして目の前にある本を見て、その本を手に取ってから鬼柳が言う。
「これ次に出る本?」
「うん、そうだよ。三冊だからそれぞれに合わせてる」
 透耶が簡単に説明をすると、鬼柳はそれを眺めて見て、うんと頷いた。
「色はいいな、三冊並ぶと目に入る」
「そうだね、分かりやすいよね」
 そう言って三冊を並べる。
 一冊は青色、二冊目は朱色、三冊目は紺色になっている。
 昼間の物語と夕方の物語と夜の物語になっている。
 それぞれに短編のミステリに近い謎を一つの家族が遭遇する話として纏めてあって、最後は家族がそれぞれに話し合って終わる。
「ああ、あれか、透耶がずっと書いてたやつ」
「そうそう、これは書き終えたから手塚さんに見せてたの。それが本になるんだよ」
 そう透耶が言うと鬼柳は中を開いて納得している。
「これ、面白かったから」
「ふふ、ありがとう」
 鬼柳がそう言うので透耶はちょっと嬉しくなって微笑む。
 鬼柳はそんな透耶を見て笑っている。
「あー、とすみません、うちの担当が来ましたので、紹介しておきますね」
 透耶と鬼柳が話し込んでいる間に、いつの間にか部屋には若い二十五歳くらいの男性が立っている。
 スーツ姿でピシッとした百八十センチくらいの身長で如何にもジムに行ってますというような筋肉を体につけている人である。
「あの、榎木津先生、私が今度担当になります、小林大吾と申します!!」
 そう小林が頭を下げてきたので、透耶は立ち上がって言った。
「私が榎木津透耶です。これからよろしくお願いします」
 そう言って透耶が小林と握手をしようとすると、その手を鬼柳が持ち上げてから言った。
「何、これ、担当ってどういうこと?」
 と言い出したのである。
 透耶はまだ手塚の昇進に伴う移動であることを鬼柳には話してなかったので言った。
「あのね、手塚さんが編集長に昇進するんだって」
「へえ、とうとう昇進か」
「うん、それで俺の担当編集から外れることになるから、新しい担当の人を紹介してくれているんだよ」
「それで、何でこんなのになったんだ?」
 と、鬼柳は言う。
 手塚の昇進は喜んでいるけれど、それに変わる担当の小林をどうも気に入っていないらしいのだ。
 とはいえ、初めて会った相手を鬼柳が気に入らないことはよくあって、第一印象で既に気に入らないことが多い。
 それは男だと透耶にちょっかいをかける相手になると警戒していることが多いからであるが、今回はそういう理由ではなさそうだった。
「どういう意味なのかな?」
 気になった手塚がそう言っている。
 鬼柳が誰か他人に警戒するのは分かっているが、第一印象が既に知っている相手に対する反応に見えたのである。
「どうもこうも……こいつ、鏡花の店で女釣って食い荒らしてたやつだぞ」
 そう鬼柳が言うのでどうやら見知った相手であるのは間違いなかった。
 鏡花とは鬼柳が透耶と出会う前に住んでいたマンションの管理人である各務という男性の妻で、藤生鏡花と旧姓を名乗っている女性だ。
 透耶も会ったこともあって、色々とお世話になっている人である。
 鬼柳とは悪友関係の人であるが、あくまで友人で彼らが付き合っていたことはない。
そんな関係がずっと続いていて、最近も鬼柳は鏡花に会っていたらしい。
 そんなところで仕入れてきた情報がまさかここで噛み合うとは鬼柳も思ってもいなかったことである。
「え……それって素行が良くないということ?」
 透耶がそう言うと鬼柳が言った。
「そういうことだ。透耶に近付ける気はない。これまで通りにしたいなら別の素行を調べたやつにしろ。それから俺は来た奴らの素行は探偵を使ってでも調べ上げるから、そのつもりで」
 鬼柳はそう言うと手塚に言った。
「用はもうこれだけか? この他に何かあるか?」
 そう鬼柳が言うので手塚は慌てて小林担当を一旦部屋から出した。
 小林は少し青い顔をしていたので、どうやら鬼柳が言っていることは本当のことで、調べられると困る様子だったようだ。
 小林に手塚は言った。
「後で詳しく聞くことはしないけれど、担当の話はなしになるかな。ごめんね」
 そう小林に言うと見るからに落胆をした様子だったが、それでも鬼柳が目を光らせているのを見ると、余程その時の内容を知られるのが怖いのか、小林は素直に下がっていった。
 それから手塚は鬼柳に聞いた。
「それで、小林は何をしていたって?」
 そう言って鬼柳に話を促すと鬼柳は言った。
「手塚も鏡花のことは知っているだろ? あいつが店を出していて、そこでお酒を出している。そこにあいつが来て、女を釣って持ち帰るんだと。まあ、そこは酒を飲んだとはいえ、付いていく方も自業自得なわけで、鏡花も口を挟まないし、店を出た後なんて知ったこっちゃない。でもあいつは必ず鏡花の店を利用して女を釣るようになった。店の主人が鏡花だって知っていて安心して飲みに来た客にまで手を出すようになって、さすがに鏡花が問題が多いと出禁にしたところだったんだ」
 鬼柳はたまに近場に寄った時は、鏡花のところにも顔を出すことがある。
 その時はもちろん、鬼柳一人を飲ませていると女性が沢山釣れてしまうので、なるべく鏡花が牽制しているという。
 その牽制された女性達が鬼柳の来店を目当てに店に通うようになっていて、その女性が鬼柳から小林に乗り替えた。
 けれど、そこで酷い目に遭ったらしいという話が鏡花の元に回ってきて、とうとう純粋に飲みに来ていた子にまで手を付けたという。
 もちろんそれは本人同士の合意だから鏡花も出禁にすることはできなかったが、小林は合意を取らせた後に別の男達も呼んで集団でことを行ったというのである。
 それを聞いた鏡花は小林を出禁にして、噂を何とか周辺の飲み屋にも知らせ、注意発起をしているところだったのだという。
「小林はそんな酷いことを……」
 手塚が驚いているのはもちろん、普段はそういうところを見せてこなかったのであろう。
 猫かぶりが上手い人間というのは多くいるけれど、この小林は悪党でしかなかった。
「これじゃ榎木津君には近付けられないな……すぐに別の担当を探すよ。事前に分かって良かった。何かあってからじゃ……」
 手塚の手が震えるほど心配をしていて透耶はそんな手塚の手を握っていた。
「俺は大丈夫です、先に見分けられてよかったです。その、よければ恭を担当を見付ける目に使ってくれませんか? そういうのを見分けることができる人なので一旦面通しはしないといけないですから」
 そう透耶が言うと手塚は鬼柳を見た。
「どうせこの後は時間も余っているし、担当に推薦するやつの経歴を見せてくれ」
「は、はい!」
 というわけで、鬼柳恭一による人事会が始まった。
 見せられる程度の履歴に顔写真を用意して手塚が鬼柳に見せると、鬼柳はそこで経営者の能力を発揮してきた。
「こいつは駄目、大御所を抱えすぎだ。透耶の細かいものまで通らなくなる。こいつは駄目、担当しているものの本がほとんど出ていない。途中で作家を追い詰めて逃げられている上に、逃げた作家が他で本を出して売れている。編集気取りで碌でもない損失を産んでいる」
 そう言いながら編集者の担当候補だった十人を一人一人と見ていくと、最後の一人が残った。
「少し頼りないが、透耶の願望は通りそうではある。手塚がサポートしてやれば、まあ普通にいい編集担当には育ちそうだ。能力はあるし、担当した本はそこそこ売れるように持っていっている。まあ、そのあとあの小林に作家を奪われているようだが、その作家は消えているしな」
 なんて鬼柳が言い出して、手塚はそれを一つ一つメモをした。
「鬼柳さんにここまでの手腕があるとは……恐れ入ります」
「これから手塚がしっかりこういうのを見極めていかないといけないんだが、大丈夫か?」
 そう問題ありの三人を見付け出した鬼柳としては、手塚が預かることになる編集部が問題児が多すぎると心配をしている。
「それはしっかりやります。前の編集長が少し贔屓をする方で、ちょっと問題行動も多かったのですよ。私の担当している作家に問題は起こさせないように気を付けるのに必死で、でも最近、その問題が社長の知るところになりまして、それで私が編集長になるしかないと踏み切ったわけですが、私も少し見る目はなかったのかもしれません」
 手塚がそう言うと鬼柳は言った。
「いや、あいつは会社内の評価はいいんだ。ただ、裏でやっていることがのちのち大きくなるやつなんだよな。十年くらいで化けてとんでもなく扱いにくくなるタイプ」
 鬼柳がそう言って最初が分からないのは仕方ないし、プライベート内で何をしているのか気付けないのも手塚のせいではないと言った。
 それくらいに小林は猫を被っているどころか仮面を付け替えられるような性根が悪い男なのである。
 鬼柳がそう見積もってから出してきたのは一人の担当である。
「こいつがいいな。入江卓也、三十歳。小林に少しいいように利用されている節もあるが、小林は自滅するだろうし、その心配も消えるな」
 そう鬼柳は言って、小林のことを鏡花に知らせると言った。
 どうやら訴えている女性がいて、相手の身元を知りたいと言っていたようで、顔写真だけでは探し出せなかったのを鬼柳が偶然話を聞いて見付けてしまったというのが今回の流れである。
 そういうわけで、警察にも追われているらしい小林については手塚に任せてしまって、鬼柳は透耶の担当を入江に決めてしまった。
 透耶はそこまで何も口を挟まずに見ているだけで、ニコニコとしているが、実は透耶は鬼柳の仕事っぷりを見るが好きで、しっかりとやってくれていた過去もあるため、目の前で仕事をしているのを見られて嬉しいだけである。
「それじゃ入江君に内示を出すか」
 もう手塚には編集長権限があるようで、それで入江卓也に榎木津透耶の担当編集という仕事を与えることができた。
 とはいえ、本人は現在原稿を貰いに行っていて、戻りは明日になるだろうということだったので、透耶は一旦帰ることになった。
 何だか訳の分からないまま二人は出版社を後にした。
「でもよく偶然にも変なところで犯人が見つかるものだね」
 透耶がミステリでもここまでの偶然はないと言うと、鬼柳も確かにと笑う。
「そうだな、こんな襲撃もそうそう起こることじゃねえよな」
 そう鬼柳が言って地下まで降りた地下駐車場にて、あの小林が襲ってきたのである。
 でも紛争地域で生き抜いてきたような百戦錬磨の男に、都会の女性を相手にしてきたような男が叶うわけもなく、一発拳を入れたところで、さっと小林は警備員に捕まってしまった。
「なりふり構わずってことは、訴えられている可能性を察したか。残念だがお前のことは既に電話で報告させてもらったよ」
 鬼柳がそう言うと小林は悔しそうな顔をして警備員に拘束されている。
 そこに警察の車が待っていましたというようにやってきてあっさりと小林は捕まった。
 たまたま鬼柳から情報を得た鏡花が警察に情報を伝え、警察が任意同行を求めてやってきたところだったのだという。
「これこそ都合良く捕まったよね……」
「事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだ」
「難しい言葉も覚えたねえ、恭」
 透耶がそう言って感慨深く言うと、鬼柳は苦笑している。
「透耶の本に書いてたよ。さっきの小説だった」
 そう鬼柳が言うので透耶はそうだったっけとちょっと笑ってしまう。
 鬼柳は透耶の本のことは暗記するレベルで覚えてしまうため、変な言葉を使うと鬼柳が覚えて使ってくるので気を付けて書いているくらいである。
 もちろん今回は悪い言葉ではないので、いいのだが、何だかちょっと透耶としては台詞を使われるとこそばゆくなるのである。
 結局、小林大吾はその後に女性に訴えられていることから、事件は発覚し、出版社は解雇されてしまった。
 その後、小林は十人ほどの女性に暴力を加えていただけでなく、まだ三人ほど女性を脅迫し横領をさせていたことも分かり、かなりの重罪になりそうだった。
 透耶はそんな情報をテレビニュースで見たっきり、その後は情報を仕入れなかった。
 そして透耶の新しい担当になる入江卓也、三十歳は、ここにきてやっと大作家である榎木津透耶と顔を合わせ、鬼柳にも気に入られることになった。



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