Switch 外伝12-01

The usual 1

 榎木津透耶は久々の日本に戻ってきて、出版社に顔を出したところだった。
 作家として七年くらいは突っ走ってきたけれど、そこから二年くらいはのんびりとエッセイを出すくらいに活動は収まっている。
 けれど作品を書かないわけではないので、時々書いて固まったモノを編集の手塚に見て貰っている。
 その短編ばかりを集めた本がちょうど三冊分も溜まってしまったのでどうせなら出しませんかと言われたのである。
 そのため、校正をし直したものを提出するのと、話があると言われたので出版社に顔を出したわけだ。
「久々ですね、榎木津君」
 手塚は見た目ぽっちゃりが更に進んでしまっているが、相も変わらずの優しい笑顔をしている。
 これでも榎木津透耶を担当して既に七年目、本人は編集長になろうとしているくらいにはやり手である。
「本当に久しぶりですね、手塚さん」
 透耶もここに顔を出すのは二年ぶりくらいで、いつもは手塚の方に来て貰ったり、パソコンはスマホのアプリで会話をしているくらいである。
 出版社には出版していた小説のシリーズが終わり、その記念にとサインをするために来て以来となる。
 編集部は相も変わらず忙しそうであったし、何より様々な作家の作品を扱っているので、編集部の人達は外を飛び回って原稿を回収に出払っている。
 なので透耶が来ることを知らない人達は透耶が手塚と話しているのを見て、驚いているようだった。
 それもそのはずで、榎木津透耶には双子の弟がおり、その弟は国民的なアイドルをしていた榎木津光琉(えのきづ みつる)である。
 透耶とは顔もそっくりな双子で、見る人がみれば間違えてしまうくらいに似ているという。
 とはいえ、外を歩いていて透耶が間違えて話しかけられることはなくて、似ているけれど雰囲気が違うと人は意外に顔が似ている他人と思うらしい。
 そのお陰で混乱はしないままであるが、それでも似ていると思う人はいるわけで、隅の方で光琉の名前を呼び、違うと否定されて、作家の榎木津透耶であると言われて更に驚くという、新人にはあるあるな現象が起こっている。
「それにしても、二年で溜まりましたね。短編」
 透耶もそこまで必死に書いていたわけではなく、暇を見付けたり、ゆっくりと過ごしている時に軽く書いたつもりの小説ばかりなので、それまでのシリーズとは推理とかあまり深くはないものである。
「これでも新作は皆待っているんですよ。まあ、榎木津君は、シリーズ物二つで二十五冊をあっという間に出してしまったし、短編集も出しちゃってるし、エッセイ集も二冊も出してるから、作家活動はかなり積極的ではあるけれど、それでもエッセイは読まない人は読まないからね。二年ぶりともなればそっちを楽しみにしている人もいるわけで」
 手塚がそう言うので透耶もちょっとホッとする。
「楽しみにして貰えているなら嬉しいです。さすがにまた一からシリーズ物はもうできないだろうけど、短編なら海外にいても書けるからいいなら書きますけど」
 透耶はそういう暇はあると言うと手塚が言う。
「なら書いてください。年一冊くらい出せるペースなら、二ヶ月に一章くらいの文筆で足りるでしょうから」
「あーそれくらいなら、余裕ですけど」
 透耶がそう言うと手塚は笑った。
「そうでしたね、榎木津君は筆が速いですからね」
 榎木津透耶は筆が早いのが特徴で、五年で二十五冊も本を出し、それに短編も出している。
 ライトノベルよりは本格的である小説家にしては、筆が速いと言われる。
 世の中には年に一冊出ればいいという作家も多くいるため、透耶の出版ペースはとても速いことになる。
「ゆっくり目で頑張りますね」
「そう願いたいですね」
 そう手塚と約束して透耶は年一冊の短編集を出す約束はした。
 それに手塚がホッとした後に言った。
「それで今回のことなのだけれど、私の方の事情があって、榎木津君には新しい担当が付くことになりそうです」
 そう手塚がここに来て貰った理由を言ってきて、透耶は驚く。
「もしかして、手塚さん編集長になるんですか?」
 そう透耶が聞くと、それに手塚は照れたように言った。
「はい、内示がありまして……、それで榎木津君の担当をどうにかした後に昇進となります」
「わあ、それはおめでとうございます。僕のことは気にしないでください」
 透耶がそう言うと手塚はそれに首を振った。
「いえ、そうもいかないのですよ。社長から担当はしっかりとした者を付けるようにと言いつかっているので、早々適当には決められませんでした。実は二年くらい前からそういう話があったのですが、なかなか決まらずにここまで引き摺ってしまいました」
 手塚がそう言って相当気を使ってくれたことが分かり、透耶は申し訳なさそうにするのだが、手塚は言った。
「榎木津君がどうこうとかではなく、私がそう言い訳して榎木津君の原稿を真っ先に読みたかっただけなんですよ」
「あはは、手塚さんらしいですね」
 担当編集が一番に透耶の原稿を読めるのは当然で、手塚はその特等席を譲るのが編集長になるのと秤に掛けてもいいくらいに優先事項だったらしい。
 でも月日が経てば、その我が儘も通らなくなるのが社会人である。
「ごねてないでさっさと編集長になりなさいと怒られまして……それで泣く泣くです。これで榎木津君のお宅に仕事だ何だと言って、鬼柳さんの食事を食べに行くことももう叶わないわけで」
 と、本当に残念なのはそういうところだと手塚が冗談で言うと透耶はクスクスと笑った。
 でも実際に手塚はそれ目当てで来ていることもあって、鬼柳もよくしているから手塚も気を使わないでよい関係になれていたのである。
 榎木津透耶の恋人で相棒の鬼柳恭一は、日系アメリカ人である。しかし二年前に日本に帰化をして、日本人となっている職業カメラマンの男である。
 鬼柳は恋人には甘いが、他人には結構厳しく当たる人でもあるが、透耶にとって大事な人には身内として甘くなる性格をしている。
 そのため身内扱いの手塚はよく食事を奢って貰っていたのである。
 フラッと訪ねて行ってご飯を頂くということも編集長になって透耶の担当を外れれば、できなくなってしまう。
「まあ、たまにいる時は来てやってくださいね。手塚さんはよく食べてくれるから恭も作りがいがあるみたいなので」
「それじゃ、合間見てお邪魔しちゃいますね」
 手塚はそう言ってからゴホンと咳をして言った。
「それで、榎木津君の担当になる者を紹介しようと思って、本人と面会をして貰おうと思っていたのですが、色々と調整ができず、今日わざわざ来て貰うことになってしまいました」
「そうなんですね。それは構わないですよ。俺もここに来るの楽しみにしていたので」
「そう言っていただけると本当に助かります。その者なのですが、別の担当の作家に挨拶に行っていまして……あと少しで戻ってくるのですが」
 そう言われて透耶はそうなのかと思っていると、編集室に五十歳くらいの男の人が入ってきた。
「お、これは榎木津先生」
 そう言って声を掛けてきたのは出版社の社長である。
「こんにちは、社長さん」
「榎木津先生、良ければお昼などご一緒されませんか?」
 そう社長が誘ってくるのであるが、透耶はまだここにきて十分も経っていないので用事を済ませていない。
「あの、申し訳ないのですが、まだ用事を済ませておりません。夜も予定があって……ご一緒できかねます」
 そう透耶が今日は予定があるのだと言うと社長はとても残念そうにしていたけれど、そこに手塚さんが言った。
「社長……これから出版予定の本三冊分の装丁の話と新しい担当に合わせる予定で埋まってますので」
「そうか、……それは残念。またいつかご一緒していただけますかね?」
 悄気たおじいちゃんみたいになった社長に透耶は苦笑してから頷いた。
「また時間があるときにでも」
「頼みますよ、榎木津先生!」
 そう言って透耶に握手をしてから社長は去っていった。
「すみません、うちの社長が……」
 手塚がそう言って謝ると透耶は苦笑してから言った。
「大丈夫ですよ。まあ、いつまでも断っている訳にはいかないんでしょうけど」
 透耶がそう言うのはずっと社長との会食を断っているのも限界があるという話である。
 実は透耶は社長とは賞を取った小説の授賞式くらいでしかちゃんと話してはいない。
 ほぼ光琉経由で社長は繋がっているので透耶に話を通す前に光琉に通ってしまうことが多かったのである。
 そして社長の娘が光琉のファンで何度か頼まれて食事をしていたらしく、透耶は蚊帳の外になっていた。
 それもあって透耶は社長には食事に誘われることはなく、やがて透耶が隠居生活に入ってしまったのである。
 それから社長は何とか透耶にヒットするような小説を書いて貰いたかったようで、頻繁に透耶を誘えないかと手塚に頼もうとしたらしいが、手塚が上手く断ってくれていた。
 そしてそれから二年が過ぎて、今日に至ったわけである。
 端から見れば大元の小説家先生を横目に、その親族と仲良くする手段として名を使われていたという結果しか生み出していないので、透耶からすれば今更何をという気分で、簡単に断れるという状況を手に入れたわけだ。
 しかしそれもいつまでも使えるわけではないので、透耶としてはもう出版社に顔を出さない方がいいのかもしれないと思うようになってしまった。
「別に社長には出版に関して口を出す権利はないので、冷遇するなんてことできるわけないので断り続けていても構いませんよ。寧ろ私から釘を刺して起きますね。榎木津君の弟さんを利用してきたわけですから、その代償だと思えばいいんですよ」
 そう言って手塚はハハハッと笑っている。
 透耶としてはこれ以上よく分からない諍いはしたくないけれど、本を出してくれている会社の社長であるからあまり無碍にもできないのが本音である。
「じゃあ、甘えちゃおうかな」
「甘えてください。その代わりこの短編ですが、ドラマにしちゃっていいですか?」
 そう手塚が言い出して透耶はキョトンとする。
「ドラマですか?」
「そうです。実は、この間、色シリーズの監督さんに会ったんですよ。その時にうっかり短編が出ると漏らしちゃって……それで、早速話が舞い込んできてまして……」
 そう手塚が言うので透耶はちょっと笑ってしまった。
「梶監督に会ったんですか?」
「はい……油断して誘導尋問され、うっかり発売前の短編集の話をポロリと……」
 手塚はそう言っているけれど、これはきっとわざとである。
 テレビドラマかすれば、それなりに原作本も売れる。なのでドラマ化すれば更に売り上げが見込めるという判断からの、うっかりなのである。
 そして梶良弘監督は、色シリーズを十五作もドラマ化した監督で、透耶もお気に入りの監督である。そしてその梶のお気に入りの脚本家は五十嵐伸哉で、透耶とも仲がいい作家である。
 ここにまた二年ぶりに三者が揃ってドラマ化となれば話題にはなるというわけだ。
「いいですよ。ドラマ化でも何でも。手塚さんがいいというなら。梶監督なら、脚本家は五十嵐さんでしょうし……」
「もちろん、そこは梶監督も押さえるとおっしゃられていますので、もちろん大丈夫です」
 そう手塚が言ったのでそこは透耶は完全に任せることにした。
「俺は特に拘りはないので、好きに作って下さって構いませんので、そうお伝え下さい」
「分かりました。早速、連絡をしておきますね」
 手塚はやり手である。もちろん許可を透耶が出すだろうことは分かっていただろう。
 必ず許可が出る人を集められるというのだから、透耶が許可を出さないわけもない。
 そういうわけで、短編はドラマになることは決まり、本の装丁なども大体決めていたイラストを使って貰った。
 手塚が選んだ幾つかのイラストレーターの中から透耶が実際に作品を見て選んだ人から上がってきたイラストはどれも透耶のイメージ通りであった。
 基本的に透耶は作品のイメージを写真に載せて、そこからこういう形でという流れを最近は使っている。
 その通りに近いイラストだったので装丁は決まった。
 文字入れのデザイナーも指示通りに分かりやすい文字を入れてくれているし、とても綺麗な三冊の連なる短編集になっている。
 それらを編集室ではなく、企画室を借りてやっていると、終わり頃に部屋がノックされた。
 入ってきたのは受付の女性で、その人と一緒に来たのは鬼柳恭一だった。
 百九十センチ近い身長で彫刻のように綺麗に整った表情は一切の感情を持っていないように冷たい印象を与えるのだが、その表情が透耶を見付けると一気に笑顔に変わる。
「透耶、ここにいたのか」
 そう言って笑う表情に透耶も笑顔に変わる。
「うん、どうぞ入っていいよ」
 その言葉で案内をしてきた女性は驚きながらも下がっていった。


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