Switch 外伝11-1

counter melody1

 榎木津透耶(えのきづ とおや)は、目の前にある綺麗な海を浜辺から眺めて、隣に居る恋人である鬼柳恭一を見上げた。
「ちょっと違うだろ。海って言ってもどこから見ても海なんだけど、見る場所が違ったら、微妙に違って見える」
 そう鬼柳が言うので、透耶は頷いた。
「なんだか、すごくオアシスっぽく見えるね。場所が砂漠の国だからかな? そういうイメージになってくるね」
「そんな感じあるよな」
 鬼柳もそう言って透耶の感想に笑って答えた。
 
 透耶たちが今回旅行をしているのは、中東辺りにあるロアルシナム国。小さな国であるが、昨今石油を掘り当て、さらには唯一ある山ではダイアモンドが出る国だ。
 普通の観光ではあまり行くことはない国で、実は戦闘紛争地に含まれている。ただ戦争自体はほぼテロによる問題のみを抱えた国であるが、テロ自体十年以上起こってはいない至って平和である。
 観光地化が進み、海など都市部には欧米から観光客が訪れる。ダイアモンドは加工されて観光客に売れる。海の美しさや砂漠でのオアシスの開発で観光地が増えたことで、密かな人気になっている。
 ロアルシナム国に鬼柳が透耶を連れてきたのは、砂漠を見せるためだ。
 しかし砂漠のある国は国でも透耶が見たいのは鬼柳が見た砂漠であるため、なるべく安全なアメリカの砂漠とはいかなかった。中東の紛争地に近いけれど安全な国を模索していた鬼柳は、やっとロアルシナム国のことを思い出して透耶をそこに連れてきた。
「昔の知り合いが住んでる国で、キャラバン隊でオアシスから隣の国のオアシスに行く観光ツアーがある。今は割と平和で大丈夫なところだけど」
 と鬼柳が言うと、透耶は目を輝かせて嬉しがっていた。
「分かりやすい喜び方で助かる」
 透耶の顔だけで喜んでいることは分かってそう鬼柳が言うと透耶は空港を出ようとする。
「こら、俺から離れて動くなって言っただろ」
 鬼柳が慌てて荷物を持って透耶に追いつくと透耶もハッとして言った。
「そうだった……今回、SPの富永さんも石山さんもいないんだった」
 普段危険な場所であることを鬼柳が認識している時は、必ずSPを連れてくる予定にしているのだが、今回どうしても二人の休暇とSPの仕事が長引いてしまった。
 普段冨岡も石山も鬼柳たちにべったりと専属になっているわけではない。屋敷から旅行に出始めてからは、二人は通常のSPの仕事をしながら、鬼柳たちの予定に合わせて出張してきている形だ。
 というのも、海外滞在中の透耶と鬼柳の生活は基本、二人でという流れになっている。最初こそSPの二人も同行していたのだが、透耶たちが一所に居着いて一ヶ月二ヶ月と暮らす時は、鬼柳が透耶にべったりと付いていられるため、SPを呼ぶほど透耶を一人にしてしまう時間はゼロに近かった。
 そしてSPとしての仕事がない時間が増えたことで、仕事になっていないことから、鬼柳がSPの同伴をだんだんと減らす方向になっていった。
 冨岡も石山ももういい年で、家族で暮らしたい時期でもある。
 冨岡は妻も子供もいたし、石山は最近やっと見合い結婚をしたのもある。家族のある人を何ヶ月も拘束するのも透耶が嫌がった。
 国内の仕事であれば、長くても一週間程度で彼らは家に帰れたし、家族とも連絡が取りやすい。けれど海外になるとそうもいかない。
 そうするうちにSPの同伴もだんだんと付けずに行動するようになり、ここ一年以上は透耶も鬼柳もSPは付けずに旅行を楽しんでいる。
 しかし今回は頼む予定であった時期に双方が予定がずれてしまい、SPの二人の方が休暇になってしまった。次の予定も詰まっていることから、鬼柳はSP同伴を諦めた。
 他のSPでも良かったのだが、どうしてもその新しいSPが毎回問題だった。
「お前のところに新人SPを貸すと、もれなく透耶に惚れて仕事にならん」
 とSPの会社社長であるエドワードに物凄く嫌がられてしまったのだ。
「……透耶のせいじゃないだろ」
 と鬼柳が反論をしたのだが、エドワードは違うと言う。
「ただでさえ、垂れ流しのフェロモンで垂らしまくってる状態の透耶を守ろうという気概でいる男の精神というのは相性が悪いんだ。すでに二回やらかしている以上、うちからは冨岡と石山以外は貸せない」
 透耶を守るというSPの簡単なお仕事なのだが、どうしても新人は透耶を儚く弱い者であると認識して過剰に透耶を守る。そして透耶の天真爛漫さに恋心を抱いて、鬼柳の態度にだんだんと不満を抱き、透耶を自分のモノだと勘違いをしていく。
 こう言うとおかしな流れであるが、どうしてもそうなるのが榎木津透耶という人間を好きになる人間の末路は同じなのだ。
 透耶がどうこうしたわけではない。ただ透耶に恋をしてしまうだけで、恋をした人間は狂気の世界に入り込んでしまう。
 鬼柳は、石山も同じようなものだと思っていたが、行動に移すか移さないかで耐えて変わっていくかの違いが、石山との違いである。
 新人はそこが超えられない。石山はそこを超えて透耶から解放されて結婚までした。
 透耶への執着はさんざん事件になっているので、鬼柳も分かっているだけに、新人が二人やらかしている以上、新人は付ける気はないが、ベテランのSPである人たちは一回透耶の側に付いただけで、次から必ず嫌がるのだ。
 守るのは簡単である。もちろんベテランもそう思った。ただ心の均衡がだんだんと崩れていく違和感を察知して、何かしでかす前に辞退を願ってしまう。そこはベテランである。恋心が芽生えそうな自分のSPとしての能力が劣ってしまう危機感を察知してしまって身を引いているのだ。
 なのでエドワードはその辞退を聞く度に、仕方がないと言ってベテランを外していった結果、新人しかあてがえなくなり、その新人が二人も透耶に恋心を抱いた結果、鬼柳に撃退されているので、もう新人を育てたいエドワードとしては、商売でやっている以上、人員確保する端から狂気の人間を出す羽目になることは避けたいので、断ってくるわけだ。
「透耶は悪くはないが、たちは悪い。本当に忌々しいレベルの血筋だな。何をどうこうしても透耶の周りは物騒になる。恭がそこに入るだけでさらに悪化するパターンにもなっている。お前ら、旅行せずに引きこもってろ」
 と、エドワードに文句まで言われて鬼柳は引き下がった。
 透耶の周りは、確かに透耶が選んで入った人以外は、基本騒動の元だ。
 新人で耐えたといえば、宝田が連れてきた執事の松崎英人のみだ。彼の場合、透耶に惚れる前にメイドだった山田司に惚れたせいもあり、透耶絡みの問題パターンが回避された形である。
その松崎も今回は同行していない。
 司の出産も近いということで、松崎は休暇を取ったのだ。
 司には肉親は弟しかおらず、その弟は迷惑をかけたと言って遠くに住んでいる。両親はすでになく、親類も付き合いがないので出産時に手助けをする人が夫の松崎しかいない。松崎も天涯孤独であるため、自分が手伝わないといけないと育児休暇を取っている。
 そしてそれを聞いた透耶が、司と子供を寂しい思いをさせたくないと言って、松崎をあまり旅行先に連れて行こうとはしなくなった。
 元々体力的に劣ってきた宝田の補佐なので、家の仕事を頼んでいる。
 宝田は好きで屋敷に残ってくれているが、本当なら定年している年である。さすがに何かあっては困ると透耶はなるべく宝田を一人にしないように松崎を付けることにしていた。
 そういうわけで、いろんな要素が重なり、鬼柳は旅行先に透耶と二人という状態が増えた。そしてその状態が一年以上続いても、そこまで大きな問題にはなっていないことから、油断をしていたのだと思う。
「うん、気をつけるね」
「本当に気をつけろ。他の地域よりももっと気をつけろ。俺の側を離れるなよ。分かったよな?」
「わ、分かったから。気をつける……すっごい気をつけるから」
 透耶はそう言って鬼柳の手を握った。
 その後は何とか危険はなく、観光地である海側の遺跡などを観光して、そろそろキャラバン隊のツアーの予約が埋まったらしいので、明日に出発すると連絡が入ったところだった。
「キャラバン楽しみ~。砂漠でラクダに乗るんだよね~」
 砂漠の深いところにあるオアシスまで行くツアーで国境すら越えて隣の国に入ることになる。それが透耶の楽しみだ。このツアーは隣の国に入ることになるので、もちろん隣の国への手続きもあり、その手続きに一週間もかかった。
 そのまま隣の国の観光地を回ってから今回の旅行は終わる予定だった。
 砂漠に行く前に海を見ようと透耶が散歩に鬼柳を誘い、朝焼けの中で昇る太陽を見て写真も撮った。
 そうして一時間ほど過ごし、ホテルに戻った時だった。
 ホテルの玄関口で鬼柳が声を掛けられたのだ。
「まさか、恭一か……」
 そう言ったのは、民族衣装を着た男性だった。
 中東にあるから、周りは観光客以外はほとんどが民族衣装を着ている。
カンドゥーラに頭にはスカーフのような布であるグラドを被ってイガールで固定している。この国ではよく見る姿であったが、その声を掛けてきた人の服は明らかに一般の人とは違っていた。
 妙に生地のいいしなやかな布を纏っているように透耶には見えた。
 そう呼び止められた鬼柳はハッとして呼び止めた男を見る。それに釣られて透耶も見上げた。
 鬼柳も身長は高く、190センチ近いのだが、その男もほぼ変わらない大きさである。
 こんなところで鬼柳の知り合いにと透耶がその男の顔を覗き込んだとき、それが誰なのかはっきりと分かった。
「……ネイ、さん?」
 そう透耶が言うと、ネイと呼ばれた鬼柳を呼び止めた男はハッとした。
「透耶!」
 急に笑顔になって透耶に近づこうとするも、それを鬼柳に阻止をされた。
「なんで、お前がここにいる」
 鬼柳がそう言うと、ネイはニコリとして答えた。
「仕方ないだろう、仕事中だから」
「お前の実家、隣の国だろうが……」
「だから仕事。こっちの国ともいろいろやっているんだ。君たちは観光かい?」
 ネイがそう答えて透耶を見ようとするもそれを鬼柳が阻止して言った。
「もう帰るところだ。じゃあ」
 そう鬼柳はネイから透耶を遠ざけると、透耶を連れてホテルに飛び込んだ。
 さすがに鬼柳が迷惑がっていて、ホテルの玄関で揉めている様子にネイもホテルに泊まっているわけではないのか、追ってくることはなかった。
 それを確認してから鬼柳は急いで部屋に戻るためにエレベーターに乗った。
 透耶は何も言わずに鬼柳に付き添って歩き、エレベーターに乗ってから口を開いた。
「ネイさんって、確か実家に帰ったんだよね? 隣の国なの?」
 鬼柳が仕事を辞めるきっかけは、鬼柳が師事していたカメラマンの宮本が戦場から引退をしてチームを解散したからだ。その時にネイも実家に帰り、他の仲間も散り散りになったと言っていた。けれど鬼柳は彼らが何処に住んでいて、何をしているのかは知っているようだった。
 透耶は過去にクリスマス時期に乱入してきたセレンティとネイには会ったことはある。その時にネイとは少しだけ不穏なことになっていた。
 そのせいで鬼柳が警戒するのは当たり前であったし、ネイは透耶を諦めたわけではないことは、鬼柳が一番よく知っている。
 透耶はあれ以降に会ったこともなければ、ネイから何か接触があったことすらなかったので、警戒心はほぼない状態。
 むしろ透耶はちゃんとネイを振ったので分かってくれているという認識であった。
「……透耶、キャラバン隊はキャンセルだ。帰る」
 鬼柳が突如そう言い出したので、透耶は困惑した。
「え? なんで?」
「……隣の国のアイツはちょっと問題だとは思ってたんだが……出てくるわけもないし、むしろ会おうと思って会える相手じゃないはずだから油断していた」
 鬼柳はそう言うので、透耶はふと考える。
「会おうと思っても簡単に会えないような人なの? ネイさんって……実家って普通じゃない? あれ、でもさっき仕事だって……」
 透耶は納得はできないが、帰ることに関しては反対はしないでいる。
 ただネイと出会っただけで鬼柳がかなり取り乱している状態が奇妙だなと思った。
「だから、キャラバンで隣の国に行くと、身動きが取れなくなるかもしれない……駄目だ、やっぱり危険だ。帰るぞ」
「え、え、何が危険なの?」
 透耶にはさっぱり分からないが隣の国に行くことになること事態が鬼柳にとっては危険な行為らしい。
 透耶が尋ねても鬼柳はこう言う。
「とにかく、一刻も早くこの国を出る。話はそれからでも間に合う。飛行機に乗ってから説明する」
 鬼柳はそう言うと、透耶をホテルの部屋に入れてから言った。
「フロントで精算と飛行機取ってくる。透耶は部屋から絶対に出るな。いいな?」
 急に退去するのと飛行機を取るには、ホテル側から話を通して貰った方が早い。電話では時間が掛かってしまうので、フロントに行くという鬼柳に透耶はふっと息を吐いてから頷いた。
「分かった、後でちゃんと説明してね?」
「分かってる」
 鬼柳はそう言いながら、鬼柳が部屋を出るとすぐに透耶はホテルの部屋のストッパーを掛ける。これは鬼柳に何度も言われていたことなので、鬼柳が声を掛けない限り部屋のドアを開けることはない。
「……なんで、ネイさんにあっただけであんなに焦ってるんだろう? 別にネイさん、おかしくなかったよね?」
 さっきの様子を思い出しても透耶はおかしなところはないと思った。
 ただネイが透耶を見て嬉しそうにしたことはちょっと意外であったが、鬼柳とネイが揉めているなんて鬼柳から聞いたことはなかった。
「なんだろ? でもキャラバン隊……残念だな~。楽しみにしていたんだけど」
 鬼柳がああいう風に言い出したら、何があっても従うのが中東での透耶の役割だ。何があるのか分からない地域なのもあり、他の国よりもより一層危機感を持てと言われている。
 だから鬼柳が帰ると言うならそうするしかない。
 反対できるほど透耶はこの国に詳しくはないし、鬼柳と仲違いして居残りたいわけでもない。
「ま、次はどっか別のところ連れて行ってくれるし、いっか」
 透耶は割と楽観的にこの事態を考えていた。
 ベッドに横になっていると、なんだか眠くなってきて透耶はすっと眠りに引き込まれた。
 きっと早起きをしたから眠いのだと思った。もちろん鬼柳が帰ってくれば起こしてくれるだろうから、気にすることもなかった。

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