Switch 外伝9-14

play havoc 14

 8月。その日、一部始終を見ていたのは、事件関係を扱う記者山野浩(やまの ひろし)だった。
 榎木津透耶(えのきづ とおや)が出版社の近くのホテルに入るという情報を得た山野は胸騒ぎがして現場で張っていた。ただ出かけた透耶の写真が撮れれば、次に使う事件記事で他社を差し置いて最新の榎木津透耶の画像を使える。そう考えたのだ。来るときまでは。
 ホテルに張り込んでいると地下の駐車場が騒ぎになった。
 猛スピードの車が地下駐車場で暴走し、現場にいた人間が逃げ惑った。その中に榎木津透耶もいた。これはスクープだと張り切って近付くとSPに邪魔扱いされた。殺気立っているのは分かるが、と思った瞬間、山野の腕が痛くなった。
「なんだ?」
 痛くて押さえると二の腕が切られていた。
「は?」
 何でだと訳がわからず振り返ろうとすると、人にぶつかった。勢いがあったせいで山野は転がった。顔を上げると、SPが突進してきた男らしき人間を投げ飛ばし押さえつけているのが目に入った。
「確保!」
「警備員!」
「けが人がいる! 警察!救急!双方呼べ!」
 ホテルの従業員や警備員が走って寄ってきた。
「大丈夫ですか!」
 寝転がったまま山野は榎木津透耶を探した。
 見ているとホテルの事務室に避難しようとしていた。それを山野はカメラで撮る。連写で撮り、やったスクープだと内心ほくそ笑んだが、腕が痛かった。
 そこまでが表で起こった出来事で、暴漢は榎木津透耶を狙ったものだった。幸い暴漢は取り押さえてあるし、地下駐車場の暴走は偶然だったらしい。だが裏で起こっていたことは続きがあった。


 地下駐車場の暴走車を襲撃されたと思った鬼柳恭一はまずは犯人確保に動いた。透耶はホテルロビーにSPたちと避難させ、鬼柳と富永が車両から人を助け出す。
 犯人だろうと何であろうと、とにかく車に乗っている人間を助けるのは基本だ。
 だがそこで暴走車がただの暴走車であることが分かった。後部座席に子供が乗っていたのだ。幸いチャイルドシートをしていたおかげで怪我をしたのは、運転していた男性と助手席の女性だけだった。
 鬼柳はそこを富永に任せて救急車を呼ぶためにロビーに上がった。

 鬼柳に逃げるように言われた透耶はロビーに石山たちと逃げたのだが、そのロビーでナイフを持った男に襲われた。すぐにSPの一人が勇敢にも立ち向かって男を確保した。
「……あなたたちこちらに!」
 ホテルの従業員が透耶たちを従業員控え室へ案内した。中を確認したSPが現状把握のために出ていき、中には透耶と石山と従業員が入り、入り口にSPが立った。
「やはり、待ち伏せされてたか」
 石山が舌打ちをしそうなくらいに激しく憤る。出版社では危ないからホテルにしてもらったというのに、社長は透耶がホテルで取材を受けることを隠しもしなかったらしい。情報が漏れてて犯人に襲撃されたのだ。
「でも……あんな死ぬような目にあうことするでしょうか?」
 さすがに暴走車はやり過ぎではないかと透耶が思っていると、従業員が透耶にお茶を入れてくれた。
「ありがとうございます……」
 緊張感から喉が渇いていたのでそれを飲んでしまうと、椅子を勧められた。
「私は結構ですので、透耶様は落ち着いてください」
 透耶に座らせ、話を進める。
「確かにそうですが、ロビーの暴漢は絶対に間違いではないです」
 石山がそう言うので従業員もあの暴漢は透耶を狙って突っ込んできたと証言した。
「……ですね」
 透耶もそこは間違いないと頷く。
 従業員が刑事を呼んでもらうように受付に言ってくれたが、状況確認に行ったSPがなかなか戻らず、石山が確認のために携帯を取り出した時だった。
「ばちん!」
 そういう音がした。何の音だろうかと顔を上げた透耶が見たのは、膝から崩れ落ちる石山の姿だ。
「……!」
 石山さん!と叫んだつもりだった。だが口が上手く回らない。
 立ち上がろうとしたが座ったままで立ち上がれない。ゆるりと顔を動かして石山を見ると、倒れそうだった石山をホテルの従業員が脇に抱えて床にゆっくりと寝かせた。どうやら外にいるSPに音を聞かれることを気にしたらしい。
 透耶は何が起こっているのか頭の中で必死に考えた。
 けれどその思考は一瞬で何が起こっているのか理解できた。
 透耶を見下ろすホテルの従業員の瞳が透耶もよく知っている人間と同じ目をしていた。
「変装してると本当に気づかれない」
 その顔は石山が意識をなくす瞬間、条件反射で犯人に反撃しようとした結果、変装した犯人の顔にあった変装を剥(は)いだ形になっていた。だから犯人の素顔が半分だけ見えた状態。
 その顔は、透耶がよく知っている真下柾登(ました まさと)そのままの顔だった。
 有り得ないことに悲鳴を上げようとするも、声が出ず、パニックになった透耶は気を失った。



「透耶はどこだ!」
 地下からロビーに上がってきた鬼柳は、ロビーでの騒ぎを目にして透耶が見当たらないことに焦りを感じた。ロビーの事件は確実に透耶を狙った物だからだ。
 SPが二人で取り押さえているのが見えて、更に焦った。透耶に付いているSPが石山ともう一人だけになっている。
「あの従業員の控え室に」
 ホテルの従業員がそう教えてくれ案内してくれた。入り口には一人立っていたが、そのSPがノックしても石山は返事をしなかった。部屋を開けようとすると鍵がかかっていた。
「石山さん! 透耶様!」
 SPが焦りドアをたたくが、鬼柳はここまで連れてきてくれた従業員に聞く。
「あそこは他に入り口があるのか!」
「ホテルの裏口に……」
「くそっ! 案内しろ!」
 鬼柳がそう言うと、従業員は別の入り口から出て、控え室の入り口に案内した。その入り口は従業員が出入りしやすいように設けられた裏口で、タイムカードが置いてある空間がある。しかし表のロビーに行くには控え室か倉庫を通るしかないのだという。そこから中に入ると石山が床に倒れていた。
 机の上にはお茶がこぼれ、椅子が誰かが座っていた痕跡がある。
「石山!」
 転がっている石山を起こそうとしたが、幸い殺されていたわけではなく、気を失っているだけのようだった。首にミミズ腫れになった痕が付いているのを見ると、威力を増したスタンガンを当てられたらしい。SPを倒すために改造でもしてきたのだろう。石山が昏倒(こんとう)してしまうほどだからそう想像できた。
 そこから内側のドアの鍵を開けると、SPが入ってきて石山が倒れているのに驚き、更に口にした。
「透耶様は!?」
「連れ去られた。ここまでやつの計画だったらしい」
 犯人の一ヶ月以上にわたる潜伏はこのためだったらしい。さすがにそこまで鬼柳も読み切れはしなかった。
 透耶の情報などは出版社に行けばいくらでも喋る人間がいるだろうと思ったので、ホテルにしたのだが、それすら予定調和にしていたというから、完全に情報を知り得る人間が漏らしたと言える。
 だがそれでもここから人間一人を連れ去るのは難しいはずだ。意識のない人間などそうそう動かせるものではないし、透耶が口がきける状態なら叫んでもいるはずだ。
 けれど犯人は透耶が前に殺人犯から逃げ切ったことを知っている。透耶が作家の考えで動くことなど予想の範囲内ということなのだろう。
 とにかく鬼柳は警察がきてからではないと身動きがとれないことは確かだ。
 携帯で透耶の電話にかけてみるも呼び出し音もしないまま、不在のアナウンスが鳴る。さすがにそこらへんは犯人も用心して取り上げただろうし、途中で捨てているだろう。
「……くそ」
 まただ。
 自分の腕から誰かが透耶を連れ去った。
 拳を作って壁を一回殴ると鬼柳は息を一気に吐き、SPに向き直った。
「石山を最優先で病院へ、気づいたら犯人の様相を聞け。石山が唯一犯人と対峙している」
鬼柳がそう言うとSPが石山を肩に担いでロビーへ向かう。鬼柳は付いてきてくれた従業員に聞く。
「ここへ案内したヤツがどこの誰で何をしていたやつか全部分かるマネージャーはどこだ?」
 鬼柳の気迫にさっきから押されまくりな従業員はすぐにマネージャーに案内をした。その道中で地元の刑事に電話をかけた。透耶がとうとう誘拐されたこと、ホテルでの襲撃でこっちの地元の刑事に話を通してくれと頼むとすぐに刑事が飛んできた。
 警視庁から捜査一課が出動し、現場を仕切った。
 透耶の事件では、進展がなかったけれど、今回の動きで主犯が直(じか)に動いたことが分かった。
「暴走車の家族の車はブレーキオイルが抜かれてました。ホテル従業員が車を移動しておいた場所から乗ったところ暴走したとのことですので、従業員に聞いたところ、消えた従業員が移動等をしたとのことです」
「消えた従業員は、島田洋司(しまだようじ)二十七歳。東京都出身。住所を尋ねたところ最近引っ越してきたばかりで、家賃三ヶ月分などを一括で払ったそうです。身元保証人は永野貴史。永野に聞いたところ、永野文(ふみ)の甥っ子であることが判明しました。島田家に問い合わせると、三年前に出て行ってから連絡すらないとのこと」
 島田洋司は島田家の長男だ。永野文と島田洋司の母親は姉妹で島田洋司はいつも文の息子柾登と比べられていたという。声楽をするも柾登の優秀さに挫折し、現在ピアニストとしてホテルの従業員をしながらバーで弾き語りもする。
 元々ホテルでピアニストをして、楽団に属していたが、去年楽団から解雇された。事件のあったホテルのバーで弾き語りを始め、今月から本人の希望で従業員見習いとして研修をしていたという。
「榎木津透耶がホテルを使うことを一週間前に知り、従業員見習いを申し出たと思われる」
 見習いならホテルの中をうろついていても、雑用をしていてもおかしいとは思われない。
「しかしどうやって榎木津透耶がホテルを使う日を知り得たのか」 すると他の刑事がメモを広げて言う。
「出版社に島田の知り合いがいました。名前は橋本隆文(はしもと たかふみ)、真下柾登とは同級生です。柾梓ともよく会っていたらしく、そこで島田と知り合ったと言っていますが、これが橋本本人の供述で、榎木津透耶の過去の事件という記事の元同級生というのが橋本であることが判明しました」
 他の刑事たちがざわめく。
「橋本は島田たちが過去の真下柾登の話を記事にすれば、榎木津透耶が困るというふうに持ちかけてきたとのこと。本人の供述では、少しでも榎木津にダメージがあればいいと思ったとのことで、いやがらせのつもりで記事を書いてもらった。しかしあそこまで大事になるとは思わなかったと言っています。名乗り出るつもりもなかったそうですが、島田が事件を起こしたと分かったので洗いざらい喋った方がいいと判断したそうです」
 なかなか名乗り出られなかったのは島田が犯人だとは思いもせず、どこの誰か分からない犯人が怖かったのだと言った。
 更に榎木津透耶の情報を社長から聞いた秘書に聞いていた事実まで分かった。道理で秘密にしても透耶と出版社の間のことがもれたりするはずだと鬼柳は納得したほどだ。橋本は過去にも透耶の携帯電話の電話番号やメールまで秘書から聞き出していて、それで嫌がらせをしたり、番号をストーカーのような人間に高く売っていたことまで分かった。
 ファンレターの中にカミソリを入れたのも橋本だった。
「とんだストーカーだ」
 軽犯罪とはいえ、怪我をするかもしれないと期待して刃物を仕込んだことは十分罪に問えるし、民事では誹謗中傷する目的で嘘の記事を書かせたこと以上に個人情報や会社の情報を他社に売ったことが大問題で、出版社は懲戒解雇が確定だろう。
 橋本は既に確保されているので、島田を探すために必要な情報を喋ってもらうことになっている。
 その島田であるが、引っ越した先ではあまり生活をしていなかったらしい。柾梓が一人暮らしを始めると、その家に入り浸り、柾梓の生活費で暮らしたヒモ状態である。柾梓は義父に湯水のように金を与えられていたため、あるだけ島田に与えていたらしい。その頃から島田は真面目に楽団に通わなくなり、約三ヶ月で無断欠勤による懲戒解雇になる。暇つぶしにホテルやバーでピアノを弾いていたのはただの趣味みたいなものだったようだ。実際暮らしていけるような給与はもらえてないからだ。
 問題はどうして島田の世話を永野文が請け負ったりしたのかという疑問は残る。だが鬼柳は島田の顔を見た瞬間、理由はそれにあると気づいた。
「顔が柾登に似てるからか」
 柾登を溺愛していた文からすれば、柾登と同じ顔をした島田の願いは無碍(むげ)にはしにくかったのではないだろうかと思った。むしろ父親そっくりの柾梓という実の息子よりも島田の方に甘かったのではないかとさえ思えた。
 また柾梓も兄を尊敬していたらしく柾登の顔をしてお願いをする島田には弱かったらしい。
 その島田は柾登が憎かった。だがその対象はさっさと消えた。しかも自殺だ。
 島田はその後真面目に生きていたが、柾梓や橋本との再会により運命が変わる。
 まず柾梓(まさし)が榎木津透耶に興味を示した。
 ストーカーを使って更にストーカーをしていた。それが一年前だ。橋本が困ればいいと思って昔話をした。柾梓は母親の部屋から妄想日記を盗み出し、そこから榎木津透耶に興味を持ってストーカーに至っていた。
 ここまで島田も柾登を思い出すこともなかったのだが、そこから榎木津透耶に興味がわいた。
 柾梓が透耶を欲しがっていたところ、透耶が誘拐未遂にあった。焦った柾梓は透耶に気づいてもらおうとして手紙を送り始めた。最初は確実に届けてほしいと橋本に頼むもカッターを仕込んだものを勝手に橋本が用意してしまった。
だが透耶が思った以上に俊敏に反応をして警戒を強めたことで、柾梓が困った。今までのようにはいかなくなったのだ。
 柾梓はどんどんおかしくなり、橋本はついていけなくなった。
 元々嫌がらせをしたいがために始めたことだったので、記者に喋って憂さ晴らしをした橋本だったがそれが大騒動になった。
 また柾梓が記事を読んで激怒した。
 理由は榎木津透耶の受賞歴や成績を疑った記事の内容にだ。更に兄である柾登をも貶(おとし)める内容に、自分が傷つけられたかのように反応した。
 だが柾梓が何かできるわけではない。橋本はそう高をくくっていた。だが記者が殺害される事件に発展し、橋本は柾梓の仕業ではないかと疑ったという。
「けど、柾梓の部屋にそういうものはなかったし、島田もまさかそれはありえないよと言っていたから……」
 橋本は怖くなり柾梓やそれを助長するように言う島田の様子が変わってきたことにも怖くなったのだ。集まりには仕事が忙しいと言って参加をしなくなり、次第に連絡すら取らなくなった。
 その間に透耶の過去の事件は沈下し、橋本は自分がしたことを墓まで持って行くつもりで黙り通した。
 半年経った頃、急に島田から連絡が来た。
 用件は榎木津透耶の取材先を教えてほしいというものだった。取材を受ける話は聞いていたので、知っていることを教えた。というのも、島田はあの記事の元同級生が橋本であることを知っていたからだ。柾梓に知られたら血を見ることになると言われたら、榎木津透耶がどうなろうが知ったことではない。さっさと教えた。
 島田はそれ以上のことは要求しなかったので橋本も言われるまま教えていたという。
 ホテルのことを教えたのも一週間前で、島田は出版社の社長がよく利用しているこのホテルだと当たりをつけていたらしく、二ヶ月前から張り込んでいたらしい。
「監視カメラ等、榎木津透耶を連れているような人影が全く映っておらず、島田がどこに潜伏しているのか分かりません」
 透耶の行方は一切つかめていない。
 まるであの部屋から綺麗に消えたかのように、痕跡がないのだ。
 透耶の携帯はホテルの裏のゴミ箱に捨ててあった。その携帯から島田の指紋が検出された。透耶を誘拐したのが島田であることは間違いなかった。
 その誘拐された透耶は、島田によって薬を飲まされ、誘拐された時、体が自由に動かなかったことが分かった。残っていたお茶にそうした薬物が入っていたという。 当然助けは呼べない。
 前回のように、自力で逃げ出す機会はないと鬼柳は思っている。島田たちは透耶が殺人犯から逃げた時のことを裁判記録などから知っている可能性が高い。そうなると島田たちは透耶を自由にすることはないと思えた。
 また柾梓の執着から透耶を完全に監禁する場所すら用意している。捜査に協力しない永野文が何か知っている可能性もあるが、簡単に調べたところではそれらしい持ち物はないようだった。
 鬼柳も独自に探してはいるが、忽然(こつぜん)と消えた人間を探すことの不可能さをいやと言うほど知っている上に、警察が必死に追っているのに見つからないものが、そうそう簡単に見つかるとは思ってなかった。
 だが、これだけは言えた。
 あの二人は透耶を殺すことはない。そして透耶はあの二人に逆らうことがきっとできない。
 それだけは分かっていることだった。

感想



選択式


メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで