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外伝9-6
play havoc 6
榎木津透耶(えのきづ とおや)が帰国したのは、あれから四ヶ月後だった。
カナダに渡ってから、本格的な冬を別荘で過ごした。別荘では不便ばかりの生活だったが、平穏な時間に透耶はリフレッシュして鬼柳と過ごした。その生活は楽しかったし、いつも通りに過ごせていたと思う。
だがいつまでもそうはいかなかった。
透耶の残した仕事があった。
過去に報道であった通り、透耶は今持っている連載のすべてを終える。定期的に書いていた短編も二冊の本になったところで別の作家にバトンタッチとなった。今のところ新しい話を考えてはおらず、ずっと休みなしにきたこともあって、手塚が休暇にすればいいと言ってくれた。
ちょうど年一回の連続テレビドラマ化されていた作品も最終巻が出たばかりで、それをさらに映画化している。ほぼ撮りが終わり出演者がインタビューなどに応じている時期だ。公開は夏に公開される予定である。
これに合わせて透耶が取材を受けることになっていた。ドラマの最後と小説の最後であるからさすがにインタビューは受けてくれと出版社の社長にお願いされたのだ。それを受けたら休暇を好きなだけ取っていいと言われたので交換条件だった。
そのインタビューを受けるために帰国し、さらには残した雑記を仕上げる。
家は前と変わらないけれど、SPが石山たち以外に六人が住み込みになり、監視カメラが増え、自宅はセキュリティーの最新型が設置されていた。この工事に時間がかかるのもあって透耶は一冬カナダで過ごしたのである。
執事の宝田は透耶が元気になって帰ってきたことには喜んでいた。あれだけ憔悴しきっていた頃とは打って変わってころころ笑うようになっていたのは、やはり鬼柳と一緒にいることで成せることだったようだ。
日本に帰ることに決まった時、意外にもごねたのは鬼柳の方だった。このまま海外で過ごした方がいいだろうと言うのを透耶が。
「逃げててもきっと解決しないと思う」
そう言うのである。
「透耶、逃げてもいいんだぞ」
鬼柳が何も立ち向かわなくてもと言うと、透耶は首を振った。「今回のこと、きっと真下のことが関係していると思う」
そういうのだ。
「ずっと考えていたんだけど」
透耶はそう切り出した。
「真下のことは決着つけなきゃと思ってて、帰ったら光琉に全部聞くことにする。あの時の俺の記憶はあまりに断片で、覚えてないことの方が多くて、きっとそれも駄目なんだと思うから」
「できれば真下とかいうヤツと今回の事件が別であることを願ってる?」
鬼柳が鋭く突っ込む。
「……そうだね」
透耶がそう言うと鬼柳は透耶をしっかりと見つめて尋ねていた。
「真下はどういうヤツだった?」
「石山さんには話したんだけど」
「それは聞いた、俺は透耶の口から聞きたい」
鬼柳はそう言って質問は始める。
「透耶にとって真下はどうだった?」
「そうだね……初対面は最悪だった。俺は真下のことは声楽の首席としか知らなかったから、どうしてピアノ科の自分と親しくしようとするのか理解できなかった。だから、うっとうしいなって」
「相手が有名人だと認識しているから、どうして自分と関わってくるのか意味が分からないって感じか」
「そうそう」
「せっかくの有名人が仲良くしてくれているから、お前も仲良くしてやれって言われたりもしたんだろうな」
「そうそう」
「俺がエドワードと知り合った時に似たようなことを言われたから分かる」
「あははは」
思わず透耶は笑ってしまった。
確かにエドワードは学生の時もあのままだっただろうから、きっと有名人だ。鬼柳は鬼柳が語ったままだとすると、どうしようもなく駄目人間として有名だったはずだ。
「あーなんか恭と俺、似てたね」
「だろ? 学生の時の若い悟った感っていうやつで思考が支配されてるやつ」
「分かる分かる」
透耶は緊張して話し出したのにすっかりリラックスしてしまった。
「でもね、音楽の話ではすごく話が合ってた。俺の理想とする音への執着を真下は理解してくれたから正直、家族以外で初めてだったから嬉しかったよ」
透耶はそう言って笑いを納める。
「でも次第におかしなことになっていった。真下は最初こそ優しかったけれど、段々と傲慢になってきてた。俺のやることなすこと先回りして口を出すようになった。例えば、ピアノの練習のために鍵を借りようと思っていると、先回りして借りてきたよって」
透耶がそう言った。
「他には?そういうことってあった?」
「んー……食堂に行くと今日食べたいものでもないけど、必ず先に食券を買ってて、最後には食堂に行く前から食券とペットボトルのお茶が手渡されて……さすがに困ってた」
「透耶くーん……」
鬼柳ががっくりとして透耶の肩を掴んだままプルプル震えている。周りを見るとSPの人たちが眉間に指を当てて首を振っていた。
「透耶様、どれくらいそれを続けたんですか?」
石山が震えながら尋ねた。
「半年くらい……さすがに困って光琉に相談したら、お弁当を家政婦さんにお願いして作ってもらうようにしてくれたけど」
やっぱりおかしいよねって言おうとしたら。
「思いっきりストーカーの行為じゃねーか。どうして周りはおかしいと思わないんだ」
鬼柳がそう唸ると。
「俺はさすがに困ると言ってやめさせようとすると、周りが親切を拒否する冷たいヤツだとか言い出して何度か揉(も)めたんだ」
「つまり、真下の行動を正当化する同級生が多く、透耶の主張は何も通らなかったというわけか。やり方きたねえな」
鬼柳が唸ってそう言う。
こういう場合、一番困るのがその他の人間の行動だ。本人は親切でやっていると本気で思っていて、困って拒否をすると親切を無碍(むげ)にすると本人以上に激怒する。相手が拒否を続けると本人が泣きついて、この場合、真下が友達に泣きつくので友達がハッスルして透耶を責め、真下の正当性を堂々と主張するややこしいことになる。
おかげで透耶はさらに孤立していく羽目になったわけだ。
「さすがに真下が何もかもやろうとするんで、俺が怒られるんだけど、もちろん真下にも指導が入るわけ。榎木津にあれこれやってやる必要はないってね。そこで真下や真下の親友が抗議するんだけど、内容がおかしいことに教師がやっと気づくんだ。もしかして榎木津がやらせているんじゃなくて、真下が勝手にやってることだったのかって」
「でどうなったんだ?」
「一年の後半から真下がピアノ科に出入りすることが禁止になった。それで俺はピアノ科のテリトリーから出ることなく平和になりかけた」
「それで?」
「二年になって、禁止処置をした教師が別の学校に転勤になった。だから禁止処置自体がなくなって、また真下がピアノ科に出入りするようになったんだけど、二の舞にはならなかった。二年になるとピアノ室の鍵は上位入賞者には合い鍵が渡されていて、自由にいつでも練習できるようになるんだ。発表会なんかの忙しい時にいちいち借りにいくのが時間の無駄だとかそういう話になって渡されるようになったんだ。そして俺は弁当を持っていて教室で食べていたお茶も持ってきてたから」
「世話をする理由がなかったってわけか」
「その代わり教室にやってきて四六時中俺の周りにいた。でもそのうち真下しかこなくなった。みんな進学でそれどころじゃなかったから」
透耶がそういうが、鬼柳は違うと言った。
「真下は透耶と自分の親友が仲良くなるのも我慢できなくなったんだ。だから連れてこなくなった。独占欲が謙虚に出た頃だな」
鬼柳が自分もそうだったと打ち明けた。
透耶とエドワードが話しているだけでも我慢ができなかったと言うのだ。
確かに二人が会話しているとものすごく邪魔をしていたように思う。最近はそこまで酷くはないけれど、新しい人には敏感である。あれは独占欲の問題なのだ。
「その頃、ちょうど夏あたりから真下の調子がおかしくなった。たまに学校を休むようになって、風邪だって言ってたけど声楽には風邪は大問題だから、そのまま夏休みに突入して、俺は真下のことは気にしなかった。その時、ちょっと従姉の斗織(とおる)が怪我して入院したりして病院に行ったり、京都に帰ったりで忙しくて」
透耶の従姉(いとこ)は既に亡くなっている。その従姉(いとこ)が事件に巻き込まれ大けがをした。その時の透耶は斗織を誰も愛さないという同盟みたいなものの仲間だと思っていて慕っていた。
つまり学校の友達であろうとも、従姉(いとこ)以上に気にする余裕はなかったというわけだ。
「夏が終わって学校が始まると、真下はもっと酷くなってた。教室に来ると俺を連れ出して誰もいないところでずっと友達の愚痴を言うんだ。休み中に見舞いにこなかったとか……俺も行ってないから俺はどうなんだって思ってたけど、口を挟めるような状態じゃなくて」
そのうち、真下の親友からお前のせいで真下が変わったと暴言を吐かれた。何を忠告しても右から左で声楽の授業もまともに受けなかったのだという。だがそれは透耶のせいではないからどうしようもなかった。
「真下は練習もせずに学校にくるけどどこにいるのか分からないって感じのことが増えてた。俺にも真下に何があったかって教師が聞くけど、俺が知ってるわけない。夏休みが終わってみたらああだったとしか言えない。真下に聞いても聞いたことを喜ぶだけで、事情は話してはくれなかった」
透耶が途方に暮れたと説明した。
「聞いたことを喜ぶというのは、透耶が自分を心配してくれたことが嬉しくて喜んでいたということか」
「うん、でも何でもないよしか言わない」
「完璧に壊れてたなそれ」
鬼柳がそう言った。
「だから俺には真下がどうしてそうなったのか理解できないし、あの時は理解しようとはしなかった」
透耶がそう言って落ち込むが、学生自体の明らかに自分が原因ではない変貌をどうにかしてやれたとは思えない。どう考えても透耶が原因でそうなったわけではないからだ。
真下柾登は夏休み後の試験をボイコットして主席を転落した。教師が家族に相談し始め、透耶にも事情を知っていたらと何度も尋ねたが、その頃には真下は教室に透耶を訪ねることはなくなっていた。
「真下は9月が終わる頃には俺との接点もなくなって、教師も何も言わなくなった。だからそれで終わったんだと思ってた」
しかし違った。
真下は教師や家族の説得でなんとか授業に復帰、十月にはコンクールに出るという噂が流れた。そのせいか、失恋でもして荒れていたのだろうと皆が思っていた。そして透耶の前に現れたのは十月の終わり。
「コンクールでピアノ伴奏と共に歌うのだが、その伴奏を。いやそれが無理なら、せめて練習に付き合ってくれ頼む」
真下がそう言って頭を下げてきた。それまでのことを謝った上で。
「それ、人がたくさんいるところでやってきたとか言わないよな?」
鬼柳が胡散(うさん)臭そうに聞いた。
「よく分かったね」
透耶が感心したように言う。
「分からいでか!」
鬼柳が当たり前だと言った。
「どう考えても透耶が断ることなんかできない環境でやってんじゃねーか」
「うん、でも断ったんだよそのときは」
透耶がまじめにそう言って、鬼柳は頭を抱えた。
透耶もかなりの頑固であるが、このことに関してはなかなか折れなかったというのだ。というのも、コンクールがあるのは真下だけではなく、透耶もあった。忙しくそれどころではないと言って断り、いったんは引き下がった真下だが、透耶のコンクールが先に終わってしまうと、透耶が練習しているところまで来て熱心に頼み込んだ。
「コンクールまで後一週間だからって言うから……」
とうとう透耶も折れた。
透耶が承諾して練習を開始して、たった三日だった。
「人があそこまで変わってしまうのを初めてみた」
それまで透耶に対して強引な態度は取るけれど、けして乱暴ではなかった。だが、真下は好きだと言いながら透耶を殴り、ナイフで脅して透耶を抱こうとした。
愛している、好きだ。お前もそうだろう? そんなことを真下はずっと言っていた。そのすべてを透耶は叫びながら否定した。体全体で真下を否定し、拒否し、排除しようとした。
鬼柳が透耶の手を取り、すっかり見えなくなってしまっている傷にキスをする。ぐっと握りしめてそのときのことを思い出してしまった透耶の体の緊張を解くような優しいキスだった。
透耶ははっと息を吐いて体の力を抜いた。
「……それから真下はさらにおかしくなってた」
透耶は完全に自分の中に閉じこもり、学校も腕の怪我の抜糸がすむまで休んだ。その間に真下はさらなる暴走を続けていた。
「久しぶりに学校へ行ったら、真下が笑顔でやってきた」
完全に狂っているとしか思えなかった透耶は、真下から逃げた。関わるなと近寄るなと大きな声を出して拒絶した。
そして一週間後。その事件は起きた。
「そのときのことはあまり覚えてない」
透耶の記憶はこの時の混乱とその後の両親祖父の事故死によって更にあやふやになっている。弟の光琉はこの時の透耶を壊れていたと言う。
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