榎木津透耶(えのきづ とおや)とニューヨークで再会した鬼柳恭一(きりゅう きょういち)はSPの石山一真(いしやま かずま)からすべての事情を聞いた。
始まりは透耶を誘拐しようとした人間の存在から、そして手紙や透耶の過去の週刊誌記事、さらには透耶を取材していた記者が殺された連続通り魔殺人事件である。このすべてが一気に起こってしまい、SPの仕事も普通の仕事ではなくなり、一回編成をし直さないといけなくなったこと。それにエドワードが上手く透耶を誘い、ニューヨークまで来られたこと。
幸いなのか、犯人は気づいてないのか。それともニューヨークまで追いかけられないのか。とりあえず透耶への攻撃は収まっている。自宅を出たことは向こうも分かっているだろうし、日本を出たことも分かっているだろう。その上で、ニューヨークへの直行ではなく、サンフランシスコ経由にして日本を出た。追跡は難しいだろう。
だが犯人はそうしたこちらのことをよくわかっていたようだった。
「今朝方、エドワード様の自宅に直接これが届けられたそうです」
エドワードは現在、サンフランシスコに滞在している。寒い東海岸から家族でバカンスという感じで仕事も兼ねている。ワシントンにある自宅は現在改装中だそうで、当面はそっちからエドワードが出張であちこち飛んでいる。
透耶をニューヨークに送ったのは、サンフランシスコではエドワードを探すのは容易であることから、危険と判断したのだ。更に透耶がエドワードの子供に危険が及ぶのを嫌がり、自宅に招くのであれば渡米はしないと頑(かたく)なに約束をさせたからだ。
それにより透耶は隔離されたようにニューヨークのマンションへ移動したわけである。
手紙はそんな透耶の危機感を見事に表現するようにエドワードの自宅を探し当てていた。透耶を見つけるのは時間の問題ともいえる回答だ。少なくとも犯人は貧乏ではなく、時間や行動をそこまで制限されてもいない人間となる。行動力もあり経済力もあるとなるととても厄介なストーカーだ。
「こんなものをわざわざアメリカまでか……」
鬼柳さえも眉を顰めるそれはいつもの手紙だ。ただ枚数は飛行機に乗っている時間書いたのであろうか、二十枚ほどに達している。つい先日自宅に届いた手紙でも十枚ほどあったがたった一日でここまでとなると透耶への執着が本当に酷いと分かる。
「これではどこへ逃げても時間の問題だと言われていて気味が悪くなるな」
鬼柳が正直な感想を言う。実にその通りで、透耶はこのストーカーを捕まえない限り、一生逃げ続けなければならないのだ。相手も諦めてはくれず追ってくることを承知でだ。
さらには警察の捜査網に引っかからないとなると、協力者が何人かいる可能性も高いのだ。今回のことでも一人のストーカーが気ままにやっているとは思えない。探偵や組織の人間のように、始終透耶を見張り、透耶の行き先まで追ってくるそんな行動ができる輩(やから)がついていることになる。
透耶の方は薄々そうなることに気づいていたのか、最悪の事態はとりあえず回避したらしい。エドワードの子供に何かあったら透耶もどうしていいのか分からなくなっていただろう。
「手紙を届けたのは地元の子供で、頼まれたのだそうです。日系っぽいアジア人に」
「つまり犯人は、エドワードの自宅の防犯カメラを気にして、子供に届けさせたというわけか。妙に頭が回るな。街の防犯カメラの映像なんか、実際に犯罪が起こっていると分かるような証拠でなければ、見せてはもらえないしな」
ストーカーが手紙を届けたなら、調べられるだろうが、日本からきた日本人相手となると話が違ってくるわけだ。日本から持ってきた犯罪の扱いにアメリカの捜査局が熱心に捜査してくれるとは思わない。むしろさっさと日本へ帰ってくれと言わんばかりの態度に出るだけだろう。
犯人はそうしたことも読んでいるのか、透耶に逃げ場所はないから日本に戻れと言っているようだった。
「透耶の行動が先読みされているような気がする」
鬼柳がそう呟く。
透耶のことに執着する相手なら透耶のことは何でも調べただろう。それも半端ではない情報収集をしたはずだ。そうなれば透耶が考えそうなことは一通り向こうの予想している範囲ということになる。もちろんエドワードを頼って逃げることも犯人には予想できたのだろう。
ただ透耶の迷惑をかけたくないという頑固さまでは読めなかったらしく、この場所はまだ見つかっていないようだった。けれどエドワードを調べればここに行き着くこともありえる。早急に場所を移動した方がいいのだが、あいにく鬼柳にはそういう行き先はない。ここは捨てた街である。鬼柳の居場所はどこにも用意してはいない。
透耶のことには熱心である犯人であるが、どういうわけか鬼柳のことは無視している。存在を否定して貶(けな)すのが普通であろうに、いないものとして鬼柳を扱っていることに気づいた。透耶の行動は読むが、鬼柳の行動はもしかしたら読めないのかもしれない。
では透耶と鬼柳がニューヨークで会ったことなど犯人からすれば想像外の出来事であるはずだ。
犯人には鬼柳恭一を調べる手段がないのだ。
それもそのはずで鬼柳は日本にいるときでも自分のことを他人に喋ったりはしてない。自宅すら教えたことはないほどの徹底ぶりだったから、鬼柳のことを調べようとすると難しい。仕事はアメリカの会社の所属であり、報道カメラマンという仕事で海外に飛んでいることくらいだ。
透耶を中傷するネットの書き込みでも鬼柳恭一のことは謎の部分が多いままにされている。友人も口の堅い人間ばかりな上、最近は近所以外の親しい人間と呼べるのは、エドワードやヘンリー、ジョージ等海外勢ばかりで、光琉や綾乃(あやの)に至っては、調べようとすればゴシップ記者に行き着くのでやりにくいだろう。
そういうわけで一般的に鬼柳恭一の情報を聞き出そうとすると、口の堅い人間から疑われてしまうことになる。
ものはためしである。鬼柳は自分が調べられていないことを前提とした行動をすることにした。まずこの部屋からの移動である。鬼柳は父親であった鬼柳一成のところに連絡を取った。そして事情を話し、カナダの別荘を借りた。森林の深いところで人が出入りするとすぐに知れ渡ってしまうような街だ。そこまでの道のりを追われているという想定で行動することにした。
「カナダ? また急だね」
鬼柳は来たばかりなのにという意味で透耶が言うと、鬼柳はその理由を説明した。
「俺の行動は犯人の想定外のことだと思う」
「確かにそうだね。おかしいとは思ってたんだ。恭のことは知っているのに、いないものとして扱っている気がしていて」
透耶はそう言う。
「普通、手紙に何か書くとしたら、まず犯人なら鬼柳恭一と別れろとかそういうこと書くもんだから」
とりあえず作家である透耶はこうした場合の犯人の行動は大体パターンとしてある。だからそれから外れている人間の行動は読めないが、しないことで犯人がどう思っているのかが見えてくるものもあると言う。
その最大のものが鬼柳恭一のことだ。
「犯人にとって俺は普段から家にいないから、いないと判断していいと考えたのか。それとも犯人にとって排除したいからいないものとして故意に扱っているかのどっちかだろうが、とにかく相手の出方を見たい」
鬼柳がそう言うと、透耶も頷いた。
やっと犯人の先手をとれるかもしれない。今までは後手に回っていたから。
鬼柳はさっそく手配をして移動するときも尾行されていることを前提にしての行動を取った。
いく班にもわけ行き先を分担、更に分担して混乱させる。そして車や移動手段をいくつも変えてカナダに入る頃には四回以上車を乗り換えていた。
透耶は最初こそ緊張していたが、ここまで徹底した作戦に少し興奮したのか興味津々で取材でもしているかのような気分になっていた。鬼柳がいることで心の余裕が出たのもあるのだろう、切羽詰まった悲壮さはなくなっていた。
カナダに入っても同じようにして移動をし、山の中に入る頃には先行していたSPたちが完全にガードした山荘にたどり着いた。
昔の映画女優が避暑に使っていた場所で、冬に使う人間はいない場所だ。周りは雪に囲まれていたが、逆に近付く人間の様子は一キロに渡って丸見えという場所だった。
「すごい雪!」
雪が大量に積もっている場所など見たことがなかった透耶は、窓を見つめてはしゃいだ。
「相変わらず、見事に雪しかないな」
鬼柳がそんな感想を漏らす。
「来たことあるの?」
「子供の頃は夏に毎年だったし、冬は二回ほど撮影できた」
鬼柳の父親一成がこの別荘を買ったのは、鬼柳が生まれた時だという。映画女優が亡くなり、所有が女優の息子に移ったのだが、こんな辺境の避暑地をありがたがるような人間ではなかった息子が一成に売りつけたのだ。とにかく処分してその金で南の島に別荘を買う方がいいという人間だから安くはなかったが、一成は夏に避暑に使ってみて気に入ったので即金で買ったらしい。
それから避暑に使っていたが、近年は友人知人に貸し出したり、ドラマや映画の撮影に貸し出したりして、ある意味有名なスポットではある。ただ場所からして観光客が来るようなところではないし、島のように唯一の入り口を閉めてしまうと地元の人間ですら入り込むことができない場所であるので、透耶には失礼だが、監視がしやすい別荘でもある。元々はパパラッチを避けて選ばれた場所だと聞いたので、一成は事情を考慮し一番犯人の侵入できない場所を選んだらしい。
「さっきの門からこっちが鬼柳家の土地で、島全体が鬼柳家の持ち物らしい。最近は映画やドラマに貸し出しているから、セキュリティも元々高めにしてあるからってさ。雪しかないけど……って」
景色は雪だけだからつまらないかもしれないがと言おうとしたら、隣で聞いていた透耶の目が輝いて、わくわくした表情をしていたのにはさすがの鬼柳も驚いていた。
「ドラマや映画に使われるような場所……わくわくするぅ」
透耶の取材好きの性格はなおってなかったらしい。
そういう場所として使われているなら、それ相応にすばらしい場所であることは間違いない。そう取材魂に火が付いたわけだ。
鬼柳はそういう透耶を見てほっとする。
そういえば、沖縄でもエドワードの別荘で取材だと言ってはしゃいでいたし、結局帰る日になる頃には部屋の寸法まで測るレベルのことまでやってのけていたのを思い出した。それは現在の自宅も同じことであるが、小説のネタに使う材料としてやっている。つまり新しいおもちゃが家そのものなのである。
到着して駆け出したい気分を透耶が押し殺して鬼柳の袖をつかんでいる。いつもなら駆けだしているところだが、今回はそうもいかない。我慢に我慢を重ねている。
居間に通して先に飛行機で先回りしていた石山が顔を見せたので鬼柳は透耶を石山に任せて探検にオッケーを出してやった。家の中なら大丈夫であることは既に確認している上、SPが石山以外に三人もついて回るのだから危険はないと判断した。
鬼柳は台所など主要な部分を自分の目で確認してSPに状況を説明させる。
SPがここについてからやったこと、すべてを見て回ったことなど。三階建ての建物であるが四階部分にあたる見晴台がついていて、そこからSPが常時外を監視していることまで完璧に配置してから食事の用意をした。もちろんSPのまかないまですべて鬼柳がやるのでSP十人以上いる大所帯となっている。それを軽くこなし、エドワードから渡された書類に目を通した。
透耶はひとまずの探索がまだ終わらないらしく、二階の方からドアを開けたり閉めたりしている音がする。
「これじゃ内装に詳しくなるのはSPでも俺でもなく透耶になるな」
隠し部屋まで探していると言われたらそんな感想になる。
透耶曰(いわ)く、こんな古い建物に隠し部屋がないのはおかしいという主張らしい。
とにかく本人が楽しそうにしているので水を差すのはやめておいて、その間にアメリカのSPと打ち合わせをした。
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