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外伝7
甘い罠
「そういえば先生と鬼柳さんって同じパジャマ着てるよね?」
綾乃がポツリと呟いたのは、あるショップのパジャマの棚の前のことだ。
小さな子供が幼稚園に通うことになったのでパジャマなどが必要になったから新しいのを買いに来たところだ。普段なら光琉に付き合ってもらうのだが、今日に限って日程があかなかった。そこで榎木津透耶に付いてきてもらうのを頼むと、透耶は二つ返事で来てくれた。
その出先のこと。
綾乃はロスにいる時に透耶と鬼柳が同じパジャマを着ていたのを思い出したのだろう。そんなことを言い出した。
「あ、うん、そうだよ」
透耶はペアルックに関してとことん無頓着である。
こういうのに拘るのは意外にも鬼柳の方で、彼はとにかくお揃いにしようとしてくる。こだわりは異常なほどであるが、透耶が迷惑していないのと、人の目に入るところではしないこと、私服などはそういうことはないのがあり、今では慣れたものになってしまった。
だから問われても気にせず答える。
だがパジャマに関しては透耶は珍しく少し焦ったような言い方だった。
「普通、色違いのにしない? 鬼柳さんのこだわりからすると、そこまでやって完璧って感じがするんだけど」
「あーえーまあ、あれは色がなかっただけで」
透耶はさらに焦ってそう言い話を終わらせようとする。
「で、何があって先生は妥協したわけ? 色に関して」
綾乃が誤魔化されないぞと詰め寄ると、透耶は数年前の出来事を思い出して仕方なく話し始めた。
「最初のパジャマは、やっぱりペアだったんだけど、恭は灰色っぽいのだったし、俺にはたまたま青だったからいいんだけ。というかペアということよりも別のこと気になってたから拘る性格なのを知ったのは同じ家に住むこと決めた後のことだったから」
「うん、それで」
「その時も別に問題はなかったんだ。ペアでも。でもロス行く前に新しいのを買った方がいいって決めて買い出しに行った時、俺、初めてペアはペアでもそれはやめてくれて言っちゃった」
「一体何があって」
綾乃がごくりと唾を呑んで聞き入る。
透耶は恐ろしいことを思い出したように少し震えて言った。
「そのパジャマの色違いが、青とピンクしかなかったんだ」
そう透耶が言うと綾乃の顔色がすっと悪くなる。
「まさか、あの馬鹿」
「そう青は透耶のだから、俺はピンクでいいやって平気な顔していいやがった……」
真っピンクのパジャマを着た鬼柳を想像して二人の顔色が悪くなる。あの強面のデカイ男がピンクのパジャマを着て、煙草を吹かせていたら似合わないどころの話ではない。
「……お、恐ろしいことを平気で言うとは思ったけど、無頓着だと思ってたけどそこまでだったとは」
綾乃でもそれは必死にやめてくれと言っただろう。綾乃の場合ならまだ自分がピンクで我慢するとは言えただろうが、男同士ではどちらかが真っピンクはさすがに無理だった。
「そんな恐ろしいことはやめてくれって必死にお願いして、同じ色でもサイズは違うんだから同じ色でもいいじゃんって必死に何度も言ったら、渋々同じ色に……あの時ほと必死になったのすごい久しぶりだったなあ」
透耶はそれを思い出して今でも心臓に悪いと思っている。鬼柳が気にしないなら別にいいことだろうと思うが、それを毎回見ることになってしまう透耶が耐えられないのだ。
「ま、それで同じ色になったわけか……って、それってまさか……さすがにそこまで策士だったら恐いんだけど」
綾乃は鬼柳がピンクのパジャマを着ていたらさすがに驚くし、恐いものだが、それより別のことを思い付いてしまった。
「え、何?」
透耶はキョトンとして綾乃を見ている。
その透耶に綾乃は思い付いてしまった疑問を口にしていた。
「あのね、元から青とピンクしかないパジャマを選んで、自分がピンクを着ると言えば当然先生は慌てて止めるじゃん。で、妥協したフリをして、同じ色のサイズ違いのパジャマを買う。そう同じ色のパジャマにすることが目的だったんじゃないかって思ってね」
今まで別の色で統一してきたけど同じ色のペアにしたくなってそんなことを考えついたんじゃないかと綾乃は言っているのだ。
「……え、だってそれだったら、別にピンクって言い出さなくても黙って同じ色にしちゃえばいいじゃん。俺、別に気にしないんだけど」
透耶が混乱する状況を作ってまでするような作戦でもない。
「甘いよ、先生。鬼柳さんがただで黙って意味なく特典もなく、こだわりのあることをさらっと変えるわけじゃないじゃん」
綾乃はきっぱりとそう言ってしまうのだが透耶にはまだ疑問が残っていた。そこまでやるとは思えなかったので、これはあくまで綾乃の想像だろうと思っていた。
なので鬼柳が帰ってきた時、パジャマを目にして思い出してその話をしていた。
「……」
話を聞いた鬼柳は天井を見上げたまま煙草をふかせていた。
透耶はそんな鬼柳を見上げて唖然としていた。
綾乃の想像はまったくの想像ではなく、むしろ図星だったらしい。
「……で、一体何が特典だったわけ?」
思わず低い声が出てしまったが、鬼柳がどんな得をしたのかを知りたかったの問うていた。
「ほら、なんというか。透耶ってこういうのにこだわりないだろ? でもさすがに俺がピンクを着ると言ったら慌てるかなーと思って、必死になる透耶が見られるかなと」
どうやら鬼柳は必死になって鬼柳のパジャマを選んでくれる透耶が見たかったらしい。
そう言われて透耶は呆れた顔をしてしまった。
「必死になってる透耶、凄い可愛いからなあ」
その時のことを思い出したのか、満足したように何度も頷いている。
「そんなのが見たいが為に、そんなことしてたのか……パジャマの色一つでそこまで考えてやるの恭くらいだよ」
綾乃の言う通り、一つでも得にならないことはしないようだ。
何か一つ変えるのに、何か一つ以上の何かを得ようとする。
「それにこれ着た時、透耶なんか照れてたし。いっぱい得した」
鬼柳は着たパジャマを引っ張ってにやっとしている。
その話を思い出して透耶はぎくりとした。
ペアものでも同じ色のサイズ違いは初めてだ。だから妙に新鮮だったし、色違いのペアものより何故か照れた。その反応を散々鬼柳には面白がられてしまった記憶は新しい。
「そ、そんなことまで……もう馬鹿……」
鬼柳を問い詰めているはずなのに、何故か透耶が追い詰められているような気分になってくるから困る。
鬼柳は追い詰められている透耶を抱き寄せると、にっこりと笑って言った。
「透耶のことなら、何でもいいんだ。いっぱい得した気分になるなら何でもやる」
「……いつもそうだよね、そういえば」
鬼柳の笑顔に透耶は呆れた顔をしたが、すぐに笑顔になってしまった。
いかにも鬼柳らしいやり方だ。彼は今までずっとこうやってきた。
呆れたり馬鹿だと思えるようなことでも鬼柳には嬉しいことだったりやる価値があることだったりするらしいから、変わっていると思える。
だかそれが鬼柳恭一という人間だと思うと可笑しくなってくる。
「でも恭って本当に俺がピンクでいいよって言ったら普通に着てきそうで恐いんだもん」
透耶があれは計画で透耶が反対するのが解っていて言ったことが判明したからよかったと言うと鬼柳が真顔で返していた。
「透耶がいいよって言ったら、それはそれで嬉しいから着たけど?」
真顔の鬼柳の顔が目の前にあって透耶は一瞬動きが止まった。
そういえば、この男は透耶が似合うと言ったら喜んで何でも着てしまうような性格でもあった。
つまり、このパジャマの話題は絶対に皆の前で出てしまう問題だったらしい。同じ色のサイズ違いでも、鬼柳がピンク色を着ようともだ。
「……ぴ、ピンクじゃなくてよかった……」
鬼柳にピンクを選んだとバレた方が透耶としては自分の受けるダメージは大きかったなと思うと、今更ながらほっとしてしまう。
「そんなにピンクは嫌だったのか。ちょっと似合わないかなとは思ったがそこまで」
鬼柳はそれほど重要だとは思ってなかったように言うのだが、自分の容姿を重要だと思っていないらしい鬼柳に透耶はさらに脱力する。
「ちょっとどころじゃない、全然似合わない!」
透耶が力説すると鬼柳は苦笑している。
鬼柳は似合う似合わないの問題ではなく、好みとしてピンクは好みではないから除外していただけだ。基本的に暗い色の方が落ち着くのでそれを着ているだけだった。
だからその好みに対して透耶が口出しはしたことはないが、今初めて猛烈に反対されている。
鬼柳はクスリと笑って透耶に言った。
「じゃ次から俺が変なの選ばないように、透耶も買い物に行こう」
「うん行く」
その言葉に透耶は即答した。
透耶を驚かせる為なら何でもやる鬼柳のことだ。何されるか解らないのも恐いので透耶は必死に同行することにした。
この話はここで終わるかに思えたのだが。
「それって、わざとピンクの話を強調しただけじゃないかな」
綾乃は透耶と鬼柳の間で交わされた約束と、この間のパジャマの色の話を合わせて、また疑問が生まれたようだ。
「どういうこと?」
またキョトンとした透耶に綾乃が言う。
「ただ単に、先生と一緒に買い物に出かけたいから言い出しただけなような気がする」
鬼柳が買い物に行く時は透耶に用事ある時くらいしかない。鬼柳の仕事関係と透耶の仕事関係の都合で急に買い物に出かける予定は組めない。しかし最近は鬼柳が帰ってくる時に合わせるように仕事を進め、鬼柳が帰ってきた時はほとんど仕事を入れず、完全な休みにして鬼柳と出かける予定を入れたり、鬼柳が帰ってきているのを知った友人たちと遊んだりして、鬼柳が日本にいる間、透耶の予定は全部鬼柳の予定に合わせている状態だ。
「それだけだったんだけど、思わぬ効果が得られたって感じ?」
綾乃が苦笑して言うと透耶は唖然としてしまった。
どうやら過剰反応した結果、鬼柳にはものすごいお得になったらしい。
「先生たち、前にも増してベッタベタしてるしね。鬼柳さんには棚ぼただねえ」
「なんか反応するだけ恭の策略にはまってるような気がしてきた」
何をしても手のひらの上で転がされているような気分というのはこういう時に言うのだろうかと透耶は途方に暮れた。
「先生、よく罠にはまるよね……それも面白いくらいに」
綾乃は呆れたように呟いてしまったが、その隣で光琉が一人苦笑していた。
実は鬼柳の策略には、透耶だけではなく綾乃も込みなのだということに二人とも気づいていない。
透耶が二人の出来事を綾乃に話すことは予想出来ることで、透耶が気がつかないことに綾乃が気がつく方が多い。なので綾乃が気づくだろうと予想してさらに先を読むと、綾乃も罠にかけるしかないということなのだ。
なので二人で言い合っていることが全部鬼柳の手のひらの上の出来事なのだと解っている光琉は、そんな二人が面白いので黙っている。
まあ、ここで光琉がバラしたとしても、鬼柳はさらに透耶を罠にかけるために、今度は光琉や周りを巻き込んで罠を仕掛けてくるだろう。 暫くは、この二人が自力で罠にかけられていることに気づけるかどうかが勝負の分かれ目。
しかしこの様子では、当分の軍配は鬼柳にあがったままであろう。
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