Switch 外伝6-10

We can go 10

 鬼柳家の子供は、長女は朱夏、次男は一貴と言う。
 まだ小学生にはなっていないので、普段は乳母が面倒を見ている。アイリーンが直接面倒を見ているわけではなく、乳母が預かるのが普通の家だそうで、鬼柳もそうして育っている。
 その乳母と二人の子供は、今日兄が来るというので、買い出しに行くという使用人について一緒に出かけて貰っていたらしい。
 居間に入ってきた二人は、その兄である鬼柳を眺める。ぽかーんとした顔をしていたのは次男の方で、まさかこんな大人の兄がくるとは思ってなかったらしい。
 下手したら自分の父親だと言われてもおかしくない年であるし、そうだとしても間違いないといえよう。呆然としている子供二人に鬼柳は大した興味は持っていなかった。
 いくら戸籍上兄弟だと言われても、鬼柳と彼らの血はまったく繋がっていない。
 それに日系二世である父親とアイリーンの子供だ。外見は完全に東洋人とはかけ離れ、鬼柳とはまったく違う、アメリカ人の容姿をしている。子供の名前は祖父の意向で日本人の名前を付けられているので違和感がある。二人とも見事な金髪だったからだ。
 そんな外見の義兄弟だと言われても鬼柳にはなんの感慨もない。
 ただ、へーこれがそうか、くらいの認識しかしなかったようだ。
 鬼柳が基本、透耶以外の人間に興味を抱けないのは、透耶と出会ったことで証明されている。それ以前であっても鬼柳は他人にも親兄弟にも興味は示さない。
 認識するだけで、その人がどういう行動にでようと関心はなかった。
 一瞬だけ二人を見た後、鬼柳はすぐに視線を外へ向けた。これには兄が来ると喜んでいた二人はがっかりしたものだった。
 透耶はやっぱりなーと内心で思いながらも口には出さなかった。
「ほら、恭一お兄さんよ。恭一さん、そんな顔しないでお願い仲良くして」
 その鬼柳の態度に驚いたアイリーンはそう言って子供達を鬼柳に近づけようとする。だが、近づけば近づくだけ鬼柳の大きな体に子供達が萎縮するだけだった。
 子供達は兄が自分たちに感心がないことはすぐに察知したようだったし、鬼柳は視線を向けずにいるからぎこちなさ過ぎる。その様子に焦っているのはアイリーン一人だった。
「あ、あの、こちら透耶さんよ。恭一お兄さんと一緒に住んでいる人。ほら挨拶して」
 鬼柳がどうにもならないと踏んだアイリーンは話を透耶に向けた。
「こんにちは、透耶です。朱夏ちゃんに一貴くん、初めまして」 
 透耶がそう言ってにっこりと笑うと、子供達は安堵したようだった。
 あの兄に近づくよりはこっちの東洋人の方がよっぽどマシだと思ったらしく、透耶の方にまとわりついてきた。
「あのね、ケーキ買ってきたんだ」
 一貴がそう言い出すと、朱夏もその話に乗ってきた。
「お客さん来ると、有名なところの美味しいケーキいっぱい買って貰えるの、だからそのケーキを好きな一貴は嬉しいのよ」
「しゅ、朱夏だって、そうじゃないか!」
 透耶の目の前でいきなり兄弟喧嘩が始まった。好きなケーキを食べたいからお客を嬉しいと思っていることをバラされた一貴が朱夏もそうじゃないかと怒っての喧嘩だ。
 透耶はそれを見ながら、懐かしいなーと自分の子供の頃を思い出した。
 そういえば、光琉ともこういう下らない喧嘩は沢山した。本当に些細なことで子供は喧嘩をする。
 くすっと笑うと二人は恥ずかしそうに喧嘩をやめて透耶を見つめる。
「そのケーキ、そんなに美味しいの?」
 ニコニコと笑って言われて二人の子供は正直に頷いた。ぶんぶんと首を振る二人を透耶は笑顔で見つめていた。
「ああ、サイモン、食堂の方にそれを運んで頂戴。二人とも透耶さんと一緒にそっちで食べなさい。私は恭一さんとお話があるから」
 アイリーンがそう言うと、二人の子供は鬼柳がいない状況が気に入ったのかすぐに透耶の腕を引っ張って居間を飛び出した。
「あ、ちょっと、走らない走らない。ケーキは逃げないよ」
 手を引っ張られて走り出した子供を透耶はそう言って止め、今度は右手に朱夏、左手に一貴の手を繋いでサイモンに案内されるまま食堂の方へ移動した。
 子供たちの興奮も最高潮で、お気に入りのケーキが気に入って貰えるのか、そして食べた透耶が笑って美味しいと言ってくれるかが今やそこが二人の気持ちのありかだった。
 残された鬼柳とアイリーン。
 鬼柳は興味なさそうにアイリーンを見た後、すぐに透耶の後を追うとする。それをアイリーンが引き留めた。
「ちょっと、どういうこと。自分の兄弟でしょ。義兄弟とはいえ仲良くしようとは思わないの?」
 アイリーンの苛立ちに鬼柳は首を掻いて言う。
「仲良くなんかしたかねぇな」
「な、なんですって!」
 アイリーンの声が怒声に変わる。その変化に鬼柳は驚いた様子もなく、素っ気なく返す。
「興味ねぇから」
 それは正直な感想だった。そもそも懐かれようなどと一瞬たりとも思ったことはないし、見た時もなんの感情もわかなかったのは事実だ。
 ここが日本の自分の家で、もしアレたちが来たとしよう。そうしたら自分はちょっとは興味を抱いただろうし、警戒もした。テリトリーにいる人間のことは把握したい鬼柳だから、それは人間観察するように話しかけ、子供であろうとなんだろうと透耶に近づく人間は一瞬たりとも気配は見逃さない。
 しかし、ここは自分の家ではないし、子供の反応は子供の反応であろうと納得して、一応の警戒だけをしておくだけにしておくべきだと思っていた。
 なにより一番警戒しなければならない人間は目の前にいるからだ。
 さっきから鬼柳の機嫌は降下の一途を辿っている。その事実に気付いているのはたぶん透耶だけだ。
 ただでさえ機嫌が悪いところに、この女の透耶を気遣うようでありながら気遣っていない言葉の数々。家族だ仲良くだいいながら、本音はまったく違うところにある意味ありげな言葉。
 正直、あのくそ親父、早く帰ってこないものかと苛立ちを隠すだけで精一杯だ。
 怒鳴らなかったのはある意味奇跡だ。周りの目があろうとなかろうと鬼柳はこの女の口を塞がなければならない。だが、目的としている部分をぽろっとでも吐いてくれないものかと様子見をしていたところでもあった。
「あんたが何を考えているのか、さっぱりだ。俺は親父が一度顔を出してくれと言ったからきただけ。あんたの期待なんかに応える義務はない」
「……っ!」
 鬼柳がわざと挑発するようにアイリーンに言うと彼女は顔を真っ赤にしていた。
 さっきからこの女が自分に仕掛けてきていることは分かっている。しかし、分かっていると答えるとでは意味はまったく違う。興味はないと言ったのは何も子供だけではないのだ。
 鬼柳には全部に興味がない。この家のあるものは何もかも興味がないのだ。
 暗にそう告げるとアイリーンもさすがに分かったようだった。
「金持ちの妻で居たかったら、俺たちのことを一切無視することだ」
 忠告はしたぞと鬼柳がそう告げて居間を出ると、閉めたドアに何かがぶつかる音がした。
 鬼柳はそれを聞いて、これでは駄目かとため息を吐いた。
 仕事が終わった鬼柳の父親、一成が帰宅したのは夕方の7時だった。
 その一成を玄関で出迎えたのは、可愛い子供たちと透耶だった。
「おかえりパパ」
 抱きつく一貴を抱き上げて一成はただいまとキスをする。
 透耶はそれを見ながら、うーんアメリカドラマだなあと顔が綻ぶ。だが自分も鬼柳と同じことをしていることに気付いてちょっとだけ恥ずかしくなった。
 げ、原点はここだったのか……。
「ああ、君が透耶だね。うちの子供達が随分世話になっているようだね」
「あ、初めましてこんばんは。榎木津透耶です。あの、いつも贈り物ありがとうございます」
 透耶はそう言って頭を下げた。
 丁寧に頭を下げられた一成は破顔して透耶に頭をあげるように言う。
「気に入って貰えてるならよかった。君には本当に感謝をしているからね」
「え?」
 感慨深く言われて透耶は何にと不思議顔をしていたが、執事が荷物を受け取ったり子供たちがはしゃぎ出したりしてその意味は聞けなかった。
 全員で食事をして温かい家庭というものを体感した透耶は、鬼柳の父親が今は幸せなのだと分かるとホッとしたものだった。
 複雑な家庭であったことは鬼柳に聞いていたし、透耶の存在が鬼柳を返してやれないのだと思っていたから余計に悪い気がしていた。けれど一成は上機嫌で透耶に話しかけ、普段はどうなのだと色々聞いてきてくれた。
 その流れで泊まっていけとまで言われて透耶は困った顔で鬼柳を見た。
「まあ、仕方ない……」
 本当に仕方ないと思っているようなため息を吐いて鬼柳は言った。
 その様子からまだ鬼柳がここに来た目的が達成されていないのは明らかだった。だから透耶は早く帰りたいという気持ちを押し込めてしまった。
 本当はここには居たくなかった。鬼柳の父親の一成は予想通りにいい人だったし、その子供達もいい子だった。けれど、透耶の目に映る問題の人物はとてもじゃないが理解しがたいものだった。
 アイリーンのあの嫉妬するような目。その意味が分からないし、怖かった。
 意味が分からないことが怖いのだ。
 だから透耶は出来るだけアイリーンの目に入らないようにした。
 部屋を用意してもらって透耶はさっそく引きこもった。
 鬼柳は一成に呼ばれて行ってしまったから、一人であの居間に居る気はなかったし、子供達も寝てしまったからだ。
 着替えは鬼柳が予想していたのか、いつの間にか持ち込まれていて、透耶は部屋にあるバスルームで風呂に入った後、すぐにベッドに潜り込んだ。
 鬼柳の目的がなんなのかは鬼柳にしか判断出来ないことだから口出しするべきではないし、鬼柳家の人たちに悪い印象を与えるのもよくないと透耶は思っていた。
 たった半日なのに酷く疲れた。


 鬼柳は父親一成を前にして酷く機嫌が悪かった。
 さっきまでも十分機嫌が悪かったが、透耶の方が気になっていてそれどころではなかった。
 部屋に引きこもったら透耶の話を聞かなければならなかったのに、一成が呼んだせいでそれが遅れている。
 一成が出した秘蔵だという酒にも手を付けずに鬼柳は一成を睨み付けていた。
「話が違うぞ」
 鬼柳がそう言うと、一成はまあまあと酒をあおる。
「本当にマジで勘弁してくれ……」
 鬼柳は言って煙草に火をつけた。本当にああいう女は困るのだ。自分が手を出してきた範囲のものではないし、極力避けてきたものだ。
 妙な自信、そして絶対に他人が自分の思い通り動くと思いこんでいる思考。理解しようと思わない人種だ。
「そういや、お前はああいうのは苦手だったな」
 一成が言って苦笑する。息子がどんな女を相手してきたかは知り尽くしている。
 一晩といえば一晩、断続的に続くとしても毎日でもなく気が向いた時。相手がそれをはっきりと分かっている相手ばかりだ。学生時分は素人相手にもそういう条件を求めたのには、1回親に紹介やらなんやらにたった15歳で巻き込まれてからだ。
「オヤジは好みだろうが、俺はごめんだな」
「だろうな……しかし、私もこうなるとは予想してなかったからなあ……」
 一成もアイリーンの状態を見て苦笑するばかりだ。
 アイリーンが最初に主張したのは、長男である恭一を戸籍から閉め出すのは駄目だ、家族だから仲良くやればいいじゃないのというものだったのだ。一成は鬼柳に関しては徹底して関心を向けることはせず、息子が籍を抜くことは息子の自由だと言っていた。しかしアイリーンは鬼柳がアメリカに来ていると聞いたとたん、激しく会わせろと言いだし、説得して見せるといきり立った。ならば、その義理の息子を説得出来たならどうとでもと返した。
 そしてアイリーンに弱い一成は鬼柳を急遽呼ぶことになり、こういう展開になったわけだ。
 しかし、当初の目的である家族だからという部分は、アイリーンからは吹き飛んでいるようだ。
 かつて自分を惑わせた女性のただ一人の子供に、アイリーンまでも魅せられたらしい。
「甘やかすからだ。たくっ」
「それは否定出来ない。だがどうしたものか」
「俺ははっきりと期待に応える気はないと言ったぞ。それでなくてもアレが透耶に向けた言葉ははっきり言って不快だ。冗談じゃない。これ以上付き合ってられるか。籍を抜くこともオヤジが納得してればそれで問題ないことだろう」
「まあ、そうなんだが、実際手続きは済んでるし、お前の好きにしていいぞ」
 一成は一応息子は約束は守ったし、言って欲しいことは言ってくれたので満足していた。
 これ以上この家のことで息子を惑わせるわけにはいかないのも事実。
 息子はもう30歳だ。一人で生きていける環境を整え、伴侶となる人物と幸せに暮らしている。仕事でも十分成果を出しているし、伴侶となった透耶は申し分ない人物であることは実際顔を合わせて判明した。
 息子はこの家を出てからずっと家に迷惑をかけるようなことは一切してきていない。
 そして一成もそれなりに家族を持って幸せに暮らしている。初めは反発ばかりする息子だったが、最後にはちゃんと父親のお願いも聞いてくれるような柔軟な考えも出来るようになっている。
 もう十分ではないか。
 グレースとの約束も果たした。彼女も納得しての結論だ。
 この先は息子はこの家や名に縛られずに自由に生きるべきなのだ。
「明日、ここを出る」
「ああ、そうか、元気でな」
 今更何かかける言葉はない。息子が辿る運命は知っている。
 彼がそれを受け入れ、共に歩んでいくと決めたのだから、止める権利はとうに一成にはなかった。
 彼と彼が共に静かに過ごしていけるなら、それ以上望むことはないもない。 

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