Switch 外伝6-5

We can go 5

「やっぱり先生寝込んでるんだ」
 真貴司という名字から、榎木津に戸籍名が変わって約一年と6ヶ月が過ぎた綾乃は現在でも新婚真っ盛りである。
 生まれて一年経っている子供たちは今回の旅には同行していない。さすがに1歳児を二人も連れてくる訳にはいかなかった。本当は結婚式も遠慮しようとしていたのだが、そこは綾乃の母親がすぐさま沖縄から飛んできて、孫の面倒を見たいと言い張ってくれて、さらには自分の祖父までもが上京してきてしまい、双子のひ孫可愛さに構いに構って、綾乃が呆れるくらいの状態で、家から追い出された形になってしまった。
 子供たちは人見知りしないし、旅行の買い物に出かけている間も、寝室が離れた状態でも、まったく問題ない状態であった。心配するだけ損な感じである。
 我が子たちながら、相当に神経が図太いと妙に納得してしまったくらいだった。
 だが、これはいい機会でもあった。
 綾乃のパトロンであったジョージ・ハーグリーヴスから、ピアノの仕事をそろそろしないか?という話が入ってきていたからだ。
 正直子育てをしながらでも綾乃はその間ずっと透耶の家に遊びに行くついでにピアノを弾いて遊んでいた。練習は毎日ではなかったが、腕は劣っておらず、子供が出来たからなのか、更に音を増してあの透耶が絶賛するほどの威力をつけていたのである。
 そこで腕試しというわけではないが、仲間内で、特にジョージとエドワードが綾乃のピアノのCDを作るという企画が持ち上がってしまった。
 まあ、二年前にピアノの最高峰の賞を受賞したとはいえ、今は興味を示すものもいないだろうに、何故かそれは実行されてしまった。
 そこに透耶まで巻き込まれ、絶対に外には出さないという約束で、透耶のCDも作ろうという計画までになってしまった。
 鬼柳はMDよりCDの方が音がいいという話に興味を引かれ、すったもんだで透耶は承諾してしまった。その間綾乃の話は置いておかれていたが、透耶が渋々賛成したのだから、綾乃も文句ないよな?と振られてしまい自分も罠にかかっていたことを悟ったのだった。
 当然のように透耶のCDは身内の分だけの約束でエドワード独自の個人会社で作られ、在庫管理は鬼柳という取り決めが決まった。欲しい人は鬼柳に直接交渉というわけだ。
 しかし綾乃の場合は、話が違った。アメリカのCD会社からのアルバム発売という壮大な話になっていたのである。
 それを綾乃が理解した時はCDが店頭に並んでいるのを見た時である。
 そう眩暈がした。一緒にCDを買いについてきてくれていた透耶が、綾乃ちゃん大丈夫?ともの凄く心配するくらいの眩暈が襲ったのだ。
 まさかこんなことになろうとは……と誰も予想していなかっただろう。
 抗議しようにもこれを発売した相手はアメリカやイギリスの遠い空の下。
 透耶に至っては、その場で視聴コーナーに駆け込み、CDを堪能する始末。
 クラシックのピアノアルバムは珍しいものであるし、日本人のものがアメリカから発売されていたから視聴が出来るようになっていた為である。
 このCDは著名な人たちに絶賛され、更には日本では榎木津光琉の妻の作品であるから大きく取り上げられてしまい、綾乃はクラシックの世界舞台にポンと放り出されてしまったのであった。
 そこで綾乃は話が終わると思っていた。しかしそうは問屋が卸さない。もうこの仲間になってしまったら、遊ばれるだけ遊ばれるわけだ。
 ジョージから勝手にスケジュールを発表されて、綾乃はまた眩暈を起こして今度は頭痛まで起きてしまった。透耶が真剣に大丈夫?と聞くくらいに。
 まだ子供から目が離せない状態であるのを考慮に入れてくれ、沖縄の母親などまで巻き込んで準備は綾乃の知らないところでとっとと準備万端になっていっていた。
 もうどこを考慮しているのかと真剣に訴えたくなる始末。
 ここまできたらもう勝手にどうにでもしてくれとなるのは仕方ないだろうし、肝心の旦那である光琉なんかは爆笑したあげくに、綾乃はピアノをやるべきだからと言い、こともあろうか向こう側の手先になっていたのである。
 そんなこんなで組まれたスケジュールには、このアメリカ行を利用したコンサートがいくつか組まれている始末。さすがにぬかりない。
 今回は結婚式には間に合わなかった光琉であるが、スケジュールを詰め込むだけ詰め込んで、綾乃の最初のコンサートだけには間に合うように休みを作ってくれた。
 普段は忙しい光琉が、最初のコンサートだけはどうしても見たかったらしい。
 そんなわけで、エドワードの会社主催のコンサートは結婚式の翌々日にこの地ニューヨークに用意されていた。
 エドワードの結婚式の後ならば全員のスケジュールが押さえられるという理由であるのは言うまでもない。綾乃を知っている全員が最初のコンサートに駆けつけることになっていたのには、綾乃もとうとう笑い出すしかなかったのである。
 もう、みんな結局心配性なんだから……。
 そう透耶が苦笑して言っていた。
 どうやら世界に羽ばたく綾乃の一歩を見守ろうという者が多かったのであろう。一緒に苦笑する透耶の方はというと綾乃のことは全面的に信用しているし実力は透耶が一番知っているから心配はしていないらしいからおかしなものだ。
 その綾乃が向上心を失わない理由はその透耶にある。透耶は5年前より一層深い音を出すようになっていた。それを間近でずっと聞いていた綾乃がピアノを諦められるわけがない。この人を振り向かせるくらいの音、それが自分の理想だったし、その先を行く透耶において行かれてなるものか!とはりきって練習していたのが実を結んでいる。
 その努力は周りがよく知っていた。だからジョージにしろエドワードにしろ、みんなが綾乃に道を用意してくれたのである。
 一応、昨日のパーティーの余興にピアノは弾いていたが、その時肝心の透耶と鬼柳がその場を抜け出した後だったのが綾乃には残念だった。
 なので今日はコンサート会場の準備段階の練習に透耶を誘おうと思ってきたのだが、予想していた通りに、透耶はやっぱりまだ眠っていたのだった。
「まあ、昨日まで忙しかったしな」
 そういうのは透耶の恋人である鬼柳恭一である。
 すっとぼけた顔をしているが、昨日何があったのかなんて誰でも予想がつくというものであろう。
「そんな顔してたら、何があったのかは分かるけど」
 綾乃がそう返すと、鬼柳はにやっとしている。かなり機嫌がいいところを見ると、昨日は満足させてもらったというところであろう。
「で、何か用だったのか?」
 鬼柳はそう言って綾乃に話を向ける。
「あ、そうそう。コンサートの練習に行くんだけど、昨日聞いたら先生も行きたいって言ってたし、それに昨日聞いて貰う予定だったのに、勝手に部屋戻ってるんだもん、話が違うー」
 綾乃がそう不満を漏らすと、鬼柳はその話は聞いてなかったらしく、少し天井を見上げている。内心しまったと思っているであろう。
 どうりで透耶がセックスの最後で困った顔していたか納得がいった。
「何時からだ?」
「今から行くんだけど、無理よね?」
 現在朝の10時である。
 鬼柳と綾乃は顔を見合わせて、二人でため息を吐いた。
 無理である。
「何時までやるつもりだ?」
「うーん、向こうに行って弾いてみないと何時までかかるかわかんない」
 綾乃はそう答える。弾いてみないとと言うのは、調律の問題でもある。綾乃には専門の調律師がついていない。なので今までのコンクールのような調律の場合と訳が違う。今回から綾乃が弾くときは綾乃が満足する調律でないといけないのだ。
 その練習に透耶の耳を使いたかったのもある。透耶は自分の音以外に、綾乃の音というものを知っている。それに厳しいのは綾乃が一番知っていて、今までは透耶の好きなピアノの調律でやってきたから、出来るだけあの音を正確に表現してほしくて透耶に聞いて貰おうと思っていたのだ。
 一回調律すれば、綾乃にも正確な音が理解出来るからだ。
 別に透耶が絶対音感を持っているわけではない。綾乃にもそれはない。けれどこの二人は実に自分の音というものを理解している。
「……お昼過ぎには起きると思う」
 鬼柳は何とかそう言っていた。
 ただし使えるかどうかは不明だ。
「とりあえず、暗くなる前に来てね」
 綾乃はそこまで譲歩して手を振った。
 鬼柳はまだ部屋の前に立っていたが、まさかそんな約束があるとは思ってなかったから、これからどうやって謝ろうかと考えているらしい。
 そんな姿を一度振り返って綾乃は確認し、そして部屋に戻った。
 部屋に戻って荷物を持つと、エドワードに連絡を入れる。こちらも新婚初夜であるから、綾乃は蜜月の相手ばかり邪魔してんじゃないかしら?と不安になりながらも言われた通りに連絡を入れた。
 綾乃が連絡を入れると、エドワードはすでに起きていてすぐに電話に出てくれた。
「あ、エドワードさん、綾乃です。そろそろ会場に行こうと思うんですが」
『ああ、そっちにSPを向わせる。透耶はどうだ?』
 クスクスと笑いながらその質問をされて綾乃はさっきあったことを話した。
『やっぱりか……まあ、夕方までには来るだろう。それじゃ何かあったらすぐに連絡をよこしなさい』
 そう言って向こうから電話が切れた。
 綾乃をアメリカの街で一人にするわけにはいかないからエドワードのSPが会場まで連れて行ってくれる。それもコンサートが行われるたびに毎回SPが派遣される仕組みだ。
 綾乃は英語は出来るし、一人でやれと言われればやれるが、心配するのは男連中である。若い人妻を異国で一人にするなんてとんでもないということらしい。
 SPが到着して綾乃は先導されるようにしてホテルを出た。
 外はちょうど秋になっている。少し寒いくらいであるが、晴れているし気分もいい。アメリカの街は楽しいし、至れり尽くせりで移動も楽である。
 慣れないSPに守られながら、会場に到着すると、まずジョージが出迎えてくれた。

「やあ、綾乃、おはよう」
「おはようございます、ジョージさん」
 綾乃はジョージのことをジョージさんと呼ぶようになっていた。本人にそう頼まれたのでそうしている。
「調律の方はすでに入って貰っている。まずは練習してみてくれ」
「はい」
 綾乃はそう言われて、会場に入った。
 控え室に荷物を置いて楽譜を取り出すとそのまま舞台に向う。途中でこのコンサートの関係者を紹介されて挨拶をしたり、出資者の一人一人に挨拶やお礼を言ったり忙しいものだ。
 舞台にたどり着くと、そこで綾乃専属になる予定の調律師を紹介された。
「初めまして、今回、調律を担当させて貰います、アーサー・ブラックモアです。あなたのCD聞きました。とてもすばらしくて感動しました」
 アーサーはブラウンの髪をした碧眼のアメリカ人。何年もオーストリアに留学していたが、綾乃のCDを偶然聞いてぜひ調律をしたいと自らジョージに連絡してきた一人である。一人であるというのは、実は何人も調律をしたいというものがいたからである。
 中には綾乃のバックにいるジョージやエドワードの存在に気付いて、実力ではないにしろ、バックがしっかりしているなら、それだけで仕事になると目論んだものも大勢いたらしい。
 らしいというのはそれは綾乃が知らないことだからだ。
 そういう背景があり、ジョージはこれという人を厳選した。その中でアーサーが一番素晴らしい調律をする話が舞い込んできた。彼は専属になってくれというピアニストを何人も渡り歩きながら、本当に調律したい人物を捜していたのである。その彼からぜび一度試して欲しいと言われれば、ジョージからお願いするところだ。というより、他の者がみな自分の経歴を論い
「ぜひ専属に!」と声高らかに言う中で、「一度試験をして欲しい」と言ったのはアーサーだけであったのもジョージの心証を良くした。
「初めまして、榎木津綾乃です。よろしくお願いいたします」
 綾乃は丁寧に挨拶をして握手をした。アーサーはおっかなびっくりになりながらも綾乃の手を優しく握って握手を返した。
 そこからはジョージが入っていける領域ではない。
 二人は真剣に音の調整に入ったのである。
 課題曲を何曲も綾乃はこなしながら音を確かめ、アーサーは一回一回調整をしていた。
 作業は暫く続いたが、どうしても綾乃が納得しない。
「駄目ですか?」
 不安になったアーサーがそう尋ねるが、綾乃は笑って言うのである。
「そういうわけではないです。私はこれでいいかなと思うんですけど、ちょっとまだ確認したいことがあって……」
 時計を見るともう午後4時を回っている。
 アーサーは綾乃がまだ納得していない顔が気になって仕方なかった。ここまで自分の音に厳しい人物は初めて出会ったからだ。大抵の場合、アーサーがこれでいいかなと聞こうとすると、全員が「素晴らしいよ、アーサー!」と聞く前に納得されていたからだ。
 そうしていると、会場に明らかにスタッフではない人物が入ってきた。黒服のSP四人に守られるようにして、青年二人がこっちに向ってくる。
 その青年に向って綾乃が嬉しそうに声を上げた。
「先生! やっときた!」
 青年の明らかに東洋人の方が舞台までやってきて、ごめんごめんと謝っている。
 綾乃と東洋人、先生という人は日本語でなにやら会話をしていて、綾乃が何かからかったようにすると青年の方が真っ赤な顔をして手を合わせて何度も謝っている。
 アーサーはポカンとしてその様子を見ていた。
 もう一人のエキゾチックな青年の方は椅子に座って面白そうにそれを眺めているだけだ。
 友達なのだろうか?と思っていると、綾乃が先生をピアノの前の椅子に座らせている。
 一体何をするんだろうと見ていると、先生がピアノに触っている。
 音質を確かめているのだと気がついたのは、先生が一気にピアノの鍵盤をなぞったところからだ。
 その一気になぞった後、指で何カ所かポンポンと鍵盤を叩いていく。
 ここから会話が英語になったので何をしているのかはっきりと分かったアーサーである。
「ここと、ここ。それから、ここ。んで、ここ」
「あ、やっぱり微妙に違うような気がしてた」
「綾乃ちゃん、分かってるじゃん」
「いやー、広い会場とか久々だし、迷ってました。あ、アーサーさん、さっきのところお願いします」
 綾乃は前半は先生に向けて言い、後半はアーサーに向けて言っていた。
「あ、はい!」
 アーサーは慌てて調律をし直した。どうやら綾乃が待っていたのはこの先生で、先生は確実に綾乃の音を理解しているようだった。調律し終わると、もう一回先生がピアノの鍵盤を端から端まで指を滑らせるようにして確認をした。正直、それだけでアーサーは目を見張った。
 ただ鍵盤を叩いてるだけなのに、綾乃とは違う音。弾き方が違うのは分かる。これは相当な人物だと認識するのはそれだけで十分だった。
「どう?」
 綾乃がそう聞くと先生は頷いた。
「うん、こんな感じ。綾乃ちゃん、一曲お願い」
 先生はそう言うとすぐに椅子から降り、綾乃に一曲弾かせた。
 アーサーは一曲聴いて納得した。ああ、この音か。そうかこれが綾乃が求めている音なのか。確かに今まで試した調律では納得してくれないはずだ。
「よし!」
 一曲弾き終えた綾乃が満足した声を出した。その傍で先生が感激したように拍手をしている。
「いいねいいね~」
 ハートマークが飛んでいるようなそんな感想だ。それにジョージが猛烈に拍手をしている。どうやら彼からしても今までとは違って聞こえたらしい。
「先生ありがとね」
「いえいえ~、んじゃ綾乃ちゃん頑張って」
「はーい」
 先生はそう言うととととっと舞台袖の階段を下りてもう一人の青年の傍に座った。
 そこから綾乃は怒濤の追い込みに入った。作業をしていた人たちまで聴きに出てくるほどの音でみんなを魅了した。アーサーはここに理想の音があると感動していた。
 しかしアーサーには更に高いところにある音を二つ知っている。一つはジャズピアニスト、もう一つは永遠に失われたとされるピアニストの音。前者はCDも残っているし、音源もたくさんある。けれど後者はその場限りのものだった。
 両方とも日本人で、名字が同じ。正直、綾乃のCDを聞いてその失われた音に近かったから驚いたものだ。その綾乃の名字まで同じだ。榎木津、全員同じだった。綾乃は結婚して名字が変わったと言っていたし、ジャズの人も結婚して名字が変わった人である。日本人のピアニストは榎木津でないとという噂は妙なものである。
 まさかその失われた音を出す人物が目の前にいたことはアーサーは夢にも思わなかっただろう。

 綾乃が練習の曲を弾き終わると、全員から惜しみもなく拍手が送られた。
 綾乃は照れたようにそれに手を振り、舞台では見せないだろう笑顔とピースサインを会場にいる人たちに送っていた。
 アーサーはこれはきっと凄いことになる。そう予感した。
 自分にここまで感動を与えるのだから、耳が肥えているはずの上流階級の人たちさえ瞬く間に魅了されるに違いない。アーサーはその手助けが出来ることを神に感謝した。
 綾乃は練習が終わると、アーサーと明日の打ち合わせをして、さっききた彼らと帰るという。その時紹介されたのだが、東洋人は綾乃の夫の兄で、もう一人はその兄の恋人だという。
 そこでアーサーは固まった。綾乃の兄の恋人が男だったことではなく、その兄の名前にである。
「……透耶……榎木津? え? ええぇぇぇ?」
 透耶を見て驚愕するアーサーに、ジョージだけがほくそ笑んでいる。彼はアーサーが理想としてあがめているピアニストをよく知っていたからだ。
 いち早く事情を察知したのは意外にも鬼柳だった。
「ヤバイことになりそうだ。透耶帰るぞ」
 そう言って、何?と言ってる透耶を抱えるようにして会場から逃げ出した。
 綾乃がぽかんとしてジョージを見る。そしてほくそ笑んでいるのを見て、アーサーを見て、そして鬼柳の逃げ方を思い出して、ふっと尋ねる。
「まさか、アーサーさん、先生のこと知ってる?」
 それにジョージが答える。
「彼の理想とするものは二人居て、一人は榎木津柚梨、もう一人は昔の榎木津透耶だ」
 そう言われて綾乃は納得した。
「あー、なるほど、そういうことかー。ならあたしも退散!」
 綾乃はそう言って一目散に楽屋を逃げ出した。それはアーサーが正気に返った時が面倒くさいと思ったからだ。彼から透耶に関して質問攻めされるのは目に見えて明らかであるし、その質問には答えられないことばかりであるのも分かっていたための退散だった。
 明日になれば夫の光琉も来るし、忙しいだろうからアーサーも邪魔はしないだろう。
 そう思っての戦線離脱である。
 息を吹き返したアーサーがジョージを質問攻めにしたが、そこはジョージ、アーサーの仕事は綾乃の調律であろうときつい口調でたしなめて事なきを得た。
 そして仕事の条件に、綾乃の兄である榎木津透耶のことは何も聞くなというものが加えられた。
 アーサーは残念がったが、この業界を既に去っている透耶のことはひとまず置いておいて、綾乃のバックアップの為に尽くすことにした。現在の状況での自分の理想の音は綾乃の音である。
 その音を忠実にする為に、アーサーは綾乃の専属になり、その仕事に誇りを持つようになったのは、アメリカでのコンサート後の綾乃の高すぎるほど高い評価に満足した時であった。
 まあ、透耶に関して何か言おうものなら、そのバックにいる存在が怖いのもあったことは秘密である。ジョージ・ハーグリーヴスにエドワード・ランカスター、こんなバックがいる上に、透耶の傍には鬼柳という突破できない砦があるのは当然誰にでも理解出来ることで、それを突破してまで透耶のことを探ろうとするものは誰一人としていなかったのである。

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