Switch 番外編1-1

ポロメリア

 小さい頃はいつも俺達は一緒だった。
 学校へ行くにも、遊ぶのも、寝る時さえ一緒だった。
 それが壊れたのは、俺も透耶も小学生を卒業した時だった。
 俺は、芸能界を目指し上京し、透耶は京都に残った。

 その理由。
 俺はあの家から逃げ出したかった。

 芸能界に興味があったのも確かなんだけど、それよりもあのお祖父様から逃げ出したかったんだ。
 お祖父様は建築家でありながら音楽の才能もあって、非のうちどころない厳しい人だった。そのお陰で俺と透耶は幼稚園からピアノを習わされて、毎日遊ぶ時間もないほどピアノをやらされていた。

 でも俺にはその才能がないのは、透耶の音色を聞いているとはっきりと子供心にも解ったんだ。
 透耶はきっと母さんを凌ぐピアニストになると。
 それにはお祖父様は喜んでいた。
 両親は割とそういう方面には優しい方だった。やりたくないなら辞めてもいい、というのが口癖で、ピアノレッスンには付き合ってくれたけど、それは遊びのようだった。
 俺も遊びならピアノを習ってもいいかなとは思っていた。
 だが、余計なプレッシャーをかけるお祖父様の事は好きじゃなかった。

 だから、ピアノを辞め、芸能界に興味を持ち始めたのも同時期だった。
 透耶には俺がピアノを辞めたらどうする?
 そうした事を聞いた事がある。

 でも透耶はキョトンとして、「辞めたければ辞めればいいと思う」そう答えるだけだった。透耶にはお祖父様のプレッシャーなど撥ね除ける程の才能があった。
 俺はピアノを辞めて芸能界に入る事にした。
 もともと好きだったし、今逃げ出すにはこれしかないと思ったからだ。
「ピアノ辞めて、芸能界に入ろうと思う」
 俺がそう透耶に告げたのは寒い日が続いていた時だった。
 透耶はいつも通り、お祖父様から与えられた練習をこなしている所だった。
「そう、いいよ、お祖父様には俺がいるから」
 透耶はなんでもない事のようにそう答えた。
 一人でも残ってコンクールで良い成績を取ればいいと透耶は思っていたらしい。

 俺は直接お祖父様には、ピアノを辞める事は言わなかった。
 両親に相談すると、「いいじゃないか、やりたい事が見つかって」と反対されるどころか喜ばれてしまった。
 そして俺は逃げるように芸能界へ入っていった。
 後ろ髪引かれる思いで、京都を離れた。
 京都から逃げ出した俺は、実家とは滅多に連絡を取らなくなっていた。
 だって、そこは逃げ出した場所。戻ってはいけない場所だから。

 透耶だけが苦しい思いをしていると知っていて、俺は芸能界で上手くやっていけるようになっていた。
 だから、余計に京都の事は考えないようにしていた。
 もちろん、透耶からの連絡もなかった。
 正月すら仕事で、長期の休みにも戻らなかった。
 そんな夏の日、透耶からの電話が入った。
「元気でやってるみたいだね。よかったよ。あ、そうだ。玲泉門院の本家には戻ってくる? 毎回皆集まるから。俺、愉しみにしているよ」
 そうした伝言が残っていた。
 俺は、逃げ出した場所には戻りたくなかった。でも透耶の事も気になっていた。
 だから夏の盆だけは玲泉門院の本家に戻ることにした。

 そこはとても暖かい場所だった。
 両親とも久しぶりにあったし、皆に会えたのは嬉しかった。
 透耶も思ったより元気そうだった。

 だから気が付かなかった。透耶の闇に……。俺は見ない事にしていたのかもしれない。


 それから東京に戻って芸能界の仕事をこなしながら、俺は高校生になった。
 そんな折り、透耶から連絡が入っていた。
 なんと、高校は東京の音楽科に入るのだという。
 俺は即座に一緒に住むんだと思った。でも違った。透耶は音楽専門の防音のされているマンションで一人暮らしを始めていたのだ。

 俺は少し心配になって、透耶のマンションを訪れるようになった。
 でも久しぶりにあった透耶は、まるで人が違っていた。
 笑わない、何も言わない。無口な人になっていたのだ。顔色もよくなく、ちゃんと食べているのかさえ怪しかった。
 それでも透耶は無理に笑顔を作ってくれた。
 それが痛々しかった。

 俺はこの時始めて後悔をした。
 京都に透耶を残して自分だけ逃げ出した事に。
 しかも俺が芸能活動をするのを阻止しようとしたお祖父様をなんとか宥めて、自分が目標に向かって頑張るから大丈夫だと、お祖父様を説得したのも透耶だったのだ。
 透耶はまるで人形のように見えた。
 昔の良く笑う透耶をもう思い出せないくらいに、透耶は疲れ果てていた。
 俺は今度は俺が何とかしたいと思った。
 少しでも透耶の側にいようとして、携帯電話を持たせたり、服が余ったとか言っては透耶のマンションを訪ねたりした。
 なんとか、透耶は俺の前では普通に笑ってくれるようになった。そんな矢先だった。
 あの事件が起こったのは。
 ある日、透耶のマンションへ行った俺は異変に気が付いた。
 透耶はベッドで寝ていたが、その左手首には包帯が捲かれていた。
 ピアニストとしては致命的な事だ。
 俺は何があったのか、把握しようと透耶を責めた。
 透耶は、事故だから、と繰り返すだけで、本当の事は話してくれない。

 そこで、俺は透耶の担任に事情を求めた。
 ただの事故ではないと思ったからだ。
 担任は透耶本人も望んでいるのでと言ってから事の顛末を教えてくれた。
 それはいつか起こるべき事だったのかもしれない。
 透耶が同性に色眼鏡で見られる事はよくある事だった。それでも透耶は慣れているので、あしらい方もちゃんと心得ていたはずだ。
 なのに、透耶は手首を縫う程の怪我をした。
 その怪我のお陰で、一人の人間が自分勝手な自殺を遂げていたのである。
 信じられない展開になっていた。
 だが、そんな透耶を労ってやる程、時間がそれを許さなかった。
 透耶の怪我の事を聞いた両親が日本に戻ってくる飛行機事故に巻き込まれ、生存は無に等しいと発表され、京都から東京へ出向こうとしていたお祖父様まで車の事故に巻き込まれて即死していたからだ。
 それからは大忙しだった。
 放心状態の透耶を連れて、俺は京都に戻った。
 二度と足を踏み入れないと思っていた榎木津本家に。
 透耶は涙を見せる事無く、でも心がここにない状態でただただ呆然としていた。
 俺は透耶がやるべき事は全部やってやった。
 相続問題でも透耶が一生遊んで暮らせるだけのモノをお祖父様が残していた。
 お祖母様が遺産放棄をしでかした為、透耶の放心状態はすぐに回復した。
 もしかしたら、お祖母様はそれを狙っていたのかもしれない。

 それから、俺はすぐに東京へ戻ったが、透耶は暫くお祖父様が経営していた会社を手伝っていた。
 一人で沈んでいるよりは、何かしている方がいいに決まっている。
 そうして透耶は少し元気を取り戻して東京へ戻って来た。
 透耶は暫く静養と称して学校へは通わなくなった。もうお祖父様がいないのだから、期待されたモノを目指さなくていいんだという拍子抜けもあったかもしれない。
 その時、透耶は小説を書き始めていた。
 小さい頃から物語を書くのが好きだった透耶。だから今はそれで元気でいられるならそれでもいいと俺は思った。
 頻繁に透耶の元を訪れては、二人で昔話をしたりもした。
 まるで昔に戻れた気がした。
 俺には透耶に負い目がある。だから今は透耶の為になるならなんでもするつもりだった。
 ある日は撮影所見学に連れ出したり、テレビ局の見学にも誘ったりした。
 そうして三月を迎えた時、俺は透耶には内緒でお祖母様と相談して透耶を俺が通 っている学校へ転校させることにした。
 透耶はもう音楽をやる必要はないから。
 なにより、透耶が弾きたがらないのだからそれでいいと思ったのだ。
 透耶に転校を進めると、透耶は俺と一緒にいられる場所なら何処でもいいと言った。
 でも同居はなしになった。

 転校した透耶は、学校中の噂の的だった。
 女子からも男子からも受けは良かった。
 学校の開けっ広げな雰囲気に透耶は直ぐさま溶け込む事が出来た。そこでは、透耶は自由で本当に楽しそうに過ごしていた。たった1年だったけど、友達も出来、透耶の小説を読み回したりして、物書きさんというあだ名まで貰っていた。
 卒業式では透耶は泣きそうになっていた。
 本当に楽しかったんだろう。
 俺は透耶に転校を進めて良かったと思った。
 そうじゃなければ透耶は引きこもったままになっていたかもしれないからだ。それだけはさせてはならないと思っていたから、この結果 は良かった事になる。
 でも透耶の当面の仕事先はなかった。
 透耶は敢えて大学進学をしなかった。本人はしたくなかったのかもしれない。
 少し鬱が入ったようになったのをみて、またこれでは駄目だと俺は思った。
 そこで透耶が今まで書いてきた小説を知り合いの出版者に手渡して読んで貰った。
 その結果、透耶の小説は、ある雑誌社の新人コンクールで大賞を取ったのである。
 それを報告すると、透耶は困惑していた。
 趣味を仕事にしようとは思ってなかったので迷っているのだとおもった。

 それから一週間して、透耶は消息を絶った。

 何処か遠出をしたような服装で出かけているから、すぐに帰ってくると高を括ってたのに、透耶は戻らなかった。
 俺は必死で友達を使って透耶を探した。
 それでも透耶はぷっつりと行方をくらましてしまったのだ。
 それから一週間経って、透耶の編集者から連絡があった。
 透耶は無事に生きている。でも今いる場所は言えないといってきたのだという。
 もし透耶が携帯を使っていたら、俺の伝言も入っているから絶対に俺に連絡をしてくると思ったのだが、そうではなかった。
 どうやら透耶は一人ではないらしい。
 そうピンときた。
 透耶は大した額を持ち歩かない。だから何処かでお金を下ろしているはずなのだが、口座はまったく動いてなかったのだ。
 俺は初め透耶が死のうとしたのかと思ったけど、そうじゃない事は編集者に連絡を入れた事で排除出来た。
 でも連絡が出来ないってのはなんだ?
 どういう事だ?
 となってしまった。


 そして、4月になっても透耶は戻って来なかった。
 仕事の事はちゃんとしているらしいから、戻ってくるつもりはあるようなのだけど、俺と連絡が取れないとはどういうことなのかさっぱり解らなかった。
 そしてある日、俺は家に帰るタクシーで信じられないラジオを聞いてしまった。
 それは俺と透耶しか知らない歌の歌詞だった。
 そしてその投稿者が沖縄在住の人からだったので、俺は絶対に透耶は沖縄にいると確信した。絶対に透耶は沖縄にいる。
 誰かに連れて行って貰っているに決まってる。
 ん?もしかして相手は相当な金持ち?
 俺は仕事さえなければ、即座に沖縄まで透耶を探しにいきたかったのだが、従姉の斗織に「仕事をおろそかにしないこと」ときつく言われてしまった。
 この言葉には弱い。
 俺が透耶を放り出してまで選んだ職業だ。それを無駄にしたら戻って来た透耶は自分のせいだと、また自分を追い込むかもしれなかったからだ。
 そして4月の終わりに、意外な所から透耶の無事が報告された。それは高校の同級生の当麻からだった。
 透耶は五月のゴールデンウィーク明けに東京へ戻ってくるらしいという情報だった。
 やっと帰る気になったか。それとも連れ回している人物が東京へ戻るので一緒に帰ってくるのか。どっちでも構わない。
 俺には聞きたい事が満載だった。
 とにかく元気だという情報だったので俺は一安心していた。

 そして5月下旬。
 透耶は5月上旬には帰っているはずなのに、一向に連絡はなかった。でも仕事はしているのは編集者の手塚さん伝いで分っていた。
 そして透耶は、俺に内緒で引っ越しをしていた。
 その時になって、俺は透耶の弁護士に聞いてみた。
 引っ越すなら、透耶のお金が必ず動くはずだからだ。案の定はずれではなかった。だが、動いた金額が半端じゃなかった。億、億だぞ!
 それって相当豪華な一軒家だぞ!
 それも俺には相談なしにもう決まってしまっていたから段々とイライラが募ってくる。
 一体どうなってるんだと!

 そして透耶から連絡が来たのは、5月もほとんど終わりになってからだった。ドラマの撮影が終わって、やっとひと休みという所に、メールが届いたのだ。
 透耶は簡潔に話を進めていた。
 どうやら、沖縄まで一緒にいた誰かを連れてくるらしい。
 俺は身構えてそれを待つ事にした。
 そしてその日、透耶は大きな男を連れて現れた。

 そいつはとてもかっこよく、見栄えのする男だった。俺は透耶に問いつめようと近寄った時、俺はそいつに押さえ込まれてしまった。
 なんてやつだと思った。でもそれは透耶を守る為なのだと解った。
 すぐにこいつが透耶を連れ回し、あまつ、同棲までしている相手だと見抜けた。
 相手が同性だとかは驚かなかった。
 ああ、透耶。とうとう選んだんだと思った。
 それから要領を得ない透耶を追い出して、その男とさしで話をした。
 それは驚きの連続だったけど、それでも透耶が側にいる事を選んだのなら、俺が口出しするわけにもいかなかった。
 それにその男、鬼柳恭一というやつは、俺が透耶に負い目を感じているらしい事をすぐに察してくれた。
 なかなか出来る男のようだ。
 話していると割に話し易かった。年上だけどおごった所がなく、率直にモノを言う人だったからかもしれない。
 俺はそこで、透耶の過去を語った。こいつなら言ってもいいだろうと思ったからだ。
 あれだけ透耶を大事に思ってくれるのだから、これからは俺じゃなく、こいつが透耶を守ってくれるのだから、言う必要があったんだ。
 男はやはり、俺が睨んだ通りの人だった。
 透耶以外には冷徹で、透耶が俺を大切に思ってくれているから話してくれるだけなのだ。
 透耶はそういう男を選んだのだ。

 それからお仕置きとして透耶を女装させたり、鬼柳さんにカメラマンを頼んだりした。
 本当は俺が楽しかっただけなんだけどね。
 でもそれでまた透耶に危険が及ぶとは思っても見なかった。でもそれさえもあの二人は乗り越えてしまった。それは俺には羨ましい事だった。
 透耶が幸せならそれでいいと思える。だから透耶の事はもう鬼柳さんに任せるしかないんだ。
 あの二人はお似合いだしね。
 でも、俺もいつかそういう人に出会うのだろうか?
 透耶みたいに幸せだと笑っていえる日がくるのだろうか?
 今、懺悔して肩の荷が降りた事で俺はそんな事を考えるようになった。
 誰かと幸せになるもの悪くないと思えたから。
 俺、あの二人のラブラブぶりにやられたのかもしれないな……。  

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