Switch101
96
溺れる魚
主人であるエドワード様から連絡があり、屋敷に友人を二人長期滞在させるとの事。
朝の引き継ぎで報告があった。
さすがにこの報告には、長年ここの使用人として勤めてきた私には驚きの事。
この屋敷は、エドワード様のお母様が沖縄を気に入って建てたモノで、長年エドワード様以外は使っていなかったからだ。
使用人は全部で5人。
非常勤の調理人と、本土からの応援の使用人、警備を配備すれば、全部で15人。
緊急の事で、使用人達は、普段使っていない部屋の再度チェックと掃除のやり直しをした。
その客人が到着したのは、一週間経った日。
名前を伺っている限りでは、日本人らしいのだが、現れた男性を見た時には、あまりに日本人らしからぬ 、方々の血が混じった方だった。
エドワード様を見なれている私が見ても、かなりの美貌の持ち主で、身長はこちらの方の方が少し高いだろう。美貌についての云々は、私にはどう語っていいのか解らないのだが、若い使用人達が見愡れているのだから、相当なものなのだろう。
で、第一印象は、曲者。
それは、私達を見る目が既に警戒しているように感じたからだ。
さすが、エドワード様の御友人というところなのだろうか?
鬼柳様は、車を降りるなり、後部座席の反対側を開けて、中から眠っているだろう人間を抱きかかえてやってきた。
その人物は、疲れて眠ってしまったのだろうかと思っていたが、どうも様子がおかしい。
使用人達が声をかけても周りで物音がしても眠りから醒める事がない。
眠っている榎木津様は、女性が見ても綺麗だと思える程の美貌の少年だった。
他の使用人達は、少女と勘違いしているみたい。
すぐに寝かせる場所をと所望されたので、一番いい部屋に案内をした。
完全に準備されてある部屋に通すと、鬼柳様は榎木津様をゆっくりと降ろして寝かせ、ベッドに腰をかけて、その寝顔を眺めていた。
一瞬で優しい笑顔になり、榎木津様の髪を指で梳くって撫で、額にキスを一つして立ち上がった。
しかし、私の方を向いた時には、表情は厳しくなっていた。
たぶん、本人の意識はないのだろうが、鬼柳様は榎木津様以外には関心はないらしい。
まあ、男同士としても、これほどの美貌同士なら許せるものだと、妙に納得してしまった。
さっそく、私達使用人は鬼柳様の指示で居間に集められた。
鬼柳様の指示は、結構意外なモノばかりだった。
まず、榎木津様の事。
屋敷から出すなという指示。
これには誰もが、何で?となってしまった。
事情を聞くと、まだ退院したばかりで、病み上がりだから無理をさせたくはないという事であった。
それと、ボーっと考えごとをすると、周りが見えなくなるので気を付けて欲しいそうだ。
それから、食事の事。
調理は鬼柳様がやるから、構わないで欲しいとの事。
本当は家事も全部出来るが、それでは使用人の仕事がなくなるので任せるが、食事だけは譲れないらしい。
そして、カミングアウトだった。
榎木津様が男であり、鬼柳様も男だが、それでも鬼柳様は榎木津様が好きなので、それなりの行為もする。
それについて、榎木津様に何かを言ったり、聞いたりしてはいけないとの事。
つまり、自分達は男同士なのにセックスをする仲でもあるが、それについての質問は一切榎木津様にしてはいけないという事だ。
もし、この事項がなければ、使用人の間では噂になるし、誰かが直接榎木津様に聞いてしまいそうである。
たぶん、これは先手だ。
先手を打ってくるあたり、鬼柳様は本当に榎木津様を大事にしているのだろう。
こうする事で、榎木津様を守っているのだ。
そうした事項が全て伝えられて、鬼柳様は部屋に上がっていった。
まあ、当然、使用人の間では少々の騒ぎにはなる。
ホモカップルが長期滞在だからね。
食事は鬼柳様が使用人達の分まで作ってくれて、凄く美味しかった。
さすがの料理人も、これには逆らえず、それどころかレシピまで聞き出していた。
鬼柳様もそうした事が好きらしく、丁寧にレシピを伝授していた。
しかし、その日、榎木津様は起きて来なかった。
不思議に思った使用人が聞くと、鬼柳様は少し考え込んだ。
「んー、薬が効き過ぎてるだけだろう」
その言い方からすると、もう目覚めてもおかしくないくらいの薬の量だったらしい。
結局、榎木津様が目覚めて部屋から出て来たのは、何と、ここへ来てから二日経ってからだった。
榎木津様は、目覚めるなり、鬼柳様と喧嘩をしていた。
喧嘩とはいえ、一方的に榎木津様が怒鳴って、鬼柳様がなだめるという感じ。
この喧嘩も、まあ可愛いもので…余計に鬼柳様を喜ばせているようにしか見えない。
それから下へ降りてくると、お世話になるからと使用人一人一人を訪ね歩いては挨拶を交わしていた。
「榎木津透耶です。お世話になります、宜しくお願いします」
ニコリと微笑んで、頭を下げて挨拶をされると使用人としては、妙な心地になる。
普通、使用人にはこういう事はしないものだからだ。
しかも榎木津様は、こう呼ばれる事を嫌がって、名前で呼んでほしいと言ってきたのだ。
さすがに呼び捨ては出来ないと言い張る私と押し問答になり、鬼柳様が間に入り、結局「透耶様」と呼ぶ事に落ち着いた。
これは使用人として減点対象になるかと思ったが、エドワード様より許可が出た。
透耶様は、様を付けられる事に違和感を感じるらしく、時々不満そうな顔をする。
それも次第に慣れてきたのは、屋敷に来て一週間もかかっていた。
この一週間で解った事。
とにかく、鬼柳様は透耶様に構ってしまう。
何をするにも側にいないと気が済まないみたいだ。
透耶様は、それが普通だと思っているのか、口を出される事にはまったく支障はないらしい。
様をつけると嫌がるのに、誰かが何かの指示を出し、それに従う事には慣れている。
一体、どういう環境であれば、こうなるのだろう?と私は不思議でならなかった。
それから、これが問題なのだが、透耶様のボケっぷりだ。
自分の世界に入ってしまうと、周りは完全に見えないし、他の人の声も聴こえない。
何処でも座り込んでしまって、声をかけても動かなくなってしまう。
こういう時に聞こえるのは、鬼柳様の声だけという事が判明。
それに、よく何もない所で転ぶし、どうしてそれにぶつかるんだ?というモノにまでぶつかる。
裸足で歩き回り、何処ででも眠ってしまう。
これじゃ、鬼柳様でなくても目が離せない。
そりゃ、注意事項に入っている訳だ。
透耶様は非常に可愛らしい方で、使用人とも気軽に話をするから、使用人達のアイドルな存在になっている。
鬼柳様は、完全な主人タイプで、人を使う方法をよく知っているようだった。使われる側に負担を与えないやり方で、エドワード様とは違うタイプだ。
エドワード様は、使用人として出来て当たり前だという事が出来てなければいけないと言うのだが、鬼柳様は出来てなくてもどうでもいい、使用人が手出しすれば後は任せると指示を出してくるというやり方であった。
そうそう、使用人同士で決めた事項があった。
それは、透耶様の部屋には、透耶様が出てくるまで決して入らないという事。
さすがに二人の性生活まで見たいとは思わない訳だ。
偶然に見てしまった時は、もう固まってしまった。
真っ昼間に、そんな事をしているとは思ってなくて、部屋を掃除しようとして上がった時、透耶様の部屋には鍵がかかってなく、開けて入ったとたんに甘い声がした。
鬼柳様が透耶様を組み敷いて、行為に夢中になっている所だった。
こういうのは見たくないとは思っていたのだが、意外に綺麗で、私は思わず見とれてしまった。
透耶様は、鬼柳様の名前を呼び、鬼柳様はそれに答えるように、力強く腰を動かしている。
淫らな音が響いている中、透耶様の甘く高い声が口から漏れる。
時々、苦しそうにする透耶様を気遣って、鬼柳様が優しいキスを降らせている。
苦しさを取る為に、更なる快感を与えて透耶様を溺れさせる。
実に官能的だ。
普段の鬼柳様なら、人の気配がしたらすぐに振り返ったりするのだが、この時は部屋に顔を覗かせた私には気が付いてなかった。それだけ透耶様に快楽を与える事へ夢中になっている。
つまり、鬼柳様に余裕がないのだ。
本当に透耶様が好きで好きで溜まらないと、誰にも渡したくはないと思っている事が伝わってくる。
でも、透耶様がそれに戸惑っているのは、見ていて解ってきた。
ああ、そうか。だから、この事に関して何も質問するなと言っていたのだ。
透耶様は、鬼柳様を嫌ってはいない。だが、受け入れる事を怯えている。だけどこの行為だけは拒めない。矛盾した行動をしているのを透耶様は解っているが、それを真剣に考えている。
鬼柳様はそれが解っている。透耶様の矛盾した行動、受け入れる事が出来ないでいる事を誰よりも理解している。それでも好きな気持ちは止まらないから、矛盾した事であろうが、止まる事が出来ない。
微妙な関係を保っている二人だが、その先を決める権限は透耶様の心次第という所だろう。
身体が繋がっていても、心が繋がっていなければ、空しいものでしかないのだから。
その二人が壮大な喧嘩をした。
最初に声を聞き付けたのは、メイド。
今まで聞いた事のない、透耶様の大きな声で、助けを求められて困惑して私の所へやってきた。
私は急いで部屋に向かったが、既にドアには鍵がかけられていた。
さっきまで、笑っていたのに、何故喧嘩になってしまったのか。
鬼柳様を拒否して助けてと叫ぶ透耶様を助けなければならなかったのだが、中に入れない以上、外で様子を伺うしかなかった。
透耶様の声が急にやんでしまって、私達はまさかと声を上げてしまった。
鬼柳様が透耶様を殺してしまったのではないか?
そう疑ってしまったのだ。
そこへエドワード様がいらして、何とか収拾を付けたのだが、鬼柳様はやはり、透耶様を殺そうとしていた。
エドワード様が透耶様を連れて出てきた時、私はそれを見てしまった。
透耶様の首には、指の痕がクッキリと付いていた。
相当な力を加えなければ、あんな痕は残らない。
透耶様は、顔色が悪くぐったりとしていた。それでも死んではいなかったので、全員がホッと息を吐いた。
エドワード様は、ここへ透耶様を置いておく事をせず、わざわざホテルを取ってそこへと連れていってしまった。
私は、その方がいいと思った。
鬼柳様には、自分が何をやったのかをじっくりと考える時間が必要だと思ったからだ。
しかし、透耶様を連れていかれた鬼柳様は荒れに荒れてしまう。
食事は一切取らず、透耶様の部屋で一日を過ごしていた。
時々、何かが割れる音が聴こえるのだが、部屋には鍵がかかっていて、中へ入る事は出来なかった。
私達は、ただ荒れ狂う鬼柳様を見ているしかなかった。
きっと、私達が諌める言葉は耳は届かないだろう。
その様子をエドワード様に伝えると、エドワード様は鬼柳様に会いに来られた。
中々部屋の鍵を開けなかった鬼柳様だったが、エドワード様の一言ですんなりと鍵を開けて出てきた。
「透耶はお前とちゃんと話をしたいと言っている」
その言葉が、今の鬼柳様の支えになるらしい。
鬼柳様は、あのまま透耶様が東京の自宅へ帰ってしまうと思っていたようだった。
透耶様は、ホテルでちゃんと医者に見せ、今は安静の身だそうだ。
身体を動かすのに苦労はしているが、食事はちゃんと取っている。
それを聞いた私達も安堵した。
透耶様の部屋は、鏡という鏡、姿が映るものは全て壊されていた。
自分をどれだけ嫌悪しているのかが、誰が見ても解る現状だ。
後悔していて、反省をし、自分を責めている。
鬼柳様にとって、透耶様は全てなのだ。
溺れてしまっているからこそ、手放したくなくて、いっそ殺そうと考えたのだろうか?
そこまで、鬼柳様は透耶様を愛している。
ただ、やり方があまりにも違う。
それでは、透耶様の心は離れてしまうだけだ。
それでも、透耶様は話をしたいと言っている。
透耶様も鬼柳様が今、こういう状態であるのは、解っているのだろうか?
そうだとしたら、透耶様は、残酷すぎる。
透耶様は、一体、何を考えているのだろう?
これだけの想いを受け入れられない何か…それは一体何なんだろう?
どうも私は、ストレートな表現をする鬼柳様の気持ちの方が分かりやすくて、味方をするなら、鬼柳様の気持ちの方だろうと思ってしまった。
透耶様の心が見えなくて、イライラとしてしまう。
数日して、鬼柳様がエドワード様に呼ばれてホテルに行く事になった。
届けられたスーツに身を包んで、厳しい顔で鏡に映る自分を見つめていた。
「こうしないと透耶が会ってくれないらしい」
そう苦笑する鬼柳様は、いつもの鬼柳様ではなかった。
緊張、そう物凄く緊張しているのだ。
透耶様から何を言われるのか、それが鬼柳様が一番緊張する事なのだ。
いってらっしゃいませ、と、極々普通の態度で見送った後、私達は一斉に溜息を吐いた。
透耶様は戻ってくるのか?
あの二人はこれからどうなるのか。
もうそれだけが気になって、仕事が手に付かなかった。
その夜、鬼柳様から電話があった。
私が対応に出ると、まず鬼柳様が謝ってきた。
ただ、「すまない」とだけ。
何を謝っているのか解らなかったのだが、私はそれについて聞き返さなかった。
とにかく、鬼柳様は謝りたい気分だったのだろうと思ったからだ。
それから、透耶様とはちゃんと話して仲直りをしたと。
そして、思わず「は?」と言ってしまったのが、この喧嘩で透耶様を一週間も動けなくしたペナルティーとして、透耶様のデビュー作の本を読んで感想文を書く事を命じられたと言われた事だ。
透耶様、それは…何か違います。
それを報告すると、使用人達は一斉に吹出して笑った。
透耶様らしい発想だったからだ。
そして、透耶様は、鬼柳様を許していたという事が、私達の安堵を更に深くした。
でも、喧嘩の理由が、とても下らない事だったという事は、私しか知らない事。
その後、透耶様は屋敷へ戻られ、一緒に来た少女のピアノの練習を見る事になっていたが、鬼柳様と透耶様はまったくいつもと変わらなかった。
いや、少し透耶様が変わっていた。
心に余裕が出来たのだろうか、何かを自覚したのか。
それが何かは解らないが、鬼柳様に接する時の透耶様は、完全に全てを任せている。
だけど、まだ何か決心しきれてない様子はある。
綾乃様のピアノは完成し、三人で出掛けた日。
透耶様は、帰ってくると明らかに違う顔つきになっていた。
全てを悟ったような、決心が固まったようなそんな顔つき。
もしかしたら、鬼柳様を受け入れる決心がついたのだろうか?
私は、出来れば二人の思いが通じる事を祈った。
その次の日。
綾乃様を空港で見送った二人は、戻ってくるなりそのまま部屋に入って出て来なくなった。
次の日にも透耶様どころか、鬼柳様まで下へ降りて来なかった。
また何かあったのではと、使用人は慌てふためいたが、鬼柳様はドア越しに食事を要求して、そのまま姿を見せる事はなかった。
食事は二人分用意して、部屋まで運び、ドアをノックして声をかけると、廊下へ置いておいて欲しいと言われ、その通 りにして一時間程して上がっていくと、ちゃんと食べ終わった食器が廊下に出ている。
それが4日程続いて、二人はやっと部屋を出て下へ降りてきた。
透耶様は、一段と綺麗になったようで、それが鬼柳様を受け入れた結果であるのは、私には解った。
部屋から出て来なかった事をわざと嫌味っぽい言い方で言うと、透耶様は本当に申し訳ないと頭を下げて謝ってきた。
本当に冗談が通じない人だ。
鬼柳様の様子を見ていると、心に余裕が出来たのか、始終穏やかな表情をしている。
ここへ来た時の余裕のなかった鬼柳様とは、明らかに別人だ。
何だかんだで、二人は一ヶ月程滞在したが、ゴールデンウィーク明けに東京へと帰って行った。
また訪ねてくると透耶様は言っていたが、透耶様がそう言うのであれば、またここで会う事が出来るのだろう。
私は、その時もまたここで二人のお世話をしたい。
こうして、騒動な一ヶ月が過ぎ、私達は通常の誰もいない屋敷の管理をする生活に戻って行った。
後日談。
時々、透耶様から電話がかかってくる。
なんか、鬼柳様と喧嘩しただとか、言い合いしたとか…ほんとに些細な事なのだが、一生懸命話している透耶様の声を聞いていると、面 白くて仕方がない。
本当に下らない事を言い争う二人だ。
電話してくるのは、鬼柳様がどんな人なのか解っている人に、愚痴が言いたいだけなんだろうけど。
透耶様、それはお惚気というものなんですよ。
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