Switch101
62
オレンジの猫
朝、珍しく透耶は早く起きた。
「……?」
隣を触ると、既にシーツは冷たくなっていて、鬼柳が起きてからかなり時間が経っているのだと解る。
時計を見ると、ちょうど6時半で、自分でも驚く位の早起きだった。
暫くぼーっとしていたが、ゴソゴソと起き出して部屋を出た。
部屋を出ると同時に、ニャーと足下で猫が鳴く。
「クロト…またそこにいたんだ」
透耶が下を見ると、ドアが開いてもちょうど当たらない所に猫のクロトは座っている。
透耶を見ると、咽を鳴らしてうっとりと目を瞑る。
どうもこの猫は、透耶の事を好きらしく、こうして付きまとっている。
この家に来て、まだ3日目なのだが、慣れたようにしている大物だ。
クロトは、透耶がよく庭にいる時にやってくる野良猫の子猫だった。
ちょうど半年くらい経っている年齢にみえ、親はオレンジ色をしているのに、クロトだけが真っ白な猫だったので目立っていた。
別に飼う気はなかったのだが、ある日、こっそり(透耶はそのつもりだったけど)餌をやっていたら、オレンジの猫がにゃーと鳴いて、他の子猫がついて塀に登った。
それなのに、クロトだけが透耶の元に残ったのである。
透耶はどういう事だろうとオレンジの猫を見たが、何か言われている気がした。
「もしかして、この子、俺に飼えって事?」
透耶がそう呟くと、オレンジの猫はにゃーと鳴いて、他の子猫を連れて行ってしまった。
どうしよう…。
透耶がそう迷っていると、クロトの方が摺り寄ってきて懐いてしまった。
猫は飼っても別に鬼柳は怒らないだろうが、この展開がいきなりきてしまったので、少しパニックになっていた。
だが、このまま置いておく訳にもいかず、家まで付いてくるクロトと一緒に部屋に入ると、鬼柳がずっとそれを見ていたらしく、苦笑して。
「それ、風呂に入れろよ」
そう言って、クロトを指差した。
「飼っていいの?」
透耶がそう聞くと、鬼柳は笑って言った。
「透耶が猫を飼いたかったら飼ってもいいって、俺言ったよな?」
そう言われて、透耶は思い出した。
何か動物を飼いたいと話した時、透耶が好きなのを飼っていいと鬼柳は言っていた。
だから、猫であろうが何であろうが、透耶が飼いたいと思っているなら、鬼柳は反対しない。
そういう訳で結局、クロトと名前を名付けて飼う事になってしまった。
ただ、鬼柳とは相性が悪いらしく、言う事は聞くのだが、わざと鬼柳を苛立たせたりしたりする悪戯をする。
一緒に寝ようと寝室にも入ろうとしていたのだが、さすがに鬼柳がそれを許さなかった。鬼柳の主張によると、寝室くらい二人の空間だ、という事になるらしい。
おかしな理屈なのだが、透耶もさすがに猫の前で性交渉を行う気はなく、寝室だけは出入り禁止になっているわけだ。クロトもそれを理解しているらしく、ドアが開いていても絶対に中に入って来ようとはしなかった。
透耶は苦笑して、座ってクロトを撫でてから、一緒に下へ降りて行く。
リビングに顔を出すと、ちょうど宝田がダイニングからやってきた所に出くわした。
「透耶様、お早うございます。今日は何か御予定でもございましたか?」
宝田は少し驚きながらそう言ってきた。
「おはようございます。いえ、何もないんですけど、目が覚めちゃって」
早起きなんてしないものだから、驚かれてしまう透耶である。
そうだよな、こんな時間に起きた事ってないよなぁ…。
本当に仕事が詰まっている時くらいしか早起きはしないからだ。そういう時は、大抵鬼柳が予定を知っていて、宝田に伝えている。
「すぐに朝食の準備を致します」
そう言ってすぐに下がろうとする宝田を透耶は呼び止めた。
「あの…朝食はいらないです」
透耶が申し訳ないと頭を下げると、宝田がすぐに心配そうな顔をして聞いてきた。
「どこか具合でも悪いのですか?」
落ち着いている宝田が少し慌てた様子になってしまう。
普段、そんな取り乱し方をしない人なのだが、その心配ぶりが異常なので、透耶は慌てて手を振った。
「違います。ちょっと食べたくないなと思って。それだけですから」
本当に今食事を出されても、何も咽を通らないのは自分でも解っていた。
具合が悪いとかではなく、ただ単にいらないだけだった。
「恭は?」
透耶は慌てて話題を摺り替える。
「仕事部屋にいらっしゃいますが…」
宝田がまた体調の事を聞きそうになったのを透耶は遮って言った。
「そうですか。クロトおいで」
透耶は猫に話し掛けて、キッチンに向かった。
クロトに餌をやって、自分は椅子に座りペットボトルの水を飲んでいると、鬼柳がキッチンに入ってきた。
「おはよう」
透耶がそう言うと同時に鬼柳はすぐに透耶の顎に手を当てて、上を向かせて繁々と顔を見ている。
なんだ?
良く解らないながらも、されるがままになっている透耶。
鬼柳は頬に手を当てたり、額を合わせたりしている。
「熱はないな」
そう呟かれて、鬼柳が何をやっていたのかを透耶は理解した。
「もう、大丈夫だってば。何でもないって」
「じゃあ、何で飯食わないんだ?」
真剣に言われて、透耶は少し考えた。
何でと言われても、食べれないからとしか言えない。
「早起きし過ぎたからじゃない? なんか咽に通らないから」
透耶が笑ってそう言うと、鬼柳はまだ心配そうな顔をしている。
…むー、ご飯食べないなんて今までなかったからなあ。
「その…よく解らないんだ。具合が悪い訳じゃないよ。ただ何か食べたくないってだけだから」
「それだけか?」
「うん。何かあったらちゃんと言うから」
透耶がそう言うと、クロトが透耶の膝に乗って、透耶と鬼柳の間に顔を突っ込む。
「何?」
透耶がそっちに関心がいくと、鬼柳もやっと納得して離れてくれた。
「野菜ジュースくらいなら飲めるだろ?」
鬼柳は言いながらも、問答無用で何かを取らせようとしている。
「うん、それくらいなら」
透耶が答えた時には、もう既に準備に入っている。
…選択権はないよねえ。
「そうだ。朝から何やってたの?」
「ネット」
「へ? 何で?」
「透耶が出てるヤツ。今日の深夜から配信だったから、どうなってんのか見てた」
「ああ~あれか」
あれとは、光琉がお仕置きだと言い、透耶と鬼柳がやらされた仕事である。透耶は女装させられ、鬼柳はそれを撮る羽目になってしまったのだった。
透耶は思い出したくもない出来事である。
透耶は、鬼柳が作った野菜ジュースを飲んで、それを朝食にした。
そうして透耶が一生懸命にジュースを飲んでいる間、鬼柳はクロトに話し掛けていた。
「いいか? 透耶が具合悪そうにしてたら、すぐに俺を呼べ。いいな」
まるで脅すような言い方である。
猫相手に真剣なのだから、苦笑するところなのだが、この猫にはこう言わないと通 じない。
鬼柳の言葉を聞き入れたように、にゃーと一声上げた。
こういう結束だけは、「透耶好き」同士の同盟なのだろうか?
案の定、透耶はその夜に少し熱を出して寝込んでしまった。
透耶の大丈夫は当てにならないと、鬼柳は再確認してしまったのであった。
感想
favorite
いいね
ありがとうございます!
選択式
萌えた!
面白かった
好き!
もっともっと
楽しかった!
続きも期待
送信
メッセージは
文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日
回まで
ありがとうございます!