Switch101 53

壊れた時計

 私が鬼柳家に勤めるようになったのは、30才の時でした。
 私は、あるお屋敷で執事補佐として勤めさせて頂いておりましたが、そこへ鬼柳家の当主であられる、一成様がいらっしゃった事がございまして、私がお世話を任されてお世話をさせて頂きました。

 大変、素晴らしい人格の方で、私のような使用人にも優しく接して下さいました。
 それが、最初の出会いでございます。

 ある日、当時の主人にいきなり言われました。
「宝田。お前を使いたいという人がいるのだが、補佐から執事長にランクも上がる。どうだ行ってみないか?」

 これがきっかけでした。
 ランク上がりの仕事であるのは、執事をやってきて嬉しい事ですが、いきなりの事で私は動転してしまいました。

「私のような者でも宜しいのでしょうか?」
 私がそう尋ねると、主人は笑って言いました。

「お前がいいと言ってきているんだ。手放したくはないのだが、今度の融資の条件に入っているから仕方ない」
 そんな言葉が出てきて、更に驚いてしまいました。

 融資、その条件の一つに「宝田という執事補佐をくれ」というものがあったそうなのです。
 主人は、鬼柳一成は時々そういう冗談を言うんだとおっしゃってました。
 本当の事は解りませんが。






 受け継ぎをして、私が鬼柳家へと赴いたのは、一ヶ月後の事。
 ちょうど、一成様の御息子であられる恭一様がお産まれになられた時でした。

 恭一様は、ナニーに抱かれて屋敷にお戻りになられましたが、一成様の妻で、母親であられるはずの女性がいらっしゃらなかったのです。
 もしかして亡くなられたのではと思ったのですが、意外な言葉を一成様はおっしゃいました。

「あれに母親はいらん。死んだ事にするので、宝田もそのように」
 その言葉で、私は深くは追求しませんでした。
 聞かなくても当時のメイド頭が事情を話してくれたからです。

 恭一様の母親は、大変美しい女性でした。
 しかし、結婚に関しては、一成様を受け入れてはくれなかったのだそうです。
 女性も頑なにこばみましたが、一成様も諦めませんでした。
 そして、とうとう女性は条件を出したそうです。

「あなたに一人、子供を上げます。だから、私の事は諦めて下さい」
 ここまで言われては、一成様も諦めるしかなかったそうです。ですが、一成様の父親である芳樹様が、子供を望んでいらっしゃり、とにかくそういう条件が出ているのなら、産ませてみればいい、そうおっしゃたそうです。

 それぞれに事情はおありでしょうが、これでは恭一様が可哀想です。
 だからこそ、私は一生をかけて、恭一様の味方でいようと思いました。

 私は、執事長として迎えられましたが、殆ど恭一様付きの執事となっておりました。
 一成様もそう望まれておいででした。



 恭一様は大変利発で、何にでも興味を示されるお方でした。
 スクールに通われる頃になると、さすがに母親の事が話題になります。
 ですが、私は恭一様の母親をまったく知りません。
 それが功をそうしたのか、私には尋ねられませんでした。

 当時のメイドも、そう入れ替えをしており、誰も母親の存在を知らず、唯一知っているのは、一成様という事になってました。

 それが、ある日。
 恭一様が友人とお出かけになった日の事です。
 お帰りになった恭一様の顔色が悪く、そのまま部屋に閉じこもってしまいました。

 友人とでも喧嘩なされたのかと思ってましたが、そうではなかったのです。
 深夜に恭一様が私の部屋を訪ねて来られ、こうおっしゃいました。

「俺の母親は、俺を捨てたんだな」

「そのような事、誰が言っているのですか?」
 私は平静を保って聞き返しました。

「そんな事はどうでもいい。結局、皆で俺を騙してたんだ。親父も母親も信用出来ない。もう誰も信じない」
 恭一様は、静かに言い、そのまま部屋を出ていかれました。

 その時の表情は、もう無邪気な恭一様ではありませんでした。
 あの瞳には何も映ってらっしゃらなかったのです。



 それから恭一様の行動は明らかにおかしいものになっていきました。
 屋敷にお戻りになられなくなったり、夜遅くに出掛けていったりと、誰もが素行が悪くなったと感じました。

 しかし、スクールにはきちんと通 ってらして、成績もクラストップと学校内での素行には問題はありませんでした。
 ドラッグにも手を出してもなく、ただ夜の間、何処にいるのか解らないというだけでした。

 一成様にお知らせしましたが、行き先を知っているとの事。ですが、その行き先は教えて頂けませんでした。

 その行動が解ったのは、私の知り合いの屋敷での出来事からでした。
 恭一様が奇妙なパーティーに出ているのを見かけたという話しだったのです。

 それが上流階級の淫らな趣向のもので、私は正直頭を抱えたくなりました。
 よくある事ではあるのですが、まだ10才にならない子供を大人が誘惑して、性交渉をするものなのです。

 私が止める権利があるのかどうか迷いましたが、年齢を考えてもさすがに止めるべきではないかと判断して、御注進致しました。

 それで返ってきた言葉は、衝撃的でした。

「親父は俺が何をやっているのか知ってる。成績とスクールの評判を落とさなければ、何も干渉しないと約束してある」
 そうおっしゃったのです。
 それから、もう私に何も言うなと厳しく言われました。

 こう言われれば、私が何を言えましょうか?





 恭一様は、約束通りに学校での成績は一度も落とす事はなく、更にスキップまでして大学まで進まれました。
 大学へ入学したのは、ちょうど16才の時です。

 進級した時、恭一様は屋敷を出られました。
 ですが、住まいは一成様が用意した一軒家で、私はお供する事を許されました。

 この頃から、恭一様は家事全般を覚えられ、何でも一人で出来るようになっていました。
 大学では友人が出来たようで、エドワード・ランカスター様は、時々自宅にまで訪ねて来られる程。
 環境がよかったのでしょうか、隣住人の方とも親しく付き合ってらっしゃいました。

 そこでカメラを覚えられ、何かの賞を頂く程の腕前でしたが、やはり何にも興味を示さない冷めた性格は変わってません。
 それでも、カメラの方は続けていらっしゃいました。
 この時、もっと早く気が付けばよかったと後悔してしまいました。

 恭一様が何を考えていらっしゃったのかを。





 大学卒業のその日。
 恭一様はこつ然とアメリカから消えてしまいました。
 恭一様の決意を知ったのは、後日の事でした。

 恭一様は、既に家から逃げる方法として、自宅の他にアパートを借りてらして、そこへ必要な荷物を運び、いらないモノを自宅に残してらしたのです。
 大学を出たら屋敷に戻ると言い、引っ越しの準備をさせて、自分は何処かへ行ってしまう準備をなさってたのです。

 私は、何も相談されなかった事にショックを受けました。
 私は恭一様が家を出るつもりであるなら、その味方をするつもりでした。
 やはり、私は一成様に雇われているから信用が出来なかったのでしょうか?

 私がそう悩んでいると、エドワード様が屋敷を訪ねてきてくださいました。
 エドワード様は、現在恭一様が何をしているのか、行き先は何処なのかを御存じでらっしゃいました。

「恭は今、サウジアラビアでカメラの仕事をしている。引っ越し先は日本」

 恭一様がカメラを続けてらした理由は、ただ一つ。
 家とは関係ない仕事に就く為だったのです。

「お元気でらっしゃるなら、それで構いません。宜しければ、時々恭一様の御様子をお聞きしても構いませんか?」
 私がそう言いますと、エドワード様は笑われました。

「そういうだろうと思ったよ。恭は、宝田だけには迷惑をかけたくないから何も話さないで行くと言っていたんだが、たぶん私がバラすのは予想しているだろうな」

 そう言われたので、私は驚いてしまいました。

「私に迷惑がかかる? そうおっしゃったのですか?」

「ああ。宝田は親父が雇っている執事だから、もしこの家を出る事に加担したら仕事を失ってしまうからと言っていた。大丈夫だ、恭は宝田を信用してないわけではない。あいつが側に誰かを置くのは、その人物を大事だと思っているからだ。そうでなければ、宝田が一緒に暮らせる訳がない。あいつはそういう所ははっきりと区別 するヤツだよ」

 エドワード様はそうおっしゃられました。

 私は信用されていた。
 そして、迷惑をかけない為に黙っていらした。
 それだけで、私は満足してしまいました。

 ただ恭一様の幸せだけを祈らずにはおられません。
 あの方は、大変利発で何でも出来る方でしたが、誰かを愛する事が出来ない方でした。
 出来れば、その心を溶かしてくださる誰かに巡り会える事をいつでも祈っていました。






 私は、恭一様が家を出られた後、執事をやめる決意をしました。
 ちょうど、それを機会に一成様は結婚され、まるで一成様の、恭一様の母親への呪縛が解かれたような気がしました。

 しかし、退職を申し出た私に一成様がある提案をなされました。

「辞めるのはいいが、もう少しやってもらいたい仕事がある。それが終わったら宝田の好きにすればいい」

 そう言われた仕事は、意外なものでした。

 一成様は、恭一様の銀行口座をストップさせ、恭一様がどうしても必要としている場合の連絡役として日本へ行ってもらいたいというものでした。

 一成様のなさり様は、意味が解らないものでしたが、私はもう一度でも恭一様にお会いしたかったので、二つ返事で承諾しました。




 日本へ来てからは、一度も恭一様から連絡はございませんでした。
 エドワード様からは、定期的に恭一様の様子が知らせられていたので、私も安心していられました。

 ですが、5年目を迎えた時、恭一様は心に傷を負う出来事がございまいした。
 それを期に、恭一様はカメラの仕事を無期限に休み、また姿を消してしまいました。

 エドワード様でも居場所を見つける事が出来ず、2ヶ月程経った頃にやっと何処で何をしているのかが解った次第です。

 その数日後、私は恭一様に電話で呼び出されました。
 いえ、正確には、一成様からなのですが。
 恭一様がお金を必要としているとの事で、私は驚いてしまいました。

 その金額が半端ではなかったからです。
 いえ、鬼柳家からすれば微々たるものなのですが、恭一様の今の現状からして、5千万は大きすぎます。

 しかも、その返却が行われなかった場合、恭一様は鬼柳家に戻り、一成様の補佐として仕事をすると言っているのです。

 私は、一成様から預かったお金を持って、指定の場所へと向かいました。
 ある別荘に恭一様はずっと暮らしていました。
 そこで、恭一様の連れの少年が誘拐され、その為に身代金が必要という事でした。

 私は驚きました。
 エドワード様がいらっしゃる事もですが、恭一様の周辺には、恭一様が身を売ってまでも助け出したいと思う程の人間はいなかったからです。

 この行方不明だった間に、何があったのか。
 それは解りません。
 ただ、恭一様が心のそこから心配しているという事は解りました。


 その時の恭一様の機嫌は最高に悪く、五年ぶりに言葉を交わしたという事すら忘れてしまう程に、恭一様の状態が危険であると判断出来ました。

 そこで初めて、透耶様のお顔を拝見出来ました。
 写真ではありましたが、非常に綺麗な少年で、とても恭一様の趣味ではないとその時は思いました。
 エドワード様の話を聞いていると、恭一様の方が透耶様を好きになり、監禁までして側に置いているという話しでした。

 そこまでして、恭一様が執着なさる意味は解りませんでした。



 透耶様が無事助け出されて、私は病院を手配し、到着を待ちました。
 そこへ、恭一様が透耶様を連れてらっしゃいました。
 その時、恭一様があまりに透耶様を大事に扱うのを見て、驚愕しました。

 医師に診察させる時も側を離れず、病室には泊まり込み(もちろん無理矢理です。完全看護なのですが、だったら自分も怪我して入院してやると医師を脅したのです。)始終世話をやく程。

 透耶様の何処に、それほど恭一様を夢中にさせるモノがあるのか、私は興味が湧いてしまいました。

 直接、顔を合わせる訳にはいかず、こっそりと病室から出てくる透耶様を見るしかなかったのですが、たまたま屋上で、二人を目撃しました。

 何かを話してらしたのですが、内容までは聴こえませんでしたが、透耶様が何を話されると、恭一様が優しく微笑むのです。
 それは、もう、これ以上ないという笑顔で、本当に透耶様が愛おしくて仕方がないという表情です。

 いつの間に、こんな穏やかな方になられたのでしょうか?

 ですが、どう見ても、恭一様の思いが一方通行な様子でした。
 まあ、恭一様は、誰かを愛する事が出来れば、男女の区別は必要無いでしょうが、さすがに透耶様までにそれを求めるわけにはいかないようです。

 透耶様は、恭一様を完全に拒めていない様子ですから、恭一様の思いが伝わるのは時間の問題のようですが。


 それから一ヶ月程して、私は沖縄にいる恭一様から仕事を頼まれました。

 最初は一成様から連絡があり、恭一様が、恋人と一緒に住む家を買いたいので、自分が所有している銀行口座の使用を再開させて欲しいという事からでした。
 一成様は、また無理な難題を吹っかけたそうですが、何と、それに透耶様がお答えになったそうです。

 意外な事に、一成様も驚いていました。
 透耶様の素性をすぐに調べるように言われましたが、調べなくてもいい方法を思い付きました。
 直に透耶様を知れば一番近道であると思います。

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