Switch101
5
釣りをする人
釣りをする人。
それを思い出すのは、小さい頃、近所に住んでいた、じいさまの事。
じいさま、そう呼んでたけど、本名は知らない。
いつも釣り道具を持って歩いてて、時々公園の池で釣り糸を垂らしている。
もちろん、公園だから釣りしちゃいけないんだけど、じいさま曰く。
「釣ってる訳じゃないさ。ただ糸を垂らしてるだけ」
なんだそうだ。
「でも魚釣らなきゃ釣りって言わないんじゃないの?」
俺がそう言うと、じいさまは笑った。
「釣れるだけが釣りって訳じゃないよ。こうやって、ぼけーっとしてるのもいいだろ? でもただぼけーっとしてたら、俺がボケたと思われる。だから、釣りはいいぼけーとする格好のやり方さ」
などと、じいさまらしい考え方で言ってくれた。
時々、じいさまを見かけると話し掛けていた。
皆、あのじいさまはボケてるんだ、と言ってたけど、ちゃんと会話になるし、受け答えも出来るから、ボケてる訳じゃない。
だけど、ある日を境にじいさまを全く見なくなった。
じいさまは気紛れだし、そう思ってたけど、いつもの公園で、じいさまが座った場所に立っていたら、公園の管理人さんが俺に声をかけてきた。
「あれ。じいさまと一緒にいた子だよね?」
「あ、うん。じいさま、どうしちゃったの? 全然見なくなったんだけど」
俺がそう聞くと、管理人さんが話してくれた。
「じいさまねえ、とうとう老人ホームへ入れられる事になったんだ」
「え? どうして?」
「うーん、実はね、もうかなりボケてて、まともな会話が出来なくなってたらしいよ。家族が付きっきりで見る訳にもいかなくて、それで」
俺は信じられなかった。
じいさまがボケてた?
だって、ちゃんと話出来たよ?
何処もおかしくなんかなかったのに。
「君と話してる時は、それはじいさま楽しそうだったよ。昔を思い出したんだろうねえ。じいさま、家でも時々君の事を口にしてたらしい。だから、これを渡してくれって、家族の人に頼まれたんだけど。じいさまからだよ」
そうして渡されたのは、釣りの浮き。
じいさまのお気に入りだったモノ。
「悲しむ事はないよ。人は老いるから仕方がないんだ」
俺は、それを貰って家に帰った。
俺があまりに悲しそうな顔をするから、光琉が泣いてしまった。
どうして光琉が泣くんだ。
俺は泣きたい訳じゃない。
じいさまは、ボケてなんかなかった。
俺の前では普通だったんだ。
それでいい。
それから、何度か公園を通ったけど、俺はじいさまとの思い出の場所には近付かなかった。
釣りをする人。
そういう人を見ると、俺はいつでも、じいさまを思い出す。
あの楽しかった日を思い出す。
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