Switch101
44
バレンタイン
今日はバレンタイン。
世の中はそのブームの真っ最中である。
透耶はその事に気が付いていないわけではなかった。
でもチョコをあげる相手は遠い空の下。
必死に砂漠で闘っている。
イベント好きな鬼柳はなんとしてもバレンタインには帰ると言い張っていたらしいが、当然休暇は取れない。
年始年末の忙しい時間に休みをとったばかりだったからそれは仕方のないことなのだ。
たぶん、透耶の為に特製のチョコケーキを作ろうとでも目論んでいたのではないだろうか。
でも現時点でそれは叶わないことである。
透耶は朝早めに起きてた。
鬼柳がいなくなった生活になんとか慣れてきたから、自分でも朝起きられるようになった。
とはいえ、お天と様はとうに真上近くに上がっている。
これでも透耶が起きてくるには十分早い時間だった。
ここ最近、夜中まで仕事が続いていたので、これくらいでも早起きになってしまうのである。
透耶はゆっくりと起き上がって、まずシャワーを浴びた。これでやっと完全に目が醒める。
やっと目が醒めて、着替えを済ませると下へ降りて行く。
そこは静かで誰もいない。
そしてキッチンの方にいくと甘い匂いがしてきた。
なんだろうと思って、透耶はキッチンを覗き込んだ。
そこでは、メイドの司がせっせと何かを格闘していた。
「司さん、おはようございます」
透耶が声をかけてみると、司は驚いたように顔を上げた。
「透耶様、おはようございます。お早いですね」
作業していた手を休めて、司はテキパキと動き始めた。
透耶の朝食を出す為である。
透耶はさっきまで司が作業していた台を覗き込んだ。
「これ、何?」
どう見てもケーキだ。
チョコレートケーキの色をしているがデコレーションがまだ途中のようだった。
「3時のおやつに出そうと思って作ってます」
司はさっと朝食を用意すると、透耶を呼んで座らせた。
朝は軽めにが司が鬼柳から言いわされたメニューなのである。そこは透耶は知らない事だった。
「ふーん、おやつなんだ」
透耶はそれで納得して朝ご飯を食べた。
トースト一枚にベーコンエッグ。それにコーヒー。それが透耶の朝食である。
もぐもぐと食べる透耶を見届けて、また司はチョコレートケーキの仕上げに取りかかっている。
真剣に何かを見ながらやっているから、慣れてないのかもしれないなあ…と透耶は思った。
それから透耶は仕事部屋に戻って、まずメールを確認した。
鬼柳からのメールは届いていた。
『透耶 愛してるよ』
こんな文章で始まっているメール。
何度見てもにやけてしまう透耶である。
それを毎朝確認して、透耶はいつもの仕事に入って行く。
仕事に没頭して、何時間か経った頃、ドアのノックがされる音と同時に鬼柳からメールを返信しようとした手が止まった。 鬼柳からのメールが入ってきたのである。
自分の部屋に入ってくるのは司しかいないから。
「どうぞ」
そう言うと司は朝作っていたチョコケーキを持って入って来た。
それと同時にメールを開いてみた。
『バレンタイン、イベント出来なかったから、俺特製のチョコレートケーキを司に作っておくようにした。だから食べろよ』
そういう内容だった。
「そっか…だからか」
透耶は納得して微笑んでしまう。
遠い空の下にいるあの人は、自分の為に用意させたものででもバレンタインのイベントをしたかったようなのである。
ほんとにイベント好きだよな…。
透耶が感心していると、前のソファに司があのチョコレートケーキを用意してさがっていった。
鬼柳が透耶の為にと司に作らせたチョコレートケーキ。
透耶はすぐにソファに座って食べ始めた。
甘いものはあまり食べないから、味はビターである。
適度に甘さが抑えられていて、透耶はぱくりとすぐに全部を食べ終えた。
完食。
「美味しかったよ、恭」
でもやはり鬼柳に作って欲しかったなあとその時は思ってしまった。すぐに味の感想がいえるし、伝わるのも早いからだ。
でもそれは望めない。
チョコレートケーキの感想は、メールにしたためるしか方法はなかったので、透耶はすぐにメールを返信した。
『本当に美味しかったけど、恭の手作りだったらもっと良かったのに』
そうメールには書いた。
それを返信し終えると、また部屋のドアがノックされた。
入って来たのはこの家の執事である宝田である。
「透耶様、実は玄関の方にお荷物が届いています」
宝田に促されるまま、玄関に辿り着いた時、透耶の編集担当の手塚がやってきていた。
「手塚さん、どうしたんですか?」
「いや、実は榎木津さん宛にバレンタインチョコが届いてまして」
そう言った手塚の後ろには、二箱の大きな段ボール箱が置いてあった。
まさか…それ全部?
ぞっとしてしまう透耶である。
こんなに貰っても食べられないというのもその原因の一つ。
「別に食べなくてもいいんですよ。でも企画でバレンタインにプレゼント送ってくれた人に印刷だけど、ホワイトデーにお返しした方がいいかもしれませんね」
「そうですね…」
印刷なら編集でやってくれるらしいので、その辺は透耶は手塚に任せた。本人のサイン入りにして送り返すだけでも読者を手離さない手段としては上々なことらしい。
ほっとした透耶に宝田が言い出した。
「実は昼間買い出しに出かけた時に、近所の主婦やら学生さんから、透耶様と恭一様宛にいくつかチョコを受け取りまして…」
「ええ?!」
それに驚いてしまう透耶。
「二人のファンという事らしいので、一応中は勝手ながら開封して危険がないか確認しておきました」
さすが仕事が早い宝田である。
前に透耶には変な物が送られてきた事もあったので、透耶宛の荷物は全部宝田が開封するようになっているのである。
もちろん、手紙などは相手の宛先を見てから、開けていいのか悪いのかを判断してくれている。
「近所の人はどうしようか…」
透耶は真剣に悩んだ。
貰った以上お返しするものだと思っていたからだ。
「お返しする必要はございませんよ。なにせ透耶様が知ってらっしゃる方ばかりではないですから」
「そういうモノなの?」
「見返りは期待してない方々ばかりですから。それにこれは恭一様と相談なさった方が宜しいでしょう。3月中旬には戻られるようなので、その時でも間に合いますよ」
宝田に説得されて、透耶は小さくうんと頷いた。
高校時代ならクラスメイトに義理返しは出来たからいいけど、近所の人じゃあ、透耶一人ではどうにも出来ないからである。
こういう事は鬼柳に相談してからでないと、一悶着ありそうな気がした透耶である。
そこで透耶はふと考えた。
そう自分こそ今度は鬼柳にお返しをしなきゃならないのである。
そのことで頭が一杯になったところで、宝田さんがチョコの整理を始めた。
元々甘いものが得意ではない透耶だから、どうするべきかも悩んでしまう。
そこへ綾乃がやってきた。
今日は綾乃のピアノレッスンの日だった。
「あ、やっぱり先生いっぱい貰ってる」
説明しなくても、今の時期にこんなに箱の中に箱があるのを見れば察知して当然であろう。
「先生、これどうするの?」
「うーん、どうしようかなあ?」
「いっぱいあるから幾つか貰っていい?」
いきなりの綾乃の言葉に透耶はキョトンとしてしまう。
こんなの貰ってどうするんだろうって。
「寮だから、女の子いっぱいいるでしょ。お裾分けしてもいいくらいの量だから、あたしがしっかり処分しますって事なんだけど。いい?」
綾乃の名案に透耶は喜んで声を上げた。
「うんうん、いい。そうしてくれるとチョコ捨てずに済むから!」
「そう? じゃ、遠慮なく貰って行きます」
そこへ手塚も助け舟を出した。
「まだ編集にある分もあるからこっちで引き受けるよ。編集者にはバレンタインもなにもあったもんじゃなかったからね。皆喜ぶと思うんだよ」
手塚の助け舟にも透耶は感謝した。
配達先が解るものだけはメモして残して、あとは編集者達で分け合って食べるのである。
確かにチョコの行き先はそれぞれ決まって、問題なく解決である。残りのチョコはケーキなどに入れて甘くなく仕上げる方向で決まった。
透耶の方は、暫くチョコの山は見たくないという感じである。
そんなバレンタインの日。
来年は一緒に鬼柳と居られたらいいなと透耶は思った。
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