Switch 5

1

 昼になって、日光が部屋を照らしている。
 窓は開いていて、風が吹き込んでくる。カーテンが風に踊って、ユラユラと揺らめき、音もなくまた元の形に戻って行く。
 気温は暖かい、と言ってもおかしくないくらいで、窓を開けていられるくらいの暖かさ。
 ここが日本、今は4月半ば。
 そんな場所があるなら、それは南しかない。
 沖縄。
 気が付いたら、南の島。
 なんて、普通の人が考えれば嬉しい奇跡かもしれない。
 だが、透耶は怒っていた。
 来たくて来た場所ではないだけに、透耶はまた人に場所を教えない鬼柳に文句を言いたかった。
 寄りにも寄って、東京から更に遠い場所へ、監禁場所を移すとは、鬼柳の仕業とはいえ、明らかに他の力が働いている事は確かだった。
 しかし、文句を言ってやろうと思った相手は、すでにアメリカの空の下。たぶん優雅に笑っている、いやほくそ笑んでいるだろう。

 


「……あ、ん……もう……」
 透耶は頭を振って鬼柳の髪に手を潜り込ませ、耐えられないと訴えた。
 透耶の胸に頭を落としていた鬼柳が、透耶の胸の尖った物をカリッと噛み、舐め取る。
「ああ……」
 透耶の身体が反り返って、鬼柳は満足したように顔を上げた。
 透耶自身を握っているが、それが手の中ではち切れんばかりに大きくなり、白い液が零れている。
 身体をずらして、そこの先端を舌で舐める。
「やあ……!」
 息も絶え絶えな悲鳴が上がって、腰が揺れる。
 完全に快楽の虜になっている。
 一週間掛けて調べ上げた刺激に反応する場所は、前よりも淫らな反応をする様に仕込んだ。
 透耶自身を口に含んで、舌で舐め、口で擦ると、身体が震え甘い声が漏れる。
「ああん……いやあ……ん」
 達しないように根元を押さえ付け、先端に溢れる液を妖しい舌の動きで舐めていくと、顎を反らして反応する。
 余った手を孔に忍ばせ、襞を広げる。散々撫で回した後、透耶の身体を反転させて、腰を持ち上げる。
「やん……キョウ……!」
 うつ伏せになった透耶が一瞬我に返ったのか、抗議の声を上げる。だが、それも一瞬。すぐに解された孔に指を滑り込ませる。
「あああ……!」
 感じて反応すると、忍び込ませた指がぎゅっと締め付けられる。無理に指を捻る。出し入れをゆっくりと始めると、腰が動きに合わせて揺れ始める。
「ん……ん」
 慣した所で指を二本に増やす。また強く締め付けてくるが、暫く出し入れを続ける。
「は……あ……あん……ああ」
 指を出し抜きしながら、まだ足りないと求めている孔に舌を這わせる。
 出し入れする指の側の襞を舐めると、透耶が身体を跳ね上げた。
「い……やあ! ああん」
 背筋をぞくりとする感覚が這い、それが快感であるのは口から漏れる高く甘い声で解る。
 指の出し入れをしながら、鬼柳は透耶の背にのしかかって言った。
「どうして欲しい?」
 そう言いながら、背中へのキス。そして這うようにして、項に噛み付く。
「あん……は……」
「言えよ……、どうして欲しい?」
「……ん、いや……も……」
「いや? 何で? もういきそうなのに」
 後ろから指を一気に引き抜いた。
「あん……キョウ……」
 抜かれる衝撃で身体が崩れ落ちる。素早く鬼柳が腰を掴んで持ち上げる。スッと手が前に忍んできて、喜びに溢れ液を垂れ流している物を力強く握り締めた。
「んー? 入れて欲しい?」
「……やあん」
「強情だなあ、欲しいって言えよ。俺が欲しいって……」
 低いバリトンの声で耳を犯すとピクンを身体が反応する。
 声だけで犯せる。
 耳を甘く噛むと、甘い声が漏れた。
 それが鬼柳自身を熱くさせ、抑制出来なくさせるなどと、透耶はきっと気付いていない。組み敷かれた場所で淫乱な身体を見せつける。
 湿った身体が自分の身体に吸い付くように滑らかで、そうさせているのが自分だと思うと堪らなくなる。
「ちくしょう……、俺が我慢できねえ」
 鬼柳は身体を起こすと、すっかり先走りの液を零している自身を透耶の孔に押し当てて、グッと腰を進み入れた。
「んんん……」
 熱く大きな物が進み込んでくる圧迫感に、透耶は息を止めて受け入れようと堪えている。
「う……ああ、きつー」
 半分進めた所で、あまりにきつくて中へ進む事が出来ない。
「透耶……きつい、奥まで入れない……弛めて」
「あん……む、り……」
「しょうが、ないな……」
 透耶自身を掴んで、手で扱くと締め付けていた内部が弛んで、鬼柳はその隙に腰を進めて奥まで自分を押し込んだ。
「あああ!」
 進んでくる感触が、透耶の官能を刺激する。
 完全に入ってしまうと、透耶の内部が一層鬼柳を締め付けてくる。
「ん……はあ……はあ、はあ」
「やっぱ、中はいい……。なんでまだきついんだ…ちっとも俺の大きさに慣れやしねえ。締まって最高だ」
 卑猥な言葉で感想を述べる鬼柳に、透耶は荒い息を吐きながら抗議してくる。
「だ……れが……」
 その言葉を鬼柳が遮る様に動き始めた。
「ああああん!」
 甘い声が尚高くなって、透耶は鬼柳に追い立てられる。もう何も考えられなくなるほど、刺激と快楽を与えられる。
「ああん……はあ……キョウ……」
 いい時、快楽で我を忘れている時、透耶は、鬼柳が教え込んだ、恭、と名前を呼ぶ。
 名前を呼ばせる事で、鬼柳自身も高まっていく。
 動きを荒々しくして、一層透耶を攻める。
「あん……も……だめ……キョウ……ん」
「くっ……一緒に、行こう」
 耳もとで囁いて、所有者の印である肩へ食らい付く。それによって透耶は自分を放った。
「ああああん!」
 締め付けられ、鬼柳も達した。
「……!」
「……もう……いや…」
 まだ中に収まったままの鬼柳自身を嫌がって動いて逃げようとする透耶。
 後ろから抱き取り、身動き出来ないようにする。体力のない透耶は、セックス一回でも気力を使い果 たしてしまう。
 最初の頃は、達した瞬間に意識を手放していたが、最近はそうでもない。だから、する回数が増えてしまう。
 病院で、好きにしていい、と発言した事を鬼柳は真に受けて、本当に好きなようにしていた。
 だが、透耶の体力に合わせてセーブしている。本当に好き勝手にやってしまったら、透耶は壊れてしまうだろう。
「鬼柳……さん……」
「透耶、好きだよ」
 すかさず鬼柳が透耶の抗議を言葉で封じる。
 この言葉に透耶が反応する事を知っている。
 だが、言葉が返ってくる事はない。
 しかし、それは、否、ではない。
 行為に溺れるくせに、恥ずかしいから嫌だと言っているだけで、本気で自分は嫌われているとは思っていなかった。
 嫌いなら、透耶は嫌いだと口にするだろう。
 やめてくれとは言うが、離れようとはしない。
 いや、一時期は逃げようとしていたが、誘拐された事で何かが変わったらしい。それはたぶん良い方向へ変わっている。
「透耶、好きだよ」
 もう一度、透耶の胸に刻み込むように、繰り返して伝える。
 聴こえなくても、無視されても、無意識に心には残る。心の隙間に入り込むように、忘れられないように、感情の一部として、自分という存在を押し付け、逃さないように、絡め取り、刺激して、錯覚させる。
 何かが透耶の心を支配している。それは解るが何なのかは解らない。透耶は話したがらない。好きだという言葉に答えられない何か。
 項にキスをして、透耶の身体の前に回した手で、透耶自身を掴み取る。
「……や……」
 抗議するが、身体は反応して鬼柳を締め付ける。
 その刺激で収まっていた鬼柳自身が復活してしまう。
「んー、また良くなってきた。もう一回」
 もそっと動いて、自身を抜かないように今度は向き合って身体を重ねる。
「も……無理……」
 そういうが、しっかり反応している。鬼柳は透耶の足を広げて腕に抱えると、唇へキスをする。溜息が漏れた所を見逃さず、食らい付く様に深いキスをする。
 キスをしたままで、鬼柳は動き始める。先に放った物のお陰で滑りはよく、鬼柳は力強く腰を動かし、唇の向きを何度も変えて貪欲に唇を求めた。応じるように、透耶の腕が首に回りしっかりと鬼柳に抱きついてくる。
 聞こえるのは、キスの合間に漏れる甘い吐息。
 求めるだけ求め合って、透耶が気を失うまで鬼柳はセックスをやめなかった。

   


 見上げるばかりの大きな屋敷。だだっ広い部屋。
 庭も広く、石垣の向こうには海が見える。
 道路側は、大きな塀に覆われて、外から覗く事は出来ない。門にはSPが数人いて、警備にあたっている。
 外から侵入不可能だが、中からも脱出不可能だ。
 完璧な要塞である、この場所。
 透耶には、ここが沖縄というくらいしか解らなかった。沖縄の何処なのかは、相変わらず解らないままだ。まあ、地名が解った所で、どうにかなるものでもないわけだが。
 それは、透耶がここまでどうやってきたのか覚えてないからだ。
「……誘拐の上手い奴だ」
 透耶は溜息を吐いて、裸足で庭を散歩する事にした。
 透耶がここへ連れて来られる事は、透耶自身知らなかった事だった。
 病院を出たまでは覚えている。
 


 退院の日、鬼柳は先に支払いを済ませてきていた。
 そして荷物を纏め終わると、看護婦達にお幸せにーなんて言われて見送られた。
 もう、一週間も入院してれば、勘がイイ看護婦には、透耶と鬼柳がいい仲である事は、当然の事実として広まっていた。
 そりゃ、女性の多い職場となれば、これはいい獲物にしかならない題材だ。一向に気にしない鬼柳に対して、透耶は焦りまくり。
 散々鑑賞されて、解放された透耶は、車の中で鬼柳に進められたペットボトルのミネラルウォーターを飲んだ後、途中で眠ってしまった。
 で、次起きたら、見た事もない天井に驚き、ベッドから起き上がって外を見ると、そこには、青い空、青い海、暖かい空気、赤い南国の花。
 あり得ない光景。
 おいおいおい、まだ夢でも見ているのか? と一瞬自分の見るもの疑ったが、そうではなかった。
 上機嫌で部屋に入ってきた鬼柳を見付けて、透耶は胸ぐらを掴んで叫んだ。
「ここは、一体何処なの!?」
「ん? ここはエドの別荘だけど」
「何で!?」
「あの別荘、警察が入って現場検証してるから、帰れなかったんだ。そしたらエドがここを貸してくれた」
 素直に答える鬼柳。
 あーちくしょー、あの時、英語で何か話してたのは、この事だったのか!
「ここ何処?」
「エドの……」
「それは解った。俺が言っているのは、ここの家じゃなくて、場所の事!」
「うーん、そのうち解ると思うけど」
「はいー?」
 何なんだそれは……。
 待てよ、今は4月中旬だ。
 まだコートが必要なのに、この暖かさは何だ?
 まさか……。
「まさか、日本じゃないとか言わないよね?」
「だったらいいのにな……南の島にでもいれば……」
 なんかつらつらとまた馬鹿いいそうだ。
 透耶はそれを遮って一人で納得して言った。
「なるほど、日本なわけだ。当たり前か、俺パスポート持ってないし。外国へは出れないしな。偽造パスポートでも作ったのかって思ったよ」
 透耶がそう言ったものだから、鬼柳が真剣な顔になって呟いた。
「そうか、その手があったか……」
 やばい、こいつマジでやるぞ。偽造パスポートだって作ってくる。
「本気にしないでよ。俺、強制送還されて二度と海外出れなくなるのやだよ。アメリカだってロンドンだって行きたいんだから」
「大丈夫、俺が連れて行ってやるよ」
「詳しいの?」
「任せとけ、大体の主要都市は行った事はある」
「すごーい、それって仕事で?」
「ああ、まあな」
「そっか、カメラマンだからかー。……あれ?」
 待て、話題がずれてるぞ。
軌道修正。
「それは置いといて。で、ここは何処なわけ? 日本で南国? ちょっと待って。どうやって来たの?」
「飛行機」
「は? 俺、車にしか乗ってないけど……」
「透耶が寝てる間に乗ったんだ」
「え? どうやって?」
「俺が抱いて運んで乗せた。よく眠ってたから起こさなかった」
 おーい、俺、肝心な所で寝るか? 起きろよ、俺。
 待て。いくら俺でも、そんなには寝ないぞ。
 おかしい。
 あの時、車の中で俺に何があった?
 なんで寝たんだ?
 ………あれだ。ミネラルウォーター!
「鬼柳さん」
「何?」
「仕込んだね、薬」
 透耶がそう言うと、鬼柳はふっと目を背けた。
 やっぱり!やりやがったな、この知能犯!
「何でそんな事するわけ?」
「透耶、大人しく乗りそうになかったし、羽田だから……」
 はっはー、羽田で逃げられて、東京の街に入られたら中々見付けられないとでも思った訳だ。
 で、俺はまた誘拐された訳だ。
 まったく情けなくて涙が出るよ。
 はーん、短期間に俺程、拉致、監禁、誘拐される人間ってのもいないんじゃないか?
 もうギネスに挑戦してもいいかもしれない。てか、そんな項目ギネスに載るのか?
 という、馬鹿な事を考えていると、透耶は自分が空しくなってきた。
 なんのこっちゃない。監禁場所が変わっただけの話だ。
「解った、もういい」
 透耶は頭痛がする頭を押さえて、さっきまで寝ていたベッドへ戻り、タオルケットの中に潜り込んだ。
「透耶?」
 いきなり態度を変えた透耶を不審に思ったのだろう。ベッドまで近付いてきて透耶を見た。
「どうした?」
 どうしたがあるかよ!
 だが、場所を聞いたところで鬼柳がそれを教えてくれるとは思えなかった。
「だから、もういいってば!」
「怒ってる?」
「当たり前だ。何処だか解らない場所へいきなり連れて行かれて、しかも眠っている間に運ばれて、目が覚めたら知らない所だ。連れてきた奴は場所を教えないし、最悪、最低、非常識。鬼柳さんだって、薬で寝ている間に勝手にどっか知らない所に運ばれてたら、喜んで感謝するのかよ。俺はしない、気分が悪い」
 いい気はしない。いつも透耶の意見なんて聞きもしない鬼柳の態度が、やっぱり透耶は許せなかった。
 一言言ってくれれば、ちゃんと付いてきたのに……。
 そう透耶が思っていると、鬼柳がベッドに腰を掛けて、透耶の肩を抱いて引き寄せた。
 はっとした時は、もうすでに鬼柳の腕の中。
 タオルケットの上から、鬼柳がキスをする。
 これ以上、何かするつもりはないらしく、ただ怒っている透耶を気にしているというふうに、黙って背中を摩ってくる。
 撫でられているうちに、透耶はふっと力を抜いた。
> 「沖縄」
「……?」
 いきなり、鬼柳がそう言ったので、透耶は何の事か解らず、もぞもぞと動いて、顔だけ外へ出した。出たら、そこは鬼柳の胸で、見上げると鬼柳は何処か違う所を見ていた。
「ここは沖縄。でもこの場所の詳しい地名は知らない。俺もエドのSPに連れてきて貰ったから」
「……SP?」
 一体何の事だ?と透耶が問うと、鬼柳と目が合った。
「エドが置いて行った」
「SPって、どうするの?」
「さあ、どうしようかなあ。運転手にでも使えって言われたしな」
「運転手?」
「ここは土地感ないしな。暫くは運転手兼道案内だろう」
 当然だ、とばかりに言った鬼柳だが、本当に運転手代わりにSPを使っている。
 当然と言えば、透耶も当然とばかりに監禁されている。
 屋敷の外へ出る事も許されなかった。そう庭さえもである。さすがにそこまでされると、ノイローゼになる、と訴えて三日目。見兼ねたエスコートの富永が、庭なら一人SPつけますが、と言ってくれたお陰で庭に出る事を許可された。

 
 
「俺って、そんなに頼り無いですか?」
 隣を歩いている石山というSPに、透耶は聞いていた。
「そういうわけではございません。ただ心配なされているだけでしょう」
 にこりと微笑まれて、透耶は頭を掻く。
「過保護だと思いませんか? だって俺は今まで普通に暮らしてきたんですよ。こんな豪華な家なんて知らないし、SPなんて、とんでもないです。普通 に買い物するし、映画だっていく、電車も乗るし、その前に自分の足で歩きます」
 まるで置き物の様に扱われている透耶。さすがにこれは不満である。
 しかし、石山は言った。
「何をおっしゃいます。鬼柳様に聞きましたよ。海に直進なされたそうですね」
「う……」
「考え事をなされると、前後左右も解らなくなられる」
「うう……」
「いきなり倒れられる」
「ああ、石山さーん、降参ですー」
 どれも事実で、否定しようがない。
 透耶が手を上げて降参すると、石山はくすりと笑った。
「いえ、鬼柳様が心配なされているのは、ここが米軍基地がある所だからと思います。大変失礼ですが、透耶様は外見が少し女性に見える所があります。そうなると、米兵というのは悪さをする時があります。事件も起ってます。だから心配なのでしょう」
「……女の子がね」
 ははーん、俺、言っておきますが男です。なのに完全に女扱いかよぉ。
 透耶はそう言って、庭の真ん中辺りにきたので座った。
「もうすぐ、スプリンクラーが作動しますが」
「うん、いいよ。濡れても寒くないから。石山さん、濡れない所にいてください。いくら何でも俺、ここで消える事は出来ないですよ」
 苦笑混じりで透耶が言うと、石山は周りを見回してから下がっていった。だが、完全に離れている訳ではない。
 監禁、監視。完璧だ。
 しかし、エドワードはいつもSPに囲まれて生活しているんだ、と思うと、窮屈じゃないのかあ?と思ってしまう透耶。
 そう考えていると、鬼柳の声がした。
「透耶! 何してる」
 起き上がって声がした方向を見ると鬼柳は二階にいた。
「日光浴」
「濡れるぞ」
「うん、解ってる」 
「あ? 濡れたいのか?」
 鬼柳がそう言った時、スプリンクラーが作動して水が吹き出してきた。
「うわああ、こうなるんだー!」
 スプリンクラーで水が吹き出した中というのは入った事は普通ない。透耶はちょっと面 白そうと思ってやってみただけである。
 暇だとこんな下らない事思い付くんだよなー。
 そう思いながら水を浴びていると、二階から鬼柳がまた呼んでいる。
「透耶!」
「何?」
 見上げると、鬼柳がカメラを構えてシャッターを切っている。鬼柳がカメラを使っている所は初めてみる。
「……何で撮ってんの?」
「いい構図だから」
「俺、モデル料高いよ」
「身体で払ってやる。オプションで奉仕もするぞ」
 絶対、本気だ。
 げんなりしてしまう透耶。
「……最低」
「ほら、動けよ」
 クスクス笑いながら、鬼柳がカメラを向けてくる。
 ちくしょー、現像したら写ってないくらいに動き回ってやる。
 透耶は素早く動いて逃げ回るが、鬼柳は正確にカメラを動かして撮りまくる。
「透耶、遅いぞー」
 ぜーぜー息をしながら逃げ回っていた透耶が、息が切れて座り込むと、その隙に鬼柳はフィルムを変える。
「あーもー駄目ー。走れないー」
 濡れた芝生に寝転がっていると、スプリンクラーが作業を終えた。水がぴたりと止んだ。目を開けると、やっぱり空が青い。
「綺麗……」 
 暫くそのままでいると、いつの間にか二階から降りてきた鬼柳が側に立っていた。まだカメラを持っている。
 すいっと起き上がって見上げると、鬼柳にその顔を撮られた。
 カメラを持ってて、しかも見た事もない真剣な顔で撮られると、透耶は何だかおかしくなって微笑んでしまう。
「俺なんか撮って楽しいの?」
「最高。仕事なんかより透耶撮ってる方が幸せだ」
 本当に楽しそうにしているから、シャッターを切る鬼柳を止める事は透耶には出来なかった。
 仕事の写真が楽しくないって、事なのだろうか。鬼柳の仕事の写真ってどんなのだろうか?聞いた事ないな。
「そういえば、仕事って、何撮ってるの?」
「報道だから、世界情勢、殆ど中東だな」
 報道カメラマンと聞いて、思い出すのは普通の国内の週刊誌程度しか透耶は思い付かなかったので、いきなり中東と聞いて種類が違う事を初めて知った。
 しかし、中東といえば、危険な事しかない。
「中東? 戦争とかそういう紛争とか?」
「まあ、そんなもんだ」
 そんなの何でもないという鬼柳。
 確かにカメラマンにしては、身体の筋力とか造りが違う気がしていたが、物凄く体力を使うのだろう。
 だが、鬼柳の言い方は、仕事が好きという感じではない。望んで始めたのじゃないんだろうか。透耶はふとそう思った。
「報道の仕事は好きで始めたんじゃないんだ。楽しいって言ったらあれだけど、やりがいがあるとはあまり思ってない?」
「んー? 何で?」
 鬼柳は呑気に聞き返したつもりだったが、内心は驚いていた。透耶は真剣に見ていた。
「だって、あんまりカメラに固執してないというか……」
「コシツ?」
 あーボキャがないんだ…。
 完全に日本人ではない鬼柳には、難しい言葉は通じないらしい。透耶は言葉を変えて言い直した。
「そういう人ってカメラが命より大事とか言うじゃん。鬼柳さん、あんまり大事にしてなさそう」
 出会った頃から、カメラを投げてしまうし、どうでもいいみたいな言い方しかしなかった鬼柳。透耶にはそれが不思議でならなかった。
 すると、鬼柳はファインダーから覗くのをやめて、カメラを抱えて視線を海の見える方へ向けた。真剣な顔をしている。
「透耶、知ってるか。カメラマンが何で一度に幾つものカメラをぶら下げて動き回っているか」
「フィルム替えている間にシャッターチャンスを逃さない為じゃないの?」
 透耶はいきなり鬼柳がそんな事を言い出したので、不思議そうな顔をして答えた。こんな話を鬼柳がするのは珍しい。いつもの甘えた口調などがまったくない。
「それもあるが、命を守る為なんだ。丁度心臓の場所にカメラがあることになる。そうすると心臓を狙われたらカメラが犠牲になって心臓が守られる。実際、そうして助かったカメラマンもいる。だから、カメラが命より大事って訳じゃない。命を大事にしないカメラマンが撮った写 真なんて、そこには何も意味はない」
 こんな話しは聞いた事はない。
 命を大事にしないと、意味がない。戦争地域にいったとしても生きて帰らなければ意味がない。
 命をかけてカメラを向ける人は、カメラを大事にしてはいるが、写した事実を何よりも大切にしている。
 だが、そうした戦争で傷付いた人を撮る暇があるなら、何故助けないと批難される事もある職業だ。
 だけど、そこに心がなければ、駄目なんだと言っているのだ。
 そうした写真を撮るカメラマンは、たぶん純粋だ。
 そして強く、でも傷付きやすい。
 そこまで思ってはっとした。
 報道カメラマンには、休暇はないはずだ。中東はいつも緊迫していて目が離せない。その中で一ヶ月以上も休暇を取るなんて、あり得ない。
 鬼柳は何も言わないが、そこで何かあったのかもしれない。
 鬼柳は最初に言っていた。カメラは大事じゃない、写した物が無事ならそれでいいと。そこに真実が写 っているなら、それだけでいいと。
 それって、実際に何かあったんじゃないの?
 でも、それは聞けなかった。そこまで踏み込んだ、プライベートな精神的部分まで、透耶は踏み入る事は出来なかった。
 そこが、エドワードが言っていた、鬼柳の闇の部分の一つなのだろう。
「……透耶!?」
 不思議そうな声で鬼柳が呼んでいた。
 何度も呼んだらしく、いつの間にか鬼柳が膝をついていて、透耶は肩を掴まれていた。
「あ、うん。ごめん」
「なんか、難しい話しした?」
 透耶は首を振った。
「どうして、そんな不安な顔をするんだ? 俺が仕事の話をしたからか?」
 鬼柳はどうやら自分が悪かったと思っているらしい。
「そうじゃない……。ごめんなさい、聞いたのは俺だもん。話したくない話だったでしょ。興味本位 で聞く話じゃなかった。だからごめんなさい」
 掴まれた腕に手を当てて、思わず握り締めてしまった。
「なんで、透耶には解るかなあ。別に話したくないって訳じゃないんだ。ただまだ整理がつかなくてな。俺の不安が伝わっちゃったか」
 鬼柳はそう言って、透耶を引き寄せて抱き締めた。
 透耶は胸に顔を埋めて目を閉じていた。
「不安って伝染するんだ……近付けば近付く程、伝染するんだ」
「伝染? 病気じゃないだろ?」
 なんて真面目な解答が返ってきたから、透耶は苦笑してしまった。
「違う違う。伝わるって事。それも病気みたいに相手に伝わって染まるんだよ。だから伝染」
「へえ、いいなあ。透耶と同じ病気かあ」
「よくないよ。不安だよー」
「そうだなあ、同じなら、幸せとか、快感とか……」
 なんかやばいこと言いそうだ。
 透耶は慌てて鬼柳の口を手で封じた。
「それ以上はいい!」
 塞いだはいいが、その手を舐める鬼柳。逃げようとする手を掴んで、鬼柳は透耶の指先を舐める。
「き、き、き、鬼柳さん!」
 最初に二人が触れたのは、確か指先だった。
 大事な物を扱うように、鬼柳は指先にキスをする。何か神聖な儀式のようなで、快感を誘うものではなかった。
「綺麗な指だな。何かやってた?」
 それは鋭い指摘だった。
 殆ど何もやった事がない指。重い物を持つ事や、包丁すら持たせて貰えなかった、唯一の作業しか出来ない指。傷つけられ、そして、それをやめてしまった指。
「この指は、何も出来ない指だったんだ。なのに唯一の事も出来なくなった、馬鹿な指。嫌いだった。あの時に指なんてなくなればいいって思った」
 知っている人は仕方ない。でも知らない人には、たぶん言わないだろう。そうした秘密が透耶の中にあった。
 だけど、それをこうして鬼柳に言えるとは、透耶は自分でも驚いていた。あの話は切り出せないのに。
「もったいない。指切ったら俺に頂戴」
「何で?」
「ホルマリンに漬けて毎日眺める」
「それってマニアで変態だよ……」
「マニアでも変態でも何でもいいよ。透耶の一部が貰えるなら。でもここから無くなるのは、やっぱ嫌だ」
 そう言って、手首にキスをする。そこにあるモノ。鬼柳は気が付いている。
 濡れているから、雫を舐め取っていく。
「今はこの指が物語を作ってるんだな」
「そうだね」
 鬼柳は何があったかなんて聞かない。話したくないなら、話さなくてもいいと、無言で言ってくれている。
 そういう所は繊細で優しい。
 物語は口答でも伝えられる。
 でも、指でなければ出来ない事がある。
 確か、この屋敷にもあったよな……。
「後で、この指が何をやってきたのか教えてあげる」
 透耶はそう言って立ち上がった。
 鬼柳は不思議な顔をしていた。
 その言葉には、悲しい響きがあるのを鬼柳は見逃さなかった。
「さて、お風呂入ってこよう。ぐしゃぐしゃだ」
 透耶がそういうのを待っていたかのように、石山と富永がバスタオルを持ってやってきた。


 

 

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