Switch 4

2

 透耶が次に目を覚ました時、そこは白い天井が見えた。
 暫く、瞬きをし、じっと考えた。
 ここは何処だ?
 俺、どうなったっけ?
 鬼柳さんは、どこだ?
 あれ、そもそも鬼柳さんは来たんだっけ?
 腕を動かそうとしたら、腕に少し痛みがあった。
 斜め下を見ると、自分の腕が見え、その腕に点滴らしいチューブと針を刺して固定しているテープが見えた。
 ああ、そっか、病院かあ。
 こんな装備なのは、病院しかない。
 あーもー、また身体が動かないし。
 起き上がろうにも身体が言う事を利かない。
 透耶は、点滴をしていない腕を動かそうとして、腕が何かで縛られている事に気が付いた。
 おおお、これは拘束具だ。
 暴れる人を固定する為に、ベッドに付けられている物だ。手首にがっしりと巻き付いている。当然、身体にも巻き付いている感覚がはっきりとしてきた。もちろん、足も動かない。
 完全に身体の動きを固定されているのだ。
 はあ、俺、何かやったのかなあ?
「……透耶? 目が覚めたか?」
 凄く心配した声が横から聴こえた。
 顔を横にすると、そこに鬼柳がいた。
 すぐ側のソファに座っていたらしく、立ち上がって側までやってきた。
「鬼柳さん、俺、何かやったの?」
 少し掠れた声で透耶が尋ねると、鬼柳の顔が近付いてきた。
 はあ?何だ?と思っている間に、まんまとかすめ取る様に鬼柳の唇が透耶の唇を奪った。
 もちろん、透耶にはそれを止める術はない。なんたって、今は身体を拘束されている、まさにまな板の上の鯉状態。
 チャンスっていえば、チャンスだよなあ。
 動けない以上、甘んじてそれを受けるしかない訳で。
 軽く触れる程度のキスが、額、鼻梁、頬、くすぐったくて伏せた目蓋と、これでもか!という風に降ってくる。
 本当にくすぐったくて、透耶は身を捩って笑う。
「やだよ、鬼柳さん、くすぐったい」
 抗議した口の端を最後にして、鬼柳のキスが止まった。
「My God Almighty ! Thank you very much..」(ありとあらゆる神々に感謝します)
 鬼柳がいきなり英語でそう言った。
「え?」
 透耶は、早口でまったく聞き取れなかった。
「おはよう、透耶」
 見上げると、鬼柳が満面の笑みで見つめている。
 透耶はそれを見ると、思わず笑みが零れる。
「おはよう、鬼柳さん」
「どうだ? 気分は?」
 鬼柳はそう言って、今度は手で透耶の頬を摩っている。
「うーん、前よりいいかも。少しだるいけど。ねえ、俺、何かやったの?」
「何で?」
 あーちくしょー。また何で?だよ。
 こういう時の鬼柳は甘えている証拠だ。こうなると、屁理屈とか馬鹿な答えしか返って来ないんだよな。
「だって、これ、拘束具じゃん。こういうのって確か暴れる人とかにやるんでしょ? え? 俺暴れたの?」
 ちょっと待てよ。拘束されているということは俺が暴れたって事だよな。何で俺暴れたんだ?
 不安になって鬼柳を見つめると、鬼柳の少し考えるような顔。
 そんな深刻なことなのか?
「んー、言わなきゃ駄目?」
「何で言いたくないのさ。俺の事だろ」
 そんなに言いたくないような事で、俺は暴れたのか?
 じっと二人で見つめ合って、数分。先に折れたのは鬼柳の方だった。溜息を吐き、頭を掻いて、どうしても言いたくないけど仕方がないというふうに口を開いた。
「透耶」
「ん?」
「ほら、三沢に注射されたと言ってただろう」
「ああ、あれ?」
「うん、あれの中身がさ、鎮痛剤だって言ってたけど、実はそうじゃなかったんだ」
 何とも端切れの悪い言い方だ。
 鬼柳は、こんな言い方をする事はない。
「え? 何だったの?」
「ヘロイン」
 全然、思いもしなかった答えだ。
 あの注射の中身はヘロインだったって?
 透耶は呆けた顔になって、聞いた。
「……マジ?」
「マジ。……三沢は、純度が良すぎる程のヘロインを所持してた。あれは、遣い用に寄っては、鎮痛剤のように痛みも消してしまう。だから、三沢は使ったようだ。しかしな、量 が問題だった。ああいうのは適量ってのがあるんだが、奴は何を考えてたのか、通 常の二倍を毎回使いやがった。だから透耶は急性になってな、禁断症状が出て暴れてたんだよ」
「うわああ、俺、ヤク中!」
「いや、もう薬は抜けてるよ。よく頑張った」
「頑張ったって、何を?」
「禁断症状とだよ。酷かったんだ。可哀相で、変わってやりたかった。でも透耶は闘ってるから、俺はちゃんと見てなきゃと思った」
 鬼柳は透耶の胸に顔を埋めて瞳を閉じた。
「ごめん……」
 何故か鬼柳の方が謝った。
「どうして、鬼柳さんが謝ってるの?」
「俺が透耶の側を離れたから」
「馬鹿だなあ。こんな事なんて滅多にない事だよ。たまたま起った事。鬼柳さんが気にすることないよ」
「ん……でも、ごめん」
 それでも鬼柳は謝ってくる。
 うーん、これは物凄く心配をかけてしまったんだな。 
 何だか、鬼柳を安心させる為には、頭でも何でも、触ってあげるべきなんだろう。しかし、拘束されたままの透耶では、それが出来る訳でもなく。
 こう、無性に撫でて上げたい時に限って、自分の身体が自由にならないなんて、もどかしくて腹が立ってくる。
 頭を上げると、鬼柳はまだ同じ体制のままだ。
 まるで透耶の鼓動を確認しているかのようで、それで安心しているかのようだ。
 どうして、鬼柳はこんなに自分の事をこんなに思ってくれるのだろう?
 こういう時、なんて言葉をかければいいんだろう?
 鬼柳の為に何か出来る事があるんだろうか?
 俺が側にいてもいいんだろうか?
 この人は一体何を願ってる?
 そう思っていると、幸せの中にいる自分が不安になった。
 俺には想って貰う資格はない。俺は駄目なんだ。
「どうしてそんなに優しいの? 俺何も出来ないのに……。鬼柳さんにはもっと相応しい人がいるのに……」
「え?」
 変な事を言い出した透耶を、不思議な顔をして鬼柳が顔を上げて見た。
 いきなりこんな事を言うつもりはなかったが、透耶は止まらなかった。
「どうしたいの? 俺をどうしたいの? 何が望みなの? 何が願いなの?」
「透耶?」
「俺じゃなくても、他の誰かでも、代わりは沢山いるんでしょ? だったら何で優しくするんだよ。何で抱くんだよ。何で好きだなんて言うんだよ……。俺は駄 目なんだよ……」
 透耶は言って、顔を覆ってしまいたかった。
 とてもじゃないが、鬼柳の顔を見てられなかった。
 自分でも何を言っているのか解らなかった。
 俺はどうしたいんだ?
 俺はどういって貰いたいんだ?
 俺こそ、何を望んでるんだ?
 馬鹿だ、俺は自分が答えられない事を聞いている。
 俺はズルイ、卑怯だ。
 俺には答えられる言葉は一つしかないのに……。
「透耶……泣いてるのか?」
 明らかに動揺した声で鬼柳は言って、そっと透耶の頬へ手を当てた。
 透耶ははっとした。
 何で俺は泣いてるんだ?
「どうして泣くんだ?」 
「……ご、めん」
「もしかして、ずっとそれ考えてた? エドにそういう事言われた? 言わなかったっけ? 俺、透耶が質問したら何でも答えるって」
 鬼柳は少し上機嫌なのか、優しい声で言って、透耶の顔を自分の方へ向けると、涙をキスで吸い取っていく。
 それが終わると、頬を合わせて擦り寄ってくる。
 なんだか、嬉しそうだ。
「優しくするのは、透耶が笑ってくれるから。透耶は何もしなくていい、いてくれるだけでいい。俺は透耶が欲しい、全部欲しい。誰にも渡したくない。透耶がずっと一緒にいてくれる事。他に代わりなんて居ない。他なんていらない。抱くのは抱きたいから、抱いて温もりを感じたい。好きだから好きだっていう、他の奴に言った事はない、透耶にだけだ、透耶への言葉だよ」
 全部に一気に答える鬼柳。
 もはや、どの質問に答えているのか解らない。
 ただ、全てが透耶の為。
 他の誰でもない、ただ一人の為の言葉。
「一つ解らない。俺に相応しいって何それ?」
 全部の質問に答えるつもりの鬼柳は、それだけは訳が解らないと声を落として聞いた。
「……何って」
「俺はただ透耶が好きなだけだよ。俺がいいと思ったら、それでいいんじゃないのか? 誰かに認めて貰わないと好きになっちゃいけないのか? 俺が俺の思うままでいて何が悪い。誰が何を言ったって知ったこっちゃない」
 鬼柳ははっきりと言った。
 ここまで真剣に自分の事を話す鬼柳は珍しい。
 確かに欲望のままに言葉を吐く人ではあるけど、自分の考えを言うのは珍しい。
 だが、鬼柳は聞かれなきゃ答えないだろう。
 けれど返ってきた言葉は本物で、透耶には嬉しいものだった。ストレートに解る言葉で、素直に真剣に本気で答えてくれる、そんな鬼柳がとても大事に思えた。
 だけど透耶は、鬼柳みたいに好きだとか、欲しいとか、そういう事は思わなかった。
 言えない。
 自分にそんな資格があるとは思えなかった。
 鬼柳みたいに自信を持って、はっきりと言葉にする事はまだ出来なかった。
 いや、それはしてはいけない事だった。
「透耶は心配性だなあ」
 クスクス笑いながら、鬼柳が頬を撫でている。
 見上げると満面の笑顔でそう言った。
「は?」
「それってやっぱ、嫉妬だろ?」
 ニヤリと口の端を上げて、いたずらっぽく笑う。
 透耶は眉を顰める。
「はあ?」
「俺が浮気してないかって心配な訳だろ?」
「なーんでそうなるの?!」
 怒って起き上がろうとした透耶だが、もちろん動けない。
 あー、ちくしょー、誰か拘束解いてくれ。
 こいつ、一発殴りたい。
 馬鹿で余計な事を言い出す前に、口を塞がないと!
「泣く程、俺のこと考えてる訳だよな」
「う……」
 自業自得とはいえ、言ってしまったのだからもう遅い。
 確かに、透耶は泣く程考えていた事だ。
 だが、口が裂けても、離したくないと思った事や、今の答えを嬉しく思って、また泣きそうになったとか、絶対に言わないと透耶は心に誓う。
 鬼柳を見ると、目がイッている。
 やばい、これは。
「ちくしょー、今すぐやりてえ」
 あーもー出た!
 しかも今透耶は拘束されていて、絶体絶命だ。
 冗談じゃない!
「お、落ち着こう、鬼柳さん。ここは病院で、俺は病人!」
「いつもと違うシチュエーションってのも」
 鬼柳はそう言いながら、身体を縛っている拘束を外そうとしている。ただ腕と足の方のは外そうという気はないらしい。
「うわああ、駄目! あー俺、もう駄目かもー」
 透耶はわざとらしく、ぐったりしてみるが、効果はなさそうだ。
「大丈夫、俺が看病してやる」
「大丈夫じゃない!」
「俺、一週間も透耶の中に入ってない。もう我慢出来ない」
 胸の拘束は外し終わっている。
 病院着である、着物みたいな服の隙間から手を忍ばせてきて肌を撫でていく。透耶を優しく撫で、胸をはだけさせると鬼柳の顔が胸に落ちてくる。口付けると強く吸ってくる。
 わざとキスマークをつけて、それを舌で舐める。
「……あ」
 一週間も離れていたこの感覚。身体を走る熱い快感。
 透耶の素早い反応に、鬼柳は満足している。
 大丈夫、誰も触ってない。
 首筋につけた印は、既に消えてしまっていた。透耶は気付いてないが、あれは所有者である自分の印だった。
 まるで食らい付くすように、鬼柳は首筋を噛んだ。
 透耶はそこが感じるらしく、身体を反らして耐える。
 いい反応だ。
「いいな、この拘束された姿。いやらしい……。そそる」
 病院着が胸の部分だけはだけ、両手両足は拘束具で固定され身動きが出来ない。与える熱に反応して身体を熱くして悶える姿は、官能的だ。
 見てるだけで、声が少し聞けるだけで、指が動くだけで、目蓋が瞬きするだけで、こんなにも欲しくなるのは初めてだった。
 すっかり痩せてしまった透耶の身体を撫でていると、透耶が抗議の声を上げた。
「ぜ、絶対駄目! こんな所じゃ、今は駄目だってば!」
 混乱している透耶は、時々結局自分を追い詰める事言う。鬼柳はチャンスと、ニヤリとしたい顔を押さえて、真面 目な顔で更に追い詰める。
「じゃあ、いつならいい? 今やりたいのに」
「た、退院したら!」
「退院?」
「そ、そう!」
「そしたらやってもいい?」
「う、うん、好きにしていいから! 今は落ち着いて!」
「好きにしていい……? 解った」
 鬼柳はその言葉を聞いて、やっと納得した様に透耶から身体を離した。
 ほっと息を吐いた透耶だが、自分の発言に不安を感じた。
 おい、俺、今、とんでもない事言わなかったか?
 そっと鬼柳を見ると、上機嫌で透耶の乱れた服を元に戻している。
 あああ、今のは言葉のあやです……なんてきっとあの特別仕様の耳には届かないんだろうな……。
 とりあえず、退院までの身の安全は保証されたが、その後の保障はないに等しい。
 そうしていると、部屋のドアがノックされて、部屋に誰か入ってきた。
 そこに現れたのは、エドワードだった。
 初めて会った時の様に、完璧な美貌に立ち姿、隣で一緒に入ってきた看護婦が、頬を赤らめて目を潤ませてエドワードを見ていた。
 うわ、一難去ってまた一難ってこんな状況?
「やあ、透耶。気分はどうだい?」
 エドワードはそう言って近付いてきて、鬼柳とは反対側から透耶を見下ろしている。
「え、はあ、まあ、いい方です。心配かけてすみませんでした。あの、お金とか、いろいろすみません」
 なんて謝っていいのか解らない透耶がしどろもどろになっていると、エドワードはふわりと笑って言った。
「いや、君が無事ならそれでいい」
「ありがとうございます」
 そう礼を言うと、エドワードはとたんに意地悪な顔になった。
「君がいなくなった後の恭ときたら、とても尋常ではなかったよ。暴れるわ、物は壊すわ」
 それを聞くと、鬼柳が怒鳴った。
「Oh. shut up. Going back to the beginning. YOU are to blame for everything!」(やかましい、元を辿れば、全部お前が悪い)
 エドワードに怒鳴る時は、どうしても英語になるらしい。
「Hey. I am not the only one.Well. I felt a bit of guilty. so I helped you out. didn’t I?  」(私だけが悪い訳ではないだろう。まあ、少しは悪いと思ったから、こうやって協力したじゃないか)
 頭の上で英会話を続けられると、すごく置いていかれた気がする透耶。これは英会話勉強した方がいいんだろうか?などと真剣に考えてしまった。
「Anyway. I gave the ransom back to Takarada. Was it OK?」(そうそう、身代金は宝田に返しておいたぞ。それで良かったんだな?)
「……」
 初めて鬼柳が大人しく頷いた。
「Kyo. I’ll let you use another villa instead. since the police investigate this one. I’m going back to the States. so there will be no interference for a while. If you need. I can leave some of my men. What do you say?(恭、あの別 荘は警察が入ることになったから、代わりに私の別荘を貸してやろう。私もアメリカへ帰るから、邪魔は暫く入らないだろう。もし入り用なら、エスコートを数人置いて行くが、どうする?)」
「I will use your villa to compensate for this. I don’t want your men.(弁償として別 荘は借りるが、エスコートはいらない)」
「If something happens in the future. can you defend him from any danger? And when you stay in any villa. you must watch out its surroundings.The rich need to be precautious all the time. Take at least 2 of them. You can use them as chauffeur.To be honest with you. it is not you that I care about. I care about him.Don’t worry. their room is just next to the entrance. so they won’t disturb you at all.Give way to me this time.(次、何かあった時、お前は彼を守りきれるのか? それに別荘を使うなら、回りを注意しなくてはならない。金持ちはいつだって危ないんだ。せめて、二人は連れて行け。運転手にでも使ってくれて構わない。お前が心配なんじゃない。彼が心配なんだよ。大丈夫、エスコート用の部屋は屋敷の入り口にあるから、お邪魔はしない。今回は折れてくれ)」
 ここの部分の英語はもちろん解らなかったが、エドワードの必死な頼みである事は、表情から伺えた。
 透耶が両方を見比べていると、ふと鬼柳が透耶を見た。
「ん? 何?」
 透耶は自分に話が振られたのかと思ったが、鬼柳は特に何を言うでもなく、じっと見つめてくる。小首を傾げて、何を考えているのだろうと見つめ返すと、鬼柳ははあっと溜息を吐いた。 
「OK. OK. You are right. But only when we stay there. Thanks a lot.」(分かったよ。別 荘にいる間だけだ。悪かった、感謝している。)
 まさか鬼柳の口から感謝の言葉が出てくるとは思っていなかったエドワードは驚いてしまった。そっぽを向いてしまった鬼柳は明らかに照れている。
 面白い顔を見れたものだ。
 鬼柳がこういう風になったのは、透耶のお陰なのだろう。
「透耶、君と少し話をしてもいいかい?」
 いきなりエドワードがそう言い出した。
「え? 俺とですか?」
 一体何の話だろう?
 キョトンとしている透耶。しかし鬼柳が邪魔をする。
「Leave immediately. Ed.(さっさとアメリカへ帰れ)」
「I’m not talking to you. I’m asking Toya.(お前と話しているのではない。透耶に聞いているんだ)」
「He doesn’t have his say.(透耶には話しはない)」
「Kyo. I’m saying I’m not talking to you.(お前に聞いてないと言っている)」
 このままでは収拾はつきそうもない。
 頭の上でまた英会話の喧嘩が始まって、どうも鬼柳のいけない単語が飛び出した所で透耶は溜息をついて止める事にした。
 エドワードも透耶と話をするまで帰るつもりはないらしい気配があったからだ。
 透耶は、やっと看護婦に拘束具と点滴を外して貰って、身体が自由になると、起き上がって言った。
「鬼柳さん」
 透耶が呼ぶと鬼柳が下を向いた。
「うるさいよ、ここは病院」
「透耶」
 言い訳しようとしている鬼柳に、透耶はにっこりとして言い放った。
「エドワードさんと話するから、ちょっと出ていってて」
 さすがの鬼柳もこれには逆らえない。
 渋々、未練たらたらで、最後には苦笑する看護婦に連れ去られた。
「When Toya is in his sight. he is amenable. which is good. 」(透耶がいる時は素直で宜しい。)
 なんてエドワードが言うものだから、鬼柳の視線が恐ろしいくらいに突き刺さる。
「はははは、すっかり骨抜きなんだな」
 鬼柳が出て行くと、エドワードがそう言った。
「そうなんですよね……何で俺なのか解らないけど。俺は駄目だって言ったんですけどねえ、意味は伝わってないと思います」
 苦笑して透耶が言うと、エドワードは側にあった椅子に腰をかけた。
「恭は優しいだろう」
「ええ。俺はたぶん甘やかされてると思います」
「そう思うか。そうだな。恭は、誰にも優しくはない。たぶん君だから優しくするんだろう。何故なのか、なんてのは私には解らないが、解るのは、君が逃げたとして、世界の果 てまでも追って行く事は間違いないといえる。そしてそれに手を貸したりしたら、確実に殺されるって事だ」
 笑えない言葉だ。
 透耶は少し考えて、正直に自分の気持ちをエドワードに話そうと思った。何故だか、エドワードにそういう事を相談するべきではないだろうが、鬼柳の事を知っている人に、そしてそれを心配して気にしてくれている人に話さなければいけない様な気がした。
 鬼柳には言えないから。
「……俺は、鬼柳さんにそんなに思ってもらうほど、鬼柳さんを思ってないんです。もし鬼柳さんが去ってしまったとしたら、俺は鬼柳さんのようには追わない、そこで諦めてしまえるくらいにしか思ってないんです。こう、俺って人に対して興味があんまりないというか、関わらないようにしてきたんですけど、鬼柳さんは何か気になるんですよ。その意味は知りたいです。でも、鬼柳さんのように好きなる事はしない、出来ない。凄く怖いんです」
 なんだか、支離滅裂な言い分だ。
 透耶の言葉は、鬼柳を好きだと言っているようなもので、これを鬼柳が聞けば、飛び上がって喜ぶだろう内容だ。だが、エドワードは解っていた。これが日本人としての複雑な、そして深刻な悩みなのだろう。
 たぶん、誰も好きになった事のない人間。
 好きだと口には出せるのに、その好きが違う。鬼柳への言葉にするには、軽々しくて使えないと考えているという事にもなる。強く思われている自覚があるだけに、それに見合った思いでいなければならない、答えを出さなければならないと考えなのだろう。
 ただ、好きにならない。その言葉がどれだけ深い意味を持つのかはエドワードにも解らなかった。
「つまり、今はまだ答えが出せない、という事だね」
「……答えは決まってます」
「ほう。では何と言う?」
「思いには答えられない。答えてはいけない……」
 透耶は頑なにそう言い切った。
「何がそんなに君を縛っているんだ?」
「俺は、いえ、俺達は呪われている、だから駄目なんです。鬼柳さんを死なせたくはない。なのに俺、側に居たい」
 結論は出ている、なのに側に居たい。矛盾した答え。
 エドワードは呪いが気になったが透耶は話してはくれないだろう。こうして悩んでいるということは、透耶はまだ鬼柳にもそれを話してはいない。
「では、その呪われているという話を恭にするといい。それで恭が納得すればそれで側を離れられる。それまでは恭の側にいてやってくれ。今すぐ呪われるという話ではなさそうだしな」
 エドワードはそう透耶に頼んだ。
「エドワードさん?」
「そういうのはよく解らないが、恭が自由でいる間だけでも一緒にいてやってくれると嬉しい。あいつにも闇はある。誰にも触れない所がある。もし、少しでも恭を思ってくれるなら、癒しになってやって欲しい。ただ逃げるのではなく、透耶も自分を見つめた方がいいのではないか?」
「……そう、でしょうか?」
「それでも駄目だと言うなら、前に約束したように、私が何とかしよう」
「本当ですか?」
「ただし、もう少し恭といてやってくれ。それと恭を納得させる事。これが条件だ」
「……解りました。すみません。変な事言って」
 真剣にすまないと思って謝っている透耶に、思わず笑みが零れてしまうエドワード。
「いやいや、君が思ったよりも真剣に考えてくれていて良かったよ。前みたいにただ逃げたいと思っているだけだったら、私は容赦なく、君と恭の間を完全に切り裂く手筈を整えていたからね」
 さらっと手筈の話しをされて、透耶は思わず聞いてしまった。もともと、自分が頼んでいた事だ。
「ちなみに、その手段って……」
「暗殺、もちろん恭の知らない場所で、でも納得させる為に遺体は見せるようにして……って冗談だよ」
 にっこり笑ってそんな台詞を言われれば、冗談には聴こえない。透耶は驚いた顔をしてエドワードを見つめていた。
 すると、クスクスとエドワードが笑い出した。
 そんな冗談を言われて、透耶は溜息を吐いた。
「……それでも良かったかもしれませんね」
 そんな言葉が返ってきたので、エドワードの方が驚いてしまった。そんなに呪いは重要な事なのだろうか?そう思ってしまった。
「悪い、悪い。透耶が可愛いから、つい意地悪したくなったんだ。謝るから、親愛のキスをさせてくれ」
「え?」
 と、透耶が思った時は、もう既にエドワードのキスが頬へ落ちていた。
 こういう時って、やっぱ、タイミングがいいというか、勘がいいというか、鼻が効くというか……。
「きーさーまー!!」
 地の底から響いてくる様な唸り声を出して、鬼柳が仁王立ちをしていた。
 さっきまでのシリアスは何処へ?
 透耶はこういう鬼柳の状況を見るだけで、違うピンチになっている事を悟った。
 エドワードさーん、俺をピンチにしないでくださいよおー!
 透耶はとてもじゃないが見ていられないし、エドワードがどうなっても知ったこっちゃないと思った。自業自得だ!
「Go away!」(出て行け)
 鬼柳は腕を振り上げて、出口を指差している。
「透耶、ゆっくり治して、元気に退院してくれ。ここの事や、入院費の事は心配しなくてもいい。僅かばかりの謝礼だ。約束は守ってくれよ」
 エドワードは鬼柳を完全に無視して透耶に話し掛ける。
 だーかーら、そういう意地悪はやめてくれない?
 そこまで思ってはっとした。
 クルリと部屋を見回すと、ここは普通の病室ではなかった。それも一人部屋でもない。いわゆる、VIP室というやつだ。 道理で、鬼柳がソファに座ってたわけだ。
 調度品は豪華、部屋は病室には見えない雰囲気。病院だと認識するには、透耶の周りに設置された点滴やら心電図、そうしたものだ。
 VIP室って、一泊いくらだ?
 なんて透耶が思っていると、エドワードがちょうど立ち上がった所だった。
「じゃあ、また会おう」
 そう言われたので、透耶は笑って頷いた。
「ありがとうございました」
 たぶん、ここの代金とかを世話して貰う訳にはいかないと言っても聞いてくれないだろうし、それに今は払えないから、透耶は素直にお礼だけでも言っておいた。
 だが、鬼柳は怒っている。
「二度と会うな、会わせない、来るな、帰れ」
 これでもかっていう拒否。
 エドワードは苦笑しながら帰って行った。
 エドワードは、絶対わざと鬼柳を怒らせて楽しんでるんだ。
 などと、透耶が思っていると痛い視線が突き刺さっている。
「な、何?」
 透耶が見上げると鬼柳が無表情で見ている。
「何でキスさせるんだ」
「い、いや、あれは、親愛のであって」
「親愛だあ? んなもんなくていい」
「仕方ないだろ、いきなりだったんだから」
「避けろ」
「無理」
「無理じゃない」
「ああもう、どうすればいいんだよ」
 こういう事を言ってはいけないと、今更ながらに思ったのだが、もう遅い。待ってましたとばかりに、鬼柳は要求してきた。
「透耶からのキス。もちろん唇」
「……げ」
「じゃなきゃ、犯す」
「約束が違う……」
「浮気をするからだ」
「浮気じゃない」
「浮気だ」
「違う」
「じゃあ、証明すればいいだろ」
 ちくしょー、何で俺からキスしなきゃなんないんだよ。
 だけど、このまま押問答しても勝てそうにもないし。大体、浮気ってなんだ?何で浮気なんだ? ああ、だけど、こいつ平気で約束破りそうだし。やる気満々だ。大体、エドワードさんが悪い。あの人、絶対意地悪したんだ。あのタイミングであれは絶対狙ったんだ。まあ、俺への嫌がらせではなく、鬼柳さんへの嫌がらせだろうけど。そこに何で俺を挟むかなあ。
 はあ、俺が折れるしかないのか?
 透耶、ここで犯されるよりはマシだと思え。
「解った。キスすればいいんだろ。さあ、こっち来いよ」
 覚悟を決めて透耶がそう言うと、鬼柳は真剣な顔をして寄ってきた。
 椅子に座って、身体を乗り出している。
 透耶も身体の向きを変えて、鬼柳と向き合う。
 視線が合うと、ドギマギしてきた。
「……目を、瞑って」
 透耶が言うと鬼柳は何も言わず、そのまま目を閉じた。
 丁度、鬼柳の方が椅子に座っているから、ベッドに座っている透耶からだと下になる。
 上から鬼柳を見る事など殆どないから、すごく面白いと透耶は思った。
 鬼柳の頬に手を当てて、上から唇を合わせる。
 どういうキスが望みなのかは知らないが、触れるだけでもいいだろうと、すぐに離れようとした。
 なーんて思ってた俺は甘いんだろうね。これで済む訳ないよね。
 ガシッと透耶の項に鬼柳の手が、いつの間にか忍んでいて、唇が離れそうになった時、押さえ付けて唇が離れないように固定したのだ。
「……な!」
 約束が違う!と抗議したかったのだが、透耶が口を開いた隙を狙って、鬼柳が唇に深く食らい付き、貪るようにして舌を入れてきた。
「んー……」
 舌で陵辱されて、透耶の頭の中は真っ白になる。
 侵入した舌を受け入れ、更に求めて動き回る。
 息が出来ない程の深いキス。
 やっと鬼柳が離れた時には、透耶は上体を起こしている事が出来なくなっていた。
 それもそのはず。
「やば……病人にはきつすぎた……」
 抱き取った透耶は気を失っていたからだ。
 もちろん、この事で透耶が後で盛大に怒ったのは言うまでもない。  

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