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透耶が誘拐されて4日目。
別荘では、鬼柳が一人荒れていた。
ドアを乱暴に蹴って入ってくる。
「うるさいぞ、恭」
捜査会議をしていたエドワードが、睨み付けて鬼柳に言った。
一日、一日と時間が過ぎるにつれて、鬼柳は喋らなくなっていた。ただ怒って、辺りの物に当り散らす始末。
自分も捜索に行きたいのに、寸前でエドワードに止められる。エドワードが鬼柳を止める理由は、いくつかあった。
まず、夜通しで車を運転して絶対事故る。物に当たる癖があるので、器物破損で捕まらない様にするため。そして、犯人から連絡があって、それを報せたら犯人を殺しに行ってしまうからだ。
はっきりいって、どれも警察沙汰だ。
何とか透耶の名前を出して、捕まったら悲しむとか、誤摩化し誤摩化しで行動を制限している状況だ。
ここまで、犯人についての情報は幾つかあった。
透耶を乗せているらしき車を高速道路のパーキングエリアで目撃されていた。
中で榎木津光琉似の少年が寝かされていて、女の子の間で少し話題になっていたのを、パーキングエリアで働いている女性が聞いていた。
ドラッグストアで、包帯と消毒液、ピンセット、脱脂綿、ガーゼ、解熱剤などを購入した人物がいた。現在似顔絵を製作中である。
車の車種は断定出来たが、ここに勤めていたことのある人物のものではなかった。
しかし、ここのセキュリティに勤めていた人物で、現在行方が解らない男が一人いた。名前は断定出来ている。しかし、乗っている車は車種違いだった。
ここの別荘の持ち主に、何か恨みでもあるのかと調べてみると、若い男が一人いた。
その人物も現在、行方が解らない。この人物は車には乗っていなかった。
この二人の顔写真を持って聞き込みをしてみた。
この二人が数カ月前まで出入りしていた、この地元の飲み屋で意気投合しているのを店の主人が覚えていた。
もう二人、男が加わっているのが目撃されている。そのうち、一人は、地元でも有名な悪で、誰もが名前を知っていた。この人物の車の車種は別 だった。だが、車ごと行方が解らなくなっていた。
三人目までは、何者なのかは解ったが、もう一人だけが名前が解らなかった。
たぶん、ドラッグストアに明らかに傷手当て用としか思えない買い物をした人物が4人目なのだろう。
既に、三人の自宅などを張ってはいるが、そこに帰ってくる気配はないので、唯一名前が解らない人物の自宅辺りが、犯人のアジトなのだろう。
「ちっ、肝心の透耶の居場所が解んねえじゃあ、意味がねえ」
それが鬼柳の言葉だった。
そうして鬼柳を無視して、エドワードは捜査会議をしていた。
捜査員も自分の腕を見せつける場所でもあるので、どの顔も真剣だ。
「結論ですが、怪我をされているのは、透耶様とみて間違いはなさそうです」
捜査員の一人が言った。
これは既に情報を集めた段階で、鬼柳が気が付いていた。だから、余計に機嫌が悪い。
「だろうな、犯人が怪我をしていたとしたら、まず自分で病院に行っているだろう」
そう話している所に、エドワードの携帯電話が鳴った。
失礼、と断わって電話に出た。
「何だ。……え? 内容は」
一瞬にしてエドワードの顔色が変わる。
仕事の内容なのか、と誰もが思った。
「ほほう、そう来たか。構わん、この電話番号を教えろ」
エドワードは言いながら、ニヤリとした。
だが、その笑いが怖い。
上から人を見下した、馬鹿にした微笑。
電話を切ると、エドワードが鬼柳を見て言った。
「さっそくかかったぞ。透耶を誘拐した犯人から、私に身代金要求があった」
興味もなかった内容が、一気に関係ある内容に変わっていた。鬼柳は驚いて振り返った。
「なんで、お前の所なんだ」
身代金要求が来るなら、この別荘の持ち主に来るだろうと誰もが思っていた。もちろん、その手配もしてあった。
それなのに、エドワードを指定してきた。
「犯人は、ここを見張ってた訳だ。私が来た事を知っていて、ここの主人より、私からの方が確実で、身代金の額が違うと踏んだのだろう」
エドワードの言い分は、当たっていた。
しかし、鬼柳は納得しなかった。
少し考えてエドワードを見て言った。
「いくらだ?」
「五千万」
「俺が払う」
鬼柳がそう言ったものだから、エドワードを始め、捜査員までもが驚いた。
捜査員の驚きは、いくらエドワードの友人とはいえ、その金額を軽々払うというほど、鬼柳は金持ちには見えない見てくれをしているからだ。
ただ、エドワードは別の事が気になっていた。
「お前が?」
「クソじじいにでも頭下げてみるさ。俺の口座は何故だか凍結されててね。まあ、あれもじじいの金だからな」
何でもないというように、鬼柳は言って居間を出て行こうとしている。
それを呼び止めるように、エドワードが言った。
「条件を付けられるぞ」
鬼柳が振り返って、鼻で笑った。
「は! んなもん、金さえ戻せばいい。文句言わせん。金が戻らなくても、透耶が戻ればそれでいい」
最初の方は憎たらしいとばかりの悪態だったが、最後は穏やかな笑顔になっていた。
そこまで、鬼柳は透耶を思っている。
執着だけではない。心から思っていなければ、そんな笑いは出来ないだろう。
愛しい者の為には、自分の価値すら根底から覆す。
この男は、こういう男だっただろうか?
もしかして、自分でも気が付いていないのかもしれない。
エドワードは溜息を吐いて、両手を上げた。
「……お前がそれでいいのなら、私は何も言わん。だが、断わられたら、私が出そう」
「頼みにしてるぜ」
鬼柳は振り返りもしないで、執務室へ消えた。
鬼柳が連絡をつけてから、約数時間で一人の老人が別荘を訪れてきた。
「恭一様、お久しぶりでございます。エドワード様、御無沙汰しております」
60を越えているだろうに、すっと伸びた背筋で、身体を綺麗に折って挨拶をする。
エドワードが挨拶をしようとしたが、素早く鬼柳が言った。
「挨拶なんざぁ、いつだって出来る。宝田、持って来たか」
「はい、こちらにございます」
「まさか、上下だけで、中が新聞紙ってことはないな」
「滅相もありません。これは、恭一様を買った代金でございます。もちろん全て本物、御希望通 りに全てのナンバーは控えております。御自由にお使い下さいませ」
宝田はそう言って、黒いスーツケースをテーブルに置いた。
それを鬼柳が確認していると、エドワードが驚いた顔をして鬼柳を見ていた。
「お前、自分を売ったのか?」
「あのくそじじい、俺だったら五千万で十分だとかぬかしやがったんだよ!」
「さすが、叔父さんだ。だが、お前がその値段で買えるのなら、私が買ったのにな。今から五千万払うから、買われてくれないか?」
これは真剣に願い出た。
それだけの代金で、鬼柳を買えるのなら、安すぎるくらいだ。
この男の価値は、億出しても欲しい程。
「……お断りだ。それに俺は買われてやる気も、売る気もねえ。透耶も、金も全部取り戻して、犯人殺して、一件落着だ!」
鬼柳は真剣に言い放った。
「それは一件落着とは申しません」
宝田が冷静にツッコミを入れた。
エドワードを始め、SPまでもが力強く頷いた。
「うるせえ!」
そう鬼柳が叫んだ時、エドワードの携帯が鳴った。
出ると、相手は誘拐犯だった。
「君か。……今日、午後十時。ああ大丈夫だ、警察には報せていない。……所で、彼の傷の具合はどうなんだ? よかろう。既に用意出来ている。ああ、解った。次の指示を待つ」
エドワードはふうっと溜息を吐いて電話を切った。
それからすぐに別の所へ掛け始めた。
「おい、エド。透耶の様子は?」
「ああ、意識が戻ってないらしい。手当てはしたと言っているが、素人手当てじゃ、破傷風が気になる所だ」
それを聞いた鬼柳は舌打ちをして立ち上がって、居間を出て行った。
エドワードは、それを見送りながら電話の相手に言った。
「私だ。今、この携帯に連絡があった。……ああ、隣街の公衆電話。場所は、公園前。解った」
また次に電話を掛けた。
捜索をしている男達にである。
「その街の……公園前。全員集めろ。午後10時に受け渡しが決まった。犯人は最低二人は動くと思っていい。残りを確認してほしい」
エドワードは幾つか指示を出して、電話を切った。
そこへ鬼柳が戻って来た。
コートを着て、出かける準備をしている。
「おい、お前、何処へ行く気だ」
「あ? 俺には金の受け渡しなんか興味ねえ。そっちで勝手にやってくれ。場所が限定されてるなら、探しに行った方が確実だ。向こうで捜査してる奴に落ち合う」
「ここにいろ」
エドワードが強くそう言った。
だが、鬼柳は呆れた顔をして振り返った。
何寝惚けた事を言っているんだ、という表情だ。
「あのなあ。俺はもう何度お前の指示に従った? 限界なんだよ。じっとしてるのは性分じゃねえしよ。ああー解った、犯人見付けても半殺しにしとく。透耶を医者に見せる方が優先事項だからな。じゃな」
今まで素直に言う事を聞いていたのは、透耶の居場所が限定されないからだった。
ここまで解れば、自力でも探す事は出来る。
これはさすがに譲れなかった。
車に乗って飛び出して行った鬼柳を、宝田は呆気にとられて見て、エドワードに聞いた。
「エドワード様。透耶様とは一体?」
宝田は、透耶が鬼柳の友人だと思っていたが、ここまで真剣に行動する鬼柳を見た事はなかった。
ただの友人なら、助ける事はするだろう。特別な友人だからこそ、自分の価値を売ってまでお金を集めようとした。
だが、見ている限りでは、それだけの感情で動いている様には見えなかった。
「ああ、あいつおかしいだろう? どうやら本気になったらしいよ。なんていったって、最初に透耶を誘拐して監禁したのは恭の方なんだよ」
最初に誘拐という言葉に、宝田は不審な顔をした。
一体、どういう関係なのだ?
友人だからではないのか?
「といいますと? 透耶様は御友人ではないと?」
「私が聞いた所では違うらしい。海で拾ったと恭は言っている。まあ、透耶は素直で可愛い所もある、宝田は気に入ると思うけど」
いや、海で拾った訳ではないと思う。
強引に連れ去ったが正しいが、誰もそれに気が付いてない。
エドワードはそう宝田に説明して、手元に残っている透耶の写真を手渡した。
宝田は驚いた顔をした。
そこに写っているのは、まだ未成年の少年だったからだ。
確かに綺麗な少年と思う。姿形が華奢過ぎて、みようによっては、女の子と思えるくらいに、愛らしい姿をしている。
これでは、あの鬼柳の友人にはなれない。
つまり、透耶は鬼柳にとって、恋しい存在なのだ。
それは珍しい所ではない。初めてだ。鬼柳から行動して誰かを欲しがるなど、今までなかった。
「海で拾った少年ですか? それはまたおかしな。透耶様の御家族の方はどうなされているのですか?」
そう、未成年なら当然、家族がいるはずだ。
聞けば、少年はここ二週間程、ここで暮らしているという。
だが、いくら旅行とはいえ、男と男の、年の差のある友人関係では、疑いようがある。けれど、透耶が鬼柳と同じカメラマンを目指しているなら、この行動も解らなくはない。
家族にはそうした説明が出来るだろうが、宝田は知っている。鬼柳が、仕事以外で、人間にカメラを向ける事も、写 真自体を教える事はない。
だから、宝田には、透耶が鬼柳にとってどういう存在なのかは解っていた。
「さあ、特に恭は言ってなかった。透耶もそれについては心配はしてないようだったな。うん、弟が芸能人らしいという事だけは聞いている」
なるほど、家族の事が出ないということは、透耶には少なくとも親はいないらしい、と宝田は思った。
弟だけ、という状況、鬼柳が監禁まで行ったのは、心配する者が透耶にはそういないとふんだからだ。
何とも、用意周到な人だろう。
「そうでございますか。失礼、余計な詮索を致しました」
「いや、気になるのはお互い様だ。恭をあんなにした人物には会って置かなければならないんだろう?」
エドワードはこういう事には聡い。
宝田がどういう目的でここへ来たのかは、解っていた。
鬼柳が自分を売る真似までしてお金を集めようとした、助けようとしている人物を見ておく必要があったからだ。
「おや、見抜かれていましたか」
「金を届ける為だけに、宝田が出てくるのはおかしいだろう? 叔父さんにも命じられて、透耶を見に来たのだろう」
「いえいえ、ただの私の好奇心からです。深い意味はありません」
宝田はそう言ってにこりと微笑むと、素知らぬ顔をした。
食えないじじいである。
宝田の内心は行動しなければならない、である。
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