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結局宮本の話が出ないまま、二人は京都観光をして充実した時間を過ごした。
案の定、透耶の京都観光記念写真記録という名目で、透耶は写真を撮られまくっていた。
もういいと言っても鬼柳はやめないくらいだったから観光地とはいえ、これはどうよな展開だった。
京都を堪能して、東京へ帰る新幹線の中、透耶が思い出したように立ち上がった。
「あ、編集に電話しなきゃいけなかったんだ」
そう呟いて、透耶は携帯を取り出して席を立った。
それに石山がついてくる。
車両を出て携帯を取り出した透耶は、石山に向かって言った。
「あのね……今から電話する事の内容。恭には秘密にしてて欲しいの」
透耶にいきなりそう言われて、石山は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
透耶が何を考えているのか解らないが、何か知られてはいけないところへ電話を入れようとしているのは確かである。
透耶が電話をかけようとしている所は、エドワードに貰った宮本の電話番号にだった。
そこへかける。
京都にいる間に心の準備は出来ている。
だから大丈夫だと思いたった。
それも宮本からの指定の日であった。
「もしもし、宮本さんですか? 榎木津透耶です」
『やあ、指定日に連絡をくれてありがとう。ちょうどなのだが、同じ新幹線に乗ってるんだ。席を言うからそこまで来られるかな?』
意外や意外。同じ新幹線に宮本が乗っていたのである。
「はい、いきます」
透耶は頷いて電話を切った。
「ごめんね、石山さん、ちょっと付き合って」
透耶はそう言って宮本に指定された席を目指した。
石山は何となく訳が解ってきたが、透耶がどういうつもりでいるのは解らなかった。
「こんにちは」
席まで辿り着いた透耶は、宮本の顔を確認してから挨拶をした。
宮本も透耶を確認して微笑んだ。
「やあ、そこに座りたまえ」
空いている席を指差してそのへ座るように言われた。
透耶はそれに従って席に座った。
「失礼します」
透耶を守るようにして立っている石山を見て、宮本は石山にも席を進めた。
「この人は?」
そういえば、ホテルでもこの黒服の男が一緒にいたなあと思い出した宮本。
「SPの石山さんです。あの会話は聞いてても秘密にしてくれますから大丈夫です」
SPと聞いて、宮本は少し驚いたようだった。
透耶にSPをつけるという事は、何か事情があるのだろうが、そこまでして徹底的に守ろうとしているのが解る。
鬼柳はそこまで透耶を大事にしている。
「そうかね。ま、いいだろう」
SPである以上、透耶がここへ来た事は秘密にしているのは明らかだった。それも鬼柳には言わないだろう。
「何かお話が?」
透耶がそう切り出すと、宮本の頭もすぐに切り替えられた。
「恭の事なのだが」
そう切り出すと透耶もそれを予想していたようで、頷いてきた。
「はい」
やっぱりと透耶は思った。
「あれを仕事に行くように勧めてくれないだろうか?」
宮本の単刀直入の頼みごとに、透耶は唖然としてしまった。
「え?」
もう一度聞き返してしまう。
「君が言えば進んで戻ると思うのだよ」
そう言われて透耶は少し考えた。
それは自分もしてきた事。
仕事に行くように何度も進めたが、それはあのトラウマの為になかなか成功しなかった。
今では、鬼柳がそれを乗り越えられるようになるまで待つしかないと諦めていた。
鬼柳がカメラの仕事を嫌っている訳ではないのは解っている。いずれは仕事に戻るだろうという事も。
ただ時期と、鬼柳の気持ち次第になってきているのである。
「それは……確かにそうかもしれませんが……恭の気持ちが解らなくて」
透耶はそう言った。
鬼柳からはっきりと仕事に戻るとは聞いていなかったからだ。
すると、宮本が衝撃的な事を言ってきた。
「恭は、仕事には戻ると言っていた」
それを聞いて透耶は驚いた。
恭がそう言ったの?
本当?
「そ、そうなんですか?」
慌てて透耶は宮本に聞き返した。
すると宮本は、少し眉を顰めて言ってくる。
「ただ時間が欲しいと言われた」
「時間が、ですか」
確かに考える時間が欲しいとは鬼柳は言っていた。何の仕事をするにしても、考える時間が欲しいと。
その考える時間。
それはいきなり宮本と出会ってしまった事で、まだ心の準備が出来ていないのだと感じられた。
「君を説得する時間が欲しいのだと思ったんだが」
宮本はそう踏んでいた。
透耶が嫌がるとか、不安がるから踏み込んで話が出来ないから整理する時間が欲しいと望んだのだと。
この弱そうな少年から離れる事を不安がっているのであろうと。
だが、それを透耶は首を振って否定した。
「いえ、それは……そうじゃないと思います」
「そうじゃない?」
透耶から意外な言葉が出て、宮本は驚いた。
透耶に話す時間が欲しいのではないと、透耶は解っていた。だから、違うと言える。
「恭自身がただ怖いと思っているだけだと思います」
透耶はそうはっきりと言った。
それにまたも宮本は驚いた。
「君は怖いとは思わないのかい?」
宮本の質問に透耶は少し首を傾げた。
俺は怖いというより……。
違う感情がある。
「離れるのが怖いというより、不安です。恭からその話が出たらきっと覚悟していても泣いてしまうかもしれない……それくらい長く一緒にいたから……」
半年という長い間、離れないで暮してきた。
それが当たり前になっている今、鬼柳が側から離れてしまう事は辛い。それくらいに依存してしまっているのだ。
だから、不安であるし、鬼柳がその話を持ち出したらきっと泣いてしまうかもしれないと思ったのだ。
覚悟していても押さえられない感情がある。
その感情を押さえる事は出来ないだろう。
それだけ離れる事に不安を感じてしまうのだ。
「離れるのが不安なのか。なるほど」
恋人同士が離れる事を不安がる事は不思議ではない。
それにエドワードから聞いた情報では、透耶の周りには騒動が多い。それ故に鬼柳も離れる事を不安に思っているのであろうと思った。
だが、透耶には覚悟が出来ている。
それは、驚きであったし、意外でもあった。
絶対に嫌だと言われると思っていた宮本は少し拍子抜けしてしまっていた。
「すぐに会える距離ではないでしょ?」
透耶はそう質問した。
報道で海外に行く事は解っている。
でもどれだけ離れているのかとなると、それは週単位ではななく月単位である事は予想出来ていた。
「そうだね。二ヶ月三ヶ月は離れる事になるだろう」
宮本がそう答えると透耶は溜息を吐いた。
やっぱりそれくらい離れる事になるんだよね……。
「それに耐えられるのかと言われたら、今は耐えられないとしか言えないのです」
透耶は正直に自分の思いを伝えた。
そう耐えられない。だけどそれに耐えなければ、鬼柳が向かおうとしているモノへの挑戦を邪魔してしまう。
だから、相当な覚悟が必要だった。
「でも君は覚悟をしているように見える」
宮本はそう言った。透耶はそれに頷いた。
「ええ、それは覚悟してました」
そう最初から解っていた事だった。
「最初から?」
宮本は首を傾げて問い返した。
透耶は最初から覚悟をしていた。ただ今はそれが少し鈍っている。
「恭は休暇だと言っていたから、いつか戻るだろうという事は解ってました。でも理由が理由だったから、中々戻れなくて、本人もかなり悩んでいるようでした」
透耶はそう説明した。
鬼柳には鬼柳の理由がある。
だから、その理由、トラウマを克服するまでは鬼柳も仕事には戻らないだろうと、透耶はいつしか甘えていたのかもしれない。
透耶はそんな事を思ってしまった。
鬼柳が戻れない理由を自分が利用して側にいるんじゃないかと……。
「なるほど、君はその理由も知っているんだね」
宮本は納得した。
透耶が鬼柳のトラウマの原因さえも知っている。
知っているからこそそれを癒してきた。
それは凄い事だと宮本は感心した。
周りがどれだけ宥めたとしても、鬼柳はそれを受け入れなかった。それどころか、仕事を辞める決意までして逃げてしまったのだ。
その鬼柳をまた立ち向かわせる勇気を与えたのは、この透耶なのである。
「ええ、聞きました。写真も……」
そうイアソンの写真。
鬼柳はそれを持って、自分が心に抱えている問題を話してくれた。そして初めて泣いてくれた。
そうした事があって、鬼柳は少しは前向きにモノを考えるようになって行ったとは透耶は思ってもみなかった。
それは誰も知らない事である。
「そうか。君には見せたのか、あれを」
あの写真は鬼柳だけが保存してある。
ネガもないもので、誰にも見せないだろうと宮本は思っていた。それを透耶に見せて話までしている。
それは透耶と共に生きて行く事を決意していた鬼柳が、自分の弱さを見せる瞬間でもあったはずだ。
その弱さを透耶は受け入れてくれたのである。
そして鬼柳はそれを乗り越えようと考えだしたのだ。
「辛そうに話してました。あれが原因で仕事に戻れないんだって解って。でも他にも仕事はあるけど、どれも恭にはあわないと思いました」
色んな事を鬼柳はやってみた。
光琉のスナップを撮る写真や、カメラとは関係ないエドワードの仕事を手伝うサラリーマン。どれもやろうと思えばやれる仕事ではあったが、その全てを鬼柳自身が否定した。
それは、やはり報道という仕事しか出来ないという自分でも解っている感情があったからだろう。
「やっぱり報道だと?」
事情を知っている透耶が報道しか鬼柳の仕事はないと思うのは当然だろうと宮本は思った。
あれには、もう報道しかやれる道がない。
それに透耶は頷いた。
「はい。それは思いました。恭が仕事をするなら、報道しかないと」
それはずっと思っていた。
写真を撮るのは楽しいというのは、透耶を撮る時だけ。
その他は何でもないとただ撮っているだけだった。
でも報道の写真は違った。
そこにはちゃんと仕事としてやっていける器量があると透耶は見抜いていた。
「なるほど、君は君で考えていたわけだ」
宮本は感心させられていた。
そこまで相手の事を見抜いて、しかも真剣に考えてくれる相手が透耶なのだ。鬼柳が透耶を選んだのは偶然ではなく、運命だったのかとさえ思えてしまう程だ。
透耶は自分の事より鬼柳の事を思い遣る心がある。
それが鬼柳が透耶を思い遣る心へと変化させてきたのだろう。そうして二人は上手くいっているのである。
まさに運命的に出会った二人だった。
「考えます。恭の為ですから」
透耶は笑って答える。
「恭の為か……」
「はい」
透耶は再度笑って頷いた。
「君の為にもなるとは思う」
宮本はそう言っていた。
相手の事を思うという事は、自分の事もきちんと考えている証拠だからだ。
この幼い少年には不思議な力が宿っているとしか思えない。
だが、そう言われた透耶は少し苦笑していた。
「それは、もう言われてきました。解っているのに、離れられなくて」
……頭で解っていても感情がついてこないんだ。
そう透耶は自分の心を分析していた。
「どうしたらいいのか解らないと」
それは解ると宮本は言った。
「はい。だから宮本さんが現れた時には、もう考える時間は終わったんだと思ったんです」
そう運命の人。
この人が鬼柳の心を決めてくれる人だと透耶は感じていた。京都で出会ったのは偶然ではなく、運命だったのだろうとさえ思えた。
まさに誰からも少し離れるようにと言われていた矢先に現れた最後のカードだからだ。
「私が?」
宮本はキョトンとしていた。
透耶は少し笑って言う。
「恭にとっては、宮本さんは師匠でありボスなのでしょ? その人から戻って欲しいと言われたら、恭は戻ろうと考えると思ったんです」
正直にそう言った。
それで鬼柳の心が決まるだろうと。
きっと、戻ると答えるだろうと。
それだけは解っていた。
だけど、京都にいる間は、その話を避けていた。
今だけは、それを抜きで本当に旅行を楽しみたかったからだ。帰ったらきっと鬼柳は仕事へと戻るだろうと。
「なるほど、それで戻ると言っていたのか」
やっと納得が出来た宮本。
吃りながらでも、鬼柳ははっきりと戻ると言ったのだ。
それはちゃんと仕事の事を考えて考えての事だったのだ。
「だから、宮本さんはいい機会になると思います。俺にも恭にも」
透耶はそう思っていた。
後は、鬼柳が決める事。
でもその後押しは自分がしたいとも思っていた。
あの不器用な男は、それを口にする事を躊躇うだろうから。透耶は最初から決めていた事を実行する勇気が出た。
「君たちの背中を押すのは私という訳だね」
「はい。そうだと思います。他にいないと」
「なるほど」
宮本は、透耶の考えを聞いて少し考えた。
「再度聞くが、君は私が恭を連れて行っても構わないというわけなんだね?」
これだけは確認しておかなければならないというセリフ。
透耶はそれに笑顔で答えた。
「戻ってくる場所が俺の所なら、何処へ行っても俺は待っています」
本当の笑顔で透耶はそう答えていた。
何処へいっても、鬼柳が自分の所へ戻ってきてくれるなら、それでいいとさえ思った。
いや、鬼柳に戻る場所を与えてあげる事が出来るのは自分しかいないとさえ思っていた。
「なるほどね……そういう考えていてくれる事が嬉しいよ」
宮本はそう言って微笑んだ。
「いつまでも一緒という訳にはいかないとは解ってましたから、いつかは訪れるものだから」
最初から決まっていた事。
鬼柳は鬼柳の仕事に戻るだけの事。
ただそれだけなのだ。
「寂しくても我慢をするというのだね」
「寂しくなると思います」
透耶は苦笑いで答えた。
寂しくないと言ったら嘘になる。
寂しいに決まっている。
こんなに長い時間過ごしたのだから当然だ。
「恭の事は好きかい?」
宮本は優しい笑顔でそう聞いてきた。
透耶はそれは最高に優しい笑顔で答えた。
「はい、大好きです。愛してます」
それだけは変わらない。
一生に一度の恋だと決めた瞬間から、鬼柳以外愛さないと決めた。だから、どんな事があってもそれだけは変わらない。
「良かった。恭の相手が君のように話の解る人間で」
「俺も良かったです。恭の師匠っていう宮本さんが優しい人で」
透耶がそう言ったので、宮本は少し驚いていた。
「優しい?」
「はい。だって恭を連れて行くなら、無理矢理にでも出来るのに、こうして待ってくれているでしょ? だから優しいと思って」
「ふむ」
透耶にそう言われて宮本も今回は本当に優しく接していたなあと思ってしまった。
それは変わっていた鬼柳と、その鬼柳を愛していると答える少年透耶の存在がそうさせているのだと思えた。
宮本との話はそれで終わりだった。
後は、東京で鬼柳が宮本に連絡を取るか、透耶に打ち明けてくるかのどちらかしか残っていない。
車両に戻る途中で、全ての話を聞いていた石山が透耶に聞いた。
「これは鬼柳様には内緒なんですね?」
「お願いします」
透耶は真剣に石山に頼んだ。
「解りました」
石山はそれを受けてこの会話の事を黙っている事にした。
家に帰り着くと、玄関で宝田とクロトが待っていた。
「ただいま、宝田さん」
荷物を玄関に置いて透耶はニコリと笑いかける。
宝田も笑って頭を下げた。
「お帰りなさいませ、透耶様」
「ただいま、クロト」
透耶がしゃがんで頭を撫でてやるとクロトは上機嫌なのか喉を鳴らしている。
抱いて上がると、クロトは顔を舐めてくる。
「ごめんね、寂しかったよね」
透耶は言ってクロトを下ろす。
クロトは透耶の足下をうろうろしている。
その後ろから鬼柳が入ってきた。
宝田は頭を下げた。
「おかえりなさいませ、恭一様」
「ただいま。これ、土産だ」
そう言って鬼柳は幾つかの袋を宝田に手渡した。
それは家のものではなく、宝田自身へのお土産である。
「これは、有難うございます」
宝田は嬉しそうにそれを受け取ってから、玄関の端にそれを置いて、鬼柳が持っていた他の袋も受け取る。
お土産は沢山買ったり貰ったりしたので、送ってくる分もあったのだが、それは既に到着していたようだった。
「お疲れになられたでしょう」
京都で起こった事件の事も含まれていた。
宝田が透耶から連絡を受け、心配をして家で待機していた。結局何もしないで鬼柳は見つかったのだが、それは心配していた。
「いや、別に。心配かけて悪かった」
鬼柳はそう答えて荷物を運んで行く。
着替えはホテルのクリーニングに出していたので、後はクローゼットに仕舞うだけでよくなっている。
それを荷物から出して片付けて行く。
それに宝田が着いてきていた。透耶の服とかも沢山あったからだ。それをSPの二人から受け取って上がってきたのである。
他にも京都土産があったので、それを宝田に渡した。
無言で作業をしている鬼柳に宝田が尋ねた。
「京都で何かありましたか?」
宝田が申し訳ありませんがと言ってから鬼柳にそう聞いた。
「は? 何でだ?」
作業をしていた鬼柳は不思議そうな顔をして宝田の方を振り返った。
「それが、宮本様から先日の事でとお電話がございました」
その心配する意味を報告する宝田。
するとそれを聞いた鬼柳は驚いた顔をした。
「ボスから?」
何故、この自宅の番号を。と思ったがエドワード辺りから聞き出していたのだろうと思った。そうすれば納得出来る。
「はい、今日の事です。恭一様がお戻りになられる前でした」
「そうか、それで」
鬼柳は溜息を吐いて続きを聞いた。
ここまで急いで宮本が連絡してくるとは思ってもみなかった。こちらから連絡をすると言ったのだが、どうやら宮本にも都合があるようだった。
「落ち着かれたら連絡が欲しいとの事でした」
「解った」
鬼柳が頷いたのにそれでも宝田は下がっていかない。
「どうした」
鬼柳は全ての服をしまい終わっても尚、動かない宝田が不思議だったのか、首を傾げて聞いた。
宝田は、少し言い淀んでから鬼柳に単刀直入に聞いた。
「お仕事のことでございますか?」
宮本から連絡があるという事はそれしか考えられないからだ。京都で宮本と再会した鬼柳がそんな話をしたのかもしれないと思ったのである。
「まぁ、そうだな」
はっきりと決めてはいるが、何故か問いつめられている気がして鬼柳はそんな返事をしてしまう。
「再開なさるおつもりでしょうか?」
宝田はそこが気になるらしく、しつこく聞いてきた。
再開するならするで心の準備が欲しいのは、何も鬼柳だけではなかった。宝田もまたその心の準備が欲しいらしい。
それが解って鬼柳は頭を掻きながら正直に答えた。
「そうしようと、思っている」
すると、宝田はハッとして鬼柳に聞いた。
「それを透耶様には?」
一番心配なのは、そこだった。
透耶とせっかく上手くいっているのに、今離れてしまうのかという意味だった。
透耶が京都でそれに納得したのだろうかと思ったのである。
だが、そうではなかった。
「まだ話してない。落ち着いてからと思って言い出せてないんだ。だから宮本の名前は出さないでくれ」
鬼柳はそう頼んだ。
宮本が何者か分った今、透耶の前でその名前を出す事は、仕事の事を仄めかせていることになる。
それだけで透耶が不安になるかもしれないと鬼柳は思ったのだ。
「そうでございますか、解りました」
透耶にはまだ話してないと解って、宝田は納得して頷いた。
透耶が聞いたら不安になるだろうし、それはきちんと鬼柳が話すつもりでいるのも分ったからだ。
鬼柳は宝田をしっかりと見て言った。
「前にも言ったが、お前には、ここで透耶を見ていて欲しい」
それはここを離れてしまう自分が透耶をずっと見ていられないからこその頼みだった。
前にも鬼柳は同じような事を宝田に頼んだ。
宝田はそれを思い出して笑顔で答える。
「それはもちろんでございます」
鬼柳がここを離れるならば、透耶を守るのは自分の仕事であると宝田は心に誓っていた。
透耶が快適にいられるようにするのも執事の仕事であるが、宝田個人が透耶が幸せでいられるようにして上げたかった。
鬼柳はそれから何か思い付いたように、宝田に言った。
「それから手配したい事があるんだ」
「なんでございましょう?」
何でもするとばかりに宝田は身を乗り出して聞いた。
「ある人を探して欲しい」
それは意外な事を頼まれて、宝田はキョトンとしてしまう。
まさか人探しを頼まれるとは思っても見なかったからだ。
「人ですか?」
再度聞き返してしまう。
「ああ」
そう頷いて鬼柳は宝田にその人物の名前を告げた。
それは意外な人物で、一体何の為にと宝田は思ったが、それはちゃんと鬼柳から説明された。
鬼柳に頼まれた人探し、二日で簡単に見つける事が出来ていた。
その人物が今目の前にいる。
鬼柳はその人物を椅子に座らせて言った。
「久しぶりだな」
本当に4ヶ月ぶりだった。
鬼柳の言葉を聞いて、その女性も頭を下げて挨拶をした。
「お久しぶりです。私を探していたと聞いて、何かと思いました」
女性は事情ははっきりと宝田の手配した者からは聞いていなかった。ただ探されているとだけで、会いたがっているとの事でわざわざここまで出向いてきた。
鬼柳は女性が元気そうに働いていたのでホッとしていた。
あの人物との接触はもうないらしい。
「いや、ただ頼みたい事があっただけなんだ」
鬼柳はそう切り出した。
女性は頼みごとと言われてキョトンとする。
「何を?」
問い返すと、鬼柳は言った。
「この家でメイドとして働いて欲しい」
そう鬼柳はこの人物にならメイドとして透耶を任せられると思っていた。そして宝田に探して欲しいと頼んだのである。
「私がですか?」
女性は驚いた顔をして鬼柳をみた。
この頼みごとは意外だったからだ。
「ああ、そうだ。ダメか?」
鬼柳はいきなりの事なので、覚悟もいるだろうとは思っていたが、他に任せられる者はいないと思っていた。
その頼みが必死であるのは、女性にも分った。
なんの為に自分が選ばれたのか。
その意味はちゃんと通じていた。
「いえ、そういう事でしたら出来ますけれど。本当に私でいいんですか?」
再度、女性は鬼柳に確認した。
本当に自分でいいのか。
間違っていないかどうか。
「あんただから信用出来る。透耶を守ってくれるだろ」
やはりの言葉だった。
鬼柳が守りたいのは、透耶だけ。
そのあの時の少年だけなのだ。
その為なら、こんな自分にも頭を下げるような男なのだ。
女性は頷いた。
覚悟は出来ていた。
「それはもちろん」
女性ははっきりと答えられた。
あの少年を守る事は何故か運命のような気がしたからだ。
「じゃ話は決まりだ」
鬼柳はそう言って、女性に握手を求めた。
女性も快くそれを受け入れた。
そんな事が起こっているとは知らない透耶。
「恭? あれ、お客さま?」
ちょうど夕方になった所で、透耶が居間へと入ってきた。
居間へ入ると、鬼柳が女性と何か話をしている。
それも真剣そうだったので邪魔をしてはいけないかと思ったが、鬼柳に女性の客というのが気になって聞いてしまった。
「ちょうどいい、透耶こっちへ」
鬼柳に呼ばれて透耶が近付いて行くと、客人であるのが誰なのか、透耶にもはっきりと解った。
「つ、司さん? 司さんでしょ!?」
……一体、どうして司さんがここにいるの?
透耶は混乱して、鬼柳を見上げる。
司は、あの身代金誘拐の時に自分を守ってくれた人である。
はっきりと覚えている。
山田司。
あの事件で、犯人から自分を守る手段をこっそりと教えてくれて、最後は自分の身がどうなろうともと透耶を助けに来てくれた人である。
その感謝は透耶も忘れていない。
だがどうしてここにいるのかが解らなかった。
「どうして?」
何故?
不安そうに鬼柳を見上げて聞くと、鬼柳は笑って答えた。
「メイドとして働いてくれる事になった」
意外な鬼柳の言葉に透耶はキョトンとしてしまう。
「え??」
メイド?
何でそんな話になってるの?
鬼柳が自分からメイドにと、司を選んだのは何故なのか。
透耶には意味が解らないものだった。
鬼柳は再度笑って透耶の頭を撫でた。
「これから人手もいるし、司なら信用出来るからな」
鬼柳はそう説明した。
何故人手がいるのかは解っている。
鬼柳が居ない間、エドワードに雇われてた時、宝田1人では家の事が少しおろそかになっていたのもあった。
それにすぐに透耶は鬼柳が仕事に出てしまう覚悟をはっきりと決めたのだと悟った。
「メイドさんに?」
透耶は本当にそれでいいのかと司に尋ねた。
司は苦笑したようにしていてたが、透耶に会えたのは素直に嬉しかった。
そして頭を下げて謝ってくる。
「あの、前は迷惑をかけてしまったんですけど」
あの時の事を詫びてくる司に透耶は慌てて言った。
「迷惑なんて、そんな! 俺助けて貰ったんだもの。また会えて嬉しいです! 司さん、宜しくお願い致します」
本当にまた司に会えたのは透耶も嬉しかった。
自分を守ってくれた人である。
感謝こそすれ謝られる事など何もないのだ。
透耶が慌ててそう言ってくるので、司は笑って答えた。
「宜しくお願いします」
今度はメイドらしく、丁寧に頭を下げて透耶に宜しくと言ってきた。透耶も嬉しくて仕方ないとばかりに、司の手を取って、そそかっしい俺だけと宜しくですと笑顔で迎えた。
「それではさっそく、部屋に案内をして仕事の説明をしましょう」
そう言って宝田が司を連れて行ってしまうと、透耶はくるりと鬼柳の方を振り返った。
「どういう変化?」
前はメイドを置く事すらピリピリして、取り合ってさえくれなかったのに自分からメイド候補を探してきているのだから、透耶が驚くのも無理はなかった。
「人手が必要だと思ったからだ」
「それだけ?」
透耶は今度は仕事の事を言うだろうかと思って聞いたのだが鬼柳はそんな言葉を言わなかった。
「それだけだよ」
そう答えられて透耶はムッとして鬼柳に聞く。
「恭、俺に話す事ないの?」
鬼柳の顔をしっかり持って聞き返した。
さあ、早く仕事の事を言えとばかりに覚悟して聞いたのだが。
「何を?」
と鬼柳はやはり言ってくれなかった。
……何をって恍けてる。
透耶には解っている。
自分がいなくなるから、その補強に人の手を入れなければならないと思ったからだろう。
それを隠したまま鬼柳は自分が居なくなった時の為の準備をしているのだ。
司を呼んだのも、透耶が信用していて、更に透耶を大事にしてくれる人物を自分で探しておきたかったからだ。
そうやって着実に準備を進めて行くのだ。
そんな鬼柳のやり方。
透耶は何故かもどかしかった。
もっと早くに言ってくれればとは思うが、内心だんだんと鬼柳からの告白が怖くなってきている。
だから、早く言って欲しいのだ。
けれど、鬼柳は何か考えているのか、中々仕事の事や宮本の事を口にする事はなかったのである。
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