Switch 24

1

 ホテルに戻った二人は、やっと事件が解決したのだと思った。
「何だか、すごくホッとするね」
 透耶がそう言うと、鬼柳もホッとした顔を見せた。
 なのだが……。
「やっと透耶とセックス出来る」
 などと呟くものだから、透耶は真剣に怒ってしまう。
「ど、ど、どうしてそう言う事言うの!?」
 ……なんでそれしか考えてないわけ!?
 そう突っ込みたい気分である。
 やっと会社での仕事も終わって、本来の目的であった京都観光が出来そうな所なのだが、どうもそんな気分にはなれなかった。
 疲れていたのもあるが、それよりもという鬼柳の言葉があったからだ。
「透耶の両親の墓参りに行こう」
 鬼柳が言い出したのはそれだった。
 透耶の両親の遺骨すらない墓ではあるが、魂はそこにあると鬼柳は思っていた。
 それを言われた透耶は、感動してしまった。
 遺体はなくとも魂はちゃんと帰ってきていると言われた事を嬉しく思った。
 そして京都のお墓にお参りをしなかった事を悔やんだ。
 そういう風に考えれば、光琉のように毎年ちゃんと欠かさずに墓参りをしただろう。
 だからなのか、鬼柳はそれを感じたのか、墓参りを先回しにしてくれたのだ。
 ……こういう所は叶わないなあ。
 そんな事を思ってしまう。
 鬼柳は透耶の為になら何でもする。
 こういう気遣いもしてくれる。
 それは嬉しい事だった。



 透耶の両親の墓は代々続いている榎木津の家の墓の中にある。そこには同時に無くなった祖父の遺骨も入っている。
 お墓参りの道具も借りて、透耶は両親が好きだった花の百合を沢山買った。
「墓参りって、菊とかじゃないの?」
 と不思議そうに聞く鬼柳。
「別に何でもいいんじゃないの。どうせなら両親の好きだった花の方がいいと思って」
 透耶は笑って答えた。
 柚梨という名前に相応しいかった母親は、本当に百合が似合う女性だった。
 ことあるごとに百合を送っていた伯母の朱琉の真似ではないが、これが一番いいと透耶は思っていた。
 命日には墓参りに来られそうにはない。
 たぶん、これが今年の最後の墓参りになるだろう。
 そう思って、百合の花を奮発した。

 榎木津の墓は、周りから見ても大きな墓だった。
 大きな墓の横には享年を記したものがある。
 それも綺麗に掃除をして、花と線香を備えた。
 鬼柳は享年とかかれた所を見ていた。
 確かに二人の年齢は40才と記されている。
 呪いのお陰で遺体すら見つからなかった悲惨な事故。それを物語るような感じに思えた。
 呪いの謎は解けないままであるが、それでも葵が言ったように寿命までどれだけ幸せだったのかが問題なのだと鬼柳は思うようになっていた。
 透耶を大切にしていく。
 愛して愛して、守る。
 墓に合わせて手を合わせながら鬼柳はそう思っていた。
 透耶は、ちゃんと両親に鬼柳を紹介していた。
「俺の一番好きな人だよ……今、幸せだから安心して」
 透耶はそれを口に出して言っていた。
 本当に幸せなのだ。
 それで両親が安心してくれるなら何度でも言える。
「卑怯なやり方だったけど、透耶を幸せにする」
 鬼柳は自分の行いを反省しながらも、どうしても透耶を欲しかったと報告していた。そしてこれからも透耶の幸せを自分が守っていくのだと誓う。
「結婚報告みたい」
 透耶が照れならがそう言った。
 鬼柳もそうだなあと笑いながら言う。
「本当に結婚出来るといいな。ま、今のままでもいいけどな」
 鬼柳がそう言って立ち上がった。
 透耶も一緒に立ち上がる。
 どんなに悲惨な最後を迎えようとも、共にいられるならそれでいい。
 両親がどれだけ幸せそうだったのかは、透耶が一番解っている。あの二人は人生を謳歌して生きて逝ったのだ。
 そう今になって納得出来るようになった。
 何年も否定し続けていたものが、ここへ来た事で浄化された気がした。
 これでまた一つ、透耶の中の浄化出来なかった逃げてきたモノから立ち向かえるものへと変わった。



 次に鬼柳が行く場所を決めたのは榎木津の本家だった。
 透耶の祖母に会うのが目的。
 透耶も京都へ来てから祖母に鬼柳を会わせるつもりはあった。ちゃんと紹介して、理解してくれなくても、これからは二人で生きて行くのだときちんと報告したかった。
 そんな訳で、二人は墓参りを終えると、榎木津の本家に向かった。
 榎木津の本家は、やはり大きな屋敷だった。
 日本家屋だが、玲泉門院よりは少し小さめである。
 あそこまで大きな屋敷ではないけれど、それでも大きかった。
 道理で透耶が大きな屋敷にそれほど驚かない訳だ……と鬼柳は独りで納得してしまった。
 玲泉門院に本家。
 この二つに出入りしていたのだから、当然と言えば当然かも知れない。
「今、家にいるのはお祖母様だけなんだ。1人で寂しい思いしてるかもしれないけど、出入りしている庭師とかは昔のままだし」
 透耶はそう説明してくれた。
 借りたレンタカーでそのまま門を潜って、駐車場に止める。
 維新がいた頃は人の出入りも多かったので、小さいながらも駐車場があるのである。
「大きいな」
 鬼柳がそんな感想を漏らした。
 日本家屋で大きな屋敷を見るのはこれが二度目らしい。
「大きいだけだよ。管理とか大変みたい」
 透耶は苦笑して答えた。
 それもそのはず、庭の手入れだけでも1人では出来ないし、掃除にしても大変だ。
 そこに祖母が独りで暮しているというのだから、大変さは増すだろう。
 だが、この家さえ透耶の資産なのである。
 それを考えると、透耶の総資産がどんなものか想像出来る。
 よく今まで誘拐されなかったものだと思った鬼柳である。
 京都にいない分、マシなのだろう。
 これで、透耶は京都に居られない理由の一つが解った。
 京都で玲泉門院が有名なのは解っているが、榎木津もまた有名資産家なのだ。周りが放っておく訳はない。
 その為、地元を離れる事で透耶の負担も少しは楽になるのだろうと鬼柳は思った。
 ……大変だなあ。


 透耶は慣れたように、玄関へと向かう。
 鬼柳は少し落ち着かない様子で周りを見回していた。
 玲泉門院では受け入れて貰えたが、ここで受け入れてもらえるとは言えないからだ。
 透耶を苦しめる結果にならない事だけを祈る鬼柳。
 玄関のチャイムを押す前に、既に70才を超えた老女が玄関で立って待っていた。
 透耶が軽く頭を下げると、向こうも頭を下げてきた。
 誰だろう?と鬼柳が不思議がっていると透耶が紹介してくれた。
「俺のお祖母様」
 そう鬼柳に紹介して。
「こちら鬼柳恭一さん。今一緒に暮している人。俺の大切な人なんだ」
 透耶は簡単にそう説明した。
 祖母は少し驚いた顔をしたが、すぐに冷静な顔に戻った。
「どうぞ、玄関先では何ですから上がって下さい」
 そう言って中へと進めてくれた。
 祖母だと聞いていたから、もっと年老いた人を想像していた鬼柳は、目の前でキビキビと動く透耶の祖母を見て納得していた。
 遺産相続で散々揉めて、透耶を罠にかけて遺産相続させた人だけの事はある。
 透耶の紹介にも動じずに、鬼柳を中へと通してくれるのだから。
 中へ入ると、居間へと通された。
 玲泉門院同様の和室であるが、そこからは大きな庭が見える場所だった。
 二人で座っていると、祖母がお茶を運んでくる。
 本当に1人で暮しているようで、全てを自分でやっているようだ。
「透耶さんがここへ来るのは2年ぶりですかね」
 そうお茶を出しながら祖母が呟いた。
「本当にすみません」
 透耶は頭を下げて謝った。
「構いませんよ。ここはいつでもありますから。それに整理はついたようですね」
 祖母は何もかも見抜いているようで、透耶にそう言う。
 透耶が京都に来られない理由を祖母は知っている。
 両親や祖父が死んだ事に負い目を感じているからこそ、余計にここへは来られなかったのだと。
 だが知っているからこそ、そっとしておいてくれる。
 自分で解決しなければならないのだと解ってくれている。
 それが透耶には嬉しい事だった。
「はい、やっとお墓参りもしてきました」
「そうですか。それはあの子達もあの人も喜んでいるでしょうね」
 祖母はゆっくりとした口調でそう言った。
「ババの事など忘れてしまったのかと思いましたよ」
「いえ、あの、京都にきてから色々あって」
 ここへすぐに来られなかった事を透耶は申し訳ないと思っていたのですぐに謝った。
「いえいえ、事情は玲泉門院さんから聞いてますよ。大変でしたね」
「あ、聞いていたんですか。それなら説明しなくてもいいですね」
「大まかにですけど。大変だったとだけ」
 祖母は笑ってそう言った。
「でも、こちらへお寄りになられると聞いてからは、嬉しかったですよ」
「そうですか?」
「孫に久しぶりに会えるのを喜ばない祖母はいませんよ。それに、こちらの方」
 祖母は言って鬼柳を見た。
 その目には涙が浮かんでいた。
「大切な人が出来たのですね」
「はい。とても大事な人です。だからお祖母様には紹介したかったんです」
「そうですか。自己紹介がまだでしたね。私は透耶さんの祖母の由加里と申します」
「鬼柳恭一です」
 鬼柳は短く自己紹介をした。
「透耶さんから色々聞いているようですね」
「そりゃ、お祖母様抜きで話は出来ないし」
「ほほほほほ。余程偏屈なおババだとお聞きになられている事でしょうね」
 祖母は笑ってそう言った。
 透耶は祖母の事をかなりの変わり者だと鬼柳には話していた。
 本当に困った人だとも。
 この様子を見ていると普通の良い所の老人に見えるが、どこが変わり者なのかは鬼柳にはまだ解らない。
「だって、お祖母様の逸話って言ったら遺産相続の事しか出て来ないもん。あ、あれって罠だったの!?」
 透耶は思い出したように祖母に聞く。
「あらら、今頃お気付きですか? 罠ですよ罠。透耶さんなら引っ掛かるとは思ってましたけど見事でした。我ながらよい考えだと思ったのですよ」
「あ、やっぱり!」
「光琉さんは気が付いてましたよ」
「え? 光琉気が付いてたの!?」
「光琉さんは元から相続を放棄してましたし、私がやりそうな事だと後で笑ってましたよ」
「うそー」
 ……誰か嘘だと言って……
 透耶は鬼柳に指摘されるまで気が付かなかったのである。
 つまり、1人だけ罠にはめられていたのであった。
「大体そんなややこしい事しなくても良かったのに……」
「あら、そうでもしないと、あの人の遺言通りにはならなかったのですもの。あの人は透耶さんに自分の遺産を継がせたかったのですよ。今まで透耶さんが従順だった分、悪く思っていたのでしょうね。遺言を書き換えたのは、亡くなる一週間前でしたから。私はその見届け人として立ち会うように言われていたのですよ」
 なんてことないとばかりに当時の事を暴露する祖母。
 ……皆知ってて……。
 透耶は1人で頭を抱えてしまう。
 道理で光琉まで一緒になってサインさせようとした訳だ。
 会社関係はもう親族に譲る手筈になっていて、個人資産だけ透耶に継がせようとしていたのである。
 まさに鬼柳が言った通りだったのだ。
「罠にかかってくれた時は嬉しかったわ」
 のほほんと言われて透耶は返す言葉がない。
 まったくなんて祖母なんだ……。
 その相続の件に関してさえ、祖母は楽しんでやっていた事になる。
 透耶が罠にかかるのを見て高笑いをしていたに違いないと透耶は思った。
 もう今更相続放棄は出来ないから、批判も出来ない。
 呆れるしかない状態であった。
「やっぱり罠だったんだな」
 鬼柳がそう呟く。
「貴方は話を聞いてすぐに解ったようですわね」
 祖母は愉快そうに鬼柳に言った。
「解った。透耶は慌ててたから罠にかかったみたいだけど、話を聞いていてすぐに、これはそういう罠なんだと気が付いた」
 鬼柳はそう答えた。
 すると祖母はニコリとした。
 鬼柳さえ気が付いた事。それを指摘されるまで透耶が気が付かなかったのが不思議ではあるが、それだけ天然なんだという事である。
「俺だけなの……」
 透耶は頭を抱えていた。
「透耶さんは慌てん坊ですからね。同じ事を光琉さんにしたら、その場で言及されたでしょうね」
 祖母はやはり愉快そうに笑ってそう言う。
 ……俺ってやっぱり馬鹿だったんだ……。
 透耶は改めてそう思った。
「ま、そこが透耶の可愛い所なんだよ」
 鬼柳が慰めにもならない事を言う。
 どういう意味だよ……と聞き返そうとしたが、それに祖母が同意をしたのである。
「よくお分かりですね。透耶さんのそういうところが可愛くて仕方ないのですよ」
「だよな~」
「ですね」
 妙な所で意気投合する二人。
 話し合いは、そのまま透耶のボケっぷりを鬼柳が話して、それに祖母が大笑いをしながら同意している展開になってしまった。
 こんなに話が合う二人だったの~?
 と独り、自分のボケっぷりを披露されてしまっている透耶はただただ頭を抱えるだけであった。
 散々透耶の事を話ていた二人にとうとう透耶の方が力尽きて、庭を散歩すると出て行くと、鬼柳と祖母は一気に黙りこくってしまった。
 透耶は庭をブラブラとしている間、二人は見つめあったままで言葉は出なかった。
 ここから何か重大な話でも始まるのだろうかと鬼柳は緊張していた。
 透耶を困らせない為にわざと話を合わせていただけなのかもしれないという予感さえした。
 祖母はお茶を入れ変えると、やっと鬼柳に向かって話を始めた。
「透耶さんと、同棲なさっているのですね」
 それが本格的な話のきっかけだった。




 静かに始まった透耶の祖母からの質問に鬼柳はゆっくりと頷いた。
「そうですか……あの子も人並みになれたという事ですね」
 祖母はそうした感想を漏らした。
 遠くで木々を見つめている透耶を眩しそうに眺めていた。
 それから鬼柳の方を振り返った。
「あの子は、人様と関わる事を拒絶した子でしたから、この先どうなるのかと思ってました」
 本当にそれが心配だったとばかりの言い方だった。
 鬼柳と出会った時の透耶はそうだった。
 鬼柳と関わる事を恐れ、ただ愛される事を怖がっていた。それから逃げようと何度もしていた。
 それを逃げないで考えるようになったのは、透耶の好きな沖縄に行ってからの事だった。
 透耶から自分の過去を話し始め、沢山昔話をしてくれた。
 そうして透耶は真直ぐに鬼柳を向き合おうとしていたのである。
 深く関わる事で透耶はしっかりと逃げてきたモノからも向き合おうとしていた。
 その努力はずっと鬼柳も見てきた。
 見守ってきた。
 そうして変わった透耶を祖母は眩しそうに見つめている。
「同棲の意味は解ってると?」
 鬼柳は単刀直入に聞いた。
 ただの同居なら話は別だが、同棲となると話は違ってくる。
 恋人同士、世間ではまだ完全に認められていない関係であるという事を祖母が理解しているのかというのが不安だった。
 だが返ってきた答えは淡々としたものだった。
「ええ」
 それだけだった。
 関係を知っていても、それを認めるというもの。
 鬼柳は首を傾げて、祖母に聞いた。
「反対はしないのか?」
 何故反対されないのかが不思議だったからだ。
 これだけ格式ある家なら、しかも透耶は当主にあたるのだ。
 それを祖母が簡単に賛成するとは思えないのである。
 その不思議顔の鬼柳を見て祖母は少し笑った。
 反対されない事が不思議という顔が可笑しかったのだ。
 それから笑いを収めてから話し出した。
「反対ですか? 普通ならしたでしょうが、知ってらっしゃるとお思いですが、あの子は玲泉門院の子です」
 祖母ははっきりとそう言った。
 玲泉門院の子だから認めるのだと。
 だが、まだ何かありそうな言い方だった。
「ああ。それと何か?」
 鬼柳は続きを聞いた。
 祖母は続けて話をした。
「普通の子であれば、私は反対したでしょう。でも呪いを受けた身。あの子は、自分の子供を残そうとしません。そういう子です」
 祖母ははっきりと言い切った。
 伊達に透耶の祖母をやっている訳ではない、透耶の性格は良く知っている。だから、透耶が自分と同じ目に合うかもしれない子供を残そうなどと考えるはずはないと思っていた。
 玲泉門院だから。それだけの理由で全てが片付くのだ。
 祖母もそれを承知していた。
「次世代に辛い思いをさせたくないからか?」
 鬼柳も透耶はそう考えるだろうとは思っていた。
「あの子がそう考えそうでしょう?」
「まあ、確かに」
 言われて頷いてしまった。
 透耶ならそう考える。
 自分が告白する時ですら、透耶はあれほど迷ったのだ。
 そんな思いを自分の子供にはさせたくないと思うだろう。そしてあの約束をしたのだ。
 誰も愛さない。
 そう決めたが、それでも鬼柳を選んだ。
 子供を残せない関係だからこそ、もっと簡単に考える事が出来たのかもしれないと、鬼柳は今さらながら思った。
 もし鬼柳が女だったとしたら、透耶は絶対に受け入れなかっただろう。
 こんなところで非常識ではあるが、鬼柳は自分が男で良かったと思った。しかも透耶を抱く側でと。
「私には貴方とあの子の関係に反対する理由がないのです。あの子を幸せにしてくれる存在であるなら、私は誰でも受け入れる事が出来るのです」
 鬼柳だから受け入れるのではなく、孤独だった透耶を受け入れてくれる存在なら誰でも良かった。
 透耶が自分で見極めて、この人となら生きて行こう、幸せになろうと考えているなら、祖母はまったく反対するつもりはなかったのである。
 だが驚かなかった訳ではない。
 衝撃はあっても、透耶が幸せにしている姿を見れるだけで、本当にそれだけで良かった。
 今はその嬉しさが出ている。
「そこまで思ってたのか……」
 そこまで深く透耶の事を思ってくれている祖母なのだと鬼柳は感心した。
 普通なら、呪い云々があったとしても反対しただろうに、ただ透耶の幸せの為なら、そんな障害など何でもないと思っているのだから、相当な人物である。
「辛い事でしょう。あの子にはあまりに重い枷があります。ですが、それを乗り越えられるような存在が現れたという事は私には嬉しいのです」
 祖母は本当に嬉しそうに鬼柳を見た。
 呪いさえも受け入れて透耶を幸せにして、そして一緒に生きてくれる人物を透耶が紹介してくれた事が嬉しくて仕方ない様子だった。
 それだけ透耶の事を思っていた証拠だ。
「貴方の事は歓迎します」
 祖母は笑顔で鬼柳にそう言った。
 本当に歓迎しているようだった。
 歓迎された鬼柳は居心地悪そうに、頭を掻いて、それから祖母に聞いた。
「ひ孫を見たいとは思わなかったのか?」
 普通ならそう思うだろうという配慮から聞いた事だったが祖母は即答した。
「それは思いますよ。でも、それよりもあの子達の方が心配です。京都では玲泉門院の呪いを知らない人はいません。今の若い人はどうかは解りませんが、私達のように古い者なら誰でも知っている存在です」
 今の世代には呪いなんてという馬鹿げた迷信というのがある。だが、祖母の代までははっきりと呪いの恐ろしさは伝わっていた。
 それを知らない人はいない。
 それでも恩恵を受けたければ、寿命を短くし、悲惨な最後を迎えるがいいとまで言われていたのだから。
「なら、何故息子との結婚を?」
 それだけ呪いの存在を知っていながら、息子と玲泉門院の娘との結婚を認めたのかが鬼柳には不思議だった。
 普通なら反対した所だが、ここでは認めていて、透耶を孫としている。
 遺産を残す程なのだから、余程透耶は認められていた事になる。
 そう聞いてきた鬼柳に、祖母は少し目を伏せた。
 何かあるのかと言葉を待っていると、祖母は語り始めた。
「お恥ずかしながら、私の主人は迷信だといって信じない人間でした。でも一つだけ信じていた事があります」
 少し恥ずかしそうな言い方をする祖母。
「何を?」
 何を信じていたのだろうと鬼柳は不思議そうに問い返した。
「玲泉門院の一族の1人を受け入れると、経営などそういう面が面白いくらいに上手く行くという部分です」
 まさしく、何でも出来る玲泉門院。それを受け入れるのは、呪いと恩恵。その恩恵の部分だけを祖父は信じていたのだ。
 だから、結婚を認めた。
「それだけの為に受け入れたと?」
 鬼柳は信じられないと言う顔をした。
 本当に恩恵を受けられるのかどうかは、今までの関係者の事で解るだろうが、本当にその恩恵を受け入れる為だけに認めたというのだろうか?という感じである。
 祖母はそれに頷いた。
「主人はそうでした。私はまさかという思いもありました。でも呪いは本当でした。息子を失って、そしてたぶん孫も先に失うかもしれません」
 祖母は寂しそうに答えた。
 維新は恩恵を欲しがり、息子を切り捨てた事になる。
 だが、確かに恩恵は受けていた。だから、何をしても失敗はしなかったから、これだけの資産を残す事が出来た。
 それを恩恵を受けた玲泉門院に返した感じになっている。
 だが、そのせいで、息子を早くにしかも、遺体すら見つからない死に方をされてしまった祖母は1人で辛かっただろう。
 透耶が自分のせいだと責めるのは、祖母を独りにしてしまったという申し訳なさもあったのである。
 だから、あれだけ必死に祖母が出て行こうとしているのを止めたのだ。自分のせいだから、祖母にまで迷惑をかけたくないのである。
「辛いな」
 鬼柳はボソリと呟いた。
 一気に息子夫婦と伴侶を亡くしたのだから。
 それも呪いのせいで。
 だが、祖母はもう辛い時期を乗り切っていた。
 玲泉門院を受け入れてからこうなる事は予想出来たからだ。
「それも運命。息子が柚梨さんと出会った事が運命なのです。私はただ運命を受け入れただけなのです。主人も恩恵を受け、そして呪いも受けたそれだけの事なのです」
 受け入れる事は難しいのだが、祖母は最初からその用意が出来ていたようだった。
 そう、恩恵と言えばと鬼柳は思い出した。
「それでか……透耶が手を引いた会社が傾きかけてたのは」
 それで納得が行く。
 透耶が手を引いてから二年で、合併しなければ経営が上手くいかなくなるほど、そんなに危うい会社だったのかが不思議だった。
 透耶の話では、維新はやり手で、かなりの資産を残していた。それを一気に崩壊寸前まで持って行くのは難しいとさえ言える。
 そうなったのは、恩恵がなくなったからだ。
 2年持ったのは、透耶が残してきた、そして維新が残したもので賄えたからだ。
 それ以外では上手くいってなかったのだろう。
「そういう事です。たかが建設会社一つがこれほど繁盛するはずはないのです。まさに恩恵を受けていたに過ぎないのです。だから、手を離れた物は全て事業が傾いています」
 恩恵とはそういう意味とばかりに祖母は言った。
「全てなのか?」
 鬼柳はまさかと思った。
 全てがという部分に。
「はい、全てです。信じられないとお思いでしょうが、事実そうなっているのです」
 祖母はそう答えた。
 資金援助を申し出る人物さえ出てくるくらいに経営は一気に悪くなった。不況でさえものともしなかった会社が一気に傾いたのだから誰もが驚いただろう。
 それが恩恵のお陰だったとは、まるでバブルが崩壊したような時のようである。
「だから透耶に会社を継がせようと思わなかったのか?」
 恩恵を受け続けたいなら、透耶を社長にすれば済む話になってくる。実際、透耶は合併話を上手くまとめ、存続出来るように何年分かの資料を残してきている。
 祖母は頷いて鬼柳の質問に答えた。
「私はそうでした。主人は会社も全て相続させようとしていたようですが、それはあの子を苦しめるだけ。せめて自由に何かをやらせてみたかったのです」
 透耶がどれだけ維新に縛られてきたのかは鬼柳も知っている。指を無くしてしまいたいとさえ思いつめた程、透耶は追い詰められていたのだから。今でもそれはある。
「今まで、縛ってきたからか?」
 鬼柳はそう言った。祖母は素直に頷いた。
「はい。あの子をピアノに縛り付けてきたのは主人です。でもそれに逆らえなかった私にも非はあります。ですから、全て放棄する訳には参りませんから、主人の個人遺産だけ継がせました。後は欲しがっていた親族に分け与えたのです」
 相続問題で、祖母が起こした騒動はこういう意味も含まれていたのだ。維新の遺産だけなら、親族は口出し出来ない。だが会社となれば、欲しいと思う輩も多い。それさえくれてやれば、透耶を自由にしてやれるのだ。祖母はそう考えたからこそあんな罠のような事をしたのである。
「それは、ここを残したかったからか? 透耶が帰る場所を」
 透耶が家を処分する事は両親が亡くなった時に光琉と決めていた。京都に何も残したくないとさえ思っていた透耶。でも祖母はせめて思い直した透耶が戻れる場所を残してあげたかっただけだったのだ。
「せめて、私かあの子が死ぬまで、私はあの子と関わっていたかったのです。こうでもしないとあの子との繋がりがなくなってしまう。光琉さんは頻繁に会えるのですが、あの子はそうもいかなくて」
 それだけが気掛かりだったと祖母は漏らした。
「祖父の事があるからか」
「ええ、あの子は自分を責めてました。私にすら会わす顔がないとさえ。このまま疎遠になってしまうには、私は寂しかった。私が無茶をすればあの子も止めてくれるでしょう?」
 祖母は少し笑ってそう言った。
 鬼柳も笑って答えた。
「透耶なら止めるな。それも必死で」
 沖縄で透耶が祖母の事を話した時を思い出して鬼柳は思い出し笑いをしてしまう。本当に必死に止めたと言っていたからだ。
「私はそうして欲しかったのです」
「だから無茶をしたのか……なるほど」
 透耶の話では破天荒な祖母だが、祖母は祖母なりに透耶と関わっていたかった。孫だからこそ大事にしたかったと言っているのである。心配するのは当たり前だ。自分の孫なのだから。
「解って頂けて嬉しいです。これはあの子には言わないつもりです」
 祖母は人さし指を唇に当てて本当に秘密にしてほしいと言った。
「無鉄砲なお祖母様でいたいってか? だったら何故俺にそういう話を?」
 透耶に言わない話を鬼柳にはした。
 それがどういう意味なのか鬼柳には解りかねていた。
 祖母は少し考えてから話し始める。
「そうですね。きっと誰かに聞いて欲しかったのだと思います。あの子に関わっている人で、それも深く関わっている人に聞いて欲しかったのだと思います」
 ただ、聞いて欲しかっただけ。
 理由はそれだけだった。
「それで満足出来たのか」
 鬼柳は笑ってタバコを取り出した。
 鬼柳がタバコを吸う事を知っていたのか、すぐに灰皿が出てきた。
 祖母はスッキリした顔をしていた。
「すっきりしました。ごめんなさいね、私の愚痴でしたわ」
 祖母は、少し恥ずかしそうにしている。喋り過ぎたかもと思ったのだ。
「いや、透耶に関する事なら何でも聞きたいから構わない」
「そう言って頂けると嬉しいです」
 祖母はニコリとして鬼柳に頭を下げた。



「あの子といると、色々と騒動があって大変でしょう?」
 祖母はお茶を入れ直して、鬼柳にそう切り出した。
「まあ、それも運命だろうな」
 鬼柳はそう返した。
 透耶と関わる以上、騒動はつきものだと思うしかない。
 ただ危険な状態にならないように周りは万全にしているつもりだ。
「こういう事を私がこう言うのは失礼かもしれませんが、貴方方は少し離れた方が良さそうですね」
 またも言われたセリフ。
 ここへ来てから何度も言われたセリフだった。
「あんたも言うのか」
 鬼柳は少し笑って聞き返す。
「玲泉門院でも言われたのですね」
「ああ言われた」
 でも命の期限まで言われた事は黙っていた。
 それは衝撃的すぎるからだ。
 一応鬼柳なりに配慮したつもりだった。
 玲泉門院でも言われたのならと、祖母は単刀直入に鬼柳に言った。
「では、真剣に御考えなさい。貴方の為にもあの子の為にもなる事です」
 はっきりとした口調。
 初めて命令口調で言われたので、鬼柳は少し驚いた。
「全部知ってるって事か」
 鬼柳は二本目のタバコに火をつけて吹かしてから言った。
「すみませんね。光琉から全部聞いています」
 なんと情報源は光琉だった。
 そういえば、頻繁に連絡取ってると言ったな……。
「光琉か……」
 何でも祖母には報告しているのだろう。
 それが光琉が頻繁に透耶に会う理由の一つなのだ。
 現状を祖母にも報告する為に、光琉は内緒に行動していたのである。それは透耶さえ気が付かないやり方だった。
 鬼柳は納得してしまう。
「光琉さんは、頻繁に連絡くれますから、近況は色々と聞いていました。貴方とあの子がどういう関係なのか。そして、まだ謝らないといけない事があります。貴方の経歴を調べさせてもらいました」
「なるほどな」
 通りで、何をしているのかとか、職業は何とかそうした具体的な事を聞かれないはずだ。
 鬼柳が報道カメラマンで今は休暇中。
 しかも、その休暇の原因となっている事件すら知っているのだ。これでは何も言えない。
 透耶に関わっている人間は皆、鬼柳の経歴を調べ上げている。それなら説明の必要もないだろう。
 だから何をしているのか聞かない。
「別に俺の経歴くらい構わない」
 どうせ調べられてもやましい事はないと鬼柳は思っていた。
 過去がどうであれ、今が鬼柳には大事だったからだ。
「そうですか。かなりの経歴の持ち主だとお見受けしました。だからこそ、それを無駄 にして欲しくはないのです」
 祖母はそう言い出した。
 鬼柳の経歴を無駄にはしてほしくないと。
「無駄に?」
 鬼柳は不思議そうな顔をした。
 また自分の心配をされてしまったからだ。
「貴方はカメラマンとしての才能があります。それを無駄にしてまであの子に尽くす事はないのです。一緒に生きるという事は、始終側にいる事ではありません」
 キッパリと言われて鬼柳は黙ってしまった。
 確かにそうだと思ったからだ。
 始終側にいる事が一緒に生きる事ではないと自分でも解っていた。
 今、どんどん背中を押されている気分だ。
 ここでは、皆、前に進めと背中を押してくる。
 逃げたものに立ち向かえと。
「離れていたとしても、心が繋がっていればいいのです。彼方……私の息子と柚梨さんもそうでした。仕事で離ればなれになる期間も多かったですが、あの二人は本当に上手くいっていました。離れても尚相手を思って仕事は出来ます」
「確かな……」
 まさにその通りだった。
 ここ京都で言われた言葉の中で、この祖母に言われた言葉がズシリと重い気がした。
「だから、貴方に言えるのは、仕事を再開して欲しいという事です。あの子もそれを望んでいるようですし。他に仕事をするつもりはありませんでしょう?」
 鬼柳が休暇だと言っているという事は仕事に未練があると見抜いていた。
「……そうだな……」
 鬼柳は頷いてしまう。
「向いている仕事をするのが、あの子の為になると思いますよ。私はそう思います」
 自分に向いている仕事。
 それは報道しかないと鬼柳は思っていた。
 臨時でしたエドワードを手伝った仕事も違う気がした。出来ない事はない。でもそれは自分に合わないと思った。
 カメラを使った仕事。光琉の策略にはまった時もそれも違うと思った。
 あれは透耶だから撮れただけで、他の誰かを撮れと言われたら出来ない仕事だったのだ。
 これは本格的に考えないといけない時期になっているのだと鬼柳は再度悟った。
「言い過ぎたかしら?」
 祖母は自分が言いたい事だけ言ってしまったのではないかと不安になって聞いてきた。
「いや、考えないといけないとは思っていた。ずっとそうだった。ただ一歩前に踏み出せなくてな」
 鬼柳はそう答えるのがやっとだった。
 何かが足りない。
 透耶に仕事に行ってくれと言われれば、いけるとは思う。だがそれでは何か違う気がした。
 自分で決めて、自分で選ばなければならない問題なのだ。
 だから、最近透耶は仕事はどうするのか?という質問をしなくなった。
 それは鬼柳の事を解ってくれているからこその配慮である事を鬼柳は再度痛感した。
 そこまで思ってくれている。
 それが嬉しかった。
 ただ一歩が出ない。
 それだけなのだ。




「話し終わった?」
 黙りこくった二人の前に透耶が戻ってきた。
 いい加減、自分の話は終わっただろうと思ったのである。
「ああ、終わった」
「終わりましたよ」
 二人が同時に答えた。




感想



選択式


メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで