Switch 23

2

「お早うございます、代理」
「お早うございます。ちょっと社長と幹部の人に話があるのですが、出社してますか?」
 透耶が受付嬢に聞くとすぐに調べてくれた。
「はい、全員出社しております」
「それでは、全員会議室に集めて貰えませんか?」
「はい、畏まりました」
 受付嬢は頭を下げて頷いて、すぐに内線電話で全員を集めてくれた。
 透耶は頷いて自分達も会議室へ向かう。
「何故、全員を?」
 話を聞くなら一人の方がいいだろうと思っていた富永が透耶に問う。
 透耶は真剣な顔で言う。
「その場に全員がいる時の方が簡単に話が聞き出せると判断したからです。社長とか、俺を代理にと言っている人以外とは、あまり話をしてないでしょ? たぶんその人達は合併の事を快く思っていないか、もしくは俺の事をよく思って無いかのどちらかかもしれない。そうすると、バラバラで呼び出して話なんかしたら打ち合わせとか勝手されてしまう。なら、言わざるを得ない状況にするしかないと思っただけです」
 透耶はそう答えた。
 迦葉はそれに反対をしなかった。本当に見守っている。
 という事は透耶の判断は間違っていないという事になる。
 会議室にいきなり集められた幹部達は朝から何事だという風だったが、透耶が会議室に入るといきなり静かになった。
 黒服の男達に付き添われた透耶はどうみても何処かの御曹子で、こっちが代理ではなく社長のように見えたからだ。
 しかも今日の透耶の雰囲気は違う。
 昨日までの柔かさが抜け、以前の冷徹さが全面に出ている。
 それは富永や石山にもはっきりと解った。
 鬼柳がいなくなって透耶の何かが外れたのか、隠されていたものが出てきたと言った方が解り易いだろうか?
 笑みは浮かべてはいても、それは本当の笑みではない。
 冷酷さが混ざるもの。
 見ている人はこの迫力を凝視出来なかった。
「お早うございます、皆様」
 透耶は頭を下げて全員に挨拶をした。
「お、お早うございます……」
 バラバラだったが、全員が慌てて挨拶をしている。
「お集り頂いたのは、少しお話があったからです」
 透耶はそう切り出した。
 透耶は席には座らずに立ったままで全員を見渡した。
 今まで挨拶程度にしか会って無い幹部までちゃんと揃っているのかを確かめているようだった。
「この中で、合併などに関する事で反対なさっている方がいるようですが」
 透耶がそう切り出すと社長が慌てたようにそれを止めた。
「だ、代理! それは、貴方には関係ない事です!」
 まるで聞かれる事を嫌がっているのが解る対応だ。
 透耶は静かに社長を見下ろした。
「関係ない?」
 透耶は低い声で問い返した。
 社長はその声にハッとしたような顔をした。
「合併の話を進めるように頼まれて仕事をしている私には関係ないとおっしゃる?」
 透耶の強い口調に社長は黙ってしまう。
 透耶を支持している幹部さえも黙ってしまっている。
 これだけは透耶に知られたく無かったという顔だ。
 つまり、会社内部の混乱は秘密にして、合併の話だけを透耶に纏めさせようとしていたのだと解る。あわよくば、透耶の持ち物だった訳の解らない仕事だけ整理してもらおうとしていたのだ。
 社長や幹部は透耶を利用して、内部問題も全部代理がやった事にしてしまおうとしていた事になる。
 それが表面化しても透耶は冷静な顔をしていた。
 怒っている訳でも呆れている訳でもなかった。
 何も感じて無い顔をしていた。
 その冷静な無表情とも言っていい顔が恐い。
 感情を表に出して怒鳴られた方が、嫌味の一つでもネチネチ言われた方がと思える程に恐いのだ。
 富永はこれで納得してしまった。
 鬼柳がよく「透耶が本気で怒ると恐い」と言っていた意味が解ったのである。確かにこれは恐い。自分に向けられているものではないと解っているのに、恐さを感じてしまうのだ。
 とは言っても、透耶はここまで鬼柳の前で怒った事はない。
 鬼柳を巻き込んでしまったかもしれない事に、透耶は更に怒りを感じてはいるが、感情が表に出て来ないでいる。
 そうした目が恐ろしく部屋中静かになってしまう。
 ここで、初めて透耶が社内事情を知らされずに行動していた事が露見。喜んだのは反対派の人達だった。
「すみません、代理」
 年輩の幹部の一人が手を上げて立ち上がると透耶に話し掛けた。
「どうぞ」
「代理は内部の事は知らなかったのですか?」
「申し訳ありません、まったく知りませんでした。こちらももっと考えて動くべきでした」
「あ、いえ。代理が今なさっている事は一体何なのですか?」
「主に昔残した私の企画書の整理だけです。それは合併の時に必要なモノだという話から手伝っています」
「では、会社経営に関わっているのではないんですね?」
「まったく関わっていません。どういう事です?」
「いえ、我々幹部一部の者は、代理が経営にも関わってきているときいていたので、それで……」
「なるほど」
 それだけで、透耶は何が行われていたのが解った。
 透耶が無理矢理、経営に口出ししていて、経営状態がおかしくなっている事を社長はアピールしたかったらしい。
 透耶が代理をしていた時は経営状態も良かったが、その後は下降気味で、しかも出す企画全て透耶以外のモノが上手く行かない事も重なっていたのだろう。社長は透耶に劣等感でも感じ、全て透耶のせいにしてしまえればと、前から考えていたらしい。
 透耶が京都へ来る事を調べ上げ、駅で待ち伏せ、泣き落しでもして会社に関わらそうとしたのだろう。
 企画書云々で、合併先がどうこう云ってくるのは話的におかしい。まだ合併していないのだから、会社内容の深い部分までは知らないはずである。
 合併に企画書は必要ないのである。
 今更ながら透耶はそんな事に気が付いた。
 もっと合併話が進んでいるのだと思っていたから、まさかこんな罠を用意されているとは思いもしなかった。
 鬼柳さえも気が付かなかったのは、合併話はもっと踏み込んだところまで進んでいて、その中で出てきた事だと思い込んでいたからだ。
 まさか、合併する話もまだそれほど公になってないとは知らなかったのである。
 富永は道理でと納得してしまう。
 合併に話が進んでいるなら、もっと会社内の動きがあるはずなのに、それがないのは、まだ社員が合併話を知らない段階なのだという事である。
 反対派は、透耶が合併話を完全にする為に来たのだと思い込んでいたのだろう。
 そうした反対派幹部と透耶を話させる訳にはいかないので、透耶は社長室に閉じ込められた状態で企画書の練り直しをさせられていたのである。
 接点がなければ、どちらも近付く事は出来ない。
 社長や賛成派の考えた策略は、鬼柳が誘拐されなければ解らない事だったかもしれない。
 今露見して良かった事だった。
 もしこのまま合併話が進んでしまっていては、透耶は反対派から何かされていたかもしれない。
 ただでさえ危険な状態が何度も続いた透耶に、これ以上の事が起こるのはいけないだろう。
 だが、結局情に流されて仕事を引き受けてしまった透耶。
 やはり、自分が騒動を持ち込んでしまったと透耶は胸が痛んだ。鬼柳が誘拐されたのは、やはり自分のせいである。そう思ったのだ。
「聞きたい事があります。何故合併に反対なのですか?」
 透耶はそう切り出した。



 合併話を反対する人達は、合併されると解体されるかもしれないと恐れているからだった。
 透耶の案の中でも、それはやはり危惧していた。
 解体された場合、会社は会社として成り立っていけるのかは、相手側の器量 によるという事も記してあった。
「合併話はまだされてませんでしょう。たぶん、今日初めて話し合いをするのだと思います。その時にどれだけの事を相手が要求してくるのか解ります。それは報告させます」
 透耶はもう相手の者に会うことになっているので、手順を決めて行く。
 社長はもう何も言えない状態になってしまっていた。
 透耶を填めようとした事は、透耶に知られてしまった。
 今更言い訳も出来ないし、透耶を追い出す事は不可能である。透耶を追い出すなら、企画書全てが無駄 になるのだ。
 透耶が練り直したものは、ここの会社社員が出した企画書も一緒に織り交ぜたものに完成している。それを捨てれば会社は成り立たなくなる。合併にも不利になるだろう。
 透耶を上手く使って上手く騙し、合併に持ち込もうとしたツケが今の社長の上にのしかかっている。
 今活発に意見を出しているのは、疎外されていた反対派だった幹部達である。
 透耶は今までの会社の状況を再度把握して、共に会社の為になるように提案を受け付けて会議をしていた。
 この中に鬼柳を誘拐した犯人がいるなら、今の状況を利用すべきであると思ったのだ。
 そうすれば、何事もなかったかのように、鬼柳を解放してくれるはずである。
 透耶はそれを願って、全員の意見を聞いたりし答えた。
 その采配ぶりがあまりに見事だったので、富永と石山は驚いていた。ここまで透耶ができるとは思って無かったからだ。
 だが、迦葉はまったく驚いていなかった。
「迦葉様は知ってらしたんですね」
 石山がそう迦葉に云うと、迦葉は透耶から目を離さずに答えた。
「知っているというよりは、当然ですと答えるしかないですね」
「当然、なんですか?」
「透耶様は、祖父維新様から帝王学を学ばれてますし、玲泉門院の血を引いてらっしゃいますから、それを組み合わせれば、出来ない事はないのですよ」
 当然だとばかりに迦葉は答えた。
 石山には不思議だった。
 以前から鬼柳が「玲泉門院」という家の血を引いているから透耶はやっかいな事に巻き込まれるし、人を魅了し過ぎると。
 透耶の本質の秘密は、玲泉門院にある。
 手に入らないモノは無い。だが、唯一のモノは手に入らない呪われた一族。
 そうした報告は受けていた。
 つまり透耶が望めば何でも出来るという事になる。
 それでも透耶の性格のせいか、高望みはしないから、出来ない事の方が多いくらいだ。
 そんな透耶ばかり見てきたから、今テキパキと会社について話し合っている透耶を見ると違和感ばかりが沸いてくる。
 だが、その違和感の中で、透耶の経歴を合わせると納得出来るのだ。
 冷静で秀才だったという高校2年までの榎木津透耶という人物と。
「今の透耶様は崖っぷちにいらっしゃいます。非常に危険な状態ですから、気を付けて下さい」
 迦葉はそう石山にアドバイスした。
 鬼柳がいない、それだけで不安定な状態なのに、究極の状態で仕事をしている。常人には出来ない程の忙しさだ。
 透耶を安定させるモノがないのだ。
 危ない存在となっている透耶が何をするのか解らない。
 それを止める役割は、今側にいる石山達しかいないという事なのである。
「解っています。それが私の役目ですから」
 鬼柳がいない時こそ、透耶を守らなければならない。
 それも一層気を付けて。
「SPを付けていたのは正解ですね」
 迦葉がそう言った。
 透耶に好きな人が出来たと聞いた時から思っていた事だった。報告を逐一受けていたからこそ言える。今の透耶は玲泉門院の中で二番目に危険で一番危うい存在である。
 だからこそ、迦葉は、葵に透耶に付き添っているように言われたのである。
 だが、透耶の周りにはしっかりとした人物達が揃っているようだ。




 会議を開くつもりはなかった透耶だが、ここでとばかりに会議にしてしまい、やっと話し合いが纏まったのは昼を過ぎた頃だった。
「透耶様、お昼は如何致しましょう?」
 執事である迦葉がそう申し出ると、透耶は少し考えた。
 今までは社員食堂を使っていたが、今日はそんな気分では無い。
「今日は……」
 いらないと口にしようとした時、警備を抜けていた石山がコンビニの弁当を持ってやってきた。
「手作りとはいきませんが、何か食べていないといざという時に駄目になりますよ」
 石山は優しく言って透耶に弁当を手渡した。
 透耶は、キョトンとしていたが、すぐに笑顔になった。
「ありがとうございます」
 自分が食べなかったら、石山達もたぶん食べなくなるだろう。それくらいやる人達だ。
 それにいざという時という言葉に透耶は食べる意欲を見せた。
 会議室で弁当を広げて一緒に食べることにした。
「まだ何も連絡ないんですか?」
「ええ、それらしい動きもありませんでした」
「もし、この中に恭を誘拐した人がいたとしたら、今頃考え直してくれてるかもしれないね」
 透耶はニコリとしてそう言った。
 石山は微笑み返したが、富永と迦葉は笑えなかった。
 それはこの中に犯人はいないのではないかと思えてきたからである。
 ただふと思った事だったのだが、今の透耶を不安がらせるのは駄目だと思い暫くは黙っている事にしていた。
 透耶のメンタル面については石山が担当する事になっていた。透耶自身、年が鬼柳と同じ石山の方が何かと話しやすいらしい。
「午後から合併の話合いですけど」
「ええ、結局俺も出なきゃ駄目になっちゃいましたね」
 ……なんだかんたで、社長に頭下げて謝られたらね。
 透耶を罠にはめた事を社長以下幹部までもが土下座して謝って来たのである。
 それには、さすがに透耶も驚いた。
 適当に話を纏めて、会社から抜け出すつもりでいたのに、反対派までもが土下座して社長の所業を謝って来たのである。
 そして、もう少し合併の事でやってもらいたいと頼まれたのだ。
 こうなると透耶は断われなくなってしまう。
 合併の話し合いにでて会社方針だけ説明するという形でなんとか収まったのだが、この勢いでいけば、社長代理復帰なんて話になりそうだった。
 早い段階で、迦葉が間に入ってくれ、上手い具合に幹部を誘導して、合併の話し合いだけの間という期間を設けてくれた。
 合併後の事は、既に透耶は書類に全てを纏めていたし、代理などという仕事は期間限定での最初の約束だったはずだと持ち出すと、さすがに誰もそれ以上は言い返せなかったのである。
 ……やっぱ、迦葉さんがいてくれて良かった。
 透耶はそう思った。
 自分だけではあれよあれよの間に、代理復帰させられていたかもしれない。
 ……本当に恭は大丈夫なんだろうか。
 大丈夫だよね。怪我してないよね?
 透耶はそうやって大丈夫だと自分に言い聞かせる事しか出来ない。
「透耶様」
 弁当を食べる箸が止まったところで、迦葉にいきなり呼ばれた。
「あ、はい」
「食は進みませんか?」
「あの……何だかお腹いっぱいになっちゃって……」
 ちょうど弁当は半分食べた感じになっている。
 するとそれを迦葉が片付けてくれた。
「半分は食べたようですから、いいでしょう。ですが、決まった時間には必ず何かを口にして下さい、宜しいですね」
「あ、はい……」
 食べる自信はないのだが、とりあえず返事をしてしまう。
 だがそれを見抜かれたようで、迦葉は苦笑して言ってくる。「石山様にちゃんと見張って貰いますから食べているかいないかはちゃんと解りますからね。誤摩化しても駄 目ですよ」
 そうハッキリと言われてしまって透耶は頭を掻く。
 ……もう、何でバレたの?
「食べたくないという言い訳はききませんので」
 石山にもそう言われてしまう透耶。
 どうやら食事はこの四人で取る事になりそうだ。
 昼が終わると、透耶は社長室へ向かった。
 ここで合併の話をする為だった。
「代理、こちらへどうぞ」
 進められたのは、ちょうど真ん中。
「いえ、俺は端でいいです。社長、説明は出来ますよね?」
 透耶はそう言って端に座った。
 纏め役はあくまで社長でなければならないと透耶は思ってそうしただけだったのだが、それは幹部には脅しに聴こえた。
 どうせ、今日一日一緒にいるだけなのだから、会社経営について口出しするつもりはないという事だった。
 暫くして、相手の会社の副社長が現れた。
 だが、そこに現れた人物を見て、透耶は一瞬だけ驚いた顔をした。
 相手の方も、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに冷静な顔に戻った。
「初めまして黒田社長。私は、エドワード・ランカスター、アドベンチャラーズ社の副社長です」
 そうここに現れたのは、あのエドワードだったのである。
 透耶もエドワードもまさか商談場所で出会うとは思っても見なかったのだった。
 合併話は、午前中に纏めたモノを社長が説明をし、それにエドワードが質問すると、何故か透耶が答えてしまうという展開になってしまっていた。
 最後の方は、エドワードも薄々気が付いたのだろうか、透耶に質問してくる始末。
 それでも、反対派幹部も参加しての合併に向けての一回目の話し合いは上手く終了した。
 今後透耶は参加しない事も説明していた。
「すまないが、榎木津君と二人で話をしたいのだが」
 エドワードがそう申し出た時だった。
 社長室の電話が鳴った。
 それを素早く取ったのは執事の迦葉だった。
「はい、はい、解りました。透耶様」
 短く話した後、迦葉が透耶を呼んだ。
 透耶は少し首を傾げてそれを受け取ろうとした。
 すると迦葉に耳打ちされた。
「え? まさか……」
 信じられないと透耶は迦葉を見る。
「落ち着いて下さい、いいですね?」
 静かな声を聞いて透耶は何とか頷いた。
 そして電話に出る。
「はい、榎木津です」
『合併の話は済んだかい?』
「すみました」
『じゃ、それをなかったことにしろ』
「なかった事? どういう事ですか?」
『反対してるって事だよ。それも解らないのか?』
「残念ですが、今朝幹部全員と会議した結果、合併の話は進められました。反対をしている人はいませんよ」
『え?』
 犯人の目的が合併話を破談させることにあるのは解ったが、今朝の会議での話し合いについてはまったく知らなかったようだ。
 ……犯人は社内にいないって事?
 透耶は更に不安になってしまう。
「恭を、鬼柳を早く解放して下さい」
 透耶はやっとの思いでそれを口にした。
 だが犯人からの応答がない。
 何か電話の向こうで揉めているようだった。
 犯人にも予想外の出来事だったらしい。
『おっと、まだ切れてないな。じゃ、予定変更だ、透耶』
 いきなり電話の相手が変わって、透耶はビクリとした。
 相手が変わった事ではなく、この声に聞き覚えがあったからだ。
 ……どうして俺、震えてるの?
 自分の頭で考えるより先に、本能でこの声を拒絶している。
 透耶が震え出したことに迦葉も気が付いた。
 電話で何を話しているかは、別の電話で聞けているが、何故予定変更を伝えた相手に透耶がここまで敏感に反応するのかが解らない。
『身代金要求は懲りたからな。人質はそのまま放置する。だが繋いだままだからな、透耶探し出せるか?』
「探し出すって……」
『ヒントは廃屋。早くしないと、この暑さで脱水症状にでもなって死ぬかもな』
「死ぬだって?」
『じゃあな、透耶』
 そう向こうが言って電話が切れた。
「廃屋を探すって……何処を」
「透耶様、落ち着いて下さい。今条件に合う廃屋を全てピックアップします」
 迦葉がさっそくその手配の電話を掛け始めた。
 そういう為に迦葉は付き添っていたのだ。
 透耶は一人オロオロとしてしまう。
 廃屋などここには沢山ある。その中の一つを見つけるのは難しい。
 透耶がそう困惑していると、そこにいたエドワードが透耶を問い詰めた。
「一体何が起きているんだ透耶。恭がどうかしたのか!?」
 身体を揺さぶられて言われ、透耶は我に返る。
「え、エドワードさん……痛い……」
 ガシリと両腕を掴まれていた為、透耶は顔を歪めていた。
 エドワードは慌てて手を離した。
「あ、すまない」
 ここにいる会社の関係者は意味が解っていなかった。
 まず透耶にかかって来た奇妙な電話の内容。
 そしてそれを得て行動する付き添いSP。
 何より驚いたのは、透耶とエドワードがフルネームで呼び合う程の知り合いである事。
 そして、恭と呼ばれている人物がどうにかなっている事。
 何がどう繋がってそうなっているのかが理解出来ないのである。
「エドワードさん、恭が、恭が誘拐されて……」
 透耶は泣きそうな声でそう言った。
 エドワードはそれを聞いて驚いた。
「恭が誘拐された? まさかこの会社の事と関係しているのか?」
 エドワードは鋭く突いてきた。
 透耶は困惑しながらも今まで起った事と、事情を全てエドワードに説明をした。
 その中には困る表現もあったので透耶は英語で全部話した。
 それを聞いてエドワードは一応は納得したらしい。
「それでどう動いているんだ?」
「玲泉門院の、俺の母親の実家の伯父さんが色々協力してくれて、あの迦葉さんが手配してくれてます」
 透耶がそう説明すると、エドワードは舌打ちをした。
「玲泉門院絡みなのか……」
 そうなるとエドワードに出来る事は限られてくる。
「解った、人手が必要なら私が貸そう」
「いえ、エドワードさんまで巻き込む訳には……」
「恭は私の親友だ。その為に何かをしたいと思ってはいけないというのかい?」
 そうエドワードに指摘されて透耶は言い淀んだ。
 そうなのだ。今まで散々エドワードに世話になっているから今回は遠慮したかったのだが、鬼柳はエドワードの親友であるのは間違いないのである。それを心配して手を貸してくれるというのを断わる事は出来ないのだ。
「廃屋を探すなら、人手が必要だろう」
 エドワードは透耶にではなく、迦葉に話し掛けていた。
 迦葉はエドワードが何者なのか解っているので、怖じる事もなく頷いた。
「ええ、必要です。もしお手を御貸し頂けるなら幸いです」
 迦葉はそう言った。
 いくら地元とはいえ廃屋だけでも膨大な数になる。
 手伝いが増えるなら、その手を借り手でもやらなければならないのだ。
「解った、すぐに手配する」
 エドワードは頷くとすぐに電話を始めた。
 こうなるとエドワードの行動は早い。
 ただ呆然としている社長達は一人になった透耶に説明を求めた。
 合併話は上手くいったが、それが原因で何か起っている事くらいは感じられたからだ。
 透耶は一度目を瞑って自分を落ち着かせた。
 大丈夫、大丈夫。
 何度も繰り返して、透耶は目を開いた。
 そうした時には、もう透耶は怯えた透耶ではなくなっていた。
「すみません、お騒がせしました」
 透耶はそう謝ってから、事情を説明した。



 廃屋を探す手配が整ったのは、その日の深夜だった。
 それまで人が立ち入りそうにない場所をピックアップしてくれていた為、時間がかかった。
 その間にエドワードが手配した捜査人が揃っていた。
 会社側は、この事件の根源が自分達にあるという責任感を感じたのか、捜査をする場所として会議室を貸してくれた。
 もし、また電話がかかるとすれば、会社にかかってくるだろうからだ。
 透耶はそこに寝泊まりしようとしたのだが、断固として反対された。
「私が付き添うからホテルへ戻るんだ」
 エドワードにキツクいわれて、透耶は反論出来なかった。
 ここでは透耶の意志は通らない。
 それに自分も役に立たない事は嫌という程解っていた。
「落ち込む事はない。透耶は恭が見つかった時にこそ、元気でいなければならないんだ。そうしないと、恭に私が恨まれてしまう」
 エドワードはそう言って透耶を慰める。
 透耶は少し笑って頷いた。
「顔色は悪くないな」
 ヒョイッと顎を持ち上げられて透耶はエドワードに顔色を確認される。
 ……こういうの平気でやるよね。
 透耶はされるがままでそう思ってしまう。
「食べさせてないと恭に怒られるな。私と食事をしよう」
 エドワードはそう言って勝手に話を進めてしまった。
 透耶はそれを断わる事が出来なかった。




「おい、起きろよ」
 眠っていた鬼柳はいきなり顔を殴られて目が覚めた。
 ……てーな、普通に起こせよ。
 そう思いながら目を覚ました。
 暑い中ではあったが体力を消耗させない為に鬼柳は身体を動かさないようにしていた。
 目をあけると、三沢がしゃがみ込んで鬼柳を見ていた。
「何だよ……」
 鬼柳は面倒臭そうに三沢を見上げて聞く。
 三沢はニヤリとして言った。
「お前、人質として必要なくなったんでな。ゲームをする事にした」
 三沢にいきなりそう言われて、鬼柳は驚く。
「ゲームだと?」
「透耶がお前を見つけ出せるかどうかというゲームだよ」
 三沢はそれは楽しそうに説明してきた。
「透耶にだと?」
「ま、お前が死なない程度に見つけ出せるだろうがな」
 三沢はそう言った。
「そりゃ、透耶の地元だ。協力者は多いだろう」
 鬼柳はそう言った。
 透耶が助けを求めるとしたら、それは玲泉門院しかないだろう。玲泉門院がどれだけ京都で知られた存在かは解らないが、その繋がりで氷室財閥が出てきてもおかしくはない。
「まったく、あんたらに関わるととんでもねぇな」
 三沢は愚痴を洩らすように言った。
 鬼柳にはさっぱり意味が解らない。
 何がとんでもないというのだろうか?
「会社の事であんた誘拐したのによ。もう問題解決してやがるし、あんたを探す為に変な輩がまた動いてるしな」
 三沢は上手く行くはずだった事が上手くいかなかった事を愚痴っているのである。
 とにかく上手く行かない事だらけだ。
 警察を騙す事は考えていたが民間の捜査人が動くとなると、誰が動いているのか把握出来ないのである。
 そうなると危険が伴う。
 それで三沢はこの作戦をゲームに置き換えた。
 そのゲームでさえ上手くいきそうにない気配がする。
「だったら、もう俺等に関わるな」
 鬼柳はそう言った。
 三沢が関わったお陰で、自分は誘拐されるわ、透耶に心配かけるわで、散々である。
 一人で考えると、玲泉門院で言われた事を考えてしまう上に、落ち込んでしまう。
 それだけで最悪だ。
「関わりたくねえけどな。透耶はあの時より可愛くなってるじゃねえか」
 三沢はニヤリとしている。
 だが、その挑発には鬼柳は乗らない。
「最初から透耶は可愛いんだ」
 のろけるように鬼柳は言った。
 その透耶を手に入れたのは自分。
 それを自慢しているように言い放ったのである。
「……のろけか」
 さすがの三沢も呆れている。
「手ぇ出しやがったら殺すからな」
 鬼柳は本気の殺気を込めて三沢に言った。
「あんた本当にやりそうだ」
「本気だからな」
「本気か……そりゃそうだな。あれだけ血相変えて取り返しにきたんだからな」
「てめぇ見てたのかよ」
「ヤバそうだったから待ち合わせ場所にはいかなかったんだよ」
「それで逃げ延びたのか」
 道理で、その後のエドワードからの事件の報告がないと思った。と鬼柳は今になって思い出した。
 三沢に逃げられた事をエドワードは黙っていたのだ。
 一応は探していただろうが、三沢は上手い具合に逃げ延びていた。
 警察でも三沢の話は出てきていないから、透耶と警察との接触を断っているから、余計に三沢は捕まらない。
 今回も三沢は捕まらないだろう。
 鬼柳は何となくそんな気がした。
「さて、あんたはゲームのゴールだ。俺には用のないものだから、このまま放置していくが、死んだりしたら透耶を恨みな」
 三沢はそう言って立ち上がった。
 すると鬼柳が言った。
「誰が透耶を恨むか。透耶は絶対俺を見付けてくれる」
 鬼柳はそんな自信に満ちた言葉を吐いた。
 三沢は振り返って驚いた顔をしたが、何も言わずにそのまま部屋を出て行った。
 それを見送って、鬼柳はまた目を瞑った。
 次に目を開けた時に透耶が目の前にいてくれるといいなと思いながら鬼柳は眠りに落ちて行った。




 暑さがいよいよ本格的になってきた京都。
 この暑い中、鬼柳が放置されていると思うと透耶は居ても立ってもいられない。
「俺も廃屋を探しに行きます」
 透耶がそう言い出したのは、もう二日経ってからだった。
 最初からそう言っていたのだが、エドワードに何度も止められてしまい、透耶の願いは取り下げられていた。
 だが、もう透耶も限界だった。
 鬼柳が居なくなって三日目だ。
 何かしていないとおかしくなりそうだった。
「心当たりでもあるのか?」
 エドワードにそう聞かれて、透耶は頷いた。
 これだけ探した中で、透耶はある場所を思い出したのである。
 地元では子供が良く知っている廃屋。
 まだその場所は探されていなかった事に。
「地元では有名な廃屋なんですが、土地の持ち主が中を覗かせる事を拒んでいると思って」
 透耶はそう話した。
 確かにその廃屋は最初にピックアップされていたが、廃屋の持ち主が、中へ入る事を断固拒んでいて中を覗かせても貰えなかったのである。
 管理はちゃんとしているから人の出入りはないと言い張られてしまうとこちらとしても動けないでいた。
「どうやって中へ入るつもりだ?」
「ちょっと卑怯ですけど、警察の手を借ります」
 透耶はそう言った。
「警察沙汰にするつもりか?」
「いえ、知り合いに刑事がいるので、ちょっとお願いしてみようと思いまして」
 透耶はそう言った。
 何故かそこに鬼柳がいる気がして仕方なかったのだ。
 ただ夢で見た勘だと言ったら笑われるかもしれないが、透耶はそこに鬼柳がいるという何か不思議な勘が働いていた。
 だから今日だけは譲れない。
 絶対に1人でもそこへ行くつもりでそう言い出したのだった。
 エドワードは透耶に刑事の知り合いがいる事に驚いていたが、迦葉がさっと気を利かせて連絡を入れてくれた。
 その人物はすぐに協力してくれると言ってくれた。
「仕方ない」
 迦葉までが加わって透耶に協力しているから、エドワードがこれ以上透耶を縛り付けておく事が出来ないのである。
 エドワードが頷いたので、透耶はすぐに笑顔になった。
「私も同行しよう」
 エドワードまでもが一緒にくることになってしまって透耶は困惑する。出来れば少人数で行ければいいのだがと思ったが、エドワードがそれを承諾するとは思えない。
 でも、ぞろぞろと黒服のSPがついてくる訳だから、相当な人数になってしまうからそれだけが大事になりそうで気掛かりだった。
 だが、そこは迦葉がやんわりと言ってくる。
「神元様はお一人で参りますから、SPが居た方が警察としての捜査らしく見えると思いますよ」
 そんな事を言われて透耶はやはり断わる事は出来ないでいた。
 断るより早く、その場所へ行かなければならないと思い、断るのを諦めた。





「透耶君。これは一体……」
 そう言ったのは、迦葉に呼び出された神元警部である。
 神元警部は、玲泉門院葵の友人で、京都府警の警部。
 現れるのは精々透耶と迦葉だけだと思っていた神元警部は、透耶を守るようにしている黒服の男達や、さらに金髪の外国人が黒服の男に守られているのに驚いていたのである。
「ご、御免なさい。なんか大事になっちゃって……」
 透耶は頭を下げて謝る。
「いや、いいんだけど……知り合いなんだ?」
 神元警部は驚いていたが、透耶にこうした人がついている事には少しは納得出来ていた。
 榎木津の資産を全て引き継いだ孫なのだから京都では有名であるし、葵と友人である神元警部は、内情もよく知っている1人だった。
「うん。凄くお世話になってる人で」
 透耶がそう説明すると、神元警部はそれ以上突っ込んだ追求はしなかった。
 こうして極秘で神元を呼ぶという事は、やっかいなことに巻き込まれているからだと解っているからである。ましてや、迦葉からの呼び出しであるなら警察沙汰にしたくないという意志があるのは十分に解っていた。
 それに透耶が巻き込まれているのだと解ったのは今だが、それでも警察、いや友人である自分を必要として訪ねてくれた事が神元警部には嬉しい事だった。
「さて、さっきここの持ち主とは話つけてきたから、自由に調べていいよ」
 神元警部は簡単にそう言った。
「え?」
 驚いたのは、透耶と迦葉を除いた他の全員である。
 そして透耶と迦葉は「あ……」と言って思い出した。
「……神元警部がここの持ち主と親戚だったの忘れてた」
 透耶はそう言った。
 自分がてんぱっていたので、神元警部の存在を忘れていたのである。それは迦葉もそうだったようだ。
「そうでしたね……」
 迦葉もそう言った。
 二人とも忘れていたのだった。
 ……こんな非常時に忘れてるなんて俺って馬鹿なのかも。
 透耶はそんな事を思っていた。





 廃屋になっている家は地下室まである大きな屋敷だった。
 持ち主が住まなくなって何十年も経っているが、取り壊しにもお金がかかるとかでそのままにされている。
 透耶は迷わず地下室を探す事にした。
「透耶様!」
 透耶は何か感じるかのように真直ぐに地下へ降りて行く。
 SPは危険だから先導しようとしたのだが、間に合わない。
「何か感じるんだろう」
 エドワードがそう言って後を追った。
 透耶にしか解らない感じ方がある。それが今透耶を呼んでいる。呼んでいる相手はもちろん鬼柳だろう。そうとしか考えられない透耶の動きである。
 改めて、二人の結びつきが強いのかを思い知らされる。
 地下へ降りるとそこは蒸し暑かった。
 何処からか風が熱風を運んでくるのか、異様な暑さだ。
 透耶は迦葉に懐中電灯を渡して貰うと、迷わず一つの部屋を目指した。
「まるで、鬼柳様のようですね」
 そう言ったのは石山だった。富永も頷く。
 鬼柳も同じ様な事をした。
 佐久間の事件の時である。
 鬼柳も迷わず地下を目指し、透耶の名前を確認する前にドアを蹴破って部屋へ突入していたからだ。
 今の透耶に何を言っても聴こえないのだろう。
 その透耶はある部屋の前で立ち止まると、一気に部屋のドアを開けて中を覗き込んだ。
 すると、その目に寝転がっている鬼柳の姿が映った。
 探して探して探し続けた鬼柳の姿。
「……恭!!」
 透耶は叫んで部屋へ入った。
 それを聞いた他の人達も慌てて走ってくる。
 透耶はしゃがみ込んで、寝転がっている鬼柳の顔を覗き込んだ。
 鬼柳は目を瞑ったままで透耶が触っても起きようとしない。
「恭? 恭?」
 耳元で呼び掛けても鬼柳は目を覚まさない。
 どうしよう……どうしよう……。
 間に合わなかったの!?
 息を確認するとゆっくりではあるが息はある。
 大丈夫生きている!
 透耶は自分を落ち着かせて鬼柳の状態を確かめた。
 鬼柳の顔は明らかに殴られた痕がある。そして後ろ手されている腕には手錠がされている。
「迦葉さん!!迦葉さん!!」
 パニックになった透耶は必死に迦葉を呼んだ。
 だが呼ばなくても迦葉は既に手錠に気が付いていた。
「大丈夫です、すぐに外します」
 迦葉は胸ポケットから出した針金のように細いモノを鍵穴にさして簡単に手錠を外した。
 こういう事は迦葉にはお手のものだった。
 他の人は二人の様子を見ていることしか出来なかった。
 腕を自由にすると迦葉がすぐに鬼柳の様子を確かめる。
 透耶は何もする事が出来ずにそれを見ている事しか出来ない。
「透耶様、水を持ってらっしゃいますか?」
「はい!」
「では、飲ませて上げて下さい」
「はい!」
 透耶は自分の鞄からペットボトルの水を取り出して、自分の口に含むと、鬼柳の口に付けた。
 少し口づけると、鬼柳の方が反応して口を開いた。
 そこへ割り込むようにして透耶は唇を付けて水を流し込んだ。
 すると無意識だろうが、鬼柳は水を欲していたようで、その水を飲み干した。
 それで気が付いたのか、鬼柳は透耶の首に手を回してきた。
「恭?」
 透耶が呼び掛けると鬼柳は薄らと目を開けた。
「……透耶、もっと」
 枯れた声でそう言われて、透耶は慌ててまた水を含んで口づけをする。
 鬼柳はその水も飲み干して、今度は離れようとする透耶を押さえ付けて深いキスをしてくる。
「……んっ!」
 そうじゃなくて!と叫びたい透耶だが、鬼柳は夢見心地なのか、透耶とのキスを楽しんでいる。
 でも鬼柳とキスしているだけで、透耶はその快感にのまれてしまう。駄目だという気持ちから答えようとする気持ちになるのだ。
 そのキスが激しくなってきた所で。
「透耶様、その辺で」
 と迦葉の止めが入った。
 透耶はハッと我に返って、鬼柳を離そうとするが、鬼柳が離れてくれない。
 キスに満足したのか、鬼柳は透耶を抱き寄せて、背中を撫で回し、更に腰にまで手が回ってくる。
「恭! 恭ってば! 起きて!!」
 ……寝惚けてる!! 思いっきり寝惚けてる!!
 さすがにシャツの中まで手が這ってくると透耶も真剣に鬼柳を起こそうとする。
 透耶の叫びが聴こえたのか、鬼柳の開いた目に精気が戻ってくる。 
「恭!?」
 透耶の呼び声に鬼柳は驚いたように目を見開いた。
「……透耶……?」
 いるわけない。
 そういう気持ちが込められているのか、鬼柳は不思議そうに透耶を見上げる。
「そうだよ。恭、大丈夫?」
 透耶は鬼柳の顔を覗き込んで必死に呼ぶ。
 すると、鬼柳は驚きながらも透耶を引き寄せて抱き締めた。
「わっ! 恭?」
「良かった……本物の透耶だ」
 鬼柳はそう呟いた。
 会いたくてしかたなかった相手。
 触りたくて触りたくて溜らなかった相手。
 それに触れられるというだけで鬼柳は嬉しくて泣きそうだった。
「恭……痛いよ……」
 ギュッときつく抱き締められて、透耶はそう言った。
「悪い……」
 透耶が痛がっていると解った鬼柳は、少し力を弛めたが離そうとはしない。
「恭、離して……」
「やだ」
「やだって……」
「やっと本物の透耶だもん」
 夢ばかりで透耶を抱いていた。
 目が覚める事に悔しい思いをしていた。
 その透耶が目の前にいる。
 しっかりと抱き締めて透耶の匂いを嗅いだ。
 本物だ。本物。
 それだけで鬼柳は嬉しくて仕方なかった。
 中々離してくれない鬼柳に透耶はゆっくりと話し掛ける。
「それは解るけど……ずっとここにいる訳にはいかないでしょ」
 透耶が正論を言うと鬼柳もやっとここが何処だか思い出したようだった。
「……それもそうだ」
 だが次に出た言葉で透耶は頭を抱えてしまう。
「こんな所で透耶とセックスするのは駄目だな」
 全員がずっこけそうなセリフ。
「馬鹿な事言わない! それより大丈夫なの?」
 ……どうして大丈夫じゃない状況でそんなセリフが口から出るの!?
 と叫びたい所である。
「大丈夫って……まぁ、ちょっとだるいな」
 鬼柳はそう言って身体の力を抜いた。
 本当に疲れているようだった。
「病院いかなきゃ」
 透耶は慌ててそう言った。
 三日も放られていたのだ、大丈夫なはずはない。
 だが、それを鬼柳が止めた。
「そこまで酷くねえ。脱水症状くらいだろ?」
 鬼柳はそう迦葉に言った。
 それには迦葉も少し笑って答えた。
「ええ、自分で解ってらっしゃるんですね」
 それには鬼柳も苦笑して答えた。
「この暑さで三日。そんくらいになるだろうと思っただけだ。透耶水くれ」
 鬼柳は自分で自分の状態を把握していた。
 長年の管理で状態など簡単に予想出来たのだ。
 こういう所はさすがであろう。
「はい」
 透耶は素早く水を鬼柳に渡した。
 鬼柳は透耶から貰った水を一気に飲み干した。
 それでもまだ足らないらしく、透耶はもう一本取り出してそれを渡した。それも鬼柳は一気に飲み干した。
 そうすると満足したらしく、はあっと息を吐いて透耶を見つめた。
 本物だと何度も確認するように鬼柳は透耶から目を離さない。確認する度に鬼柳は嬉しそうに笑顔を見せる。
 そんな鬼柳に透耶も微笑みかける。
 その見つめ合う二人を中断させるのはやはり迦葉だった。
「医者関係なら、玲泉門院に運んで下さい。そこで全部出来ます」
 迦葉がそう言って、富永や石山に言った。
「お願いします」
 富永達SPが鬼柳を抱えて外へ出て行こうとした時、透耶と迦葉が話を纏めてしまってエドワードがホッとした顔をして立っていた。
 透耶は素早く駆け寄って声をかけた。
「あのエドワードさん。ありがとうございました」
 何度も頭を下げる透耶。
「いや。無事だったから良かった。透耶も恭が無理しないように見張っていなさい。私は会社に戻って本部を解散させてくるよ。暫く京都にいるから、何かあればこのホテルへきなさい」
 エドワードはそう言って、透耶にホテルの名前を書いたメモを渡した。
 透耶はそれを受け取って深く頭を下げた。
「ありがとうございました……」
 本当に透耶はエドワードに感謝して頭を何度も下げた。




 玲泉門院に運ばれた鬼柳はやはり脱水症状で、点滴を受けることになった。見た目よりも身体が弱っているのだと医者に言われたのだが。
「透耶~こっち~」
 点滴を受けながらも鬼柳は離れてみている透耶を何度も呼ぶ。
 だが、近寄ると腰を触ったり、キスしてきたりと悪戯を始めるので透耶とは離されている。
 触れたいのは解るが、今は診察中という事で透耶は我慢して離れていた。
 その間、医者に邪魔だと追い出された透耶は葵に礼を言っていた。
「ありがとうございます」
 居間で状況を迦葉から聞き終わった葵は、まったくいつものような感じで、煙管を吹かせていた。
「いや、あれが無事で良かったな」
 ここからきちんと送らなかったのもこちらの責任だと葵は思っていた。だから迦葉を貸したりして協力をしてくれたのだ。
 タクシーなり、迦葉に送らせるなりしていれば、この騒動は少しは回避出来て居たはずだという認識はあったようだ。
「はい」
 透耶が笑って頷くと、すぐに葵の顔が厳しくなる。
「だが……解ってるだろう」
 説明をしなくても、透耶にはそれが何を意味するのかすぐに理解出来た。
「……」
 言葉が出ない透耶に葵はハッキリと言った。
「お前が原因だ」
 そうハッキリと言われて透耶も顔色を曇らせた。
 それは解っていた。
 言われなくても、今回の事は完全に自分のせいだった。
 会社の事を気軽に受けてしまったが為に鬼柳が誘拐されてしまったのだから。
 もう少し考えて行動していれば、こんな事は起こらなかったのだと。
 会社の内情も考えもしないで、簡単に仕事を引き受けたのは透耶だった。だから鬼柳の今の状態も自分のせいだと透耶は思っている。
 いくら大丈夫だと解っても、次も大丈夫だとは言えない。
 葵が言いたいのは、次何かあったとしたらどうする?という事なのだ。それも透耶が原因で何かが引き起こされる事は、もう今までの経験で解っている事だった。
「……解ってます。でも、もう少し時間を下さい」
 透耶はそう答えてしまう。
 解っているのに行動出来ない自分。
「考える時間が欲しいってか?」
 葵がそう聞き返した。それに透耶は頷いた。
「きっかけが欲しいんです。それに恭の心が少しでも傾かないと問題は解決しないと……」
 今の鬼柳を説得しようとしても無駄なのは解っていた。
 せっかく考えてた事がたぶん今回の事で逆行している可能性が高い。
 そこで仕事の話を出した所で鬼柳が納得するとは思えなかった。
「トラウマか」
 葵がそう言った時、透耶は頷いた。
 たぶん鬼柳の事は全て調べられているという確証があったからだ。それにトラウマと出る所を見ると、鬼柳がどうして仕事をしないのかという理由をも知っている。
 全てを知っていて、それでも尚、責めてくれる相手。
 それが葵だった。
「俺が言えば行くかもしれない。でも、それだけじゃ駄目だって思って」
 透耶はそう思っていた。
 報道の仕事に戻って欲しいと願えば、鬼柳は自分に納得してなくても戻ってくれるだろう。
 だがそんな状態で仕事が出来るとは透耶は思えなかった。
 本当に鬼柳から戻るという決心をしない限り、この話は進まないのだと、最近になって透耶は悟った。
 鬼柳の心次第で。
「そうだな。まあ、考える時期になってると悟ってるだけでも誉めてやる」
 葵はそう言った。
 透耶がそこまで深く考えているとは思ってなかったらしい。
 相手の事を思い遣って、そして自分も考える為に京都へ戻ってきた。それだけでも葵は誉めてやろうと思ったのである。
「すみません。心配かけて」
 透耶は少し笑って頭を下げた。
「心配はしちゃいねぇ」
 ふんっと鼻を鳴らして葵は言う。
 ……相変わらずだなぁ。
 そう思うと透耶はホッとしてしまう。
 こういう葵はいつもの葵だ。
 ここへ来る事が出来て本当に良かったと透耶は思った。
 自分が京都さえ戻れない状態で、鬼柳に戻れとは言えないからだ。
「ま、あいつを一人で来させたのは、あいつが来たかったからだろうが、俺にもけしかけて欲しかったからだろうとは予想出来たがな」
 葵はジロリと透耶を睨んで言った。
 嫌な役を勤めさせられた事を葵は怒っている。
 ありゃー……。
「……バレてましたか」
「バレバレだ」
「すみません」
 透耶は素直に頭を下げた。
 やっぱり葵さんにはバレてたんだなぁ……。
 などと思ってしまった。
 鬼柳に発破かける為に京都へ来た事もバレているのだろう。
 そして透耶自身が京都へ戻る事で、鬼柳に考える余裕を与えようとしていた事さえも全部バレている。
「言う事だけは言っておいた」
 あくまで、玲泉門院としての役割としてと葵は付け足した。
 透耶を心配しているからとは言えない。
 それは鬼柳との秘密である。
 玲泉門院がなんであるかを伝えるのが葵の役割なのである。だからそれを伝えただけだと言ったのである。
「ありがとうございます」
 本当にそれは透耶も感謝していた。
「これでもう少し真剣に考えるだろう。なにせ、言った側からだからな」
 葵にそう言われて透耶は暗い顔をする。
「……そうですね」
 忠告されたとたん、事件に巻き込まれてしまった。
 さすがの鬼柳も迷信だとは思えないだろう。
 透耶も散々巻き込まれた事を思い出して、もっと真剣に考えるべきだと思った。早くしないと鬼柳が傷付いてしまう。
 それだけはさせてはならないと。
「お前達は近くにいすぎる。ちょっと離れているくらいがちょうどいい」
 その葵の言葉は何故か暗示のように聴こえた。
 葵が言うからそう聞こえるのかもしれないが、今までの出来事を考えると、そうなのかもしれないと頷く所があった。
「そういうお前も、俺にこう言われたかったんだろう」
 葵はニヤリとして透耶にそう言った。
 誰かに背中を押して欲しくて葵の言葉を待っていたという顔をしていた。
「……それもバレてましたか?」
「そんな情けない顔してりゃ、解るに決まっている」
 葵は煙管を吸いながらそう言った。
 そんな情けない顔してたのかなあ?
 透耶は思わず自分の顔を押さえてしまう。
「まあ、背中押すには、まだカードが足らねぇな」
 葵がそう呟いた。
「え?」
 何を言われたのか解らなくて、透耶は聞き返した。
 だが、それに葵は答えてはくれず、別の事を言い出した。
「いや、独り言だ。それより、そろそろあいつの所へ行ってやれ。さっきからうるせぇ」
 そう言われて透耶は顔を赤らめてしまう。
 さっきから、遠くの方から鬼柳が透耶を呼ぶ声が響いて聴こえているのである。
 恥ずかしい……。
「とーや」
 絶対に姿を見るまではとでも思っているのか、止まらない鬼柳。
 仕方ないと透耶が鬼柳がいる部屋に入ると、待ってましたとばかりに鬼柳が両手を広げて透耶を呼ぶ。
 側まで行くと腕を掴まれて引っ張られた。透耶はそのまま鬼柳の上に乗る形で倒れてしまう。
「きょ、恭、安静にしてなきゃ……」
 透耶がそういうと鬼柳は平然と。
「透耶がいないと安静になんて出来ない」
 と弱っているからの弱音なのか、ただの我侭なのか、どちらともつかない口調で言われてしまった。
「もう……」 
 こういう我侭言う鬼柳は初めてで透耶は苦笑してしまう。
 点滴も後少しで終わりそうだった。
「一緒にいるから、腕離して」
「やだ。また透耶が遠くに行ってしまう」
 余程離れている時の事が堪えたのか、鬼柳は腕を離してくれない。
「解った……眠れるまで側にいるから」
「こうしてて、そしたら眠れる」
 こうしててというのは、透耶を抱き締めて寝る事。
 本当にそうしたいだけなのか、鬼柳は透耶を抱き締めるとそのまま眠りに入って行った。
 だが、透耶を抱き締めている腕の力は尋常ではなくて透耶は抜け出せなくなっていた。
「鬼柳様にとっての安定剤は透耶様なんですね」
 身の回りの世話をしてくれていた迦葉がそう呟いた。
 そう言えば、と透耶は前に言われた事を思い出した。
 透耶が誘拐されて入院していた時、鬼柳は透耶の側を離れないどころか、そこで透耶の手を握り締めて熟睡していた事を。
 鬼柳はやっと手に入れた透耶を手放したくない。
 だからこうした甘えを見せる。
 鬼柳の外見からは想像も出来ない甘えっぷりだ。
 そこで透耶はさっきの葵の独り言を思い出した。
 背中を押すにはカードが足りないな。
 確かに何か足りない。
 透耶はそう感じながらも、鬼柳の腕に抱かれたままで自分も眠りに入ってしまった。




 次に目を覚ました時、透耶はすっかり鬼柳と同じ布団の中で眠らされていた。
「……あ、れ?」
 眠い目を擦りながら顔を上げると、既に起きていたらしい鬼柳と目があった。
「起きてたの?」
 透耶はそう言いながらも今にも眠りそうな声で聞いた。
「うん、起きてた」
 鬼柳はすっかりスッキリとしたような顔をして透耶を見ていた。
「いつから起きてたの……?」
「ん? 透耶が寝てから起きてた」
「え?」
 ……それってずっと起きてたって事じゃないの?
 透耶はもぞもぞとして起き上がって、鬼柳を見下ろした。
「寝なくていいの?」
「透耶こそ寝てないんじゃないか? 熟睡してたぞ」
 起き上がった透耶を寝かせるようにして鬼柳は透耶を抱きかかえる。
「点滴!」
「もう終わってる」
「あ、そうなの?」
 鬼柳の腕を見ると、もう既に点滴の終わった後があっただけだった。
「なんだ……」
 透耶はホッとして鬼柳の腕を離した。
 でもまたギュッと鬼柳の腕を抱き締めた。
「透耶?」
 透耶はすごく泣きたい気分だった。
 ここに鬼柳がいる。
 それだけで嬉しかった。
「もう……いきなり……居なくならないで……」
 泣き声のような透耶の声に鬼柳はハッとした。
 透耶がどれだけ心配していたのかが解る。
 泣けない程、透耶は心配をしていた。
「透耶、泣いていいよ……もういいから」
「恭……」
 泣かないつもりだったのに、透耶は鬼柳の胸に縋って泣いてしまった。
 こんな事をしたら後戻りしてしまうと解っていても、それでも泣きたい気持ちは止まらなかった。
「ごめんな。心配かけて」
「しんぱい、したん、だから……」
 透耶は子供のように鬼柳に縋って泣く。
 その様子を見て、今まで透耶が泣かずに我慢していたのだと鬼柳は悟った。
 人前で泣けない透耶は、鬼柳の前でしか泣けない。
 それがどれだけ辛いのか鬼柳には解っていた。
 大事にしたいと思っていたのに、余計に心配をかけてしまったのだと後悔した。
 それが葵が言った言葉と重なる。
 離れている方がちょうどいい。
 その言葉を思い出して、鬼柳は胸が痛くなった。
 まさしく葵の言う通りだ。
 このままでは、少し離れただけで、透耶は壊れてしまう。
 そして自分も自滅するだろう。
 それでは一緒に生きる意味にはならない。
 だが、それでも透耶の側を離れたくないという気持ちが先攻してしまう。
 それではダメだと思うのに、逆行して考えてしまう自分がいる。
「ごめんな」
 鬼柳はいろんな意味を含めて透耶に謝った。
 透耶はただ泣き続けて居たので、鬼柳は透耶を抱き起こして顔中にキスをした。
 涙を吸い取って、最後に唇にキスをする。
 涙を拭いて貰っている間に透耶はハッとしてしまう。
 泣かないと決めたのに泣いてしまったからだ。
 鬼柳がもし前向きに考えていたとしたら逆行させてしまったかもしれない。
 そんな事を思っていたが、キスが激しくなってくるとそんな考えも飛んでしまう。
 ただ獣のようにキスを繰り返す。
「は……ん……はぁ」
 キスがやっと止むと、透耶は荒く息をしてしまう。
 鬼柳は透耶を寝かせると上にのしかかるようにして透耶を押さえ付けた。
 そしてまた顔中にキスをしながら、耳もとでこう言った。
「透耶の中に入りたい」
 鬼柳はそう言って透耶の意志を確認せずに透耶が来ている服を脱がせて行く。
 透耶はぼんやりしたままでされるがままだった。
「は……ぁ」
「綺麗……だな」
 鬼柳は独り言のように呟いて、透耶の肌を撫でる。
「ん……」
 触れられるだけでも今の透耶は感じてしまう。
「良かった透耶じゃなくて」
「ん? 何?」
「誘拐されたのが透耶じゃなくて良かったって事」
 鬼柳はそう言い終わると、首筋にキスをした。
 いつものようにとやろうとした所で透耶がハッと気が付いた。
「だ、ダメ……!」
「なんでー?」
「ここ本家!」
「いいじゃん」
「ダメったら、ダメ」
「えー」
「えーじゃない! 恭は病人なの!ダメ!」
 悪戯するように胸の突起を舐められてしまい透耶の身体が跳ね上がる。
「やっ!」
 そうやっていた鬼柳だが、さすがに体力がないのか鬼柳も途中でやめてしまった。
 ずっしりと重い鬼柳が透耶の上に乗りかかってきた。
「恭? 大丈夫?」
「ちょっと、体力ねぇなぁ……」
「だからダメだって、安静にしてて」
「透耶の中に入りたいのに……」
 ……体力ない時まで何言ってんだ、エロ魔人。
「馬鹿言ってないで、ほら」
 透耶はなんとか鬼柳の下から抜け出して、鬼柳を寝かせる。
「透耶、隣」
 鬼柳は布団を上げて隣に入れと言う。
 透耶も鬼柳がこれ以上変な事はしないだろうと安心して隣に潜り込んだ。
「どうやって俺を探し出したんだ?」
 鬼柳が不思議そうにそう聞いてきた。
 透耶は、経緯を説明してから、最後は勘だと言った。
「そこに恭がいると思って……」
 そういう感じがしたのだ。
 本当にいるという感覚はなかったのだが、それでも鬼柳がそこにいる予感がしたのだ。
「すげーな透耶。本当に俺を見つけてくれた」
 鬼柳は嬉しそうに透耶を抱き締めた。
「だって恭だって絶対俺を見つけてくれるでしょ。だったら俺だって何を使ってでも恭を見つけるよ」
 透耶はそう言った。
「どこに居たって、恭を絶対見つけるから……」
 透耶はそう決めていた。
 いつもと逆の展開に戸惑ったが、自分にも鬼柳を見つける事が出来るのだと確信した。
 その為には何を利用してでも見つけ出すつもりだった。
 玲泉門院だろうが、氷室だろうが、何でも使うつもりだった。
 迷惑をかけているのは解っていたが、それでも鬼柳を見つけたかった。
 この人が居なくなったらと考えただけでも気を失いそうだ。
 失う怖さを味わって、透耶はそういう決断をした。
「やっぱり俺の透耶、何でも出来るな」
 ……それってどういう意味?
 鬼柳の言葉に首を傾げた透耶だったが、安堵の方がまさって結局一緒に眠ってしまった。
 鬼柳は透耶の言葉を受けて嬉しくて仕方なかった。
 何処に居ても透耶は見つけてくれる。
 前に自分が透耶に言い聞かせた言葉。
 何処に居ても探し出すと言った言葉と同じ事を透耶も思ってくれているのだ。
 それがどれだけ力を与えてくれたことか。
 透耶の何気ない言葉でもあっても、鬼柳には、嬉しい言葉だった。

 そしてそのまま二人とも大人しく眠りについた。   

 翌日には鬼柳はすっかり回復していて、狂人的な回復力だと医者に太鼓判を押されてしまった。
 葵には苦笑されるし、迦葉も安堵した顔をしていた。
「本当にお世話になりました。ほら、恭も頭下げて」
 透耶は、鬼柳にも頭を下げさせてお礼を言った。
 葵はそれを受けてこう言った。
「俺が言った言葉。忘れるなよ、お二方」
 それが葵から貰った最後の言葉だった。
 そして二人は玲泉門院を後にしてホテルへと戻ったのだった。
 けれど、そこで唯一鬼柳の背中を押すカードが待っているとは思っても見なかったのであった

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