Switch 22

2

 一方、鬼柳は透耶に貰った玲泉門院への住所をタクシーの運転手に見せて、本家に向かっていた。
 透耶の話では、玲泉門院最後の名を継ぐ人物、葵はかなりの曲者であるという。
 どう曲者なのかは、透耶の話からは解らないが、透耶は葵の事を敬愛しているようにしか感じない。
 光琉の方は、完全に恐がっているような印象で、出来れば会いたくない人物のようである。
 相当怖い人物を想像したいのだが、数年前のモノとはいえ、写真で顔を知っているだけに、怖いとは思えない。
 顔は透耶の十年後という感じだ。
 タクシーで玲泉門院の住所を訪ねて見ると時代劇の武家屋敷のような門の前で停まって、ここだと言われて鬼柳はタクシーを降りた。
 大きな門は開かれたままになっており、ここにはインターホンがない。
 さてこのまま入っていいのかどうかと鬼柳は迷った。
 開け放たれたままなので、中にでもインターホンがあるのだろうと思い、鬼柳はそのまま門を潜った。
 門を潜って入ると、砂利を敷いた道をかなり歩くことになった。東京の二人の家もかなりの大きさではあるが、ここは規模が違う。
 ここまで大きな屋敷だとは思ってもみなかった。
 50m程歩いてやっと、屋敷の駐車場らしい場所と庭に出くわした。
 だが、まだ玄関ではない。
 さらに進んでやっと玄関に到着した。
「これが玄関なのか?」
 日本家屋の玄関を見た事なかった鬼柳は不思議な感覚で玄関を覗き込んだ。
 インターホンは見当たらない。
 声をかけようとすると、中から誰かが玄関に向かってやってくる音がした。
「鬼柳様。遠い所、ようこそお越し下さいました」
 玄関に現れたのは、30才過ぎくらいのスーツの男だった。
 隙の無い風貌の美形の男は、執事の迦葉だと名乗った。
「今、主人が戻りました故、お先にお入りになってお待ち下さいませ」
 どうやって主人が戻ったと解ったのか、迦葉はそう言うと鬼柳にスリッパを進めてくる。
 従って迦葉に付いて玲泉門院の家に上がった。
 多数の部屋を通り抜けて、鬼柳が通されたのは、庭や池が良く見える部屋だった。
「どうぞ、こちらにおすわり下さい。すぐ主人もいらっしゃいますので」
 迦葉がそう言うや否や、ドカドカと廊下を歩く音をさせて部屋にやってきた。
「悪いな客人、少し待ってくれ。迦葉! 客に茶出して少し待ってもらえ!」
 部屋をひょいと覗いてそう大声を出したのは、あの玲泉門院葵だった。
 顔だけは写真で見ているからすぐに解ったが、これほど騒々しいとは鬼柳は思ってなかったので唖然としてしまう。
 着流しの着物で、髪は腰まで長く、透耶に似た顔つき。片眼鏡に煙管を持っているから、イメージは日本人なのだが、もっと威厳のある人物だと想像していた。
 それが、ここまでイメージが崩れる人物だとは思わなかったのである。
「これは誰だい?」
 真っ黒なスーツを来た男性が、葵の後にやってきて、部屋を覗き込み鬼柳を見て聞いている。
「そりゃ、透耶の男だ」
 葵がそう答えると、スーツの男は少し驚いた顔をして鬼柳をマジマジと見た。
「これが噂のねぇ。随分といい男を捕まえたじゃないか」
 スーツの男は、ニコニコと笑ってそう言った。
「透耶にしては上出来だろう。ちょっと相手してやってくれ」
 葵はそうスーツの男に言うと、さっさと部屋から下がっていってしまう。
 肝心の人が部屋を出ていってしまってやっと部屋は静かになった。
 鬼柳はこの騒動で自己紹介も出来ないでいた。
 何処で口を挟んでいいのか解らないのだ。
 鬼柳の相手を任されたスーツの男は、ニコニコしたままで鬼柳の隣の席に座った。
「自己紹介をしておこう。私は氷室馨と言う。先日は妹がお邪魔したようで」
 スーツの男が自己紹介したので、鬼柳はハッとして顔を上げた。
 そう、氷室馨、それは先日会った、透耶の従姉、氷室斗織の兄だ。玲泉門院の血を引く人物でもある。
「あ、あんたも玲泉門院の……」
 鬼柳がそう言うと、馨は頷いた。
「君が何を聞きにきたのかは、解ってるよ。誰でも相手の事は気になるだろうしね」
 馨はニコリとしてそう言った。
 このニコリは何だか危険人物の匂いがしたが、それは今は無視して、鬼柳は思い付いた事を言った。
「……あんたが約束の人か」
「当り」
 即答だった。
「何故そんな約束を強いたんだ?」
 鬼柳は強い口調で言ってしまう。あのせいで透耶はかなり苦しんだのを知っているからだ。
 だが、それにもおっとりとして馨は言う。
「強いたつもりはまったくなかったんだけどね。私がそういう考えでいるという事を斗織と透耶が嗅ぎ付けて、勝手に同盟を組んだ訳なんだ」
 まるで子供が勝手に作ったお約束だとばかりに馨は説明する。それこそ、鬼柳は信じられない。
「勝手にだって? あれほど強く枷になるほどだったのにか?」
「透耶は自我が強くてね。一度決めた事は守ろうとする。あの子の性格をもっと解っていたら、軽々しく言うべきではなかったと、今でも私は後悔しているよ」
 笑顔を絶やさない馨だったが、少し寂しそうな顔をした。
「私が誰も愛さないと決めたのは、私が愛する人が愛してはいけない、結ばれない相手だったからなんだよ」
 馨はそう言い出した。
「結ばれない相手?」
 馨の言葉に鬼柳は首を傾げた。
 馨は葵に似て、かなりの美形である。
 そんな男にそう思わせる程の人物がいるのかと驚いてしまう。
「私は、実の母親を溺愛していてね。結ばれるはずない相手だろ? だから彼女以外愛さないと決めた事が、どうやら誰も愛さないという意味になってしまったようだね」
「なるほど……」
 実の母親、玲泉門院朱琉を息子、馨は愛していた。
 だから、他の人を愛する気はなかったのだ。
 その意味を透耶は勘違いから、誰も愛さないと思い込んでしまった。
「失敗したとは思ったけど。説明するには、まだ透耶は幼くてね。母親を愛しているからと言っても、自分も母親は愛していると言い返してくるから、意味の違いを説明出来なくて」
 幼い透耶に説明するには、それは難しい事だった。
 透耶は自分の血と同じ、玲泉門院の人達を愛してやまない。同族を思う気持ちは鬼柳さえ入る事が出来ない程だ。
 その従兄が、母親を性の対象として愛しているなど、言えるはずはない。
 透耶にそれが理解できるはずもなかった。
「でも、強いたわけではないけれど、透耶にはいい事になった結果には喜んでいるよ」
 馨はそう言って微笑む。
「これほどいい男を落とすとは、なかなかなものだよ。透耶がここにいれば誉めてやるのになぁ」
 馨はのんびりとした口調でそう言う。
「あんたも抵抗はないのか……」
「あ、うん。そういう事を気にする身内はいないよ。どちらかと言えば、女の子だと困った事になるだろうという感じかな?」
「女だと困る?」
「出来ればなのだけれど。玲泉門院の血を後世に残すのは、よくないと思っていたからね」
「子供か」
「そう。私も自分の実の子は残すつもりはないんだよ。葵さんもそう、斗織も光琉も同じ気持ちだよ。こんな呪いを断ち切るには、子供を残さない方がいい。私達のような泣く思いをする事もない」
 馨に言われて、鬼柳は思い出す。
 透耶が泣いて、自分は呪われているから出来れば鬼柳に消えて欲しいと言った事。  
 愛しい人に呪いをかけてしまう事に透耶は罪悪感を覚えていた。
 本当は一緒にいて欲しい。
 けれど、もっと長く生きられるはずの人を、自分の欲で壊してしまう事は透耶にはかなりの決心がいる事だった。
 全部欲しいと透耶が言ったのは、呪われてしまうのならば、全てを貰って全てに責任を負おうというつもりなのだ。
「あんたたちは自分達で全てを背負ってしまおうというのか? 何故分け与える相手がいてはいけない? 自分だけ幸せでも誰も傲慢とは言わないだろう」
 鬼柳はそう馨に言っていた。
 透耶が幸せではないとは言わせない。
 しかもそれが自分のせいで更に不幸を背負い込んだなど言わせない。
 それによって、俺が不幸になったとは言わせない。
 鬼柳はそう思っていた。
「それはそれは」
 鬼柳の真剣な意見だったのに、馨は笑い出してしまった。
 何か変な日本語でも使ったのかと鬼柳が首を傾げていると、馨は済まないと謝ってから言った。
「透耶は幸せだろうねぇ。私達は思っている相手から、そう言って貰うだけで一番幸せなのだから。君は透耶に相応しい。そう言って貰いたかったのではないかい?」
 馨に指摘され、鬼柳は言葉を失った。
 まさにそうだった。
 自分が透耶を愛している自信はある。透耶から愛されている自信もある。
 他は関係と思ってはいても、透耶から親族や親しい人を奪うような結果になってしまう事だけは避けたかった。
 その為には、自分は透耶の側にいる事は相応しいのかどうかを気にするようになっていた。
 両思いになって初めて感じる不安、それがこれだった。
「透耶に不利な事になって欲しくは無いとは思っている」
 鬼柳が正直に言うと、馨は微笑む。
「強引そうな君が、そう透耶を気遣うとは、すっかり骨抜きなんだね。そして、君は透耶に幸せにしてもらっているという事かな?」
「……そうだな。透耶には幸せにしてもらってる」
 ストレートに答える鬼柳を見て、馨はやはり微笑んでしまう。
 きっと好きだ、愛しているという言葉を惜しみ無く与えているのだろう。透耶が不安にならないように、気を使って言葉を紡いでいる。
 鬼柳がどういう男なのかは、馨はもうとっくに知っていた。
 透耶が行方不明になってすぐに調べた。
 この男が透耶を拉致監禁紛いの事までして透耶を側から離さないのも知っていたが、判断は透耶に任せていた。
 この男は、周囲が何を言おうと興味を示さない人物のはずだった。それが透耶に出会って、透耶を大切にして、そして愛していた。
 そして透耶も心を許しているかのように、側を離れず、更には、辛い事を忘れたかのように微笑んでいる姿を報告書で見た時には、透耶は運命の人と出会ったのだろうと思った。
 あんなに笑っている姿を見たのは本当に久しぶりだったからだ。
 だから、この男に任せても大丈夫だと思った。
 そう思ったのは間違いではなかった。



「私が三人目と解って安堵した?」
 馨にそう聞かれて、鬼柳は頷いた。
 ただの勘違いから始まった約束ではあったが、その深部の部分の意味が解って鬼柳は安堵していた。
 約束はあってないものだった。
 ただ一人の恋がそうさせただけだった。
 それが解っただけで鬼柳は満足だった。
「確か、透耶の初恋の相手もその人だったな……」
 鬼柳はそう呟いた。
 透耶の初恋の相手を聞いた時、「伯母さんだったんだけど、もう亡くなってるしね」と答えられた。
 寂しそうにしていたのを覚えている。
 初恋相手が母親と同じ歳ではあったが、透耶は真剣だったはずだ。その伯母さえ、不幸な死に方をしている。今でも忘れられないと透耶は言っていた。
「ああ、それね。そうだね、あの子しっかり告白して振られたからねぇ」
 馨はそれを思い出して笑い出した。
 今思い出しても可笑しくて仕方ないという感じである。鬼柳はキョトンとして馨を見た。馨は笑いをなんとか収めると、鬼柳に説明をした。
「告白したのは、小学生だったからね。やんわりだけど、私の母だけあって、ちょっときつめかな?」
「きつめ?」
 どういう人なのかは写真でしか解らないから、鬼柳は聞き返した。
 透耶から伯母さんについては、すごくかっこいい人だったとしか聞いた事がなかったからだ。
「母にもずっと思っている人がいてね。その人には伝えてはなかったけど、あの子には教えて、それで好きにはなれないからと断わっているんだよ」
「過激だな。確か、透耶の母親の事だったろうに」
 透耶が好きだったと言っていた朱琉は、馨の母であり、更に朱琉は透耶の母親柚梨の事を深く愛していたのだ。
 それを小学生に伝える事すら異常なのに、それが透耶の母親であるという事がもう過激としか言い様が無い。
 普通ならそんな事を言ったりしないものだ。
 それをはっきりと言うのだから、伯母である朱琉は相当な人物だったと鬼柳にでも予想は出来た。
「でもあの子は納得したよ。自分の母親なら仕方ないって。それに母も振られたようなものだしね。反対に慰めてたくらいだから」
 ……透耶らしい……
 振られた直後に、振った相手の心配をするあたりが透耶らしい所だろう。
 だが、そうした優しさを持っているのも透耶なのだ。昔から透耶の内なるモノは変わってはいない。そう鬼柳は感じた。
「母はとても天真爛漫な所があってね。そういう輝きには誰もが惹かれてたよ」
 馨はそう自分の母親を説明する。
 本当に眩しくて仕方なかったという風に。
 今はいない人。それでもまだ心に残る愛おしい人として。
「だからって子供が母親に恋愛感情を抱くか?」
 思わずそう言ってしまう鬼柳。
 別に興味の無い話なのに、馨ののんびりさに思わずツッコミを入れてしまったのである。
「仕方ないさ。私は名目上は母と暮らしていた事にはなっているけれど、本当は殆ど母とは暮らしていないんだ。それに同族愛も強くて、複雑な感情なわけだよ。もう亡くなった人だから、私があの人以上の誰かを愛するという事はないね。そうハッキリ言える」
 馨はそう答えた。
 それは愛する人が亡くなっても、その人を思う気持ちは変わらないという事なのだ。
 馨が一途なのは、ただの個人の性質ではなく、透耶も同じ所をみると、玲泉門院の人間は、ただ一人の人しか愛せない性質なのかもしれない。
 呪いがあるがゆえ、人を見る目が養われているのだろうか?
 ただ不器用な人間にしか見えない。
「それは、あの葵という人もそうなのか?」
 葵が結婚をしない、最後の玲泉門院の名を継ぐ人物だと聞いている。結婚はしないのではなく、出来ないような恋をしているのではないかと思ったのだ。
 そうとしか考えられない。
 玲泉門院の人間が唯一の人しか愛せないとすれば、葵もまたそうであると鬼柳は思えた。
「ああ、そうだよ。葵さんもまた自分の姉を愛していたからね。同じ穴のムジナだよ」
 馨がそう言うのと同時に、部屋に着替えを済ませた葵が入ってきた。
「あ、てめーら、俺の事何か言ってやがったな」
 真っ黒な着流しで、煙管を弄りながら自分の指定の席に座った。
 馨は笑って葵が言った事を交わす。
「いえ、御希望通りにお相手してただけですよ」
 ニコリと微笑んでいる馨を見て、葵がジロリと睨み、鬼柳を見てからこう言った。
 何故か物騒な笑みである。
「こいつ、何でも笑って答えるだろう? だけど一番危険人物なんだぜ。お前と透耶の事、探偵雇って全て調べさせたんだからな」
 葵がそう言ったので、鬼柳は驚いた。
 自分が調べられているなどとは思ってもみなかったし、調べられている事にさえ気が付かなかったからだ。
 気付かれないように全て調べられていたのだから、鬼柳が驚かない訳はない。
「調べたのは本当だよ。でも問題はなかったからね」
 笑って問題がなかったと言われても困る鬼柳。
「そういう問題じゃねぇだろうが」
 目の前で葵と馨が言い合っているが、鬼柳は一人で考えていた。
 透耶の親戚にあたる氷室は世界有数の財閥家である。同族結束が強い玲泉門院が関わっている人物がいるなら、当然、突然行方不明になった透耶の行方を探したはずだ。
 非公式とはいえ、透耶が入院した時に居場所はバレたはずである。そこで透耶を連れ戻す事をしなかったのは、鬼柳の身元調査をして、危険はないと判断したか、透耶の様子からそう判断したのかもしれない。
 そこまで、計算づくで、問題ないと笑う馨は、ある意味危険人物である。
 ……透耶に自覚はないとはいえ、透耶も資産家だ。誘拐されたりする事だってあるんだ。
 今までは関係ない所での誘拐監禁だったとはいえ、そっちの可能性の方が高いんだ。
 そういや、エドが「氷室だけとは争いたく無い」と言っていたな。
 この不景気にさえ業績を伸ばす巨大組織。張り合うだけ無駄だとエドワードは思っている。見えない力でバリアしているかのような頭脳集団の一族からなる組織。
 その中の一人である馨も十分な危険人物だ。
 透耶をあの子と呼ぶ時点で、斗織同様にかなり可愛がっているはずだ。光琉の事は光琉呼ぶのに透耶の事はあの子と呼ぶ辺り、透耶は玲泉門院にとっても特別 な存在なのかもしれないと鬼柳は思った。
 その透耶を連れ回している人物となれば、徹底的に調べ上げたに違いない。
 だが、鬼柳にとってはその方が良かった。
 今更、自分の事を全て解って貰っているなら、身元の事など話さなくてすむからだ。
 道理で、すんなり家に上げると思ったとも納得が行く。
 ここでは鬼柳の素性を知らない人物はいないという事なのだ。
「しかし、透耶抜きで一人で来るとは、なかなかなもんじゃない?」
 馨がそう言った時と鬼柳はハッと我に返る。
 葵と馨が何か話している所だった。
 葵はチラリと鬼柳を見て言った。
「度胸があるのか、ただの馬鹿か。計りかねる所だが。透耶を抜いた方が聞ける話でもあると思ったじゃんねぇのか」
 葵が鋭い所を突いてきた。
「ああ、呪いの話なら、あの子抜きの方がいいかもね」
 馨も同調する。
 何か訳がありそうな顔をした二人に鬼柳は首を傾げた。
「何故、透耶を抜いた方がいいんだ?」
 確かに透耶が知らない呪いの話もあるだろうとは思ったが、透耶に知られたく無い事があるような言い方である。
 それが鬼柳には不思議だった。
「知らない方がいい事もあるだろう」
「もう少し時間が経てば、話す話というのもあってね」
 二人はのんびりとそう言った。
「まず。呪いの話は透耶から聞いているだろう」
 葵が話を切り出したので、鬼柳は頷いた。
「お前はそれを信じるか?」
 これにも鬼柳は頷いた。
「透耶は嘘でそんな話はしない」
 きっぱりと言い切った。
 すると葵はニヤッと笑った。
「いい返事だ」
 煙管を一服すると、葵は言った。
「どういう説明をすればいいのかは解らねぇが、俺達一族が短命である事は事実だ。科学的証明がされないでいるから、それを世間では呪いと言うだけだ」
 科学的証明が出来なくて、正体不明のモノを呪いと呼んだ。ただそれだけの事なのだ。だが、その効力は失われず、玲泉門院の血筋を確実に減らして行く。
「本当に40才になった年に死ぬし、それは事実だよ」
 馨が付け足すように言った。それに続けて葵が言う。
「遺伝的何かがあるかもしれないとは言えない。血族ではないモノまでにもそれは伝染するからな。まさに呪いと言うしかない現象だ。我々はそれを受け入れるしかない。抗った所で、無駄 であるのは、代々誰もが体験した事であり、それならば、それを受け入れて生きる方が楽な事もある」
 やはり透耶が語った事は事実で、そう伝えられてきているようだった。葵は専門的にも調べたのだが、結果 はこれしかなかった。
「諦めて受け入れる訳ではないよ。それが事実であるならば、受け入れた方がいいという意味だから」
 確かに馨のような考え方をすれば、もっと楽であろう。だが透耶は苦しんでいた。
 ここにいる二人は運命を運命として受け入れ、そうして生きている二人だ。
 だが、まだ幼い透耶には、それを受け入れる事が簡単には出来なかった。だから、不器用な生き方しか出来ないでいた。
 その分、まだ光琉の方が分っている。
 光琉はそれを運命として、誰とも愛し合わないと決めているようだった。透耶達の約束とは別 に、自分でそうしているかのようだ。
 ただ言える事は、光琉には透耶しか愛せない。
 鬼柳のような愛し方ではなくて、兄弟愛が異常に強い感じであるが、それでも透耶以外の誰も愛していると口にしないだろう。
 ここで変わっていると思うかもしれないが、光琉は光琉なりに真剣に透耶が幸せである事を願っている。それだけでいいとさえ。  
 だが、透耶が鬼柳を愛する事は、光琉は最後の1人として取り残される事になる。
 そして碌な死に方をしないのも知っている。
 口には出さないが、それでも光琉は覚悟している。
 自分はそれを見届けるのだと。
「透耶も光琉も、碌な死に方をしないと言っていた」
 そう透耶が気にしていたのは、これだった。普通に病気で死ぬとかではない。事故死にしろ、とにかく遺体を見せられるものではない死に方をすると透耶は言っていた。
 透耶は鬼柳がそうなった場合、鬼柳の両親に申し訳が無いと思っていた。そんな死に方をさせる為に愛し合うわけじゃないと透耶は思っていたからだ。
 真面目な透耶だから、自分だけ幸せならいいとは思わない。
 だから悩んで、泣きながらでも鬼柳に告白した。
 呪いの事も含めて全てを話してくれたのだ。
「確かにな。透耶達の両親の遺体はまだ見つかって無いからな」
 葵がそう呟いた。
「そうなのか?」
 それは鬼柳も初耳だった。
 透耶はそんな事一言も言っていなかったからだ。
「ああ、酷い飛行機事故だったからな。まだ遺体が見つからない者も沢山いた事故だった。俺の姉も、遺体の一部しか見つかって無い状態だ」
 それで透耶は墓参りをしない理由がハッキリとした。
 そこに両親の遺体はないから、透耶が墓にこだわる必要がなかったのだ。
 透耶の両親の乗った飛行機は、殆ど空中爆発なようなモノで、遺体発見すら難しい事故だった事は、鬼柳も知っていた。 だが、透耶の両親の遺体が見つかって無いとは思ってもみなかった。
 透耶が両親が死んだ事を受け入れるのに時間がかかったのは、そういう訳だったのだ。
 それで透耶が壊れていたと言っていた意味が解った。
 これでは、透耶が両親の死を受け入れる事は出来ないだろう。
 京都に戻って、まだ両親がいるかもしれないと期待する自分。そして本当に死んだのだと再度受け入れる事が透耶は恐かったのだろう。
 家を処分したのも、そうした期待をなくすため。
 戻らない人を待つ場所を残したく無かったからだ。
 光琉は割り切って考える方だが、透耶はそうではない。だから余計に辛かった。自分が起こした事で、両親は帰国しようとして死んだ。もしもっと気を付けていれば、両親はまだ長生き出来たかもしれない、もしかしたら寿命を全う出来たかもしれないと、透耶はどれだけ自分を責めただろう。
 呪いがあったとしても、その亡くなる原因が自分では、透耶がある期間壊れていたとしても不思議では無い。祖父までもが死んでいるのだから。
 鬼柳は涙が出そうになった。
 何故、透耶ばかりにこんな不幸が訪れるのだろうと。
 それなのに透耶はその全てを乗り越えようとしている。
 強い力がそこにはある。
 だが、その力を与えているのが鬼柳自身である事に鬼柳はまったく気が付いてなかった。
「透耶を可哀相と思うだろうが、それも運命。我々だけに訪れれる寂しさではない」
 誰もが愛しい人を亡くせば悲しいし、寂しい。
 透耶に訪れた事は特殊ではないと葵は言う。
「死は平等に訪れる。ただ我々だけに期間が設けられてるだけに過ぎないんだよ」
 葵の言葉に鬼柳はハッとする。
 何も透耶だけが不幸な訳じゃ無い。世の中もっと不幸な人もいるだろう。ただ透耶に与えられた呪いは、命の期限が生まれながらにあっただけの事。
 その考えを読んだかのように馨が言った。
「そう考えた方が楽だよ。その期間、どれだけ輝いていたのかによって決まる幸せだし。他人がどうこういう問題じゃない」
 そう、その期間、どれだけ幸せだったか。
 それさえ証明されれば、例え命が短くても、何も問題は無い。精一杯生きた証となる。
 死んだ後など関係ない。今が大切なのだ。
 透耶はその今を鬼柳と共に生きて行こうと決めた。
 その相手に選んだのは鬼柳だった。
 だからこそ、透耶が好きだ、愛していると言えば、それは自分の意志を確認して、鬼柳と生きるのだと考えている証拠だ。
 それを受け入れてやれる喜びを鬼柳は再度噛み締めた。
「透耶は今幸せなんだろう。それはそれでいいじゃないか。自分で選んだ事だ。我々が反対する理由など何処にも無い」
 葵は笑ってそう言った。
 やはり反対はされなかった事に、鬼柳は苦笑した。
 男同士であろうとも、透耶が幸せならそれでいいという考え方なのだろう。
 これは有り難いというべきなのだろうか?
「反対はやはりしないんだな」
 鬼柳の言葉に葵はニヤリとした。
「してほしいか?」
 葵にそう言われて、鬼柳は慌てて首を振ってしまった。
 冗談じゃないという所だ。
 透耶に好きだと言って貰えるまでに、どれだけ時間がかかった事か。そしてそれがどんなことより嬉しかった事か。
 それを考えると反対されたくはない。
 鬼柳があまりに真剣に首を振ったので、葵は苦笑してしまう。
「ま、冗談だが。俺達は自分の事で精一杯だ。誰も干渉はしない。だが言う事は山程あるんだがな」
 葵はそう言って、欠伸をすると首筋を掻いた。
 のんびりとした言い方だった。
「言う事?」
 鬼柳が聞き返すと葵は頷いて言った。
「お前、今透耶の側にべったりだろう?」
「ああ、まあ、そうだな」
 鬼柳は笑って答えた。
 今は本当にべったりとくっついている。
 だが、その笑いを打ち消すように、葵が言い放った。
「それをやめないと、お前、早死にするぞ」

 
 
「早死に?」
 意外な葵の言葉に、鬼柳は首を傾げた。
 早死になのは解っている事ではないか?と言いたい所だが、葵の言っている意味は違う。
「答えは簡単だ。結びつきが強ければ強い程、側にいる時間が長いと騒動がやってくる」
 葵がそう言う。
「騒動……」
 思い当たる節はいくらでもある。
 出会って数カ月で、透耶は二度も誘拐されているからだ。
「悪いが、馨が持ってきた調査は読ませて貰った。お前の友達とかがもみ消した事でも、こっちは把握している」
 そう言われて、鬼柳はドキリとした。
 それはメイドが起こした事件も含まれている事を意味していたからだ。
 そこまで調べあげる事が出来るならば、些細な出来事でさえも、玲泉門院には筒抜けなのだろう。
「お前らの繋がりは解る。一緒にいたいという気持ちも解る。だが、それでは一年と経たないうちにお前等は死ぬ ぞ」
 葵は衝撃的な事を言った。
 鬼柳はすぐには受け入れられなかった。
 暫く呆然として、それから再度聞き直した。
「一年だと?」
 まさか、そんな短い期間。
 信じられないと鬼柳は驚いていた。
 葵はため息を吐いて、それから鬼柳に解るように説明をした。
「ここ数カ月の騒動で解るだろうが。こういう言い方すりゃ解るか。透耶はタチが悪い。性格とかを言っているんじゃねえぞ。性質の問題だ。ただでさえトラブル体質な所に、お前が加わると、それが倍増される。だから死期は早い」
 透耶がタチが悪いと言われて、光琉の言葉を思い出した。
 光琉も同じ様な事を言っていた。
 玲泉門院特有の、それも人を引き付けてしまう力が強いのだという。望まないにしろ、周囲が透耶を放って置かない。
 その力がトラブルを呼ぶ。
 否応無しにそれはやってくる。
 それが鬼柳が加わって、更に増徴されている。
「俺が加わって倍増?」
 これが鬼柳には訳が解らない事だった。
 自分が加わってどうにかなるのは、寿命の話なのではないかと。
 だが、葵はそうではないと言っている。
「お前もかなりのトラブル体質らしいしな。やってきた事が事だけにトラブルがなかったとは言わせないぞ」
 言われて鬼柳は黙った。
 確かにトラブルがなかったとは言えない。
 周りで殺傷事件やら色々起こってはいたが、自分には関係ないと興味すらなかった。
 エドワードには散々注意されていたが、それをトラブルとは思ってなかったから全て聞き流していた。
 でも透耶を巻き込まなかったとはいえ、ついこの間も刃物を持った小僧に襲われている。メイドの件もそうだ。自分に向けられた好意が、透耶に牙となって襲い掛かる。
 自分の解らない所でどうなっているかなど、考えもしなかったが改めて言われるとそうなのかもしれないと思ってしまう。
 こうも似たような忠告をされると、今の鬼柳は真剣に考える事が出来る。
 それも透耶の為にと思うと余計にそうだった。
「仕事があるなら、さっさと仕事へ戻れ。簡易なもんじゃねえぞ。お前がやってきた、逃げたものの事を言ってるんだ」
 そう指摘されて、鬼柳は目を見開いた。
 葵が言っているのは、報道の仕事の方の事だ。
 逃げてきたモノ。だけど辞めると決めてからもまだ決心出来て無いモノ。
 報道のカメラマン。
 辞めようと思っていた所で透耶に出会った。
 まさに運命としかいいようのない出来事で、鬼柳は正式にはまだ報道カメラマンをやめてはいなかった。
 それにカメラを使っていると透耶はいつも嬉しそうにしてくれる。それが嬉しくて、とうとうカメラを手放す事が出来なくなっている。
「内情は知っている。だが、お前もまだ未練があるんだろう。だから他の仕事をしようとは思わないのだろう」
 そう指摘され、鬼柳は目を瞑ってしまった。
 まさにその通りだった。
 辞めようとしても、どうしてもハッキリと辞める事が出来ない。
 報道という仕事は好きではないが、自分が仕事をするとして、思い付くのはそれしかなかった。
 ただ興味半分で始めたモノだったが、捨てられない訳もあった。捨てようとして、透耶に出会ってしまった。まるで捨てるなと言われたような気がした。
 それからずっと気になっていた。
 戻るなら、きっと報道という仕事だろうと。
 葵はそれをやれと言っているのだ。
 だが、透耶の側を離れたく無いというだけで、今はそれを見ないようにしている。
 離れている間に透耶を失ったらと考えるだけで、恐くて動きだせない。
 けれど、そうならない為に距離を置けと葵は言っている。
「お前が逃げている限り、透耶の寿命は短いな」
 葵が止めを刺すように言い切った。
 それに馨は苦笑する。
「葵さん、そういう言い方はよくないと思うよ」
「ストレートに言ってやってんだ。下手に遠回しに言って勘違いされたら意味ねぇだろうが」
 くだらないとばかりの言い方をする葵。
 選ぶなら一つしかない。それを迷う事が鬱陶しいとさえ葵は思っているのだ。
「だけど彼も悩んでいるんだろうし」
 馨は考える時間くらい上げてもいいだろうと言うが葵はそれにいら立ちを見せる。
「悩む期間は終わりだ。いつまでもぐだぐだ悩んでも仕方ねぇだろう。さっさと決めてしまえ」
「葵さんじゃないから」
 葵なら迷わず戻るだろう。
 この男はそういう男だ。
 大切な物を守る為なら何でもする。
 そう、玲泉門院の名を唯一継ぐ男は、愛する人を守る為になら何でもやってのけるのだ。そうした所は馨も変わらない。
 愛する人を守る為に、氷室という組織に身を投じているのだから。
「透耶が心配だから遠くに仕事に行けないなんざー、馬鹿げた理由だと教えてやってんだよ。俺等は、近くに居過ぎると駄 目なんだって教えてやってんだよ」
 葵は忠告はした。だが、それを信じるか信じないかは鬼柳が決める事であると突き離している。
 選ぶのは、一つしか無いと経験上言える。それでも別の運命を選ぶのも鬼柳の自由である。
「近くに居過ぎると駄目なのか?」
 鬼柳は誰にでもなしに聞いていた。
 それに馨が答えた。
「うん、まあ、そうだね。離れている方がお互いの為になるというか。短命であろうとも、寿命までは生きられると思うよ」
 それに続けて葵はまた毒を吐くような事を言った。
「お前らは相性はいいだろうが、性質的に悪い。お互いがお互いを必要とし過ぎて、のめり込んで、いずれ自滅するタイプだ。だから少しは離れろと言っている」
 そう言われて鬼柳は思い出す。
 本格的な仕事ではないにしろ、透耶と少し距離を置く形になったエドの仕事を手伝っていた時、透耶の周りでは何も起らなかった。
 平穏で、過ごしやすくなっていた。
 それは事実だ。
 鬼柳が透耶を束縛し出した時に限って、何か事件が起っている。それは否定出来ない。
「命令じゃねぇから、どうするかは自分で決めるしかねぇだろうが、一応忠告として聞いておけ」
 葵はそう言って煙管の草を変え始める。
「葵さんから言われると、命令されてる気がするけどね」
 馨は笑ってそう言う。
「そう思うのは、思い当たる節があるって事だ」
 葵は素っ気無く返す。
「経験上の事を言ってるだけだろうが。アドバイスしていると言ってくれ」
 葵の言葉を聞いて、鬼柳はまたも悩んでしまう。
 葵はちゃんとしたアドバイスとして誰も言わない事を言ってくれているのだが、毒があるような言い方なので素直に聞けない。
 それは本当にそうなのかと疑ってしまう。
「呪いの効果はそんなにもあるのか?」
「あるとしか言えない」
「離れた方が透耶の為になるのか?」
「お前の為にもなるだろう」
「俺?」
 自分の事を言われて鬼柳はキョトンとする。
「お前がいなきゃ、透耶も生きて無いだろう。同時に死ぬとは言われているが、もしその事が例外としてなかっとしたら、透耶は確実に生きてないだろう。お前と生きる為に透耶は最後の大切な人としてお前を選んだんだ」
 そう言われてハッとする鬼柳。
 透耶が鬼柳を選ぶのに、随分時間はかかった。
 心は許していても、透耶はいつでも逃げ出せる準備をしていた。鬼柳を欲しいと言った時、透耶は本当に告白するのはこれが最後だと思っていたはずだ。
 一緒に生きる為に一緒にいるはずなのに。
 もし鬼柳がいなくなったら、透耶は生きてはいないだろう。それくらに鬼柳を大切に思っている。
 今度大切な人を失ったりしたら、透耶はもう駄目だろう。まさに今は鬼柳の為に生きている。その糧を失ったら終わりだ。
「そもそも呪いなんてモノに捕らわれるモノではないと言いたい所だが、こっちの呪いは本物だからな。出来る範囲で忠告は出来る」
 葵はそう付け加えた。
 呪いの謎は解らないままだが、今までそうした事実が続いている限り、呪いの効果 は変わらない。
 葵達はそれを身を持って体験してきている。
 そう斗織にも言われた事だ。
「忠告……」
 鬼柳はその忠告を聞くべきなのか迷ってしまった。
 もしかして、透耶と離させる為に言っているのかもしれないと疑ったからだ。
 同族愛が強い一族だから、透耶に不利になる事は排除しようとしてのセリフとも考えられる。
 透耶は葵の言う事なら何でも聞きそうな雰囲気だ。
 だが、全部が本当の忠告ならば、自分はその言う事を聞いた方がいいだろう。 
「あんたの言う事は、何故か透耶を助けたいから言っているように聞こえる」
 鬼柳は正直に感想を洩らした。
 すると葵はニヤリとして答えた。
「当り前だ。透耶を助けたいと思って言っている。だが、それに連動しているお前も助けたいと思っている」
 葵はそう言った。
 きつく言うのは、何も透耶だけを助けたいから言っているのではなく、鬼柳も助けたいから言っている事なのだ。
 誰もきつく意味を教えないから、葵がそれを教えているだけだ。
 代々続いた玲泉門院の名を継ぐモノがその役目を持って行って来た事である。
 その役目を葵は務めているだけなのだ。
 透耶がいない方がいい、知らない方がいいというのはこういう話になるからだったのかと鬼柳は思った。
「まあ、こういうのが俺の役割でね。透耶はそれを解っていてお前をここへ来させたんだろう」
 葵はそう言った。
「透耶が?」
「透耶が言いたい事は一つしかないだろう。お前に仕事をして欲しいという事だろう。ずっと一緒にいたいのは解る。解るが、それでは駄 目だと思っている。だが中々言い出せない。お前が遠くへ行ってしまう事、そして長く会えなくなることになるのに、それをはっきりと言い出せる訳はない」
 透耶が言いたい事を葵が代弁しているのである。
「それは考えている……。透耶が言い出せないのも解ってる」
 鬼柳はそう言った。
 透耶が最初の頃、何度も仕事の事を言い出すのはどうしてだろうと思っていたが、それはこれを意味していたのだ。
 だが、長く側にいると離れたく無いという気持ちが勝ってしまって、中々言い出せなくなる。
 だからこそ、その決心を固める為に、京都へ来る必要があった。
 出直しではないが、透耶は鬼柳にも自分と同じように前に進んで欲しいと願っている。
 それは解っている。
 解っていて、自分が甘えている。
 透耶が言い出さない事をいい事に甘えている。
 だが、それを考える時期になっているのかもしれない。
 透耶が与えてくれた時間。
 それを鬼柳は大切にしたかった。
 透耶は優しいから、自分から考えだせるようになるまで待ってくれた。今度は自分が透耶に告げる番なのだろう。
 透耶が告白してくれたように。
「何だかんだ言ってもラブラブなんだよねぇ」
 馨がそんな事を言い出した。
「今頃、お前が言うな」
 葵がツッコム。
「だって、お互いの事思って必死だからさ。羨ましいや」
「だったらお前も男に走れ」
「残念だけど、そこまで思える程、私は熱くなれないんだな」
 馨はそう呟いた。
「そうだ。何か聞きたい事があったんじゃなかったっけ? こっちが勝手に話進めたんだけどさ」
 話を逸らすように、馨が鬼柳に言った。
「いや、玲泉門院についての事を聞こうと思ったんだが。もういい。見ていて解った」
 今更詳しく聞く必要は無いと鬼柳は判断した。
 玲泉門院葵を見て、更に全関係者に会ったのだから、何者かという部分は解消された。
 玲泉門院は呪いを受け入れ、更にそれを浄化する為に生きている一族なのだ。
 誰も愛さないと決めたのではなく、誰か唯一の一人を愛する事しか出来ない不器用な人達だった。
 謎は多いが、素性はそんなものだ。
 玲泉門院について、鬼柳がこれ以上知る必要は無い。
 ただ透耶を愛していれば、それだけで十分だと解った。



 話を聞きにきた鬼柳が帰る時、執事の迦葉が耳打ちするように鬼柳に言った。
「主人はあのように口が悪うございますが、根は正直な方です。今日の話は全て本音で話してらっしゃいます」
「本音だったのか」
 鬼柳はそう聞き返してしまった。
 葵の言う事は解るが、透耶や光琉は曲者だから、本音を話すとは言えないと言ってたくらいだ。
 だから何か裏があるのだろうと思っていたが、鬼柳的には、なにか考える機会をくれた人という印象があった。
「ええ。私がこういう事を言うのは何でしょうが。どうか透耶様とお幸せになられてください」
 執事の迦葉は、透耶を心配する一人だった。
 ここでは、透耶はかなり愛されている。
 それが解って、鬼柳は何故か自分の事のように嬉しかった。
「ありがとう」
 そう素直に言葉が出た。
 透耶は逃げ出した場所でも、ちゃんと思ってくれて、待ってくれている人が沢山いる。
 自分を含めて、その幸せを願ってくれる人が沢山いる。
 それは力強くさせるものだった。




 帰りにタクシーを拾うのに、鬼柳は大通りまで歩こうと思った。透耶の元自宅もこの辺のはずだと知っていたからだ。
 透耶が暮らした場所はどんな所なのか興味があった。
 今は透耶の全てを知りたい。
 透耶の為になるなら、どんな事でもしたいと思っていた。
 離れる事が透耶の為になるなら、それも考えなければならないだろう。
 一緒に生きると約束をした。
 生きる為にしなければならない事がある。
 そう鬼柳が考えている時、前から一人の男が歩いてきた。
「あのー、済みません」
 通りすがりに話し掛けられて、鬼柳は振り返った。
「ここら辺に、玲泉門院という屋敷があると聞いたんですが」
 そう言われて、鬼柳はその場所を教えようとした。
 しかし、いきなり後頭部を何かで殴られた。
 急激な痛みを感じて、地面に平伏した所へ、もう一度何かが振り落とされ、衝撃を受けた鬼柳はそのまま気を失った。

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