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しんみりとしてしまった雰囲気をどうにかしようと透耶は顔を上げて微笑もうとした。
その時、意外な人物が目に入ってきた。
「あ、平治さんと鏡花さんだ」
ファミレスに入ってきた二人は何故か透耶達以上に浮いている。
おやっさんは夏だから暑いのだろうが、タンクトップにジーンズに草履。鏡花は流行りのファッションで決めている。それが並ぶと妙としかいいようがない。
「珍しいな、二人一緒にこんな所に」
二人を見知っている鬼柳でさえ変だと思ってしまう行動だったようだ。
手を上げて二人に合図すると、二人も気が付いて透耶達の席にやってきた。
「久しぶりじゃないの、鬼柳。それに透耶君」
鏡花はそういうや否や、透耶の隣に座ってくる。
「久しぶりだな」
おやっさんは立ったままで鬼柳に挨拶をした。
「ああ、久しぶり。ちょっと悪いが暇なら、少し透耶を見ていてくれないか?」
鬼柳は適当に挨拶をすると、二人を呼んだのには意味があるという風に言った。
「ああ? なんか用事か?」
おやっさんは不思議そうな顔をしたが、取りあえず透耶を連れて行けない訳を知りたがった。
「まあ、透耶を連れて行く場所じゃないからな」
鬼柳がそう答えると、立ち上がった。
「恭?」
鬼柳がいきなり立ち上がったので透耶は不安顔で鬼柳を見上げた。
鬼柳はそんな透耶を安心させるように頭を撫でて言った。
「ちょっとおやっさん達と話してな。残りの買い物済ませてくるから」
鬼柳はそう言ったが、残りの買い物と言われても、今日の買い物は全て終わっているはずだった。
「残り?」
一体、何が残っているのだろうと不思議顔の透耶におやっさんが耳打ちをしてそれを教えてくれる。
「そんなの、セックスする時のローションとかに決まってるだろうが」
そのおやっさんの言葉に、透耶の思考は止まってしまう。
……え?
今、なんて言った?
え?え?
パニックになってしまった透耶。
鬼柳はおやっさんを睨み付ける。
「余計な事を言うな」
鬼柳が怒って言ったのだが、おやっさんはふふんと笑って言い返した。
「本当の事だろうが」
確かにそれは事実だった。
買い物帰りにいつもの店に寄るつもりだったのだが、そういう時はいつも透耶を車で待たせてからにしている。
だが、今回は丁度透耶の沈んでいる心を浮上させるには自分以外の誰かと会話した方がいいと判断したから頼んでいるのだ。
「本当でも言うなって言っているんだ」
「今さら何言ってんだか」
鬼柳とおやっさんが頭の上で言い合いをしていると、やっと思考が戻って来た透耶が真っ赤な顔をして俯いてしまった。
それはもうゆでダコのように耳まで真っ赤になってしまっている。
鬼柳からの行為には慣れてはいても、さすがに面と向かって言われた言葉には弱かったのである。
「いやーん、可愛い、照れてる~」
鏡花がそう言って透耶を抱き締めた。
まるでお気に入りの人形でも抱き締めるかのように、スリスリとさえしてくるのだが、透耶はそれどころではない。
「やる事やっといて、今さら照れる事か?」
鬼柳以上にデリカシーのないおやっさんがそう言い放つと、透耶はますます顔を赤らめてしまう。
だが、そこは鬼柳が言い返した。
「透耶はウブなんだよ。だから余計な事を言うなっていってんだ」
とはいえ、一番余計な事を言っている鬼柳が言っても説得力がまったくない。
少し思考が回復していた透耶はそう思っていた。
……恭だって似たようなものじゃないか……
通りで平治さんと馬が合うはずだ。似た者同士なんだもん。当たり前だ。
言いたい事をありのままに言う所は、鬼柳もおやっさんも変わらないのだった。
喧嘩腰な話し方だったが、これがいつもの鬼柳とおやっさんなのである。
「鬼柳の事だから、しつこいでしょ? マンネリにならないようにおもちゃ送ろうか?」
と、いきなり鏡花がそう言った。
それこと透耶はまた固まってしまう。
おもちゃって……あれの事……?
以前、お仕置きだと言われて無理矢理入れられたディルド。その記憶が蘇ってくる。
「い、い、い、いりません……」
消え入りそうな声で透耶はなんとか断った。
あれは透耶が嫌がって以来使った事はないし、それ以来見かけない。鬼柳は鬼柳で、透耶が嫌がった事よりも、あんなものでは嫌だと言い、鬼柳でなければと言った透耶の言葉を嬉しがって、二度と使おうとは思っていなかった。
透耶が必死で断っているにも関わらず、鏡花の障り攻撃は止まらない。
「あらあら、こんな所にキスマーク」
そう鏡花が言って透耶の服の襟を引っ張って中を覗き込んでいる。
「きょ、鏡花さん!」
透耶はなんとか鏡花を押し退けようとするのだが、鏡花の何処にそんな力があるのだろうかと思う程の力で透耶は押さえ付けられていた。
なんで、俺、女の人に押さえ付けられて、身動き出来ない訳???
透耶は自分の非力さを嘆いてしまう。
まあ、コツさえ解れば、人間を簡単に押さえ込む技を鏡花が持っていただけに過ぎない。
「呆れたぁ。歯形までついてる~」
鏡花は本当に呆れていた。
鬼柳が透耶に御執心なのは分っているが、ここまでだとは思っていなかったようだった。
首筋にあるのは、キスマークだけではなく、歯形の印も付けられている。
鬼柳はキスマーク以外にも歯形をあちこちに残している。何故そうした印を残そうとしているのかは解らないが、少し噛まれただけでも一週間は綺麗に歯形は残ってしまう。透耶の身体は痕が残りやすく、消えにくいのである。
その歯形を見た鏡花がさらに呟く。
「食べちゃいたいくらいにいいって事なのかしら?」
そう問われても透耶が答えられるはずはない。
鬼柳が何を考えて歯形まで残すのかも分っていないからだ。
食べたといえば食べたといえるのだろうが。
更に透耶の身体を調べようとする鏡花。それに何とか抵抗している透耶。
鬼柳が爆発して怒らない前に、おやっさんがそれを止めた。
「鏡花、脱がすんじゃないぞ」
あくまでも人前であるという常識はおやっさんにはあったらしい。
脱がす事を禁じられた鏡花は素直にやめてしまう。
「はーい、ボス」
おやっさんの言う事なら何でも聞くとばかりに、鏡花はさっと透耶の服から手を離した。
一応これで助かったと透耶はホッと息を吐いたのだが、そうは問屋が卸さない。
「肌の艶いいわねえ。大事にされているってすぐ解るわ~」
鏡花は言って、透耶の頬を両手で包んで撫でてくる。
攻撃が終わったと思っていた透耶はまた何かされると怯えてしまう。
どうして、鏡花さん、俺にそんなに触るの!?
何? 何なの!?
とパニクッてしまう。
拒絶しようにも、鏡花を無下には出来ない透耶。
いい加減触られるのが嫌になってきてしまった。
元々他人にベタベタと触れられるのは苦手なだけに、どうしていいのか解らなくなってしまっていた。
見兼ねた鬼柳がそれを止めに入る。
「いい加減、人のモノに触るのをやめろ」
普段なら、速攻止めているはずの行動でも、鬼柳は日本で世話になったこの二人には滅法寛容な所があったらしい。
鬼柳は止めに入った際、透耶を触っていた鏡花の腕を捻り上げていた。
さすがにこれは痛いらしく、鏡花もパッと透耶から離れた。
「痛いって! 冗談だってばぁ!」
「お前の冗談は度が過ぎるんだ。次やったら骨折るからな」
鬼柳は今まで耐えていたんだとばかりの低い声で鏡花を脅した。それは本気の言葉だった。
鬼柳の本気が分った鏡花は言葉なく頷いた。
これ以上の冗談は通じない。
特に、透耶を絡めた冗談は、初めから鬼柳には通じないのかもしれない。
寛容に見てもらっていたのは、ただずっと知り合いだったから、世話になったからというだけの恩なのだ。
鏡花が透耶から手を離した所で、鬼柳も鏡花の手を離した。
「とにかく預けて行くから、しっかり見ててくれ」
鬼柳はおやっさんにそう言った。
だが、おやっさんは少し離れた席に座っている黒服の男二人をちらりと見てから言い返した。
「何言ってやがる。SPまでつけておきながら」
透耶達から少し離れた所で、富永と石山がずっとこっちを見ている事は鬼柳も解っている。
鬼柳と一緒の時は、少し離れた位置で彼等は待機して透耶を守っているのだ。
「あいつらは、あいつらだ」
「へぇ」
おやっさんはニヤニヤしながらそう言う。
つまり、鬼柳が言いたいのは、透耶の話相手になる相手が欲しい訳で、いつも一緒にいるSPではなく、懐かしく出会ったおやっさんと鏡花に透耶の話し相手になって欲しいと思っていたのだ。
その方が透耶の気が紛れると思っていたからこその願いなのだ。
もちろん、おやっさんもそれは解っている。
ムッとして鬼柳はおやっさんを睨み付けた。
それが今まで見てきた鬼柳の表情ではなく、可愛らしい怒り方だったので、おやっさんは可笑しくなってしまう。
こりゃ、かなり透耶に影響されて少し子供っぽくなってやがるな。
「分ったってば。しっかりと見てるから、さっさと行ってくれば?」
さっきの事などまったく気にして無い鏡花が鬼柳にそう言った。
さっきはやめろと言ったのに、さっき程ではないが、鏡花は透耶の頭を撫でたりしている。
透耶はどうしていいか解らない顔をしている。
「……行って来る」
任せていいのか不安になりながらも、このまま言い合っていても埒があかない思った鬼柳はファミレスを出て行った。
一人残されてしまった透耶は不安になってしまったが、鬼柳がいなくなると、すぐに鏡花の触り攻撃はやんでしまった。
どうやら、本当に鬼柳をからかう為に透耶に構っていただけだったようだ。
立っていたおやっさんが、透耶と向かい合わせになる席に座って、じっと透耶を見つめてきた。
すると、鏡花はさっさと別の席に移ってしまった。
「……あの?」
何か変な感じがして、透耶は鏡花を見てそれからおやっさんに視線を移した。
おやっさんは何も言わずに、鏡花に自分用のコーヒーを注文させると、タバコを一服吹かせてから透耶に言った。
「あいつ、まだ仕事してねぇのか?」
いきなりのおやっさんの言葉に透耶は驚きながらも聞かれるだろうと思っていた。
「え、あ、はい……」
最後の「はい」は小さな返事になってしまった。それもそのはず。鬼柳が仕事をしない事は透耶もずっと気に掛けていた事だからだ。
いつか誰かに言われる。
それも解っていた。
「透耶がいやぁ一発でやりそうなのにな」
おやっさんは本気でそう思っているらしく、透耶をけしかけるように言った。
だが透耶はそれに首を横に振って答えた。
それだけはないと、はっきりと言えるからだ。
「それは、今は無理です。俺の言葉なんて今は通じないんです」
透耶はそう答えた。
ことあるごとに透耶は鬼柳に仕事の話を持ち出してやる気になるように仕向けてはいた。
それでも鬼柳の中にあるモノが納得しない限り、何かきっかけがない限り、透耶の言葉でさえ鬼柳は受け付けないのだ。
「何故だ?」
おやっさんは不思議そうに訳を聞いた。
「恭の心の問題です。確かに俺の方もそうですけど、恭の方にも何かきっかけが必要だと思うんです」
透耶はそう答えた。
ずっと一緒にいたい。
それはずっと側にいることではないと、透耶も鬼柳も解っている。
透耶は、鬼柳に元の仕事に戻って欲しいとは願ってはいても、心では離れて欲しく無いと思っている。
鬼柳も、このままではダメだと解ってはいても、透耶の側で甘えていたいと思ってしまっている。
それではダメだと解っているのに、双方が踏み出せないでいる。
透耶はそのきっかけとして、鬼柳を良く知っている人物、もしくは透耶の事を良く知っている人物の助言や言葉が必要だと思っていた。
「それが、この旅行なのか?」
透耶達が旅行に行く事は伝わっているらしい。おやっさんはそれがどんなきっかけなのかさっぱり解っていなかった。
「はい。京都は俺の実家があります。それから、俺の事を良く知っている人がいるんです。そこでアドバイスをくれる人が二人います」
透耶はそう答えた。
その二人に会わせる為に、透耶は京都行きを決めたのだ。ただの旅行ではない。意味がある旅行。
「その二人の言う事なら聞くってのか?」
おやっさんは鬼柳が透耶以外の誰かの言葉を素直に聞いて仕事に戻るとは思っていない。
もちろん、透耶もそれは解っている。
「いえ、ただきっかけになればいいと思っています」
透耶はそう言って微笑む。
確証はない。けれど、何かの原動力にはなるかもしれない。そういう話が京都では聞ける。
特に鬼柳の為になる、自分が関係している話はそこで全て解るはずなのだ。
透耶の事で心配がいらなくなれば、鬼柳も自分の事に向き合うようになるかもしれない。
そうした期待を透耶はしていた。
そして、自分の背中を押して貰う為にも京都へ行く事は必要だとも思っていた。
「そうか、そこまで決めているなら、俺が口出しする事じゃないな」
おやっさんはそう言って微笑んだ。
鬼柳が仕事をしない事を責めているのではなく、その理由を透耶のせいにしている鬼柳に苛立っていただけなのだ。
だが、透耶が強く勧めても出来ない理由が鬼柳の中にあるのなら、それは自己解決するしか方法は無い。
ただ、透耶に出来るのは最後の一押しだけなのだ。
その一押しさえ、透耶は誰かにして欲しいと思っていた。
決断する勇気。
それが今は無い。
誰も愛さないと決めてから、鬼柳を愛してしまったので、引き際が解らないのだ。
誰かの言葉を鵜のみにするつもりはないが、信用出来る人の言葉なら、自分は前に向いて考えられる。
その言葉が欲しいだけなのだ。
「心配掛けてすみません。でも、恭はちゃんと考えてます。俺も恭の支えになれればとは思います」
弱そうに見えて、透耶はちゃんと先を考えている。
それはおやっさんにも意外な事だった。
先を見ないようにしているのは、鬼柳の方だったのだから。
……あいつも恋すると弱くなるんだな。
おやっさんは鬼柳になかった弱さを見て、あいつも人間だったのだと再認識した。
そこへ買い物を済ませた鬼柳が帰って来た。
余程急いだのだろう、少し汗をかいていた。
「恭、汗かいてる。外暑かった?」
透耶は慌ててハンカチを出すと、汗をかいている鬼柳の額や顔を拭いていく。
鬼柳は鬼柳でされるがまま。それどころか、にこにことして透耶に汗を拭かせている。
これが幸せだとばかりの表情に、おやっさんも鏡花も呆れ顔だ。
透耶と出会う前の鬼柳を知っているだけに、鬼柳が出入りしていた店などの人間がこれを見たら別 人だと思うだろう。
「買い物終わった?」
透耶はなにげなしにそう言ッてしまったのだが、鬼柳の買い物の内容を思い出して、はたっと止まッてしまう。
ヤバイ……。
透耶がそう思ったのと同時に鬼柳が言い放った。
「これで、痛く無いから、透耶といっぱいセックス出来るぜ」
そう返ってくるとは思っていただけに透耶は脱力してしまった。
聞いた俺が馬鹿だった……。
とほほとしている透耶をおやっさんと鏡花が見て笑っている。
「じゃ、俺らは帰るな。透耶を見てくれてありがとう」
透耶に手を出して席から立たせると、鬼柳はそう言った。そんな言葉が鬼柳から出てくるとは思わなかったので、おやっさんも鏡花もキョトンとしてしまった。
「お世話になりました」
透耶も頭を下げて礼を言った。
「ああ、またな」
「またね」
そう挨拶をして二人と別れて透耶達はファミレスを出た。
「透耶何話してたんだ?」
鬼柳にそう聞かれて透耶はクスリと笑って言った。
「恭の事だよ」
「俺の事?」
「色々とねぇ」
と透耶は言ってクスクス笑っていた。
鬼柳の仕事の事を話したのは秘密だった。もちろんそれが聴こえていたはずの富永も石山もそれを話したり告げ口したりしない。
「本当に俺の事なのか?」
鬼柳は運転をしていない富永に聞く。
富永は笑って「その通りです」と答えただけだった。確かに鬼柳の事を話し合っていたので嘘の報告では無い。ただ内容を言わないだけだった。
それが富永や石山の気遣いだと、透耶は気付いていた。ちゃんと透耶の内情を解ってくれている二人に、透耶は心の中で頭を下げていた。
本当に頼りになる人達でよかった。
鬼柳は鬼柳で何を噂されていたのか気になっていたが、透耶が楽しそうにしているから、大した事ではないと思ってそれ以上追求はしなかった。
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