「え? な、何?」
仕事の事を考えていた透耶は、びっくりして逃げ出す事が出来なかった。
肩に鬼柳の頭が乗っている。
「鬼柳さん?」
何が何だか解らない行動をする鬼柳だが、ただ抱き締めるだけというのは珍しいかもしれない。
俺、なんかやったかな?
ふと、そう思っていた透耶に、鬼柳の低い声が問うてきた。
「みつるって誰だ」
怖いくらいに真剣な声。
そして、何故か不安な響きがあった。
何だ、そんな事かと、透耶は吹き出してしまう。
「光琉は弟だよ」
「弟?」
「そう、弟」
「離れて暮らしているとか言ってた? 仕事してる? 何でだ?」
「うーん、離れて暮らしているのは、ちょっと事情があってだけど。光琉は芸能人なんだ。アイドルとかやってる。売れっ子らしいよ。歌とかも歌ってるし。知らない? 榎木津光琉って」
「知らん」
はっきりと言われた。
確かに鬼柳はそういうのに疎い。
しかし、幾ら疎い人間でもテレビを見ていれば、一度は何かで見かける程、光琉はメジャーなアイドルだ。
街を歩けば看板や、ポスターがあり、歌も流れている。
名前を聞けば、おじさんやお年寄りまでが、ああ、あの子ねと言う程の人気がある。
それを知らないとなると、余程の物だ。
まあ、この別荘の居間にはテレビないしな。
「はあ、なるほど、道理で」
透耶は思わず納得してしまう。
「道理で?」
「だって、鬼柳さん、俺の顔見ても何も言わなかったから」
「可愛いって言った」
「ちーがーう!」
ああもう!そういう事じゃないくってさ! どうしてこうも脱力すること言うかなあ。溜息が盛大に出る透耶。
「何が?」
「俺と光琉。双子なんだよ。顔なんかそっくり。体格とかも似てるし、一緒にいるとどっちがどっちだか解らないらしいよ。俺は似てないと思うけど。周りが間違う」
透耶と光琉は一卵生の双子。顔かたちが似ているが、良く見れば違うものである。しかし、身近な友人すら、二人が黙っていると必ず間違う程に良く似ていた。
唯一、間違わなかったのは両親だけだった。
「俺は間違えない」
「はいはい、どうも」
「……信じてないな」
「だって、光琉を知らないんでしょ?」
「知らん」
「見れば間違う。だから俺まで変装しなきゃなんないくらいだもん」
「変装? こんなに可愛い顔を隠すのか?」
不思議そうな口調で言われた時には、既に顎を掴まれ、首を反らせて上から鬼柳の強烈なキスがやってきた。
全てを狂わせる様な、何も考えられない様にする為に、鬼柳は、透耶の口内を犯していく。
頭の中は、官能の記憶が蘇ってくる。
舌を吸って、舐め回し、絡み付ける。高度なテクニックに透耶は翻弄される。
「……あ、ふ……」
やっと離れた口から息が漏れる。
鬼柳は、透耶の唇を、上、下を甘く噛み、溢れた液を舐め取っていく。顔中をキスしまくり、首筋へと唇が降りていく。
その時、電話が鳴った。
だが、鬼柳はやめようとはしない。
「き、鬼柳さん……電話」
透耶は鬼柳の攻撃をやめさせとうと、忍んでくる手を剥がそうとする。
「電話!」
「出なくていい」
「駄目だ!電話!」
「すぐ鳴りやむ」
鬼柳がそう言ったものの、電話は鳴り止まない。
さすがにうるさいと思ったのだろう、鬼柳が渋々顔を上げて叫んだ。
「……だああ! ちくしょー! イイ所で邪魔しやがって!」
誰だか知らないけど、電話、ナイス!
心の中で叫んだはいいが、鬼柳は抱き締めた透耶を離そうとはせずに、脇に腕を絡ませて逃がさないようにしてから、開いた手で受話器を取った。
「Hello? Pardon? Ed? Don’t come over. I don’t need you here.」(はい、鬼柳。え? エド? 来るな、用事はない。)
電話に出たとたん、鬼柳は流暢に英語で応対しはじめた。
もちろん、透耶には何を言っているのか解らない。
捕まえられてはいるものの、気になって聞き入ってしまう。
「Didn’t I tell you that I was on vacation? How did you find me? Did he spill it out to you? 」(俺は休暇中と言わなかったか? 何でここが分った? あいつが喋ったのか。)
低い声で、何だが冷淡に会話をしている。
相手はあまり好きではない人物らしい。
「 Listen. never ever come over here. This is none of your business. If you walk into my way. I’m gonna kill you. Understood?」(いいか、絶対に来るな。用事はない。邪魔したら殺す。聞け!)
何とか説得している感じにとれる言い方。
「Hey.Hey! You. son of a b*tch! He hung up! 」(おい待て! あの野郎! 切りやがった!)
鬼柳は舌打ちをすると、受話器を電話に叩き付けた。
あまりの怒鳴り声と怒りの英語に、透耶は怯えた。
良かった、ただの外国人さんじゃなくて……。と思ってしまった。鬼柳とは意志が伝わりにくいが、それでも日本語を喋っているから、透耶も意味は解るし、会話にはなる。だが、鬼柳がただの外国人だったら。言葉が通 じなかったら。透耶はどうなっていただろうか?
状況が変わらないにしても、言葉が解らないだけで、もっと恐ろしいものになっていたに違いない。
「Is he gonna come? Shoot. what should I do」(奴は来るつもりか? どうしよう。)
まだ、電話の衝撃が抜けないのか、鬼柳は英語で呟いている。
まったく違う事で、二人は悩んでいた。
が、悩みを切り上げるのが早かったのは、鬼柳の方だった。
「ち、あいつが来る前に一回やろうぜ」
悩み中の鬼柳からなら逃げられただろうに、そいうところが抜けている透耶は、逃げ出す事を忘れてしまっていた。
もしかしなくても、俺って馬鹿?
透耶は、押し倒されながら、そう思っていた。
次に透耶が気が付いた時、はっきり言って言葉を失っていた。
執務室のソファで、そのまま襲われ、ぐったりとして寝転がっている鬼柳の上に覆いかぶさるようにしていた透耶の所へ、ドアが開き、そこに金髪碧眼の美しい男の外国人が立っていたのだ。
普通なら唖然とするか、気後れするか、それとも嫌な顔をするとか、とにかく人として、この状況に反応しそうなものなのだが、この外国人は違った。
「Hello.」
と、何とも爽快に挨拶をしたのだった。
鬼柳は渋々上半身を起こし、そのズレで落ちそうになる透耶を膝に乗せて、抱き寄せてから返事をした。
透耶はもう顔を見せるのも恥ずかしくて、鬼柳にしがみついていた。
が、外国じゃ普通なのかあ!?
とか、悩む透耶を置いて、英会話は始まった。
「I told you not to come!」 (お前、来たな!)
「What have you been doing? 」(恭、元気だったか?)
この後、訳も解らない英会話が続き、鬼柳が怒鳴った。
「You. shut up!」(うるさい、黙れ)
その言葉に一瞬黙ったのだが、外国人は続けて話し出した。
今度の興味は、透耶の方に移ってしまった。
「Who is this boy?」(この子は?)
ボーイ、という言葉に透耶は思わず、外国人の方を見てしまう。見ると、ニヒルな笑みを浮かべた外国人が透耶を見つめていた。
「It is none of your business. 」(お前には関係ない)
「Don’t be so……hard on me. 」(そんなつれない)
「Forget about this all and get lost ! Now!」(いいから、今すぐ帰れ!)
真剣に鬼柳が言うのだが、外国人は無視。
外国人は、恥ずかしくて、更に怯えている透耶に向かって自己紹介をした。
「I am a friend of Kiryu. My name is Edward Lancaster. May I ask your name?」 (私は鬼柳の友人、エドワード・ランカスター。君の名前は?)
エドワード・ランカスターと外国人は名乗り、透耶に名前を聞いてきた。
さて、どう答えようと思って、鬼柳を見つめてしまう。
「自己紹介。どうしよう。うーん、えっと」
「透耶、しなくていい」
「駄目だよー。俺は、榎木津透耶です。こんにちは、初めまして。ってどういうの?」
しなくていい自己紹介と言った鬼柳だが、透耶に真剣にしかも小首を傾げて聞いてこられて、答えない訳にはいかない。仕方がないのだが、答えてしまう鬼柳。
「I am Toya Enokizu. How do you do. 」
「ゆっくり!」
透耶は鬼柳の顔を押さえると、早口の英語に不満を言った。近くで向き合う形になって、思わず笑みが零れる鬼柳。
「I am Toya Enokizu. How do you do.」
一言一句を区切って言うと、透耶はにこりと微笑んで解ったと言い、振り返って自己紹介をした。
「I am Toya Enokizu. How do you do. 」
取り合えず、ちゃんとした英語として自己紹介をして挨拶も出来た。
エドワードはニコリと微笑んでそれを受けた。
まあ、ここで透耶の英語が通じなくても、先に鬼柳が言っているので問題はない。
「How cute!」(キュートだね!)
エドワードはそう言って透耶に手を伸ばしたが、その手を鬼柳が叩き落として言った。
「Do you want me to kill you now? 」(今すぐ殺して欲しいか?)
kill?殺す?何で?
透耶はキョトンとしている。
エドワードは苦笑して、肩を竦めた。
「You’ve never been loyal to anyone before. 」(お前も節操がない)
エドワードは溜息を洩らして言った。
鬼柳という男をよく知っているだけに、この状況はエドワードにとっては珍しいものでもなかった。
鬼柳が休暇をしていて、更に強い口調で来るなと言う時は、必ず誰かを連れ込んでいる。
ただ、珍しいのは、自宅で(この場合は借り別荘だが)セックスの相手をベッド以外で抱いている事だ。
嗜好が変わったか? と思った。
「Not this time. 」(これは違う)
エドワードが透耶の事をどう思っているか解っている鬼柳は、いつになく真剣に違うと答えていた。
その言葉に、エドワードは真剣な顔になる。
そんな言葉が返って来るとは思わなかった。
「Are you serious? 」(え? まさか本気なのか?)
「Sure I am. 」(そうだ)
即答で答えが返ってきた。
鬼柳がそういう冗談を言って自分をからかっているのだと、エドワードは思った。
鬼柳にとっては、セックスはただの運動。
溜ったものを吐き出す道具。
そうでしかないはずだ。
たった数カ月で、本気になるとは思えない。
この男は、人を本気で愛せない。
愛する事を知らない男だ。
エドワードは、大笑いをして言った。
「Oh. man. you crack me up. 」(冗談が上手くなったな)
「Whatever you say. idiot. He doesn’t understand English. If you wanna say something stupid. do it in English.」(言ってろ、馬鹿。透耶は英語が解らない。変な事を言うなら、英語にしろ)
「If you insist.」(解った、そうしよう)
ジョークという言葉を無視して、鬼柳はとにかく変な事を透耶に言わないようにと忠告してきた。
エドワードは何となく釈然とはしなかったが、取り合えずいつもの鬼柳の対応だったので、それ以上はツッコまなかった。
「Once you get the situation. get lost. 」(解ったら、さっさと帰れ)
「Hey. can’t you even feed me dinner?」(おいおい、夕食くらいはいいだろう?)
「Only dinner. OK?」(夕飯だけだぞ)
仕方ないという風に、鬼柳は返事した。
「じゃあ、居間で待っている。Toya、後でね」
エドワードは流暢に日本語を使って言うと、悠然と執務室を出ていった。
「へ?」
茫然としたのは透耶。エドワードの出ていった後を見つめて、それから鬼柳を見た。
鬼柳は溜息をついて。
「あいつは、日本語出来るよ。5ヵ国語マスターしてる」
「ええ!? な、なんでそう言ってくれないの!」
「言う暇、あったか?」
「だったら俺が聞いた時に日本語でいいって言えばいいじゃないか!」
透耶が怒鳴ると、鬼柳は頭を掻いた。
「……透耶が、英語でって言って、可愛かったから、つい」
「ドアホ!」
透耶は鬼柳を突き飛ばした。
鬼柳は後ろにひっくり返って、ソファに完全に寝転がった。
そこで透耶ははっとした。
「っていうか、俺裸だった! ぎゃあ!しかもこの体制! いかにもじゃないか!」
「いかにもじゃなくて、そうだろ?」
透耶の下になっている鬼柳が、クスクス笑いながら言うものだから、透耶は鬼柳の顔を引っぱたいた。
「こんのぉ!変態!強姦魔!色情魔!年中発情期の馬鹿男!」
言うだけ言って、透耶は鬼柳の膝から降りようとしたのだが、その腰をがっしり掴まれた。
「発情期はよかったな」
この言葉に、透耶の拳骨が飛んだのは言うまでもない。