Switch 2

1

「もう……や……だ……」
 透耶は息を荒く吐きながら、やっとその言葉を言った。
 しかし、その透耶を見て、鬼柳がにやっと笑う。
 口には透耶自身を含み、舌を巧みに使って、張り詰めて濡れた透耶を追い詰めていく。
 指は透耶の孔の中で艶かしく動き回り、一本、二本と指を増やしていく。透耶の腰が揺れ、もうすぐイキそうな事を報せている。
 透耶自身から口を外すと、掌でぎゅっと強く握り締める。
「いきたい?」
 バリトンが透耶の耳で囁く。
「あ……ん……」
 低い声が全身を犯す様に快感になり駆け巡る。
 鬼柳は透耶の耳を軽く噛み、舌で舐める。
「んん……」
「何でそんなに強情なんだ? いきたいんだろ?」
「あ、ん……やあ……」
 眉を顰めて必死で堪えている透耶の顔を見ていると、鬼柳は我慢出来なくなってしまった。
「ごめん、俺、もう我慢出来ない。入れさせて」
 鬼柳は、孔に埋めた指を引き抜いて、自分の熱い物を孔に押し詰める。
 くっと腰を進めると、すんなりと抵抗なく、透耶の中に治まった。
「ああ……!」
 押し入ってきた鬼柳の大きさ、熱さに、透耶は高い声を上げる。それと同時に鬼柳を締め付けてくる。
「あ、んー。透耶、まだ狭いなあー。俺はいいけど、透耶は気持ちいい?」
「……い……や……」
「んー? いや? だったらなんでこんなに締め付けるんだ? 身体は素直なのに」
 二三回、鬼柳が腰を揺らすと、透耶は身体を震わせて、鬼柳にしがみつてきた。
「ああ……あん……」
 腕を背中に回し、爪を立てる。
「……つっ!」
 背中に爪を立てられたというのに、鬼柳はふっと優しく笑って、透耶の顔中にキスを降らせる。最後に唇を激しく吸い上げて名前を呼ぶ。
「透耶」
 その声はすごく優しい声だった。意地悪をする、悪戯をする時の笑いを含めた声ではなく、愛おしくて名を呼ぶ、という本当に透耶を安心させる声。
「ん……」
 透耶が薄らと目を開けると、目尻に口付けてくる。
「好きだ」
 鬼柳は繰り返し、繰り返し、まるで透耶を洗脳するように、「好きだ」と言い続ける。
 だけど、透耶はそれに答える事は出来ない。
 困った顔をする透耶、それでも鬼柳は笑って繰り返す。
「透耶、好きだよ」
 それがいつもの合図。
 激しく揺さぶられ、前後左右も解らなくなる程、鬼柳は透耶をかき乱す。擦り付けられる内部は、熱く、ポイントを覚えた鬼柳に追い詰められる。
 激動に翻弄され、透耶は高みへ上り詰める。
「あああん!」
「とおや……ん!」
 二人は同時に己を放った。


 
「透耶~」
 毛布を被ってベッドの中に潜り込んだ透耶は、鬼柳の呼び声に聞く耳を持たないで、寝たふりを続ける。
 あの馬鹿!毎度、毎度!
 怒りを露にして、無視を決め込む。
「悪かったって。でも、仕方ないだろう」
 続けて言う鬼柳。声は丁度頭の上辺りから降ってくる。
 何が仕方ないんだ!
 透耶の心の叫びが聴こえたように、鬼柳が言い放つ。
「可愛い顔をして寝てる透耶が悪い」
 言い訳が言い訳として成り立ってないので、透耶は怒鳴る。
「アホか! 寝起き襲って、俺が悪いだって! 冗談じゃない。こっちの身になってみろ! 散々やりまくったくせに!」
 透耶の怒り声を聞いても、気分を悪くする事もなく、どんなに罵られても、にやりとして言い訳、いや意地悪を言う。
「そう言っても、いつも透耶、いい顔してる。あんな声だして感じてない訳ないし。良かっただろ?」
「………」(怒)
「俺だって、透耶の中に入らないと、死にそうだし。これでもずっと一日中やりたいの我慢してんだぞ」
「………」(激怒)
 はっきり言って、勝手に死んでくれ!と思う透耶。
 ここ一週間。透耶は鬼柳のいいようにされまくっていた。
 とにかく、風呂に入れば隙を狙って一緒に入ろうとするし、居間で寛いでいても襲い掛かってくる。ご飯を食べていても、前触れなくキスをかます。
 だったらベッドを別にすればいい話だが、それも用意周到な鬼柳によって、この別 荘でベッドある部屋は、この一室を除いて、全てに鍵が掛けられている始末。
 他の部屋に逃げ込んでも、バリケードを作っても、この馬鹿力の男の前には何の意味も持たない。
 最後には、そうした物資さえ全て片付けてしまっている。
 隠れても結局ベッドへ引きずり戻される。
 じゃあ、逃げ出せばいいじゃないか、と思うが、まず最初に持ってたリュックを何処かに隠されてしまい、一番要の財布が手元にない。
 金がなければ、交通手段が一切使えない。
 車で無謀に、という方法もあるが、もちろん鍵はない。
 そして、ここまで着てきたコートさえも、何処にあるのか解らない状態。最初の隠し場所にはもちろんない。
 助けを求めるのに電話を掛けようにも、鬼柳が唯一鍵を持っている部屋にしか置かれてなく、他の電話はジャックから全部取り払われている。
 捨て身で逃げても、この別荘の門を出るまでに捕まる始末。
 今じゃ、家を出ようとするだけで、いつの間にか鬼柳が後ろにいるという、事態になっている。
 ここ二日は、もう側から離れない程の密着ぶり。
 ここまでされて、もし無事に逃げ帰ったとしても、また連れ戻されるのは目に見えて明らかだ。
 逃げようという素振りを見せれば、洋服一式を取り上げ、バスローブだけの状態にしてしまう。この一週間に二日程、買い出しに出かけられてチャンスはあったが、やはり洋服一式を取り上げられ、寝室に閉じ込められた。
 そのうち、鎖とか首輪とか、そういう物が出てきそうで、恐ろしくて、とても逃げ出せそうにない。
 こういう密着さえ無視すれば、鬼柳は至って優しいものだ。
 ご飯、洗濯、買い物、掃除と、オールマイティーにこなして見せる。非の打ち所がない。完璧だ。
 一週間、こういう状況になれば逃げ出す事も半ば諦めてしまう。
 ただ嫌なのは、セックス。
 これだけは、許容範囲を越えている。
 許せないのに、翻弄されると、結局犯されている。
 透耶は自分でも情けないと思っている。結局、自分は鬼柳の要求に答えている事になっているからだ。それに段々と慣れてきてしまっている。恐ろしい事に。
「とーにかく! こういうのはやめてくれって言っているでしょ。何で解ってくれないの?」
 起き上がって、鬼柳を睨み付け、諭す様な口調で透耶は言った。睨み付けた時は、物凄い形相をしていた。
 だが、その顔を見て怯む鬼柳ではない。
 ニヤリとイヤラシイ顔をして言い放つ。
「んー? いきたいって言わせようとすること? フェラして中々いかせないこと? 一日中やりたいって思ってること? ん? 何?」
「全部だ!ドアホ!」
 このまま喋らせたら、もっと卑猥な言葉が出てきそうだったので、透耶は叫んで止めさせた。
 透耶は真っ赤な顔をして、バスローブをひったくると、縋り付いてくる鬼柳を無視して寝室を急ぎ足で出て行く。
 それを追って鬼柳も出てくる。
「風呂沸いてるよ」
 バスローブ姿の透耶に対して、鬼柳はちゃんと服を着ている。これは透耶が拗ねている間に、食事やら風呂など支度をしに一度起きてきていた証拠だ。
 マメ男の鬼柳は、透耶の手を煩わす事は全てやってしまう。
 こういう所は、透耶も凄いとは思っている。言う前に全て何もかもが出来ているのだから、監禁やら、こういう事がなければ、もっと感謝していたかもしれない。
 そろそろ三月も下旬になっている。
 透耶は風呂に入りながら、出版社の担当の話を思い出していた。
「そろそろ連絡入れないと、マズイよなあ」
 四月の下旬には、自分の本が出る予定になっている。
 それに新しい本の打ち合わせもする予定だった。
「まず、電話だ。よし!」
 透耶は決心して風呂を出た。
 脱衣所には、新しい着替えが置かれている。
 透耶は服を一着しか持ってなかったから、この服は鬼柳が透耶の為に買ってきた服。何故か透耶の持っている服に似ている感じのものばかり買ってきている。
 センスはいいんだよなあ。が感想。
 というか、俺、貢いで貰ってるし……。
 服資金から食費に至まで、鬼柳は透耶から一銭も受け取らない。まあ、監禁しているのは鬼柳なのだから。
 ん、まあ、鬼柳が仕事を再開したら、彼はここを出るだろうし、そうなる頃には飽きるだろう。
 透耶は、鬼柳がさっさと自分に飽きてくれる事を祈っていた。


 ダイニングに行くと、鬼柳が食事を準備して待っていた。
「食べてればいいのに」
「んー、一緒に食べる方が楽しいだろ」
 吹かしていた煙草を消して、お茶碗にご飯を装い、味噌汁を入れる。
 うーん、お母さんだあ。
 確かに一人で食べるよりは、こんな阿呆でも一緒に食べる方が、気分的に楽しいのは確かだった。
 悔しいが、鬼柳の料理はどれも美味しい。
「いただきます」
 手を合わせて食べ始めると、目の前でご飯にがっつく鬼柳の姿。はっきりいって、この男は自分の料理を味わって食べているとは、到底思えない。
 ご飯をかき込む様に物凄い勢いで食べる鬼柳。
 透耶が半分食べる間に、鬼柳は全て食べ終わって、食後のコーヒーを入れて、煙草を吹かす。
「あのさ、鬼柳さん」
「ん?」
「ちょっと、電話を掛けたいんだけど」
「何処へ」
「出版社の担当さんに、仕事の事で用事があって」
「今しなきゃいけないのか」
「うん、来月の事とか、これからの仕事とか、話さなきゃいけない事だし。ここ一週間くらい音信不通 だから、マズイ」
 透耶は真剣に考え込んで言っていた。
 ここで駄目だと言われたら、もう手の打ち様がない。
 ハンガーストライキでもするしかないだろうなあ。
 などと思っていたら、鬼柳はいとも簡単に答えたのだ。
「解った。飯食ったらな」
 ニッと笑って言われたので、透耶の方が驚いてしまった。
「いいの?」
「逃げる訳じゃないし、仕事ならここでも出来るだろ?」
「はあ、まあ」
 そうなんだけど、何だか問題が、そこなのかなあ? 何かもう解らないや。
 取り合えず、電話はさせてくれるというのだから、この問題はこれでいいとしよう。
 妥協の妥協で、納得して、透耶はご飯を片付けた。
 
 
 食後のコーヒーを飲み終わった後、何処からか鬼柳が透耶のリュックに入っていたシステム帳を持ってやってきた。
 それがなければ、出版社の電話番号すら解らない。
「ほら」
「ありがとう」
 透耶がそれを受け取って、出版社の電話番号を確認しながら、鬼柳の後を追った。
 執務室は、鬼柳の持っている鍵で閉められている。鬼柳が鍵を開けて、透耶を中へ通 す。
 中は、応接室なのだろうが鬼柳は執務室と呼んでいる。
 そこには、ソファやテーブルがあるだけで、電話は奥のテーブルに置かれていた。
 透耶がここへ入るのは二回目だ。
 一回目は洋服を探しに来た時。
 その時は、まさか電話をかけるのにこんな手間がかかるとは思いもしなかった。
 受話器を取って、出版社の番号を押す。そしてちらっと鬼柳の方を振り返ると、閉めたドアに凭れかかって透耶をじっと見ていた。
 監視しているんだろうか?
 何度か呼び出し音が鳴って、相手が出た。
『はい、Q3出版社、書籍部門です』
「すみません、榎木津透耶と申します。担当の手塚さんをお願いします」
『はい、手塚ですね。―手塚さーん、榎木津透耶さんという方からですー』
 たぶん、近くにいたのだろう。すぐそこで、手塚の「嘘! こっち回して!」という大きな声が聴こえた。
 保留の音がして、すぐに手塚が出た。
『え、榎木津君! 本当に!? 大変だよ! 捜索願が出てるよぉ!』
「はい?」
 何だろう? 心配かけてすみませんと素直に言おうとしたのだが、手塚の意外な言葉に、透耶は?マークが頭に沢山浮かんでいた。
『だ、大丈夫なの?』
「えっと、まあ生きてます。心配かけてすみません」
『無事ならいいんだけど。何で連絡くれなかったの?』
 透耶の少し笑った声に、無事である事を確認した手塚は、ホッとして聞いてきた。
 この状況をなんて説明していいのか。とほほ、嘘つくしかないわけで。まさか、監禁されてます、と笑っても言えない。
 それに、男に抱かれてるなどとは、口が裂けても言えない。
「えっと、ちょっと寝込んでて。知り合いの世話になってたんです」
 うーん、怪しい説明だ。
『知り合い? でも弟さん、八方尽くして探してたよ? 弟さん、正気じゃないんだけど』
「えーと、最近のなんで、彼は知らないんです。光琉、何かしました? 仕事は行ってます? あ、当麻は?」
『当麻さんが何とか押さえているみたいだけど、同級生やら、知り合いやら、総動員して捜索してるよ。びっくりだね、あの機動力は……。で、荒れちゃってて、皆で宥めて仕事は何とかしているよ』
「……」
 ある意味、帰りたくないかも。
 光琉の荒れっぷりは、ハッキリ言って怖い。
 しかも監禁されているなんて知れたら、機動隊でも呼んで乗り込んできそうだ。それくらいの事は光琉ならする。
 光琉は、透耶の弟だ。かなりのブラコンで、兄の為なら、通常無理だと思われる事でも、可能にしてしまう強引さがある。
 今回の場合、鬼柳を殺してしまうかもしれない。
 たぶん、それくらい狂っていると思う。
 幼馴染みの当麻がいるなら、何とか暴走するのを押さえて、光琉をコントロールしているのだろう。そうでなければ、仕事をこなしているはずはない。
『とにかく無事でよかった。あれ? 弟さんには連絡してないの?』
「えーと、連絡しづらいといいますか……何というか」
 考えてチラリと鬼柳を見ると、しかめっ面で透耶を見ている。
 駄目だ、連絡はさせてくれない……。
『うーん、あの剣幕じゃ怖いよね。でも帰ってくるんでしょ?』
「えーと、それも何というか……」
 鬼柳を見たままで、そう答えを濁してると、鬼柳は電話の内容が聴こえているかのように、「帰さない」と、声には出さず、唇だけ動かしていた。
『ははあ、帰りにくくなってるね。僕が迎えに行くから、取り合えず、僕にでいいんで、その場所教えてくれるかな?』
 ははーん、これに答えられたら、とっくに帰ってるって。
 って言いたかった透耶。
「あの、教えられないんです」
『え? もしかして、恋人といるとか?』
「違うんですけど、詳しくは説明出来ないんです。ごめんさない」
 恋人だったら、そりゃ良かったよな。
 それなら、喜んで報告してると思う。
 この状況を明確に説明できたら、そりゃ素晴らしい。
『ええ? どういうことなの?』
「すみません、御迷惑掛けているのは解っているんです。ですけど、詳しい事は聞かないで下さい。光琉には、俺は無事だからとだけ言っておいてくれますか? いや、当麻の方へお願いします。本当にごめんなさい」
 本当に謝るしかなかった。
 ただ、無事だから、帰りたいけど帰れないから、謝るしかない。
『よく解らないけど、無事ってことだよね?』
「はい」
『解った。無事ならいいんだよ。どっかで死体で発見なんて事じゃないなら、僕は榎木津君を信用する事にする』
「ありがとうございます」
 本当に何度頭を下げたのか解らないほど、透耶は手塚に頭を下げていた。
 まったく関係ない手塚にまで、迷惑をかけている。
 本当に情けなかった。
 正直、死体で見つかった方が良かったかもしれない。光琉はそれを一番心配しているから。もしそうだとしても、彼はそれで納得したはずだ。そう、あの意味で。
 ふと、そう思ってしまう透耶。
『僕に電話をくれたってことは、仕事の事は考えてくれているって事だよね?』
「そうなんです。気になってて。少し悩んでたんですけど」
『うん、解ってる。でも決心はついたんだね?』
「一人になって、何もしないでいようとしてたんです。けど、やっぱり俺、好きなんですよ。次の事、考えちゃって」
 そう、ここが何処だか解らないのは、東京を出て、ふらりと乗った電車の中で、ストーリーが浮かんでしまったから、どこでどの電車を乗り継いだのかも、何処へ降りて、何で海までやってきたかのかさえ覚えてないほど、没頭していたからだ。
 本当は少し旅行に出ようと思って、部屋を出たのだ。
 物語を商売にする。それでやっていけるのか。それが不安だった。それで少し悩んでいたのは確か。
 結局、物語を書くのはやめられない。そう思った。
『次回作? いいねえ。編集じゃ、デビュー作は評判だよ。次も出来たら早々に出ると思うけど。えっと電話だけど打ち合わせしとくか』
「お願いします」
『まず、デビュー作。本当なら、受賞パーティーがあるんだけど、榎木津君の場合、写 真はちょっとまずいよね?』
「はああ、マズイですねえ。俺、あまり人前には出たくないんですけど、駄 目ですかね?」
『受賞パーティーの方は、体調が悪いとかで通せるけどね。あとは謎の作家でいけると思うよ。あまり、顔を出さない作家ってのも多いからね。で、あとがき、なんだけど』
「あとがき、ですか……。物語以外は……」
『じゃ、作家さんの推薦書でいこうか。まだ、それが決まらなかったんで、もしあとがきを書きたいって言ったらあれなんで、印刷止めてたんだよ』
「うわ、すいません。そっちでお願いします」
『イラスト、とかは、もうこっちで決めちゃったけど、良かったかな?』
「ええ、全然構いません。ありがとうございます」
『書店に並ぶのは、4月中旬になったから。ただね、榎木津君が、光琉君のお兄さんだってこと、編集長が知っちゃって、光琉君に宣伝させるかもしれないよ』
「ははー、喜んでやるでしょうねえ……」
 笑うしかない。
 なんたって、このデビューの切っ掛けは、光琉だからだ。
 光琉が、勝手に透耶の作品を読んで、面白いからと作品を勝手に投稿してしまったのだ。透耶は、苦笑して、どうせ落ちると思っていたものだから、まさかデビューできるとは思ってもいなかった。
 それだけに、趣味を商売にしてやっていけるのか、それが悩みだった。
 だが、今は吹っ切れている。
 創作意欲は枯れることなく、透耶の頭を満たしているからだ。
『光琉君は乗り気でいるから、榎木津君は、何のコメントもしない方がいいかもしれないと僕は思うんだ。新人だけに、色々と言う人がいるからねえ』
 つまり、高校出立ての若造が、デビュー作を、弟の名誉にかけて、宣伝して、大して面 白くもないのに、弟の名前に便乗して売れてしまう、という現象を快く思わない作家さん、批評家の辛口が出るという事だ。
「俺は何言われてもいいんですけど……」
 大して自分の作品を面白いとは思っていない透耶は、デビュー出来ただけでも良かった。
 欲はない。売れるとか売れないとかにも興味はない。ただ、物語が書ければそれでよかったのだ。
 しかし、それで光琉が何か言われる方が嫌だった。
 光琉はそれすら跳ね飛ばすだろうが。
「光琉の好きにさせてください。ただ過剰にさせないで駄目だと思ったら、手塚さんの判断で止めて下さい」
『うーん、なんて止めればいい?』
「そうですね。二度と帰ってこないとか、そういうのでいいと思います」
『あははははは、それは効くねえ。了解。睨まれない程度にやっておくよ。えっと次回作だけど、出来はどう? もしかして、他にも作品出来てる? 今まで溜めてたのとかでもいいんだけど。光琉君に聞いたら月一本ペースで書いてるって言ってたから』
「構想は出来てます。溜めてるのは何本かあるので、光琉に言って部屋からフロッピー持ち出してもいいです」
『ペース早いなら、隔月くらいで出版ってのも作戦であってね』
「はあー、それはいいんですけど」
『本当に、榎木津君って、そういう方面には興味ないね』
「俺は、ただ物語を書ければ、それでいいんです。そりゃ、認められなきゃ、仕事として成り立たないと思うけど」
『いいんだよ。じゃあ、デビュー作の事は片が付いた。次回作は新しいのか、それとも出来上がっているのかは、作品を見てからにしよう。で、こっちから連絡する時はどうしたらいいかなあ?』
「えーと、それはちょっと」
 その前に、ここの電話番号なんて知らないし、電話番号が解れば、ここの場所も解るわけで、そうなると鬼柳は教えてはくれない。
 透耶ははあっと溜息を吐いた。
『解った。そっちからは連絡出来るんだよね。じゃあ、発売日にでも一回電話くれるかな? 作品が出来たら郵送でもいいんで。まさか、郵便局とか宅急便がない所にいるわけじゃないよね?』
「はあ、それはあると思います。じゃ、発売日にでも電話します。宜しくお願いします。ありがとうございました」
 凄く迷惑をかけているは解っているが、今、自分の無事を知らせる事が出来るのは、この手段しかなかった。
 透耶がやっと話が終わって電話を切った時、すっと鬼柳の腕が透耶を羽交い締めにした。

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