Switch 18

2

 自宅に戻ると、透耶は綾乃とジョージ、そして成り行きでついて来てしまった高城を宝田に紹介する。
 居間に通して、ピアノの準備を透耶と綾乃がやり、鬼柳はキッチンに入って夕食の準備をしていた。
 宝田がジョージと高城の相手をして何かを話している。
「執事までいるの?」
 綾乃が驚いて聞いてしまう。
 まさか、こんな大きな家に住んでいるとは思わなかったし、玄関開いたら品のイイ年寄りが出てきて、「お帰りなさいませ」と言われるような状態とは想像もしてなかった綾乃である。
「あ、うん。恭の実家の執事さんなんだけど、今はここの執事さん。なんか、恭が生まれた時から執事やってるんだって」
「え? 鬼柳さん家ってお金持ちなの?」
 これこそ本当に驚いてしまう事だった。
 鬼柳の実家の話などは聞いた事ないし、興味がなかった綾乃には、鬼柳が執事がいるような家で育ったとは思えないからだ。
 そうした品の良さは見た事がない。
「みたい。でも関係ないとか言ってる」
 透耶は簡単に答えている。
 鬼柳の家がどういう家なのか詳しくは知らないが、鬼柳が家を出てきたと言って関係ないと言い張っているので、自分が口を挟む事ではないと思っている。
「ねぇ、先生の周りってお金持ちしかいないんじゃない?」
 綾乃がそんな事を言い出す。
 そう言われて透耶はうーんと考えてしまう。
「俺の知り合いじゃないしねぇ。恭繋がりじゃないのかな? エドワードさんは恭の友達だし、ヘンリーさんはエドワードさんの知り合いでしょ? ジョージさんはエドワードさんの仕事仲間だから、直接俺が知ってるのって、綾乃ちゃんくらいしかいないんだけど?」
 エドワードとジョージに自分は透耶とも知り合いだと思われているとは思ってない透耶である。
 鬼柳の友達や、その友達の仕事仲間が、透耶宛にプレゼントを送る訳がないのも解ってない。
「うーん……うちもお金持ちかもしれないけど、執事はいないわよ」
「普通いないよね?」
「うん、いないよ。でも、これだけ大きな家ならいた方が便利かな? 鬼柳さんはマメだけど、外の事には疎そうだし、先生は問題外だし」
 綾乃はそう言って、さっさとグランドピアノの蓋を開けてセットしてしまう。
「……」
 やっぱり、俺は問題外ですか?
 思わず落ち込んでしまう透耶。
 ……落ち込んでいる場合じゃないな。
 
「さて、何を弾いたらいいのかな?」
 透耶はピアノの椅子に座って、綾乃を見上げる。
「鬼柳さんの好きなのでいいんじゃないの?」
 綾乃は、透耶が弾いて聴かせてくれるなら、何でもいいと思っている。
 綾乃の言葉を受けた透耶は、眉を顰める。
「うー。あれかなあ?」
 そう呟いてしまう。
 ……最近弾いてないから指が動くかどうか解らないんだけど。
「あれって?」
「超絶技巧練習曲第4番」
 透耶がそう答える。
「マゼッパ? うーわー、また壮絶な難曲を……」
 ピアノ曲を知らないとは恐ろしいと綾乃は思ってしまう。
「後は英雄ポロネーズ……」
「げー……。もしかして、罠?」
「そう思うよね……」
 やっぱり罠なんだろうか?
 本気でそう思ってしまう透耶である。
  『Ah. he is going to start.(お、始めるみたいだね)』
 ジョージがそう言ったので、高城もそっちを見た。
 透耶は練習をせずに、楽譜もなしにいきなり始めようとしている。一旦目を瞑って、まるで楽譜を思い出しているかのように見える。
 綾乃は椅子に座らず、ピアノの横に立ち、弾いているのを近くで見ようとしている。
『Excuse me but. is this what he always does?(あの、榎木津はいつもああですか?)』
 高城が宝田に尋ねる。
 主旨は言わなくても、宝田には高城が何が言いたいのかはすぐに理解出来た。
『Yes.He starts suddenly.He doesn’ t have many scores.He doesn’t have many scores. He exercises sometimes. I believe. but honestly. it doesn’t look like practice.(ええ。透耶様は、いつも突然ピアノをお弾きになられます。元々楽譜類はお持ちで らっしゃいません。なので練習をなさっているとおっしゃいますが、いやはや、あれ が練習とはとても思えません)』
 宝田は、ここで初めて透耶のピアノの音を聴いた。
 信じられないくらいの腕前に感嘆してしまい、今や透耶のピアノのファンになってしまっている。
『Are you saying that he always plays by heart?(全部、楽譜は暗記していると?)』
 高城が信じられないという顔をした。
 プロのピアニストだって、事前に楽譜を見なければ弾けない曲や、忘れている曲だってある。
 透耶にはそれがないというのだ。
『I guess so.I myself dabble in classical music. yet I have never heard him make a mistake.(暗記なさっているようです。私もクラシックを齧っていますが、ミスをなされたの を聴いた事は一度もありません)』
 透耶は自分でミスったとは言うが、聴く者には何処がミスったのかさっぱりなくらいだ。
『Is he a prodigy? (化け物か…)』
 高城は思わずそう呟いてしまう。
『These is no wonder you say so. He said he knew as many as 1000 tunes by heart. if they are popular. (そうおっしゃられるのは無理はないと思います。基本的に知られている曲であれ ば、透耶様は千曲は完璧に頭に入っているそうです)』
 これこそ化け物という所だろう。
『What is his favorite?(得意なのは何だろう?)』
 ジョージが尋ねる。
 すると宝田は少し考えてしまう。
『I have no idea. He doesn’t stick to particular tunes.What he often plays are. all that Mr. Kiryu asks him to.(さあ。それは解りかねます。曲自体に執着されておりませんので。よく弾かれる曲 は、恭一様がリクエストなされたものばかりです)』
 別にこれが弾きたいからと言って弾いているわけではない。
 思い出した曲を順番に弾き試しているという感覚なのだ。
『It means. that he has no favorite. but he can play any tunes.(つまり、得意というのはなく、満遍なく弾けるという事ですね)』

『That’s quite correct.(そうです)』
 それが一番正しい解釈だろうと宝田は思った。
『How often does he exercise? (どれくらい練習してますか?)』
 高城は次の質問をした。
 あれだけの音を完成させるには、再度弾き始めてからかなりの練習をしたはずだと思っている。
 だが、その高城の考えとは正反対の回答を宝田は出した。
『Well.Though he plays every day. he seems to be busy these days. so the last time he played was a week ago. Normally. Mr. Kiryu stops him after an hour of exercise. (そうですね。弾かれる時は毎日ですが、ここ最近はお忙しいようで、最後に弾かれ たのは、一週間前です。時間は、大体は一時間くらいで恭一様がお止めになります)』
 この宝田の言葉をきいて、高城は頭の中が真っ白になってしまう。
 有り得ない事だったからだ。
 固まってしまった高城とは別に、ジョージは鬼柳が演奏を止めるのが気になってしまった。
『What do you mean?(止めるとは?)』
『Once he was left to play the piano. he was drown into it for about 4 hours ….(はい。一度、お好きなように弾かせておりましたら、4時間程熱中されまして…)』
 透耶が弾きたいなら好きなだけ弾かせてみようと最初に鬼柳が言った。
 だが、それが間違いだったと鬼柳は後で後悔してしまったのである。
 そう透耶の癖を知っていれば、予想出来た展開でもあったからだ。
『But how come that long ?(またなんでそんなに)』
『This living room is soundproof.If he plays with its door closed. no one in other rooms can hear anything.So we didn’t notice it for 4 hours. After that. Mr. Enokizu claimed that his fingers felt unusual when he was about to start writing. He seems to have less strength. he gets tired out after playing for a long time. So Mr. Kiryu made it a rule to let him play the piano for an hour. (この居間には防音が取り付けてあります。ドアを閉め切った状態でお使いになられ ますと、他の部屋にいる者には聴こえません。それで、4時間気がつかなかったので す。その後に、お仕事なされる透耶様が、指がおかしいと言い出しまして。それに体 力がないようで、何時間も弾かせたりすると、ぐったりしてしまうので、恭一様が時 間を一時間とお決めになられました)』
 そのお陰で、透耶がピアノを弾く時は、必ず居間のドアを全部開けて、家中に聞こえるようにしなければ駄 目だと鬼柳が透耶に約束させたのだ。
『I see.That’s understandable.(なるほど、それが妥当か)』
 プロでない以上、1時間以上、それも本番のように弾かないものだ。
 それで高城は思い出した。
 透耶があまり練習をしなかった訳。
 別に家で練習している訳ではないと言っていたし、学校でもほんの数時間しか練習に打ち込まなかったのは、自分で体力がない事を理解していたからに過ぎない。
 学校なら、チャイムがあるし、始める時間を決めていれば同じ時間に終われる。
 上手いから練習しなかった訳ではない。
 自分の欠点が解っているからこそ、練習を短くするしかなく、その練習の範囲内で完璧にしあげなければなからなかったのだ。
 つまり、透耶にとって練習は、本番となんら変わりないものだったのだ。それが榎木津透耶をより完璧にしていた。
『Oh. Beautiful Mazeppa.(お、マゼッパか。これはまた)』
 透耶が弾き始めた曲を聴いてジョージが呟いた。
 練習なしの一発勝負。
 高城には呆然としてしまう。
 はっきり言って言葉は出ない。
 沖縄で聴いた時より、より完璧で、完全な音を出す。
 音は更に深くなり、それでいて心地好い。
 動きも呼吸も止まってしまう様な錯覚になる。
 一曲が終わると、続けざまに「英雄ポロネーズ」。
 難曲と言われる曲を透耶はどんどん弾いて行く。
 その全てにミスは一つもなかったのである。


 そのまま誰もが身動き出来ないまま一時間。
 ちょうど、約束の時間になった時に、鬼柳が部屋に入って来て、透耶の演奏にストップをかけた。
 曲はまだ途中だったが、鬼柳が後ろから透耶の腕を掴んで持ち上げてしまう。
「あれ? 時間?」
 自分の指がピアノを触ってないのに気が付いて、透耶は鬼柳を見上げた。
「ああ。これ以上は駄目だ。また指が変になるぞ」
 鬼柳が真剣にそう言ったので、透耶はそれを思い出した。
「……うん」
 頷いて大人しくピアノから離れる。
 すぐに鬼柳がピアノを封印してしまうように、片付けをしてしまうと、ピアノに鍵をかけた。
 こうでもしないと、透耶がこっそり練習をしてしまうからだ。
 鍵は、鬼柳と宝田が保管している。
「変になるって?」
 綾乃が不思議そうに鬼柳に尋ねる。
「ほっといたら一日中でも弾き続けるんだよ。しかも休みなしにな。だから指が痙攣して、箸すら持てなくなるんだ。身体もおかしくなるし動けなくなる」
 鬼柳はそう答えた。
 透耶がピアノに没頭した日。
 鬼柳が透耶の異変に気が付いて慌ててピアノを止めた時、透耶はそこで気が抜けたのか椅子から崩れ落ちてしまったのだ。
 しかも腕が上がらないやら、指が痙攣しているなどという症状が出てしまった。
 なので、透耶の状態を見て、一時間と時間が決められたのである。
「先生、無茶だ」
 綾乃が信じられないと透耶を見て言った。
 そこまでになる程、ピアノを引き続けるのは、はっきり言って異常だ。
「だろ? 一時間が妥当だ。休み入れて弾くのが無理みたいだし」
 中休みを入れて弾くなら、もう少し練習時間は伸びていただろうが、透耶にはそれが出来ない。
 没頭してしまうと我を忘れてしまうからだ。
「……うん、まあ。集中しちゃうと時間忘れちゃうから」
 ちなみに体調がおかしくなっている事も気が付かない。
『Toya. you are good. as always.(透耶、相変わらずいい音を出すね)』
 ジョージがすっかり感動して、ピアノに座っている透耶に寄って来て話し出す。
 こうなるとジョージは止まらない。
 すっかりジョージのペースに巻き込まれてしまった透耶を置いて、鬼柳はキッチンに戻る。
 それを追って高城もキッチンに入った。
「あんた、あの音を自分だけのモノにして満足か? 世界でも認められるモノを縛っているんだからな」
 敵意むき出しの高城が鬼柳にそう言った。
 煙草に火を付けようとしていた鬼柳が、高城の方を振り返る。
 何の感情もない顔。
「脅したって無駄だ。あれは世界にあるべきモノだ。それをあんたは自分だけの側に置いている。それでいいわけがない!」
 高城がそう言い切ると、鬼柳はジロリと高城を睨んで言った。
「くだらねぇ、話になんねぇな」
 そう言い切った。
 こう言われた高城は、鬼柳につかみ掛かろうとした。
 だが、その後ろから綾乃がキッチンに入って来た。
「まったくそうね」
 綾乃は高城を見てそう言った。
 高城が振り返ると、綾乃が高城を睨んでいる。
「綾乃」
 何か言いそうな綾乃を鬼柳が止めるが、こうなると綾乃は止まらない。
 高城を真直ぐに睨んだままで言い出した。
「全然解ってない。才能があっても嬉しくないって言ったでしょ。先生は、ピアノを弾く理由を鬼柳さんに押し付けなきゃ弾けないくらいに、まだピアノが怖いのよ」
「綾乃」
 再度鬼柳が止める。
 それでも綾乃は言葉を止める事はない。
「高城さんがいろんな人に聴いてもらいたいように、先生は、鬼柳さんだけに聴いて欲しいって思って、ピアノを弾く事を再開したんだから! どうしてそれが駄 目なの!」
 綾乃は必至になって叫んだ。
 高城は綾乃の言葉に反論しようとしたが、綾乃が続けて言い出した。
「高城さんがいくら弾いても誰も認めてくれなかったら苦しいでしょ。それと同じくらいに、先生は人に聴かれる事が苦しいの。認められれば認められるほど苦しくて息も出来なくなるの! それでも優しいから、こうやってあたしにも聴かせてくれる。あたしはそれだけも嬉しい」
 綾乃は、そこで言葉を切って、今にも泣きそうになりながらも言葉を続けた。
「世界を目指さなきゃ、ピアノを弾いちゃいけませんか? 唯一の人の為にピアノを弾いちゃいけませんか? 嫌がってる人に無理矢理ピアノを弾かせて満足ですか?」
 さすがにこの言葉に高城は反論出来ない。
「高城さんと先生は違うんです。それに鬼柳さんを責める権利なんて無い! これは二人の問題です!」
 綾乃はそこまで言って、涙が頬を伝うのを感じた。
 だが、これだけは言わなければと、言葉を続ける。
「だから……もう、先生の事は忘れて下さい。……そっとしておいて上げて下さい。……お願いします……先生が苦しむの見たくない……」
 綾乃はそう言って、顔を覆って泣き始めた。
 鬼柳は吸っていた煙草を消して、綾乃の側に寄り、抱き寄せて頭を撫でた。
「馬鹿が。お前が泣く事はない」
 言葉はきつかったが、頭を撫でる手は優しかった。
「あたしのせいだもん」
 綾乃がそう言って泣いている。
 鬼柳には綾乃が自分のせいだと思い込んでいるのは、やはりMDの事なのだろうと思った。
「いや、俺のせいだ。お前にMDなんて渡したから、お前が苦しんでる。だから俺のせいだ。俺は誰に何を言われたって平気だ」
 鬼柳がそう言っても綾乃は首を振る。
「あたしが言わなきゃ、鬼柳さんも先生も言わないんだもん。どっちも悪くないし、普通 にしてるだけなのに、責められるの見てられないもん」
 綾乃はそう言って一層泣いてしまう。
 その後ろから、騒ぎを聴いた透耶が覗きに来ていた。
 鬼柳がそれに気がついて透耶を見ると、透耶は少し困った顔をして鬼柳を見ていた。
 鬼柳が手招きをして透耶を呼び、綾乃を預ける。
「綾乃ちゃん……」
 透耶がそう呼ぶと、綾乃は透耶に縋り付き、押さえ切れない嗚咽を零す。
 綾乃は泣きながら透耶に謝る。
「ごめんなさい……あたしが……あたしが悪いの……」
 綾乃が謝っているのは、あのMDを高城に聴かせてしまった事への謝罪。
 綾乃はそれをずっと気にしていた。
 透耶が笑っていいと許しても、透耶が許しているから大丈夫だと鬼柳が言っても、綾乃は自分が許せなかった。
 あれさえ聴かせなければ、二人が不愉快な思いをしなくて済んだのだと、解っているからだ。
「綾乃ちゃんは悪くないよ。俺がちゃんと言わなかったからいけないんだ。ごめんね、辛い事言わせちゃった」
 透耶はそう言って、綾乃を抱き締める。
 それから、高城の方を向いて透耶は言った。
「俺は、高城さんとは違う。一度逃げて辞めた人間です。今更戻るつもりもありませんし、ピアノをもう一度弾くきっかけをくれた恭が弾くなと言ったら、それだけでピアノを辞められるくらいにしか思ってないんです。だから、もう俺の事は忘れて下さい」
 透耶は本気でそう思っていた。
 鬼柳が弾くなと言ったら、それだけで辞めてしまえるほど、自分には価値は薄いと思っている。
「もし、……世界でと言ったら」
 諦め切れない高城がそう呟く。
 それに、透耶は笑って答える。それも自信満々に。
「恭は言わない。絶対に言わない。だから俺は恭の為にしかピアノを弾かないんです」
 透耶はそう断言すると、綾乃を連れてキッチンを出た。
 二人が出て行くと、代わりにジョージが入ってきた。
 高城はそれでも呆然としていた。
 まさか、ここまできっぱりと言われるとは思わなかったのだ。
「言わないのか?」
 高城が振り返って鬼柳に聞いた。
「言わねぇな」
 鬼柳は即答する。
「何故」
「透耶はそんな事に興味がない。それに楽しく弾ける場所は俺の側だけだと言った。それだけの理由でしか弾けないってね」
 鬼柳はそう言って笑う。
 確かに透耶は本気でそう思っている。
 もし、この家にピアノがなかったとしたら、透耶はピアノを弾かなくても何とも思わない。
 外でピアノを見かけても何の反応もしないし、ピアノを練習するのは、鬼柳に聞かせる為だけにより完璧にやりたいと思っているだけなのだ。
「それだけの理由……」
 高城は、呆然としてしまう。
 そうピアノを弾くには理由がある。
 ただ弾いているだけではない。高城も自分の演奏を聴いて欲しいと思って弾いている。認められたいと思って一生懸命やってきた。
 透耶はそうした栄光を欲しいとは思わない。それどころか、弾く理由はただ一つしかないのだ。
 それがなくなれば、透耶はピアノをまた捨ててしまえる程にしか思っていないのだ。
「ま、透耶はピアノを本気で嫌いな訳じゃないし、辞めることもない。だから自由にやらせてる。もし、世界でやりたくなったらそう言うだろうしな」
 鬼柳はそう付け足した。
 まあ、透耶は頑固だから、俺を理由にしない限り、弾かないだろうけどよ。
 鬼柳は内心そう思っていた。
 頑固だから、一度決めた事は守り通すだろう。
「本人の意志か。それでお前は納得するのか?」
「透耶がそう決めたなら、俺がとやかく言う必要はねぇだろ」
 鬼柳はニヤリとして言う。
 自分は、世界で弾けとは言わない。いや、言えない。
 言えば透耶は本当にそうしてしまう。自分の意志とは関係なしにやってしまう。それでは意味がない。
 透耶がやりたいと願うなら、鬼柳は初めから反対する気などなかった。
 なにより、自分が好きな事をしている時の透耶が一番輝いているから。
『You think more than you seem.(意外に考えているんだな)』
 今の今まで聴き入っていたジョージがそう言った。
『None of your business.Hey. you understand Japanese. don’ t you?(じじいに言われたくねぇ。というか、じじい、日本語のヒアリング出来るじゃねぇ か)』
 鬼柳がハッとしてツッコむ。
 今までの会話は全部日本語だったのだから。
 するとジョージはニヤリとして答えた。
『I have always been able to do so.(元々出来るんだ)』
『Then. don’t let Toya speak in Englsih!(だったら、透耶に英語喋らせてんじゃねぇ!)』
 鬼柳がそう叫ぶと、ジョージはこれまた簡単に答える。
『Don’t be fussy.It’s cute this way.Besides. I can’t speak Japanese.(いいじゃないか。可愛いんだから。それに日本語は解るが喋れないんだ)』
 そう答えたジョージをジロリと睨んだが、一つ納得出来る所があった。
 英語を一生懸命喋っている透耶は可愛いのだ。
 それだけには賛同してしまう。
『Whatever.(ああ、そうかよ)』
 ああもうどうでもいいとばかりに鬼柳は追求をやめた。
『But if he tells you that he would like to play the piano worldwide. what would you do?(だが、本当に世界に行くと言ったらどうするんだ?)』
 ジョージがそう聞き返した。
 たぶん聞かれるだろうと思っていたかのように、ニヤリとして言い放つ。
『Well. I could throw myself on his knees.(ま、そうなったら、泣いてすがってみるか)』
 そんな事を言う鬼柳だが、さすがジョージだろう。
『What. like “ Don’t leave me!” “Shut up. I’ve already decided it. Let me go!”. you mean? In your case. you are likely to confine him in a basement. with a pair of handcuffs on him. (まるで…「あんた行かないで!」「うるせぇ、俺は決めたんだ!止めるな!」と か? 鬼柳の場合は、地下で鎖に繋いで監禁とかしそうなんだが)』
 などと言ってしまう。
 すると、鬼柳はそれを想像したらしい。
『Wow. sounds perverted…(うわ、やってみてぇ)』
 本気でそれを言っているから、ジョージも呆れてしまう。
 たぶん、本当にそうしてしまうかもしれない。
「一つ聞いていいか?」
 復活したらしい高城が不安げな顔で鬼柳に言った。
「あ?」
「その、榎木津とは、恋人同士なのか?」
 高城はまさかと思いながらそう聞いていた。
 すると、鬼柳だけでなく、ジョージまでもが呆れた顔をしてしまっている。
「は? お前、今まで何だと思ってたんだ?」
 鬼柳はそう聞き返した。
 大体、赤の他人同士が同じ家に住み、人がいる所でキスしたり抱き合ったりしている時点で気が付けよと言いたくなる。
「いや……ただふざけてやってるのかと……そうか……なるほど……だから、唯一の人の為なのか」
 高城は納得したのか、頷きながらキッチンを出て行ってしまった。
「ん? 何だあいつ」
 鬼柳は唖然として高城が出て行ったドアを見て言った。
『He understood what you had been saying. If you are a couple. what Toya and Ayano said is quite understandable.(納得したんだろう。恋人同士なら、透耶が言ってる意味も、綾乃が言った意味も十 分理解出来るからな)』
 ジョージがそう答えると、鬼柳はあれと考えてしまう。
『hen. if he had known it. he wouldn’t have said that kind of things to him?(だったら、最初からそう思ってりゃ、あんな事言わなかったって事か?)』
『I suppose so.(そういう事だろう)』
 ジョージにそう言われて、鬼柳は頭を抱えてしまう。
 今までのは何だったんだ?と言いたくなる所だ。
『What an ass.Did he trouble Toya and made Ayano cry with such a simple matter? God. I’m gonna kick him out now. (あほらしい…。そんな単純な事で、透耶を困らせて、しかも綾乃を泣かせたのか?  ふざけんな! あいつ、今すぐ追い出してやる!)』
 鬼柳は叫んでキッチンを出て行こうとする。
『Do you care aboutAyano that much?(そんなに綾乃が大事か?)』
 ジョージがそう聞くと、鬼柳は振り返って答えた。
『Sure!(当り前だ!)』
 鬼柳はジョージにそう怒鳴った後、居間に戻っていた高城に、用は済んだだろ、さっさと帰れ!と怒鳴って、宥める宝田に駅まで送って来い!と叫んでいた。
『Ah huh. I see.(ふーん。なるほど)』
 ジョージは一人で納得して、苦笑していた。
 内心、こう考えしまう。
 透耶にとって大事な人は、鬼柳でも大事にしなきゃならないと思っている。
 なら、自分も透耶にとって大事な存在になれば、鬼柳も邪険に出来なくなるという事になる。
 これはこれで面白い発見だった。

 居間では、透耶が綾乃を慰めて、顔を覗き込んで話している。宝田が持って来たタオルで泣いた顔を拭きながら、綾乃はジッと透耶を見ている。
 綾乃はまるで、すりこみされてた雛みたいに、透耶だけを見ている。透耶が優しく笑うと、綾乃も笑う。
 やっと落ち着いてきたらしく、綾乃は言い過ぎたと謝っている。
 だが、透耶はやはり笑っている。
 自分が言いたい事は全部綾乃が言ってしまったからだ。それを怒るどころか、嬉しくて仕方がなかった。
「綾乃、もう泣くんじゃねぇ。あれで納得したから」
 鬼柳が通りがかりに綾乃にそう言って、見上げた綾乃の額にキスをした。
 いきなりだったので綾乃が驚いていると、透耶がそれを見て笑っている。
 鬼柳がキッチンに消えると、綾乃は透耶に言った。
「先生は、あたしに嫉妬しないの?」
 普通、こういう事は日本人はしないから、してもらうには嬉しいが、透耶が嫉妬しないかが心配である。
 だが、透耶はキョトンとしてしまう。
「何故? 恭は気に入った人にしかしないから。綾乃ちゃんを気に入ってて、でもどうやって慰めたらいいのか解らないからああするんだし」
 そう言って、クスクス笑ってしまう。
 鬼柳は、気に入った相手が泣いていると、どう対処していいのか解らなくなるらしい。
 もちろん、気に入ってなければ、放っておくので気にもならないのだが。
「あれで慰めてるの……?」
 綾乃が眉を顰めて言う。
「うん、十分やってるんだけど……変?」
 透耶は首を傾げてしまう。
 鬼柳は透耶に対してもああいう慰め方をしてきたから、透耶からすれば慰めているつもりなのだ。
「変というか、なんか解った。あれじゃ、女とか男とか、惚れるよね。プレイボーイの典型というか……」
 ああいうスキンシップは外国では多いのかも知れないが、鬼柳のは極端すぎるような気がすると綾乃は思ってしまう。
 綾乃にそう言われて、透耶は納得してしまう。
「……あ、そうかも……」
 あんなキスされたら、やっぱそうなるよな。
 さすが、慣れてる。
「他でやったら大変だね。あ、あたしは、二人の邪魔しないから!」
 綾乃は慌ててそう付け足した。
「うん。解ってるよ。でも、後で言ってきかせておく」
 透耶はニコリと笑ってそう言ったが、笑顔が物騒である。
 あ、怒ってるかも……。
 綾乃は瞬時にそれを悟る。
「綾乃もじじいも飯食ってけよ」
 ダイニングから鬼柳が顔を覗かせてそう言った。
 しかし、透耶の表情を見たとたん、少し戸惑ったような顔になって綾乃を見た。
 透耶は、何も言わずに鬼柳の側を通ってダイニングに入り、綾乃がその後に続く。
 鬼柳が綾乃を呼び止めて聞いた。
「何で、透耶は怒ってんだ?」
 鬼柳はそう言ったので、綾乃は笑って言った。
「後で先生が言うと思うよ。まったく鬼柳さんがプレイボーイだからいけないんだし」
 綾乃はそう言って通り過ぎ、ジョージは苦笑していた。
「は?」
 鬼柳にはさっぱりな事である。

 綾乃とジョージは鬼柳の作った食事を食べた後、帰って行った。
 透耶が何も言わないので、鬼柳は気になってしかたない。
 なので強行突破。
「透耶、一緒に風呂入ろうぜ。ジャグジー」
 鬼柳はそう言って透耶の手を引く。
「ジャグジーって、地下の?」
 透耶が嬉しそうな顔をする。
「そうそう入った事ないだろ?」
 本当は入った事はあるが、透耶は覚えて無い。
 透耶がうんうんと頷いたので、鬼柳はそのまま抱えて地下へ降りる。
「あれ? 準備してるの?」
 あれはいつも使って無いので、簡単に準備出来るものではない。
「ああ、さっき宝田に頼んでおいた」
「なんだ。最初から入る気だったんだ」
「もちろん」
 鬼柳はニコリとして答える。
 さっさと透耶の服を脱がせると、透耶も鬼柳の服を脱がせる。
 簡単に身体を洗って、中に入ると、透耶がくすぐったそうに身体をくねらせる。
「ん? どうした?」
「くすぐったい。脇に当たるから」
 そう言って笑っている透耶を鬼柳は引き寄せて、膝の上に乗せる。
 自分に凭れさせて、髪を梳くと透耶はそれだけでうっとりとしてしまう。
「なぁ、透耶」
「ん?」
「さっき何で怒ってたんだ?」
「ん、あ、あれね」
 透耶はそう言うと身体を離して、鬼柳と向き合った。
「恭さ、気に入った人に綾乃ちゃんにしたような事やってた?」
 透耶がそう説明すると、鬼柳は首を傾げる。
「あ? 何を?」
 あ、自覚無いし……。
「……キスしたりとか」
 透耶が具体的に言うと、鬼柳はあれの事かと思い出したらしい。
「ん? ああ、あれか。まあ、小さい子にはするが、大人にはやらないよ」
 鬼柳の言葉を聞いて、透耶は拍子抜けしてしまう。
 そっか、恭の中では綾乃ちゃんはしっかり子供なんだ。
 そう納得してしまったと同時に、下らない嫉妬をしていた自分が恥ずかしくなってくる。
「なら、いいんだけど」
 透耶はそれだけ言って、話を終わらそうとしたのだが、それを見逃す鬼柳ではない。
「え? もしかして、それで怒ってたのか? 綾乃にやったから嫉妬してた?」
 鬼柳は、まさかあれくらいで透耶が嫉妬するとは思ってもみなかった事だ。
「そうじゃなくて……」
 さすがに綾乃に嫉妬したとは言えない透耶。
「そうじゃない?」
「……えっと、他の人なら嫌だなと思っただけで。それで……恭のプレイボーイぶりが解った……」
 透耶がそう言うと鬼柳はキョトンとしている。
「え? 俺が?」
 あ、無自覚……タチ悪いよ……。
「綾乃ちゃんにするみたいにやると、誰でも恭の事好きになるよ」
 透耶がそう言うと、鬼柳は不満げな顔になってしまう。
 ……何で?
 透耶がそう思っていると、鬼柳はその理由を言った。
「透耶はすぐに好きになってくれなかったぞ」
 これが不満だとばかりに鬼柳は言った。
 ……そう返ってきたか。
「……そりゃ、俺は色々あったし。それがなかったら……たぶん」
 透耶は言って、鬼柳を見る。
 それが、上目遣いでしかも恥ずかしそうにしているから、鬼柳はドキリとしてしまう。
 鬼柳が固まってしまったので、透耶はどうしたんだろうと首を傾げ、身を乗り出して鬼柳の顔を覗き込む。
 すると、鬼柳が透耶の腰を掴んで自分の膝の上に乗せた。
 一体何がしたいのか解らなかった透耶だが、膝に乗せられた瞬間、鬼柳の熱いモノが内股に当たっていて、それが熱を持って大きくなっているのに気が付いた。
 ……なんで?
 驚いていると、鬼柳の手が透耶のお尻を掴んできて、指が孔を撫で始めた。
「……恭……突然何? あっ!」
「突然って、こういうの?」
 縋り付いてきた透耶の耳元でそう言い、耳を舐めると、下の指がゆっくりと透耶の孔に入ってくる。
「んん……」
 ゾクゾクとする感覚に、透耶は鬼柳にしがみつく。
 その指が出入りを繰り返すと、透耶が甘い声を上げ始める。
「……あ……はぁ……ん」
 この声を聞いているだけで、鬼柳は我慢出来なくなってしまう。
「ごめん、透耶、もう入れたい」
 鬼柳がそう言ったので、透耶は顔を上げて鬼柳の顔を見る。
 完全に制御出来なくなっている鬼柳の顔は、興奮していている。
 鬼柳が興奮しているのは、透耶が感じている姿を見ていた為だと解るから、透耶も嬉しくなってしまう。
「ん……いいよ」
 透耶が笑って答えると、鬼柳は指を引き抜いて、透耶の腰を掴んで持ち上げると、自分自身にあてがった。
 ゆっくりと侵入してくる鬼柳自身に、透耶は少し痛みを感じて声を上げてしまう。
「……っ」
 堪える為に鬼柳にしがみついて、圧迫感に堪える。
「ん……はぁ、あ……ん」
 全てが収まってしまうと、透耶は深く息を吐いて深呼吸をする。
 鬼柳は自分の肩に顔を埋めている透耶の顔を見たくて、透耶の身体を起こして覗き込む。
 水で濡れた透耶は、それは官能的で、息をする為に少し開いている唇はキスを誘っているように見える。
 瞳は半分閉じられているが、潤んだ瞳が鬼柳を捕らえている。
 キスをしようとした鬼柳だが、透耶の方が先にキスをしてきた。
 軽く触れた唇が離れようとしたが、その後頭部を押さえて、鬼柳は深いキスをする。
 舌を忍ばせると、透耶はそれに答えてくれる。
 それが離れると、透耶は鬼柳の頬にキスをする。
 そしてそれが離れたとたん、透耶の方が腰を浮かせて動き始めたのだ。
「……あ……あぁ……はぁ」
 慣れない動きだったが、透耶が積極的だったので、鬼柳も透耶に任せる。
 どんどん淫らになる動きに、鬼柳は翻弄される。
 自分で主導権を握ってやるならまだしも、透耶からされてしまうと、さすがの鬼柳もたまったものではない。
 悪戯を先に仕掛けたのに、鬼柳の方が先に達してしまった。
 それに驚いたのは、双方だった。
「……はぁ……ごめん」
 謝ったのは鬼柳。
 少し恥ずかしそうな鬼柳に、透耶は驚いたままで聞いた。
「……よかった?」
 透耶がそう聞くと、鬼柳は満足した顔で透耶にキスをする。
「良すぎ……。先に達かされたのなんか初めてだ……」
「あ、そうなんだ……」
 透耶は意外な言葉に少し驚いていた。
 そういえば、自分が奉仕した時は、鬼柳が達くのが早い気がすると思ってしまう透耶。
 だが、自分はまだ達ってない。
 鬼柳が満足している隙に、透耶はさっさと逃げようとする。
 しかし、それを見逃す鬼柳ではない。
 浮かしかけた腰をしっかり掴んで言った。
「今度は俺がやってやるよ。最高に気持ち良くしてやる」
 そう言ったとたんに、鬼柳は透耶の腰を上下に動かし、自分も腰を突き上げた。
「やっ! あぁ!」
 いきなりやってきた快楽に透耶は身体を反らした。
 自分が主導権を握っている時は、相手にどうやってやれば気持ちがいいんだろうと考えてばかりなので、自分の快感よりそっちを優先してしまう所がある。
 だが、その主導権を鬼柳に渡してしまうと、透耶は与えられる快感に溺れるだけになってしまう。
 鬼柳が胸の突起を指で摘み弄ると、ギュッと透耶の内部が締め付けてくる。
 舐めて吸い、軽く噛んだりして、刺激を与える。
「あん……やっ……あぁっ……!」
 懸命に掴まって快楽を味わっている透耶は、もう何も考えられなくなり、官能的な声を上げ続ける。
 湯が激しく波打ち、透耶の甘い声と鬼柳の吐く息の音が響いている。
 鬼柳は夢中になって、腰を突き上げて透耶を達かせた。
「……あぁぁっ!」
 透耶が達した瞬間に締め付けられたが、鬼柳はそれを我慢した。
 ぐったりしていると透耶が力無く縋り付いているが、鬼柳は透耶の身体を少し離して、顔を覗き込んでキスをした。
「…後ろだけでいけるようになったな」
 そう鬼柳が言うと、透耶はハッとして鬼柳を睨み付けた。
 んな事言うな……。
「……そんな顔して……誘ってるな」
 鬼柳はニヤリとして、まだ繋がっているから、腰を二三度揺する。
「……やっ! あっ!」
 内部を擦り突けられるだけで、透耶自身も復活してしまう。
「ほら、やっぱりそうだ」
 鬼柳は透耶の耳元で言って、ペロリと耳を舐めると、頬にキスをし、反り返っている顎から首筋へとキスをし、キスマークを付ける。
「はぁ……あ……ん……あぁ……」
 透耶が気持ちいいと感じているのは解っている。
 そして、自分も我慢出来ないくらいに感じている。
「透耶、ちょっと」
 鬼柳は言って、透耶から自分自身を抜くと立ち上がって、透耶を風呂の縁にうつ伏せに凭れ掛からせて、腰を掴んでまた挿入した。
「あぁんっ!」
「ごめん、制御出来ないから」
 鬼柳は謝っておいてから、動きを速める。
「ん……あぁ……あっ!」
 急激に早くなった出入りに、透耶は自分の腕では支え切れなくなり、そのまま崩れた。
 ジャグジーはちょうど、下に浴槽がある形なので、洗い場と縁の高さは同じである。
 透耶は洗い場の方の身体が崩れてしまった。
 その上に覆い被さるようにして、鬼柳が背中にキスをする。
 そして透耶自身を掴んで扱き始める。
「あ……っ……ん……」
 ゾクッと背中に違う感覚が走り、達きそうな感覚になる。
「……キョウ……っ……ん……」
 達くなら一緒に達いきたいと、透耶が鬼柳の名前を呼ぶと、鬼柳は透耶の項にキスをして言った。
「一緒に……いこ……とおや……」
「…う…ん…」
 透耶が答えたので、鬼柳は一層激しく透耶を突く。
「あぁっ! んっ……あっっ!!」
「くっ……!」
 同時に達すると、鬼柳は自分自身を抜く。
 透耶は荒い息をして、ぐったりしているので、後の始末、つまり鬼柳が注ぎ込んだものをかき出す事をしなければならない。
 指を入れてかき出していると、それだけで透耶は敏感に感じてしまう。
「……う……ん」
 感じまいと我慢しているが、それでも感じてしまう。
 恥ずかしくて、顔を伏せていると、それが終わった鬼柳が透耶の身体を仰向けにして、足を大きく広げた。
「……な……に?」
 ぼんやりとした透耶が鬼柳を見ると、鬼柳が透耶自身を掴んで、それを口に含んだ。
「……恭っ! やっ!」
 舌がそれを器用に舐め回ると、透耶は抗議も出来なくなる。
 鬼柳の髪に手を入れ、再び与えられる感覚に堪えている。
 あまりしつこくやりすぎると、透耶が後で怒るので、鬼柳はすぐに達かせる。
 透耶が放ってしまうと、鬼柳はそれを呑み込む。
 透耶を見ると、腕を重たそうにしながらも上げて鬼柳を見ている。
「……恭……」
 潤んだ瞳で鬼柳を見て呼ぶ時は、抱き締めて欲しい時の合図。
 鬼柳は透耶を抱き起こして、湯槽に浸かると開いた膝の間に透耶を座らせる。
 透耶は鬼柳に凭れてうっとりしている。
 こういう時は、透耶から甘えてくる。普段甘えないので、鬼柳は普段もそうしてくれればいいのにと思っている。
 しかし、意志や思考がはっきりしている時の透耶は、そうした甘えを禁じているように見える。甘える事で、自分が弱くなってしまうのを恐れているからだろう。
「そういや、明日透耶の誕生日だな。何か欲しいものあるか?」
 鬼柳が思い出してそういうと、透耶はぼんやりしながら答えた。
「もういいよ……欲しいのは貰ったから」
 そう答えたので、鬼柳が不思議がっていると。
「恭を貰ったから……他に何もいらない」 
 透耶がそう言ったので、鬼柳は笑ってしまう。
 自分も同じように答えたからだ。
「もう透耶、可愛すぎ」
「ん?」
 透耶はあまり言葉が耳に入りずらくなっている。
「ん、今日は朝までやろうぜって言ったんだよ」
 そういって首筋を撫でる。
「やだ……仕事あるから」
 段々頭の中がはっきりしてきた透耶がそう言った。
 鬼柳はそれを聞いて少し不満そうな顔をする。
 前にもお仕置きだといいながら、朝までやるという目的は果たせてなかったからだ。
「……仕事終わったらね」
 仕方ないなあとばかりに透耶が答えると、鬼柳がギュッと透耶を抱き締めた。
「約束だからな」
「……うん……でも、六月中旬まで仕事続きだよ」
 こういう答えが返っているとは思わなかったので、鬼柳は透耶の顔を覗き込む。
「え?何で!」
「7月から連載で、更に新刊出るから。それから単発の短編があるし……新しいソフト入れてそれでやると校正作業がしやすいって聞いたから、それにデータ移したいし。紙に書いた小説もデータ化しなきゃいけないし……」
 透耶が指を折りながらしなければいけない事を言うと、鬼柳がギョッとして言った。
「そんなに仕事あるのか?!」
「……うん……データ移すのは、仕事じゃないけど、準備かな?」
 透耶がそう答えると、鬼柳が不満たっぷりに言った。
「透耶~仕事し過ぎ~」
 鬼柳がそう言うと、透耶は少し笑って言った。
「うーん、まあ、これも、夏に恭と京都に行きたいから」
 仕事を詰めている理由を透耶は話した。
「京都に?」
 鬼柳がキョトンとする。
「うん。お祖母様にも会わせて置きたいし。両親のお墓もあっちにあるから、紹介しときたいし、お墓参りも一度も行ってなかったから……一緒に行きたいなって思って……」
 つまり、亡くなった両親や、生きている身内に鬼柳を紹介したいと言っているのだ。
「透耶…」
 鬼柳はそれだけで嬉しくなってしまう。
「うん、でも、仕事があるから時間とれなくて、それで……今やっておいたら、ちょうど八月いっぱい休み取れそうだって手塚さんが言ったから、頑張ってみようかなって」
 透耶がそう言って振り返ると、鬼柳が満面の笑みで見ていた。
「うん、解った。でも無理するなよ。倒れたりしたら元も子も無いぞ」
「解ってる。配分は解ってるから」
 透耶がそういうと、鬼柳は透耶を抱き締めた。
 抱き合っていると、透耶は眠くなってしまったのか、鬼柳の問いかけにも段々と言葉が怪しくなってしまった。
 透耶は逃げて来たモノに立ち向かおうとしている。
 綾乃も親の期待から逃れずに、一人東京で闘っている。
 なのに、俺は?
 俺は何もかもから逃げてないか?
 俺は透耶を逃げ場所にしてないか?
 透耶は俺といる為に過去と向き合い、そして真直ぐに前に向かって歩いている。
 俺は、透耶と一緒に居たからという理由をつけて、家からも逃げ、更に仕事からも逃げたままだ。
 このままでいい訳ないのは解っている。
 透耶は無意識でそれを解っているから、普段甘えて来ない。必要以上に頼ったりしない。
 俺の仕事の事を言ったりする。
 全部透耶は解っている。
 ずっと一緒のままの、このままの状態ではいられない事を。
 俺は、透耶がはっきりと言い出さないのを言い事に見ない聞かない事にしている。
 うとうとし始めている透耶の頭を撫でて鬼柳は思った。
 なあ、甘えていていいか?
 もう暫く、気付かないふりしてていいか?
 大丈夫だって、言われるまで見ないふりしていいか?
「……恭、どうしたの?」
 殆ど眠りに入りかけている透耶がそう言った。
 別に顔を見ている訳でもなく、ただ呟いただけ。
「いや」
 鬼柳はそう答えたが、透耶はこう言った。
「大丈夫……俺が何とかするからね……」
 一瞬、自分の考えを読まれたような言葉が出て来た。
「透耶?」
 不思議に思った鬼柳が透耶を呼んだが、その呼び掛けには返事は返って来なかった。
 鬼柳はホッと息を吐くと共に、一筋の涙が流れてしまった。
 ほら、透耶は俺が一番欲しい言葉をくれる。
 だから、尚更愛おしい。
 だから。
 だから、もう少しだけ、少しだけ側にいさせて。
 鬼柳は、初めて神に祈ってしまった。
 少しだけ前に進む為に、自分と向き合う為に、透耶と同等の勇気が欲しいと。
 強くある為に、透耶の笑顔が、言葉が欲しいと。
 らしくもなく、必死で祈っていた。

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